千葉市美術館で開催中の『赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで』に行ってきました。
展覧会の幕開けを2日後に控えた10月26日、まるで展覧会の準備が整うのを待っていたかのように赤瀬川さんは永眠されました。誰もが驚き、誰もが戸惑い、誰もが悲しみ、そして本展は奇しくも追悼展となってしまいました。
赤瀬川原平のことを知ったのは学生の頃。ちょうど“超芸術トマソン”や路上観察学会”が話題になっていたときで、雑誌で特集が組まれていたり、友人の影響もあって、気づけばハマっていたのでした。とはいえ自分は熱心なファンではなかったので、それ以前の赤瀬川原平のことも詳しく知らないし、そのあと赤瀬川原平に再び触れるのは“日本美術応援団”だったりします。
そんな赤瀬川原平の大回顧展ということで楽しみにしていたのですが、彼の死を持って開幕を迎えるとは誰が思ったでしょうか。
会場の構成は以下の通りです:
1章 赤瀬川原平の頃
2章 ネオ・ダダと読売アンデパンダン
3章 ハイレッド・センター
4章 千円札裁判の展開
5章 60年代のコラボレーション
6章 『櫻画報』とパロディ・ジャーナリズム
7章 美学校という実験場
8章 尾辻克彦の誕生
9章 トマソンから路上観察へ
10章 ライカ同盟と中古カメラ
11章 縄文建築団以後の活動
展覧会は、生い立ちから、アートにのめり込んでいく様子、ネオ・ダダのムーブメントの中での活動や“千円札裁判”の顛末、その後の多方面での活躍まで、幅広く赤瀬川原平のA to Zが網羅されています。
“千円札裁判”は自分の生まれる前の話ですが、“トマソン”で赤瀬川原平を知る前からそのことは記憶の中にあったので、裁判のあともどれだけ話題になっていた事件だったんだろうとずっと気になっていました。展示には押収品や起訴状、新聞社への抗議文など様々なものがあり、その一部始終が見て取れるようになっています。“千円札裁判”は法の場での芸術論争に発展していくわけですが、それをまるで“ハプニング”として自身の芸術活動に利用していく姿がとても印象的です。
“トマソン”はちょっと少なかったですが、美学校の生徒に描かせた「サザエさん」の“リアリズム模写”や、櫻画報やガロの漫画やパロディーなどは充実していて、次世代のアーティストや若者への影響力の大きさを感じたりします。赤瀬川原平という存在そのものが前衛芸術の枠を超え、時代の波の先を行くというか、カウンターカルチャーを生きた人だったのだなと改めて痛感。
話には聞いていましたが、500点を超えるぐらい物凄い物量で、2時間近く観てても観きれず、次の予定があったので、最後の方は駆け足になってしましました。
図録も分厚く、情報量が多くて、ネオ・ダダの篠原有司男や“ハイレッドセンター”の中西夏之といった前衛芸術家時代の仲間から、松田哲夫や藤森照信といった“路上観察学会”のメンバー、そして山口晃まで、関係者の“証言”など読みどころ満載です。
【赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで】
2014年12月23日(火・祝)まで
千葉市美術館にて
赤瀬川原平: 現代赤瀬川考 (文藝別冊/KAWADE夢ムック)
超芸術トマソン (ちくま文庫)
千利休―無言の前衛 (岩波新書)
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