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2019/07/12

遊びの流儀 遊楽図の系譜

サントリー美術館で開催中の『遊びの流儀 遊楽図の系譜』を観てきました。

本展は屏風や絵巻、扇面など絵画に描かれた「遊び」をテーマに、そこに描かれた遊びや舞踊、ファッションをクローズアップするというサントリー美術館らしい企画展。とくに近世初期に流行した遊楽図を中心に、絵の中に描かれたような碁盤や双六、カルタなどが実際に展示されていて多面的に楽しめるのがいいですね。

遊楽図・風俗図は個人的にもとても興味を持っているのですが、これだけの数をまとめて観る機会というのもそうはありません。今回も展示替えが多い(前期・中期・後期と分かれ、全作品観るには3回は通う必要あり)のですが、遊楽図を代表する名品が揃い、遊楽図・風俗図好きには垂涎の展覧会です。


展覧会の構成は以下のとおりです:
第1章 「月次風俗図」の世界-暮らしの中の遊び
第2章 遊戯の源流-五感で楽しむ雅な遊び
第3章 琴棋書画の伝統-君子のたしなみ
第4章 「遊楽図」の系譜①-「邸内遊楽図」の諸様相
第5章 「遊楽図」の系譜②-野外遊楽と祭礼行事
第6章 双六をめぐる文化史-西洋双六盤・盤双六・絵双六
第7章 カルタ遊びの変遷-うんすんカルタから花札まで
第8章 「遊楽図」の系譜③-舞踊・ファッションを中心に

「十二ヶ月風俗図」(重要文化財) ※写真は一部
桃山時代・16~17世紀 山口蓬春記念館蔵 (展示は7/22まで)

季節々々の風俗を描いた「月次絵」は平安時代以来やまと絵の主要な画題の一つとして描かれてきたといいます。「十二ヶ月風俗図」は一月ならお正月の風景、二月は鶯合わせ、三月は鶏合わせ、四月は花売りというように、16世紀ごろ京都の、公家から市井の庶民までの風俗や娯楽が丁寧な筆致でいきいきと描かれています。土佐光吉の作ともいわれる本作品は何年か前に山口蓬春記念館でも観ていますが、同じく京の人々の風俗を描いた洛中洛外図とはまた違った雅やかな魅力があります。

平安時代の貴族たちの娯楽が描かれたものといえば、『源氏物語』などの物語絵。 展示されていた『源氏物語』の画帖や屏風にも男性たちが蹴鞠で遊ぶ様子や女性たちが琴を弾く様子が描かれていました。室町時代の作という「浄瑠璃物語絵巻」にも女性たちが琴や太鼓(鼉太鼓?)を演奏している様子が描かれているのですが、精緻で色鮮やかな調度品や太鼓などを観ていると、岩佐又兵衛もこうした絵巻を参考にしたのだろうかと想像してしまいます。

風俗図という枠からは外れますが、琴・囲碁・書道・絵画といった中国の士君子の嗜みを描いた琴棋書画がいくつかあって、それらが後の遊楽図、特に邸内遊楽図で琴は三味線に、囲碁は双六に置き換わり、いわゆる見立て絵として当世風に受け継がれていったという指摘にはなるほどと思いました。

「遊楽図屛風(相応寺屛風)」(重要文化財)
江戸時代・ 17世紀 徳川美術館蔵 (展示は7/15まで)

遊楽図では「遊楽図屛風(相応寺屛風)」が素晴らしい。花見をしたり、水遊びをしたり、風流踊りをしたり、能や猿廻しを見たり、囲碁やカルタをしたり、宴会をしたりと、当時のありとあらゆる娯楽が細部に渡って描きこまれていて、人々の顔貌表現も細やかで表情豊かに描かれています。邸内に描かれた屏風や襖絵、杉戸絵も実に丁寧で、かなりレベルの高い絵師の手による作品だということが分かります。享楽的な雰囲気は狩野内膳や岩佐又兵衛が描いた「豊国祭礼図屏風」や又兵衛の「洛中洛外図屏風(舟木本)」を思わせ、腰をくねらせ踊る女性の姿は狩野長信の「花下遊楽図屏風」を彷彿とさせます。樹木や人物の描き方など見ると、筆者は恐らく狩野派の絵師なんだろうなと思いますが、誰が描いたのか気になるところです。

「婦女遊楽図屏風(松浦屏風)」(国宝)
 江戸時代・17世紀 大和文華館蔵(展示は7/24から)

遊楽図は「遊楽図屛風(相応寺屛風)」を祖型として、邸内の様子を俯瞰で描いた邸内遊楽図が広まり、やがて「松浦屏風」(後期出品)や「彦根屏風」(本展未出品)のように室内の様子を切り出した室内遊楽図に移ったといわれているそうです。

邸内遊楽図では妓楼の遊興を描いた「邸内遊楽図屏風」(サントリー美術館所蔵)もなかなか楽し気。筆致もとても丁寧で細やか。「婦女遊楽図屏風」は人物表現がやや類型的なきらいがありますが、妓楼の男女を全て女性に見立てて描いたのか、抱き合っていたり、胸元に手を入れていたりと艶っぽいシーンも。

一方、野外遊楽や祭礼行事を描いたものでは「祇園祭礼図屏風」が見応えがあります。六曲一隻の屏風の右から左までいっぱいに祇園祭で賑わう通りが描かれていて、ところてんや瓜を食べる人や煙草を買い求める人など、庶民の生活ぶりも描かれていて興味が尽きません。展示がほんの一部分だけだったのが残念ですが、「露殿物語絵巻」もかつての京の遊里に娯楽が鮮やかに描かれていました。

「舞踊図」(重要美術品)
江戸時代・17世紀 サントリー美術館蔵(※途中展示替えあり)

遊楽図に描かれた衣装の色とりどりの美しさ、小袖の意匠にも目を奪われます。「舞踊図」は昨年の『扇の国、日本』でも展示されていましたが、シャレた着物の柄や着こなしはまるでファッション雑誌のよう。もとは屏風と考えられるともいわれ、一面(一扇)に一人ずつ舞う女性が描かれていて、寛文美人図や浮世絵の美人画に繋がるものを感じます。後期の展示ですが、「松浦屏風」なんかも最早雑誌のグラビアを飾るオシャレ系女子たちを見ているような気になります。

今回の展覧会では琴棋書画に描かれたような碁盤や遊楽図と同時代の双六、カルタなどが一緒に展示されています。たとえば、若い男女が小さな射的(雀小弓)を楽しむ様子が描かれた「遊楽図扇面」の隣に「雀小弓」が展示されていたり、蹴鞠で遊ぶ「遊楽図扇面」の隣には「蹴鞠」が展示されていたり、絵と実際の遊具や道具を並んで観ることができるのが良いですね。ただ、この「遊楽図扇面」、いくつかの章に分かれて展示されていたのですが、全部同じ解説のままで、ちょっと丁寧さに欠けたのが残念。

興味深かったのは南蛮文化から生まれた「うんすんかるた」や「天正かるた」で、よく見ると遊楽図にもあちらこちらに登場します。「うんすんかるた」や「天正かるた」はポルトガルから伝わったカルタやトランプを模倣して日本で制作されたものだそうですが、金地に様々な数字や絵柄が描かれた見た目にも豪華なもので、南蛮人が描かれていたり、中国人が描かれていたり、何故か達磨が描かれていたり、いろいろと面白い。「うんすんかるた」や「天正かるた」から派生したとされる「花札」や「いろはかるた」もあり、鎖国になっても日本に根付いた南蛮文化の影響を知ることができました。

あくまでもテーマは<遊び>なので『遊楽図の系譜』という観点から見ると、少々物足らない点もなきにしもあらず。遊楽図が流行した時代や文化的な背景についてはほぼ触れずじまいで、遊楽図の成立の前後の流れについても月次絵や寛文美人図が並んではいるものの解説で多くは語らず、ちょっと深掘りが足らないかなという印象も受けました。それでもこれだけ遊楽図や風俗図を観られるのですから、大満足の展覧会だと思います。


【遊びの流儀 遊楽図の系譜】
2019年8月18日(日)まで
サントリー美術館にて


日本美術全集12 狩野派と遊楽図 (日本美術全集(全20巻))日本美術全集12 狩野派と遊楽図 (日本美術全集(全20巻))

2019/02/10

河鍋暁斎 その手に描けぬものなし

サントリー美術館で開催中の『河鍋暁斎 その手に描けぬものなし』に行ってきました。

最近、毎年のようにある河鍋暁斎の展覧会。2013年には三井記念美術館の『河鍋暁斎の能・狂言画』、2015年には三菱一号館美術館の『画鬼暁斎』、2017年にはBunkamuraザ・ミュージアムの『これぞ暁斎!』、2018年には東京富士美術館の『暁斎・暁翠伝』(未見)などあって、さすがにまたかと思わなくもないのですが、それだけ人気が高いということなのでしょう。

今年は暁斎の没後130年ということで、どこかでまた展覧会をやるんだろうと思ってましたが、今度はなんとサントリー美術館。サントリー美術館でやるからには他とちょっと切り口が違うんだろうなと期待も高くなります。

その本展は、前半は狩野派絵師としての活動と古画学習を軸にした構成になっていて、これまでにない見せ方になっているのがユニークなところ。ちょっとツウ好みというか、美術史的な観点になってるので、初心者には分かりづらいかなと思うところもありますが、後半は戯画や人物画。あまり難しいことは言われてもという人にも十分楽しめる内容で、いろいろ考えたなと感じます。

ちなみに没後120年のときの展覧会が京都国立博物館の『暁斎 Kyosai -近代へ架ける橋-』。暁斎の人気は京博の暁斎展から急に高まってきたので、あれから10年、暁斎をあらためて再評価するという意味で、とても興味深く、そして期待通りの内容の展覧会になっていました。

会場の構成は以下のとおりです:
第1章 暁斎、ここにあり!
第2章 狩野派絵師として
第3章 古画に学ぶ
第4章 戯れを描く、戯れに描く
第5章 聖俗/美醜の境界線
第6章 珠玉の名品
第7章 暁斎をめぐるネットワーク

河鍋暁斎 「枯木寒鴉図」
 明治14年(1881) 榮太樓總本鋪蔵 (展示は3/4まで)

会場入口のアプローチには暁斎の代表作のパネル写真が並べられているのですが、「枯木寒鴉図」の枝にとまっていた鴉が飛んでいったり、「幽霊図」の幽霊がボーッと浮かび上がったり、一部の作品がモーションピクチャーになっていて、ワクワク感を盛り上げてくれます。

最初のコーナーでは、暁斎の卓越した画技と幅広い画業を示す好例として、第二回内国勧業博覧会で最高賞を受賞し、当時としては破格の百円で売りに出され話題になった「枯木寒鴉図」と、同じく第二回内国勧業博覧会に出品された「花鳥図」が並べて展示されています。「枯木寒鴉図」は水墨の筆技の妙を味わえ、「花鳥図」は鮮やかな色彩と緻密な描写を愉しめ、それぞれに暁斎という絵師は只者ではないという印象を強く与えてくれます。「花鳥図」は昨年東博でも展示されていましたが、蛇が雉に絡まるという異様な光景がまた暁斎らしい。

河鍋暁斎 「花鳥図」
明治14年(1881) 東京国立博物館蔵 (展示は2/18まで)

その隣に展示されていた「観世音菩薩像」がなかなか素晴らしい傑作。図様は伝統的な楊柳観音ですが、球体の童子や近代日本画的な濃厚な色彩は狩野芳崖の「悲母観音」を彷彿とさせます。透けて見えるベールの表現や細部まで手の込んだ緻密な描写はさすがです。晩年の暁斎は観音像や天神像を描くことを日課にしていたといい、本展でも暁斎の仏画がいくつか展示されていますが、本作は暁斎の数ある仏画の中でも白眉だと思います。

河鍋暁斎 「観世音菩薩像」
明治12年(1879)または18年(1885)以降
日本浮世絵博物館蔵 (展示は3/4まで)

これまでも暁斎の展覧会では、暁斎が狩野派で学び、狩野派の絵師であることを晩年まで自負していた点については触れられていましたが、暁斎が6歳で入門した歌川国芳からの影響は語られることはあっても、狩野派絵師としての観点で暁斎が語られてきたことはほとんどなかったように思います。本展では逆に国芳のことには多く触れず、晩年まで続く狩野派との深いつながりに重点が置かれています。

狩野派の特徴的な力強い筆線や粉本学習で身に着けた安定した構図などが実際の作品とともに解説されていて、どこが狩野派的なのかということも分かりやすいのではないでしょうか。狩野探幽など狩野派絵師に倣った作品や、古画学習の成果をまとめた「暁斎縮図」など資料の展示もあり、狩野派絵師としての暁斎の活動が今までになくクリアーになった気がします。売りに出されていた駿河台狩野派絵師の作品を大量に買い集めたり、探幽が膨大な古画を写した「探幽縮図」を所持していたり、暁斎は晩年になっても研究熱心で、実は思ってた以上に狩野派の伝統を受け継ぐしっかりしたベースを持っていたことも分かります。

河鍋暁斎 「鷹に追われる風神図」
明治19年(1886) ゴールドマン・コレクション蔵

これまで国芳の影響で語られがちだった戯画も狩野派と関連づけていて、とても興味深いものがありました。狩野派ぽくない「鷹に追われる風神図」が探幽の戯画が着想源になっていたり、近年は探幽周辺でも戯画が制作されていたことが明らかになっているそうです。

中国・元代の絵師・顔輝の作品とそれを模写した暁斎の「鐘呂伝道図」が展示されていたり、室町時代の「放屁合戦絵巻」と暁斎の「放屁合戦絵巻」が並べてあったり、円山応挙の仔犬や鯉を模したとされる「鯉魚遊泳図」や「竹と仔犬」があったり、土佐派の祖・藤原行光が描いたとされる百鬼夜行図をもとにしたという「百鬼夜行図」があったり、「鳥獣戯画」や「九相図」を模写した作品があったり、暁斎が狩野派に限らず、非常に多くの古画学習を熱心に行っていたことも知ることができます。

河鍋暁斎 「百怪図」
明治四年(1871)頃 大英博物館蔵

今回の暁斎展の特徴の一つに、これまで目にする機会のあった河鍋暁斎記念美術館やゴールドマン・コレクション(旧福富太郎コレクションを含む)だけでなく、サントリー美術館や東京国立博物館、大英博物館など国内外から暁斎を代表する作品がいろいろ集まっている点があります。ここまで充実した作品が揃った暁斎展は関東圏では初めてではないでしょうか。大英博物館所蔵の「百怪図」や「幽霊図」、表を暁斎、裏を子の暁雲・暁翠が描いた湯島天満宮所蔵の大きな絵馬など、こういう機会でないと滅多に観られないものも多くありました。

[左] 河鍋暁斎 「幽霊図」
明治元年~3年(1868-70) ゴールドマン・コレクション蔵
[右] 河鍋暁斎 「幽霊図」 明治4年(1871)以降 大英博物館蔵

暁斎の「幽霊図」というと、藝大美術館の『うらめしや~、冥途のみやげ展』にも出品されていた妻の臨終の姿をもとに描いた「幽霊図」が有名ですが、本展では死首を持った「幽霊図」が並んで展示されていて、これがまた嫌になるぐらい恐ろしげ。

今回の出品作で一番驚いたのは、羽織の背に残酷な処刑の場面や九相図のような死体を描いた「処刑場跡描絵羽織」。全身血まみれで磔にされた死体や首吊りの死体、鴉が群がる朽ちた死体など、どれもひたすら不気味。図録を見ると表の袖や裏地にも処刑の様子を描かれていて、いったい誰が着るんやという感じです。過去に京博の暁斎展に出品されていたようですが、関東では初公開でしょうか。

[写真左] 河鍋暁斎 「地獄太夫と一休」
明治4年(1871)以降 ゴールドマン・コレクション蔵(※本展出品作)
[写真中・右」 参考:ウェストン・コレクション蔵(※未出品)、
ボストン美術館蔵(※未出品)

[写真左] 河鍋暁斎 「閻魔と地獄太夫」
明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵(※本展出品作。展示は3/4まで)
[写真右] 参考:プライス・コレクション蔵(※未出品)

地獄太夫も暁斎が好んだモチーフ。一休禅師との組み合わせや閻魔大王との組み合わせが知られていて、これまでも何度かお目にかかっています。一見同じ構図でも、地獄太夫の背後の屏風の絵が異なっていたり、打掛の絵柄が異なっていたり、落款の位置が異なっていたり、さまざま。人気があり依頼も多かったのだと思いますが、一体どれだけ描いてるのでしょうか。

ほかにも国芳譲りの錦絵や暁斎が得意とした席画なども多く展示されています。暁斎は‟狂斎‟時代に席画で描いた作品がもとで投獄され、以後名を暁斎に改めたという話は有名ですが、席画を描く暁斎自身をセルフパロディー化した「百書画会」なる楽しい作品もありました。後半には、何度読んでも面白い「暁斎絵日記」や、息子・暁雲、娘・暁翠の作品なども展示されています。

何度も暁斎の展覧会に足を運んでいる人にはお馴染みの作品も多く正直新鮮味は薄いのですが、それでも初めて観る作品もあり、見応えがありました。


【河鍋暁斎 その手に描けぬものなし】
2019年3月31日(日)まで
サントリー美術館にて

「画鬼」河鍋暁斎 (TJMOOK)「画鬼」河鍋暁斎 (TJMOOK)

2018/12/22

扇の国、日本

サントリー美術館で開催中の『扇の国、日本』を観てきました。

本展は、“扇”をめぐる美の世界を、幅広い時代と視点から紹介するというもの。涼を取る道具としての“扇”や、儀礼や祭祀で使われた“扇”、ご神体や仏像の納入品としての“扇”、ノートやメモ代わりに使われた“扇”などなど、様々な使われ方をした‟扇”があって、“扇”の狭い画面の中に繰り広げられるアイデアや美の世界に感心します。

てっきり“扇”は中国から入ったものかと思ってましたが、日本で生まれ発展したものだそうです。古代エジプトや中国にも煽いで風を送る道具として団扇のようなものはありましたが、薄い板や紙を開閉して使えるようにした‟扇”は日本オリジナルなのだとか。“扇”の起源は不明ですが、奈良時代にはすでに存在したともされ、10世紀末には中国や朝鮮に贈答品として贈られていたそうです。

ジャポニスムに影響された印象派やナビ派の作品にもときどき“扇”が描かれた作品がありますが、会場の最初のコーナーにはパリ万博(1855年)に出品されたという長澤芦雪や狩野探幽、歌川豊国の扇絵があって、日本を飛び越え海外の人までも魅了した“扇”の美の世界に興味が広がります。


会場の構成は以下の通りです:
序章 ここは扇の国
第1章 扇の呪力
第2章 流れゆく扇
第3章 扇の流通
第4章 扇と文芸
第5章 花ひらく扇
終章 ひろがる扇

檜扇の現存最古の作例という島根・佐太神社の「彩絵檜扇」は平安時代(12世紀)のもの。社殿の奥に大切に保管されていたという云わば御神体です。一部欠損がありますが、紅葉と山や水をイメージさせる緑や群青のぼかしを配したやまと絵は今も美しい。

仏像の胎内に納入されていたという“扇”や経典を土に埋める経塚から出土した“扇”なども展示されていて、スペース的にあまり詳しく触れられてはいませんでしたが、中には人骨とともに出土した例や斎串(玉串のように地に刺して神に供えるもの)として使用された例もあったと聞きます。今ではあまりピンときませんが、中世の人々は“扇”に呪力を見ていたのでしょう。展示されている遺品からは“扇”に託された神聖なメッセージが伝わってきます。

「彩絵檜扇」(重要文化財)
平安時代・12世紀 佐太神社蔵(島根県立古代出雲歴史博物館寄託)
(展示は12/24まで)

檜扇は古い時代のもの、紙扇はそのあとに登場したものと単純に頭の中にあったのですが、確かにもともとは木簡を束ね糸を通したものから日常品としての檜扇に発展したようですが、平安時代には檜扇を冬用、紙扇を夏用と使い分けられていたのだそうです。時代が進むにつれ、“扇”はファッションアイテムとして持て囃され、だんだんと装飾性が増していきます。

狩野杢之助 「扇面流図」(重要文化財)
寛永10年(1633年)頃 名古屋城総合事務所蔵

“扇”は「あふぎ」の音から「逢う儀」、つまり再会を願ったり、餞別に用いたりすることが多く、そこから“扇流し”が生まれたといいます。名古屋城の将軍専用の浴室の襖絵だったという「扇面流図」は投げた“扇”が舞って水面に入る瞬間までを描いているそうで、なんとも優雅。扇面には四季の草花や唐子なども描かれ、遊び心に溢れています。

「舞踊図」(重要美術品)
江戸時代・17世紀 サントリー美術館蔵(会期中場面替えあり)

初期風俗画の「舞踊図」がいいですね。トンボが描かれた着物を着た女性の持つ扇は秋草だったり、鶴をあしらった着物を着た女性の扇は秋草だったり、着物の紋様と扇面に描かれたモチーフの組み合わせもオシャレ。

狩野派ほか 「扇面貼交屛風」(重要美術品)
室町~江戸時代 16~17世紀 南禅寺蔵(写真は一部)

近世のやまと絵や琳派でよく目にする扇面散屏風も多く、中でも興味深かったのが京都・南禅寺所蔵の「扇面貼交屛風」。室町時代にさかのぼる貴重な遺品とされ、16世紀初めから17世紀初めまでの100年の間に制作された扇面が貼り付けられているそうです。その数240面。なんと8隻もあるのだとか(期間中2隻が場面替えで展示されます)。画題も花鳥や山水、走獣果蔬から中国故事人物や宮廷風俗まで幅広く、金地着色もあれば水墨もあり、絵師も元信印のついたものや直信の印章が押されたものもあり、狩野派を中心にそれぞれ異なっているとのこと。一度全面を観てみたいものです。

「扇屋軒先図」
江戸時代・17世紀 大阪市立美術館(田万コレクション)蔵

俵屋宗達が扇屋を営んでいたという話は有名ですが、室町時代以降は京都の町には何軒も扇屋があり、貴賤を問わず“扇”は広く流通していたといいます。南禅寺の「扇面貼交屛風」のようにオーダーメイドあるいは既製品の扇面を貼り付けた屏風もあれば、最初から屏風に貼る目的で描かれたものもあり、人々が“扇”をいかに楽しんでいたか、中世の人々の豊かな感性が見えてきます。

「源氏物語」の物語が各扇面に描かれた豪華な屏風もあれば、源平合戦や北野天神縁起が描かれたものもあり、生活の調度品(または嫁入り道具)としてだけでなく、布教や信仰のツールとして、あるいは古扇の保存目的として、さまざまな用途で扇面貼交屏風が制作されていたのだなとも感じます。和歌や物語のあらすじが扇の折れ目に沿って丁寧に描かれたものや、細密に描かれた物語絵など、扇面に広がる絵や書を観ていると、“扇”を開くことで徐々に現れる物語や臨場感を昔の人は楽しんでいたのでしょうね。

「源氏物語絵扇面散屏風」
室町時代・16世紀後半 浄土寺蔵(写真は左隻)

最後の方に、江戸絵画の絵師が描いた扇面が複数展示されていました。扇絵を描かなかった江戸絵師はいないというだけあり、芦雪や芳中、抱一、蕪村など絵師の個性がそれぞれ出ていて面白い。大雅の死後、妻・玉瀾が扇絵を描いて生計を立てていたというエピソードが泣けます。

ほかにも“扇”にまつわる浮世絵や着物、工芸品なども多く、“扇”をめぐるバラエティに富んだ日本人の高い美意識や豊かな感性に脱帽します。


【扇の国、日本】
2019年1月20日(日)まで
サントリー美術館にて

2018/03/04

寛永の雅

サントリー美術館で開催中の『寛永の雅 江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽』展を観てまいりました。

よほど日本史に詳しい人でないと、“寛永”っていわれてもいつの時代のことかパッと思い浮かばないかもしれませんが、本展は江戸時代初期の寛永年間(1624~1645年)を中心に開花した“寛永文化”にスポットを当てた展覧会です。

“寛永文化”は、桃山文化のような煌びやかさや侘びの趣きでもなく、元禄文化のような江戸の活気や浮世の享楽でもない、瀟洒で洗練された造形や、古典復興による雅な世界が特徴といいます。本展では「きれい」をキーワードに、“寛永文化”を代表する野々村仁清や小堀遠州、狩野探幽の作品、そして時の天皇・後水尾天皇(後に譲位し後水尾院)の宮廷文化サロンにまつわる品々を中心に構成。寛永文化の美意識に酔いしれること必至です。


本展の構成は以下のとおりです:
第一章 新時代への胎動-寛永のサロン
第二章 古典復興-後水尾院と宮廷文化
第三章 新たなる美意識 Ⅰ 小堀遠州
第四章 新たなる美意識 Ⅱ 金森宗和と仁清
第五章 新たなる美意識 Ⅲ 狩野探幽

野々村仁清 「白釉円孔透鉢」
江戸時代・17世紀 MIHO MUSEUM蔵

会場に入ったところに展示されていた仁清の「白釉円孔透鉢」にまず驚かされます。丸い穴がボコボコ空いていて、花器なのか何なのか、どんな時に使われたものなのか、とても不思議。仁清というと色絵というイメージがありますが、ミルク色のモノトーンとシンプルで独創的な造形はとてもモダンで、まるで現代工芸のよう。江戸時代初期の作品とは全く想像もつきません。

仁清は寛永の頃、仁和寺の門前で御室窯を始めたといわれ、初期は茶人・金森宗和好みの茶器を多く制作したといいます。“宗和好み”は「きれい寂び」ともいわれ、その造形はシンプルかつシャープ。高麗茶碗を思わせる渋い茶碗や、富士山や山水を表したような錆絵の茶碗など、モノトーンの落ち着いた色調は仁清の華麗な色絵陶器とは異なるモダンで洗練された印象を与えます。外は無釉で内側に釉を施し、白釉で模様を付けた「白釉建水」や、平鉢を内側に曲げた独特の造形がユニークな「流釉花枝文平鉢」がとても印象に残りました。

茶碗・茶器では、光悦の赤楽茶碗、樂家3代目・道入の黒楽茶碗、そして遠州好みの茶碗や茶入れなどがたくさん展示されています。

土佐光起 「朝儀図屏風」(写真は右隻)
江戸時代・17世紀 茶道史料館蔵 (※展示は3/12まで)

寛永文化は江戸時代最初の文化動向なんだそうです。幕府による朝廷への経済的援助や融和政策や、古典復興への気運、上流階級の町人を新たな文化的傾向が生まれたと寛永文化が花開いた時代背景が分かりやすく解説されていました。一見、それぞれ繋がっていないように思える作品でも、そうした背景を知ることで、ひとつのムーブメントの中で同時多発的に発生したということも知ることができます。

光悦・宗達コンビの「鶴下絵新古今集和歌巻」の断簡や色紙なども展示されていたのですが、光悦は寛永14年に亡くなってる(宗達も寛永年間に亡くなったという説がある)ので活動の最盛期は寛永より前なのでしょうけど、光悦・宗達の共同作品に見られる古典的世界の創造は寛永文化に繋がっていったのだろうなということも分かります。

そこでキーとなる人物が後水尾院。天皇は学問でもしてればいいという幕府の方針もあったからというのもあるんでしょうが、江戸時代の頃には途絶えていた宮廷の儀式を復活させたり、和歌や生け花(立花)に造詣が深かったり、修学院離宮を造営して窯を作ったりしてまで茶会を開いたり、展示されている作品や史料を観るだけで、相当こだわりと美意識の高い人だったんだろうなと感じます。

住吉如慶 「伊勢物語絵巻 巻第一」
江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 (※展示は3/12まで)
(写真は東博『後水尾院と江戸初期のやまと絵』(2015)で撮影)

もう3年前になりますが、トーハクで『後水尾院と江戸初期のやまと絵』という企画展示がありまして、土佐光起を宮廷絵所預に抜擢し土佐派を再興させたり、住吉如慶に住吉派を興させたり、後水尾院が江戸初期のやまと絵制作のキーマンだったことを知ったのですが、本展でも物語絵や歌仙絵を中心に土佐派・住吉派の作品が紹介されています。

土佐派は、宮廷儀礼を描いた光起の「朝儀図屏風」が展示されてましたが、これは題材的に土佐派の特徴が見られるというものでなかったのが残念(後水尾院の宮廷儀礼復活という意味では重要ですが)。住吉派は如慶の「伊勢物語絵巻」や具慶の「源氏物語絵巻」があって、その精緻な筆致や人間味を感じる表現、四季の美しさ、また余白を広くとりこてこて描きこまない淡白な描写に王朝文化復興に通じる品の高さを感じます。

「紙本著色東福門院入内図」(重要文化財)
江戸時代・17世紀 三井記念美術館蔵 (※展示は3/12まで)

後水尾天皇のもとに嫁いだ徳川和子(東福門院)も相当な人だったようで、“衣装狂い”とまでいわれた東福門院の衣装を屏風に仕立てたという「小袖屏風」は綸子に細かな刺繍や文様が施された贅沢なもの。入内したときの様子を描いたという「紙本著色東福門院入内図」がまた素晴らしく、非常に精細な描写、豊かな群像表現もさることながら、どれだけ破格の規模で、どれだけ豪華な嫁入りだったのか驚いてしまいました。

狩野探幽 「富士山図」
寛文7年(1667) 静岡県立美術館蔵 (※展示は3/12まで)

そして探幽。大きく余白を取り入れた淡白かつ瀟洒な構図、品を感じさせる淡彩で優美な画趣。豪壮な狩野派の画風を大きく変え、江戸狩野という新しい時代の狩野派の様式を探幽が確立したことはよく知ってはいますが、それが寛永文化というムーブメントの中で起きたということを初めて理解した気がします。

探幽の名古屋城襖絵や「富士山図」、「源氏物語 賢木・澪標図屏風」は過去にも拝見していますが、「若衆観楓図」は初めて観た気がします。江戸初期の風俗画を思わせるも、そこは探幽、どこか品を感じる逸品。「源氏物語 賢木・澪標図屏風」はやまと絵を取り入れた探幽の傑作として知られますが、牧谿や夏珪といった中国絵画の学習成果を感じる「瀟湘八景図」や古画研究をまとめた「探幽縮図」などもあり、探幽のレンジの広さがコンパクトにまとめられています。途中のコーナーに展示されていた、探幽の弟子・久隅守景の娘・清原雪信の「女房三十六歌仙歌合画帖」も素晴らしかったです。

狩野探幽 「源氏物語 賢木・澪標図屏風」(写真は右隻)
寛文9年(1669) 出光美術館蔵 (※展示は3/12まで)

土佐派の復興や住吉派の興隆、探幽様式と狩野派のやまと絵的傾向、そして遠州や仁清といった江戸初期の美術の点と点が線で繋がり、寛永文化の古典復興のもとで同時代的に発生したことを知りました。寛永の時代の空気までもが伝わるサントリー美術館らしい素晴らしい内容の展覧会でした。


【寛永の雅 -江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽-】
2018年4月8日(日)まで
サントリー美術館にて


茶人・小堀遠州の正体 寛永文化の立役者 (角川選書)茶人・小堀遠州の正体 寛永文化の立役者 (角川選書)

2017/09/25

狩野元信展

サントリー美術館で開催中の『狩野元信展』を観てまいりました。

個人的に今年最も楽しみにしていた展覧会の一つ。狩野派の二代目であり、狩野派を画壇の中央へ押し上げただけでなく、日本絵画史上最大の画派へ成長する礎を築いた最重要人物である狩野元信。意外なことに単独で元信を取り上げる回顧展は初めてだといいます。

サントリー美術館は元信の「酒伝童子絵巻」を所蔵していますが、いずれ重要文化財に指定されたら元信の展覧会を開きたいという希望があったのだそうです。「酒伝童子絵巻」は2015年に重要文化財に指定され、念願叶って企画が実現。国内外に現存する元信筆もしくは工房作とされる作品が一堂に揃い、構成もよく整理され、大変充実した展覧会になっていました。


第1章 天下画工の長となる - 障壁画の世界

まずは元信の代表作である大徳寺大仙院方丈の旧障壁画をじっくり。
元信の作品にはまだ国宝がありませんが、最初に国宝に指定されるとしたら、恐らくこの障壁画なんじゃないかと思います。方丈の中心となる室中は足利将軍家に仕えた先輩格の相阿弥ですが、周囲の4室は狩野派が手掛けていて、その内「四季花鳥図」と「禅宗祖師図」のみが元信の真筆。ほかの障壁画は元信の下、弟子たちが分担したとされています。

狩野元信 「四季花鳥図(旧大仙院方丈障壁画)」 (※写真は一部)
室町時代・16世紀 大仙院蔵 (需要文化財)
(※期間中展示替えあり。但し10/4~10/16は展示がありません)

「四季花鳥図」は去年の東博の『禅展』で全幅展示されましたし、ほかの障壁画も東博の常設などで何度か拝見していますが、やはり「四季花鳥図」の素晴らしさは特筆的。水墨画を基調としつつ、濃彩の花や鳥を取り入れたスタイルは近世障壁画の幕開けを感じさせます。「禅宗祖師図」も人物の的確な表現や霞雲を取り入れた奥行き感など、これまでの日本の漢画系水墨画とは異なる新たな表現が見られ、元信の画力の高さと構成力の巧みさに舌を巻きます。

狩野元信 「禅宗祖師図(旧大仙院方丈障壁画)」 (※写真は一部)
室町時代・16世紀 東京国立博物館蔵 (需要文化財)
(※期間中展示替えあり。但し展示は10/23まで)

先日、山下裕二氏の記念講演会を拝聴したのですが、その中で、能阿弥、芸阿弥、相阿弥と続いたいわゆる三阿弥のあとを誰かが継承した形跡がなく、恐らく元信は相阿弥が持っていた門外不出の粉本を譲り受けたのではないかという話がありました。将軍家所蔵の中国絵画はそう簡単に観られるものではないでしょうから、そうした粉本を学習することで“真・行・草”という発想も生まれたのかもしれません。


第2章 名家に倣う - 人々が憧れた巨匠たち

室町水墨画の手本とされ、当時の漢画系の画家に絶大な影響を与えたのが馬遠や夏珪、玉澗、牧谿といった中国・宋元の画家たち。馬遠と夏珪の様式は真体、牧谿は行体、玉澗は草体のそれぞれ規範となるわけですが、そうした違いを感じながら観ると、元信の作品だけでなく、狩野派の作品を理解する上でも役立つんじゃないかと思います。

沈恢 「雪中花鳥図」
中国・明時代 15世紀 泉屋博古館 (※展示は10/2まで)

南宋時代の作品が多い中、印象的だったのが沈恢の「雪中花鳥図」。静謐な画面の中にピンク色の梅が華やかに映えます。呂紀の花鳥図を思わせる明代らしい作品です。

個人的には「相阿弥模写梁楷筆耕織図巻」が出ていたのが嬉しいところ。狩野派の伝統的な画題に稲作や蚕織の一連の作業を描いた耕織図というのがありますが、その基とされるのが南宋の画家・梁楷の「耕織図巻」で、「相阿弥模写梁楷筆耕織図巻」はその名のとおり相阿弥が模写したものの更に模写。恐らく元信は相阿弥の模写を見て、耕織図を屏風形式に再構成したのでしょう。相阿弥本は現存しないので、江戸時代に描かれたこの模写本からしか知る術はないのですが、所蔵先の東博でもなかなかお目にかかることができず、ずっと観たいと思っていました。


第3章 画体の成立 - 真・行・草

馬遠や夏珪、玉澗、牧谿といった中国絵画の筆様を、元信は書道の楷書・行書・草書に倣い、真体(楷体)・行体・草体という3つの画体に整理。漢画のスタイルをマニュアル化することで、優秀な弟子を育成し共同制作の効率を高めることに成功します。元信の経営者的能力が評価される由縁です。

狩野派の作品を見慣れてないと、真体・行体・草体という概念はなかなか難しいところがありますが、展示作品のキャプションに「真体」「行体」「草体」と印がついているので狩野派初心者も安心です。

伝・狩野正信 「竹石白鶴図屏風」 (重要文化財)
室町時代・15世紀 真珠庵蔵 (※展示は9/25まで)

元信の父・正信の作品もいくつかあって、中でも白眉が「竹石白鶴図屏風」。正信筆だろうとされているようですが、筆者については諸説あり、元信説もあるとか。山下先生は二扇目の岩の上の小鳥によって強調される斜めのラインを絶賛していましたが、左上の淡墨から濃墨への諧調さが表す奥行き感や湿潤な空気感もまた素晴らしい。

狩野元信 「真山水図」
室町時代・16世紀 京都国立博物館蔵 (※展示は10/9まで)

正信の掛幅の「山水図」と元信の「真山水図」が並んで展示されていて、いろいろ比較しながらずっと観ていました。正信の縦の構図を元信は横に展開。中央に大胆に余白を入れることで、空間の広がりと奥行き感を出すのに成功しています。右側の屹立した山の描写などは正信の「山水図」をほぼ流用しているのですが、人物をよく見ると(単眼鏡でないと分かりません)、正信は輪郭線が平板なのに対し、元信は肥痩のある線で非常にきっちりと丁寧に描いていて、その性格が分かるような気がします。

「元信」印 「四季花鳥図屏風」
室町時代・16世紀 静岡県立美術館蔵 (※展示は10/9まで)

日本で水墨の花鳥図屏風に色彩を加えるということがいつから始まったかよく知りませんが、着色の折枝画や花鳥図は既に存在しましたし、雪舟の晩年作にも著色の花鳥図屏風があるので、恐らく室町時代後期には先例があったのでしょう。元信も基本的には大仙院の障壁画のように、水墨の花鳥図に色彩を施した程度のものが多いようですが、特筆すべきはやまと絵の要素を大胆に取り入れた、いわゆる和漢融合で、極めて装飾性の高い彩色の花鳥図屏風を残しています。他館に貸し出されているということで代わりに高精細複製品が展示されてましたが、白鶴美術館所蔵の金壁画「四季花鳥図屏風」は元信の幅の広さに驚くと同時に、ここまで完璧にやまと絵の世界を表現できるその実力に圧倒されます。

狩野元信 「四季花鳥図屏風」(重要文化財)
室町時代・天文19年(1550) 白鶴美術館所蔵 (※複製品を展示)


第4章 和漢を兼ねる

歌舞伎の人気演目『傾城反魂香』に絵師・土佐将監の娘と結婚の約束をした狩野元信が将監の娘から土佐家の秘伝を手に入れるという話が出てきます。これは芝居の話ですが、将監はやまと絵の土佐光信がモデルとされ、実際に元信は光信の娘・千代(光久)と結婚したとも伝えられます。元信は多角的な顧客層の獲得や多様化する需要のため、和様の要素を取り入れざるを得なかったのかもしれません。もしくは戦略として土佐派に接近し、やまと絵の領域に進出したのか。そう考えると興味が尽きません。

狩野元信 「酒伝童子絵巻」(重要文化財)
室町時代・大永2年(1522) サントリー美術館蔵 (※場面替えあり)

「酒伝童子絵巻」は『絵巻マニア列伝』に続いての再登場。「酒伝童子絵巻」だけを観ていると、元信作品の中で異色に思えますが、同じく元信筆の「清凉寺釈迦堂縁起絵巻」を観ると、決して特異な作品ではないことが分かります。人物や室内の描写は色彩豊かなやまと絵の絵巻の描き方がされていますが、背景の山並みは漢画的に描かれています。

「二尊院縁起絵巻」は薄い群青のすやり霞など元信の絵巻と共通する点があるのですが、工房作ではないかとのこと。人物の表情も画一的で、これまで観てきた元信の際立った人物表現を思うと、ちょっと違うと感じます。「酒飯論絵巻」は元信説もあるようですが、筆者は不明。ただ、酒好きの男と酒よりごはんが好きな男と両方ほどほどに好きな男が持論を展開するという内容が面白い。絵巻マニア必見です。

「元信」印 「富士曼荼羅図」(重要文化財)
室町時代・16世紀 富士山本宮浅間大社蔵 (※展示は10/9まで)

今回一番観たかった作品の一つが「富士曼荼羅図」。工房作といわれますが、元信の絵巻に共通する薄い群青のすやり霞や、やまと絵の風俗画を思わせる豊かな人物描写、小さな人物も線の肥痩が巧みで丁寧に描かれていて、想像以上に優れた作品でした。何より富士山の山道をジグザグに登る参詣者の姿は感動的。是非これは単眼鏡で覗いて欲しい。


第5章 信仰を描く

今回ボストン美術館から3点の元信作品が里帰りしています。そのひとつが元信の仏画の最高傑作という「白衣観音図」。太くしっかりとした衣文線、暗い背景から浮かび上がる色彩の美しさ、中国や朝鮮の仏画を思わせる岩や波の表現。状態も非常に良く、最高傑作といわれ、なるほどと思う優品です。

狩野元信 「白衣観音図」(重要文化財)
室町時代・16世紀 ボストン美術館所蔵


第6章 パトロンの拡大

狩野永納が著した画人伝『本朝画史』の元信伝には「若くして貧す」とあるといいます。父・正信の晩年は病気などが理由で長く絵師としての活動ができなかったという話もあり、また時代的にも戦国時代の只中、元信は支持基盤を拡大するのに必死になっていたことが想像できます。

「細川澄元像」は現存する元信作品の中では最も初期の作品。有力な戦国武将をパトロンにするという狩野派の戦略もこの頃から始まっていたのかもしれません。澄元の姿がとても緻密に丁寧に描かれていますが、馬の独特の造形も印象的。ほかの展示作品にも類似の馬の表現が見られます。

狩野元信 「細川澄元像」(重要文化財)
室町時代・16世紀 永青文庫蔵 (※展示は10/9まで)

白鶴美術館の「四季花鳥図屏風」が複製だったり、元信真筆の「妙心寺霊雲院方丈障壁画」や元信周辺の画家説のある「洛中洛外図歴博甲本」といった重要な作品が出てなかったり、欲を言えば切りがないのですが、これだけ揃えば十分過ぎるかもしれません。いや、内容は期待以上でした。元信から桃山時代・江戸時代の近世絵画は幕を開けると言っても過言ではないと思いますし、そういう意味では大変意義深い展覧会だと思います。


【六本木開館10周年記念展 天下を治めた絵師 狩野元信】
2017年11月5日(日)まで
サントリー美術館にて


別太131 狩野派決定版 (別冊太陽―日本のこころ)別太131 狩野派決定版 (別冊太陽―日本のこころ)

2017/04/15

絵巻マニア列伝

サントリー美術館で開催中の『絵巻マニア列伝』を観てまいりました。

本展は、絵巻を年代順やテーマごとに並べるというのではなく、平安時代の後白河院から江戸時代の松平定信まで、絵巻マニアたちの“マニアぶり”を彼らが虜になった絵巻とともに紹介するという企画展。絵巻を集めたり、取り寄せたり、貸し借りしたりならただのオタクですが、気に入った絵巻を写したり、古い絵巻を修復したり、新作をプロデュースしたりとみんなかなりの筋金入り。

半年ぐらい前ですが、高岸輝氏の『室町絵巻の魔力-再生と創造の中世』を読みまして、歴代の足利将軍の絵巻に対する強いこだわりや、歌合のように左右に分かれ絵巻を見せ合い優劣を競う“絵合”のこと、失われた絵巻の数々、そして土佐派の成立ちなど、丹念な調査をもとに事細かに書かれ、非常に面白かったこともあり、ちょうど絵巻を観たい熱が自分の中でも盛り上がっていたところ。そんな絵巻の世界に魅入られた“絵巻マニア”が主役の展覧会とあって、とっても楽しみにしていました。


序章 : 後白河院

『平家物語』でもおなじみ後白河院。後白河院が平清盛に命じ建立させた蓮華王院(現在の三十三間堂)の宝蔵には数多くの絵巻物が納められたといわれます。平安末期の絵巻のことを調べていると、多くの作品で後白河院の関与説が出てきて、実際のところどこまで関わっていたかは不明ですが、恐らく新たに創らせた絵巻もあれば、収集した絵巻もあるでしょうし、直接的な関係はなくても同時代に創られたという絵巻もあるのでしょう。それだけ後白河院の院政文化のもとでは絵巻ブームが盛り上がっていたんだなと思います。

飛騨守惟久・画 「後三年合戦絵巻 巻中」 (重要文化財)
貞和3年(1347) 東京国立博物館蔵 (写真は部分) ※展示は4/24まで

蓮華王院宝蔵に所蔵されていたとされる絵巻は内裏火災で焼失したり、長い歴史の中で散逸したりして現存しませんが、所蔵絵巻を写したとされる「年中行事絵巻」や後年新たに制作された「後三年合戦絵巻」などが本展に出品されています。「後三年合戦絵巻」は比較的大きな絵巻で、凄惨な戦の描写や、まるで『蜘蛛巣城』のような矢の嵐など、臨場感溢れる合戦の様子が広い画面いっぱいに描かれていて、思わず引き込まれます。

「病草紙断簡 不眠の女」 (重要文化財)
平安時代・12世紀 サントリー美術館蔵

「病草紙断簡 頭のあがらない乞食法師」 (重要文化財)
平安時代・12世紀 九州国立博物館蔵 ※展示は4/10まで

「病草紙」も後白河院の周辺で成立したといわれる絵巻。現在は場面ごとに切り離され、21段が現存。その内6段が本展で公開されます(※各段で展示期間が異なります)。六道絵の一つとされ、不眠症だったり、いねむりばかりしてたり、骨が変形する病気だったり、いずれも病に苦しむ人々が取り上げられているのが興味深い。重い病気や先天性疾患は昔は業病とされていたんでしょうね。展示されていた3段を見る限り、たとえば「不眠の女」は白描の卓越した筆線が見て取れ、かなり優れた絵師の手によるものだろうことが分かります。


第1章 : 花園院

鎌倉時代後期、花園院の時代の絵所預といえば、東博の『春日大社 千年の至宝』でも大きく取り上げられた「春日権現験記絵」を描いた高階隆兼。ここでは高階隆兼の作とされる絵巻を中心に、蓮華王院宝蔵の絵巻(宝蔵絵)の影響や隆兼様式の広がりを紹介しています。

「石山寺縁起絵巻 巻一」 (重要文化財)
絵 鎌倉時代 正中年間(1324-1326)頃、詞 南北朝時代・14世紀後半 石山寺蔵

「石山寺縁起絵巻」は大津・石山寺の縁起絵。現存七巻の内、巻一~巻三は高階隆兼(または工房)作と考えられているといいます。「春日権現験記絵」と「石山寺縁起絵巻」が並んで展示されていて、比較するとよく分かりますが、人物描写がとてもよく似ています。鎌倉や室町の絵巻は作者が不明なものも多いのですが、序章でも常盤光長の筆とされる「伴大納言絵巻」(展示は複製)と「年中行事絵巻」(展示は模写)が並んでいて、比べられるのが有り難い。


第2章 : 後崇光院・後花園院 父子

本展は絵巻マニアたちのマニアたる所以を今に伝える資料の展示も充実しています。伏見宮貞成親王(後崇光院)の日記『看聞日記』は上述の『室町絵巻の魔力』でもたびたびソースとして引用されている中世絵巻の第一級の資料。絵巻を鑑賞して楽しむだけでなく、絵巻を転写したり、新作を制作したりという当時の絵巻マニアたちの傾倒ぶりが細かに記されています。

「福富草紙」 (重要文化財)
室町時代・15世紀 春浦院蔵

和尚と小坊主のやりとりが可笑しい「法師物語絵巻」や放屁の芸を描いたお伽草子「福富草紙」は後崇光院の命で制作もしくは転写されたといいます。しかも画中詞は自ら書き入れたとも。こういうユーモラスな話も公家や武家の間では人気だったのですね。

「放屁合戦絵巻」
文安6年(1449)写 サントリー美術館蔵

「福富草紙」の後日譚を描いたとされるのがサントリー美術館所蔵の「放屁合戦絵巻」。「福富草紙」は滑稽ながらも線描が的確で、図録の解説にもありましたが、人々の表情や大げさな身振りは確かにどこか「伴大納言絵巻」や「信貴山縁起絵巻」を思わせます。一方、「放屁合戦絵巻」はタッチが全く異なり、戯画的で、まるでギャグマンガ。「放屁合戦絵巻」の原本は宝蔵絵とされ、すでに平安時代にこうした絵巻が存在したということが驚きです。

「玄奘三蔵絵 巻四」 (国宝)
鎌倉時代・14世紀 藤田美術館蔵
※展示は4/24まで(4/26からは巻八を展示)

貞成親王の息子・後花園院はさらに輪をかけたような絵巻マニアだったようで、「玄奘三蔵絵」を当時の持ち主・興福寺から取り寄せ、父子揃って借覧したこともあったといいます。前期展示では、玄奘三蔵が仏頂骨城から捨身飼虎の地まで釈迦の足跡を辿る場面が展示されていますが、その密度の高い描写にはビックリ。濃厚鮮明な青緑山水の色彩や異国風な花や木の実、珍しい動物など豊かな風景描写の中で物語が展開していて、目を輝かせながら絵巻に没頭する後崇光院と後花園院の様子が目に浮かぶようです。三蔵が山の中で出くわす虎が、虎でもなく猫でもなく、タヌキみたいなのがかわいい。


「融通念仏勧進帳」が展示されていて、実際の絵巻がないのはなぜだろうと思っていたのですが、この対となる本は現存しないのだそうです。ただ「融通念仏縁起絵巻」は室町絵巻の最重要作例とされるので他の転写本でもいいので出して欲しかったな。


第3章 : 三条西実隆

時代的には後花園院とも重なり、後花園院の息子・後土御門から三代の天皇に重用された公卿・実隆。その日記『実隆公記』には実隆が鑑賞した絵巻の数々が記されているといいます。碩学として名高い実隆は絵巻制作のチーフプロデューサー的なこともしていたそうで、本コーナーに展示されている「石山寺縁起絵巻 巻四」や「地蔵堂草紙絵巻」、「当麻寺縁起絵巻」、「桑実寺縁起絵巻」、「酒伝童子絵巻」はいずれも実隆のもとで制作されたのだとか。

実隆は能書家としても知られ、「石山寺縁起絵巻 巻四」や「地蔵堂草紙絵巻」の詞書も実隆の筆といいます。「地蔵堂草紙絵巻」では真面目に写経をしているのかと思ったら「早く写経を終えて、女と寝たい」と書いていたという場面が展示されていて、思わず笑ってしまいました。

「地蔵堂草紙絵巻」
室町時代・15世紀 個人蔵

この頃になると宮中の絵所預だった土佐派の活躍ぶりが目立ちます。出品されているものだけでも、「地蔵堂草紙絵巻」は土佐光信、「当麻寺縁起絵巻」と「桑実寺縁起絵巻」は光信の子・光茂の手によるものとされています。光信の「三条西実隆像紙形」のデッサン力の高さも驚きです。

同じく土佐派の絵師(土佐行定説が濃厚?)によるとされる「石山寺縁起絵巻 巻四」は「巻一」同様に琵琶湖の青々とした湖面が印象的。巻一は霞引きが白なのに対し、巻四は薄い青。これは補作時の趣向なのか、もしくは巻一も元は薄い青で退色しただけなのでしょうか?土佐派とされる絵巻では他にも「当麻寺縁起絵巻」と「桑実寺縁起絵巻」で水彩のような青の霞引きが見られました。

「桑実寺縁起絵巻」は境内の地面や波立つ湖面、そして観音様の周囲に金泥を多用していて、次の章に展示されていた「巻下」も田んぼの畔道が金泥だったり、豪華というか斬新というか。この時代の土佐派の作品は、古典として仰がれた隆兼様式の倣いながらも、全体的に淡彩なところがあって、豊かな色彩と金銀の調和を図りつつ、これまでにない視覚表現に挑んでいるところが新しいですね。

土佐光茂・画 「桑実寺縁起絵巻 巻上」 (重要文化財)
天文元年(1532) 桑實寺蔵

そして興味深いのは狩野元信の「酒伝童子絵巻」で、漢画系の狩野派がやまと絵の領域に進出をしていたことが分かります。狩野派の祖・正信は室町幕府の御用絵師として仏画や肖像画、障壁画を手がけたとされますが、応仁の乱の頃になると政情不安から需要が減り、後継者の元信は公武僧俗に支持層を広げざるを得なかったともいわれます。大変色彩豊かかつ濃厚で、これが狩野派の絵巻なのかと驚くのですが、岩山の描き方がやはり土佐派とは違い、狩野派らしい。

狩野元信・画 「酒伝童子絵巻」 (重要文化財)
大永2年(1522) サントリー美術館蔵


第4章 : 足利将軍家

第1章で、後白河院が源頼朝に自慢のコレクションを見せようと誘ったら丁重に断られたというエピソードが紹介されていましたが(その息子・実朝は相当な絵巻好きだったらしい)、さすがに京都の室町幕府は公家との結びつきも強いのか、歴代の絵巻熱は相当のものだったようです。

とりわけ絵巻に熱を上げたのが本展で取り上げられている9代将軍・義尚で、夜になってどうしても絵巻が見たくなり、後土御門天皇のもとへ絵巻を見に参内したとか、3日で絵巻26巻を一気に観たとか、その強引は絵巻の貸出要求は“絵巻狩り”と恐れられたといいます。義尚というと応仁の乱で若くして亡くなりますが、戦乱の世のストレスで絵巻の世界に逃げ込んだのでしょうか。

土佐光茂・画 「桑実寺縁起絵巻 巻下」 (重要文化財)
天文元年(1532) 桑實寺蔵

「誉田宗庿縁起絵巻」は比較的大きな絵巻で、高階隆兼の「春日権現験記絵」や「石山寺縁起絵巻 巻一」を彷彿とさせるところがありますが、人物描写は巧いのですが、あまり遊びがなく、真面目な絵巻という印象。室町時代を代表する絵師の一人、粟田口隆光の筆といわれます。

「硯破草紙絵巻」はその縦半分以下ぐらいの小絵と呼ばれる小さな絵巻。状態はあまりよくないのですが、光信の筆とされ、とてもしみじみとした情趣があって素晴らしい。同じく小絵の「長谷寺縁起絵巻」は描かれる人物も当然小さいのですが、これがすごく生き生きとして巧い。こちらは光茂の作。

「誉田宗庿縁起絵巻 巻中」 (重要文化財)
永享2年(1433) 誉田八幡宮蔵

当時の資料からは背景も知れて興味深い。足利将軍家の蔵書を記録した「禁裡御蔵書目録」には今は失われた絵巻や物語の名が並び、「武蔵房弁慶物語」や「弥勒地蔵合戦記」、「鴉鷺合戦記」、「切目王子絵詞」、「女人可想男子絵詞」など、そのタイトルからどんな絵巻だったのか想像も膨らみます。


終章 : 松平定信

最後に江戸時代の絵巻マニアの代表・松平定信。8代将軍・徳川吉宗の孫で、寛政の改革を推し進めたことで知られる定信は書画や古物に関心を寄せる文化人としても知られ、昨年サントリー美術館で開催された『小田野直武と秋田蘭画』でも定信の描いた花鳥画が展示されていましたが、本展でも絵巻の装束や調度など有職故実を自ら描き写した「古画類聚」が展示されています。

「蒙古襲来絵詞 後巻」
鎌倉時代・13世紀 宮内庁三の丸尚蔵館蔵 ※展示は4/17まで

これまで紹介された絵巻マニアとはちょっと違って、定信は研究者肌という側面もあったようですね。近畿各地の古社寺の宝物の調査をしたり、「春日権現験記絵」や「蒙古襲来絵詞」の模写を制作させたり、「石山寺縁起絵巻」に至っては田安家と縁の深い谷文晁に模写させるとともに、新たに2巻を補作し、さらに傷みの激しかった1~3巻の補修も行ったというのですからスゴイ。

最後に再び会場の最初にも展示されていた「法然上人絵伝」。民衆が法然の法話を聞く場面が描かれているのですが、宗達の「鶴図下絵和歌巻」のような群鶴文の着物を着た人を発見。あの鶴の図様っていつぐらいからあるんでしょうか。すでに鎌倉時代にはあったということですよね。絵巻を見ているといろんな発見があって面白いですね。

「法然上人絵伝 巻三十四」 (国宝)
鎌倉時代・14世紀 知恩院蔵

サントリー美術館はいつものことながらテーマの選び方や見せ方が上手いなと思います。絵巻マニアならずとも興奮する楽しい展覧会でした。混雑すると絵巻は見づらいので、空いてる時間帯や夜間開館などに観に行くのがオススメです。


【六本木開館10周年記念展 絵巻マニア列伝】
2017年5月14日(日)まで
サントリー美術館にて


室町絵巻の魔力―再生と創造の中世室町絵巻の魔力―再生と創造の中世