今年は“錦絵”と呼ばれる多色摺木版画の技法が確立してからちょうど250年なのだそうです。“錦絵”は木版画なので、絵師がいて、彫師がいて、摺師がいて初めて成り立つ作品。いつもは色の美しさや構図の面白さ、江戸の風俗や歌舞伎、妖怪画や戯画といったモチーフに目が行きがちですが、その裏で職人たちの高度な技術が浮世絵版画を支えてるというわけです。
そこで浮世絵版画に隠された超絶技巧のテクニックにスポットをあて、彫りや摺りのワザにも注目しようというのがこの展覧会。彫りや摺りの丁寧で繊細な技術や作業の流れを知ることで浮世絵の見方も変わっくるというもの。浮世絵専門の太田記念美術館だからこそできる企画展です。
Ⅰ 錦絵誕生以前の肉筆画
まずは浮世絵が生まれた背景から。ここでは浮世絵の祖と呼ばれる菱川師宣や宮川長春、奥村政信、懐月堂派らの肉筆浮世絵が展示されています。主に初期の肉筆浮世絵の特徴である立美人図で、こうした風俗画(浮世絵)が当時持て囃されていただろうことが分かります。
Ⅱ 錦絵が誕生するまで
墨摺絵、丹絵、紅絵、紅摺絵など、錦絵誕生の過程で生まれた初期浮世絵作品を展示しています。版元挿絵や風俗絵本などで木版画は既にあったわけですが、菱川師宣が版本の挿絵から一枚絵として独立させたことにはじまったと解説にはありました。墨一色の“墨摺絵”だったものに筆を使って鉱物質の朱色の絵具を彩色したのが“丹絵”、紅花を材料とした絵具を塗ったのが“紅絵”、複数の色で版画で摺る方法が編み出され、赤や緑など2~4色ほど用いられるようになったのが“紅摺絵”というわけです。
石川豊信 「若衆三幅対」
寛延~宝暦(1748~64)頃 (展示は8/30まで)
寛延~宝暦(1748~64)頃 (展示は8/30まで)
こうして技術も進み、明和2年(1765)に10色の多色摺りの錦絵が生まれます。ただこの頃はまだ大量生産できるまでは至っておらず、 裕福な好事家向けの“絵暦”(絵入りカレンダー)として鈴木春信らがコスト度外視で制作していたようです。
鈴木春信 「風俗四季哥仙 五月雨」
明和5年(1768) (展示は8/30まで)
明和5年(1768) (展示は8/30まで)
Ⅲ 彫りの超絶技巧
髪の生え際、降り注ぐ雨、蚊帳の網目、着物の柄や模様、彫物、細かな文字、雑踏のにぎわい、といったテーマに分け、彫師の腕が光るテクニックを見ていきます。
喜多川歌麿 「五人美人愛敬競 松葉屋喜瀬川」
寛政7~8年頃(1795-96) (展示は8/30まで)
寛政7~8年頃(1795-96) (展示は8/30まで)
江戸初期には印刷の技術も相当進んでましたから、木版の彫りの技術も相応のレベルがあったはずですが、やはり浮世絵という一枚ものの鑑賞用の絵として人気が出てくることで、彫師の腕の競い合いもあるでしょうし、版元からの要求が高くなってくることもあったのでしょう。髪の毛一本一本の生え際の細密な表現や、土砂降りやら小雨やらの繊細な雨の表現など、彫りの技術も急速に上がっていることが分かります。
喜多川歌麿 「蚊帳の男女」
寛政後期(1795-1801) (展示は8/30まで)
寛政後期(1795-1801) (展示は8/30まで)
蚊帳の網目なんかも、ただ直線的に描く(彫る)のではなく、タテの線とヨコの線をそれぞれ別々に彫り重ねて摺ることで網目を表現するなど、網の動きや緩やかな曲線が感じられるようになっています。まさに超絶技巧!
歌川国貞 「河原崎三升(権十郎)の不破伴左衛門、
二代目岩井紫若の大和屋おわか、五代目坂東薪水(彦三郎)の名古屋山三」
元治元年(1864) (展示は8/30まで)
二代目岩井紫若の大和屋おわか、五代目坂東薪水(彦三郎)の名古屋山三」
元治元年(1864) (展示は8/30まで)
文字は左右対称の鏡文字に彫らなければならないので相当な技術を有します。修業し始めの頃の彫師は下書きなしで文字を直接板に彫る練習をするのだそうです。文字を彫るのも大変そうなのに、さらに小さなフリガナまで彫られていたりして驚いてしまいます。
会場には彫り道具や彫りの工程、また摺り道具や摺りの工程などを紹介したコーナーもあり、浮世絵版画の理解に役立ちます。
二代目歌川豊国 「名勝八景 大山夜雨」
天保4~5年頃(1833~34) (展示は8/30まで)
天保4~5年頃(1833~34) (展示は8/30まで)
Ⅳ 摺りの超絶技巧
最初に北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を例に、刷りの順序が説明されていてます。先の章でも、着物の模様の色が線からはみ出さない技術について触れられていましたが、浮世絵の色が増え、細密な描写が増えるに連れ、最後に高い完成度を要求される摺師のプレッシャーはどんなものだったんだろうと感じます。
葛飾北斎 「諸国滝巡り 木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧」
天保4年(1833)頃 (展示は8/30まで)
天保4年(1833)頃 (展示は8/30まで)
ベロ藍(プルシアンブルー)は若冲も使った輸入顔料で、もともとは高価な絵具だったようですが、中国で安価なものが生産されるようになると浮世絵でも盛んに使用されるようになったといいます。従来の藍色の絵具に比べて色が鮮やかで、水に溶けやすく使いやすかったとか。北斎や広重の浮世絵が例に取り上げられていました。
ほかにも、敢えて色を摺らず紙の地の色を活かして雪を表した例や、紙の質感を活かした摺りや木目を活かした摺り、バレンの強弱や色の濃淡による摺りの技、雲母引きのように趣向を凝らした表現などが紹介されています。
歌川国芳 「高祖御一代略図 佐州塚原雪中」
天保前期(1831~37) (展示は8/30まで)
天保前期(1831~37) (展示は8/30まで)
Ⅴ 凄腕の彫師・摺師たち
浮世絵師の名前はある意味浮世絵の看板なので必ず一緒に摺られていますが、幕末になると腕のある彫師や摺師の名前も絵師の名前と並んで浮世絵に摺られるようになったそうです。フツーに名前を入れるのも芸がないので、広重の「木曾海道六拾九次之内 贄川」では宿場の看板に彫師と摺師の名前が描かれているなど、中には遊び心のあるものもあったりします。
歌川広重 「木曾海道六拾九次之内 贄川」
天保8~9年(1837~38) (展示は8/30まで)
天保8~9年(1837~38) (展示は8/30まで)
Ⅵ 現代に伝わる彫りと摺り
最後のコーナーでは現代の版画作品から。加山又造や中島千波、山口晃なんかもあります。展覧会の主題からは少し逸れる気がしましたが、錦絵誕生前の肉筆画から歴史を観てきたので、現代に繋がる版画の系譜として興味は尽きません。
展示作品数は約100点。北斎や歌麿から国芳や芳年まで、作品の充実ぶりはさすが浮世絵専門の美術館ならではです。浮世絵の初心者からツウの人まで、幅広い層にオススメできる展覧会だと思います。
【錦絵誕生250年記念 線と色の超絶技巧】
前期:2015年8月1日(土)〜8月30日(日)
後期:2015年9月4日(金)〜9月27日(日)
太田記念美術館にて
ようこそ浮世絵の世界へ 対訳付 (An Introduction to Ukiyo-e, in English and Japanese)