千葉市美術館で開催中の『ボストン美術館浮世絵名品展 鈴木春信』を観てまいりました。
錦絵創始期を代表する浮世絵師・鈴木春信。同じ千葉市美術館で昨年開催された
『初期浮世絵展』の最後の章に登場するのが鈴木春信だったように、春信の時代から浮世絵は色彩豊かな錦絵に大きく発展していきます。
本展は、海外の浮世絵コレクションとしては質・量ともに最大級のボストン美術館が所蔵する春信作品を中心に約150点で構成(一部、千葉市美術館所蔵作品の展示もあり)。春信の浮世絵は実にその8割以上が海外にあるのだそうです。今回初めて展覧会に出品される作品も多く、貴重な春信作品が観られるまたとない機会です。
春信の浮世絵というと、細身の可憐な美人画や、中性的な表情の若い男女の色恋といったイメージがありますが、洒落っ気のある見立絵ややつし絵、洗練された江戸風俗を描いた作品もとても多くて、春信の表現力の豊かさに魅了されます。
会場の構成は以下のとおりです:
Prologue 春信を育んだ時代と初期の作品
Chapter 1 絵暦交換会の流行と錦絵の誕生
Chapter 2 絵を読む楽しみ
Chapter 3 江戸の恋人たち
Chapter 4 日常を愛おしむ
Chapter 5 江戸の今を描く
Epilogue 春信を慕う
鈴木春信 「風流やつし七小町 かよひ」
宝暦(1751-64)末期
まずは延享(1744-48)から宝暦(1751-64)にかけての奥村政信や石川豊信など春信の一世代前の浮世絵が展示されています。この頃は墨摺絵に紅や緑などの色版を重ねただけの紅摺絵が普及した時代。まだ技術も発達していないので構図もシンプルですが、宝暦年間のものになると、工夫もされてきて同じ紅摺絵でも色数が増えてきます。
まだ駆け出しの春信は細判の役者絵をよく手掛けていたようです。春信は浮世絵の技術を誰に学んだのか謎の部分も多いのですが、役者絵については役者絵で人気の鳥居清満の影響が指摘されています。「風流やつし七小町 かよひ」は春信の紅摺絵時代の作品。春信らしい女性のスタイルがこの頃完成されたと解説されていました。
鈴木春信 「座鋪八景 鏡台の秋月」
明和3年(1766)頃
鈴木春信 「風流江戸八景 駒形秋月」
明和5年(1768)頃
今回、春信の作品をあらためて観て、“見立て絵”や“やつし絵”というものがとても多いのに気づきます。“見立て絵”も“やつし絵”も古典的な題材や歴史上の出来事・人物を当世風に見立てて描いたものをいいますが、“やつし絵”は“やつす”という言葉から連想されるように、ちょっと俗っぽく描いたものを指したりします。ある程度の古典や歴史の教養、ウィットや趣向を楽しむ知的さが必要なわけで、このあたりに当時の江戸の人々のエスプリを感じます。
「座敷八景」は中国画の伝統的な画題である「瀟湘八景」を座敷の風景に見立てたシリーズ。展示されていた「鏡台の秋月」は「瀟湘八景」の「洞庭秋月」にあたりますが、洞庭湖も満月も描かれていません。実は鏡台の鏡を満月に、着物の波千鳥を湖に見立てているわけですが、その遊び心というか、なんて洒落てるんだろうと驚きます。
「風流江戸八景 駒形秋月」も 同じ「洞庭秋月」を見立てたもの。隅田川を洞庭湖に見立ててるわけですが、女性の着物が秋ではなく梅の文様だったりするのはなぜでしょう。それにしても春信の描く女性と若衆は判別がしずらい。この若衆は髪型や帯でそれと分かるけど、若衆でも着飾ってたり振袖姿だったりすることもあるので混乱します。
鈴木春信 「見立三夕 西行法師」
明和3~4年(1766-1777)頃
こちらの左は若衆。オシャレな振袖に身を包み、三味線を手にし、おそらく色子(男娼)だと分かります。西行の<心なき身にもあはれは知られけり しぎたつ沢の秋の夕ぐれ>を見立てています。
鈴木春信 「見立玉虫 屋島の合戦」
明和3~4年(1766-67)頃
鈴木春信 「山吹の枝を差し出す娘(見立山吹の里)」
明和3~4年(1766-67)頃
「見立玉虫 屋島の合戦」は源平の屋島の戦いを当世風に描いたもの。対になった作品(千葉市美の所蔵品)には弓矢を持った若衆が描かれていて、那須与一が扇の的を射抜く場面を見立てたもので、女性が玉虫御前だと分かります。矢には恋文と思われる矢文が付いていたり、着物の柄も帆掛け船になっていたり、那須与一に見立てた若衆のそばには茄子畑が描かれていたり、いろいろ気付きだすととても面白い。
「山吹の枝を差し出す娘」は江戸の人なら誰でも知っていただろう太田道灌のエピソードを描いたもの。玄関が縄暖簾なので、店先なのでしょう。「ごめんなさい、今日は品切れました」とでも言ってるのでしょうか。
鈴木春信 「いばらき屋店先(見立渡辺綱と茨城童子)」
明和4~5年(1767-68)頃
「いばらき屋店先」は一見恋仲の男女を描いたただの絵にも見えますが、渡辺綱と茨木童子を見立てたものなんだとか。謡曲「茨木」が有名ですが、茨木童子は渡辺綱に腕を斬られる鬼女。片腕を袖に隠しているのは渡辺綱に斬られた腕を表しているとのこと。ちょっとこれはハイレベル。
鈴木春信 「鷺娘」
明和3~4年(1766-67)頃
錦絵は、裕福な趣味人の間で流行した絵暦がだんだんとお金と手間をかけて、版画技術のレベルが上がった結果生まれたといわれています。そのため、中には少数の摺りでないとできないような工芸的な細工が施されたものもあって、「鷺娘」は雪や綿帽子の白い部分に“きめ出し”がされていたり、振り袖に菱文の“空摺り”がされていたり、非常に手が込んでいます。これは現物を観て初めて分かる素晴らしさ。
鈴木春信 「寄菊 夜菊を折り取る男女」
明和6~7年(1769-70)頃
「寄菊 夜菊を折り取る男女」は要するに花の枝を折って盗もうとする男女なのですが、とても色がきれい。特に漆黒の闇の黒と春信を特徴づける独特の黄色。昨年、目黒区美術館で開催された
『色の博物誌』でも紹介されていましたが、春信の浮世絵は植物性のものが主で、褪色しやすいのですが、今回のボストン美術館所蔵の浮世絵は摺られたばかりのような発色の美しさに驚きます。
小松軒 「大江山酒呑童子」
明和2年(1765)絵暦
小松軒 「頼光一行と衣を洗う女」
明和2年(1765)絵暦
今回の展示でとても興味深かったのが、絵暦交換会の流行を先導した趣味人の一人という小松軒の作品。浮世絵制作はあくまでも趣味で、本職は薬屋らしいのですが、ちょっと度が越えているというか、当時の多色摺でここまで細密な作品は珍しいのでは。“絵暦”なので、和暦の月や数字が隠れていたりするのですが、その凝り様もハンパありません。
鈴木春信 「浮世美人寄花 笠森の婦人 卯花」
明和6年(1769)頃
「浮世美人寄花 卯花 笠森の婦人」は春信と同時代にアイドル並の人気だったという笠森稲荷の水茶屋・鍵屋の娘お仙を描いたもの。鍵屋の娘お仙や浅草の柳屋の娘お藤は浮世絵でたびたび描かれる美人の代名詞ですが、印象的だったのが歌麿の「おきたとお藤」で、すっかり年を取ったお藤と歌麿の時代に評判だったという難波屋のおきたが新旧美人風に描かれています。
喜多川歌麿 「おきたとお藤」
寛政5~6年(1793-94)頃
最後には春信の影響を受けた浮世絵作品が並び、つづいて千葉市美の所蔵品展『江戸美術の革命 -春信の時代-』が続きます。円山応挙の障壁画や伊藤若冲、曽我蕭白に加え、鶴亭など南蘋派がいくつか出ています。浮世絵では大阪の月岡雪鼎の墨摺版本が出ていて、これがなかなか良い。『鈴木春信展』と『江戸美術の革命 -春信の時代-』を観てたら、優に2時間を超えていました。
【ボストン美術館浮世絵名品展 鈴木春信】
2017年10月23日(月)まで
千葉市美術館にて
※2017年11月3日(金・祝)~2018年1月21日(日) 名古屋ボストン美術館に巡回
鈴木春信 決定版: 恋をいろどる浮世絵師 (別冊太陽 日本のこころ 253)