2018/04/29

百花繚乱列島 -江戸諸国絵師巡り-

千葉市美術館で開催中の『百花繚乱列島 -江戸諸国絵師巡り-』を観てきました。

先日、府中市美術館の『春の江戸絵画まつり リアル 最大の奇抜』を観て、地方の絵師に絞った展覧会とかして欲しいとつぶやいたら、各地で活躍した絵師たちを特集した展覧会が千葉市美術館であるとフォロワーさんに教えてもらい、早速千葉まで行ってきました。なんとタイムリーな。

本展は、江戸中期以降に主に地方で活躍したご当地絵師に焦点を当てていて、参考例的に狩野派や円山応挙など江戸・京の有名絵師の作品もあるのですが、ほとんどがマイナーな絵師たち。全くもって初めて知る絵師も多い。こんな絵師がいたのか!と驚くような個性派ぞろいで、マニアック過ぎて鼻血が出ます。

仙台や秋田、水戸、名古屋といった地方や絵師ごとに整理され解説も丁寧。誰に師事した影響されたという系譜や地方性もよく分かります。なかなか観る機会のない絵師の画業に触れられるなど発見も多くありました。南蘋派や南画、洋風画、博物学といった江戸後期の潮流が広く地方へ伝播していたのも興味深い。それにしても江戸絵画のなんと豊穣なことよ。


第1章 百花繚乱! 絵師列島への旅立ち - 北海道・東北・北関東ゆかりの画人達

まずは北は蝦夷から。
蠣崎波響といえば、アイヌの首長たちを描いた「夷酋列像」で知られる絵師(というかそれしか知らない)。松前藩の家老でもあったそうなのですが、絵師としてもかなりの腕だったようで、応挙風の唐美人図もあれば南画もあるし、カスベ(エイ)の写生図なんかもある。

秋田蘭画は小田野直武と佐竹曙山と佐竹義躬が一点ずつ。最近展覧会があったばかりとはいえ、ちょっと少ないかな。直武や曙山との関係も含め、平賀源内が及ぼした江戸絵画への影響はいろいろ気になるところです。

東東洋 「諏訪湖雪・紅白梅・芭蕉図」
文政8年(1825) 東北歴史博物館蔵 (展示は5/6まで)

仙台は東東洋・小池曲江・菅井梅関・菊田伊洲。小池曲江以外はそれぞれに名前は知ってるし、たぶん府中市美か板橋区美あたりで観てるんだと思うのですが、仙台四大画家という括りで語られていることは知りませんでした。点と点でバラバラだったものが、こうして線で繋がるのは面白い。

東東洋は円山応挙の影響を受けているということなのですが、展示されていた三幅対の「諏訪湖雪・紅白梅・芭蕉図」や「柳に黒白図」の独特のタッチはこの時代にしてはちょっとモダンな感じを受けます。中国の伝説上の神獣を描いた「河図図」も印象的。

菅井梅関 「梅月図」
江戸時代(19世紀) 仙台市博物館蔵

菊田伊洲 「雨中瀧図」
弘化3年(1846) 共生福祉会福島美術館蔵

菅井梅関は谷文晁に師事し、その後京阪で文人画の絵師たちと交流を持ったとか。大画面の「舊城朝鮮古梅之図」や「梅月」の太い筆触が素晴らしい。「猛獣図」がほとんど猫なのはご愛嬌。常陸出身で梅関の師という根元常南の「旭潮鯨波図」も面白い。大海原に鯨の潮吹き。遠くに朝日。構図が斬新です。

菊田伊洲の「雨中瀧図」は滝の描き方といい湿潤な空気感といいとても印象的。「倣元信山水図」は元信というよりどこか南画風。小池曲江は南蘋派で作品自体は個性的ではないけれど、『小田野直武と秋田蘭画展』で個人的に強烈な印象が残っている松林山人に師事したというのが興味深い。

立原杏所 「葡萄図」(重要文化財)
天保6年(1835) 東京国立博物館蔵 (展示は4/20まで)

水戸といえば、林十江と立原杏所。東博の常設展でときどき作品を観るけど、いやいやこんなに個性の強い絵師とは知りませんでした。林十江の「蝦蟇図」と「木の葉天狗図」のインパクト。東博で観たときも度肝を抜いた立原杏所の「葡萄図」の奔放でダイナミックな筆線にはやはりビックリします。なんとも前衛的。杏所は真景図や南画、花鳥画などその画風の幅の広さにも驚きます。

府中の江戸絵画展ではおなじみの小泉斐は栃木。南画の高久靄厓や渡辺崋山の弟子・椿椿山も栃木、江戸のイメージのある亜欧堂田善は福島・須賀川の人だったのか。なるほど江戸や京阪で活躍したからといって、みんながみんな地元と限らないということですね。


第2章 江戸 - 狩野派以外も大賑わい

なんか聞いたことのあるタイトルだと思ったら、板橋区立美術館の展覧会の名前ですね。江戸絵画の良質なコレクションで知られる板橋区美からもいくつか作品が出品されていました。

その一つが江戸後期に活躍した木挽町狩野家の栄信の「花鳥図」。狩野派の作品とは思えない濃彩の鮮烈な牡丹や蝶、南国風の鳥に目を奪われます。

狩野栄信 「花鳥図」
文化9年(1812) 板橋区立美術館蔵

江戸で紹介されている絵師で特筆すべきは宋紫石と司馬江漢、そして谷文晁でしょうか。宋紫石は江戸の人ですが、長崎で熊斐に師事し南蘋派を学び、江戸で南蘋派を広めたキーパーソン。司馬江漢は鈴木春信に浮世絵を、宋紫石に南蘋派を、小田野直武に洋風画を学んだというユニークな絵師。江戸時代後期の写実主義の中心にいた1人といってもいいでしょう。そして谷文晁。江戸時代中期以降の円山四条派や南蘋派の影響は分かるのですが、今回の展覧会を観てると、谷文晁の影響が意外なほど大きかったことに驚きます。古田亮氏の『日本画とは何だったのか』で応挙、文晁が近代日本画の源流の一つとして取り上げられていたのを思い出します。


第3章 東海道を西へ - 尾張・伊勢・近江

さあ、旅を続けましょう。東海道を西へ。まずは尾張。
名古屋と聞いてパッと思い浮かぶ絵師はいなかったのですが、さすが名古屋城を擁する尾張藩には名古屋画壇と呼ぶべき優れた絵師が多くいたようです。

山本梅逸 「花卉草虫図」
弘化元年(1844) 名古屋市博物館蔵 (展示は5/6まで)

有名なところだと山本梅逸と中林竹洞、張月樵が名古屋の人なんですね。ともに京都に上り、後に名古屋に戻っているようです。梅逸は「花卉草虫図」にしても「桜図」にしても山水図にしても柔らかな色彩や繊細な筆触が素晴らしい。

田中訥言 「餓鬼草紙模本」
江戸時代(19世紀) 東京国立博物館蔵

復古大和絵で知られる田中訥言も名古屋の人。古絵巻の模写は以前も観たことがあったのですが、琳派風の屏風もあれば、軽妙なタッチの「太秦祭図」があったり、こんなに画技に優れ、画風の幅が広い絵師だとは知りませんでした。

紀楳亭 「大津絵見立忠臣蔵七段目図」
天明8年(1788)以降 大津市歴史博物館蔵

何年か前の府中市美で観て腰が抜けた(笑)紀楳亭の「大津絵見立忠臣蔵七段目図」に嬉しい再会。今回は他にも作品があったのですが、どれも造形がユニークでほんと面白い。与謝蕪村の門人だったそうで、全然そんな感じはしないのですが、「大津三社図」の鴉は確かに蕪村風に見えなくもない。

同じく府中市美で名前を知った織田瑟々も近江の絵師。今回の展覧会では唯一の女流絵師だとか。作品は定番の“織田桜”。


第4章 京・大坂 - 諸派の爛熟と上方の版画

応挙の「秋月雪峡図屏風」は応挙らしい水墨の屏風の優品。左隻の冬景が「雪松図屏風」を思わせます。蕭白の新出という「渓流図屏風」がまたいい。襖4面を大胆に使った斜めの構図が面白い。京都でありながら狩野探幽の流れを受ける鶴沢探索はやまと絵的な扇面図。この人もいろいろ作品を観てみたい絵師の一人。

中村芳中 「白梅図」
文化期(1804-18)頃 千葉市美術館蔵

大坂は芳中に鶴亭、月岡雪鼎などバラエティに富む中、流光斎如圭とか松好斎半兵衛とか春好斎北洲とか初めて名を聞く上方浮世絵の作品が複数あって興味を覚えます。全く知らなかったところでは京都の銅版画もユニーク。


第5章 中国・四国地方と出会いの地・長崎

今回の展覧会で一番楽しみにしていたのが因幡画壇(鳥取画壇)。府中市美の『リアル 最大の奇抜』で強く興味を覚えた土方稲嶺や黒田稲皐、片山楊谷、島田元旦、沖一峨といった因幡画壇の作品が充実しているのが嬉しい。

土方稲嶺 「糸瓜に猫図」
江戸時代(18-19世紀) 鳥取県立博物館蔵

因幡画壇の祖といわれる土方稲嶺は宋紫石に学び、後に円山応挙に入門したとされる因幡出身の絵師。「糸瓜に猫図」の猫も朝顔もネタ元は明らかに沈南蘋の「老圃秋容図」ですね。一方、「東方朔図」と「猛虎図」は応挙風。その稲嶺に師事したのが黒田稲皐。鯉の名手と謳われただけあり、執拗なまでに描きこまれた群鯉図はどれも強烈な印象を残します。府中も千葉も鯉の絵ばかりで、他の作品もちょっと観たい気がしますが。

黒田稲皐 「群鯉図」
天保7年(1836) 鳥取県立博物館蔵

狩野派に学び江戸で人気を博すも沖家の養子になり鳥取藩の御用絵師になった沖一峨、長崎出身で長崎派の影響色濃い片山楊谷、谷文晁の実弟で円山応挙に師事したともいう島田元旦といった優れた絵師が奇しくも同時代の鳥取に集結したのですから、どれだけ濃い時代だったんだろうと思います。

廣瀬臺山 「山静日長図」
文化8年(1811) 個人蔵

鳥取以外にも、酒井抱一の兄であり姫路藩主にして宋紫石に南蘋派を学んだ酒井宗雅、優れた文人画を残した美作の廣瀬臺山、青緑山水の奇勝図が印象的な備前の淵上旭江、即興的な南画風スケッチが目を引く徳島の細川林谷、細密な描写のやまと絵が素晴らしい同じく徳島の守住貫魚、沈南蘋が直接学んだ唯一の絵師で鶴亭や宋紫石の師でもある熊斐などなど、西日本の充実ぶりは凄いの一言。

熊斐 「猛虎震威図」
宝暦3〜4年(1753-54) 徳川美術館蔵 (展示は4/29まで)

千葉市美術館は我が家からドアツードアで往復3時間。会場に3時間弱いたので、一日つぶれてしまいましたし、重量級の図録がまた肩にずしりと来ます。でも満足度は今年の展覧会で一番かもしれない。ぜひ第2弾をやってほしいですね。知られざる地方の絵師はまだまだいるはずですから。


【百花繚乱列島 -江戸諸国絵師巡り-】
2018年5月20日(日)まで
千葉市美術館にて


江戸絵画の非常識―近世絵画の定説をくつがえす (日本文化 私の最新講義)江戸絵画の非常識―近世絵画の定説をくつがえす (日本文化 私の最新講義)

2018/04/22

ヌード展

横浜美術館で開催中の『ヌード展』に行ってきました。

2年にわたり世界を巡回し話題になった英国テート所蔵作品による『ヌード展』がようやく日本に上陸。古典文学や神話、聖書を題材にした裸体表現に始まり、ラファエル前派や印象派、ロダンやムーアの彫刻、さらには同性愛や人種問題、フェミニズムの視点に立ったヌード作品など、ソフトなものからハードなものまで実に多様でした。

イギリスの美術館だけあり、プロテスタントで性的な表現に厳しかったイギリスの歴史的背景から話が始まり、そこから入るのかい!とも思いましたが、特にイギリスの画家・アーティストの作品に偏ることなく、バラエティに富んでいました。ちょっと間違えば無難な展示、分かりやすい展示で構成されそうなところを、鑑賞者におもねることなくヌード芸術に正面から向き合うという真面目な観点が素晴らしいと思うし、日本の美術館ではここまでの突っ込みはできないではないかという、さすが性表現の受容が進んだ西欧らしくとても興味深い内容になっています。(東京国立近代美術館や横浜美術館など国内の美術館の所蔵作品も一部展示されています)


展覧会の構成は以下のとおりです:
1 物語とヌード
2 親密な眼差し
3 モダン・ヌード
4 エロティック・ヌード
5 レアリスムとシュルレアリスム
6 肉体を捉える筆触
7 身体の政治性
8 儚き身体

フレデリック・レイトン 「プシュケの水浴」
1890年発表 テート所蔵

宗教画や歴史画であっても裸体表現がなかなか受け入れられなかったイギリスでようやくヌードが描かれるようになったのが19世紀。ラファエル前派に代表される理想化されたヌードが芸術として認められるようになったのはアカデミズム偏重主義への反発といったイギリス的な時代背景もあるのでしょうか。ルネサンスやゴシック期の裸体表現に比べると、たとえばレイトンの「プシュケの水浴」やアルマ=タデマの「お気に入りの習慣」、ドレイパーの「イカロス哀悼」のリアルな肌の質感や過度な美の追求、肉体美の表現、欲望の視線は余程扇情的な気もします。

ハーバート・ドレイパー 「イカロス哀悼」
1898年発表 テート所蔵

レイトンの理想化されたヌードの絵画に対抗したのがソーニクロフトの理想化されたヌードの彫刻。「イカロス」はまるでギリシャ彫刻のような美しい身体性と筋肉のリアルな表現性が素晴らしい。股間を葉で隠しているのは自主規制?

ピエール・ボナール 「浴室」
1925年 テート所蔵

ただ単に時代の流れとともにヌードの表現がどう変わっていったのか、ということを見せるだけでなく、同じヌードというテーマでさまざまな美術運動やそれぞれに特色ある表現方法を観て行くことができて、これが予想以上に面白い。

ドガやルノワール、マティスにボナール。テートの優れたコレクションとはいえ、作風はそれぞれに見慣れたものですが、ヌードが宗教や神話から抜け出し、現実の、親密な距離に置かれたという点では当時は相当挑戦的な表現だったのでしょうし、ここにマネがあればと思ったりもしました。

ピカソ晩年の「首飾りをした裸婦」は相変わらずのインパクト。ジョルジュ・デ・キリコの初期作品やバルテュスも良かった。ハンス・ベルメール、マン・レイもユニーク。スタンリー・スペンサーの「ふたりのヌードの肖像」も生々しい。

オーギュスト・ロダン 「接吻」
1901-04年 テート所蔵

そして、なんといってもロダンの「接吻」の肉体表現の素晴らしさ。大理石の白さが筋肉の繊細な動きを際立たせ、うっとりするほど美しい。360°観ることができるのですが、観る方向によって景色が変わり、物語が違って見えてくる気がします。これだけ写真撮影可。



ヌード展なんだし、多少エロティックな作品があっても驚きはしませんが、別の意味で驚いたのがターナーのヌードスケッチ。ターナーの名誉のためにとターナーの死後に処分されたらしいのですが、処分漏れがあったのか近年発見されたのだそうです。ターナーというとイギリスを代表する国民的画家。風景画家として知られますが、裸婦のスケッチや中には性行為中の男女のスケッチなんかもあって、ちょっと衝撃的です。

デイヴィッド・ホックニー 「23, 4歳のふたりの男子」
(『C.P.カヴァフィスの14編の詩』のための挿絵より)
1966年 テート所蔵

大好きなホックニーのヌードスケッチが観られたのも嬉しい。ルシアン・フロイドの「布切れの側に佇む」には圧倒されました。これが観られただけでも来た甲斐があるというもの。ベーコンの「ミュリエル・ベルチャーの肖像」と「横たわる人物」は日本の美術館からの特別出品。やはりこうして観るとベーコンの存在感は強烈。テートからはベーコンのスケッチが来てますが、テート所蔵の油彩画はヌードではないんですね。

フランシス・ベーコン 「スフインクス-ミュリエル・ベルチャーの肖像」
1979年 東京国立近代美術館蔵

ルシアン・フロイド 「布切れの側に佇む」
1988-89年 テート所蔵

人種や性の多様性、フェミニズム的視点、そうした観点がヌード表現とリンクしてきたのはここ数十年のことかと思っていたのですが、実は70年代にはすでに政治的主張の場として裸体表現がクローズアップされていたのだそうです。伝統的なヌード表現や既存の女性像に対する反抗。古典的なオダリスクの構図を借りた黒人男性の裸体、筋骨隆々な女性ボディビルダー、出産直後の母親と赤ん坊、何か性暴力を思わせるようなシンディ・シャーマンの“ピンク・ローブ”…。ヌードという固定観念を破ろうとする流れとともに新しいヌード表現への挑戦が見て取れます。

下村観山 「ナイト・エラント(ミレイの模写)」
明治37年(1904) 横浜美術館蔵

横浜美術館の所蔵品コーナーも関連作品を展示。『ヌード展』に展示されているミレイ作品を模写した観山や小倉遊亀といった近代日本画家から諏訪敦、松井冬子といった現代アーティストまで。こちらも忘れずに。

諏訪敦 「Stereotype Japanese 08 Design」
2008年 横浜美術館寄託

松井冬子 「成灰の裂目」
2006年 横浜美術館蔵

小倉遊亀 「良夜」
昭和32年(1957) 横浜美術館蔵


【ヌード展-英国テート・コレクションより】
2018年6月24日(日)まで
横浜美術館にて


官能美術史: ヌードが語る名画の謎 (ちくま学芸文庫)官能美術史: ヌードが語る名画の謎 (ちくま学芸文庫)

2018/04/07

猪熊弦一郎展 猫たち

Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の『猪熊弦一郎展 猫たち』を観てきました。

昭和を代表する洋画家で、特に昭和30年に拠点をニューヨークに置いて以降は抽象画を多く発表し、日本のモダンアートの先駆者として評価されている猪熊弦一郎。今回の展覧会は無類の猫好きとして知られる猪熊の猫の絵だけを集めた展覧会(最後に少し猫以外の作品もあります)です。

猪熊の奥さんが大の猫好きで、いっときは“1ダースの猫”を飼っていたこともあったのだとか。最初は作品の片隅に脇役として登場していた猫も、いつしか作品の主題になったり、猫の絵を通して、マティスやピカソの影響、そして具象から抽象への変化も分かったり、たかが猫されど猫という感じの展覧会でした。スケッチも多いのですが、みんな猫なので全然OK。猫好きだからこその観察眼。たまりません。


会場の構成は以下のとおりです:
初期作品
猫のいる暮らし
猫のスケッチ
モニュメンタルな猫
人と猫
にらみ合う猫
再び猫を描く
猫のコンポジション
猪熊弦一郎の世界

猪熊弦一郎 「マドモアゼルM」
1940年 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館蔵

初期作品の中で印象的だったのが「マドモアゼルM」。色合いはピカソの“青の時代”を彷彿とさせるのですが、雰囲気は藤田嗣治ぽい感じも。大戦中の中国での取材に基づく「長江埠の子供達」も藤田の中南米歴訪後の作品あたりに似てるなという印象。パリ時代の猪熊は藤田と家族ぐるみの付き合いだったそうで、画風も少し影響を受けていたのかもしれません。

猪熊弦一郎 「妻と赤い服」
1950年 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館蔵

戦後すぐの「青い服」や「妻と赤い服」、「婦人と猫」、「裸婦と猫」あたりはマティス色が強すぎてあまり猪熊の個性を感じないのですが、猫はどれも独特の仕草や愛嬌があって面白い。テーブルの上にのって食事をしてる最中の猫、顔がライオンになってる猫、困った表情の猫、自転車のサドルにのってる猫、思い思いにくつろぐ猫、毛を逆立てて威嚇しあう猫…。よく猫の表情を掴んでるなと感じます。

1950年代以降の作品は抽象と具象を行き来するようなところがあって、人や猫の顔や身体が丸や四角、三角などの図形的になったり、幾何学的な様相を呈したり、だんだんと単純化されていきます。猫が描かれる作品は決して多いわけではないようですが、最近は猫の絵ばかりを描いてるとか、猫の小さな猛獣性を美しく描くことは難事中の難事だとか、猫が一つの方便になって自分なりの画面構成を考えることの方が面白くなってきたとか、猫の画を描くことが猪熊にとって気分転換だったり、造形を考える上でのヒントだったり、プラスに働いていたことが分かります。

猪熊弦一郎 「猫と食卓」
1952年 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館蔵

同じく猫好きの大佛次郎が飼ってた柄が継ぎはぎのようで雑巾猫と呼んでたシャム猫を面白いと感心して貰っていったとか、疎開先に猫を連れてったら猫が農家の鶏を殺して大騒動になったとか、オス猫が寝てた知人の頭にスプレーしたとか、紹介されてるエピソードもいちいち最高です。



最後のスペースはスケッチや晩年の作品が中心。ここだけ写真撮影可になっています。晩年の猪熊の作品には人の顔や裸婦、馬や鳥は登場するものの、猫はそれほど多くないといいます。スケッチにはたくさん猫が描かれているので、もしかしたら猪熊は猫に対する思いが強すぎて、猫を単なる形態の要素として割り切って描けなかったのではないかと解説にありました。

[写真右] 猪熊弦一郎 「二人の裸婦と一つの顔」
1989年 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館蔵

猪熊弦一郎 「葬儀の日」
1988年 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館蔵

一角に、愛する妻へ捧げる絵が。まわりにはたくさんの猫たち。上の方に並んでいる猫の額縁は亡くなった猫たちでしょうか。

[写真右] 猪熊弦一郎 「不思議な会合」 1990年
「楽しい家族」 1989年 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館蔵

本展は会期が4/18までと短いので、行くつもりの人は要注意。金曜・土曜は21時まで開館(入館は閉館の30分前まで)しているので時間に都合がつく人は夜の方がゆっくり観られるかも。あと図録がなかったのが少々残念。代わりに『猫画集 ねこたち』という本を売ってますが、展覧会の出品作が全て載ってるわけではありません。


【猪熊弦一郎展 猫たち】
2018年4月18日(水)まで
Bunkamura ザ・ミュージアムにて


ねこたち (猪熊弦一郎猫画集)ねこたち (猪熊弦一郎猫画集)