昨年もボッティチェリの展覧会がありましたし、最初は「2年続けてか…」と思いましたが、いやいやいや、こんなに毎年ボッティチェリを観てしまっていいの?と、ちょっと罪悪感を覚えるぐらい贅沢な展覧会です。
なんといっても、現存するボッティチェリ作品は100点ぐらいしかないそうで、本展ではボッティチェリの工房作も含めて27点も作品が来ています。つまり、いま日本に世界中からボッティチェリ作品の約1/4が集まっているわけです。これってものすごいことだと思うんです。
「だいたいそういうのって習作や下絵が多いんじゃないの」と思う人もいるでしょうが、習作やインク画は5点ぐらい。残りはみんなテンペラ画や油彩画。それ以外にもボッティチェリの下絵による版画やタペストリーなどもあって、そうしたものも含めると実に30点以上もボッティチェリ関連の作品があるわけです。
展示作品数は全78点。ボッティチェリと、師匠のフィリッポ・リッピ、リッピの息子でボティッチェリの弟子でもあるフィリッピーノ・リッピに構成を絞っているので、地域と時代が集中していて、背景や流れも分かりやすく、とても密度の濃い見応えのある展覧会になっています。
第1章 ボッティチェリの時代のフィレンツェ
会場に入ると、いきなりボッティチェリの傑作「ラーマ家の東方三博士の礼拝」が登場! テンションもグンと上がります。
サンドロ・ボッティチェリ 「ラーマ家の東方三博士の礼拝」
1475-76年頃 ウフィツィ美術館蔵
1475-76年頃 ウフィツィ美術館蔵
この絵はボッティチェリが30歳の頃に描いたという出世作。フィレンツェの為替商ラーマ家の祭壇画に制作されたのですが、ラーマ家はメディチ家とのつながりを強調するため絵の中にメディチ家の面々を描かせたといいます。聖母子にひざまずいている老人が“祖国の父”と呼ばれたコシモ・デ・メディチ、左端にいる若者がボッティチェリのパトロンとなるロレンツォ、右端でこちらを向いているのがボッティチェリだといわれています。照明の効果もあるのでしょうが、思った以上の明るくはっきりした色彩に感動します。
ここではほかに、パトロネージ(芸術擁護運動)で知られるロレンツォが集めたという古物や彫刻、絵画などコレクションを展示しています。紀元前の美しいカメオやアリストテレス写本、ロレンツォの威圧感のある胸像、ボッティチェリに影響を与えたヴェロッキオの彫刻や絵画などが並びます。ロレンツォの弟ジュリアーノが暗殺されたとき、それを記憶にとどめるため造ったメダルとかもあって、そんなのでメダルを造るのか…とちょっとビックリ。
第2章 フィリッポ・リッピ、ボッティチェリの師
つぎにボッティチェリの師で、初期ルネサンスを代表するフィレンツェ派の巨匠フィリッポ・リッピの作品を紹介。フィリッポの作品だけでも10点以上あって、ここもとても充実しています。
フィリッポ・リッピ 「玉座の聖母と天使および聖人たち」
1430年代初頭 サンタンドレア参事会聖堂美術館蔵
1430年代初頭 サンタンドレア参事会聖堂美術館蔵
初期の作品は前世期の宗教画を思わせるところがまだあって、光輪(ニンブス)に金が施されていたり、金で型押しされた飾りがあったりと、独立した絵画というより装飾的なところも含めて、あくまでも祭壇画の一部なんだなという感じを受けます。
フィリッポは同時代の画家マザッチョや彫刻家ドナッテロなどの影響を受けていて、人物などの背景に遠景の風景を描き込んだ初期フランドル絵画の作風もいち早く取り入れたといいます。遠近法で奥行きを出したり、空間を意識した構図になっていくのもこの辺りからで、それがボッティチェリに引き継がれていったことが分かります。
フィリッポ・リッピ 「ピエタ」
1440年頃 ポルディ・ペッツォーリ美術館蔵
1440年頃 ポルディ・ペッツォーリ美術館蔵
空間構成といってもまだこなれてないので、ときどき不思議なものもあります。フィリッポの「ピエタ」をみて見て雪舟を思い出したのは内緒(笑)。
第3章 サンドロ・ボッティチェリ、人そして芸術家
そして、ボッティチェリ。フィレンツェという都市の成り立ちやボッティチェリとメディチ家の深い繋がりなどは昨年の『ボッティチェリとルネサンス -フィレンツェの富と美』のテーマと被るところがあるからなのか、本展ではそのあたりの詳しい背景説明はさほどされてなく、どちらかというとリッピ親子との関係や技術の継承にフォーカスされているような気がします。
サンドロ・ボッティチェリと工房 「パリスの審判」
1485-88年頃 チーニ邸美術館蔵
1485-88年頃 チーニ邸美術館蔵
ボッティチェリは1460年頃にフィリッポ・リッピに弟子入りをするのですが、リッピが1467年に壁画制作のためフィレンツェをあとにしてしまったため、その後ベロッキオの下で修業し、1470年頃には独立して工房を持ったといわれています。本展には1460年代後半から作品があって、ボッティチェリの画風の変遷も感じることができます。
サンドロ・ボッティチェリと工房 「聖母子と4人の天使(バラの聖母)」
1490年代 パラティーナ美術館蔵
1490年代 パラティーナ美術館蔵
この時代は宗教画に限られ、ある程度その主題も決まっています。たとえば同じ宗教主題でも複数の作品が出品されてるので、その違いや共通点を比べるのも楽しい。それにボッティチェリとリッピ親子に作品をほぼ限定しているので各人の特徴がつかみやすいし、ボッティチェリの画力の高さもよく分かります。その点はこの展覧会の最大の魅力かもしれません。
サンドロ・ボッティチェリ 「聖母子(書物の聖母)」
1482-83年頃 ポルディ・ペッツォーリ美術館蔵
1482-83年頃 ポルディ・ペッツォーリ美術館蔵
ボッティチェリは“聖母子”をたくさん残していて、本展にも複数の作品が来ていますが、その中でも白眉は本展のメインヴィジュアルにも使われてる「聖母子(書物の聖母)」でしょう。円熟期の傑作といわれるだけあって、精緻で繊細な描写の素晴らしさは言うに及ばず、聖母子の表情の神々しい美しさは感動的です。聖母の慈しみに溢れた感情が伝わってくるようです。
サンドロ・ボッティチェリ 「美しきシモネッタの肖像」
1480-85年頃 丸紅株式会社蔵
1480-85年頃 丸紅株式会社蔵
サンドロ・ボッティチェリ 「女性の肖像(美しきシモネッタ)」
1485-90年頃 パラティーナ美術館蔵
1485-90年頃 パラティーナ美術館蔵
ボッティチェリは「プリマヴェーラ」や「ヴィーナスの誕生」に描かれた女神を理想的な女性の美の象徴として繰り返し描いたといいます。ここまでくると師フィリッポとは革命的といっていいぐらいの違いがあります。「美しきシモネッタの肖像」の息をのむ美しさにはただただ見惚れてしまいます。一転落ち着いたトーンの「女性の肖像(美しきシモネッタ)」もただ美しさだけではない深みがあって好きです。
サンドロ・ボッティチェリ 「書斎の聖アウグスティヌス」
1480年頃 オニサンティ聖堂蔵
1480年頃 オニサンティ聖堂蔵
作品の多くがテンペラ画の中、「書斎の聖アウグスティヌス」は壁画から剥離処理したフレスコ画で、それがまたガラスに覆われることなく直に観られて、思わず鳥肌がたちました。かなり大きな作品ですが、細部まで丁寧に描かれていて、その迫力ある画面に圧倒されます。テンペラ画やフレスコ画は温度や湿気にとても敏感で、扱いが難しいといわれます。三菱一号館美術館の館長さんがテンペラ画はなかなか貸し出してもらえないと以前おっしゃってましたが、今回来日している絵画のほとんどがテンペラ画やフレスコ画なので、そういった意味でも貴重です。
サンドロ・ボッティチェリ 「アペレスの誹謗(ラ・カルンニア)」
1494-99年頃 ウフィツィ美術館蔵
1494-99年頃 ウフィツィ美術館蔵
ロレンツォの死後、ボッティチェリの作品には受難や救済をテーマにした作品が増えていきます。「アペレスの誹謗」は古代ギリシャの画家アペレスの作品を復元したもので、誹謗中傷にあった人物の悲惨さを寓意的に描いているといいます。その構図はとてもダイナミックで、劇的な印象を強く与えます。ほかにも、当時の説教集の挿絵画の図像を引用したという面白い構図の「オリーヴ園の祈り」や、ユディトが将軍ホロフェルネスを殺害した直後の場面を描いた「ホロフェルネスの頭部を持つユディト」が印象的でした。
サンドロ・ボッティチェリ 「オリーヴ園の祈り」
1495-1500年頃 グラナダ王室礼拝堂蔵
1495-1500年頃 グラナダ王室礼拝堂蔵
サンドロ・ボッティチェリ 「ホロフェルネスの頭部を持つユディト」
1500-10年頃 アムステルダム国立美術館蔵
1500-10年頃 アムステルダム国立美術館蔵
第4章 フィリッピーノ・リッピ、ボッティチェリの弟子からライバルへ
フィリッポ・リッピの息子で、父の死後ボッティチェリの弟子になったフィリッピーノにスポットを当てています。年齢はボッティチェリより一回り下ですが、ボッティチェリより早く亡くなっていて、弟子とはいえ活躍した時代はほぼ重なっています。当時の書物によると、ボッティチェリは「男らしく、よく考え抜かれ、完璧な比例がある」とされ、フィリッピーノは「より甘美な雰囲気があるが、技巧的でない」と評されていたようです。
フィリッピーノ・リッピ 「幼児キリストを礼拝する聖母」
1478年頃 ウフィツィ美術館蔵
1478年頃 ウフィツィ美術館蔵
初期の作品はボッティチェリ的で、素人目には違いはほとんど分かりません。ボッティチェリに比べてコントラストが強い傾向があり、階調が広いのか、色味が少しゴタゴタしている感じを受けました。とはいえ、やはりその腕は確かで、考え抜かれた構図やドラマティックな描写はとても面白い。
フィリッピーノ・リッピ 「神殿奉納、東方三博士の礼拝、嬰児の虐殺」
1469-72年頃 プラート市立美術館蔵
1469-72年頃 プラート市立美術館蔵
ボッティチェリの絵画表現が男らしいという言い方が合ってるかどうか分かりませんが、ボッティチェリの描く女性は理知的でクールな感じはします。その点、フィリッピーノの描く女性は表情が柔らかく、確かにより甘美な印象を受けます。ボッティチェリはラファエル前派の面々に再発見され評価が高まったといわれますが、甘美さという点ではフィリッピーノの方がラファエル前派に近い気がします。「受胎告知の大天使ガブリエル」なんて、まるでラファエル前派ですよ。
フィリッピーノ・リッピ 「受胎告知の大天使ガブリエル」
1483-84年頃 サン・ジミニャーノ市立美術館絵画館蔵
1483-84年頃 サン・ジミニャーノ市立美術館絵画館蔵
これからもボッティチェリの作品を日本で観る機会はあるでしょうが、これだけたくさんの、しかもクオリティの高い作品が一堂に会する機会はまず望めないでしょうし、これは見逃してはいけない展覧会だと思いますよ。
【ボッティチェリ展】
2016年4月3日(日)まで
東京都美術館にて
ボッティチェリ《プリマヴェラ》の謎: ルネサンスの芸術と知のコスモス、そしてタロット