2019/11/24

佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美

京都国立博物館で開催中の『流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』に行ってきました。

ほんとはもっと早くに観に行くつもりで、10月に新幹線もホテルも予約していたのですが、台風19号と重なり残念ながらキャンセル。11月の連休は仕事があり、今回は無理かなと思ってたのですが、幸いなことに仕事の調整がつき、なんとか観に来ることができました。

「佐竹本三十六歌仙絵」は鎌倉時代に制作された歌仙絵を代表する名品。もとは下鴨神社に所蔵されていたとされ、江戸時代末期に秋田藩主佐竹家に伝わったことから佐竹本と呼ばれています。

しかし、ちょうど100年前の大正8年(1919)、佐竹家から売りに出されますが、その高価さから買い手がつかず、各歌人ごとに分割され、それぞれ異なる買主の手に渡ることに・・・。今回タイトルにある『流転100年』はそこに由来します。

1986年に「佐竹本三十六歌仙絵」が20点集まる展覧会があったそうですが、今回はそれを遥かに超える30歌人(下巻巻頭の「住吉明神」を入れると31点)が分割されて以来100年ぶりに集結します。近年だと、2016年に東京国立博物館で6点が集まる歌仙絵の特集展示があったり、2018年に出光美術館の『歌仙と古筆』で4点が集まるなど、数点を観る機会はありましたが、ここまでまとめて観る機会というのは恐らくそうはないと思います。今度集まるのはいつになることやら。


会場の構成は以下の通りです:
第1章 国宝《三十六人家集》と平安の名筆
第2章 ‟歌聖”柿本人麻呂
第3章 ‟大歌仙”佐竹本三十六歌仙絵
第4章 さまざまな歌仙絵
第5章 鎌倉時代の和歌と美術
第6章 江戸時代の歌仙絵

詫磨栄賀 「柿本人麻呂像」(重要文化財)
応永2年(1395)・室町時代 常盤山文庫蔵

まずは古筆の名品から。平安の三色紙(継色紙「いそのかみ」、升色紙「かみなゐの」、寸松庵色紙「ちはやふる」)や、古今和歌集最古の写本である「高野切」と本阿弥光悦旧蔵の「本阿弥切」、三大手鑑のひとつ「藻塩草」や豪華な「西本願寺本三十六人歌集」など、流麗な仮名文字や美しい料紙装飾にうっとり。すでに気分は雅やか。

つづいて、歌聖・柿本人麻呂像がずらり。人麻呂の図像には筆や紙も持たず脇息にもたれ虚空を見つめる姿と、右手に筆、左手に紙を持ち、同じく左上を見やる姿の2系統が主なパターンだといいます。前者の系統の最古例として京博本と、同系統の常盤山文庫本が展示されていて、藤原信実の筆と伝わる京博本はどこか悲しげな精緻な願望表現が印象的。でも重文指定は常盤山文庫本だけなんですね。中国の維摩居士図のポーズとの類似が指摘されていたのも興味深い。東博所蔵の伝・信実筆の人麻呂像は珍しく右向き。顔の表情もかなり違うのが面白い。

先の出光美術館の『歌仙と古筆』展でも同様の章がありましたが、人麻呂がなぜ歌聖として崇められたのかについては出光美の方が、人麻呂の図像については今回の京博の方が解説も詳しく、また分かりやすかったかなと思います。ちなみに、出光美術館の『歌仙と古筆』展では特に人麿影供について詳しく触れていて、また柿本人麻呂と山部赤人の同一人物説を取り上げ、図像の近似性を分析していたのも興味深かったです。

詞・伝後京極良経、絵・伝藤原信実 「佐竹本三十六歌仙絵 柿本人麻呂」(重要文化財)
鎌倉時代・13世紀 出光美術館蔵 (展示は11/10まで)

2階に下りると、そこは「佐竹本三十六歌仙絵」一色。まずは「佐竹本三十六歌仙絵」がどのような経緯で誰が決断し分断されたのか、抽選はどこでどのように行われたのか、などが少しドキュメンタリー仕立てに構成され、関連展示とともに解説されていました。

くじで使われ今は花入れに仕立てられた竹筒や実際のくじなんかもあったり、いろいろ興味を引きます。東京国立博物館の庭園に「応挙館」がありますが、なんとあそこが抽選会場だったんですね(もとは名古屋市郊外の明眼院の書院として建てられものを、益田孝(鈍翁)が品川の邸内に移築。その後東博に移築)。

詞・伝後京極良経、絵・伝藤原信実 「佐竹本三十六歌仙絵 平兼盛」(重要文化財)
鎌倉時代・13世紀 MOA美術館蔵 (展示は11/10まで)

本展では、凡河内躬恒、猿丸大夫、斎宮女御、藤原清正、伊勢、中務の6点が未出品。中務以外は全て個人所蔵なので、なかなか理解が得られなかったのかもしれません。残念。わたしが観に行った日(11/3)は27点が展示されていたのですが、展示替えで観られなかった作品の内、山部赤人と藤原敦忠と源順は過去に観ているので、これで「佐竹本三十六歌仙絵」の内、30点を観たことになります。

詞・伝後京極良経、絵・伝藤原信実 「佐竹本三十六歌仙絵 素性法師」(重要文化財)
鎌倉時代・13世紀 個人蔵

「佐竹本三十六歌仙絵」は絵を藤原信実、詞書を後京極良経とされていますが、あくまでも伝承で、特に絵は複数の絵師が関わっているといわれています。佐竹本以外にも本展では歌仙絵がいくつか展示されていて、結構な割合で藤原信実筆というのを目にするのですが、筆致に共通性はあまり見られなかったりします。それだけ信実が当時評価されていたということなんでしょうね(信実は「北野天神縁起絵巻(承久本)」の筆者ともされている絵師)。書のことはよく分かりませんが、後京極良経の書はお世辞にも流麗とは言えないと思ったのは内緒(笑)。

絵はそれぞれ詠歌に込められた作者の心情などが反映されているというようなことが解説にあったのですが、そこまでの深読みは素人にはなかなか難しいのが正直なところ。鎌倉時代の絵画によく見る似絵ですが、顔の表情というより、平安貴族の装束やその文様、下を向いていたり後ろ姿だったりという、全体のムードやちょっとした仕草が繊細に描かれていて、その点ではいろいろ比較しては楽しんでいました。

詞・伝後京極良経、絵・伝藤原信実 「佐竹本三十六歌仙絵 藤原高光」(重要文化財)
鎌倉時代・13世紀 逸翁美術館蔵

佐竹本の他にも「上畳本三十六歌仙絵」や「時代不同歌合絵」などさまざま歌仙絵が出ているのですが、佐竹本より同じ伝・信実筆の「上畳本三十六歌仙絵」の方が人物表現が細やかで、表情や仕草にも個性があって、どちらかというと個人的には好みでした。佐竹本では女性歌人は(わたしの行った日は)小野小町しか観られなかったのですが、「後鳥羽院本三十六歌仙絵」では小大君と伊勢と中務が出ていて、少し丸みを帯びた顔も可愛らしく、ちょっと素朴絵っぽい雰囲気もあって面白い。表具がまた華麗。

出光美の『歌仙と古筆』展では俵屋宗達の「西行物語絵巻」が出てましたが、こちらは鎌倉時代のオリジナルが、今は徳川美術館と文化庁に分蔵されている2巻とも出品されていて感動しました。人々の表情や屋敷内の様子も細かく丁寧に描かれてる一方、山や樹木の描写が当時のやまと絵に比べるとちょっと個性的なのが印象的でした。

詞・伝藤原為家、絵・伝藤原信実 「上畳本三十六歌仙絵 藤原仲文」
鎌倉時代・13世紀 個人蔵

江戸時代の歌仙絵は屏風が3点のみで、ちょっとあっけない。やまと絵の土佐光起と京狩野の狩野永岳は完全に装飾で、歌仙絵も様式化されていますが、その中で其一はユーモラスで楽しい。狩野探幽や岩佐又兵衛の歌仙絵も出てれば、より充実したものになったのにと思ったりもしました。

 鈴木其一 「三十六歌仙図屏風」
江戸時代・19世紀 個人蔵


【流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美】
2019年11月24日まで
京都国立博物館にて



古今和歌集 (岩波文庫)

2019/11/16

福美コレクション展

京都・嵐山に先月新しくオープンした福田美術館に行ってきました。

嵐山は観光客で混んでるし行きたくないなと思ったのですが、コレクション展のラインナップを観たら、これは行かなくてはいけないだろうなと思い、十数年ぶりに嵐山へ。

嵐山のお土産屋さんが並ぶメインの通りは原宿の竹下通りか鎌倉の小町通りかというぐらい混んでるので、裏道を通っていくのをお薦めします。美術館は嵐山屈指の観光名所、渡月橋のすぐそば。人気のアラビカ京都嵐山に隣接した桂川沿いにあります。超絶いい場所。

これだけの土地、どれだけのお金があれば買えるんだろうとは野暮な話ですが、福田美術館のオーナーは消費者金融大手・アイフルの創業者の方。つまり私設美術館なんですね。「京都という土地に対して、恩返しがしたい」という思いから美術館を設立したといいます。

所蔵点数は約1500点。琳派から円山・四条派、京都画壇など京都に馴染みの深い近世・近代日本画の作品が多くあるようです。で、今回の『福美オールスターズ』と題したコレクション展は、その膨大なコレクションの中から選りすぐりの作品、日本画は75点(2期計)、洋画は7点(展示替えなし)が2期に分けて公開されるわけですが、噂には聞いてましたが、いやーこんなに優品揃いとは思いませんでした。

[写真右] 竹内栖鳳 「金獅図」 明治39年(1906)
[写真左] 竹内栖鳳 「猛虎」 昭和5年(1930)

まずは受付。事前にオンラインチケットの購入がオススメです。受付でチケットを購入するより割引になってます。音声ガイドはスマートフォンを持っていれば、無料。作品リストの裏面には音声ガイドに利用方法が書いてあります。イヤホンのレンタルは有料なので、イヤホンは忘れずに持って行きましょう。

2階は明治から昭和初期にかけての近代日本画。展示室内に入ってすぐ目に飛び込んでくるのが竹内栖鳳の獅子と虎。いきなりインパクトのある栖鳳の写実に目が釘付けです。獅子の迫力も凄いけど、正面から虎をリアルに描いた観察力に感服します。

横山大観 菱田春草 「竹林図・波濤図」 明治40年(1910)頃

[写真右] 菱田春草 「梅下白猫」 明治36年(1903)
[写真左] 菱田春草 「春庭」 明治30年代(1897-1906)

隣には竹林に淡い青を刷き、靄の中にも奥行きを感じさせる大観の「竹林図」と、波が打ちつける荒磯にこちらも青色を効果的に使った「波濤図」。大観らしい雲海に浮かぶ富士の屏風を挟んで、ここにも春草の掛軸が2点。水墨も良いですが、春草の彩色の清新な美しさはまた格別ですね。特に「春庭」の若草の緑から春の陽光へと変わるグラデーションの綺麗なこと。朦朧体に印象的な色彩を用いることにより独自のスタイルを築いた春草らしい逸品です。

木島櫻谷 「遅日」 大正15年(1926)

とても印象的だったのが木島櫻谷の対幅の「遅日(ちじつ)。比較的大きな掛軸で、墨一色なのに非常に繊細にグラデーションをつけることで、モノトーンの独特の色合いが柔らかさと深みを与え、他にない新しい水墨の世界を創り出すことに成功しています。

[写真右] 上村松園 「軽女悲離別図」 明治33年(1900)
[写真左] 上村松園 「長夜」 明治40年(1907)

松園が2点。行灯のもと読書に夢中の若い娘と灯芯を上げて明るくしてあげる年上の女性を描いた「長夜」。髪型や着物を描き分けることで二人の女性の年齢や性格を表しています。「軽女悲離別図」は赤穂浪士・大石良雄と愛妾・お軽の別れを描いた一枚。いずれも松園初期の作品で、後年の美人画と異なり、作品に物語性があるのが個人的には好きなところ。

そばには速水御舟の巨大な「山頭翠明」。いわゆる群青中毒にかかっていた頃の作品と思われますが、別にこんなに大きく描く意味なかったでしょ…というところがあって、なんだなかなーという感じ(笑)。

六曲一双の大きな屏風で写真に収まりきらなかったのですが、橋本関雪の「後醍醐帝」が素晴らしかった。右隻に尊氏、左隻に女性の格好(よく見ると髭がある!)をして御所を抜け出す後醍醐帝を描いていて、その緊張感のある構図もさることながら、人物表現の巧さ、馬の丁寧な描きこみ、鎧の精緻な描写など見れば見るほど唸るばかり。長く所在不明だったものが近年発見され、107年ぶりに公開されたのだそうです。

[写真右から] 竹久夢二 「秘薬紫雪」 昭和3年(1928)頃
「切支丹波天連渡来之図」 大正3年(1914)、「待宵」 大正元年(1912)頃、「庭石」 昭和6年(1931)頃

近代日本画の最後は竹久夢二の肉筆画がずらり。福田美術館は夢二のコレクションでも国内有数なのだとか。個人的に夢二はそれほど好きではないのですが、こうした掛軸の夢二もなかなか雰囲気があっていいですね。

俵屋宗達 「益田家本 伊勢物語図色紙 第二段 西の京」 江戸時代・17世紀

さて、ひとつ上の階は江戸絵画。いきなり宗達芸術を代表する「伊勢物語図色紙(益田家旧蔵本)」があってビックリ。状態も良く、小さな画面に凝縮された構図のまとまりと金地の濃密な色彩に見惚れてしまいました。

隣には尾形乾山の珍しい歌仙絵「三十六歌仙絵 伊勢」。乾山らしいおおらかで愛嬌のある歌仙絵ですが、十二単が実に丁寧に描かれていて、実はとても繊細な作品でした。その隣には光琳の「十二ヶ月歌意図屏風」も。

深江芦舟 「草花図屏風」(重要文化財) 江戸時代・18世紀前半

琳派では深江芦舟の「草花図屏風」も印象的。芦舟というと「蔦の細道図屏風」が有名ですが、出光美術館で以前見た「四季草花図屏風」が斬新で殊の外素晴らしかったのですが、この「草花図屏風」もどこか幻想的な草花の美しさで、宗達や光琳ともまた違う装飾性が目を引きます。

[写真右] 曽我蕭白 「荘子胡蝶之夢図」 安永年間(1772ー1781)
[写真左] 長沢芦雪 「薬玉図」 天明8年(1788)

若冲があって、応挙があって、蘆雪があって、蕭白があって、つくづく良い作品を持ってるな〜と感心。蕭白の「荘子胡蝶之夢図」の胡蝶の夢を見てるのか荘子の眠る姿がほのぼのとしてかわいい。

呉春 「三羅漢図」 天明3年(1783)

こちらにも呉春。退色してるのか色が少し薄めでしたが、とても細かに描きこまれていて、アクの強い羅漢の表情も良い。象が並んだ表装裂もユニーク。

隣には呉春の師・蕪村のなんだかとても豪華な屏風が。よく見ると一般的な絹本ではなく高価な絖(ぬめ)絹に描かれていて、蕪村のいわゆる屏風講時代の作品だと分かります。絖の屏風に描きたいという蕪村の希望を叶えるため、弟子たちが屏風講を組んで資金を集めたという逸話が残されていて、この作品もいつになく緻密な筆致と鮮やかな色彩で、人物も実に丁寧に描かれています。

与謝蕪村 「茶筵酒宴図屏風」 明和3年(1766)

伊藤若冲 「群鶏図押絵貼屏風」 寛政9年(1797)

今回最も驚いた作品のひとつが筋目描きも見事な若冲の「群鶏図押絵貼屏風」。若冲の群鶏図の屏風はいくつか観ていますが、本作が特徴的なのは各扇の構図が極めて似通っているのと、雌鶏が描かれているものはあるものの雛や蔬菜など余計なものは一切描かれず、ほぼ雄鶏が大きくクローズアップされていること。パターン化されているとはいっても、濃淡使い分けた巧みな筆さばきで鶏のさまざまな姿態を描いていて、見飽きることはありません。家に帰って過去の若冲の展覧会の図録をひっくり返して調べたら、千葉市美の『若冲アナザーワールド』や山種美術館の『ゆかいな若冲・めでたい大観』に出品された個人蔵のものと同じでした。その図録によると左隻第六扇と他の11図では制作された時期が異なるとありました。

来年3/20からは『若冲誕生-葛藤の向こうがわ』という企画展を開催するそうで、どんな若冲作品が出てくるのか、今から楽しみです。

[写真右から] 勝川春章 「桜下美人図」 安永9年〜天明2年(1780ー1782)
歌川広重 「美人と猫図」 安政4年(1857)、葛飾北斎 「砧美人図」 文化8年〜文政3年(1811ー1820)

最後に肉筆浮世絵。春章、広重、北斎。特に北斎「墨堤三美人図」がいいですね。着物の表現がとても繊細。

葛飾北斎 「墨堤三美人図」 文化年間(1804-1818)

同じ階には桂川沿いの展望室を兼ねた展示スペースがあり、こちらには西洋画が展示されていました。数は多くありませんでしたが、モネやマティス、ローランサンなどが展示されています。2階にはカフェもあって、嵐山の風景を眺めながらゆっくりできるのでこちらもオススメです。

福田美術館のコンセプトが「100年続く美術館」だそうで、これかもコレクションは増えていくんでしょうね。嵐山は混むからこれまで避けてましたがが、今後来る機会が増えそうな気がします。


【開館記念 福美コレクション展】
[Ⅰ期] 2019年10月1日(火)~11月18日(月)
[Ⅱ期] 2019年11月20日(水)~2020年1月13日(月・祝)
福田美術館にて



和樂(わらく) 2019年 10 月号 [雑誌]

2019/11/10

画家「呉春」 − 池田で復活(リボーン)!

大阪・池田の逸翁美術館で開催中の『画家「呉春」 − 池田で復活(リボーン)!』に行ってきました。

呉春の名をカタカナで表した意表をつく発想と『ゴジラ』を思わせるユニークなフォントのインパクト。呉春の展覧会がここまで話題を集めたことはなかったのではないでしょうか。

春に『四条派のへの道 呉春を中心として』を観て、夏に『円山応挙から近代京都画壇へ』を観て、つい先日『桃源郷展 − 蕪村・呉春が夢みたもの』を観て、今までこんなに呉春に触れたことがあっただろうか、というぐらいに呉春づいています。

今年は呉春の生誕や没後のキリのいい年でもないのに何でこんなにあちこちで呉春を観られるのでしょうか。ここ数年の近代京都画壇の再評価の中で、四条派の祖である呉春にも注目が集まっているのかもしれません。とにもかくにもこれだけ呉春をまとめて観られるというのは嬉しいことです。

さて、そのゴシュンこと呉春は30歳の終わりから7年あまり池田で活動した所縁の深い画家ということで、池田の逸翁美術館は呉春コレクションがとても充実しています。本展は呉春の、いわゆる池田時代の作品を中心に展示していて、呉春にとって池田の地がいかに転機となり飛躍していったのか、その画業の変遷を追うという内容になっています。

呉春 「寒山孤鹿・観月人物図」
天明年間(1781〜1788) 逸翁美術館蔵

呉春が池田に移り住んだのは天明元年(1781年)。呉春はこの年、里から戻る途中の妻を海難事故で亡くし、父を仕事先の江戸で亡くします。妻と父を相次いで亡くし憔悴した呉春に池田の地を勧めたのは師・蕪村だといいます。その頃に描かれたとされる「朱買臣図」が最初に展示されていました。比較的大きめの軸いっぱいに描かれた薪を背負い本を読む朱買臣。朱買臣は妻に愛想を尽かされ離縁してしまうのですが、読書に没頭する朱買臣に、絵に打ち込む呉春の姿が重なるようです。

呉春 「寒林落日図」
天明年間(1781〜1788) 逸翁美術館蔵

蕪村は呉春のことを、篤実な人物で絵は並ぶ者がいないと言いベタ誉めだったといいます。呉春も蕪村から学んだものはとても大きかったようで、「松上仙人図」や「寒山孤鹿・観月人物図」などは蕪村の南画に通じる味わいがありますし、「寒林落日図」の木々に群がる鴉も蕪村を意識しているんだろうと思います。黄石公が張良に兵書を授ける「張良・黄石公図」の二人の顔の近さや、酒に酔った馬上の杜甫と従者を描く「酔杜馬上図」の師を支える従者の優しさなどからは、師・蕪村と呉春の関係が重なって見えてきたりもします。そんな蕪村も呉春が池田に移って2年後に亡くなります。

池田時代の呉春作品には蕪村を思わせる柔らかな皴法が見られますが、「松上仙人図」や「松林渓流図」など松葉や樹木の葉を色の薄い絵具で面取りし薄墨の線で形付けていく描き方は池田時代の呉春の特徴でもあるそうで、呉春らしさもこの頃形成されていったようです。

呉春「牛若丸句画賛」
天明年間(1781〜1788) 逸翁美術館蔵

機知に富んだ軽妙な味わいだったり、肩の力の抜けた即興的な作品も呉春の魅力のひとつ。蕪村にももちろんそうした作品はありましたが、蕪村があくまでも俳画の延長線だとしたら、呉春は職業画人的な巧さがあります。高士が小舟の上から無理な姿勢で梅の枝を折ろうとする「梅渓山水図」、少ない筆致でさらっと描いた「青鷺画賛」、牛若丸が大天狗との別れを惜しむ「牛若丸句画賛」、自作の句と一緒に季節々々の風物・風俗をユーモラスに描いた「十二か月京都風物句図巻」など、呉春の面白さだなと感じます。

呉春 「白梅図屏風」(重要文化財)
寛政元年〜2年(1789〜1790)頃 逸翁美術館蔵

蕪村の死後、呉春は応挙に急激に近づきます。応挙を特徴づける付立や外隈で表現した作品、また鶴や雪の積もった松など応挙的なモチーフなども散見されます。席画でしょうか、応挙と呉春の合作もありました。

その池田時代の集大成とも、呉春の最高傑作とも呼ばれるのが「白梅図屏風」。独特の浅葱色の背景が空の白む夜明けを演出してるかのようで、墨の濃淡やかすれは朝靄に包まれたような幻想的な雰囲気を作り出し、とても味わい深いものがあります。地の浅葱色に染められた粗めの布は絹ではなく葛布を染めたものとされていたが、芭蕉布の可能性が近年高まっていると解説されていました。

「白梅図屏風」は応挙と梅見に行った際のスケッチをもとにしたともいわれ、応挙の「雪松図屏風」や「藤花図屏風」を彷彿とさせる構図と空間、幹や枝の付立描法など応挙の影響を強く感じさせます。一方で背景を染めた夜の表現はどこか蕪村の「夜色楼台図」を彷彿とさせます。蕪村の辞世の句「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」との関連も指摘されていました。

円山応挙・呉春 「蕉葉雷神図」
寛政元年〜7年(1789〜1795)頃 逸翁美術館蔵

蕪村の抒情性に応挙の写生を取り入れた呉春の画風は後に四条派と呼ばれ、明治に入ってからの京都画壇では四条派(もしくは影響を受けた)の画家たちが軒並み活躍します。会場の解説パネルに、「応挙由来の写生は本草学や解剖学など実証主義的な学問が普及するにつれ、写生的な描写は基礎的なものになり目新しさが感じられなくなったが、四条派は写生的な描写の中に抒情的な要素も含まれ新しい時代の要請に応えることができた」とあり、近代京都画壇で四条派が主流となった理由として一番納得できた気がします。

コラム的な解説パネルは会場の所々にあって、これが呉春を理解する上でとても役立ちました。師・蕪村や池田の人々との交流も語られ、呉春の妻や父の相次ぐ死、そして蕪村の死、呉春がどういう思いで池田で過ごしたのかも伝わってきます。


【2019展示Ⅳ 池田市制施行80周年記念 画家「呉春」─池田で復活(リボーン)!】
逸翁美術館にて
2019年12月8日(日)まで



応挙・呉春・蘆雪―円山・四条派の画家たち