さて、今年、生誕100年を迎えた岡本太郎の回顧展に行ってきました。テレビのニュースなどを見ていると、のんびり映画を観たり、 本を読んだりという気分でもなく、また集中力もなく、 かといって、家でテレビを見ているのもいたたまれず、 とりあえず外に出ようと思いました。
いま、若い人たちの間では岡本太郎が“ブーム”なのだと、展覧会を紹介する雑誌記事で読んだのですが、その真偽はともかく、確かに館内は年輩の方の姿より、圧倒的に若い人たちが多かったようです。
幼い頃、大阪万博へ行った父親がお土産に買って来た“太陽の塔”のミニチュアが家にあって、「芸術は爆発だ!」のCMもよく覚えてる自分なんかは岡本太郎を知る最後のリアル世代だと思うのですが、それでもバラエティ番組に出てたイメージが邪魔をして、岡本太郎を“ちょっと変わった芸術家”ぐらいにしか思ってなかった気がします。でも、この展覧会は、そんな偏見を一瞬で払拭してしまうパワーに溢れていました。岡本太郎が亡くなって15年。彼の芸術家としての姿を再評価する波が本当に来ているんだなと実感します。
さて、会場に入ると、いきなりの岡本太郎ワールドにちょっと面食らいます。生きものとも精霊とも区別のつかない異形の不思議なオブジェ(彫刻)が左右に並び、見学者を出迎えてくれます。
「ノン」
この“プロローグ”の最後に登場するオブジェが両手を前に突き出し、「ノン!(ダメ!)」と拒否しています。このオブジェが象徴するように、この展覧会はさまざまなものを拒否し、対決してきた岡本太郎の芸術家としての生き様を7つの章に分けて紹介しています。
「傷ましき手」
パリでピカソの絵に出会い、大きな衝撃を受け、抽象画でもない、シュールレアリスムでもない、抽象かつ具象という独特の世界を造りだした岡本太郎。戦後、日本の“キレイ”な美術界に反発し、沖縄や東北の民俗に刺激を受け、さらに新しいステージへ上がっていきます。こうして観ていくと、岡本太郎って、常に反発と爆発を繰り返し、それをエネルギーへと換えていくというものすごいパワーを持った人だったんだなと痛感します。
「重工業」
なんで長ネギがあるんだろうかと、絵から意味を見つけようと考えることすら、岡本太郎は拒否します。そんなのはただの野暮。「何だこれは!」でいいんです。
「森の掟」
戦争の恐ろしさを伝え、人を愛し、愛を語る。 岡本太郎がもし生きていたら、この大震災をどう描いただろうかと、ふと思いました。
「燃える人」
「クリマ」
この規模での回顧展は没後初めてなのだそうですが、岡本太郎という芸術家のことを知るためにはこの2倍、3倍の場所が必要だったかもしれません。それほどまでに「もっと観たい」と思わせるものがありました。あらためて岡本太郎のスケールの大きさに圧倒された展覧会でした。
「エピローグ」には岡本太郎のメッセージが壁一面に飾られています。力強いメッセージ、前向きなメッセージ、とても力をもらえます。出口ではもれなく“太郎のことば”がもらえますので、お忘れなく。
【生誕100年 岡本太郎展】
国立近代美術館にて
5/8(日)まで
今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社知恵の森文庫)
岡本太郎新世紀 (別冊太陽 日本のこころ)