新橋演舞場で公演の五月花形歌舞伎の夜の部・通し狂言『椿説弓張月』を観てまいりました。
『椿説弓張月』は、江戸時代の曲亭馬琴の同名原作をベースに歌舞伎用に書き下ろした作品で、三島由紀夫が手がけた6本の新作歌舞伎の内、最後に発表したものだそうです。曲亭馬琴の原案と三島独自の翻案がどのあたりがどうなのかよく分かりませんが、随所に三島っぽさを感じるお芝居でした。この翌年、三島は自決します。
初演は昭和44年で、主役の源為朝を初世松本白鸚、白縫姫と寧王女(ねいわんにょ)を坂東玉三郎が演じています。もともと松本白鸚をイメージして書いた芝居とも言われ、また玉三郎は三島のお気に入りの女形ですから、相当三島の息のかかった芝居だったのでしょう。本公演では為朝を白鸚の孫・市川染五郎、白縫姫と寧王女を中村七之助が演じています。
大河ドラマの『平清盛』でもほぼ同時期に“保元の乱”が描かれ、為朝も強弓の名手として登場していましたが、その“保元の乱”で父・為義(崇徳上皇側)につき、流された大島から物語は始まります。舞台は大島から四国・讃岐、九州・肥後、そして沖縄へと移り、亡霊あり、烏天狗あり、怪魚あり、さらには荒れる海と巨大な舟ありと見どころ満載、歌舞伎のあらゆる技巧を凝らし大スペクタクルの冒険譚です。
染五郎は彼らしい品格と清々しさでもって、誇り高き孤高の武将を演じていました。伝承で知る為朝はどちらかというと、大河ドラマの『平清盛』の為朝(橋本さとし)のような猛々しいイメージなので、染五郎はちょっとどうかなと思っていましたが、武士らしい風格で人としての大きさを出そうと試みようとしていたように思います。七之助も難しい役どころですが、玉三郎から直々に教えを請うたそうで、女だてらに猛者を従える芯の強さと姫の気品と美しさが出ていて非常に良かったと思いました。
そのほか、高間太郎に愛之助、その妻・磯萩に福助、為朝の妻・簓江に芝雀、紀平治太夫に歌六、崇徳上皇の霊と阿公(くまぎみ)の二役に翫雀、生々しい切腹が話題の武藤太に薪車、さらには鷹之資、獅童、松也など、花形歌舞伎らしい豪華な面々(花形でない人もちらほら混じってますが)。染五郎と七之助は平成中村座との掛け持ちで体力的にさぞ大変だったと思います。これも花形だからこその人気と体力あってでしょう。
今回の舞台は初演をできるだけ忠実に再現したそうで、染五郎自身も「テンポや、長さ、言葉などを今の時代に合わせることは必要かもしれない」と語っています。確かに、見せ場が多く展開も激しい割には、もたつくような妙な“間”があったり、せっかくの流れが幕の変わり目で途切れてしまったりと、もう少し改善の余地はあるなと観ていて何度も感じました。テンポが改善され、スピード感が増せば、さらに染五郎らしさも出てくるだろうと思うし、さらに染五郎なりの為朝を作り上げてくれば、もっともっと面白くなることでしょう。
なかなかかからない芝居のようで、今回の上演も10年ぶりとのこと。次はいつ観れるのやらと思いますが、ぜひ染五郎の代表作と呼べるようなエンタテイメントな歌舞伎にしてほしいと思います。それだけのストーリーとキャラクターと見せ場が揃ってるので、このまま“なかなかかからない芝居”にしてしまうのはとてももったいないなとも思いました。
決定版 三島由紀夫全集〈25〉戯曲(5)
2012/05/27
2012/05/12
セザンヌ パリとプロヴァンス
国立新美術館で開催中の『セザンヌ パリとプロヴァンス』を観てきました。
展示作品は、フランスのオルセー美術館やパリ市立プティ・パレ美術館をはじめ、世界8ヶ国、約40館から集められ、これまで国内で開催されたセザンヌ展としては過去最大級の規模なのだとか。いま同じ国立新美術館では『エルミタージュ美術館展』も開催中ですが、そのエルミタージュ美術館からも何点かこちらに出展されています。
セザンヌといえば印象派を代表する画家の一人。でも、モネやルノワールといった同時代の印象派の画家たちが活躍したいた頃は全く評価をされなかったんですね。60歳を過ぎてパリで開いた個展で注目を集めた、どちらかというと遅咲きの画家なんだそうです。
この展覧会では、不遇の時代を送った初期の作品と、独自の構築的筆致を完成させた最晩年の作品をそれぞれ最初と最後に配置し、その間の作品を、セザンヌが得意とした風景画や静物画などのカテゴリーに分けて展示しています。
1章 初期
セザンヌは南フランスの裕福なブルジョアに生まれ、親に命じられるまま、法律とか学んでいたんですね。結局、画家になる夢を捨てられず、23歳でパリへ。でも順風とはいかなかったようです。
初期のセザンヌはとにかく色調が暗い。そしてとても厚塗り。静物画などを見るとデッサン力は相当あったみたいですが、この頃はまだ、いわゆるセザンヌらしさは微塵もありません。やがて印象派がセザンヌに大きな変化をもたらします。それでもサロンには10年以上落選。酷評にさらされながらも独自の表現を探求していきます。
2章 風景
印象派の影響を受け、色彩に目覚めたセザンヌ。しばらくパリと故郷エクス=アン=プロヴァンスを行き来しながらの活動が続きますが、やがて太陽の光に溢れたプロヴァンスに腰を落ち着けます。明るい陽光が差す長閑な田舎の風景と、今にも芽吹かんとする樹木。パリにはない自然の息吹を感じさせる一枚です。この頃になると、ようやくセザンヌらしくなってきます。
ちなみに、展示会場の作品パネルは、パリで描いた作品は作品名に青い下線が、プロヴァンスで描いた作品は作品名にオレンジの下線が引かれていて、どちらで制作された作品なのか分かるようになっています。
サントヴィクトワール山はセザンヌの風景画の最も重要なモティーフ。ブリヂストン美術館の『あなたに見せたい絵があります』にもサントヴィクトワール山の絵が展示されていましたが、セザンヌはこの山を生涯80枚あまり描いたそうです。70年代の頃のセザンヌの風景画にはまだ古典的な牧歌的風景画の要素が見られますが、80年代も半ばを過ぎると色や形が単純になり、より感覚でとらえようとしていたことが分かります。
3章 身体
晩年に力を入れていたもう一つのテーマが身体表現の探求。静物画や風景画が年代とともに変化していったように、水浴図もだんだんと肉体は大まかに描かれ、表情などはどうでもいいと言わんばかりに、色の組み立てと構図の配置を追求していきます。「3人の水浴の女たち」はセザンヌの作品の中でも大きな作品とのことで、マティスが長く所有していた絵なんだそうです。
4章 肖像
セザンヌの描く肖像画は、いわゆる一般的な肖像画のイメージではなく、まるで静物画のように肖像画を描いているといいたくなるような、そんな雰囲気を感じさせます。セザンヌは妻オルタンスをモデルに数十枚の肖像画を描いたそうです。でも、愛する妻を描いた割には表情がパッとしません。解説によると、セザンヌは装飾や心理的表現を意図的に省略したといいます。それよりも色を大胆に配置し、色彩が響き合う効果をどう見せるかの方に興味があったのでしょう。
5章 静物
初期は写実的だった静物画も、だんだんと、遠近感や具象性を無視した自由な構図や豊かな色彩の調和を重視してきていることが作品を観ていて分かります。壁の色と花瓶の色とアイリスの花の色が同系色なのに、それぞれの質感がちゃんと伝わる表現力の見事さ。絶妙な視覚的な心地よさを有しています。
「りんごとオレンジ」はセザンヌ60歳のときの作品で、静物画の最高傑作といわれています。傾いた長椅子と水平のりんご、大胆な布の配置という複雑な画面構成。セザンヌの静物画は、複数の、ゆがめられた多角的な視点から描いていることがよく語られますが、自分の理想のアングルを探すうちに、どんどんと独自のバランス感覚が発展していったのだろうなと感じました。
6章 晩年
セザンヌの制作意欲は老いても衰えず、自然の複雑な様相を好んで探求し、さながら抽象画のような作品を創りあげています。初期の頃はあんなに厚塗りだった絵も、晩年になるとまるで水彩画のように薄塗りの軽いタッチになっていきます。ときには、絵の具を塗らず下地を残し、塗り残したところに温かさを出そうとしたといいます。晩年のコーナーは3作品だけの展示でしたが、最晩年に描いた「サント=ヴィクトワール山」の色彩の織物のような軽やかな質感と、「庭師ヴァリエ」の爽やかな季節の心地よさが伝わってくるような色彩のハーモニーがとても印象的でした。
セザンヌはピカソやブラックなどキュビズムに大きな影響を与えたといわれています、特に晩年の作品を観ていると、セザンヌの絵画に対する革新的な狙いがよく分かります。でも、たとえセザンヌの絵が抽象絵画を予告していたとしても、ピカソらキュビズムのような不均衡さからくる視覚的心地悪さをセザンヌからは感じません。絶妙なバランスを保った心地よさ、豊かさがセザンヌの良いところなんだと思います。
【国立新美術館開館5周年 セザンヌ パリとプロヴァンス】
2012年6月11日(月)まで
国立新美術館にて
ユリイカ2012年4月号 特集=セザンヌにはどう視えているか
もっと知りたいセザンヌ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
セザンヌの食卓 いろとりどりの林檎たち
展示作品は、フランスのオルセー美術館やパリ市立プティ・パレ美術館をはじめ、世界8ヶ国、約40館から集められ、これまで国内で開催されたセザンヌ展としては過去最大級の規模なのだとか。いま同じ国立新美術館では『エルミタージュ美術館展』も開催中ですが、そのエルミタージュ美術館からも何点かこちらに出展されています。
セザンヌといえば印象派を代表する画家の一人。でも、モネやルノワールといった同時代の印象派の画家たちが活躍したいた頃は全く評価をされなかったんですね。60歳を過ぎてパリで開いた個展で注目を集めた、どちらかというと遅咲きの画家なんだそうです。
この展覧会では、不遇の時代を送った初期の作品と、独自の構築的筆致を完成させた最晩年の作品をそれぞれ最初と最後に配置し、その間の作品を、セザンヌが得意とした風景画や静物画などのカテゴリーに分けて展示しています。
1章 初期
セザンヌは南フランスの裕福なブルジョアに生まれ、親に命じられるまま、法律とか学んでいたんですね。結局、画家になる夢を捨てられず、23歳でパリへ。でも順風とはいかなかったようです。
初期のセザンヌはとにかく色調が暗い。そしてとても厚塗り。静物画などを見るとデッサン力は相当あったみたいですが、この頃はまだ、いわゆるセザンヌらしさは微塵もありません。やがて印象派がセザンヌに大きな変化をもたらします。それでもサロンには10年以上落選。酷評にさらされながらも独自の表現を探求していきます。
「砂糖壺、洋なし、青いカップ」
1865-70年 グラネ美術館蔵(オルセー美術館より寄託)
1865-70年 グラネ美術館蔵(オルセー美術館より寄託)
2章 風景
印象派の影響を受け、色彩に目覚めたセザンヌ。しばらくパリと故郷エクス=アン=プロヴァンスを行き来しながらの活動が続きますが、やがて太陽の光に溢れたプロヴァンスに腰を落ち着けます。明るい陽光が差す長閑な田舎の風景と、今にも芽吹かんとする樹木。パリにはない自然の息吹を感じさせる一枚です。この頃になると、ようやくセザンヌらしくなってきます。
ちなみに、展示会場の作品パネルは、パリで描いた作品は作品名に青い下線が、プロヴァンスで描いた作品は作品名にオレンジの下線が引かれていて、どちらで制作された作品なのか分かるようになっています。
「首吊りの家、オーヴェール=シュル=オワーズ」
1873年 オルセー美術館蔵
1873年 オルセー美術館蔵
サントヴィクトワール山はセザンヌの風景画の最も重要なモティーフ。ブリヂストン美術館の『あなたに見せたい絵があります』にもサントヴィクトワール山の絵が展示されていましたが、セザンヌはこの山を生涯80枚あまり描いたそうです。70年代の頃のセザンヌの風景画にはまだ古典的な牧歌的風景画の要素が見られますが、80年代も半ばを過ぎると色や形が単純になり、より感覚でとらえようとしていたことが分かります。
「サント=ヴィクトワール山」
1886-87年 フィリップス・コレクション蔵
1886-87年 フィリップス・コレクション蔵
3章 身体
晩年に力を入れていたもう一つのテーマが身体表現の探求。静物画や風景画が年代とともに変化していったように、水浴図もだんだんと肉体は大まかに描かれ、表情などはどうでもいいと言わんばかりに、色の組み立てと構図の配置を追求していきます。「3人の水浴の女たち」はセザンヌの作品の中でも大きな作品とのことで、マティスが長く所有していた絵なんだそうです。
「3人の水浴の女たち」
1876-77年頃 パリ市立プティ・パレ美術館蔵
1876-77年頃 パリ市立プティ・パレ美術館蔵
4章 肖像
セザンヌの描く肖像画は、いわゆる一般的な肖像画のイメージではなく、まるで静物画のように肖像画を描いているといいたくなるような、そんな雰囲気を感じさせます。セザンヌは妻オルタンスをモデルに数十枚の肖像画を描いたそうです。でも、愛する妻を描いた割には表情がパッとしません。解説によると、セザンヌは装飾や心理的表現を意図的に省略したといいます。それよりも色を大胆に配置し、色彩が響き合う効果をどう見せるかの方に興味があったのでしょう。
「赤いひじ掛け椅子のセザンヌ夫人」
1877年頃 ボストン美術館蔵
1877年頃 ボストン美術館蔵
5章 静物
初期は写実的だった静物画も、だんだんと、遠近感や具象性を無視した自由な構図や豊かな色彩の調和を重視してきていることが作品を観ていて分かります。壁の色と花瓶の色とアイリスの花の色が同系色なのに、それぞれの質感がちゃんと伝わる表現力の見事さ。絶妙な視覚的な心地よさを有しています。
「青い花瓶」
1889-90年 オルセー美術館蔵
1889-90年 オルセー美術館蔵
「りんごとオレンジ」はセザンヌ60歳のときの作品で、静物画の最高傑作といわれています。傾いた長椅子と水平のりんご、大胆な布の配置という複雑な画面構成。セザンヌの静物画は、複数の、ゆがめられた多角的な視点から描いていることがよく語られますが、自分の理想のアングルを探すうちに、どんどんと独自のバランス感覚が発展していったのだろうなと感じました。
「りんごとオレンジ」
1899年頃 オルセー美術館蔵
1899年頃 オルセー美術館蔵
6章 晩年
セザンヌの制作意欲は老いても衰えず、自然の複雑な様相を好んで探求し、さながら抽象画のような作品を創りあげています。初期の頃はあんなに厚塗りだった絵も、晩年になるとまるで水彩画のように薄塗りの軽いタッチになっていきます。ときには、絵の具を塗らず下地を残し、塗り残したところに温かさを出そうとしたといいます。晩年のコーナーは3作品だけの展示でしたが、最晩年に描いた「サント=ヴィクトワール山」の色彩の織物のような軽やかな質感と、「庭師ヴァリエ」の爽やかな季節の心地よさが伝わってくるような色彩のハーモニーがとても印象的でした。
「庭師ヴァリエ」
1906年頃 テート蔵
1906年頃 テート蔵
セザンヌはピカソやブラックなどキュビズムに大きな影響を与えたといわれています、特に晩年の作品を観ていると、セザンヌの絵画に対する革新的な狙いがよく分かります。でも、たとえセザンヌの絵が抽象絵画を予告していたとしても、ピカソらキュビズムのような不均衡さからくる視覚的心地悪さをセザンヌからは感じません。絶妙なバランスを保った心地よさ、豊かさがセザンヌの良いところなんだと思います。
【国立新美術館開館5周年 セザンヌ パリとプロヴァンス】
2012年6月11日(月)まで
国立新美術館にて
ユリイカ2012年4月号 特集=セザンヌにはどう視えているか
もっと知りたいセザンヌ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
セザンヌの食卓 いろとりどりの林檎たち
2012/05/09
毛利家の至宝 大名文化の精粋
サントリー美術館で開催中の『毛利家の至宝 大名文化の精粋』を観てきました。
サントリー美術館のある六本木ミッドタウンの5周年記念を兼ねた展覧会なのですが、なんで毛利家?と思ったら、六本木ミッドタウンって、もともと江戸時代は長州藩毛利家の下屋敷があった場所なんだそうですね。なるほど。
ちなみに、六本木ヒルズにも毛利庭園ってあるよね、と思い調べたら、あちらは毛利家の上屋敷があったのだそうな。毛利家が六本木を独占していたなんて、森ビルもビックリの大地主です。
さて、本展は山口県・毛利博物館の所蔵品を中心に、毛利家ゆかりの絵画・工芸の名品や貴重な史料などを展示。戦国時代の名将・毛利元就や豊臣五大老・毛利輝元ら毛利家の歴史を辿りつつ、そのゆかりの美術品を通して、戦国・江戸時代の文化の精粋に触れるというものです。
展覧会の構成は以下の通りです。
1. 戦国武将の雄 毛利元就から輝元まで
2. 「山水長巻」の世界 雪舟と水墨画
3. 受け継がれた美意識 毛利家の典籍と絵画
4. 暮らしにみる大名文化 婚礼調度と雛飾り
5. 能楽と茶の湯の世界 毛利家ゆかりの道具類
6. 毛利家と江戸麻布屋敷 近世から現代へ
最初のコーナーでは、毛利元就生前の姿を描いた「毛利元就公画像」や国宝「菊造腰刀」の刀身と豪華な拵(こしらえ)、甲冑武具などが展示されていますが、ここでの見ものは書状の数々。元就といえば、三人の息子に命じた“三本の矢”の逸話が有名ですが、その話の基になっているともいわれる「三子教訓状」や関ヶ原の戦いで毛利軍が石田三成側に就かないことを誓った「徳川家康誓紙(徳川家康起請文)」といった戦国時代の第一級の歴史的資料から、織田軍と戦をしたら隅々まで物資などが届けられるか、宇喜多は最後まで毛利氏に味方するかなど問題点を洗い出した「毛利氏織田信長和戦対策書」、織田の水軍を撃破したときの戦果報告書など毛利家の几帳面さを表す史料まで様々な文書が展示されています。普段、書状の類はあまり熱心に見ない自分ですが、どれも非常に面白く、興味深く拝見しました。
本展の目玉は、なんといっても室町時代の水墨画の巨匠・雪舟の「四季山水図(山水長巻)」の全長展示。東京での公開は10年前の東京国立博物館の『雪舟展』以来とのこと。『雪舟展』は大変な混雑でしたが、こちらはGWにも関わらず、もったいないぐらい空いてました。その分、張り付いてじっくり観られたのでよいのですが…。
「四季山水図(山水長巻)」は長さ約16メートル。雪舟67歳のときの作品だそうです。雪舟らしい力強い筆致の中にも墨の濃淡を巧みに使い分け、岩や樹の質感、河の流れの緩急、そして空気遠近法を利用した奥行き感を見事に表現しています。次々に変化する水辺や深山の景色、そこで暮らす人々の情景が実に丁寧に描きこまれています。ところどころに赤や青や緑がごく薄く塗られ、それがまた効果的に自然の美しさを引き立たせています。四季山水図なので春夏秋冬があるはずなのですが、自分の見る目のなさか、秋と冬は紅葉や雪山があることで分かるのですが、春と夏が判然としませんでした。もっと観察眼を養わなければと反省。それにしても、山水図の最高峰たる技術の高さに唸りっぱなしでした。
「四季山水図(山水長巻)」の模本も二点展示されていて、その内、毛利家の御用絵師・雲谷等顔の筆とされる模本は国宝に指定されています。ただ、人の顔の目や鼻はほとんど描かず簡素で、また岩肌や木々の描写も若干自己流な気がします。それに対し、狩野古信による「四季山水図」は雪舟の筆致を細かく再現していて、素人目には狩野古信の方が模本としては忠実に思えました。
第一展示室の最後のコーナーには、毛利家が所蔵する典籍と絵画が展示されています。「高野切」は「古今和歌集」の現存最古の写本で、全20巻の内、巻物として完存するのは3巻のみ。その一つ「巻八」が毛利家に伝わっています。仮名書道の最高峰といわれているそうで、字は読めませんが、流麗な筆跡が印象的でした。
そのほか、俵屋宗達の「西行物語絵巻」(重要文化財)(※ 展示は5/14まで)、頼山陽の「山水図」(※ 展示は5/7まで)、狩野芳崖の「福禄寿図」が特に印象に残りました。その中でも応挙の「鯉魚図」が白眉で、写実性の高さ、構図の素晴らしさといい、応挙の作品の中でもかなりの傑作の部類に入るのではと思います。真ん中は鯉が急流を登らんとする図ですが、ここを登りきった鯉は龍になるといわれ、「登竜門」という言葉の由来になっているそうです。
階段を降りて三階の第二展示室は、美術工芸品が中心。雛飾りや化粧道具などの調度品や豪華な着物、また能の面や香道具、茶道具なども多く展示されています。毛利輝元は千利休から茶の湯を習ったそうで、千利休が輝元に送った「一松」という茶杓もありました。
コーナーの最後には毛利家・江戸麻布屋敷の図面があり、現ミッドタウンとの位置関係も比較が歴史ファンには興味をそそるのではないでしょうか。ちなみにサントリー美術館のあるあたりには、女中が暮らす長局があったとのことです。「江戸麻布邸遠望図」は谷文晁の弟子・谷文二による作品で、現ミッドタウンから江戸城方面(左奥)や東京湾(右奥)を望んだ図。東京が起伏に富んだ地形だったことがよく分かります。
雪舟の「四季山水図」や戦国時代ファン必見の作品などが並んでいるにも関わらず、あまり混んでいないのが意外なのですが、サントリー美術館らしいクオリティの高さが光る展覧会でした。
【サントリー美術館・東京ミッドタウン5周年記念 -
毛利家の至宝 大名文化の精粋 国宝・雪舟筆「山水長巻」特別公開】
2012年5月27日まで
サントリー美術館にて
もっと知りたい雪舟―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
雪舟の「山水長巻」―風景絵巻の世界で遊ぼう (アートセレクション)
サントリー美術館のある六本木ミッドタウンの5周年記念を兼ねた展覧会なのですが、なんで毛利家?と思ったら、六本木ミッドタウンって、もともと江戸時代は長州藩毛利家の下屋敷があった場所なんだそうですね。なるほど。
ちなみに、六本木ヒルズにも毛利庭園ってあるよね、と思い調べたら、あちらは毛利家の上屋敷があったのだそうな。毛利家が六本木を独占していたなんて、森ビルもビックリの大地主です。
さて、本展は山口県・毛利博物館の所蔵品を中心に、毛利家ゆかりの絵画・工芸の名品や貴重な史料などを展示。戦国時代の名将・毛利元就や豊臣五大老・毛利輝元ら毛利家の歴史を辿りつつ、そのゆかりの美術品を通して、戦国・江戸時代の文化の精粋に触れるというものです。
展覧会の構成は以下の通りです。
1. 戦国武将の雄 毛利元就から輝元まで
2. 「山水長巻」の世界 雪舟と水墨画
3. 受け継がれた美意識 毛利家の典籍と絵画
4. 暮らしにみる大名文化 婚礼調度と雛飾り
5. 能楽と茶の湯の世界 毛利家ゆかりの道具類
6. 毛利家と江戸麻布屋敷 近世から現代へ
「毛利元就公画像」(重要文化財)
桃山時代 毛利博物館蔵
桃山時代 毛利博物館蔵
最初のコーナーでは、毛利元就生前の姿を描いた「毛利元就公画像」や国宝「菊造腰刀」の刀身と豪華な拵(こしらえ)、甲冑武具などが展示されていますが、ここでの見ものは書状の数々。元就といえば、三人の息子に命じた“三本の矢”の逸話が有名ですが、その話の基になっているともいわれる「三子教訓状」や関ヶ原の戦いで毛利軍が石田三成側に就かないことを誓った「徳川家康誓紙(徳川家康起請文)」といった戦国時代の第一級の歴史的資料から、織田軍と戦をしたら隅々まで物資などが届けられるか、宇喜多は最後まで毛利氏に味方するかなど問題点を洗い出した「毛利氏織田信長和戦対策書」、織田の水軍を撃破したときの戦果報告書など毛利家の几帳面さを表す史料まで様々な文書が展示されています。普段、書状の類はあまり熱心に見ない自分ですが、どれも非常に面白く、興味深く拝見しました。
雪舟等楊 「四季山水図(山水長巻)[部分]」(国宝)
文明18年(1486) 毛利博物館蔵
文明18年(1486) 毛利博物館蔵
本展の目玉は、なんといっても室町時代の水墨画の巨匠・雪舟の「四季山水図(山水長巻)」の全長展示。東京での公開は10年前の東京国立博物館の『雪舟展』以来とのこと。『雪舟展』は大変な混雑でしたが、こちらはGWにも関わらず、もったいないぐらい空いてました。その分、張り付いてじっくり観られたのでよいのですが…。
「四季山水図(山水長巻)」は長さ約16メートル。雪舟67歳のときの作品だそうです。雪舟らしい力強い筆致の中にも墨の濃淡を巧みに使い分け、岩や樹の質感、河の流れの緩急、そして空気遠近法を利用した奥行き感を見事に表現しています。次々に変化する水辺や深山の景色、そこで暮らす人々の情景が実に丁寧に描きこまれています。ところどころに赤や青や緑がごく薄く塗られ、それがまた効果的に自然の美しさを引き立たせています。四季山水図なので春夏秋冬があるはずなのですが、自分の見る目のなさか、秋と冬は紅葉や雪山があることで分かるのですが、春と夏が判然としませんでした。もっと観察眼を養わなければと反省。それにしても、山水図の最高峰たる技術の高さに唸りっぱなしでした。
「四季山水図(山水長巻)」の模本も二点展示されていて、その内、毛利家の御用絵師・雲谷等顔の筆とされる模本は国宝に指定されています。ただ、人の顔の目や鼻はほとんど描かず簡素で、また岩肌や木々の描写も若干自己流な気がします。それに対し、狩野古信による「四季山水図」は雪舟の筆致を細かく再現していて、素人目には狩野古信の方が模本としては忠実に思えました。
「古今和歌集 巻八(高野切)[部分]」(国宝)
平安時代 毛利博物館蔵
平安時代 毛利博物館蔵
第一展示室の最後のコーナーには、毛利家が所蔵する典籍と絵画が展示されています。「高野切」は「古今和歌集」の現存最古の写本で、全20巻の内、巻物として完存するのは3巻のみ。その一つ「巻八」が毛利家に伝わっています。仮名書道の最高峰といわれているそうで、字は読めませんが、流麗な筆跡が印象的でした。
丸山応挙 「鯉魚図」
江戸時代中期 毛利美術館蔵
江戸時代中期 毛利美術館蔵
谷文二 「江戸麻布邸遠望図」
江戸時代後期 毛利博物館蔵
江戸時代後期 毛利博物館蔵
階段を降りて三階の第二展示室は、美術工芸品が中心。雛飾りや化粧道具などの調度品や豪華な着物、また能の面や香道具、茶道具なども多く展示されています。毛利輝元は千利休から茶の湯を習ったそうで、千利休が輝元に送った「一松」という茶杓もありました。
コーナーの最後には毛利家・江戸麻布屋敷の図面があり、現ミッドタウンとの位置関係も比較が歴史ファンには興味をそそるのではないでしょうか。ちなみにサントリー美術館のあるあたりには、女中が暮らす長局があったとのことです。「江戸麻布邸遠望図」は谷文晁の弟子・谷文二による作品で、現ミッドタウンから江戸城方面(左奥)や東京湾(右奥)を望んだ図。東京が起伏に富んだ地形だったことがよく分かります。
雪舟の「四季山水図」や戦国時代ファン必見の作品などが並んでいるにも関わらず、あまり混んでいないのが意外なのですが、サントリー美術館らしいクオリティの高さが光る展覧会でした。
【サントリー美術館・東京ミッドタウン5周年記念 -
毛利家の至宝 大名文化の精粋 国宝・雪舟筆「山水長巻」特別公開】
2012年5月27日まで
サントリー美術館にて
もっと知りたい雪舟―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
雪舟の「山水長巻」―風景絵巻の世界で遊ぼう (アートセレクション)
2012/05/06
東洋絵画の精華 珠玉の日本絵画コレクション
世田谷の静嘉堂文庫美術館で開催中の『東洋絵画の精華 珠玉の日本絵画コレクション』を観てきました。
今年は、三菱の創業者・岩崎彌次郎の弟で二代目社長の彌之助と四代目社長の小彌太の父子が静嘉堂文庫を設立して120年、また美術館が開設されて20年ということで、静嘉堂文庫の数あるコレクションの中から至宝の数々を紹介する記念展が開かれています。まずは第一弾として日本絵画の名品が展示されています。
展示構成は以下の通りです。
・絵巻-物語絵巻の世界
・祈りの美-仏画・垂迹図
・静謐なる室町水墨画
・華麗なる江戸絵画
会場に入るとまずいきなり「平治物語絵巻」の「信西巻」が。恐らく今回の展覧会に足を運んだ方の多くはこの絵巻が目的でしょう。
「平治物語絵巻」は、ボストン美術館所蔵の「三条殿夜討巻」、東京国立博物館所蔵の「六波羅行幸巻」、そして静嘉堂文庫美術館所蔵のこの「信西巻」の3巻のみが現存しており、現在それら全てが東京で揃って公開されています。
「平治物語絵巻」で描かれている平治の乱は、後白河院の側近で平清盛に近い信西の政治的台頭を快く思わない藤原信頼と源義朝が起こしたクーデターで、この「信西巻」はボストン美術館所蔵の「三条殿夜討巻」の次の話にあたり、源氏軍に襲われた信西が自害を遂げる場面が描かれています。
なお、本展は「信西巻」一巻すべての公開ではなく、展示期間中、3回に分けて巻き替えが行なわれます。
4/14~4/26: 信西追捕の詮議と信西自害の場面
4/27~5/8: 信西自害から首実検までの場面
5/9~5/20: 都大路の武者行列と西獄門の場面
ちょうどこの日は、信西自害から首実検までの場面が展示されていました。「三条殿夜討巻」や「六波羅行幸巻」同様、戦の激しさが伝わってくるようなリアルな描写で、山中に密かに埋葬された信西の死骸を掘り起こして首を掻き切るなど、生々しさが印象に残りました。
「三条殿夜討巻」: 東京国立博物館・特別展『ボストン美術館 日本美術の至宝』にて6/10まで展示
「六波羅行幸巻」: 東京国立博物館・総合文化展 本館2室・国宝室で5/27まで展示
※ 「平治物語絵巻」3巻鑑賞の相互割引があります。詳しくはこちらへ。
翌日、東京国立博物館で「六波羅行幸巻」を観て、三巻制覇を果たしましたが、この合戦絵巻の傑作が長い年月の中、バラバラになってしまったというのはちょっと残念な気がします。いつの日か全巻が一堂に会して鑑賞できる日が来ればいいなと思います。
会場には、「平治物語絵巻 信西巻」のほかに、「住吉物語絵巻」(重要文化財)、「駒競行幸絵巻」(重要文化財)が展示されています。特に「住吉物語絵巻」の平安王朝の雅な恋物語と十二単の彩色の美しさは必見です。
仏画・垂迹画のコーナーは、展示されていた8作品の内、6作品が重要文化財、1作品が重要美術品という傑作揃い。いずれも鎌倉・南北朝時代の作品で、特に「普賢菩薩像」と修復後初公開という「弁財天像」は厳かさと美しさが目を見張ります。
室町水墨画のコーナーでは、周文と伝承される作品の中でも特に優品として名高いという「四季山水図屏風」がまず素晴らしい。濃い筆致と淡い筆致で奥行き感をだし、深山幽玄の赴きが漂っています。周文筆とされるものには弟子が描いたのではないかといわれるものも多く、この作品も弟子の雪舟や小栗宗湛との類似性や、また宗湛から水墨画を学んだ狩野正信の名前も指摘されていました。
江戸絵画のコーナーでは、「四条河原遊楽図屏風」が一際目を惹きます。四条河原にまだ遊郭があり、女歌舞伎が流行り、賑やかだった時代の風俗を描いたもので、ヤマアラシの見世物小屋や南蛮人(?)の犬の芸、鴨川では魚とりや川遊び、その横では子どもにおしっこさせるお母さんなど活気あふれる市井の様子は観ていて飽きません。屏風がガラスの間近に展示されているので、単眼鏡がなくても舐めるように見ることができます。
円山応挙の「江口君図」は、遊女が普賢菩薩になった謡曲「江口」を描いたもので、「普賢菩薩像」の典型的イメージを借用し、象の上に普賢菩薩に見たてた遊女が乗るという面白いもの。応挙らしい気品と繊細で柔らかな表現が際立った美しい作品でした。
ほかにも、渡辺崋山の「遊魚図」と「芸妓図」(いずれも重要文化財)、英一蝶の「朝暾曳馬図」、谷文晁の「赤壁図」など名品揃い。『大琳派展』にも出展されていた酒井抱一の「波図屏風」(展示は5/6まで)と鈴木其一「雨中桜花楓葉図」にも久しぶりに再会できました。
酒井抱一の「絵手鑑」は、一帖の画帖の36枚ずつ裏表で計72枚を張り込んだ作品。抱一が光琳だけでなく、狩野派、土佐派、円山四条派、中国画など幅広い画技を習得していたことが分かる貴重な作品です。琳派風あり、若冲風あり、俳画風ありとバラエティに富み、抱一ファンなら手元に置いておきたいような垂涎の画帖です。展示は一部の作品だけですが、横にあるミニモニターで全作品鑑賞できます。
それほど広くない展示室で、展示数も約30点(一部入れ替えあり)と少ないのですが、どれも逸品揃いで、じっくり見ていたら、軽く1時間が経っていました。二子玉川駅からバスという、ちょっと不便なところにありますが、静嘉堂文庫美術館が誇る選りすぐりの日本美術の名品ばかりですので、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
【受け継がれる東洋の至宝 PartⅠ東洋絵画の精華 ― 名品でたどる美の軌跡 ―】
2012年4月14日(土)~5月20日(日) 珠玉の日本絵画コレクション(前・後期あり)
2012年5月23日(水)~6月24日(日) 至高の中国絵画コレクション
静嘉堂文庫美術館にて
今年は、三菱の創業者・岩崎彌次郎の弟で二代目社長の彌之助と四代目社長の小彌太の父子が静嘉堂文庫を設立して120年、また美術館が開設されて20年ということで、静嘉堂文庫の数あるコレクションの中から至宝の数々を紹介する記念展が開かれています。まずは第一弾として日本絵画の名品が展示されています。
展示構成は以下の通りです。
・絵巻-物語絵巻の世界
・祈りの美-仏画・垂迹図
・静謐なる室町水墨画
・華麗なる江戸絵画
会場に入るとまずいきなり「平治物語絵巻」の「信西巻」が。恐らく今回の展覧会に足を運んだ方の多くはこの絵巻が目的でしょう。
「平治物語絵巻」は、ボストン美術館所蔵の「三条殿夜討巻」、東京国立博物館所蔵の「六波羅行幸巻」、そして静嘉堂文庫美術館所蔵のこの「信西巻」の3巻のみが現存しており、現在それら全てが東京で揃って公開されています。
「平治物語絵巻 信西巻 [部分]」(重要文化財)
鎌倉時代・13世紀 静嘉堂文庫美術館蔵
鎌倉時代・13世紀 静嘉堂文庫美術館蔵
「平治物語絵巻」で描かれている平治の乱は、後白河院の側近で平清盛に近い信西の政治的台頭を快く思わない藤原信頼と源義朝が起こしたクーデターで、この「信西巻」はボストン美術館所蔵の「三条殿夜討巻」の次の話にあたり、源氏軍に襲われた信西が自害を遂げる場面が描かれています。
なお、本展は「信西巻」一巻すべての公開ではなく、展示期間中、3回に分けて巻き替えが行なわれます。
4/14~4/26: 信西追捕の詮議と信西自害の場面
4/27~5/8: 信西自害から首実検までの場面
5/9~5/20: 都大路の武者行列と西獄門の場面
ちょうどこの日は、信西自害から首実検までの場面が展示されていました。「三条殿夜討巻」や「六波羅行幸巻」同様、戦の激しさが伝わってくるようなリアルな描写で、山中に密かに埋葬された信西の死骸を掘り起こして首を掻き切るなど、生々しさが印象に残りました。
「平治物語絵巻 六波羅行幸巻 [部分]」(国宝)
鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵
(※ 「六波羅行幸巻」は本展には出展されていません)
鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵
(※ 「六波羅行幸巻」は本展には出展されていません)
「三条殿夜討巻」: 東京国立博物館・特別展『ボストン美術館 日本美術の至宝』にて6/10まで展示
「六波羅行幸巻」: 東京国立博物館・総合文化展 本館2室・国宝室で5/27まで展示
※ 「平治物語絵巻」3巻鑑賞の相互割引があります。詳しくはこちらへ。
翌日、東京国立博物館で「六波羅行幸巻」を観て、三巻制覇を果たしましたが、この合戦絵巻の傑作が長い年月の中、バラバラになってしまったというのはちょっと残念な気がします。いつの日か全巻が一堂に会して鑑賞できる日が来ればいいなと思います。
「普賢菩薩像」 (重要文化財)
鎌倉時代・13世紀 静嘉堂文庫美術館蔵
鎌倉時代・13世紀 静嘉堂文庫美術館蔵
会場には、「平治物語絵巻 信西巻」のほかに、「住吉物語絵巻」(重要文化財)、「駒競行幸絵巻」(重要文化財)が展示されています。特に「住吉物語絵巻」の平安王朝の雅な恋物語と十二単の彩色の美しさは必見です。
仏画・垂迹画のコーナーは、展示されていた8作品の内、6作品が重要文化財、1作品が重要美術品という傑作揃い。いずれも鎌倉・南北朝時代の作品で、特に「普賢菩薩像」と修復後初公開という「弁財天像」は厳かさと美しさが目を見張ります。
伝・周文 「四季山水図屏風 [右隻]」(重要文化財)
室町時代・15世紀 静嘉堂文庫美術館蔵(※5/6まで展示)
室町水墨画のコーナーでは、周文と伝承される作品の中でも特に優品として名高いという「四季山水図屏風」がまず素晴らしい。濃い筆致と淡い筆致で奥行き感をだし、深山幽玄の赴きが漂っています。周文筆とされるものには弟子が描いたのではないかといわれるものも多く、この作品も弟子の雪舟や小栗宗湛との類似性や、また宗湛から水墨画を学んだ狩野正信の名前も指摘されていました。
「四条河原遊楽図屏風 [部分]」(重要文化財)
江戸時代・17世紀 静嘉堂文庫美術館蔵
江戸時代・17世紀 静嘉堂文庫美術館蔵
江戸絵画のコーナーでは、「四条河原遊楽図屏風」が一際目を惹きます。四条河原にまだ遊郭があり、女歌舞伎が流行り、賑やかだった時代の風俗を描いたもので、ヤマアラシの見世物小屋や南蛮人(?)の犬の芸、鴨川では魚とりや川遊び、その横では子どもにおしっこさせるお母さんなど活気あふれる市井の様子は観ていて飽きません。屏風がガラスの間近に展示されているので、単眼鏡がなくても舐めるように見ることができます。
円山応挙 「江口君図」(重要美術品)
江戸時代・寛政6年(1794年) 静嘉堂文庫美術館蔵
江戸時代・寛政6年(1794年) 静嘉堂文庫美術館蔵
円山応挙の「江口君図」は、遊女が普賢菩薩になった謡曲「江口」を描いたもので、「普賢菩薩像」の典型的イメージを借用し、象の上に普賢菩薩に見たてた遊女が乗るという面白いもの。応挙らしい気品と繊細で柔らかな表現が際立った美しい作品でした。
ほかにも、渡辺崋山の「遊魚図」と「芸妓図」(いずれも重要文化財)、英一蝶の「朝暾曳馬図」、谷文晁の「赤壁図」など名品揃い。『大琳派展』にも出展されていた酒井抱一の「波図屏風」(展示は5/6まで)と鈴木其一「雨中桜花楓葉図」にも久しぶりに再会できました。
酒井抱一 「絵手鑑 [一部]」
江戸時代・19世紀 静嘉堂文庫美術館蔵
江戸時代・19世紀 静嘉堂文庫美術館蔵
酒井抱一の「絵手鑑」は、一帖の画帖の36枚ずつ裏表で計72枚を張り込んだ作品。抱一が光琳だけでなく、狩野派、土佐派、円山四条派、中国画など幅広い画技を習得していたことが分かる貴重な作品です。琳派風あり、若冲風あり、俳画風ありとバラエティに富み、抱一ファンなら手元に置いておきたいような垂涎の画帖です。展示は一部の作品だけですが、横にあるミニモニターで全作品鑑賞できます。
それほど広くない展示室で、展示数も約30点(一部入れ替えあり)と少ないのですが、どれも逸品揃いで、じっくり見ていたら、軽く1時間が経っていました。二子玉川駅からバスという、ちょっと不便なところにありますが、静嘉堂文庫美術館が誇る選りすぐりの日本美術の名品ばかりですので、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
【受け継がれる東洋の至宝 PartⅠ東洋絵画の精華 ― 名品でたどる美の軌跡 ―】
2012年4月14日(土)~5月20日(日) 珠玉の日本絵画コレクション(前・後期あり)
2012年5月23日(水)~6月24日(日) 至高の中国絵画コレクション
静嘉堂文庫美術館にて
2012/05/05
ユベール・ロベール -時間の庭-
国立西洋美術館で開催中の『ユベール・ロベール -時間の庭-』を観てきました。
ユベール・ロベール。お恥ずかしながら、この展覧会で名前を聞くまで知りませんでした。美術館の解説にも「日本ではあまり知られていない…」とありましたが、日本でここまで大々的に紹介されるのも本展が初めてなのだそうです。そりゃぁ、知らないわけです。
ロベールは「廃墟のロベール」として名声を馳せた18世紀フランスを代表する風景画家。庭園デザイナーとしても高名で、ベルサイユ宮殿の庭園の一部も彼の手によるそうです。王室との関係も深く、フランス革命直前のサロン文化の庇護を受けていたこともあり、革命後は一時投獄までされます。時代背景といい、ドラマティックな人生といい、なんか映画になりそうな感じです。
本展は、世界有数のロベール・コレクションを誇るフランスのヴァランス美術館の所蔵品を中心に、ロベールの油彩画と素描(サンギーヌ)、またロベールの周辺の画家の作品など、約130点を展示しています。
展覧会の構成は以下の通りです。
Ⅰ. イタリアと画家たち
Ⅱ. 古代ローマと教皇たちのローマ
Ⅲ. モティーフを求めて
Ⅳ. フランスの情景
Ⅵ. 庭園からアルカディアへ
第Ⅰ章では、ロベールに影響を与えたクロード・ロランの理想的風景画やジョアンナ・パオロ・パニーニの廃墟画など17世紀から18世紀前半のフランスやイタリアの画家の作品を紹介しています。
ロベールは公爵の侍従の子として生まれ、21歳の時に公爵の息子が大使としてイタリアに赴任した際に随行し、そのまま11年間ローマで暮らします。第Ⅱ章では、イタリアの芸術や風景、特にローマの古代遺跡や教会建築などに触れ、考古学的好奇心を強く刺激されたロベールの初期作品を紹介。パリにはないその文化や歴史に惹かれていった様子がその絵から窺えます。
イタリア時代のロベールはポンペイやナポリなど遠方にも足を運び、古代遺跡や歴史的建造物のスケッチに励んだようです。また遺跡や教会建築だけでなく、景勝地などの風景画にも力を入れるようになります。第Ⅲ章では遺跡や建築物をはじめ、ロベールが好んで取り上げたモティーフの素描や版画等を紹介しています。
恐らく展示作品の半分以上は、サンギーヌと呼ばれる赤チョークで描かれた素描画なのですが、これが素描の域を超えた完成度の高さで、ロベールの確かなデッサン力に驚かされます。サンギーヌというのも耳慣れない画材ですが、酸化鉄を含む土や岩を原料とする赤褐色のチョークで、フランス語の「血液(sang)」にちなんでサンギーヌと呼ばれます。もともとはフレスコ画の下絵を描くために使用されていたそうですが、次第に制作にも広く使われ、その柔らかい質感や暖かみのある色彩が好まれたとのだとか。会場の途中には、そのサンギーヌも展示されています。
イタリアでの研鑽を経てフランスに帰国したロベールはパリの王立絵画彫刻アカデミーに入会します。先月発売の『BRUTUS』5/1号の特集「西洋美術総まとめ。」では17~18世紀のフランス美術にもページが割かれており、フランスの画家たちがイタリアに美術留学をしたり、王立絵画彫刻アカデミーが設立された経緯などが載っています。ロベールが登場した背景を知る上でも興味深い内容です。
第Ⅳ章では、帰国したロベールが王室や貴族を顧客に持ち、風景画家として成功を収めた頃の作品を中心に展示しています。ロベールは基本的に新古典主義の部類に入る画家だと思いますが、貴族のために描いた作品にはロココ的な雰囲気のものもあり、それらの作品からはフランス革命前夜の成熟した貴族文化の様子が伝わってきます。
一方で、ロベールが得意とする神殿や歴史的建造物を描いた作品がさらに発展。自由な創意が加わり、独特の空想的風景画を完成させます。第Ⅴ章は「廃墟のロベール」といわれる所以となる数々の作品を紹介。代表作の「古代遺物の発見者たち」では、基となるイタリア時代の素描も展示され、そこから創作をして完成作ができあがるまでの過程も見ることができます。
ユベール・ロベールのもう一つの顔、それは庭園デザイナー。当時のフランスは風景画のような自然美を重視した風景式庭園(イギリス式庭園)が人気で、ロベールは庭園デザインとしても腕をふるいます。ベルサイユ宮殿の庭園(一部)やマリー=アントワネットのアモー(小村落)などを手掛け、その功績により「国王の庭園デザイナー」の称号を与えられます。また、王室コレクションの管理人となり、ルーヴル宮内にアトリエまで構えたのだとか。しかし、そうした王室との深い繋がりや貴族たちのお抱え絵師的な立場が災いし、フランス革命時には投獄されます。
最後のコーナーでは、フランス革命前後の作品を中心に、理想郷を求めた晩年の絵画作品や獄中で描いた皿絵が展示されています。「アルカディアの牧人たち」は17世紀フランスを代表する画家ニコラ・プッサンの傑作「アルカディアの羊飼いたち」に着想を得た作品。古代ギリシャの理想郷アルカディアを描いたもので、緑豊かな自然に神殿など建造物が溶け込んだロベールらしい理想的風景画の傑作です。
西洋絵画史に残るような傑作があるわけではなく、またルネサンスや印象派といった日本人好みのする時代の画家ではありませんが、こういう隠れた優れた画家にスポットを当ててくれる目の付けどころの良さは、さすが国立西洋美術館らしいな思いました。
【ユベール・ロベール -時間の庭-】
2012年5月20日(日)まで
国立西洋美術館にて
※本展覧会は下記の美術館に巡回します。
福岡市美術館 2012年6月19日(火)~7月29日(日)
静岡県立美術館 2012年8月9日(木)~9月30日(日)
ユベール・ロベール。お恥ずかしながら、この展覧会で名前を聞くまで知りませんでした。美術館の解説にも「日本ではあまり知られていない…」とありましたが、日本でここまで大々的に紹介されるのも本展が初めてなのだそうです。そりゃぁ、知らないわけです。
ロベールは「廃墟のロベール」として名声を馳せた18世紀フランスを代表する風景画家。庭園デザイナーとしても高名で、ベルサイユ宮殿の庭園の一部も彼の手によるそうです。王室との関係も深く、フランス革命直前のサロン文化の庇護を受けていたこともあり、革命後は一時投獄までされます。時代背景といい、ドラマティックな人生といい、なんか映画になりそうな感じです。
本展は、世界有数のロベール・コレクションを誇るフランスのヴァランス美術館の所蔵品を中心に、ロベールの油彩画と素描(サンギーヌ)、またロベールの周辺の画家の作品など、約130点を展示しています。
展覧会の構成は以下の通りです。
Ⅰ. イタリアと画家たち
Ⅱ. 古代ローマと教皇たちのローマ
Ⅲ. モティーフを求めて
Ⅳ. フランスの情景
Ⅵ. 庭園からアルカディアへ
第Ⅰ章では、ロベールに影響を与えたクロード・ロランの理想的風景画やジョアンナ・パオロ・パニーニの廃墟画など17世紀から18世紀前半のフランスやイタリアの画家の作品を紹介しています。
ユベール・ロベール 「サン・ピエトロ大聖堂の柱廊の開口部の人々」
1764年 ヴァランス美術館蔵
1764年 ヴァランス美術館蔵
ロベールは公爵の侍従の子として生まれ、21歳の時に公爵の息子が大使としてイタリアに赴任した際に随行し、そのまま11年間ローマで暮らします。第Ⅱ章では、イタリアの芸術や風景、特にローマの古代遺跡や教会建築などに触れ、考古学的好奇心を強く刺激されたロベールの初期作品を紹介。パリにはないその文化や歴史に惹かれていった様子がその絵から窺えます。
イタリア時代のロベールはポンペイやナポリなど遠方にも足を運び、古代遺跡や歴史的建造物のスケッチに励んだようです。また遺跡や教会建築だけでなく、景勝地などの風景画にも力を入れるようになります。第Ⅲ章では遺跡や建築物をはじめ、ロベールが好んで取り上げたモティーフの素描や版画等を紹介しています。
ユベール・ロベール 「マルクス・アウレリウス騎馬像」
1762年 ヴァランス美術館蔵
1762年 ヴァランス美術館蔵
恐らく展示作品の半分以上は、サンギーヌと呼ばれる赤チョークで描かれた素描画なのですが、これが素描の域を超えた完成度の高さで、ロベールの確かなデッサン力に驚かされます。サンギーヌというのも耳慣れない画材ですが、酸化鉄を含む土や岩を原料とする赤褐色のチョークで、フランス語の「血液(sang)」にちなんでサンギーヌと呼ばれます。もともとはフレスコ画の下絵を描くために使用されていたそうですが、次第に制作にも広く使われ、その柔らかい質感や暖かみのある色彩が好まれたとのだとか。会場の途中には、そのサンギーヌも展示されています。
ユベール・ロベール 「書斎のジョフラン夫人」
1772年 ヴァランス美術館
1772年 ヴァランス美術館
イタリアでの研鑽を経てフランスに帰国したロベールはパリの王立絵画彫刻アカデミーに入会します。先月発売の『BRUTUS』5/1号の特集「西洋美術総まとめ。」では17~18世紀のフランス美術にもページが割かれており、フランスの画家たちがイタリアに美術留学をしたり、王立絵画彫刻アカデミーが設立された経緯などが載っています。ロベールが登場した背景を知る上でも興味深い内容です。
第Ⅳ章では、帰国したロベールが王室や貴族を顧客に持ち、風景画家として成功を収めた頃の作品を中心に展示しています。ロベールは基本的に新古典主義の部類に入る画家だと思いますが、貴族のために描いた作品にはロココ的な雰囲気のものもあり、それらの作品からはフランス革命前夜の成熟した貴族文化の様子が伝わってきます。
ユベール・ロベール 「凱旋橋」
1782-83年 ヴァランス美術館蔵
1782-83年 ヴァランス美術館蔵
一方で、ロベールが得意とする神殿や歴史的建造物を描いた作品がさらに発展。自由な創意が加わり、独特の空想的風景画を完成させます。第Ⅴ章は「廃墟のロベール」といわれる所以となる数々の作品を紹介。代表作の「古代遺物の発見者たち」では、基となるイタリア時代の素描も展示され、そこから創作をして完成作ができあがるまでの過程も見ることができます。
ユベール・ロベール 「古代遺物の発見者たち」
1765年 ヴァランス美術館蔵
1765年 ヴァランス美術館蔵
ユベール・ロベールのもう一つの顔、それは庭園デザイナー。当時のフランスは風景画のような自然美を重視した風景式庭園(イギリス式庭園)が人気で、ロベールは庭園デザインとしても腕をふるいます。ベルサイユ宮殿の庭園(一部)やマリー=アントワネットのアモー(小村落)などを手掛け、その功績により「国王の庭園デザイナー」の称号を与えられます。また、王室コレクションの管理人となり、ルーヴル宮内にアトリエまで構えたのだとか。しかし、そうした王室との深い繋がりや貴族たちのお抱え絵師的な立場が災いし、フランス革命時には投獄されます。
ユベール・ロベール 「アルカディアの牧人たち」
1789年 ヴァランス美術館蔵
1789年 ヴァランス美術館蔵
最後のコーナーでは、フランス革命前後の作品を中心に、理想郷を求めた晩年の絵画作品や獄中で描いた皿絵が展示されています。「アルカディアの牧人たち」は17世紀フランスを代表する画家ニコラ・プッサンの傑作「アルカディアの羊飼いたち」に着想を得た作品。古代ギリシャの理想郷アルカディアを描いたもので、緑豊かな自然に神殿など建造物が溶け込んだロベールらしい理想的風景画の傑作です。
西洋絵画史に残るような傑作があるわけではなく、またルネサンスや印象派といった日本人好みのする時代の画家ではありませんが、こういう隠れた優れた画家にスポットを当ててくれる目の付けどころの良さは、さすが国立西洋美術館らしいな思いました。
【ユベール・ロベール -時間の庭-】
2012年5月20日(日)まで
国立西洋美術館にて
※本展覧会は下記の美術館に巡回します。
福岡市美術館 2012年6月19日(火)~7月29日(日)
静岡県立美術館 2012年8月9日(木)~9月30日(日)
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