日本には古来、異性装の風俗があったといいます。古くはヤマトタケルが女装して宴会に紛れ込みクマソタケルを退治したとか、女性の衣装を身にまとった牛若丸が弁慶と闘うとか、女武者・巴御前の活躍とか、神話や物語だけでなく、中性の稚児の女装の習慣や、白拍子の男装や歌舞伎の女形、芸者の男装といった芸能の異性装などがあり、そうした描写は浮世絵にも多く描かれています。
本展はそうした浮世絵に描かれた異性装から江戸の風俗や文化を知るというもの。昨今、多様な性のあり方についていろいろ話題になりますが、それは現代の特殊な問題ではなく、日本は神話の時代から性の多様性を受容し、認知されていたことも分かってきます。
展覧会の構成は以下のとおりです:
第1章 風俗としての女装・男装
第2章 物語の中の女装・男装
第3章 歌舞伎の女形たち
第4章 歌舞伎の趣向に見る男女の入替
第5章 やつし絵・見立絵に見る男女の入替
月岡芳年 「風俗三十二相 にあいさう 弘化年間廓の芸者風俗」
明治21年(1888)
明治21年(1888)
展示品で多かったのが、芸者の男装と歌舞伎の女形。芸者の男装は主に“吉原俄”といわれる吉原の三大行事とされる夏のお祭りで、芸者が男髷に男装して手古舞を演じています。廓内だけでなく神田祭など祭礼でも鯔背な手古舞姿の女芸者が華を添えたようで、祭礼の賑わいを描いた作品も複数並んでいました。“俄”が“仁和嘉”と当て字になっているのは江戸の遊び心。歌舞伎舞踊の『神田祭』で手古舞姿に“男装”した女形が登場するので、歌舞伎ファンにはお馴染みでしょう。展示されていた「勇肌祭礼賑」にも九代目團十郎と五代目菊五郎らに交じって、当時人気の女形・四代目福助(五世歌右衛門)と助高屋高助が手古舞の格好で描かれていました。
歌川国芳 「祭礼行列」
天保15年(1844)頃
天保15年(1844)頃
これは女装・男装というより仮装行列という感じですが、国芳の「祭礼行列」が面白い。幕末の山王祭を描いたものとかで、大津絵の藤娘や鬼の念仏、武者に貴族に女伊達、さらには独楽や珊瑚の仮装なんかもいます。いまでいうハロウィンやコスプレのノリでしょうか?
石川豊信 「若衆三幅対」
寛延〜宝暦(1748-64)頃
寛延〜宝暦(1748-64)頃
2階にあがったところにあったのが艶やかな女性の羽織を羽織った若衆を描いた「若衆三幅対」。桜の枝をもった若衆、編み笠を被った若衆、腰に刀を添えた小姓風の若衆という江戸の美少年たち、いわゆる陰間なんでしょう。編笠をさしてるのは髷が崩れるのを防ぐためとか。オシャレ~。
今回の展覧会では若衆の絵はほんの数点しかありませんでしたが、ほかの浮世絵の展覧会でも若衆を描いた作品はたびたび目にしますし、実際本展の解説にも、中性的な若衆の絵は好まれ多く描かれたとあり、比較的人気の高い題材だったのでしょうに、ちょっと残念な気がします。まぁ、この美術館はあまり性的なイメージを直接喚起する作品は昔から展示しないので、多分ないだろうなとは思ってましたが。
菊川英山の「女虚無僧」というのもありました。歌舞伎の『毛谷村』には武術の腕前をもつお園が男装して虚無僧姿で現れるという場面がありますが、解説によると実際に市中で見られたかは定かでないとのことです。
月岡芳年 「月百姿 賊巣の月 小碓皇子」
明治18〜25年(1885-92)頃
明治18〜25年(1885-92)頃
物語や歌舞伎に描かれた女装や男装がピックアップされたのを観ると、理由は様々とはいえ、男性が女装する、女性が男装するという話が日本には大変多いのが分かります。それが文化になっているのがヨーロッパにはない日本のユニークなところかもしれません。歌舞伎の女形が芸者役で男装する手古舞や、女形が男性役として女装する『三人吉三』のお嬢、立役が女装する『白浪五人男』の弁天小僧菊之助、あえて立役が女装することで怖さを強調する『鏡山』の尾上など、歌舞伎の中の男と女の概念はとても自由で、逆にそれが歌舞伎の面白さを生んでもいます。
月岡芳年 「月百姿 水木辰の助」
明治24年(1891年)
明治24年(1891年)
歌舞伎の女形の役者絵も多くありましたが、楽屋裏の姿や普段の生活を描いたものもあって、人気の女形ともなると、いまでいうグラビアアイドルみたいな存在だったのかもしれませんね。歌舞伎の女形は普段から女性のように暮らすのが推奨されていたと解説にあったのですが、それだけ女形の役者の女性性が江戸時代は認められていたということでもあるのでしょう。
浮世絵で多いのがやつし絵と見立絵。“やつし”は古典や昔の風俗を題材に今様に描いたもの、“見立”はあるものを違うものになぞらえたものでちょっと分かりづらいところがありますが、鶴仙人として知られる中国の費長房や鯉に乗って水注から現れるという琴高仙人を女性に変えて描いた“やつし絵”、忠臣蔵を女性に見立てた見立絵や中国故事の二十四孝を芸者の手古舞に見立てた見立絵など、創意工夫されたユニークな作品も多くあり楽しめました。
鈴木春信 「やつし費長房」
明和2年(1765)
明和2年(1765)
テーマはとても興味深いものなのですが、女装・男装というタイトルからイメージされる倒錯的なもの、たとえば女装した若衆みたいなものはほとんどなく、歌舞伎は芸能だし、吉原俄は言ってみれば余興だから、異性装といわれたらその通りかもしれませんが、意外性はあまりありませんでした。ちょっと突っ込みが足らなかったかなという気もします。
【江戸の女装と男装】
2018年3月25日まで
太田記念美術館にて
江戸の女装と男装