2018/03/24

江戸の女装と男装

太田記念美術館で開催中の『江戸の女装と男装』を観てきました。

日本には古来、異性装の風俗があったといいます。古くはヤマトタケルが女装して宴会に紛れ込みクマソタケルを退治したとか、女性の衣装を身にまとった牛若丸が弁慶と闘うとか、女武者・巴御前の活躍とか、神話や物語だけでなく、中性の稚児の女装の習慣や、白拍子の男装や歌舞伎の女形、芸者の男装といった芸能の異性装などがあり、そうした描写は浮世絵にも多く描かれています。

本展はそうした浮世絵に描かれた異性装から江戸の風俗や文化を知るというもの。昨今、多様な性のあり方についていろいろ話題になりますが、それは現代の特殊な問題ではなく、日本は神話の時代から性の多様性を受容し、認知されていたことも分かってきます。


展覧会の構成は以下のとおりです:
第1章 風俗としての女装・男装
第2章 物語の中の女装・男装
第3章 歌舞伎の女形たち
第4章 歌舞伎の趣向に見る男女の入替
第5章 やつし絵・見立絵に見る男女の入替

月岡芳年 「風俗三十二相 にあいさう 弘化年間廓の芸者風俗」
明治21年(1888)

展示品で多かったのが、芸者の男装と歌舞伎の女形。芸者の男装は主に“吉原俄”といわれる吉原の三大行事とされる夏のお祭りで、芸者が男髷に男装して手古舞を演じています。廓内だけでなく神田祭など祭礼でも鯔背な手古舞姿の女芸者が華を添えたようで、祭礼の賑わいを描いた作品も複数並んでいました。“俄”が“仁和嘉”と当て字になっているのは江戸の遊び心。歌舞伎舞踊の『神田祭』で手古舞姿に“男装”した女形が登場するので、歌舞伎ファンにはお馴染みでしょう。展示されていた「勇肌祭礼賑」にも九代目團十郎と五代目菊五郎らに交じって、当時人気の女形・四代目福助(五世歌右衛門)と助高屋高助が手古舞の格好で描かれていました。

歌川国芳 「祭礼行列」
天保15年(1844)頃

これは女装・男装というより仮装行列という感じですが、国芳の「祭礼行列」が面白い。幕末の山王祭を描いたものとかで、大津絵の藤娘や鬼の念仏、武者に貴族に女伊達、さらには独楽や珊瑚の仮装なんかもいます。いまでいうハロウィンやコスプレのノリでしょうか?

石川豊信 「若衆三幅対」
寛延〜宝暦(1748-64)頃

2階にあがったところにあったのが艶やかな女性の羽織を羽織った若衆を描いた「若衆三幅対」。桜の枝をもった若衆、編み笠を被った若衆、腰に刀を添えた小姓風の若衆という江戸の美少年たち、いわゆる陰間なんでしょう。編笠をさしてるのは髷が崩れるのを防ぐためとか。オシャレ~。

今回の展覧会では若衆の絵はほんの数点しかありませんでしたが、ほかの浮世絵の展覧会でも若衆を描いた作品はたびたび目にしますし、実際本展の解説にも、中性的な若衆の絵は好まれ多く描かれたとあり、比較的人気の高い題材だったのでしょうに、ちょっと残念な気がします。まぁ、この美術館はあまり性的なイメージを直接喚起する作品は昔から展示しないので、多分ないだろうなとは思ってましたが。

菊川英山の「女虚無僧」というのもありました。歌舞伎の『毛谷村』には武術の腕前をもつお園が男装して虚無僧姿で現れるという場面がありますが、解説によると実際に市中で見られたかは定かでないとのことです。

月岡芳年 「月百姿 賊巣の月 小碓皇子」
明治18〜25年(1885-92)頃

物語や歌舞伎に描かれた女装や男装がピックアップされたのを観ると、理由は様々とはいえ、男性が女装する、女性が男装するという話が日本には大変多いのが分かります。それが文化になっているのがヨーロッパにはない日本のユニークなところかもしれません。歌舞伎の女形が芸者役で男装する手古舞や、女形が男性役として女装する『三人吉三』のお嬢、立役が女装する『白浪五人男』の弁天小僧菊之助、あえて立役が女装することで怖さを強調する『鏡山』の尾上など、歌舞伎の中の男と女の概念はとても自由で、逆にそれが歌舞伎の面白さを生んでもいます。

月岡芳年 「月百姿 水木辰の助」
明治24年(1891年)

歌舞伎の女形の役者絵も多くありましたが、楽屋裏の姿や普段の生活を描いたものもあって、人気の女形ともなると、いまでいうグラビアアイドルみたいな存在だったのかもしれませんね。歌舞伎の女形は普段から女性のように暮らすのが推奨されていたと解説にあったのですが、それだけ女形の役者の女性性が江戸時代は認められていたということでもあるのでしょう。

浮世絵で多いのがやつし絵と見立絵。“やつし”は古典や昔の風俗を題材に今様に描いたもの、“見立”はあるものを違うものになぞらえたものでちょっと分かりづらいところがありますが、鶴仙人として知られる中国の費長房や鯉に乗って水注から現れるという琴高仙人を女性に変えて描いた“やつし絵”、忠臣蔵を女性に見立てた見立絵や中国故事の二十四孝を芸者の手古舞に見立てた見立絵など、創意工夫されたユニークな作品も多くあり楽しめました。

鈴木春信 「やつし費長房」
明和2年(1765)

テーマはとても興味深いものなのですが、女装・男装というタイトルからイメージされる倒錯的なもの、たとえば女装した若衆みたいなものはほとんどなく、歌舞伎は芸能だし、吉原俄は言ってみれば余興だから、異性装といわれたらその通りかもしれませんが、意外性はあまりありませんでした。ちょっと突っ込みが足らなかったかなという気もします。


【江戸の女装と男装】
2018年3月25日まで
太田記念美術館にて


江戸の女装と男装江戸の女装と男装

2018/03/21

リアル 最大の奇抜

府中市美術館で開催中の『リアル 最大の奇抜』を観てきました。

毎年恒例、府中市美術館の“春の江戸絵画まつり”。今年のテーマはリアル絵画。昨年平塚市美術館などで開催された『リアルのゆくえ』展が話題になったり、スーパーリアリズムがちょっとしたブームになったり、写実絵画が注目を集めていますが、はたして江戸絵画のリアルとは?

写真もまだなく限られた人しか西洋画を観ることのできなかった江戸時代に、人々にはどのような絵がリアルに映り、斬新だと感じたのか、という観点で作品が集められています。

“春の江戸絵画まつり”らしく、江戸絵画を代表する絵師から無名の絵師までさまざまな絵師の作品が並んでいて、よくこんな作品探して来たなというセレクションが楽しい。それにしても近代日本画の写実とは異なる非近代的な表現・創作の豊かなことよ。


展覧会の構成は以下のとおりです:
1章 「リアル」の力
2章 「リアル」から生まれる思わぬ表現
3章 ところで、「これもリアル?」
4章 従来の「描き方」や「美意識」との対立と調和

森狙仙 「群獣図巻」(※写真は一部)
個人蔵

会場に入ったところにあった森狙仙の「群獣図巻」がまず面白い。森狙仙というと猿画の名手として知られ、本展にも十八番の猿や鹿を描いた作品が展示されていましたが、この「群獣図巻」はあまり見ない狙仙タッチで、ちょっと異色という感じが強くします。鼠や栗鼠、山羊、虎、猫、犬などさまざまな動物が描かれてるのですが、どちらかというと中国画や南蘋派のニュアンスに近いように思いました。何か手本にした作品があったのでしょうか。

江戸絵画の写実というと真っ先に浮かぶのが、森狙仙を祖とする森派や、円山応挙を祖とする円山派、そして沈南蘋にはじまる南蘋派。会場も最初のうちは、森派や円山四条派、南蘋派の絵師やその系統の絵師の作品が順当に登場するのですが、だんだんとよく知らない絵師もちらほら。

土方稲嶺、墨江武禅、織田瑟々、沖一峨、安田雷洲あたりは府中市美術館で名前を覚えたので、詳しく知らなくてもとりあえず知ってる。村松以弘?誰やねん。司馬長瑛子?葛陂古馮?もはや名前の読み方すら分からない。。。会場入口に置いてある画家解説を見ながら作品を観るのも毎年のことです。

村松以弘 「白糸瀑図」(静岡県指定文化財)
掛川市二の丸美術館蔵(展示は4/8まで)

富士山麓の白糸の滝を描いた村松以弘の「白糸瀑図」は横170cmもある大作。一見、真景図風なのですが、こういう景色が眺められる場所はないのだとか。白糸の滝というよりナイアガラの滝みたい。ちょっと南画風。

原在中 「天橋立図」
敦賀市立博物館蔵(展示は4/8まで)

真景図といえば、応挙の弟子とされる原在中の「天橋立図」が遠近法を意識した構図で面白い。俯瞰で遠景まで描くところは雪舟の「天橋立図」を思わせますが、在中の作品は遠くを小さく薄く描いていて、真景図というより風景画といっていいぐらい。

大好きな鶴亭が一点。「芭蕉太湖石図」は『我が名は鶴亭』でも観ていますが、太湖石や芭蕉の葉の平面的な色面の描き方が気になり、じっくり観てました。芭蕉の葉の葉脈が塗り残したよう描かれていて、解説には若冲の筋目描きに似ていると。墨の滲みを利用した筋目描きというより中国画に見られる芭蕉や蓮の葉の描き方に近い気もしますが、ちょっと素人にはよく分かりません。

沖一峨 「芙蓉に群鴨図」
鳥取県立博物館(展示は4/8まで)

鳥取藩の御用絵師として仕えた沖一峨の「芙蓉に群鴨図」もいい。芙蓉や鴨が対幅に左右対称で描かれてるのが印象的。沖探容の「浪兎図」は波の上を兎が駆けるという斬新な作品。“因幡の白兎”を題材にしてるのでしょう。沖家の6代が探容で、7代が一峨。一峨は探容の養子だという。

鳥取の絵師、いわゆる因幡画壇といえば、土方稲嶺と弟子の黒田稲皐に印象的な作品が結構ありました。土方稲嶺は宋紫石に学んだとされ、「群鶴図」は一見南蘋派風なのですが、南蘋派の鶴よりもリアル。薄墨でざざざっと描いたような「雪景山水図」も雰囲気があっていい。

ネガポジを反転させたような黒田稲皐の「遊鯉図」も独特の色合いでとても面白い。鱗がまた精緻に描かれていてビックリ。竹を墨一色で描きながらも背景を淡彩で青空にした「竹図」もかなり異色。後期には同じ因幡画壇の片山楊谷と島田元旦も登場します。鳥取の絵師、とても気になります。

鯉図では『前賢故実』で知られる菊池容斎の「鯉遊之図」がとても良い。容斎というと歴史人物画のイメージしかないのですが、こういう作品も描いていたのですね。薄墨であっさりと描いていてるのだけれど、川を群れて泳ぐ鯉の動きをリアルに捉えていて実に巧い。

墨江武禅 「月下山水図」
府中市美術館蔵(展示は4/8まで)

墨江武禅の「月下山水図」は月光のあたる部分を白くハイライトで描いた不思議なムードの作品。月岡雪鼎の門人で、宋元画を研究したというユニークな経歴の持ち主。この発想はどこから来たのか。

人物画では、画家解説に詳細不明とある葛陂古馮(かっぱこひょう)の「関羽図」も個性的。真っ黒の画面に浮かび上がるような関羽はインパクト大。応挙に学んだとされるようですが、この絵からはそういう様子は感じられず。なぜか落款の下にアルファベットのサインが。

上方の浮世絵でもちょっと異色な祇園井特の美人画も。デロリの先を行く独特のリアルな描き方で面白いんだけれど、こういう非浮世絵的な美人画が江戸時代にどこまで人気があったのかも気になるところです。

矢野良勝 「肥後瀑布図」
熊本県立美術館蔵(展示は4/8まで)

雪舟の画法を継承したという熊本の矢野良勝の「肥後瀑布図」もとてもいい。雪舟の「山水長巻」を意識したような絵巻物で、肥後の滝の名所がいくつも描かれています。滝の水しぶきは胡粉ですかね。

熊本藩の家老だという米田松洞が熊本の風景を描いた「北山秋景」も印象的。一見南画風なのですが、山や木の描き方は朴訥としていて、ところどころ小さく描かれる人物がまたなんとも味わいがあります。熊本の絵師も気になります。

司馬江漢 「生花図」
府中市美術館蔵

後半は生涯をかけてリアルと向き合った画家ということで司馬江漢と円山応挙の特集。まずは司馬江漢の「生花図」が良い。吊るし花生けという構図が面白いのですが、よく見ると壺がガラス製で透けています。どこか西洋的で(というより日本的でない)華やかな生け方は谷文晁も模写したファン・ロイエンの花鳥図を思い起こさせますし、泉屋博古館分館で以前観た椿椿山の「玉堂富貴・遊蝶・藻魚図」の中幅の構図にも似ています。

洋画風の紙本や絹本の油彩画もあれば、鈴木春信風の「西王母図」があったり、洋画風に描いた日本の風景もあれば、西洋画の模写のような作品もあったり、唐画風があったり、江漢の幅広い画技が見られてとても興味深い。油彩画は恐らく顔料の問題もあるのでしょうが、茶色く変色しているものがあって残念。

司馬江漢 「七里ヶ浜図」
府中市美術館蔵

江漢の風景画はまさにピクチャレスクな作品が多いのですが、解説に「江漢は空の画家」とあり、なるほどと感じました。確かに青空や雲って、それまでの日本の絵画に描かれることは稀(霞雲は別として)だったと思いますし、江漢の洋風画はそういう意味ではかなりリアルだったのでしょう。

円山応挙 「大石良雄図」
一般財団法人武井報效会百耕資料館蔵(展示は4/8まで)

応挙もリアルを感じさせる作品というテーマに絞られていますが、20代後半の頃の狩野派風の作品や応挙と名乗る前の作品もあったり、等身大の人物画や応挙が得意とした動物画など、応挙の幅広い画業を垣間見れます。虎や犬、兎、鷹など動物を描いた作品は写生に基づく応挙ならではのリアルさを感じ取れますし、虎の絵を描くのに中国から虎の毛皮を取り寄せたというエピソードも凄い。「鯉魚図」は池の氷の裂け目から鯉が飛び出すという正に奇抜な作品なのですが、鯉の忠実さに比べ、氷の表現には苦心の跡が窺えます。

円山応挙 「鯉魚図」

この絵、前にも観たよなという作品もちらほらあって、そろそろネタ切れかという感想もなくはなく、いつもの“春の江戸絵画まつり”に比べると少々地味な感じは拭えません。そのなかでも今回は特に、土方稲嶺や黒田稲皐、矢野良勝、米田松洞など地方の絵師に印象的な作品が多く、いつか地方の絵師に絞った展覧会とかして欲しいなと思いました。知られざる絵師はまだまだいるはずです。


会場の外には来年の春の江戸絵画まつり『へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで』の予告がすでに。チラシには若冲に蕪村に山雪に徳川家光!?なんだか面白そうで今から楽しみです。鬼に笑われませんように。


【春の江戸絵画まつり  リアル 最大の奇抜】
前期:2018年3月10日(土)から4月8日(日)
後期:2018年4月10日(火)から5月6日(日)
*全作品ではありませんが、大幅な展示替えがあります。
府中市美術館にて



かわいい江戸絵画かわいい江戸絵画

2018/03/04

寛永の雅

サントリー美術館で開催中の『寛永の雅 江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽』展を観てまいりました。

よほど日本史に詳しい人でないと、“寛永”っていわれてもいつの時代のことかパッと思い浮かばないかもしれませんが、本展は江戸時代初期の寛永年間(1624~1645年)を中心に開花した“寛永文化”にスポットを当てた展覧会です。

“寛永文化”は、桃山文化のような煌びやかさや侘びの趣きでもなく、元禄文化のような江戸の活気や浮世の享楽でもない、瀟洒で洗練された造形や、古典復興による雅な世界が特徴といいます。本展では「きれい」をキーワードに、“寛永文化”を代表する野々村仁清や小堀遠州、狩野探幽の作品、そして時の天皇・後水尾天皇(後に譲位し後水尾院)の宮廷文化サロンにまつわる品々を中心に構成。寛永文化の美意識に酔いしれること必至です。


本展の構成は以下のとおりです:
第一章 新時代への胎動-寛永のサロン
第二章 古典復興-後水尾院と宮廷文化
第三章 新たなる美意識 Ⅰ 小堀遠州
第四章 新たなる美意識 Ⅱ 金森宗和と仁清
第五章 新たなる美意識 Ⅲ 狩野探幽

野々村仁清 「白釉円孔透鉢」
江戸時代・17世紀 MIHO MUSEUM蔵

会場に入ったところに展示されていた仁清の「白釉円孔透鉢」にまず驚かされます。丸い穴がボコボコ空いていて、花器なのか何なのか、どんな時に使われたものなのか、とても不思議。仁清というと色絵というイメージがありますが、ミルク色のモノトーンとシンプルで独創的な造形はとてもモダンで、まるで現代工芸のよう。江戸時代初期の作品とは全く想像もつきません。

仁清は寛永の頃、仁和寺の門前で御室窯を始めたといわれ、初期は茶人・金森宗和好みの茶器を多く制作したといいます。“宗和好み”は「きれい寂び」ともいわれ、その造形はシンプルかつシャープ。高麗茶碗を思わせる渋い茶碗や、富士山や山水を表したような錆絵の茶碗など、モノトーンの落ち着いた色調は仁清の華麗な色絵陶器とは異なるモダンで洗練された印象を与えます。外は無釉で内側に釉を施し、白釉で模様を付けた「白釉建水」や、平鉢を内側に曲げた独特の造形がユニークな「流釉花枝文平鉢」がとても印象に残りました。

茶碗・茶器では、光悦の赤楽茶碗、樂家3代目・道入の黒楽茶碗、そして遠州好みの茶碗や茶入れなどがたくさん展示されています。

土佐光起 「朝儀図屏風」(写真は右隻)
江戸時代・17世紀 茶道史料館蔵 (※展示は3/12まで)

寛永文化は江戸時代最初の文化動向なんだそうです。幕府による朝廷への経済的援助や融和政策や、古典復興への気運、上流階級の町人を新たな文化的傾向が生まれたと寛永文化が花開いた時代背景が分かりやすく解説されていました。一見、それぞれ繋がっていないように思える作品でも、そうした背景を知ることで、ひとつのムーブメントの中で同時多発的に発生したということも知ることができます。

光悦・宗達コンビの「鶴下絵新古今集和歌巻」の断簡や色紙なども展示されていたのですが、光悦は寛永14年に亡くなってる(宗達も寛永年間に亡くなったという説がある)ので活動の最盛期は寛永より前なのでしょうけど、光悦・宗達の共同作品に見られる古典的世界の創造は寛永文化に繋がっていったのだろうなということも分かります。

そこでキーとなる人物が後水尾院。天皇は学問でもしてればいいという幕府の方針もあったからというのもあるんでしょうが、江戸時代の頃には途絶えていた宮廷の儀式を復活させたり、和歌や生け花(立花)に造詣が深かったり、修学院離宮を造営して窯を作ったりしてまで茶会を開いたり、展示されている作品や史料を観るだけで、相当こだわりと美意識の高い人だったんだろうなと感じます。

住吉如慶 「伊勢物語絵巻 巻第一」
江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 (※展示は3/12まで)
(写真は東博『後水尾院と江戸初期のやまと絵』(2015)で撮影)

もう3年前になりますが、トーハクで『後水尾院と江戸初期のやまと絵』という企画展示がありまして、土佐光起を宮廷絵所預に抜擢し土佐派を再興させたり、住吉如慶に住吉派を興させたり、後水尾院が江戸初期のやまと絵制作のキーマンだったことを知ったのですが、本展でも物語絵や歌仙絵を中心に土佐派・住吉派の作品が紹介されています。

土佐派は、宮廷儀礼を描いた光起の「朝儀図屏風」が展示されてましたが、これは題材的に土佐派の特徴が見られるというものでなかったのが残念(後水尾院の宮廷儀礼復活という意味では重要ですが)。住吉派は如慶の「伊勢物語絵巻」や具慶の「源氏物語絵巻」があって、その精緻な筆致や人間味を感じる表現、四季の美しさ、また余白を広くとりこてこて描きこまない淡白な描写に王朝文化復興に通じる品の高さを感じます。

「紙本著色東福門院入内図」(重要文化財)
江戸時代・17世紀 三井記念美術館蔵 (※展示は3/12まで)

後水尾天皇のもとに嫁いだ徳川和子(東福門院)も相当な人だったようで、“衣装狂い”とまでいわれた東福門院の衣装を屏風に仕立てたという「小袖屏風」は綸子に細かな刺繍や文様が施された贅沢なもの。入内したときの様子を描いたという「紙本著色東福門院入内図」がまた素晴らしく、非常に精細な描写、豊かな群像表現もさることながら、どれだけ破格の規模で、どれだけ豪華な嫁入りだったのか驚いてしまいました。

狩野探幽 「富士山図」
寛文7年(1667) 静岡県立美術館蔵 (※展示は3/12まで)

そして探幽。大きく余白を取り入れた淡白かつ瀟洒な構図、品を感じさせる淡彩で優美な画趣。豪壮な狩野派の画風を大きく変え、江戸狩野という新しい時代の狩野派の様式を探幽が確立したことはよく知ってはいますが、それが寛永文化というムーブメントの中で起きたということを初めて理解した気がします。

探幽の名古屋城襖絵や「富士山図」、「源氏物語 賢木・澪標図屏風」は過去にも拝見していますが、「若衆観楓図」は初めて観た気がします。江戸初期の風俗画を思わせるも、そこは探幽、どこか品を感じる逸品。「源氏物語 賢木・澪標図屏風」はやまと絵を取り入れた探幽の傑作として知られますが、牧谿や夏珪といった中国絵画の学習成果を感じる「瀟湘八景図」や古画研究をまとめた「探幽縮図」などもあり、探幽のレンジの広さがコンパクトにまとめられています。途中のコーナーに展示されていた、探幽の弟子・久隅守景の娘・清原雪信の「女房三十六歌仙歌合画帖」も素晴らしかったです。

狩野探幽 「源氏物語 賢木・澪標図屏風」(写真は右隻)
寛文9年(1669) 出光美術館蔵 (※展示は3/12まで)

土佐派の復興や住吉派の興隆、探幽様式と狩野派のやまと絵的傾向、そして遠州や仁清といった江戸初期の美術の点と点が線で繋がり、寛永文化の古典復興のもとで同時代的に発生したことを知りました。寛永の時代の空気までもが伝わるサントリー美術館らしい素晴らしい内容の展覧会でした。


【寛永の雅 -江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽-】
2018年4月8日(日)まで
サントリー美術館にて


茶人・小堀遠州の正体 寛永文化の立役者 (角川選書)茶人・小堀遠州の正体 寛永文化の立役者 (角川選書)