わたし、あまり詳しく知らないんです、田中一村って。
奄美大島で絵を描いていて、日本のゴーギャンといわれたという程度の知識ともいえない情報だけ。6月に伊藤若冲展を観に千葉市美術館に行ったとき、次の開催予定に田中一村という名前を見て、たまたま本屋に並んでいた“もっと知りたいシリーズ”の『田中一村』を眺めて、遅ればせながらようやく興味を覚えたという程度です。はい、その程度です。
田中一村という方は、もう30年以上も前に亡くなられているんですが、生前は脚光も浴びることもなく、当然、絵で生計を立てられず、奄美で紬染色工として働きながら、絵を描き続けていたらしいのですが、没後テレビの美術番組で紹介されたことで大きな反響を呼び、一気に名前が知れわたったそうなのです。だからなのか、最近の美術展というと割と若い方が多いのですが、今回の展覧会は年齢層が比較的高かったのが印象的でした。
「不喰芋と蘇鐵」
一村はもともとは栃木の生まれで、父親は彫刻家。恐らく、その父からの手ほどきも受けていたのでしょう。幼くして絵に優れた才能を見せ、7歳で大きな児童絵画の賞を受賞しています。その後、東京に出て、東京美術学校(今の芸大)に入学したものの、すぐに退学。その後は千葉に居を構え、ほぼ独学で日本画の道を極めていきます。当初は、南画に大きな影響を受けていたようですが、その後、花鳥画を中心に描き、やがて独創的な画風を築き上げます。大正・昭和前期の美術界といえば、著名な画家に師事するとか、どこかの画壇に入るとかして、腕と名を上げていくのが一番多いパターンだと思うのですが、一村という人はそういう主流には交じらず(というより交じれなかった?)、そのためか高い評価を得ることもなく、孤高の画家として生きていきます。
「白い花」
一村の絵には、ほとんど人の姿がありません(生活の糧として肖像画を描いていたことはありますが)。花鳥画を描くことが多かったのもあるのでしょうが、風景画にしても、屋敷があって、畑があって、人が居てもいそうな絵にも人の気配がしません。だけど、不思議と物悲しさや、寂しさは感じません。夏の青空の絵であっても、蝉の鳴き声が一瞬途絶えたような、秋の様子を描いた絵でも、虫の音が鳴き止んだ瞬間のような、そんな刹那を切り取ったというんでしょうか、シーンと静まり返った静謐さが絵から伝わってきます。
「秋晴」
若い頃の作品は、日本画、特に南画の影響の濃い作品が多く、10代で描いたとはとても思えないような素晴らしい作品もあるのですが、時代と共に一村の画風も徐々に変わり、後年奄美に移り住む頃には日本画とも西洋画とも言えない独特のタッチに行き着きます。彼の絵は基本的に絹絵(絹本着色)ですが、日本画とも異質だし、かといって油絵や水彩画とも違う、独特の質感があり、それがまた魅力です。長年住み慣れ、季節の表情も豊かな関東を離れ、誰も身寄りのない南国奄美に移り住んだ理由には、彼が求める絵画の方向がそこに行けば必ず見つかると確信していたからなのでしょう。“日本のゴーギャン”と言われる由縁は、南国に一人移り住み、その地の風景を描いたという単純な理由ですが、一村の絵はゴーギャンというより、アンリ・ルソーを彷彿とさせるところもあります。ルソーも確か、南国の絵を多く描いていた画家でした。
「海老と熱帯魚」
展示会場の最後の二間は、奄美大島で描いた作品が展示されているのですが、特に最後の間の部屋全体を覆う一村の絵の濃厚な美しさには、彼の生涯を振り返ったとき、評価を得られず、成功することもなく、何度も悔しい思いをし、それでも諦めることなく、挫けることなく、死ぬ間際まで自分の絵画世界を求め続け、闘い続けたその極みが現れているようで、感動の一言に尽きます。
「アデンの海」
【田中一村 新たなる全貌】
千葉市美術館にて
9/26(日)まで
もっと知りたい田中一村―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
田中一村作品集