本展は、幕末・明治・大正と激動の時代を生きた文人画家で、最後の文人と評された富岡鉄斎の没後90年を記念しての展覧会。出品作はすべて出光美術館の所蔵作品で構成されています。
出光美術館には約80件の鉄斎のコレクションがあるそうで、その内の69作品が今回展示されています(他の画家の関連作品を含めると総展示数は計74点)。
こうした形で鉄斎コレクションを一堂に公開するのは10年ぶりとのこと。期間中展示替えはなく、若書きから最晩年の作品まで鉄斎画をまとめて観るには大変いい機会です。
会場は5つの章に分かれています。
Ⅰ 若き日、鉄斎の眼差し― 学ぶに如かず
Ⅱ 清風への想い ―心源をあらう
Ⅲ 好古趣味 ―先人への憧れと結縁
Ⅳ いざ、理想郷へ
Ⅴ 奇跡の画業 ―自在なる境地へ
30~40代の作品を集めたⅠ章や最晩年の作品から成るⅤ章を除いては、40代から晩年に至るまで織り交ぜながらテーマに沿って作品を紹介しています。初期の作品にはまだどちらかというと俳画風の文人画というのもあり、「十二ヶ月図」や「高賢図」のような風流な掛軸に逆に意外な新鮮味を感じたりします。
富岡鉄斎 「陽羨名壷図巻」
明治3年(1870) 出光美術館蔵
明治3年(1870) 出光美術館蔵
≪清風への想い≫では、“清風”(=喫茶趣味)への関心を表す作品を集めています。いろんな形や色の急須や茶道具が楽しい「陽羨名壷図巻」や、中国の故事に因んだ「陸羽煮茶図」、晩年の「高士煎茶図」が風雅でいい。
鉄斎は自分は儒者であって画師ではないと常日頃語っており、その画はほとんど独学だったといいます。たくさんの書物から学んだ知識や世界観といった好古趣味が鉄斎の源泉にはあったといい、高橋草坪や青木木米といった幕末の文人画家の影響を感じさせる作品も展示されていました。
富岡鉄斎 「蘭亭曲水図」
明治25年(1892) 出光美術館蔵
明治25年(1892) 出光美術館蔵
「蘭亭曲水図」は基にしたとされる高橋草坪の作品と並んで展示されていて、画としての巧さでいえば高橋草坪の方が上なのですが、鉄斎の味わいは抗しがたいものがありますし、米法山水を自己流に噛み砕いている感じがします。そういった意味では「米法山水図」もいい。
富岡鉄斎 「口出蓬莱図」
明治26年(1893) 出光美術館蔵
明治26年(1893) 出光美術館蔵
鉄斎といえば山水とは別に飄逸さやおおらかさも魅力ひとつ。ユーモラスな「太秦牛祭図」、仙人の口から煙のように蓬莱山が出てくる「口出蓬莱図」、ちょっと楽しい地獄絵図「萬古掃邪図」などやはり面白い。
「余に印癖有り」というほど実に500顆を超える印を持っていたという鉄斎。そうした蒐集癖を物語るような前漢の文人・司馬相如が夢に出てきたら司馬の印を手に入れたという「奇夢得印図」が秀逸です。
富岡鉄斎 「明恵上人旧廬之図」
明治34年(1901) 出光美術館蔵
明治34年(1901) 出光美術館蔵
富岡鉄斎 「東瀛僊閣図」
大正7年(1918) 出光美術館蔵
大正7年(1918) 出光美術館蔵
後年の作品では、やまと絵の画法を意識したという紅葉の赤と山の緑の色調が明るく華やかな印象を与える「明恵上人旧廬之図」、野に放たれた牛と咲き乱れる桃の花がなんとも長閑で美しい「放牛桃林図・大平有象図」、近景と遠景の描写と青緑山水の美しさが秀逸な「東瀛僊閣図」が印象的です。
富岡鉄斎 「梅華邨荘図」
大正10年(1921) 出光美術館蔵
大正10年(1921) 出光美術館蔵
最晩年の作品はまさにカオス。自在な筆勢によるダイナミックな水墨表現に圧倒されます。その中でも白眉は「梅華邨荘図」で、全面を覆う墨絵のところどころに咲き誇る桃の花がいい。最晩年の大作「蓬莱仙境図」はもはや抽象画で、山が生きているような不思議な錯覚に陥らせます。
富岡鉄斎 「蓬莱仙境図」
大正12年(1923) 出光美術館蔵
大正12年(1923) 出光美術館蔵
ほかにも、扇面に描いた作品の小特集も組まれていて、軽妙な「福内鬼外図」や「狗子図」など楽しげな作品も出ていました。
出光美術館の所蔵作品だけなので、もっと観たいという向きには物足らなさもあるかもしれませんが、それでもこれだけのコレクションを一堂に観られるのは圧巻です。鉄斎は「自分の画を見るならば賛から先に読んでくれ」と語ったということですが、わたしのように賛文を読めるほど教養がなくても、パネルで説明されているので、鉄斎がどのような意味をその画に込めたか理解しながら作品を味わえるのが良かったと思います。
【没後90年 鉄斎 TESSAI】
2014年8月3日(日)まで
出光美術館にて
富岡鉄斎 仙境の書