2014/07/26

オルセー美術館展

国立新美術館で開催中の『オルセー美術館展 印象派の誕生 −描くことの自由−』に行ってきました。

前回2010年の『オルセー美術館展』の大混雑のこともあるので、早めに観に行っておこうと、開幕の週の夜間開館日に行ったのですが、さすがに前評判の高い展覧会だけあって、結構な混み具合。特に女性のお客さんが多くてビックリしました。たぶん9割は女性の方だったのではないでしょうか。まるで誤って女性専用車両に乗ってしまったような気分(笑)。作品前の人だかりから移動するのにも気を使います。

さて、4年ぶりのオルセー美術館展のテーマは≪印象派の誕生≫。出品作のほとんどが1860~70年代のもので、アカデミズムから印象派へ時代が移る過渡期にスポットを当てています。新しい絵画の流れが生まれ、潮流が変わっていく様子がとてもよく分かります。よくぞここまで傑作の数々を持ってきてくれたことに感謝!


1章- マネ、新しい絵画

今回の『オルセー美術館展』はマネで始まり、マネで終わります。当時のフランス美術界の唯一の発表の場であったサロン(官展)でセンセーショナルを巻き起こし、その後の印象派の誕生に大きな影響を与えたマネの1860年代中頃の作品から見ていきます。

エドゥアール・マネ 「笛を吹く少年」 1866年

このテーマからすれば、マネの「草上の昼食」か「オリンピア」が来ればベストだったのでしょうが、そうともいかず、この時代のマネの代表作の一つ「笛を吹く少年」が来日しています。「笛を吹く少年」もサロンでは落選していて、陰影を排した平面性や何もない背景、また色数を抑えた塗り方が当時は批判されたとのこと。実際に観ると少ない色数であっても丁寧に描きこまれていて、それほど抑制された感じは受けません。逆に立体的というか、浮き上がってくるような存在感があります。

ここでは「読書」もいい。白のトーンが柔らかな印象を与え、軽く早い筆触はモネやルノワールの先駆けを感じさせます。本を読む息子レオンは後年加筆されたそうで、個人的にはない方がいい気もするのですが、マネは何か物足らなかったのでしょう。


2章- レアリスムの諸相

印象派の前にフランスで起きた絵画運動のレアリスム。やはり見どころはミレーの傑作「晩鐘」で、きっちりと描かれた絵なのかと思いきや意外とポワーンとしてるのですね。写真などで見るより、夕焼けの雲やその光の陰影が実に繊細に描かれていることに感動しました。

ジャン=フランソワ・ミレー 「晩鐘」 1850-55年

ここではブルトンの「落穂拾いの女たちの招集」も印象的。この写実性、なんでしょう。女性が美しくて、たとえば同じ会場にあったジャン=フランソワ・ラファエリの「ジャン=ルー=ボワトゥの家族、プルガヌーの農民たち」のリアルな農民の姿と違い美化され過ぎな感もなきにしもあらずですが、暮れかかる大地の空気や素足で歩く草の音まで伝わってくるような作品でした。

ジュール・ブルトン 「落穂拾いの女たちの招集」 1859年

忘れてはならないのがカイユボット。昨年の『カイユボット展』に来なかったのは本展に出品されるためと聞いてましたが、ずっと観たかったカイユボットの最高傑作にやっと会えて喜びもひとしおです。予想以上に写実的で、床の光の反射や照りの繊細な描写、職人の腕のリアルな動きなんかも実に巧い。脇に置かれたワインの瓶がまたフランス的。

ギュスターヴ・カイユボット 「床に鉋をかける人々」 1875年

ほかにインパクトが大きかったのがファルギエールの「闘技者たち」。組み合う男性の筋肉の描写が見事だなと思ったのですが、ファルギエールという人は本来は彫刻家のようですね。絵画でもこれだけの技術があるのだから凄いものです。


3章- 歴史画

19世紀の歴史画というと、旧態依然として保守的なアカデミズム絵画のイメージがありますが、ここでは歴史画の新しい流れを紹介していて、なるほどと思いました。今までは想像でしか描けなかった遠い異国が、交通機関の発達とともに実際に見て来れる、また写真などで見ることができたり、知識を得られるようになり、それが絵画に大きな変化を与えたといいます。

ジャン=レオン・ジェローム 「エルサレム」 1867年

アカデミズムの大家ジェロームの「エルサレム」やラリドンの「星に導かれてベツレヘムに赴く羊飼いたち」といったオリエンタリズムもこの時代の特徴のよう。「エルサレム」の右下に描かれた磔のキリストの影がとても写真的。

アカデミズムの画家ドロネーの「ローマのペスト」はまるでバーン=ジョーンズ。ドロネーはモローとも交流があったようです。ジェロームの弟子モットの「ベリュスの婚約者」もアカデミズム絵画というより空想画。ハリウッドの『イントレランス』みたいでした。

エリー・ドロネー 「ローマのペスト」 1869年


4章- 裸体

裸体画はアカデミズムと印象派の対比が分かりやすい。アカデミズムではブグローにルフェーヴル、極めつけはカバネル。

ウィリアム・ビグロー 「ダンテとウェルギリウス」 1850年

まずはブグローの「ダンテとウェルギリウス」が圧巻。ダンテの『神曲 地獄篇』を題材にした残虐さより非常にドラマティックな描写と構図が強烈です。

アレクサンドル・カバネル 「ヴィーナスの誕生」

カバネルの傑作「ヴィーナスの誕生」が観られるのはもう感涙もの。ナポレオン3世が買い上げたというのも納得です。アカデミズム絵画は個人的には嫌いではないので、このコーナーは満足度高し。

ギュルターヴ・クールベ 「裸婦と犬」

リアリズムではクールベ、印象派ではルノワールやセザンヌ。象徴主義ではモロー。クールベの「裸婦と犬」がクールベらしくていいですね。醜いものは醜くという(笑)


5章- 印象派の風景 田園にて/水辺にて

展覧会もちょうど真ん中。ここでは印象派の風景画を田園の風景と水辺の風景に分けて展示。特にピサロとシスレーが4点ずつ、セザンヌが5点と多め。

アルフレッド・シスレー 「洪水のなかの小舟、ポール=マルリー」 1876年

今回いいなぁと感じたのがシスレーの風景画で、モネやルノワールとはまた違う光や色彩に溢れていていいですね。モネは代表作の一つ「かささぎ」があって、光に照らされた雪景色の微妙な色の加減が繊細かつ全てに渡って抜かりなし。一羽の黒いかささぎの絶妙な効果に唸ってしまいました。

クロード・モネ 「かささぎ」 1868-69年


6章- 静物

主題の身近さと価格の手ごろさもあって、19世紀半ば頃から静物画はパリのブルジョワたちの間で人気があったのだそうです。18世紀の画家シャルダンもこの頃再評価を受けたようで、“シャルダン風”の静物画もいくつかありました。

アンリ・ファンタン=ラトゥール 「花瓶のキク」 1873年

素晴らしかったのがファンタン=ラトゥールの「花瓶のキク」。菊のリアルな表現性もさることながら、筆触というか、色味というか、その質感にビックリしまくり。


7章- 肖像

肖像画も印象派が批判されつつも印象派らしさを発揮したカテゴリー。これは好みの問題ですが、ルノワールやセザンヌもあったのですが、個人的にはアカデミズムやリアリズムの画家に惹かれました。印象が強かったのはカロリュス=デュランの「手袋の婦人」。どこぞの上流階級のご婦人で、こんな大きな絵を飾れる大邸宅に住んでたんだろうなと思いきや、実はモデルは画家の妻だという。 レオン・ボナの「パスカ夫人」も風格があって良かったです。カイユボットはこのボナの弟子だったようです。

カロリュス=デュラン 「手袋の婦人」 1869年

フランス絵画の中に並ぶと異色というか、なんであるの?と思ったのがホイッスラー。調べたら、クールベに影響を受けたり、ファンタン=ラトゥールらとグループを組んだりしていたようです。「灰色と黒のアレンジメント第一番」は健康の優れない母親を絵に残そうと描いた作品で、モノトーンのような配色と横からとらえた構図が印象的です。2007年の『オルセー美術館展』(東京都美術館)にも来てましたね。

クロード・モネ 「死の床のカミーユ」 1879年

圧倒的だったのはモネの「死の床のカミーユ」。あまりにも切なすぎる美しさに涙が出ました。あのカミーユが、と思うだけで観ていて辛い。


8章- 近代生活

新しい時代を描くだけあり、ここは印象派強し。モネとドガが3点ずつ。ドガは代表作の「バレエの舞台稽古」。メトロポリタン美術館にも同題の類似の構図の作品がありますが、こちらは同系色の濃淡だけで描いているところが印象的。

エドガー・ドガ 「バレエの舞台稽古」 1874年

ほかにベルト・モリゾの傑作「ゆりかご」も来ていました。こちらも2007年の『オルセー美術館展』で観ています。印象派を代表する女流画家で、我が子を見つめる女性の優しい慈愛と母になった幸福感に満ち満ちた作品。美しい。

個人的なヒットは、これまたファンタン=ラトゥール。静物も素晴らしかったのですが、「テーブルの片隅」のヴェルレーヌとランボー。まさに“太陽と月に背いて”!

アンリ・ファンタン=ラトゥール 「テーブルの片隅」 1872年 


9章- 円熟期のマネ

最後は再びのマネ。ジャポニスムとブルジョワ女性の取り合わせが面白い「婦人と団扇」、作品の描かれたエピソードが洒落ている「アスパラガス」など、どれも良いのですが、なんといっても最晩年の「ロシュフォールの逃亡」が印象的。島流しされた政治犯の脱出劇を絵画化したもので、大海を漕ぐ小さな船の緊迫した構図とグリーンを基調とした色彩の美しさ、たゆたう波のタッチが素晴らしい。

エドゥアール・マネ 「ロシュフォールの逃亡」 1881年頃

混雑必至の展覧会ですが、オルセー美術館の傑作揃いで、これを見逃す手はありません。既に賑わってますが、会期末はさらに混雑必至。お早めにどうぞ。


【オルセー美術館展 印象派の誕生 −描くことの自由−】
2014年10月20日まで
国立新美術館にて


印象派のすべて (別冊宝島 2200)印象派のすべて (別冊宝島 2200)


マネと印象派の巨匠たち: 印象派ってナニ?マネと印象派の巨匠たち: 印象派ってナニ?

2014/07/25

七月大歌舞伎「夏祭浪花鑑」


今月は昼の部のみ鑑賞。夜の『天守物語』は前にも観てるしなぁとモタモタしてたら売り切れてしまいました。

昼は『夏祭浪花鑑』。玉三郎が25年ぶりにお辰を演じるというので、これだけは観たいと思い早々に席を確保しました。

今回は、東京では久しぶりという「お鯛茶屋」から芝居が始まります。演出的に若干カットされているようですが、やはり前段としてお梶(吉弥)を中心とした人間関係が分かりやすくなり、後半の登場人物同士の繋がりが生きてきます。

海老蔵の『夏祭浪花鑑』は2009年のさよなら公演のときに観ていますが、どうも以前の方が勢いがあった気がします。血気盛んな若い侠客の物語というか、 無頼な雰囲気というのが前回ほどあまり感じられませんでした。公演を重ねた分、何か芝居が平凡になってしまった感じ。姿・形は男伊達だし、頑張ってるのは分かるんですけどね。

中車が義平次を演じるというのも話題。平成中村座では笹野高史さんもやってますから、そういう前例があっての抜擢なのでしょうか。その中車は怪演といっていい力の入れ具合で、演技派俳優の腕の見せどころといったところなのでしょうが、芝居がクサイというか、少々やり過ぎな感じが。義平次というよりまるで『あしたのジョー』の丹下で、長町裏が凄惨ではなく滑稽な場になってしまいました。残念。

玉三郎のお辰は私がちょっと期待しすぎてしまったかもしれません。想像していたお辰と違いました。とはいっても以前に観ているのが勘三郎と勘九郎のお辰なので、その印象の違いもあるかもしれません。リアルな巧さ、世話物としての味わいはあるし、考え抜かれた玉三郎の世界ではあるのでしょうが、少しあっさりとした感じに映りました。

さすがに良かったのがお梶の吉弥と三婦の左團次。一寸徳兵衛の猿弥も良かった。琴浦の右近(尾上)は芸者の色気がないというか、ただきれいなだけという感じ。

全体的に義太夫味の薄い夏祭でした。いつか上方勢だけのちゃんとした『夏祭浪花鑑』が観たい。浪花らしく人情味豊かで、こってりと、ギラギラしたやつを。

2014/07/12

ヴァロットン展

三菱一号館美術館で開催中の『ヴァロットン展』のブロガー特別内覧会がありましたので参加してまいりました。(といっても既に半月前のことですが…)

フェリックス・ヴァロットンは19世紀末から20世紀頭にかけて活躍したフランスの画家。本展は2013年にパリ、グラン・パレで行われた回顧展の巡回展で、日本では初のヴァロットンの展覧会になります。

ヴァロットン?知らないな~、と思っていたのですが、実は2010年の『オルセー美術館展』でヴァロットンの作品を観ていました。すっかり記憶から抜け落ちていました。

過去に何度か日本でも作品が紹介されているので、知る人ぞ知る画家というところなのでしょうが、知名度は決して高くなく、美術史的にも長く忘れられていたようです。ヴァロットンの再発見・再評価は、かつての伊藤若冲のそれを引き合いに出されることもあるぐらいで、この展覧会をきっかけに一気に人気が高まってくる気がします。


1章 線の純粋さと理想主義

ヴァロットンの生きた時代は印象派やポスト印象派、フォビズムの登場と重なりますが、若い頃のヴァロットンはデューラーやクラナハ、またアングルなどに傾倒していたそうです。ヴァロットンの絵がナビ派ほどナビ派っぽくないというか、変に神秘主義の方向に走らなかったり、古典主義からダイレクトにモダンになってる感じがするのはその辺りに理由があるのかもしれません。

[写真左] ヴァロットン 「休息」 1911年 シカゴ美術館蔵
[写真右] ヴァロットン 「トルコ風呂」 1907年 ジュネーヴ美術・歴史博物館蔵

最初に登場するのがアングルの代表作「トルコ風呂」をモチーフにした作品。1905年にアングルの回顧展でヴァロットンは初めてこの作品を観て、感激のあまり涙したといいます。「休息」は背景の黒とシーツと肌の白さのコントラストが印象的な一枚。女性の肌の曲線が滑らかで美しい。

[写真左] ヴァロットン 「5人の画家」 1902-03年 ヴィンタートゥール美術館蔵
[写真右] ヴァロットン 「20歳の自画像」 1885年 ローザンヌ州立美術館蔵

「5人の画家」はボナールやヴュイヤールなどナビ派の画家を描いた作品で、一番左奥にいるのがヴァロットン。ドニの「セザンヌ礼賛」に触発され制作したといわれています。スイス出身のヴァロットンは“外国人のナビ”といわれ、ナビ派とは理論的にも様式的にも微妙な距離があったそうです。

そのヴァロットンの若き肖像は真面目そうな反面どこか神経質そうな容貌が印象的。会場の一番最後には晩年の肖像画があるので、どう変わっているか是非比べてみてください。

ヴァロットン 「エミール・ゾラの装飾的自画像」 1901年 個人蔵

三菱一号館美術館に飾られると絵が活きてきますね。


2章 平坦な空間表現

ナビ派自体が奥行き感のない平坦な画面構成を特色としているところがあり、ヴァロットンもフラットで独特の空間表現を好んでしています。会場にはヴァロットンが所有していた歌麿や国貞の浮世絵も展示されているのですが、二次元的な構成や単純な色面は浮世絵に影響を受けている部分もあるようです。そのあたりは浮世絵に傾倒していボナールに近いかもしれません。

[写真左] ヴァロットン 「月の光」 1894年 オルセー美術館蔵

「月の光」は個人的に本展でのお気に入りの一枚。ナビ派らしい装飾性と幻想性を併せ持った作品です。光の表現がまた美しい。

[写真左] ヴァロットン 「シャトレ劇場のギャラリー席3階」
 1895年 オルセー美術館蔵
[写真右] ヴァロットン 「ボール」 1899年 オルセー美術館蔵

本展のメインヴィジュアルにもなっている「ボール」。俯瞰的にとらえた特徴的な構図を光と影に二分し、2人の大人とボールを追う子ども(よく見るとボールは2つ)、森の中の静けさと子どもの歓声という、それぞれ対極のものを配しているのが面白いし、何か記号的でそれぞれに意味がありそうに思えてきます。何気ない光景のようでいて、どこか異空間的で不穏な空気を感じます。この絵を観たとき、ニコラス・ローグの『赤い影』の赤い鞠で遊ぶ少女を思い浮かべました。


3章 抑圧と嘘

ヴァロットンの絵を特徴づけるものの一つが、家族や女性に対する彼のビミョーな関係や心理を反映したような心象風景的な作品。何か気まずいところを見てしまったというか、見てはいけないものを覗いてしまったような気分になります。

ヴァロットン 「貞節なシュザンヌ」 1922年 ローザンヌ州立美術館蔵

「貞節なシュザンヌ」は、敬虔な美しい人妻が水浴しているところを好色な老人2人に覗き見され、逆に姦通の罪で死刑宣告を受けるという旧約聖書のエピソードを着想源にした作品。シュザンヌは一見貞淑そうですが、その目は妖しく、男を誘っているようにも見えなくもありません。

[写真左] ヴァロットン 「夕食、ランプの光」 1899年 オルセー美術館蔵

ヴァロットンの妻はパリの大画商の娘で、貧乏画家だったヴァロットンはいきなりブルジョワの仲間入りをします。「夕食、ランプの光」は結婚した年に描かれた作品で、手前の黒い影がヴァロットンだといいます。その絵からは新婚の幸福感も家族の温もりも感じられず、自分の居場所がないような、憂鬱な彼の心の内が見えるようです。

[写真左] ヴァロットン 「ポーカー」 1902年 オルセー美術館蔵
[写真右] ヴァロットン 「ポーカー」 1894年 三菱一号館美術館蔵

義理の家族のベルネーム家を描いた作品もいくつか展示されていました。ヴァロットンの屈折した気持ちが反映されたような「アレクサンドル・ベルネーム夫人」やポーカーを興じるグループに溶け込めない壁を感じる「ポーカー」など。

[写真左] ヴァロットン 「室内情景」 1900年 オルセー美術館蔵
[写真右] ヴァロットン 「室内、戸棚を探る青い服の女性」
1903年 オルセー美術館蔵

妻をモデルに描いた作品もいくつか。ただ、どれもちょっと怖い。何か思い詰めたような女性や、一心不乱に棚を探しまわる女性、散らかった服や乱れたシーツを背景に呆然と立ち尽くす女性など、こんな絵を描いて奥さんは何とも思わなかったんでしょうか。逆に、敢えて辛辣な表現を試みているような気もしないでもありません。どうなんでしょう。


4章 「黒い染みが生む悲痛な激しさ」

各章にヴァロットンの版画も展示されていますが、ここではまとめて少しご紹介。展覧会に合わせて、三菱一号館美術館はヴァロットンの版画を大量購入し、そのうち70点が今回展示されています。

[写真左から] ヴァロットン 「<息づく街パリ> 口絵」 1894年
「<息づく街パリ> 切符売り場」 1893年 
「<息づく街パリ> 学生たちのデモ行進」 1893年
三菱一号館美術館蔵

もともとヴァロットンは肖像画家としてスタートを切ったようですが、なかなか目が出ず、最初に注目を浴びたのが木版画でした。ベタッと塗りつぶされた面と省略されたシンプルなライン、それでいて豊かな人々の表情。ユーモアのなかにもちょっとスパイスが効いているのがミソ。

ヴァロットン <楽器>シリーズ 1896-97年 三菱一号館美術館蔵

アルプスの山を描いたシリーズや、友人の音楽家を描いた<楽器>シリーズなどもいいですが、ヴァロットンの面白さはやはりパリの街の息吹や人々の躍動を描いた<息づく街パリ>や<万国博覧会>、ブルジョワ男女の情事を描いた<アンティミテ>でしょう。写真の影響を感じさせる大胆なフレーミングや黒と白のグラフィカルなコントラストが独特。


5章 冷たいエロティシズム

ヴァロットンは女性に対して猜疑心を抱いているのか、なにかトラウマでもあるのか、ここでもやはり距離感を感じます。女性があられもないポーズをとっていても、微笑みかけていても、画家の視線が冷めているからなのか、少しもエロティックな感じがしないから不思議です。

[写真左] ヴァロットン 「正面から見た欲女、灰色の背景
1908年 グラールス市立美術館蔵
[写真右] ヴァロットン 「眠り」 1908年 ジュネーヴ美術・歴史博物館蔵

ヴァロットンの裸婦画はどことなく新古典主義的で、それでいてとても視覚的というか現代的な感じがします。ゆるいカーブを描くような身体のラインやフラットな肌の質感、全体的な色のバランスが印象的です。

[写真左] ヴァロットン 「赤い絨毯に横たわる女性」
1909年 プティ・パレ美術館蔵
[写真右] ヴァロットン 「オウムと女性」 1909-13年 個人蔵

妻を描いた作品はちょっと不気味だったのに、裸婦画の女性はみんなきれいなのが面白い。個人的には「赤い絨毯に横たわる女性」が好きですね。振り返らせるところとかアングルの「グランド・オダリスク」ぽい。緑の布を口にくわえた「秋」もアングルの「泉」を思わせます。「オウムと女性」もティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」あたりを参考にしてるんだろうなと感じました。犬がオウムになってるところなんかも。学芸員の方が、性器が描かれていた絵に後から白い布を描き足した作品があるという話をしていたのですが、「オウムと女性」のことでしょうか?

ヴァロットン 「ジュール・ルナール『にんじん』挿絵」ほか

途中にはヴァロットンが表紙や挿絵を描けた『罪と罰』や『にんじん』の本も展示されています。また、三菱一号館美術館のナビ派コレクションの中からゴーガンやルドンのリトグラフ、そして今回初公開となるドニの「純潔な春」が展示されていました。


6章 マティエールの豊かさ

ここではマティエール(質感)にこだわった作品を紹介しています。ヴァロットンの晩年の15年ぐらいは静物画や風景画なども多かったみたいです。

[写真左] ヴァロットン 「チューリップとマイヨールの彫像」 1913年 個人蔵
[写真中] ヴァロットン 「アフリカの女性」 1910年 トロワ近代美術館蔵

ヴァロットンが描く裸婦の肌はどちらかというとのっぺりした感じが多いのですが、たとえば「アフリカの女性」なんて肌の表現にこだわって写実的に描いていますし、「赤い服を着たルーマニア女性」も生々しいぐらい。ヴァロットンは女性を後ろから描くことが好きなようですが、正面から見据えて描いているのも逆に新鮮な感じがします。静物ではナイフに反射したピーマンの赤色が血を連想させる「赤ピーマン」もブラックユーモアがあって面白い。

[写真左] ヴァロットン 「臀部の習作」 1884年頃 個人蔵
[写真右] ヴァロットン 「海からあがって」
1924年 ジュネーヴ美術・歴史博物館蔵

「臀部の習作」は10代で描いた作品で、中年女性(?)のお尻の脂肪の感じや垂れ具合がリアルで驚きます。それにしても10代にしてこの倒錯性はなんでしょう。彼のフェティシズムの一端を見る思いがします。

個人的に好きなのが「海からあがって」。ヴァネッサ・レッドグレイヴかシャーロット・ランプリングか、そんな感じの知的な大人の女性。


7章 神話と戦争

ヴァロットンのユーモアのセンスが光るのが神話画。基本的には古典的主題に則っているのでしょうが、ヴァロットンの手にかかると最早パロディになってしまいます。

[写真左] ヴァロットン 「竜を退治するペルセウス」
1910年 ジュネーヴ美術・歴史博物館蔵

竜を退治するペルセウスは有名な画題ですが、竜がどうみてもワニで、ペルセウスも盛りを過ぎたような風貌、しかもアンドロメダの様子が笑えます。アダムとイブの夫婦喧嘩を描いた「憎悪」や茶目っ気のある「シレノスをからかう裸婦」など、ちょっと笑ってしまいそうな作品もありますが、女性が寄ってたかって男を八つ裂きにする「引き裂かれるオルフェウス」はゾッとするような絵だけれど、構成力が素晴らしい。

ヴァロットン <これが戦争だ!>シリーズ 1915-16年 三菱一号館蔵

ヴァロットンは第一次世界大戦に兵士として志願したものの年齢的に叶わず、従軍画家として戦地に赴いているそうです。ここでは戦場で描いた作品がいくつか展示されているほか、戦争の現実と悲劇をシニカルに描いた木版画<これが戦争だ!>が秀逸。


ヴァロットンの絵は、ただきれいだなとか美しいなとか、そういう絵の見方を越えた面白さというか、絵に隠された意味やヴァロットンの心理を読み解いたり、いろんな見方ができて、観ていて飽きません。オススメの展覧会です。


※展示会場内の画像は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。


【ヴァロットン展 -冷たい炎の画家】
会期: 2014年6月14日(土)~9月23日(火・祝)
会場: 三菱一号館美術館
開館時間: 10:00~18:00(毎週金曜日は20:00まで(祝日除く))
※入館は閉館の30分前まで
休館日: 月曜日
(但し、祝日・振替休日の場合は開館/9月22日(月)は18時まで開館)


VALLOTTON―フェリックス・ヴァロットン版画集VALLOTTON―フェリックス・ヴァロットン版画集


まるごと三菱一号館美術館―近代への扉を開くまるごと三菱一号館美術館―近代への扉を開く

2014/07/08

ジャン・フォートリエ展

東京ステーションギャラリーで開催中の『ジャン・フォートリエ展』に行ってきました。

以前、ブリヂストン美術館でフォートリエの「人質の頭部」を観て興味は持っていたのですが、先日コレクション展示でまた別のフォートリエ作品に接し、フォートリエの全貌を知るにはちょうどいい機会だと思い、伺ってまいりました。

ジャン・フォートリエはフランスの抽象絵画運動を代表する画家。意外なことに日本では初の本格的な回顧展だそうです。


1-レアリスムから厚塗りへ 1922-1938

若い頃はターナーに影響を受けていたりしたようですが、20~30年代の作品を観る限り、その絵はターナーという感じはせず、セザンヌを思わせます。しかも暗いセザンヌ。

会場の最初に展示されていた「管理人の肖像」には度肝を抜かされましたが、これは他の作品と比べてもちょっと特異で、「エドゥアール夫人の肖像習作」のタッチや、「静物」や「玉葱とナイフ」などの静物画はセザンヌを重くさせたような色調と描写が印象的です。

ジャン・フォートリエ 「管理人の肖像」
1922年頃 ウジェーヌ・ルロワ美術館蔵

この時代は2~3年でがらりと画風が違うというか、サンギーヌ(赤色顔料)を使った裸婦画や、暗い背景に対象物がぼーっと浮かび上がるような裸婦画、まるで炭で描いたような“黒の時代”と呼ばれる特徴的な作品が次々現れます。この時期の特色として、女性の乳房や腹部が強調されるのはアフリカ美術の影響だとありました。いろいろと模索を繰り返していたのでしょうね。

ジャン・フォートリエ 「美しい娘(灰色の裸婦)」
1926-27年頃 パリ市立近代美術館蔵

ちなみに、後にフォートリエは過去の具象絵画を失敗とし、「誤りだと分かった」と否定しています。

途中にはフォートリエの彫刻作品も展示されていますが、彫刻は限られた時期のみに制作されていて、全体でも20点ぐらいしかないようです。


2-厚塗りから「人質」へ 1938-1945

戦前の活動は日本でも紹介されていたほどですから、それなりに評価は高かったのでしょうが、フォートリエは経済的な理由から創作活動を一旦止め、アルプスでスキーのインストラクターやホテルの経営などをしていたといいます。

ジャン・フォートリエ 「人質の頭部」
1944年 国立国際美術館蔵

その後、再びパリに戻るのですが、時は戦時下。そんな中でドイツ軍の捕虜になったレジスタンスを題材に制作したのが連作の<人質>シリーズ。その顔は拷問されたかのような、ただの肉の塊りと化し、もはや目や鼻、口の区別さえつかないようなものもあります。これはレジスタンスに限定されず、ユダヤ人の悲劇や広い意味で戦争の悲劇の象徴でもあるのでしょう。その作品は美術界に衝撃を与え、「ピカソ以来世界でもっとも革新的な画家」と高い評価を受けたそうです。


2-第二次世界大戦後 1945-1964

戦後の作品は“アンフォルメル”といわれる、厚塗りで色彩豊かな独特のマチエールをもった作風へ一変します。

ジャン・フォートリエ 「雨」
1959年 大原美術館蔵

会場に流れていた映像でフォートリエは、「他の画家に興味はない。好きなのは自分の絵だけ」と語っていました。孤高というより我が道を往く画家なのだなと実感。「雨」や「草」、「黒の青」あたりが個人的にはいいなと感じます。

ジャン・フォートリエ 「黒の青」
1959年 個人蔵

会場に流れていた映像で、美術評論家がアンフォルメルに自説を述べるも、フォートリエがばっさりと切り捨てたり、描こうと思えば3分でできると豪語していたのにはちょっと笑いました。

会場の最後には日本を代表するアンフォルメルの画家・堂本尚郎の作品が展示されています。


 【ジャン・フォートリエ展】
2014年7月13日まで
東京ステーションギャラリーにて


アンフォルム―無形なものの事典 (芸術論叢書)アンフォルム―無形なものの事典 (芸術論叢書)

2014/07/07

日本人が愛した官窯青磁

東京国立博物館で開催中の『台北 國立故宮博物院-神品至宝-』の関連企画として、東洋館3階5室で『日本人が愛した官窯青磁』という特集展示をしていましたので観てまいりました。

国内所蔵作品をとおして、宋時代に皇帝御用の「官窯青磁」をもって極みに達した青磁の魅力に迫り、また日本における官窯青磁の歴史を辿るというミニ企画です。出品数は20数点と少ないのですが、東博の所蔵作品だけでなく、常盤山文庫やアルカンシエール美術財団、また個人の所蔵品も含め、国内にある貴重な青磁が集められています。


第1章 北宋官窯をもとめて -汝窯と「東窯」とよばれた青磁

『故宮博物院展』にも北宋の青磁が展示されていますが、ここでは国内所蔵の汝窯青磁と北宋官窯、また宗代初期の民窯といわれる東窯の作品が取り上げられています。

「青磁盤」 中国・汝窯 川端康成旧蔵
北宋時代・11~12世紀 個人蔵

汝窯青磁は世界に70数点しか現存していないといいます。かつて川端康成が所持していたという「青磁盤」は日本で見いだされた唯一の汝窯青磁だそうです。


第2章 日本人が見いだした官窯青磁 -南宋官窯と米色青磁

世界で4点しか現存してないという“米色青磁”。台湾の故宮博物院にも中国の故宮博物院にもなく、全て日本にあるそうで、その4点中の3点が今回展示されています。米色青磁の落ち着いた、それでいて高貴な、飴色に輝く色具合が美しい。

[写真右から] 「米色青磁瓶」「米色青磁洗」「米色青磁杯」 中国・南宋官窯
南宋時代・12~13世紀 常盤山文庫蔵

第3章 日本人の美意識 -「修内司」と砧青磁

中国での陶磁研究の流れとは別に、日本では古来から釉色の美しい南宋青磁を「砧」とよんでいたそうです。その中でも特上とされた南宋官窯が「修内司」。ここでは国宝の「青磁下蕪瓶」をはじめ、もとは平重盛所持の茶碗とされ、室町時代に将軍・足利義政に伝わったという「馬蝗絆」が展示されています。ひび割れがあったため中国に送ってこれに代わる茶碗を求めたところ、既にこれほど優れた青磁は製造されてなく、ひびを鎹で止めて日本に送り返してきたといわれています。

重要文化財 「青磁輪花碗 銘 馬蝗絆」 中国・龍泉窯
南宋時代・13世紀 東京国立博物館蔵 (展示は9/3まで)

『日本人が愛した官窯青磁』の展示風景

ほかに東洋館では、5階9室の≪清時代の工芸≫に故宮博物院所蔵の超絶技巧の工芸品に勝るとも劣らぬ精緻な工芸品が展示されています。『故宮博物院展』にも俏色の玉器工芸「人と熊」がありましたが、こちらにも白と黒の「碧白玉双鯉花器」や、瑪瑙でザクロを彫った「瑪瑙石榴」など技巧の粋を集めた作品が並びます。

「瑪瑙石榴」
清時代・19世紀 東京国立博物館蔵 (展示は12/7まで)

4階8室の≪中国の絵画 日本にやってきた中国画家たち−来舶清人とその交流−≫では、江戸時代に日本に伝わった来舶清人の画業を紹介しています。沈南蘋や宋紫嵒といった日本画に影響を与えた重要な絵師の作品をはじめ、乾隆帝がフランスで制作させたという版画「乾隆平定両金川得勝図」あたりが見どころでしょうか。特に沈南蘋の「鹿鶴図屏風」は秀逸。応挙や若冲に与えた影響、さらにはそこから波及する流れを考えると、江戸絵画は沈南蘋の来日以前以後で区切ってもいい気がします。

沈南蘋 「鹿鶴図屏風」
清時代・乾隆4年(1739) 東京国立博物館蔵 (展示は7/27まで)

『故宮博物院展』にあわせて一緒に観ると、より充実した中国美術体験ができるのではないでしょうか。


【日本人が愛した官窯青磁】
2014年10月13日(月・祝)まで
東京国立博物館 東洋館5室にて


徽宗のやきもの―汝官窯と北宋官窯の軌跡徽宗のやきもの―汝官窯と北宋官窯の軌跡


青磁 (NHK美の壺)青磁 (NHK美の壺)