シュルレアリスムとは何ぞや。まぁ、正直そう簡単ではないですよね。シュルレアリスムの絵は昔から好きで、高校の美術部にいた頃、シュルレアリスム“もどき”の絵を描いていたりもしましたが、そんな自分でも良く分かりません。
「シュルレアリスムは、それまでおろそかにされてきたある種の連想形式のすぐれた現実性や、夢の全能や、思考の無私無欲な活動などへの信頼に基礎をおく。他のあらゆる心のメカニズムを決定的に破産させ、人生の主要な諸問題の解決においてそれにとってかわることをめざす。」(『シュルレアリスム宣言』 アンドレ・ブルトン著/ 巖谷国士訳/岩波文庫)
ちょうど会場を入ってしばらくしたところに、 こんなテキストが壁一面に掲げられていました。余計分からなくなります(笑)
まぁ、要するに、現実(日常世界)と壁一枚隔てたところにある目に見えない世界、それは空想だったり、幻想だったり、眠ってる間に見る夢だったり、夢の啓示だったり、予感だったりするわけですが、そういう“超現実”とか“過剰な現実”から、新しい芸術、真実の美を発見し、試みようとしたものだと理解していますが、いかがでしょうか?
ダリ「不可視のライオン、馬、眠る女」
さて、今回の『シュルレアリスム展』には、フランスが誇る現代美術館“ポンピドー・センター”から、そんなシュルレアリスムなコレクションが多く貸し出されています。出版物などの資料も含めると約300点。 キリコ、マグリット、ミロ、ダリ、エルンスト、デルヴォー、タンギー、さらにはデュシャンやポロック、或いはブリュエルやルネ・クレールまで、ビッグ・ネームはだいたい網羅してるのではないでしょうか?
ミロ「シエスタ」
展示の流れてしては、1910年代の“ダダ”の登場に始まり、“シュルレアリスム宣言”が発せられた1924年から1930年代の全盛期、2度の世界大戦を経ての変遷、第二次世界大戦によるアメリカでのシュルレアリストたちの活動、そして戦後の変遷と時代的な流れを追っていて、アートしてのシュルレアリスムを総括的に紹介しているという感じでした。その中で、「自動記述」や「偏執狂的」「アンフォルメル」といったキーワードが登場し、そのテーマに添った展示がなされています。それぞれテーマごとに、シュルレアリスムを語った文献からの引用が訳つきで紹介されているのですが、その訳が前世紀的な直訳調の読みづらい訳のままで、難解なテーマを更に難解にさせていました。(せめてもっと分りやすく訳し直してくれればよかったのに…)
ブローネル「光る地虫」
ポンピドーセンターから大挙してやって来るということで、個人的には相当期待をしていたのですが、マルグリットは7点の出品があったものの、キリコは3点、ダリは2点と少々物足らない感じも。一方マッソンとブローネルは作品数が多く、それぞれ20点前後はあったのではないかと思います。貴重な作品をわざわざ貸してもらうのですから文句を言ってはいけませんが、目玉になるような著名な作品がなかったのは事実かもしれません。
マグリット「赤いモデル」
自分が出かけたのは、延長開館をしている金曜日の夕方ということもあり、それほど混んではいませんでしたが、結局閉館まで2時間半もいて、ちょっとぐったりしました。森や川があって、美しい女性がいて、静物があって…といういわゆる一般的な絵画と異なり、シュルレアリスムの絵って不可思議なモチーフや奇妙な模様の奥に潜む画家の内面や哲学、夢の啓示なんかを想像しないと分からないというか、何を伝えようとしているのか理解をしようと頭を働かせるので、思った以上に知力と精神力を消耗してしまうようです。まぁそこが面白いとこなんですが。
今回のお気に入りの一枚。なんともシュール(笑)
ブルーメンフェルド「仮面のセルフ・ポートレート」
【シュルレアリスム展―パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による―】
国立新美術館にて
5/9(月)まで
シュルレアリスムとは何か (ちくま学芸文庫)
シュルレアリスム―終わりなき革命 (中公新書)
ダダ・シュルレアリスムの時代 (ちくま学芸文庫)