さてさて、3年の工事を経て、ようやく開場を迎えた新生・歌舞伎座の杮落し公演に行って参りました。
4月から6月までは3部制で、今月はとりあえずご祝儀(?)と思い3部全て観て参りました。(しかも全て一等席で!おかげで大大大赤字!!!)
この3年の間に富十郎、芝翫、雀右衛門、勘三郎、そして團十郎と、まるで人柱にでもされたかのように、歌舞伎界の至宝と呼ぶべき役者たちが次々に天に召されてしまいました。特に、新生・歌舞伎座の中心にいたであろう團十朗と勘三郎が亡くなったのは本当に残念なこと。この2人が生きていれば、どれだけ歌舞伎のレパートリーの幅も、観に行く楽しみも広がっていただろうに…。
まぁ、いつまでも嘆いていても何も始まりません。もう前に進むのみ。
備忘録的な個人的感想の羅列で恐縮ですが、まずは第一部から。
幕開けはおめでたく、藤十郎、染五郎、魁春、そして次世代を担う若手御曹司たちによる『壽祝歌舞伎華彩』から。祝祭的な舞踊で、弥が上にも気分は盛り上がります。それにしても藤十郎の若さは何でしょう。動きに老いを全く感じません。いつまでも元気で、素晴らしい芸を見せていただきたいと思います。
二幕目は“十八世勘三郎に捧ぐ”として『お祭り』を。中村座や勘三郎に所縁の面々が賑やかに繰り出します。勘九郎と七之助が勘九郎の息子の七緒八くんを連れて登場するともう割れんばかりの拍手。勘三郎の追悼的な意味合いの、ややもするとしんみりしてしまいそうな演目を、七緒八くんがどれだけ明るく、前向きな気持ちにしてくれたことか。しかも2歳とは思えないしっかりした様子で、少し早いですが、将来の役者としての片鱗を見た思いがしました。
三幕目は『熊谷陣屋』。吉右衛門の熊谷直実に、玉三郎の相模、菊之助の藤の方、そして仁左衛門の義経と豪華な大顔合わせ。舞踊2本が続いたあと、ようやく歌舞伎らしい狂言の登場に、これを待ってたんだよ、と思わずにいられませんでした。
さよなら公演でも吉右衛門で『熊谷陣屋』がかかって、吉右衛門の熊谷に非常に感動したのを覚えています。さよなら公演のときは歌舞伎座が閉場するという気持ちの高ぶりもあったかもしれませんが、今回は前回より気持ちを抑えて少し冷静に見ることができたような気もします。もちろん吉右衛門は素晴らしかったのですが、今回は玉三郎の相模と仁左衛門の義経に感情移入されるところも多かったかもしれません。特に玉三郎はここまでやるかというぐらい感情的というか、生々しい気さえしましたが、その分ストレートに感情に訴えてきました。ただ相模という役としてはちょっとやり過ぎではないかと思うところもなきにしもあらず。
さて、第二部。
まずは菊五郎の弁天小僧による『弁天娘女男白浪』。さよなら公演のときは「浜松屋」と「稲瀬川」のみでしたが、今回は「浜松屋見世先の場」から「滑川土橋の場」まで。メンバーも南郷力丸に左團次、赤星十三郎に時蔵、浜松屋の倅に菊之助と、いつもの菊五郎劇団の面々で、息の合ったところを見せます。團十郎が予定されていた日本駄右衛門は吉右衛門が演じ、貫録を見せつけました。菊五郎は極楽寺の屋根上の立ち回りもあり、大変だったと思いますが、やっぱり菊五郎の弁天小僧はかっこいい。今月の演目の中ではこれが個人的に一番満足度が高かったです。
つづいては玉三郎の『忍夜恋曲者(将門)』。ここ最近、大宅太郎光圀を獅童が務めていましたが、本公演では松緑。痩せたからか動きが軽やかで、もともと舞踊には定評のある方ですから安心して観ることができ、玉三郎の相手役としては申し分なかったと思います。ただ、玉三郎が少し精彩を欠いていたような気がしたのは、観た日が楽前で疲れでも出てたのでしょうか。この日は常磐津が調子外れでかなり残念に思いました。
さてさて、第三部。
まずは『盛綱陣屋』。『熊谷陣屋』ともちろん筋は違うけど“陣屋”つながり、しかも共に首実検があったりして、ときどきこんがらがります(笑)。『熊谷陣屋』では吉右衛門に仁左衛門が付きあい、『盛綱陣屋』では仁左衛門に吉右衛門が付きあうというパターン。團十郎がいなくなると、仁左衛門、吉右衛門、そして菊五郎への負担が予想以上に大きくなるのだなぁと痛感します。大顔合わせというと、もうこの人たちしかいないものね…。仁左衛門の『盛綱陣屋』は個人的には二度目ですが、初めて観たときよりも非常に重いものが伝わってきたのは、仁左衛門の肩にかかる重圧と重なって見えたからかもしれません。
『盛綱陣屋』では女形の三人、東蔵の微妙、時蔵の篝火、芝雀の早瀬がとても良かったのは特筆していいでしょう。東蔵丈の微妙はどうかと思いながら観てましたが、控えめながらも情感豊かで胸に迫るものがありました。そのほか、翫雀の伊吹藤太、橋之助の信楽太郎も舞台に華を添え、また小四郎の金太郎くんと小三郎の大河くんも頼もしい芝居を見せてくれました。
最後は勧進帳。2008年に東大寺奉納大歌舞伎で上演1000回を達成し、本公演の千穐楽の日に1100回を迎えた弁慶・幸四郎の『勧進帳』。富樫を菊五郎が、さらに四天王が染五郎、松緑、勘九郎、そして左團次ということで個人的には今月の演目の中で一番楽しみにしていました。幸四郎が初日からお疲れ気味の様子というツイートをいくつか見たので心配だったのですが、幸四郎の弁慶は自分は初めてだったので、これが公演の疲れによるものか、年齢的なものか、こういう弁慶なのか分からないのですが、義経を守らんとする迫力というか生気があまり感じられなかったような気もしました。
残念でならなかったのが、飛び六方で手拍子が起きたこと。初日のNHKのテレビ中継で手拍子があったので嫌な予感はしたのですが、私が観に行った日もやはり手拍子が起きてしまいました。歌舞伎で手拍子をするという感覚がそもそも理解できないのですが、あの六方にどういう意味があるか、少なくともあのあと弁慶、そして義経がどういう運命を辿るかを考えれば、手拍子などできるはずないと思うのです。手拍子している人は自分の無知をひけらかしているようなもので、杮落し公演ということで歌舞伎にあまり親しんでない人が多いのかもしれませんが、少なくても歌舞伎ファンはそういう見識が疑われるような行動は慎んでほしいと思います。
今月は散在してしまったので、来月以降はちょっとペースを落とすつもりです。。。
z和樂 2013年 06月号 [雑誌]
観にいきたい!はじめての歌舞伎 (学研ムック)
歌舞伎のぐるりノート (ちくま新書)
歌舞伎座誕生 團十郎と菊五郎と稀代の大興行師たち (朝日文庫)
2013/04/30
2013/04/26
狩野山楽・山雪展
京都国立博物館で開催中の『狩野山楽・山雪展』に行ってきました。
狩野山楽は永徳の高弟として一定の評価を得ていましたが、その後継者の山雪は、ここ数年じゃないかと思うのですが、若冲や蕭白といった“奇想の画家”が人気を集めるようになってから、その元祖的存在としてスポットが当たるようになった気がします。
本展はその約3/4が山雪作品という力のいれよう。もともとは「山雪を多くの方々に知っていただきたい」というところから始まった企画で、山雪を理解するためには師・山楽についても知らなければならないということで一緒になったそうです。山雪は27年ぶり、山楽は実に42年ぶりの展覧会で、両者を一緒に紹介するのは本展が初めてなのだとか。
狩野派というと、織田信長・豊臣秀吉に仕えた永徳の時代にピークを迎えたあとは、江戸に幕府が開かれたこともあり、狩野一派も江戸に移り、探幽が再び一時代を築くわけですが、京に残り、“京狩野”として活動を続けたのが、永徳の弟子の山楽であり、山楽の義子の山雪なのです。今でこそこうして再評価を受けていますが、探幽ら江戸狩野派の華々しい活動の影に隠れ、これまであまり陽が当たらなかったというか、印象が薄かったのも事実。
しかし、あらためてこうして観てみると、“江戸狩野”とは異なる、豪壮華麗かつ濃厚な美に“京狩野”のパワーを感じさせられます。しかも、「京都の狩野派は濃い。」というコピーでは片づけられない凄技と感性の詰まった作品の連続にたただた圧倒。こんな日本画があったのかと正直ビビりました。山雪というと「老梅図襖」の曲がりくねった松が有名ですが、あれで驚いてたら甘い!
さて、本展の構成は以下の通りです。
第1章 京狩野の祖、山楽
第2章 山楽から山雪へ
第3章 山雪の造形実験Ⅰ 花鳥と走獣
第4章 山雪、海外からの里帰り作品と関連作
第5章 山雪の造形実験Ⅱ 山水・名所・人物
第6章 山雪と儒教・仏教
第7章 山雪の造形実験Ⅲ 飾りと人の営み
第8章 極みの山雪ワールド
会場はまず、京狩野の祖・狩野山楽の作品から観ていきます。
山楽はもともとは戦国時代の武将・浅井長政の家臣の子で、浅井氏が織田信長に滅ぼされたあと、豊臣秀吉に仕えるのですが、秀吉が山楽の絵の才能を見抜き、その推挙もあって狩野永徳の養子となります(これは山楽の父が狩野元信(永徳の祖父)に余技として絵を習っていたからという話もあるようです)。しかし、山楽は秀吉と深い関係にあったことから、豊臣家滅亡後、数奇な運命を辿ることになります。
狩野家の本拠が江戸に移り、その画風も瀟洒で繊細優美、どちらかというと淡白になっていくのに対し、永徳のスケール感のある豪壮で華麗な画風を受け継いだのが山楽といわれています。山楽の作品にはいい意味で桃山的な壮麗さと絢爛な美しさがあります。永徳の作品同様、山楽の作品もたびたびの戦禍で現存数は少ないようですが、本展では選りすぐりの21点が展示され、山楽の代表作がほぼ揃えられています。
入口を入ってすぐの広間には、≪永徳を受け継ぐ≫というテーマのもとに、大型の襖図や屏風が展示されていて、いきなりの迫力に面喰います。どれももちろん素晴らしいのですが、特に重文の「龍虎図屏風」は金地水墨の見事な龍と力動的な虎の迫力に圧倒されました。「紅梅図襖」は金箔の修理の跡が少々残念ですが、それでも桃山絵画らしい絢爛豪華で、堂々とした梅の大木に永徳の血を強く感じます。そのほか、永徳の「檜図」との酷似が指摘されている「松鷹図襖」(重文)や近年修理され往時の美しさを取り戻した「文王呂尚・商山四皓図屏風」(重文)、どれも驚くほどの素晴らしさ。
「車争図屏風」は、『源氏物語』の「葵」の巻で賀茂祭の場所争いの場面を描いたもので、もともとは襖絵だったのを屏風に仕立てもの。だからよーく見ると屏風の繋がりに無理があります。それでも大和絵的な描写に山楽の幅広い技量と確かな腕を感じずにはいられませんでした。本作は淀殿の依頼により、九条家に嫁いだ淀殿の姪(妹・江の娘)の御殿造営のために描かれたもの。山楽はその九条家の庇護により、豊臣家の残党狩りから逃れられたともいわれています。
そのほか、紙焼けがあるものの、細密で雅な描写が素晴らしい「帝鑑図押絵貼屏風」や、もとは家康時代の伏見城本丸御殿に飾られたものとされる「山水図襖」(重文)などが展示されています。
そして、山楽から山雪へ。二人が共同で手掛けたプロジェクトの代表作といわれる妙心寺塔頭の天球院の方丈障壁画から「朝顔図襖」と「梅花遊禽図襖」の2点が展示されています。普段は非公開で、展覧会への出品も22年ぶりとか。「朝顔図襖」はダイナミックにそしてリズミカルに伸びる朝顔の生命力と、優美で華やかな雰囲気に釘付けになります。朝顔の清涼感もさることながら、菊や撫子の美しさがまた色を添えています。もう一点の「梅花遊禽図襖」は後の山雪の代表作「老梅図襖」を彷彿とさせる大胆に曲がりくねった梅の老木の動的な構図に対し、雉や小禽、また蔦や椿、竹笹などの色彩がアクセントを作り、山雪らしい造形美が生まれています。
この年、山楽73歳、山雪42歳。寺伝では山楽筆とされていますが、現在では一部は二人の分担制作であるものの、大部分は山雪の筆によるものと考えられているようです。いずれにせよ、山楽が監修的存在で山雪を支えていたのは明らかで、解説によると、最晩年の山楽による桃山様式の終焉であり、山雪による江戸絵画の萌芽として評価されているとのことでした。
山雪の最大の特徴でもあり、その奇矯さをよく表している独特の造形美について、≪花鳥と走獣≫、≪山水・名所・人物≫とに分け、それぞれコーナーが設けられています。
垂直・水平・対角線の動きを強調した幾何学的な画面構成、効果的な明暗やグラデーション、時に装飾的に、時にグロテクスに、しつこく描き込んだ特異な表現。花鳥画にしても山水画にしても狩野派の系譜を強く感じさせながらも、なにかシュールというか、どこかエキセントリックだったりするのがほんと面白いと思います。江戸狩野からは消えてしまった永徳の気宇壮大さが山楽、そして山雪に繋がっているのが分かります。
山雪の絵はとても特徴的なので、どんな鳥獣を描くのかと思いきや、意外と可愛い、というより可愛すぎてとても微笑ましかったりします。少し前に『長谷川等伯展』で猿猴図の可愛らしさが話題になったことがありますが、それと引けを取らないというか、等伯以上にマンガチックな猿に思わず和みます。その実、毛の一本一本がとても丁寧に描き込まれていて、どんな些細な点も手を抜かない山雪の強いこだわりが感じられます。ほかにも、「松梟竹鶏図」のフクロウや「蝦蟇・鉄拐図」のガマガエルなど、とても印象的です。
≪海外からの里帰り作品≫のコーナーでは、先に挙げた山雪の代表作で、メトロポリタン美術館蔵の「老梅図襖」に加え、実はそれと表裏をなしていたという襖絵「群仙図襖」など、大作4点が里帰りしています。
「老梅図襖」と「群仙図襖」はもとは妙心寺塔頭の天祥院方丈の襖絵で、明治時代に天祥院が焼失した際、偶然取り外されていたため難を逃れるも、寺院再建のため売りに出されたのだといいます。その後、表裏が分けられ、現在の襖絵のサイズに切り縮められ、転々とし現在の所蔵先に辿りついたようです。「老梅図襖」は日のあたる側に向いていたらしく若干退色しているのですが、「群仙図襖」は保存状態もよく、色鮮やかなのが印象的。「老梅図襖」と「群仙図襖」は同一ケース内で本来の襖の表裏として観られるのも嬉しいところです。この2作品がこうして再会を果たすのは海外流出して以来初めてだそうです。
今回の里帰り作品のもう一つの目玉はこの「長恨歌図巻」ではないでしょうか。上・下巻あわせて20mという長大な絵巻で、上巻の一部が前・後期で一部巻き替えになりますが、ほぼその全容を観ることができます。山雪の濃厚さという点ではこれが最たる作品かと思います。息をもつかせぬ徹底的な超絶技巧の連続には舌を巻きました。最初から最後まで驚くほどの密度の濃さ、そしてその描写の徹底ぶり、さらには裏彩色までされたこだわりよう。特に峨嵋山の岩山(写真上)はもう悶絶ものです。状態もとてもよく、玄宗皇帝と楊貴妃のドラマが熱く、そしてディープに繰り広げられています。
図録の解説によると、本作と酷似したサントリー美術館所蔵の絵巻があるそうで、サントリー美術館本は本作の下絵、もしくは写しと考えられているとのことでした。
このあたりまでで既に1時間以上経過。まだまだ半分です。この先も凄い!
後半は、山雪の造形実験シリーズのⅡとⅢ、そして山雪による仏画や儒教を題材にした作品が続きます。
≪造形実験シリーズ≫の中では、八曲一隻の屏風の表裏に描かれた「瀟湘八景図押絵貼屏風」と「花卉流水図屏風」が見ものの一つ。特に「花卉流水図屏風」は、上段に渦巻や流水の模様に金や青金で加飾し、下段に市松模様風の碁盤目に四季の草花や花木、果実などの114の花卉を描いた手の込んだ屏風で、金刀比羅宮にある若冲の「百花図」はもしかするとこれをヒントにしているのではないかとふと思ったりしました。
個人的にとても好きだったのは、「観音天龍夜叉図」と「観音天大将軍身図」の二幅。東福寺伝来の明兆(伝)の「三十三観音図」の内、欠けていた二幅を山雪が描いたもの。上半分には満月のような円の中に浮かんだ観音様を、下半分には天龍夜叉や天大将軍を描き、構図的にも印象的なのに加え、墨の濃淡や色彩の美しさ、筆の丁寧さといったところに深い感銘を受けました。この作品により山雪は“法橋” の位を得たといいます。
そのほかにも、相撲に取り組む力士とそれを見物する人々を躍動感溢れるタッチで描いたユニークな「武家相撲絵巻」や、広いスペースを巧く使った構図が印象的な「瀑布図」など次から次へと見所の多い作品が続きます。明治時代に焼失し現存しない東福寺法堂の雲龍図天井画の縮図絵も、もし天井画が現存していたらどれほどのものだっただろうと考えるだけで身震いするレベルでした。
最後の≪極みの山雪ワールド≫はまさに圧巻。ここに来るまででも相当圧倒されっぱなしでしたが、「蘭亭曲水図屏風」や「楼閣山水図屏風」、「盤谷図」など密度の濃い(濃すぎる)作品がそれほど広くはないスペースに詰め込まれていて、もう窒息しそうなほどです。
極めつけは、やはり最後にこれが来たかと納得の山雪の最高傑作「雪汀水禽図屏風」 。写真ではその凄さが伝わりにくいのですが、波紋を描くのに胡粉を盛って銀泥を施し更に墨を塗って拭くという工芸品のような手の込んだ技術を使っていて、もう神技的な素晴らしさ。その立体的に描かれた波紋を間近で見ていると、波が動いているような錯覚に陥り、船酔いでもしそうなほどです。まるでアニメーションのコマ送りのように飛ぶ千鳥や奇態で造形的な岩、金雲から覗く幻想的な月。まさに美の極致といっていい作品だと思います。なお、本展の図録の表紙・裏表紙はこの作品を使い、波紋を立体的に加工しています。
ここまでで2時間強。新幹線の時間もあって退出しましたが、もし時間があれば、もう1周したかったです。図録の最後に「こんな作品が日本の絵画にあった、その奇跡をかみしめたい。」とありましたが、まさにそのとおりで、ここ数年ないほどの衝撃的な展覧会でした。もしこれを観ることなくいたら一生後悔したかもしれません。それほどのレベルの展覧会です。ぜひお見逃しなく。
【狩野山楽・山雪】
2013年5月12日(日)まで
京都国立博物館にて
もっと知りたい狩野永徳と京狩野 (アート・ビギナーズ・コレクション)
京狩野三代 生き残りの物語: 山楽・山雪・永納と九条幸家
ギョッとする江戸の絵画
狩野山雪画 長恨歌画巻―チェスター・ビーティー・ライブラリィ所蔵 (甦る絵巻・絵本)
狩野山楽は永徳の高弟として一定の評価を得ていましたが、その後継者の山雪は、ここ数年じゃないかと思うのですが、若冲や蕭白といった“奇想の画家”が人気を集めるようになってから、その元祖的存在としてスポットが当たるようになった気がします。
本展はその約3/4が山雪作品という力のいれよう。もともとは「山雪を多くの方々に知っていただきたい」というところから始まった企画で、山雪を理解するためには師・山楽についても知らなければならないということで一緒になったそうです。山雪は27年ぶり、山楽は実に42年ぶりの展覧会で、両者を一緒に紹介するのは本展が初めてなのだとか。
狩野派というと、織田信長・豊臣秀吉に仕えた永徳の時代にピークを迎えたあとは、江戸に幕府が開かれたこともあり、狩野一派も江戸に移り、探幽が再び一時代を築くわけですが、京に残り、“京狩野”として活動を続けたのが、永徳の弟子の山楽であり、山楽の義子の山雪なのです。今でこそこうして再評価を受けていますが、探幽ら江戸狩野派の華々しい活動の影に隠れ、これまであまり陽が当たらなかったというか、印象が薄かったのも事実。
しかし、あらためてこうして観てみると、“江戸狩野”とは異なる、豪壮華麗かつ濃厚な美に“京狩野”のパワーを感じさせられます。しかも、「京都の狩野派は濃い。」というコピーでは片づけられない凄技と感性の詰まった作品の連続にたただた圧倒。こんな日本画があったのかと正直ビビりました。山雪というと「老梅図襖」の曲がりくねった松が有名ですが、あれで驚いてたら甘い!
狩野山雪 「老梅図襖」
正保3年(1646年) メトロポリタン美術館蔵
正保3年(1646年) メトロポリタン美術館蔵
さて、本展の構成は以下の通りです。
第1章 京狩野の祖、山楽
第2章 山楽から山雪へ
第3章 山雪の造形実験Ⅰ 花鳥と走獣
第4章 山雪、海外からの里帰り作品と関連作
第5章 山雪の造形実験Ⅱ 山水・名所・人物
第6章 山雪と儒教・仏教
第7章 山雪の造形実験Ⅲ 飾りと人の営み
第8章 極みの山雪ワールド
会場はまず、京狩野の祖・狩野山楽の作品から観ていきます。
狩野山楽 「紅梅図襖」(重要文化財)
桃山時代・17世紀初 大覚寺所蔵 (※展示は4/21まで)
桃山時代・17世紀初 大覚寺所蔵 (※展示は4/21まで)
山楽はもともとは戦国時代の武将・浅井長政の家臣の子で、浅井氏が織田信長に滅ぼされたあと、豊臣秀吉に仕えるのですが、秀吉が山楽の絵の才能を見抜き、その推挙もあって狩野永徳の養子となります(これは山楽の父が狩野元信(永徳の祖父)に余技として絵を習っていたからという話もあるようです)。しかし、山楽は秀吉と深い関係にあったことから、豊臣家滅亡後、数奇な運命を辿ることになります。
狩野家の本拠が江戸に移り、その画風も瀟洒で繊細優美、どちらかというと淡白になっていくのに対し、永徳のスケール感のある豪壮で華麗な画風を受け継いだのが山楽といわれています。山楽の作品にはいい意味で桃山的な壮麗さと絢爛な美しさがあります。永徳の作品同様、山楽の作品もたびたびの戦禍で現存数は少ないようですが、本展では選りすぐりの21点が展示され、山楽の代表作がほぼ揃えられています。
狩野山楽 「龍虎図屏風」(重要文化財)
桃山時代・17世紀初 妙心寺所蔵
桃山時代・17世紀初 妙心寺所蔵
入口を入ってすぐの広間には、≪永徳を受け継ぐ≫というテーマのもとに、大型の襖図や屏風が展示されていて、いきなりの迫力に面喰います。どれももちろん素晴らしいのですが、特に重文の「龍虎図屏風」は金地水墨の見事な龍と力動的な虎の迫力に圧倒されました。「紅梅図襖」は金箔の修理の跡が少々残念ですが、それでも桃山絵画らしい絢爛豪華で、堂々とした梅の大木に永徳の血を強く感じます。そのほか、永徳の「檜図」との酷似が指摘されている「松鷹図襖」(重文)や近年修理され往時の美しさを取り戻した「文王呂尚・商山四皓図屏風」(重文)、どれも驚くほどの素晴らしさ。
狩野山楽 「車争図屏風」(重要文化財)
慶長9年(1604) 東京国立博物館蔵
慶長9年(1604) 東京国立博物館蔵
「車争図屏風」は、『源氏物語』の「葵」の巻で賀茂祭の場所争いの場面を描いたもので、もともとは襖絵だったのを屏風に仕立てもの。だからよーく見ると屏風の繋がりに無理があります。それでも大和絵的な描写に山楽の幅広い技量と確かな腕を感じずにはいられませんでした。本作は淀殿の依頼により、九条家に嫁いだ淀殿の姪(妹・江の娘)の御殿造営のために描かれたもの。山楽はその九条家の庇護により、豊臣家の残党狩りから逃れられたともいわれています。
そのほか、紙焼けがあるものの、細密で雅な描写が素晴らしい「帝鑑図押絵貼屏風」や、もとは家康時代の伏見城本丸御殿に飾られたものとされる「山水図襖」(重文)などが展示されています。
狩野山楽/山雪 「朝顔図襖」(重要文化財)
寛永8年(1631年) 天球院所蔵
寛永8年(1631年) 天球院所蔵
そして、山楽から山雪へ。二人が共同で手掛けたプロジェクトの代表作といわれる妙心寺塔頭の天球院の方丈障壁画から「朝顔図襖」と「梅花遊禽図襖」の2点が展示されています。普段は非公開で、展覧会への出品も22年ぶりとか。「朝顔図襖」はダイナミックにそしてリズミカルに伸びる朝顔の生命力と、優美で華やかな雰囲気に釘付けになります。朝顔の清涼感もさることながら、菊や撫子の美しさがまた色を添えています。もう一点の「梅花遊禽図襖」は後の山雪の代表作「老梅図襖」を彷彿とさせる大胆に曲がりくねった梅の老木の動的な構図に対し、雉や小禽、また蔦や椿、竹笹などの色彩がアクセントを作り、山雪らしい造形美が生まれています。
この年、山楽73歳、山雪42歳。寺伝では山楽筆とされていますが、現在では一部は二人の分担制作であるものの、大部分は山雪の筆によるものと考えられているようです。いずれにせよ、山楽が監修的存在で山雪を支えていたのは明らかで、解説によると、最晩年の山楽による桃山様式の終焉であり、山雪による江戸絵画の萌芽として評価されているとのことでした。
狩野山雪 「猿猴図」
江戸初期・17世紀前半 東京国立博物館蔵
江戸初期・17世紀前半 東京国立博物館蔵
山雪の最大の特徴でもあり、その奇矯さをよく表している独特の造形美について、≪花鳥と走獣≫、≪山水・名所・人物≫とに分け、それぞれコーナーが設けられています。
垂直・水平・対角線の動きを強調した幾何学的な画面構成、効果的な明暗やグラデーション、時に装飾的に、時にグロテクスに、しつこく描き込んだ特異な表現。花鳥画にしても山水画にしても狩野派の系譜を強く感じさせながらも、なにかシュールというか、どこかエキセントリックだったりするのがほんと面白いと思います。江戸狩野からは消えてしまった永徳の気宇壮大さが山楽、そして山雪に繋がっているのが分かります。
山雪の絵はとても特徴的なので、どんな鳥獣を描くのかと思いきや、意外と可愛い、というより可愛すぎてとても微笑ましかったりします。少し前に『長谷川等伯展』で猿猴図の可愛らしさが話題になったことがありますが、それと引けを取らないというか、等伯以上にマンガチックな猿に思わず和みます。その実、毛の一本一本がとても丁寧に描き込まれていて、どんな些細な点も手を抜かない山雪の強いこだわりが感じられます。ほかにも、「松梟竹鶏図」のフクロウや「蝦蟇・鉄拐図」のガマガエルなど、とても印象的です。
狩野山雪 「群仙図襖」
正保3年(1646年) ミネアポリス美術館蔵
正保3年(1646年) ミネアポリス美術館蔵
≪海外からの里帰り作品≫のコーナーでは、先に挙げた山雪の代表作で、メトロポリタン美術館蔵の「老梅図襖」に加え、実はそれと表裏をなしていたという襖絵「群仙図襖」など、大作4点が里帰りしています。
「老梅図襖」と「群仙図襖」はもとは妙心寺塔頭の天祥院方丈の襖絵で、明治時代に天祥院が焼失した際、偶然取り外されていたため難を逃れるも、寺院再建のため売りに出されたのだといいます。その後、表裏が分けられ、現在の襖絵のサイズに切り縮められ、転々とし現在の所蔵先に辿りついたようです。「老梅図襖」は日のあたる側に向いていたらしく若干退色しているのですが、「群仙図襖」は保存状態もよく、色鮮やかなのが印象的。「老梅図襖」と「群仙図襖」は同一ケース内で本来の襖の表裏として観られるのも嬉しいところです。この2作品がこうして再会を果たすのは海外流出して以来初めてだそうです。
狩野山雪 「長恨歌図巻」(※一部)
江戸初期・17世紀前半 チェスター・ビーティー・ライブラリィ所蔵
江戸初期・17世紀前半 チェスター・ビーティー・ライブラリィ所蔵
今回の里帰り作品のもう一つの目玉はこの「長恨歌図巻」ではないでしょうか。上・下巻あわせて20mという長大な絵巻で、上巻の一部が前・後期で一部巻き替えになりますが、ほぼその全容を観ることができます。山雪の濃厚さという点ではこれが最たる作品かと思います。息をもつかせぬ徹底的な超絶技巧の連続には舌を巻きました。最初から最後まで驚くほどの密度の濃さ、そしてその描写の徹底ぶり、さらには裏彩色までされたこだわりよう。特に峨嵋山の岩山(写真上)はもう悶絶ものです。状態もとてもよく、玄宗皇帝と楊貴妃のドラマが熱く、そしてディープに繰り広げられています。
図録の解説によると、本作と酷似したサントリー美術館所蔵の絵巻があるそうで、サントリー美術館本は本作の下絵、もしくは写しと考えられているとのことでした。
このあたりまでで既に1時間以上経過。まだまだ半分です。この先も凄い!
狩野山雪 「観音天龍夜叉図」
正保4年(1647年) 東福寺所蔵
正保4年(1647年) 東福寺所蔵
後半は、山雪の造形実験シリーズのⅡとⅢ、そして山雪による仏画や儒教を題材にした作品が続きます。
≪造形実験シリーズ≫の中では、八曲一隻の屏風の表裏に描かれた「瀟湘八景図押絵貼屏風」と「花卉流水図屏風」が見ものの一つ。特に「花卉流水図屏風」は、上段に渦巻や流水の模様に金や青金で加飾し、下段に市松模様風の碁盤目に四季の草花や花木、果実などの114の花卉を描いた手の込んだ屏風で、金刀比羅宮にある若冲の「百花図」はもしかするとこれをヒントにしているのではないかとふと思ったりしました。
個人的にとても好きだったのは、「観音天龍夜叉図」と「観音天大将軍身図」の二幅。東福寺伝来の明兆(伝)の「三十三観音図」の内、欠けていた二幅を山雪が描いたもの。上半分には満月のような円の中に浮かんだ観音様を、下半分には天龍夜叉や天大将軍を描き、構図的にも印象的なのに加え、墨の濃淡や色彩の美しさ、筆の丁寧さといったところに深い感銘を受けました。この作品により山雪は“法橋” の位を得たといいます。
そのほかにも、相撲に取り組む力士とそれを見物する人々を躍動感溢れるタッチで描いたユニークな「武家相撲絵巻」や、広いスペースを巧く使った構図が印象的な「瀑布図」など次から次へと見所の多い作品が続きます。明治時代に焼失し現存しない東福寺法堂の雲龍図天井画の縮図絵も、もし天井画が現存していたらどれほどのものだっただろうと考えるだけで身震いするレベルでした。
狩野山雪 「蘭亭曲水図屏風」(※一部) (重要文化財)
江戸初期・17世紀前半 随心院所蔵
江戸初期・17世紀前半 随心院所蔵
最後の≪極みの山雪ワールド≫はまさに圧巻。ここに来るまででも相当圧倒されっぱなしでしたが、「蘭亭曲水図屏風」や「楼閣山水図屏風」、「盤谷図」など密度の濃い(濃すぎる)作品がそれほど広くはないスペースに詰め込まれていて、もう窒息しそうなほどです。
狩野山雪 「雪汀水禽図屏風」(重要文化財)
江戸初期・17世紀前半 個人蔵
江戸初期・17世紀前半 個人蔵
極めつけは、やはり最後にこれが来たかと納得の山雪の最高傑作「雪汀水禽図屏風」 。写真ではその凄さが伝わりにくいのですが、波紋を描くのに胡粉を盛って銀泥を施し更に墨を塗って拭くという工芸品のような手の込んだ技術を使っていて、もう神技的な素晴らしさ。その立体的に描かれた波紋を間近で見ていると、波が動いているような錯覚に陥り、船酔いでもしそうなほどです。まるでアニメーションのコマ送りのように飛ぶ千鳥や奇態で造形的な岩、金雲から覗く幻想的な月。まさに美の極致といっていい作品だと思います。なお、本展の図録の表紙・裏表紙はこの作品を使い、波紋を立体的に加工しています。
ここまでで2時間強。新幹線の時間もあって退出しましたが、もし時間があれば、もう1周したかったです。図録の最後に「こんな作品が日本の絵画にあった、その奇跡をかみしめたい。」とありましたが、まさにそのとおりで、ここ数年ないほどの衝撃的な展覧会でした。もしこれを観ることなくいたら一生後悔したかもしれません。それほどのレベルの展覧会です。ぜひお見逃しなく。
【狩野山楽・山雪】
2013年5月12日(日)まで
京都国立博物館にて
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