2018/09/29

幕末狩野派展

静岡県立美術館で開催中の『幕末狩野派展』を観てきました。

静岡県立美術館は江戸絵画の良質のコレクションで知られ、いつも面白そうな展覧会を企画しているのですが、なかなか観に行く機会がなく、今回初めて訪問しました。

静岡駅までは新幹線で行けば東京からもすぐですが、静岡駅からの便があまり良くなくて、直通バスにしても、最寄の駅からのバスにしても30分に1本ぐらいしかなく、ちょっとその点が不便。少し足を延ばせば、日本平や久能山、清水も近いので、一日静岡で遊ぶつもりで時間に余裕をもって行くといいのでしょうね。

さて、本展は江戸時代末期に活躍した狩野栄信・養信父子を中心に江戸後期から幕末維新にかけての狩野派の作品を紹介するという展覧会。江戸時代の狩野派というと、時に粉本主義によるパターン化された制作体制が批判され、つまらないというイメージが先行していますが、果たしてそうなのか。江戸後期の狩野派がどのようにして新様式を確立し、それが日本画の近代化にどう結び付くかを紐解いていきます。


第一章 江戸後期江戸狩野派の革新

徳川吉宗の時代、木挽町狩野派が台頭する土台をつくったのが木挽町狩野家6代目の典信(みちのぶ)。出品は一点のみ、元信の山水画に倣ったという「山水図」。元信画という感じは然程しないのですが、精緻な細線や複雑なコントラスト、丁寧な淡彩が素晴らしく、さすが江戸後期狩野派を代表する名手たる実力を感じます。

典信の子・惟信(これのぶ)とさらにその子・栄信(ながのぶ)の合作が2点。対幅の「商山四皓図」は元信以来の伝統的な狩野派の描法による高士図、12幅からなる「十二ヶ月月次風俗図」は大和絵の情趣豊かな物語絵。ともに父子で半分ずつ分担しているのですが、父から子へしっかりと技術が伝承されているのが窺えます。

狩野探幽 「富士山図」
寛文7(1667)年 静岡県美術館蔵

元信の山水図屏風を彷彿とさせる栄信の「四季山水図屏風」、探幽が得意とした富士山図を継承した惟信の「富嶽十二ヶ月図巻」と「富嶽田植図」など、狩野派の伝統を受け継ぐ一方で、円山派の写実と見紛うような養信の「竹雀図屏風」、古典的な山水景観図でありながら遠景に実景描写を取り入れた栄信の「春秋山水花鳥図」といった新時代を思わせる作品もあって最初から観る方にも熱が入ります。


第二章 幕末狩野派の完成

《三幅対作品の様式の刷新》、《規範の継承とその新解釈》、《倣古図様式の展開》、《写生と名所絵・実景図における革新》というトピックに分けて、栄信が確立した新様式が子・養信(おさのぶ)にどう引き継がれたのかを観ていきます。探幽の瀟洒端麗なスタイルや空間構成を継承した江戸狩野らしい作品もあれば、古絵巻や中国絵画学習による古典回帰、大和絵や円山派、南蘋派、文晁周辺の実景図など他派の技術を貪欲に取り入れた新たな様式など狩野派の変革が見えてきます。

狩野栄信 「桐松鳳凰図屏風」
享和2年~文化13年(1802-16) 静岡県立美術館蔵(展示は10/8まで)

狩野派の江戸時代中後期の作品は東博や板橋区立美術館などでもいろいろ観てきたつもりですが、今回こうして栄信・養信を観ただけでも、これは侮れないなと思うし、美術史の過去の評価を信じず、やはり自分の目で観ないといけないなと痛感します。同時代に一世を風靡する南蘋派や円山四条派と違って、狩野派の発注主は幕府や諸大名なので、画題は自ずと武家に好まれる帝艦図や耕作図、また婚礼の調度品や吉祥画に限られます。その点がバラエティ豊かな江戸絵画の時代にあって、前時代的な古さやパターン化された面白みのなさを感じるのかもしれません。

狩野栄信 「楼閣山水図屏風」」
享和2~文化13年(1802-16) 静岡県立美術館蔵

今は失われた江戸城本丸御殿の障壁画の下絵や寛永寺障壁画の下絵なども見どころ。寛永寺の壮大な山水図障壁画、豪華な江戸城の障壁画、共に江戸後期の狩野派の実力が遺憾なく発揮されています。

「平治物語絵巻」など中世の絵巻の模写や、馬遠や玉澗など中国絵画の模写も多く並べられ、非常に積極的に古画から学んでいたことが分かります。千葉市美術館の『百花繚乱列島』にも狩野栄信の濃厚彩色な「花鳥図」が出てましたが、本展でも王淵の牡丹図に倣った作品があり、こうした中国画学習が実際の作品に活かされたということを知りました。

狩野養信 「角田川真景図」
文化10年(1813) 東京国立博物館蔵

意外だったのが狩野派による実景図。この時代、実景図というと谷文晁一派が得意としていましたが、隅田川(角田川)や江戸名所図などの実景図のほか、実景描写を活かした作品もあり、狩野派の絵師たちが新しい絵画形式を研究していたことも分かります。


第三章 幕末狩野派の創造性-京狩野派の個性

京狩野について章が設けられていて、江戸狩野と対比するという意味でも面白かったですし、江戸狩野がずっと続く中でいいアクセントになっています。出品は狩野永岳と冷泉為恭のみですが、いずれも優品揃い。

狩野永岳 「三十六歌仙歌意図屏風」
文政13年~慶応2年(1830-67) 静岡県立美術館蔵

京狩野というと永徳など桃山文化の面影を残す鮮やかな色使いの金屏風やダイナミックかつ優美な画面構成が挙げられますが、京狩野三代目・永納が積極的に取り入れた大和絵様式が永岳にも受け継がれていて、「三十六歌仙歌意図屏風」などを観ると土佐派より余程良いのではないかと感じます。

その一方で「富士山登龍図」は迫力のある水墨の龍と探幽のような淡彩の富士山が印象的な作品。不時(富士)を断つ(龍)という意味の吉祥画題で、井伊直弼の前で即興的に描いたものだそうです。

狩野永岳 「富士山登龍図」
寛永5年(1852) 静岡県立美術館蔵

冷泉為恭は永岳の甥ですが、狩野派というより復古大和絵の絵師という印象の方が強いのではないでしょうか。ただ解説を読むと、栄信が為恭に協力を依頼したとか、江戸狩野と京狩野の連携が見えてとても興味深いものがありました。為恭の王朝趣味を感じる濃厚な色彩の「鷹狩・曲水宴図襖絵」のほか、焼損の痕まで丁寧に模写された「粉河寺縁起絵巻 模本」も見もの。

冷泉為恭 「曲水宴図襖絵」
安政2~3年(1855-56) 個人蔵


第四章 狩野派の崩壊と近代のはじまり

感慨深かったのが養信の子・雅信(ただのぶ)の「伊豆浦黒船来航図」。黒船の様子を描いた貴重な史料という面がある一方、黒船来航に端を発する開国が狩野派の終焉に繋がることを考えると、このとき雅信は何を思ったのだろうかと考えずにはいられません。

狩野一信や河鍋暁斎といった幕末期の狩野派絵師の作品ある中で、やはり目が行くのは雅信の弟子、狩野芳崖と橋本雅邦の作品。先日観た『狩野芳崖と四天王』でも芳崖の「壽老人」が印象的でしたが、ここでも「寿老人図」があり、雪舟の山水画や寿老人図の学習の成果と解説されていました。雅邦の「出山釈迦図」や最早狩野派を全く感じない「三井寺」など、先日観た『狩野芳崖と四天王』に繋がるものもあり、大変興味深いものがあります。

狩野芳崖 「寿老人図」」
明治14~18年(1881-85) 静岡県立美術館蔵

江戸後期に狩野派筆頭となる木挽町狩野派はその命脈を保つため、古画や他派の技術も貪欲に取り入れるなど研鑽を重ねていたことが分かりますし、それが結果として実は日本画の近代化に繋がる重要なカギを握っていたことも感じます。粉本主義で旧態依然という固定観念が覆される充実した内容の展覧会でした。


【幕末狩野派展】
2018年10月28日(日)まで
静岡県立美術館にて


もっと知りたい狩野派―探幽と江戸狩野派 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたい狩野派―探幽と江戸狩野派 (アート・ビギナーズ・コレクション)

2018/09/22

SEITEIリターンズ!!~渡邊省亭展~

東京・京橋の加島美術で開催中の『SEITEIリターンズ!!~渡邊省亭展~』を観てきました。

昨年春に開催され好評を博した『蘇る!孤高の神絵師 渡辺省亭』 につづく渡邊省亭展の第2弾。明治から大正にかけての近代日本画に、こんな素晴らしい日本画家がいたのかと誰もが驚き、省亭ブームを巻き起こしたのは記憶に新しいところです。

もちろんそこには加島美術のような一流画廊から全国の美術館・博物館、はては迎賓館に至るまで、地道に交渉し、同時多発的に作品を公開させた一部の熱狂的な省亭信奉者たちがいたのも事実。省亭ブームはある意味“仕掛けられた”もので、わたしたちはその罠にまんまと引っ掛かったわけですが、しかしそれはとても気持ちのいい罠であり、多くの人が省亭の魅力の虜になり、忘れ去られていた省亭を知るきっかけをこうして作ってくれたことに感謝してると思うのです。

そして今回もいそいそと罠に引っ掛かりに行きました(笑)

渡邊省亭 「盛夏」 大正時代

今回の展覧会は前回出品されたものは含まれず、新出の作品が並ぶのですが、相変わらず細緻な筆致と繊細な表現には驚くばかり。

画廊の扉を開けたところに展示されていた扇面の「盛夏」の品の良さといったら。新しい日本画を作ろうという時代の流れの中で、近代化と引き換えに失われてしまった江戸絵画の気品が省亭の作品には残されている気がします。

渡邊省亭 「十二ヶ月」 大正初期

今回の目玉といっていいのが十二幅の「十二ヶ月」で、江戸絵画でよく見る十二ヶ月花鳥図の季節々々のテーマとは異なり、描かれたモチーフにも省亭らしさがあって素晴らしい。近代日本画の中で我が道をゆく孤高の存在感が光ります。

[写真左] 渡邊省亭 「雪中松鴉」 明治40年代

それにしても鳥が多い。「十二ヶ月」で鳥が描かれないのは4幅のみ。ほかにも雉や鷹、鴛鴦、鶏、鶯、鳩など。この時代、鳥を描かせたら省亭の右に出る者はいないのではないでしょうか。写実味のある鳥が多い中、与謝蕪村の「鴉図」を彷彿とさせる「雪中松鴉」という作品も。

写実だけであれば、竹内栖鳳も木島櫻谷も優れた作品を多く残していますし、西洋画を意識した作品を描く画家は大勢いますが、省亭の作品をこの1年いろいろ観てきて思うのは、省亭は変に洋画に対抗するような意識高い系の作品は描かないし、洋風表現を取り入れつつ、軸足はしっかり日本画に置いていると強く感じます。

渡邊省亭 「中観音左右浪之図」 明治42年 個人蔵

展示の多くは省亭得意の花鳥図ですが、三幅対の仏画があって、これがまたなかなか良い。中幅に龍頭観音、左右に荒れる海を描いた作品で、観音様の面貌は伝統的な筆致でありながらも、身体のくねらせ方に新奇性があり、左右幅の波の表現は朦朧体を意識したような没線描法というのも興味深い。


 

会場の加島美術は普段は絵を販売する画廊ということもあり、ガラスケースなしで作品を展示しています。間近で作品を観られるので、絹本の布目やそれこそ墨の滲みや絵具の重ねなどが単眼鏡なしでも実感できるのがとても有り難いし感動ものなのです。

わたしなんか緊張しながら恐る恐る絵に近づいて観ているのですが、中には作品の真ん前で喋りながら観ている人や作品の間近で指差している人なんかいて、画廊の人でもないのにヒヤヒヤしてしまいます。くれぐれも作品に近づくときは喋らないとか口にハンカチを当てるとかマナーを忘れませんように。

[写真右奥] 渡邊省亭 「雪中梅花鴛鴦図」 明治30年頃
[写真手前] 濤川惣助(下絵:渡邊省亭) 「菖蒲に白鷺図花瓶」「家鴨に薊図花瓶」

[写真左から] 濤川惣助(下絵:渡邊省亭) 「群鶏図皿」「月下鴨図皿」「月下白鷺図皿」

2階に上がると、和室に省亭が下絵を描いた濤川惣助の七宝の花瓶と鴛鴦の掛軸。こうして床の間に掛けられると絵が生きてきますね。省亭と濤川惣助の七宝コラボレーションはほかにも展示されていました。

渡邊省亭 「葡萄に鼠図」 明治20年代中頃

今回の一押し「葡萄に鼠図」。葡萄の入った籠をいたずらする鼠の可愛らしさ。籠の後にもいるのが分かりますか?表現が細かいですね。そして、墨を滲ませたり濃淡を変えたり重ねたり、葡萄の実や葉の丁寧な表現がほんと素晴らしい。


省亭に注目が集まる中、省亭作品を所蔵している美術館も積極的に公開をしている気がします。先日訪れた静岡県立美術館の常設展にも省亭の作品二幅が展示されていました。聞くところによると、省亭作品の中でも特に優品という「十二ヶ月図」の二幅だそうで、これは全幅観たくなります。

省亭の作品は海外に流出しているものも多いといわれますが、実のところ海外での発見例はそう多くはないそうです。海外での調査はまだまだこれからかもしれませんが、いずれそうした作品も一堂に、日本のどこか美術館で省亭の回顧展を開いてもらいたいと切に願います。


【SEITEIリターンズ!!~渡邊省亭展~】
2018年9月29日まで
加島美術にて


評伝 渡邊省亭―晴柳の影に評伝 渡邊省亭―晴柳の影に

2018/09/16

狩野芳崖と四天王

東京・六本木の泉屋博古館分館で開催中の特別展『狩野芳崖と四天王 -近代日本画、もうひとつの水脈-』を内覧会で拝見しました。

本展は、昨年から福井県立美術館、山梨県立美術館を巡回し、好評を博した展覧会。山梨まで観に行こうと思っていたのですが、なかなか時間が作れず、東京でも開催すると聞いて、とても心待ちにしていました。

狩野芳崖といえば、幕末から明治前期にかけて活躍した狩野派最後の日本画家。“近代日本画の父”と評され、特に絶筆の「悲母観音」は近代日本画の幕開けを飾る記念碑的傑作として知られます。

本展ではその芳崖と、芳崖四天王と呼ばれた4人の高弟 - 岡倉秋水、岡不崩、高屋肖哲、本多天城 - の作品を中心に、芳崖とともに勝川院四天王と呼ばれた幕末狩野派の画家たち、さらには芳崖亡き後、日本画の革新に挑んだ横山大観、下村観山、菱田春草ら朦朧体四天王の3つの四天王の画業を紹介し、近代日本画の水脈を辿ります。

会場に掲示されている人物相関図


第1章 狩野芳崖と狩野派の画家たち -雅邦、立嶽、友信-

室町幕府の御用絵師にはじまり、豊臣秀吉や織田信長、江戸幕府と400年もの間、常に画壇の中心にあった狩野派も江戸幕府の崩壊とともに終焉を迎えます。長府藩狩野派の御用絵師の家に生まれ、木挽町狩野派に入門し塾頭として活躍した芳崖も、維新後は陶器の下絵を描くなど生活は一変したといいます。

出品作はいずれも明治10年代以降の作品なので、晩年の画風しか分かりませんが、会場の冒頭に展示されていた「壽老人」を観るだけでも、狩野派の画題や筆法をベースにしつつ、コントラスを強調した立体感ある表現など西洋画を意識した描き方がされていることに気づきます。ただ、芳崖は狩野派伝来の賦彩法に反した配色をして師と口論になったというエピソードもあるぐらいなので、もともと既成の画法に安住するのを嫌うというタイプだったのかもしれません。

[写真右から] 狩野芳崖 「壽老人」
明治10年代(1877-86) 泉屋博古館分館蔵
木村立獄 「韓信張良物語之図」「楼閣山水図」
富山市郷土博物館蔵 (展示は10/8まで)

「獅子図」は実際にライオンを写生して描いたといい、墨画山水図を踏まえつつも狩野派伝統の唐獅子とは程遠い西洋画のイメージ。最晩年の「岩石」は構図はまるで雪舟の「慧可断臂図」みたいなのですが、実感描写に近い岩の立体感や明暗の諧調は狩野派様式から逸脱し日本画が新しい領域に入っていることを感じます。「伏龍羅漢図」は西洋画材を使ったという明るく濃淡のある色彩と、何とも言えない羅漢の表情や身体表現がとても印象的。両隣りの雅邦の作品に比べても強烈なインパクトがあります。

[写真右] 橋本雅邦 「神仙愛獅図」
明治18~22年(1885-89)頃 川越市立美術館蔵 (展示は10/8まで)
[写真左] 狩野芳崖 「獅子図」
明治19年(1886)頃 東京国立近代美術館蔵 (展示は10/8まで)

勝川院四天王とは木挽町狩野派の絵師・勝川院雅信(ただのぶ)の弟子である芳崖、橋本雅邦、木村立嶽、狩野勝玉のこと。雅信は、江戸末期の狩野派では評価の高い父・晴川院養信と違って凡才との声もあり、事実岡倉天心や芳崖や雅邦さえも雅信には批判的なのですが、何百人もいたという幕末の狩野派の中でも雅信率いる木挽町画塾から新時代に即応した画家が輩出されたというのは面白いと思います。

木村立嶽は新日本画的な山水図なども残している人ですが、本展の出品作はどちらかというと狩野派の伝統的な筆法で描かれた旧態的な作品。雅邦の「春景山水図」は漢画的な墨画山水画でありながら芳崖の傑作「江流百里図」(本展未出品)を思わせる奥行きのある立体空間と繊細な水墨の陰影が秀逸。「西行法師図」は西洋画を強く意識した構図や景観描写、彩色など、横山大観や下村観山といった次世代の日本画家に繋がる近代性を感じます。

[写真右から] 狩野芳崖 「柳下放牛図」
明治17年(1884) 福井県立美術館蔵 (展示は10/8まで)
狩野芳崖 「岩石」
明治20年(1887) 東京藝術大学蔵 (展示は10/8まで)
橋本雅邦 「秋景山水図」
明治20年(1887)頃 愛知県美術館蔵 (展示は10/8まで)

[写真右から] 橋本雅邦 「出山釈迦図」
明治18~22年(1885-89)頃 泉屋博古館分館蔵
狩野芳崖 「伏龍羅漢図」
明治18年(1885) 福井県立美術館蔵 (展示は10/8まで)
橋本雅邦 「維摩居士」
明治18年(1885)頃 茨城県近代美術館蔵 (展示は10/8まで)


第2章 芳崖四天王 -芳崖芸術を受け継ぐ者-

芳崖の「悲母観音」は後期展示(10/10~10/28)になりますが、前期では芳崖四天王の一人、岡倉秋水が「悲母観音」を模写した「慈母観音図」と、同じく四天王の高屋肖哲による模写が展示されています。

芳崖の没後、秋水のもとには「悲母観音」の模写画の依頼が複数あったようで、同様の作品が数点残っているといいます。芳崖の「悲母観音」には西洋顔料が使われていないのに対し、秋水の「慈母観音図」は西洋顔料を使って色彩の豊かさを表しているとも。肖哲の「悲母観音 模写」には画中に細かくメモ書きされているのが興味深い。

[写真右] 岡倉秋水 「慈母観音図」 大正7年(1918)頃 福井県立美術館蔵
[写真左] 高屋肖哲 「悲母観音図 模写」 金沢美術工芸大学蔵

なお、後期には芳崖の「悲母観音」のほかに、「不動明王」「仁王捉鬼図」といった芳崖最晩年の代表作も出品されます。

[写真左奥] 岡倉秋水 「老松双蝠」 福井市愛宕坂茶道美術館蔵

芳崖四天王は知られざる画家といっていいかもしれません。岡倉天心やフェノロサと所縁はあるものの日本美術院には参加せず、それぞれ独自の道を歩みます。岡倉秋水と岡不崩は過去にも作品を観ているのですが、高屋肖哲と本多天城は個人的に初めて観る気がします(忘れてるだけかもしれませんが)。

秋水の「老松双蝠」は松の大木をトリミングした構図と松を挟んで飛ぶ2羽の蝙蝠が印象的。「不動明王」と「龍頭観音図、雨神之図、風神之図」は「老松双蝠」の力強さとは対照的に、ちょっとコミカルな感じの表現が面白い。

[写真右] 岡不崩 「慈母観音図」 大正7年(1918)頃 福井県立美術館蔵
[写真左] 高屋肖哲 「悲母観音図 模写」 金沢美術工芸大学蔵

不崩は秋の草花や蝶が細密な筆致で描かれた「群蝶図」と「秋芳」。どちらかというと四条派の草花図の流れを感じます。後半生は本草学にのめり込んだというだけあり、『朝顔図説と培養法』など研究書も展示されていました。一方で、細い紙に雪舟風の山水画を描いた「山水画巻」は水墨の確かな筆技に只者ではないという感じを覚えます。

[写真左から] 高屋肖哲 「千児観音図 下絵」 大正14年(1925) 金沢美術工芸大学蔵
高屋肖哲 「観音菩薩図 下絵」 大正10年(1910) 金沢美術工芸大学蔵
高屋肖哲 「月見観音図」 大正13年(1924) 個人蔵
本多天城 「羅浮仙図」 個人蔵 (展示は10/8まで)
本多天城 「蓬莱山之図」 明治41年(1908)頃 個人蔵

高屋肖哲は芳崖の死後、仏画に傾倒。大正期以降は画壇からも距離を置き、「観音図」を多く描いたそうですが、作品の多くは関東大震災で失われたといいます。「千児観音図 下絵」は芳崖の「悲母観音」をイメージソースにしてるであろう観音と無数の子どもが描かれていて、その印象的な構図と観音の美しさにハッとします。本画は見つかっていないそうなのですが、完成された作品はどんなに美しかったのだろうかと思います。

高屋肖哲 「武帝達磨謁見図」 昭和15年(1940) 浅草寺蔵 (展示は10/8まで)

「武帝達磨謁見図」は浅草寺に残された六曲一双の大きな屏風。達磨と武帝の禅問答を描いていて、武帝や女官は古画に基づく伝統的な筆致、達磨は達磨らしく描かれているのに対し、左隻の衝立の裏に隠れた男性2人が写実的に描かれているのが不思議。筆者自身を描いているのではないかという話もあるようです。

[写真右から] 本多天城 「山水」 明治35年(1902) 川越市立美術館蔵
岡不崩 「渓谷山水」 昭和3年(1928) 個人蔵 (展示は10/8まで)
本多天城 「日之出波濤図」 昭和20年(1940) 個人蔵

本多天城の「山水」は水墨の山水と西洋画的な彩色が融合した意欲作。ただ、昭和以降の作品は最早芳崖の流れを感じる要素は薄く、南画的傾向もあって、近代日本画の潮流から取り残されたような印象を受けます。


第3章 芳崖四天王の同窓生たち -「朦朧体の四天王」による革新画風-

朦朧体四天王の4人と芳崖四天王の岡不崩、高屋肖哲、本多天城はともに東京美術学校第1期生(不崩は後に退学)で、世代的に同じにもかかわらず、作風にはかなり隔たりがあります。画題にしても構図にしても技術にしても、朦朧体四天王と比べてしまうと芳崖四天王の古さは否めません。

菱田春草 「四季山水」 明治29年(1896) 富山県水墨美術館蔵 (展示は10/8まで)

ここでは年代順に作品が並べられていて、朦朧体の変遷が分かるようになっています。春草の4幅の水墨画「四季山水」は明治29年の作品なのでまだ朦朧体ではありませんが、春草らしい淡彩の水墨の味わいは既にあり、朦朧体に向かう萌芽が感じられます。

[写真右から] 西郷弧月 「深山の夕」 明治33年(1900) 長野県信濃美術館蔵 (展示は10/8まで)
菱田春草 「温麗・躑躅双鳩」 明治34年(1901) 福井県立美術館蔵 (展示は10/8まで)
横山大観 「夕立」 明治35年(1902) 茨城県近代美術館蔵 (展示は10/8まで)

弧月の「深山の夕」は力強い筆線が印象的。弧月の作品はそう多くないのでこれは嬉しい展示。春草の「温麗・躑躅双鳩」、大観の「夕立」になると朦朧体もよく分かりますし、2人のアプローチの違いも興味深い。春草の「海辺朝陽」は『福井県立美術館所蔵 日本画の革新者たち展』でも印象的だった作品。まだ明治だというのにここまで斬新な作品を描いていたとは驚きです。


芳崖や雅邦の作品は観る機会もあると思いますが、芳崖四天王の作品を観る機会はそう多くないでしょうし、幕末の狩野派から日本美術院へ繋がる近代日本画の黎明を知る上でも絶好の展覧会だと思います。


※展示会場内の写真は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。


【狩野芳崖と四天王 -近代日本画、もうひとつの水脈-】
2018年10月18日まで
泉屋博古館分館にて


狩野芳崖と四天王狩野芳崖と四天王

2018/09/09

禅僧の交流

根津美術館で開催中の『禅僧の交流 墨蹟と水墨画を楽しむ』を観てきました。

2ヶ月ほどお休みをしていた根津美術館の秋の展覧会。日本と中国の禅僧の交流を今に伝える鎌倉・南北朝時代の墨蹟や、室町時代に流行する絵にちなんだ漢詩を連ねた詩画軸、そして室町時代中期から後期にかけての画僧による水墨画をとおして、禅僧の文化の流れを展観するという企画展です。出品作には館外の作品も含まれ、周文や拙宗等揚、芸阿弥など室町水墨画の名品が並びます。

最近は外国人観光客も多いので、この展覧会は空いてそうだなと思っても、結構混んでいることがありますが、訪れた日は日曜午後の閉館前ということもあってか、館内は人も少なく、落ち着いた空間で作品に触れることができました。


会場の構成は以下のとおりです:
第1章 海を渡り交流する禅僧たち
第2章 師弟間の交わり 法脈の継承
第3章 禅僧と水墨画Ⅰ 水墨画を楽しみ、賛を付す
第4章 禅僧と水墨画Ⅱ 関東で活躍した画僧たち

因陀羅・筆、楚石凡琦・賛 「布袋蔣摩訶問答図」(国宝)
中国・元時代 14世紀 根津美術館蔵

どの墨蹟も表装され、凡人には他の書蹟と何が違うのか分からないのですが(恥ずかしい)、今回展示されている多くが、中国に渡った日本人の禅僧が修業の証として悟りを認める印可状や道号偈、師と弟子の間の尺牘(書簡)だといいます。能書家の書蹟とは違うので、書風や筆跡に面白味を感じるといった類ではありませんが、後の詩画軸や禅画の流れを知る上では理解をしておく必要があるんだろうと思います。

会場の最初に展示されいたのは元時代の禅僧・因陀羅の禅機図の断簡。決してこなれた筆遣いではないけれど人物の面貌や衣文の表現は細やかで、いかにも禅僧の余技的な味わいがあります。元の高僧という楚石凡琦の賛も絵と一体となったような趣があっていい。ちなみに同じ画巻のものとされ現在分蔵されている5点の断簡全てが国宝。

伝・周文 「江天遠意図」(重要文化財)
室町時代・15世紀 根津美術館蔵

禅僧の描く水墨画に漢詩や賛を寄せた書画が、禅僧たちの文芸サロン的な遊びとして詩画一致の画軸に発展していったのが詩画軸。詩画軸というとやはり有名なのが室町時代中期の画僧・周文ですが、周文も3点(いずれも伝承作品)ほど出品されています。

「江天遠意図」は展示されている3点の内、唯一の重文。いわゆる周文スタイルの山水画で、ひっそりとした建屋と小舟が描かれ、叙情的な雰囲気とどこか文人画的な趣があります。本図には、如拙の「瓢鮎図」にも序を寄せている相国寺の住持・大岳周崇が同じく冒頭に着賛していて、落款こそありませんが、他の作品に比べても恐らく周文の可能性が高いんだろうなと思います。

伝・周文では柳の下に舟を浮かべて釣り糸を垂れるという「柳下垂竿図」が小品ながらも画趣があり良かったです。堂々と真ん中に描かれた遠景の屹立した山が印象的な曽我紹仙の「山水図」も周文様とは異なる整理された構図に面白さを感じます。

賢江祥啓 「山水図」(重要文化財)
室町時代・15世紀 根津美術館蔵

今回の展覧会で個人的に嬉しかったのが、関東画壇のコーナー。足利将軍家の美術顧問として活躍した芸阿弥の現存唯一の作品で、鎌倉に戻る弟子・祥啓に餞として与えたという「観瀑図」とその祥啓の「山水図」をできれば並べて展示して欲しかったのと思うのですが、関東画壇の中心となる祥啓や、京に上る前の祥啓の師とされる仲安真康、祥啓の弟子・啓孫など充実しています。

祥啓は京都で足利将軍家の中国絵画コレクションを軒並み模写したというだけあって、立体感やグラデーションが素晴らしい院体画風の「人馬図」を観ても、優れた腕前を持っていたことが分かります。「山水図」は時代が下っているだけあって周文様からかなり進んだ感があります。この絵を観て思い浮かぶのが狩野正信の山水図で、正信が相阿弥(芸阿弥の子)から指南を受けたという話もあり、画風的(特に線や彩色)にも近いものがあるのだと思います。

建長寺の禅僧で余技として絵を描いていたともいわれる仲安真康は3点。それぞれ独特の味わいがある2つの「布袋図」、山水画のスタイルで遠景の富士山から近景の三保の松原まで大観的に収めた「富嶽図」など、地方臭があるとはいえ確かな画技を感じられます。

仲安真康 「布袋図」(重要美術品)
室町時代・15世紀 根津美術館蔵

雪村の「龍虎図屏風」が出ているのですが、ちょうど同じ日に静嘉堂文庫美術館の『明治からの贈り物』で観た橋本雅邦の「龍虎図屏風」を彷彿とさせ、興味深いものがありました。雅邦「龍虎図屏風」は実際に虎を写生し、その斬新さで当時物議を醸したといいますが、構図などは龍虎図の古画に倣ったといいます。もしかしたら雪村も参考にしたのかもしれないですね。

雪村周継 「龍虎図屏風」
室町時代・16世紀 根津美術館蔵

[参考] 橋本雅邦 「龍虎図屏風」(重要文化財)
明治28年(1895) 静嘉堂文庫美術館蔵
(※本展にこの作品は出品されていません)

1階の企画展のあとは2階も忘れずに。2階展示室の『切り取られた小袖ー辻が花から広がる世界』がとても良いです。桃山時代の辻が花や江戸初期の慶長小袖の古裂を額に収め、絵画のように展示しています。その美しい刺繍や文様、デザイン性はまるで琳派の絵画を見るよう。俵屋宗達や尾形光琳の作品が生まれた背景を感じます。


【禅僧の交流 -墨蹟と水墨画を楽しむ-】
2018年10月8日(月・祝)まで
根津美術館にて


日本の水墨画 1:山水日本の水墨画 1:山水

2018/09/01

春日権現験記絵 -甦った鎌倉絵巻の名品-

三の丸尚蔵館で開催中の『春日権現験記絵 -甦った鎌倉絵巻の名品-』を観てきました。

鎌倉時代の傑作絵巻『春日権現験記絵』の13年に及ぶ修理事業の完成披露記念展。館内は狭いので限りはありますが、全20巻の一部(巻第1・6・10・11・20を除く15巻)を前後期に分けて展観しています。

『春日権現験記絵』は三の丸尚蔵館の所蔵品、つまりは宮内庁=皇室の御物。宮内庁の所有物は慣例として国宝・重要文化財の指定対象外になっていますが、日本の絵巻の最高峰の名品の一つであり、紛れもなく国宝クラスの作品といえます。

これまでもその一部は、昨年開催された『絵巻マニア列伝』『春日大社 千年の至宝』(2015)、『皇室の名宝』(2009)でも公開されたり、東博では特集展示(『春日権現験記絵模本Ⅱ -神々の姿-』)で模本を公開したことがありますが、これだけの場面を観る機会というのはなかなかありません。

『春日権現験記絵』は、藤原氏一門の西園寺公衡が一門のさらなる繁栄を祈願し、春日社へ奉納した絵巻で、春日神(春日権現)の霊験が20巻にわたり描かれています。絵は「玄奘三蔵絵巻」や「石山寺縁起絵巻」(最初の3巻)の作者とされる宮廷絵所預の高階隆兼が手掛け、詞書を前関白鷹司基忠父子4人が担当。20巻全てが一場面も欠けることなく、絵巻の収納箱や外櫃、目録に至るまで、ほぼ完全な形で残っている点も大変貴重です。

「春日権現験記絵 巻第一」(写真は一部)
鎌倉時代・延慶2年(1309)頃 三の丸尚蔵館所蔵

700年以上も前の絵巻なので、もちろん経年の傷みで絵具の剥落が見られる箇所もありますが、精緻な描写、鮮やかな色彩はさすが鎌倉絵巻の傑作というだけあり素晴らしい。丁寧かつ豊かな人物表現、衣服や生活風景などの風俗表現、着物の文様や屋敷内など細かな描写はもちろんですが、草木や山並み、季節の景色などのやまと絵がとても魅力的。永徳ばりの唐獅子や銀泥による半月、画中画として描かれた漢画の襖絵など気になる描写がいくつもあります。

会場には、修理についての説明などもパネルで丁寧に紹介されていて、表紙や見返し、絵巻の軸首の螺鈿装飾など今回の修復で美しさを取り戻した実物を観ることもできます。表紙などの修復には皇后陛下が皇居内で育てられた蚕から採った絹糸が使われたといいます。

「春日権現験記絵 巻第十九」(写真は一部)
鎌倉時代・延慶2年(1309)頃 三の丸尚蔵館所蔵

三の丸尚蔵館の展覧会はいつも見開きの簡単なリーフレットだけですが、今回は図録も販売されていて、全巻全段が掲載されています。絵巻ファン必見の展覧会です。


【春日権現験記絵 -甦った鎌倉絵巻の名品-】
2018年10月21日(日)まで
三の丸尚蔵館にて


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