2015/09/27

蔵王権現と修験の秘宝

三井記念美術館で開催中の『蔵王権現と修験の秘宝』を観てまいりました。

東京でも御岳山に行くと、法螺貝を吹き、修業をする山伏に今も出会うことがありますが、彼ら修験者が信仰する修験道の本尊が蔵王権現(金剛蔵王権現)。日本古来の山岳信仰に仏教や神道、陰陽道が結びついて成立した日本独自の宗教だといいます。

本展は、修験道の聖地である吉野・金峯山寺をはじめ、如意輪寺、櫻本坊、また鳥取の三徳山三佛寺などから、蔵王権現像などゆかりの宗教美術品約70点が集められ、修験道が生み出した山岳宗教の美に触れることができます。


会場に入ってすぐの<展示室1>には、金峯山寺と大峯山寺ゆかりのものを中心に、比較的小さめな蔵王権現像や懸仏などが展示されています。蔵王権現像は決まった形があって、振り上げた右手に三鈷杵を持ち、左手は腰の位置で剣印を結び、右脚を高く上げて左脚だけで立ち、忿怒の相で睨みをきかせるというのが典型的な姿だといいます。片脚だけで体を支えるのですから、バランス的にも造形表現的にも難しいんでしょうね。

「藤原道長経筒」(国宝)
平安時代・寛弘4年(1007) 金峯神社蔵(展示は10/4まで)

ここではお経を納めた経箱と経筒があって、2点とも国宝。藤原道長の曾孫・師通が奉納したという経箱は文様や文字など判別がつかないのですが、それより古い藤原道長が奉納したとされる経筒は筒身に陰刻された願文や蓋に刻まれた梵字は割とはっきり分かります。

源慶 「蔵王権現像」(重要文化財)
鎌倉時代・嘉禄2年(1226) 如意輪寺蔵(展示は9/23まで)

中央の<展示室4>は金峯山寺、如意輪寺、櫻本坊のそれぞれゆかりの仏像が並びます。金峯山寺では、修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうしゃ)の坐像に随従する「前鬼像・後鬼像」がまず目に留まります。前鬼・後鬼は役行者の脇侍なのだそうで、金剛力士や狛犬のように阿形・吽形になっています。

平安時代の作という「釈迦如来坐像」は一材から彫りだされたものとかで、かすかに微笑んだような表情が印象的です。若い僧と老僧が対になっている「阿難立像・迦葉立像」は阿難の若々しさもいいけれど、険しい表情とあばらの浮いた細い体をした「迦葉立像」の写実的な表現が秀逸。「聖徳太子像」もなかなか立派な造りだと感じましたが、なぜに修験道に聖徳太子?

如意輪寺では慶派仏師・源慶による「蔵王権現像」が見事。均整のとれた体躯、立体的な火焔光背や着衣の造形の素晴らしさ。いかにも鎌倉時代の仏像らしい躍動感にあふれた傑作です。

「聖徳太子像」(重要文化財)
鎌倉時代 金峯山寺蔵

櫻本坊では吉野で現存最古の彫像という白鳳仏「釈迦如来坐像」がいい。先日『白鳳展』を観てきた後だけに白鳳仏の姿に惹かれます。8躯の「大峯八大童子立像」は小像ながらもいずれも丸顔で愛嬌のある顔をしていて、楽しげないい仏像。

ここでは二幅の「吉野曼荼羅図」があって、室町時代のものは不明瞭な部分も多いのですが、南北朝時代のものはまだはっきりと色も残っていて、金峯山の宗教空間を曼荼羅化した吉野曼荼羅のおおよその構図がつかめます。

「吉野曼荼羅図」
南北朝時代 金峯山寺蔵

蔵王権現像を線刻した鏡像や立体的に表現した懸仏、また神像なども多く展示されています。鏡像が懸仏に発展し、両方を含めて“御正体”とするとされているそうで。

最後に三佛寺の蔵王権現像。三佛寺には7躯の蔵王権現像がありますが、さすがに正本尊は来ていませんが、残りの6躯が展示されています。いずれも正本尊より古い10~11世紀のものとされ、腕が欠損したものや、造形的にも未熟なところもありますが、修験道成立初期の蔵王権現像の作例として貴重です。中には右腕でなく左腕を上げているものや、両脚で立っているものもあり、 蔵王権現の造像の成立過程を知る上でも興味深いものがあります。

「蔵王権現像」(重要文化財)
平安時代 三佛寺蔵

会場には三佛寺の有名な投入堂の写真が展示されていたり、写真家六田知弘氏による『大峯奥駈』の写真展示や修行の様子がビデオで上映されていたりして、修験道のことを知る手掛かりにもなります。

個人的には見せ方としてももう一工夫できなかったものだろうかと思うところもありますが、蔵王権現像がこれだけ一堂に集まるという展覧会も稀なので、その点では大変興味深い展覧会でした。


【蔵王権現と修験の秘宝】
2015年11月3日(火・祝)まで
三井記念美術館にて


月刊目の眼 2015年10月号 (特集 山の神仏)月刊目の眼 2015年10月号 (特集 山の神仏)

2015/09/26

琳派と秋の彩り

山種美術館で開催中の『琳派400年記念 琳派と秋の彩り』を観てまいりました。

今年は琳派400年ということもあり、琳派関連の展覧会が相次いでいますが、本展は山種美術館所蔵の作品を中心に、琳派と、琳派の流れを受け継ぐ近代日本画を展観していきます。

琳派は華やかな装飾性やデザイン性にとどまらず、季節の花々や生き物など自然を描いた表現性や、古典文学に材を取った物語性もまた魅力のひとつ。本展ではそうした琳派や近代日本画の中から、秋をテーマにした季節感あふれる作品が集められています。

山種美術館は比較的訪れてる方ですし、琳派が絡んだ展覧会はだいたい観ているのですが、今回はこれまであまり観たことがない作品が多い気がするなと思ったら、琳派の作品26点中14点(一部前後期で入れ替えあり)は個人蔵のものなのですね。山種美術館の琳派コレクションはクオリティが高いのですが、今回はさらに充実のセレクションとなっていて、なかなか楽しめました。


会場は3つの章で構成されています:
第1章 琳派の四季
第2章 琳派に学ぶ
第3章 秋の彩り

俵屋宗達[絵]・本阿弥光悦[書] 「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」
17世紀(江戸時代) 山種美術館蔵

会場の最初に展示されているのが、宗達による金銀泥の鹿の下絵に光悦が『新古今和歌集』の一首を書写した「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」。もとは一巻の巻子本で、現在は断簡となり、山種美術館をはじめ、複数の美術館や諸家に分蔵されているといいます。詠まれているのは西行の和歌。鹿は秋の季語でもあります。同じコンビでは「四季草花下絵和歌短冊帖」もあって、これがまた光悦の書が美しく、思わず見惚れてしまいます。

伝・俵屋宗達 「槙楓図」
17世紀(江戸時代) 山種美術館蔵

宗達では有名な「槇楓図」をはじめ、たらし込みを多用した「蓮池水禽図」と「芦鷺図」が印象的。ただどうでしょう、いずれも宗達と断定されず伝承なので、特に「蓮池水禽図」は同題の国宝と少々雰囲気が異なるのが気になるところ。

光琳は残念ながら出てなかったのですが、乾山が2点あって、乾山のぼってりした素朴な筆致が面白い。面白いといえば、中村芳中のほのぼのとした線で鶴を描いた「老松立鶴図」も相変わらずユーモラス。

尾形乾山 「定家詠十二ヶ月和歌花鳥図(二月)」
寛保3年(1743) 個人蔵

抱一は出品作が一番多くて、中でも「秋草鶉図」が白眉。意匠化されたススキや月、そして秋草や鶉の豊かな表現。宗達や光琳とも違う、洗練された美しさ、瀟洒な味わいが魅力です。

抱一の「月梅図」も印象的。勢いのある筆による枝に光琳梅。金泥の外隈をつけた月の表現がまたいい。「菊小禽図」と「飛鳥白鷺図」も季節感のある掛軸。もとは“十二ヶ月花鳥図”のそれぞれ9月と11月に相当するものだったとか。全幅揃っていればさぞ壮観だったでしょうね。

初見のものでは「仁徳帝・雁樵夫・紅葉牧童図」の三幅対が素晴らしいですね。「雁樵夫」は季節が春で、背負った薪に桜の枝を挿しているという洒落様。

酒井抱一 「秋草鶉図」(重要美術品)
19世紀(江戸時代) 山種美術館蔵

酒井鶯蒲 「紅白蓮・白藤・夕もみぢ図」
19世紀(江戸時代) 山種美術館蔵

其一の「牡丹図」は其一にしては若干色が抑え目な感じもしますが、それでも中国画を思わせる艶やかな牡丹が美しい。幹はたらし込みを上手く取り入れています。抱一の弟子・酒井鶯蒲による本阿弥光甫の代表作の模写も目を惹きます。

鈴木其一 「牡丹図」
寛永4年(1851) 山種美術館蔵

≪琳派に学ぶ≫では<たらし込み-墨の滲みとグラデーション>として、速水御舟や小林古径、菱田春草の作品が紹介されています。犬の毛のブチをたらし込みで表現した宗達と古径の絵が並んでいて、琳派の域を超え、日本画に広く転用されている技法であることがよく分かります。

<琳派の装飾性と意匠性>では、加山又造の豪華な「華扇屏風」や福田平八郎 「彩秋」が琳派を再構成していて面白い。小林古径の「夜鴨」は同じく鴨の飛ぶ光琳の図様を取り入れていて、参照元の光琳の作品がパネル展示されています。

福田平八郎 「彩秋」
昭和18年(1943) 山種美術館蔵

ほかにも群青中毒の木々にオレンジ色の柿の実が点々とした速水御舟の「山科秋」や、紅葉した山並みが美しい小茂田青樹の「峠路」、竹内栖鳳や橋本明治の柿の絵など、秋の季節感に溢れた絵が並びます。奥の第二会場には<小さな秋>と題し、猫や栗鼠、雀といった小動物を描いた作品が並び、こちらも秋の風情を感じます。


【琳派400年記念 琳派と秋の彩り】
2015年10月25日(日)まで
山種美術館にて


もっと知りたい本阿弥光悦: 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたい本阿弥光悦: 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

2015/09/23

伊豆の長八展

武蔵野市立美術館で開催中の『生誕200年記念 伊豆の長八 -幕末・明治の空前絶後の鏝絵師』に行ってきました。

伊豆の長八(入江長八)は幕末から明治前期にかけて活躍した伊豆・松崎出身の左官職人。漆喰を鏝波なく平らに仕上げるのが左官の腕だと言われていた時代に、漆喰壁に鏝を使った浮彫と彩色を施した“鏝絵(こてえ)”でその名を知らしめます。

本展には、地元・松崎の伊豆の長八美術館の所蔵作品を中心に、静岡県内や都内近郊の寺院・個人宅に伝わる貴重な長八の鏝絵や漆喰細工など約50点が出品。東京では初めての伊豆長八の展覧会なのだそうです。

会場は決して広いとはいえませんが、狭いスペースにビッシリ長八の作品が並んでいます。通路も狭く、混んでくると作品にぶつかる危険もあるので、かばんやリュックはできるだけロッカーに預けておいた方がいいでしょう。ロッカーは100円で、お金は利用後に戻ってきます。


会場は、≪塗額≫、≪塑像≫、≪掛軸≫、≪ランプ掛け≫、≪建築装飾≫、≪特殊作品≫というようにそれぞれカテゴリーごとに展示されています。

入江長八 「富嶽」
明治10年(1877) 松崎町蔵(伊豆の長八美術館保管)

“塗額”とは鏝絵を額に収めた云わば鑑賞作品。やはり実物は写真で見た印象と全然違って、立体的であるのはもちろんですが、まるで筆で絵を描いたものが浮き上がってくるような立体感があります。鏝の加減というのでしょうか、筆さばきもとい鏝さばきがとても微細で、写実的な花の表現や細密な木目の造形など、その丁寧さ、細やかさは目を見張ります。中には額まで漆喰で作っていたり、落款を鏝で細工したものもあったりしました。「清水次郎長肖像」のいかにも親分といったスケール感、迫力には驚きます。

地元伊豆ならではの富士山を描いたものや、山水図、また神仏や歴史上の人物を題材にしたものが多いようです。だいたい横50~70cmぐらいのものが中心ですが、「富嶽」は横140cm近くあり、塗額の中では最大級の作品だといいます。

入江長八 「近江のお兼」
明治9年(1876) 個人蔵(伊豆の長八美術館保管)

鏝絵だけでも素晴らしいのに、塑像や日本画も実にクオリティが高い。メインヴィジュアルにもなっている「上総屋万次郎像」の人間味あふれる表情や、「神功皇后像」や「依田直吉像」の着物の細密な文様などの巧みなことといったら。日本画も狩野派の絵師・喜多武清から学んだというだけあり、そのレベルの高さに驚きます。

入江長八 「神功皇后像」
明治9年(1876) 松崎・伊那下神社蔵

ほかにも、表装まですべて漆喰で表現した塗り掛軸や、夜見たらさぞ怖かっただろうと思うような龍のランプ掛けなどが展示されています。

建築装飾では江戸にも多くの作品を残したそうですが、震災や戦災で残っているものは少ないといいます。60代で手掛けた旧岩科村役場の「小壁に竹と雀」は土壁に雀だけ白く彩色し、シンプルながらも風情があります。

入江長八 「ランプ掛けの龍」
明治8年(1875) 個人蔵(伊豆の長八美術館保管)

左官職人の腕を超越したような高い芸術性。この写実性、迫真性、繊細さ、これは百聞は一見に如かずです。こんなに素晴らしい展示がたったの100円で観られるなんて。これで採算が取れるのでしょうか。。。

会場の入口には漆喰の作り方や鏝絵の描き方、長八の弟子・中西祐道の鏝などが展示されていて、鑑賞の参考になります。


【生誕200年記念 伊豆の長八 -幕末・明治の空前絶後の鏝絵師】
2015年10月18日まで
武蔵野市立美術館にて


伊豆の長八: 幕末・明治の空前絶後の鏝絵師伊豆の長八: 幕末・明治の空前絶後の鏝絵師

2015/09/21

白鳳 -花ひらく仏教美術-

奈良国立博物館で開催中の『白鳳 -花ひらく仏教美術-』を観てきました。

すこぶる評判のいい『白鳳展』。 東京からわざわざ観に行く人も多く、みなさんから行った方がいい、行かないと後悔するといろいろお話を聞いていて、でもなかなか奈良まで行く時間も取れずちょっと指をくわえて我慢していたのですが、ちょうどいいタイミングで関西出張が入り、一泊して『白鳳展』を堪能してまいりました。

白鳳は7世紀半ばから平城京に遷都する710年までの間、ちょうど飛鳥文化と天平文化に挟まれた美術史的な時代区分。645年の乙巳の変(大化の改新のはじまり)からとする説と、670年の法隆寺若草伽藍(旧伽藍)の焼亡後とする説があるそうですが、本展では後者をとっています。ということは、わずか40年ぐらいの短い間のことになるのですね。

大化の改新により天皇を中心とした国作りが本格化した時代。海の向こうでは百済が滅亡し、白村江の戦いで倭国は大敗。日本にも警戒感が拡がり、難波や近江、飛鳥とたびたび都を遷すという、まだまだ激動の時代でもあったようです。そんな時代の仏教美術がどのようなものだったのか、当時の人々の仏教に対する思いが伝わってくるような展覧会になっています。

本展の会場の構成は以下の通りです:
プロローグ 白鳳とは
第1章 白鳳の幕開け
第2章 山田寺の創建
第3章 金銅仏の諸相 Ⅰ
第4章 薬師寺の創建
第5章 金銅仏の諸相 Ⅱ
第6章 法隆寺の白鳳
第7章 法隆寺金堂壁画と大型多尊塼仏
第8章 白鳳の工芸
第9章 押出仏・塑像と塼仏
第10章 藤原京の造営
エピローグ 古墳の終焉

「弥勒菩薩半跏像」(重要文化財)
白鳳時代 天智天皇5年(666年) 野中寺蔵

『白鳳展』の何が素晴らしいかって、やはり白鳳仏を代表する名品が揃ってるのと、奈良時代以降の仏像からは消えるインドや大陸の名残りを感じさせつつ和様化していく過渡期の仏像のもつ清新さや純粋さだと思うのです。

この頃は仏像の種類も多様化してなく、天部像も一部展示されてましたが、忿怒の形相で圧するという仏像は一般的でありませんし、何よりまだ寺院に利権争いや腐敗、突出した勢力もなく、仏教という新しい宗教に救いを求めようとする人々の純粋な気持ちが白鳳仏の一つ一つに現れているようで、そこに心打たれるというか、感動的なのです。

「阿弥陀三尊像」(重要文化財)
白鳳時代(7世紀) 東京国立博物館蔵(法隆寺献納宝物)

遣随使や遣唐使、百済からの亡命者などを通じて、さまざまなタイプの仏像が日本に入って来ていて、それらが白鳳仏のイメージソースとなっていたようです。朝鮮半島の影響が強かった飛鳥文化に比べて、白鳳文化は隋・唐からの中国文化の影響も色濃く、中国や朝鮮風の仏像もあれば、インド的な顔立ちの仏像あり、プリミティブな印象のものもあれば、天平仏の先駆的なものもあり、一括りにできないのが白鳳仏の面白さでもあります。それは着衣や装身具を見ても明らかで、玄奘三蔵がインドから帰国し中国でインドブームが起これば、日本にも最新流行として伝わってインド風のドーティやターバンのようなものを身につけた仏像が造られたり、仏像がまだ完全に日本化してないのが分かります。

主流は金銅仏ですが、写実や造形もまだまだ不完全で、飛鳥時代の仏像のように細身のものもあれば、頭部が大きくアンバランスなプロポーションのものもあるし、童形のものもあったりします。一様に言えるのは、どれも若々しいこと。奈良時代の仏像のような成熟さはないけれど、青年のようなみずみずしさ、清々しさに溢れ、そこに魅力を感じます。

「釈迦如来倚像」(重要文化財)
白鳳時代(7世紀) 深大寺蔵

南滋賀廃寺や穴太廃寺、大官大寺、大安寺といった古代寺院跡からの出土品も多く展示されていましたが、その中でスポットをあてられていたのが山田寺。蘇我入鹿の従兄弟の蘇我倉山田石川麻呂が発願という寺院で、白鳳仏の傑作として知られる興福寺の「仏頭」はもとはここ山田寺講堂本尊(金堂本尊との説もあり)の薬師如来像なのです。

関東を代表する白鳳仏・深大寺の「釈迦如来倚像」も展示されていました。興福寺の「仏頭」にも似た大きく弧を描く眉と真っ直ぐに伸びた鼻筋、切れ長の細い目という白鳳仏の特徴が見られ、少年のような顔立ちと流れるような衣文も美しい。椅子に坐った「倚像」というスタイルは白鳳時代の特徴の一つとか。並んで展示されていた千葉・龍角寺の「薬師如来坐像」や新薬師寺の「薬師如来立像(香薬師)」(原像は盗難に遭い行方不明のため模造を展示)との共通点も指摘されています。

「月光菩薩立像」(国宝)
白鳳~奈良時代(7~8世紀) 薬師寺蔵

「聖観世音菩薩立像」(国宝)
白鳳~奈良時代(7~8世紀) 薬師寺蔵

藤原京で大官大寺とともに国家の主要寺院だったのが薬師寺。平城京遷都とともに現在の場所に移転しますが、東塔は創建時の姿を今に伝えるといいます。薬師寺からは金堂本尊薬師三尊像の右脇侍の「月光菩薩立像」と東院堂本尊の「聖観世音菩薩立像」が出品。ともに東博の『薬師寺展』にも来ていましたが、「日光菩薩立像」の方は本展には出品されていません。やはり「月光菩薩立像」の美しさは格別で、バランスの取れた理想的なプロポーション、写実的な優美さはほかの白鳳仏とは一線を画します。制作年は白鳳説と天平説に分かれるそうですが、本展では本薬師寺から移坐されたことも否定できないと紹介しています。

薬師寺東塔が現在解体修理ということもあり、取り外された塔の相輪の最上部の「水煙」も展示されています。舞い降りるような飛天や横笛を吹く飛天などが形どられていて、大変手の込んだものであることが分かります。修理が終わったらまた塔の上に戻されてしまうわけですから、この機会を逃す手はありません。

「観音菩薩立像(夢違観音)」(国宝)
白鳳時代(7~8世紀) 法隆寺蔵

「阿弥陀三尊像(伝橘夫人念持仏)」(国宝)
白鳳時代(7~8世紀) 法隆寺蔵

法隆寺というと飛鳥文化を代表する建築・美術という印象がありますが、西院伽藍再建後に制作されたものも多く、白鳳時代の金銅仏や美術品の宝庫でもあるのだそうです。法隆寺の白鳳仏を代表する「夢違観音」や「伝橘夫人念持仏」といった傑作をはじめ、多くの金銅仏や貴重な文化財が並んでいます。

「伝橘夫人念持仏」は厨子と別々に展示されているのも見どころ。阿弥陀三尊もさることながら、後屏や蓮池の金工の精巧さ、完成度の高さには驚きます。また、この時代に制作されたという金堂壁画の模写や天蓋の付属品、東博・法隆寺宝物館でお馴染みの「金銅灌頂幡」などもあり、ちょっとした“法隆寺展”です。

「持国天立像」(重要文化財)
白鳳時代(7世紀) 當麻寺蔵

個人的に興味深かったのが押出仏や塼仏。もとは中国から伝わった技法で、日本では白鳳時代から天平時代にかけて造られたといいます。型にのせた銅板を打ち出して作ったのが押出仏。粘土で型を抜き焼成したのが塼仏。ともに薄く、レリーフのような形状をしています。中でも押出仏や鋳造浮彫り、線刻といった技法を駆使した長谷寺の「銅板法華説相図」の素晴らしさは目を見張るものがあります。塼仏はお堂の壁面を飾ったともいい、展示品の多くが出土品だったことを考えると、現存するものも極めて少ないのでしょうね。

展覧会の最後には藤原京と高松塚古墳からの出土品が展示されています。高松塚古墳も白鳳時代と重なるんですね。「墓のサイズや形で力を示した時代が終わり、…祖霊や故人の魂の救済を仏教が担う時代が始まった」と解説されていて、なるほどなと納得しました。

「銅板法華説相図」(国宝)
白鳳時代(7~8世紀) 長谷寺蔵

シルバーウィークの初日ということで開館前には長蛇の列ができていましたが、ほとんどみなさんチケットを購入される方で、チケットや国立博物館のパスポートを持っている人は並ばずに入館。おかげで混み合う前にじっくり拝見させてもらいましたが、それでも2時間近くかかりました。

『白鳳展』のあとはお隣の興福寺へ。『白鳳展』でも限定公開されていた「仏頭」や白鳳期の月光・日光菩薩にも出会えて、さらに充実の白鳳体験ができました。


【開館120年記念特別展 白鳳 -花ひらく仏教美術-】
2015年9月23日(水・祝)まで
奈良国立博物館にて


仏像のかたちと心――白鳳から天平へ仏像のかたちと心――白鳳から天平へ


聚美 vol.16(2015 SUM 特集:白鳳時代の美術聚美 vol.16(2015 SUM 特集:白鳳時代の美術

2015/09/15

最後の印象派 1900-20's Paris

東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館で開催中の『もうひとつの輝き 最後の印象派 1900-20's Paris』に行ってきました。

今年は『新印象派展』があったり、『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』があったりして、新印象派以降の作品を割りかし観てきましたが、本展では新印象派に限らず、印象派のスタイルを受け継ぎながら、印象主義の光の捉え方や甘美なイメージをさらに展開していった20世紀初頭の若き芸術家たちを取り上げています。

印象派があって、新印象派やポスト印象派が出てきて、20世紀に入るとフォーヴィスムやキュビスムといった前衛に繋がっていくという流れは、『新印象派展』でも解説されていましたが、その一方でそうした前衛的な芸術運動に加わらず、前世紀のスタイルを守りながら、独自の芸術観を貫いた画家たちがいたことはあまり知られていないかもしれません。しかも、彼らの作品が商業的にも批評的にも成功していたことなんて、なおさら知りませんでした。

そうしたモダニズムの影に隠れて、あまり顧みられることのなかった印象派のもう一つの側面を探るという意味で、とても興味深い展覧会になっています。


会場は6つの章で構成されています。
第1章 エコール・デ・ボザールの仲間たち
第2章 北部の仲間たち
第3章 「バンド・ノワール(黒い一団)」の仲間たち
第4章 ベルギーの仲間たち
第5章 遅れてやってきた仲間たち
第6章 最後に加わった仲間たち

アンリ・マルタン 「野原を行く少女」
1889年 個人蔵

本展は、おもにサロン出身の若い芸術家たちが作品を発表する目的で結成され、1900年から1922年までパリの画廊で展覧会を開催した『画家彫刻家新協会(ソシエテ・ヌーヴェル)』のメンバー20名の画家の作品が展示されています。

まずは≪エコール・デ・ボザールの仲間たち≫として、エドモン・アマン=ジャンとエルネスト・ローランとエルネスト・ローランを紹介。エコール・デ・ボザールは17世紀に設立された由緒ある国立の美術学校で、ドラクロワやアングルもいれば、ドガやルノワール、カイユボットも通ったところです。

エドモン・アマン=ジャン 「囚われの女」
1913年 個人蔵

エルネスト・ローラン 「背中」
1917年 個人蔵

アマン=ジャンは甘美な女性の肖像画が多く、特に「アンティミテ」が印象的でした。20世紀以降のものは印象派から脱しようとしているのか、象徴主義やオリエンタリズム、またアカデミズム的な影響も見られます。女性の顔の輪郭だけぼんやりと曖昧なリトグラフ作品も幻想的でユニーク。

エルネスト・ローランはスーラと点描の研究を行ったという人で、スーラとはまた違う穏やかで独特の空気感があります。繊細でソフトなタッチの「背中」と「入浴」が秀逸。アンリ・マルタン(アンリ=ジャン=ギヨーム・マルタン)はこの人も点描が特徴的。光を全面に受けた「野原を行く少女」が美しいですね。

アンリ・ル・シダネル 「日曜日」
1898年 シャルトルーズ美術館蔵

日本で展覧会が開かれたこともあるル・シダネル。アンティミスムな室内画も多いのですが、「日曜日」は白いドレスに身を包んだ女性たちが佇む構図と静謐で穏やかな光の表現がとても神秘的。詩情豊かな物語性は象徴主義や装飾美術の影響も感じさせます。

シャルル・コッテ 「星の夜」
1894年 ティエーリー・メルシエ画廊蔵

ウジェーヌ・カリエール 「カリエール夫人」
1883年 個人蔵

国立西洋美術館で開かれた『世紀末の幻想』で特に印象に残ったシャルル・コッテやウジェーヌ・カリエール、アルベール・ベナールの作品もありました。いずれもこの時代の印象主義を代表する画家で、アンティミスムの傾向があったり、象徴主義や装飾美術の影響を受けていたりするのも共通しているようです。

コッテは国立美術協会展(サロン・ナショナル)の一派“バンド・ノワール”を代表する画家だといいます。ちょっとダークトーンの画面と哀愁を感じる雰囲気が印象的。油彩画以外にも銅版画でも活躍したそうですが、彼の油彩は『世紀末の幻想』で観た画風とはまた違った魅力があります。

カリエールも『世紀末の幻想』で観た肖像版画とはまた違ったボカシというか、茶系の薄い靄がかかったような描法が独特。女性の内面が滲み出るような繊細な表現力が素晴らしい。

ジョン・シンガー・サージェント 「ハロルド・ウィルソン夫人の肖像」
1897年 東京富士美術館蔵

ほかにも、会場の最後に展示されていたジャン=フランソワ・ラファエリの「ヴィクトル・ユゴー80歳を祝う祭り」、参考出品として展示されていたジョン・シンガー・サージェントの「ハロルド・ウィルソン夫人の肖像」が目を惹きました。

ジャン=フランソワ・ラファエリ 「ヴィクトル・ユゴー80歳を祝う祭り」
1902年 ヴィクトル・ユゴー館蔵

あまりメジャーな画家もなく、時代の最先端をいく美術シーンにありがちな熱さもなく、正直地味なところは拭えませんが、印象派の系図にはこうした流れもあり、そしてそれが商業的にも批評的にも成功していたということを知る上では、とても興味深いものがありました。


【もうひとつの輝き 最後の印象派 1900-20's Paris】
2016年11月8日(日)まで
東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館にて


イラストで読む 印象派の画家たちイラストで読む 印象派の画家たち

2015/09/14

春日権現験記絵模本Ⅱ -神々の姿-

東京国立博物館の本館2階の特別1室ではじまった特集展示『春日権現験記絵模本Ⅱ -神々の姿-』を拝見してきました。

昨年に特集展示された『春日権現験記絵模本I -美しき春日野の風景-』につづく第二弾企画で、模本により「春日権現験記絵」の魅力を紹介するというもの。

「春日権現験記絵」は春日大社に祀られる神々にまつわる説話を描いた絵巻で、鎌倉時代後期の宮廷絵所・高階隆兼の手によるものとされています。もともとは春日大社に秘蔵されていましたが、江戸後期に流出し、いくつかの持ち主を経て皇室に献上され、現在は三の丸尚蔵館の所蔵となっています(本展には出品されていません)。

本模本は、江戸時代後期に紀州藩藩主徳川治宝の命によって制作されたもので、浮田一蕙、冷泉為恭、岩瀬広隆といった名だたる復古やまと絵師たちにより写されたといいます。

今回の特集では、「春日権現験記絵(模本)」全20巻の内、巻第一、第六、第七、第八、第九、第十、第十一、第十四、第十五がそれぞれ一部展示されています。

冷泉為恭他模 「春日権現験記絵(模本) 巻第一」
江戸時代・弘化2年(1845) 東京国立博物館蔵

絵巻は20巻94段から成り、全巻あわせると約180mにも及ぶという壮大なもの。朝廷の貴族や、春日大社にゆかりのある興福寺の僧にまつわる話が多いようですが、登場人物は身分の貴賎や職業、年齢、男女の別を問わず、さまざまな境遇の人々の前に春日明神が現れ、その姿を拝すというストーリーになっています。

冷泉為恭他模 「春日権現験記絵(模本) 巻第六」
江戸時代・弘化2年(1845) 東京国立博物館蔵

夜な夜な光る川のほとりに春日四宮が現れ、春日明神の霊地を教示した(巻第一)とか、春日明神の導きで閻魔王から赦免された(巻第六)とか、東国に住むことになった僧が春日社のことを思い出し涙を流していたところ春日明神が現れた(巻第八)とか、我が子を僧に育てるも大病で亡くなった母親が春日明神の情けで蘇生した(巻第九)とか、春日明神に腰の病が癒えるよう祈ったところ腰の病が癒えた(巻第十)とか、さまざまな不思議な御利益や霊験が、鮮やかな色彩の物語絵で分かりやすく綴られています。春日明神は束帯の男性や貴女、童子など、さまざまな姿で描かれていて、束帯の男性に姿を変えた神は顔が隠されていたり、夜や夢の場面が多いのも特徴的です。

冷泉為恭他模 「春日権現験記絵(模本) 巻第九」
江戸時代・弘化2年(1845) 東京国立博物館蔵

ほかにも、春日大社の神鹿を描いたいわゆる鹿曼荼羅や、円相に春日の神々の本来の姿(本地仏)を描いた本地曼荼羅が展示されています。

「春日本地仏曼荼羅」
鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵(展示は9/23まで)

「春日鹿曼荼羅」
鎌倉時代・15世紀 東京国立博物館蔵(展示は9/23まで)


【春日権現験記絵模本Ⅱ -神々の姿-】
2015年10月12日(月)まで
東京国立博物館 本館 特別2室にて

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