東京でも御岳山に行くと、法螺貝を吹き、修業をする山伏に今も出会うことがありますが、彼ら修験者が信仰する修験道の本尊が蔵王権現(金剛蔵王権現)。日本古来の山岳信仰に仏教や神道、陰陽道が結びついて成立した日本独自の宗教だといいます。
本展は、修験道の聖地である吉野・金峯山寺をはじめ、如意輪寺、櫻本坊、また鳥取の三徳山三佛寺などから、蔵王権現像などゆかりの宗教美術品約70点が集められ、修験道が生み出した山岳宗教の美に触れることができます。
会場に入ってすぐの<展示室1>には、金峯山寺と大峯山寺ゆかりのものを中心に、比較的小さめな蔵王権現像や懸仏などが展示されています。蔵王権現像は決まった形があって、振り上げた右手に三鈷杵を持ち、左手は腰の位置で剣印を結び、右脚を高く上げて左脚だけで立ち、忿怒の相で睨みをきかせるというのが典型的な姿だといいます。片脚だけで体を支えるのですから、バランス的にも造形表現的にも難しいんでしょうね。
「藤原道長経筒」(国宝)
平安時代・寛弘4年(1007) 金峯神社蔵(展示は10/4まで)
平安時代・寛弘4年(1007) 金峯神社蔵(展示は10/4まで)
ここではお経を納めた経箱と経筒があって、2点とも国宝。藤原道長の曾孫・師通が奉納したという経箱は文様や文字など判別がつかないのですが、それより古い藤原道長が奉納したとされる経筒は筒身に陰刻された願文や蓋に刻まれた梵字は割とはっきり分かります。
源慶 「蔵王権現像」(重要文化財)
鎌倉時代・嘉禄2年(1226) 如意輪寺蔵(展示は9/23まで)
鎌倉時代・嘉禄2年(1226) 如意輪寺蔵(展示は9/23まで)
中央の<展示室4>は金峯山寺、如意輪寺、櫻本坊のそれぞれゆかりの仏像が並びます。金峯山寺では、修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうしゃ)の坐像に随従する「前鬼像・後鬼像」がまず目に留まります。前鬼・後鬼は役行者の脇侍なのだそうで、金剛力士や狛犬のように阿形・吽形になっています。
平安時代の作という「釈迦如来坐像」は一材から彫りだされたものとかで、かすかに微笑んだような表情が印象的です。若い僧と老僧が対になっている「阿難立像・迦葉立像」は阿難の若々しさもいいけれど、険しい表情とあばらの浮いた細い体をした「迦葉立像」の写実的な表現が秀逸。「聖徳太子像」もなかなか立派な造りだと感じましたが、なぜに修験道に聖徳太子?
如意輪寺では慶派仏師・源慶による「蔵王権現像」が見事。均整のとれた体躯、立体的な火焔光背や着衣の造形の素晴らしさ。いかにも鎌倉時代の仏像らしい躍動感にあふれた傑作です。
「聖徳太子像」(重要文化財)
鎌倉時代 金峯山寺蔵
鎌倉時代 金峯山寺蔵
櫻本坊では吉野で現存最古の彫像という白鳳仏「釈迦如来坐像」がいい。先日『白鳳展』を観てきた後だけに白鳳仏の姿に惹かれます。8躯の「大峯八大童子立像」は小像ながらもいずれも丸顔で愛嬌のある顔をしていて、楽しげないい仏像。
ここでは二幅の「吉野曼荼羅図」があって、室町時代のものは不明瞭な部分も多いのですが、南北朝時代のものはまだはっきりと色も残っていて、金峯山の宗教空間を曼荼羅化した吉野曼荼羅のおおよその構図がつかめます。
「吉野曼荼羅図」
南北朝時代 金峯山寺蔵
南北朝時代 金峯山寺蔵
蔵王権現像を線刻した鏡像や立体的に表現した懸仏、また神像なども多く展示されています。鏡像が懸仏に発展し、両方を含めて“御正体”とするとされているそうで。
最後に三佛寺の蔵王権現像。三佛寺には7躯の蔵王権現像がありますが、さすがに正本尊は来ていませんが、残りの6躯が展示されています。いずれも正本尊より古い10~11世紀のものとされ、腕が欠損したものや、造形的にも未熟なところもありますが、修験道成立初期の蔵王権現像の作例として貴重です。中には右腕でなく左腕を上げているものや、両脚で立っているものもあり、 蔵王権現の造像の成立過程を知る上でも興味深いものがあります。
「蔵王権現像」(重要文化財)
平安時代 三佛寺蔵
平安時代 三佛寺蔵
会場には三佛寺の有名な投入堂の写真が展示されていたり、写真家六田知弘氏による『大峯奥駈』の写真展示や修行の様子がビデオで上映されていたりして、修験道のことを知る手掛かりにもなります。
個人的には見せ方としてももう一工夫できなかったものだろうかと思うところもありますが、蔵王権現像がこれだけ一堂に集まるという展覧会も稀なので、その点では大変興味深い展覧会でした。
【蔵王権現と修験の秘宝】
2015年11月3日(火・祝)まで
三井記念美術館にて
月刊目の眼 2015年10月号 (特集 山の神仏)