山種美術館は国内有数の日本画コレクションで知られますが、その中で最も充実し、また人気が高い画家といえば速水御舟ではないでしょうか。これまでもたびたびその作品に触れる機会はありましたが、今回は開館50周年記念として御舟の画業の全貌をふり返るというもの。かなり力が入ってます。
山種美術館の所蔵作品に加え、他の美術館や個人コレクターの所蔵作品も多く、初期から晩年まで時代々々を代表する約80点の作品が集まっています。御舟にスポットを当てた展覧会は過去にもありましたが、御舟の作品のみで構成された展覧会は約7年ぶり、各時期の代表作がここまで一堂に会するのは実に23年ぶりなのだそうです。
第1章 画塾からの出発
御舟は14歳で歴史画の大家・松本楓湖の画塾に入りますが、楓湖の画塾は古画の模写をさせるだけで、基本的には放任主義だったといいいます。このあたりは昨年世田谷美術館で開かれた『速水御舟とその周辺』でも詳しく取り上げられていましたね。10代の頃の作品がいくつか出ていましたが、模写の覚書として制作したという「瘤取之巻」を観ると、線描の精緻さもさることながら、筆に迷いがなく的確なのに驚きます。
楓湖門下の兄弟子・今村紫紅への憧れや横山大観ら日本美術院の面々との交流は、初期の「萌芽」や「錦木」などに色濃く現れていて、人物描写に輪郭線を廃した無線描法を試すなどその影響のほどが分かります。また、同じ黒でも質感が違う絵具を使ったり、胡粉で濃淡を巧みに表現したり、どれも10代の作品とは思えないクオリティ。
第2章 質感描写を極める
色彩へのこだわりは並々ならぬものがあったようです。初期の御舟というと群青中毒が有名ですが、その前に黄土色にこだわった時期もあったのですね。日本画の絵具にない色を使ったり、近所の薬局からいろんな薬品を取り寄せては新しい色の研究もしていたのだとか。御舟はカラリストであるという山崎館長のお話が印象的でした。
会場入ってすぐのところに展示されていたのが「鍋島の皿に柘榴」。写実的な石榴も素晴らしいのですが、お皿の磁器特有の冷たく硬質な質感がこれまた見事です。果物と磁器の組み合わせは好んで描いていたようで、数点出品されています。西洋の写実表現を日本画に応用できないか挑んでるようにも見えるのですが、主に色紙大の金地に描かれ、いかにも日本画的な趣を見せるのが面白いですね。
娘の桃の節句のお祝いに描いたという折枝画の「桃花」も印象的です。本作は台北故宮博物院に所蔵されている馬麟の「桃花図」を参考にしているのではないかという話でした。御舟は徽宗の「桃鳩図」の粉本を模写するなど院体花鳥画の研究にも熱心だったようで、落款も徽宗の痩金体に似せています。
ゴッホもどきの「向日葵」というのもありました。日本画で油彩画のような質感をいかに出すかということにこだわっていた時期でもあったようです。ほかにも、関東大震災直後の瓦礫と化した建物をキュビズム風に描いた「灰燼」やブナの大木を大胆にトリミングした異色作「樹木」、まるでコントラストの強いモノクロ写真のような水墨の「墨竹図」など、日本画を破壊してそこから何かを得ようとする御舟の挑戦を感じ取ることができます。
第3章 《炎舞》から《名樹散椿》へ-古典を昇華する
大正時代は琳派のリバイバルが起きた時代でもあり、御舟も琳派に影響を受けた作品をいくつか残しています。「木蓮(春園麗華)」は『鈴木其一展』にも出品されていた其一の「木蓮小禽図」との類似性が指摘されている作品。モノトーンでまとめてることでより一層、木蓮の妖艶さが増しています。
御舟の琳派的な作品の代表格といえば、「翠苔緑芝」と「名樹散椿」。ギャラリートークでも宗達や其一といった絵師の名を挙げ、その関連性を解説していただきましたが、それ以上に驚くのは絵具や技法に対する御舟の旺盛な実験精神。たとえば「翠苔緑芝」の紫陽花の萼(ガク)の印象的な色彩は胡粉に卵白を交ぜたとか重層を交ぜたとか、火で炙ったとか言われていて、いまだ謎だといいます。
速水御舟「名樹散椿」(重要文化財)
昭和4年(1929) 山種美術館蔵
昭和4年(1929) 山種美術館蔵
「名樹散椿」は昭和の絵画として初めて重要文化財に指定された作品。背景の金地の撒きつぶしについては一昨年の『輝ける金と銀』でも紹介されていましたが、金砂子を一面に散らす撒きつぶしは普通の金箔の10倍の量が必要で、なおかつ均等に撒かないといけないので技術的にもとても高度なのだそうです。御舟は楓湖の門を叩く前に蒔絵師のもとで修業をしていて、蒔絵の技法をヒントにしているのではないかとのことでした。
そばには“撒きつぶし”と“金泥”と“箔押し”のサンプル(写真下)があって、その色味の違いを実際に見比べることができます。スライドで見せていただいた金地比較を見ても、御舟が同じ金でも作品によって使い分けていたことが分かります。
大正後期あたりから瀟洒な水墨画も増えてきます。琳派的な作品と同様に古典に立ち返ろうとしていたのでしょうか。
速水御舟 「紅梅・白梅」
昭和4年(1929) 山種美術館蔵
昭和4年(1929) 山種美術館蔵
第4章 渡欧から帰国後の挑戦へ
御舟はイタリアで開催された『ローマ日本美術展覧会』に美術使節として参加。ギリシャやエジプトなどにも足を延ばします。会場にはギリシャの神殿を描いた作品やフィレンツェの風景の写生などのほか、アテネの神殿の前で写した記念写真も紹介されていました。
速水御舟 「あけぼの・春の宵」
昭和9年(1934) 山種美術館蔵
昭和9年(1934) 山種美術館蔵
ここでは御舟の花鳥画がスポットが当てられているのですが、その熟達した画技、味わい深さは同時代の画家の中でも随一だと思います。あれだけ西洋画の技法を意識した作品を残していながら、渡欧後の御舟は日本画らしい日本画がぐっと増えてくるのも面白いところです。
速水御舟 「白芙蓉」「牡丹」
昭和9年(1934) 山種美術館蔵
昭和9年(1934) 山種美術館蔵
個人的に御舟の作品で一番好きなのが「墨牡丹」。墨の濃淡の滲みを活かした花びらの表現の素晴らしさは筆舌に尽くし難いものがあります。第二会場には40歳で急逝する御舟の絶筆「円かなる月」や未完となった「盆梅図」なども展示されています。構図に苦心するなど、最後の最後まで新しい日本画の創造に余念がなかったことが分かります。
速水御舟 「牡丹花(墨牡丹)」
昭和9年(1934) 山種美術館蔵
昭和9年(1934) 山種美術館蔵
御舟の最高傑作「炎舞」も第二会場に展示されています。この部屋はもともと「炎舞」を飾ることを考えて設計されているそうで、ほの暗い室内に浮かび上がる赤い焔と蛾は何とも言えないほどに妖しく、そして美しく映えます。じーっと観ていると自分も焔のまわりを飛ぶ蛾になったような気にさえなってきます。御舟が「もう一度描けと言われても二度とは出せない色」と語るその焔は「伴大納言絵巻」の炎上する応天門の火災や仏画の火焔を参考にしているといわれています。
速水御舟 「炎舞」(重要文化財)
大正14年(1925) 山種美術館蔵
大正14年(1925) 山種美術館蔵
山種美術館が所蔵している御舟の作品は割と観る機会がありますが、代表作とされる作品が揃って公開されることは実はあまりありません。今回は他館所蔵の代表作も集まっており、御舟を知るには大変良い機会だと思います。
※展示会場内の写真は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。
美術館併設の「Cafe椿」では御舟の作品にちなんだ特製和菓子もありますよ。 |
【開館50周年記念特別展 速水御舟の全貌 -日本画の破壊と創造-】
2016年12月4日(日)まで
山種美術館にて
もっと知りたい速水御舟―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)