2010/05/17

細川家の至宝 -珠玉の永青文庫コレクション-

更新が遅れましたが、もう一つ、ゴールデンウィークに観た展覧会を。

上野の東京国立博物館で開催中の『細川家の至宝』展にも足を運んできました。

細川家といえば、旧熊本藩主の細川家、歴史の教科書にも登場する細川ガラシャのいた細川家、かつての日本新党の党首で、総理大臣にもなった細川護煕の細川家です。

細川家は、清和源氏の流れを汲み、鎌倉幕府の御家人として始まり、室町幕府の要職を務め、戦国末期には、戦国大名として頭角を現すという、大変長く、由緒ある歴史を持つ日本屈指の名家。その細川家所有の文化財は、細川護立(細川護煕の祖父)が後世に伝えるため1950年に設立した“永青文庫”により大切に管理されています。


国宝「時雨螺鈿鞍」(鎌倉時代)

展覧会は、「第一部: 武家の伝統 -細川家の歴史と美術-」と「第二部: 美へのまなざし -護立コレクションを中心に-」というテーマで分けられ、甲冑や鞍、刀剣、茶の湯・能の道具等々、細川家に伝わる家宝と、細川護立が蒐集した中国・西アジアの美術工芸や近代日本画や洋画等々のコレクションがそれぞれ展示されています。

鎧や刀といった戦国時代の武具さえ、今はこうして文化財として博物館に陳列されるなぞ、当時の人は夢にも思わなかったでしょうね。鎧は腰まわりも細く、昔の人は現代人ほど大きくないとはいえ、意外と小さかったのが印象的でした。細川忠興は小柄な方だったんでしょうか。

「黒糸威二枚胴具足」
細川忠興(三斎)所用(安土桃山時代)
関が原の戦いで使われたものとか。

そのほか、「第一部」には、明智光秀の三女にで、細川家に嫁いだ細川ガラシャの貴重な資料や、細川家と縁の深い宮本武蔵が執筆した兵法書『五輪書』や貴重な自筆の絵も! 宮本武蔵は剣豪としてだけでなく、芸術的センスも秀でていたんですね。

宮本武蔵「鵜図」(重要文化財)

「第二部」には、第16代当主、細川護立が集めた美術工芸品がズラリ。これまた“超”がつく第一級の名品揃い。中国から買い集めた美術工芸品には、国宝・重要文化財が多く、日本画や洋画も、日本美術史に残る傑作ばかり。

菱田春草「黒き猫」(重要文化財)

春草にしても古径にしても、最高傑作がココにあったとは、ほんとビックリしました。ともに切手にもなったことのある名画中の名画。さらには川合玉堂や川端龍子、下村観山、梅原龍三郎、そして横山大観と、錚々たる画家の作品が並んでいます。また、江戸時代の禅僧、白隠慧鶴の書画がたくさんありました。一度見たら忘れられないインパクトのある絵です。細川護立の美術品収集は、この白隠慧鶴の作品から始まったそうです。

白隠慧鶴「乞食大燈像」

だけど、これだけの数の作品を集めたことだけでも驚きなのですが、そのどれもが第一級品で、しかもその中には現在、国宝や重要文化財に指定されているものが少なくなく、細川護立の審美眼が極めて高かったということにさらに驚かされます。小市民のわたしには全く縁のない世界ですが、世に名家といわれる家は多くても、ここまで文化財級の名品が揃い、しかもそれらを後世に伝えるために、こうしてちゃんと管理しているんですから。細川家、恐るべし、です。

小林古径「髪」


特別展「細川家の至宝-珠玉の永青文庫コレクション-」
東京国立博物館にて
2010年6月6日(日) まで

2010/05/09

生誕120年 奥村土牛

『歌川国芳展』を観て、その足で恵比寿に向かい、山種美術館へ行ってまいりました。山種美術館では、現在、奥村土牛の回顧展が開かれています。

山種美術館が広尾に移転してからは、初めての訪問。九段にあったときも、駅からずいぶんと歩きましたが、移転先も駅から10分程度、またもやあまり便利な場所ではありません。長い坂道。ラーメン屋は臭うし…。

さて、その日はゴールデンウィーク真っ只中ということもあり、山種美術館にも多くのお客さんが詰め掛けていましたが、先に観た『歌川国芳展』や『国宝燕子花図屏風』に比べて、お客さんの年齢層がかなり高め。今年が土牛の生誕120年という以外に何か特別注目されるようなきっかけもありませんし、再評価という気運が高まっているわけもありませんし、若い美術ファンから注目を集めるほどではなかったのかもしれません。

新しい山種美術館は、今度は展示会場が地下になり、若干ですが広くなったようです。メインの第一会場には、土牛の作品やスケッチ画などが時系列で並べられています。この方は大器晩成型で、30代も後半になってから評価されるようになったようですが、今こうして観てみると、その頃の作品は既に完成されたような感さえあります。

奥村土牛「鳴門」

入ってすぐのコーナーに、戦後すぐの1947年に描かれた「緋鯉」という作品と、鯉のスケッチがありました。先日閉場した歌舞伎座にも土牛の鯉の絵が飾ってありましたが、今回展示されていた鯉のスケッチは、「緋鯉」より歌舞伎座の「鯉」の絵の方が近い気がしました。歌舞伎座が再建されたのが1951年で、土牛にはその前に依頼しているでしょうから、歌舞伎座に飾られていた「鯉」は今回展示されていた「緋鯉」からあまり時間を置かずに描かれたものなのかもしれません。

奥村土牛「吉野」

九段時代の山種美術館では、何度か奥村土牛のコレクションを拝見していますが、速水御舟や横山大観の作品がメインになっても、土牛の絵はいつも脇役的に飾られてあった印象があります。しかし、山種美術館で一番所蔵作品数が多いのは土牛なのだそうで、実に135点もあるのだとか。ということは、今回展示されている作品は、そのごく一部。恐るべし、山種美術館。

奥村土牛「富士宮の富士」

院展の出展作を中心とした素晴らしい作品の数々に加え、山種美術館のために毎年私的に描いた十二支の作品など、展示品が大変充実しています。「吉野」や「門」、「鳴門」、「那智」といった代表作に加え、第一会場の最後を飾る最晩年の「海」、「富士宮の富士」、「犢」の三枚の素晴らしさ、その衰えぬ瑞々しさ。年を重ねてなおも輝くその感性に驚きの声を隠せませんでした。

奥村土牛「犢」

第二会場となる小さな部屋には、師・小林古径を偲んで描いたという傑作「醍醐」をはじめ、掛け軸など“和”を感じる良品が集められ、第一会場の土牛らしい作品とはまた違った趣があり、興味深かったです。

奥村土牛「醍醐」


【生誕120年 奥村土牛】
山種美術館にて
2010年5月23日(日) まで

奥村土牛 (ちいさな美術館)奥村土牛 (ちいさな美術館)

歌川国芳 奇と笑いの木版画

こちらもすっかり行きそびれてしまった展覧会。府中市美術館で開催中の『歌川国芳 奇と笑いの木版画』に行ってきました。
 
今のところ、今年の開催された展覧会の中でも、すこぶる評判が良いようで、絶賛の声が耳に入るたびにジリジリした気持ちでいましたが、先日ようやく伺うことができました。

歌川国芳というと、江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人ですが、展覧会のタイトルからも察せられるように奇抜な画題の浮世絵も多く、そのユニークさが近年大変注目を集めています。かくいう自分も、歌舞伎専門の太田記念美術館や東京国立博物館の常設展で時折見かけていた程度であまり詳しくは知らなかったのですが、昨年NHKで放映された『ワンダー×ワンダー 浮世絵 よみがえる幻の色』で大変面白い、というか凄い浮世絵師だなと感動し、今回の展覧会はとても待ちわびていました。

今回の展覧会は展示替えが多く、本当なら前期・後期あわせて観るべきだったのですが、自分が伺ったのは後期。そのため残念ながら前期出展の絵は観ることができませんでした。しかも、図録が売り切れてしまっていたし…。

歌川国芳「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」

国芳は、江戸時代中期に浮世絵界の最大グループ“歌川派”の一人で、武者絵や役者絵、美人画で絶大な人気を得た歌川豊国の弟子。当初は、師匠と同様に武者絵や美人画などを描き、また「水滸伝」の連作を手がけ、人気絵師として活躍したようですが、天保の改革で綱紀粛正として歌舞伎や寄席など文化や風俗にも厳しい規制がはじまり、浮世絵も遊女や役者絵を描くことが禁じられると、国芳は戯画を数多く手がけるようになります。

歌川国芳「忠臣蔵十一段目夜討之図」

歌舞伎役者の絵が描けないのであれば、役者を猫に変えて描いてしまったり、おどろおどろしい絵や笑いを誘う楽しい絵、動物や子どもの微笑ましい絵などを描いていったようです。時に幕府への痛烈な風刺が描かれた国芳の浮世絵は、禁令の網をかいくぐりながら、爆発的な人気を集めます。幕府から厳しい弾圧を受けても、決して屈せず、新しい文化や風俗を生み出していくそのエネルギーやバイタリティーは、ものすごいなと国芳の絵を観ていると痛感します。

歌川国芳「東都名所かすみが関」

出展作は、一部、肉筆画もありましたが、そのほかは全て木版画。規制前の作品から、規制を受け、カモフラージュとして描いたユニークな画題の作品まで数多くの作品が展示されています。展覧会は3部構成になっていて、まずは国芳の絵の変遷を年代ごとに紹介するコーナーでは一大ブームを巻き起こした「水滸伝」シリーズや武者絵、美人画などが、国芳のバラエティに富んだ絵を紹介するコーナーでは人気の忠臣蔵(歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」)シリーズや当時ご法度だった西洋画を密かに研究したと思われる作品などが、最後には彼の真骨頂たるユーモア溢れる数々の絵が紹介されています。

歌川国芳「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」
顔や手をよく見ると…。

国芳の絵は確かに奇想天外で、観る人を飽きさせない、大人でも(大人だからこそ)ついつい笑ってしまう可笑しみに溢れています。でも、国芳の絵には、たとえ俗っぽいものであっても、下品な感じはせず、馬鹿馬鹿しい絵であっても、センスの良さを感じずにはいられませんでした。芝居や寄席ぐらいしか娯楽のない時代、そうした娯楽にさえ圧力がかかってしまった当時の庶民にとって、こうした浮世絵はそうした欲求を解消してくれる格好のエンターテイメントだったのかもしれません。

歌川国芳「其のまま地口 猫飼好五十三疋」
五十三次の宿場が全て猫で、しかも語呂合わせになっている。
国芳は相当の猫好きだったらしい。

歌川国芳「荷宝蔵壁のむだ書」
落書きのような大爆笑の傑作浮世絵。


【歌川国芳 木と笑いの木版画】
府中市美術館にて
2010年5月9日(日) まで


歌川国芳―奇と笑いの木版画歌川国芳―奇と笑いの木版画


もっと知りたい歌川国芳―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたい歌川国芳―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

新創記念特別展 国宝燕子花図屏風

ゴールデンウィーク中に、ぜひ行きたいと思っていた筆頭が、根津美術館の特別展。毎年、根津美術館の庭園に燕子花(かきつばた)が咲く頃になると、尾形光琳の国宝「燕子花図屏風」を公開してくれます。

といっても、根津美術館は昨年まで建て直し工事を行っていたので、こちらでの公開は実に4年ぶり。閉館前最後の公開のときにも訪れてますし、閉館中の『大琳派展』でも観てますし、数年に一度の割合で「燕子花図屏風」は観ているので、“今さら…”的なところはあるのですが、やはりこの季節に根津で観る「燕子花図屏風」は特別の趣があり、今や季節の風物詩的な催しでもあります。その上、テレビ東京の『美の巨人たち』で「燕子花図屏風」の特集を観てしまい、ここはやはり“行かざるを得ないだろうな”という気持ちで、ゴールデンウィークで混んでるとは知りながら、昨秋“新創”オープンした根津美術館に行ってまいりました。



尾形光琳「燕子花図屏風」 (国宝)

今回の展覧会は、光琳の「燕子花図屏風」を中心に、根津美術館所蔵の琳派コレクションを公開するという特別展。旧・根津美術館より、広くなり、観やすくなった会場で、琳派の優品を心ゆくまで堪能いたしました。

東京国立博物館の『大琳派展』で初めてお目にかかり、大変感動した鈴木其一の「夏秋渓流図屏風」も展示されていました。そのほか、宗達(もしくは工房“俵 屋”)の作品とされる「桜下蹴鞠図屏風」や酒井抱一の掛け軸、さらに光悦の色紙(絵は宗達)や乾山作の皿(絵は光琳)などなど名品揃い。根津美術館は、建物が新しくなったのと同時に、もちろん室内の照明も最新のものになりましたが、光が絵を邪魔することなく、同時に落ち着いた空間を作り出し、非常に見やすく鑑賞できるようになっています。先日の三菱一号館美術館の絵に跳ね返る照明とは大違い。


鈴木其一「夏秋渓流図屏風」

展示品をひと通り観たあとは、根津美術館の素晴らしい庭園へ。建物は変わっても、庭園は全く変わらず以前のまま。藤棚も昔のままですし、燕子花の咲く池もそのままです。ゴールデンウィークの頃には、藤の花が終わりかけていることがありますが、今年は4月が寒かったこともあり、藤の花はちょうど見ごろ。燕子花も紫の美しい花がきはじめ、

庭園で燕子花を観て、また「燕子花図屏風」を観る。温泉に入り、夕涼みをして、また温泉に入るみたいな、時間を忘れて、ゆったりとした気持ちで忘我の境地を味わうのが、この時季の一番の楽しみ方ではないかと思います。






【新創記念特別展 第5部 国宝燕子花図屏風 琳派コレクション一挙公開】
根津美術館にて
2010年5月23日(日) まで





もっと知りたい尾形光琳―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたい尾形光琳―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

2010/05/07

美しき挑発 レンピッカ展

今週で最終日を迎える『レンピッカ展』に行ってまいりました。

今回の『レンピッカ展』は、マドンナの「VOGUE」をテーマ曲(?)に使ったり、派手に宣伝もされていて、“アールデコを代表する画家”的なアピールが強く押し出されています。確かにレンピッカというとアールデコを代表する画家という印象が強いように思うのですが、わたし、基本的にアールデコって、それほど得意ではないんです。

でも、なんでそんな自分が、レンピッカに興味を持っていたかというと、自分はどちらかといえば、マレーネ・ディートリッヒとかグレタ・ガルボとか、ジーン・ハーローとか、20~30年代の好きな映画女優の延長線上に、同時代の女性の象徴としてレンピッカが存在していたからなのです。

だから、恥ずかしい話、レンピッカの絵はよく知らず(汗)、彼女の生き様(時代の先端を行く行動的な女性、数々の女性遍歴を持つ同性愛者(正確にはバイセクシャル))に興味を覚えていたというのが正直なところです。

「サン・モリッツ」

そんなレンピッカの大々的な回顧展があるというので楽しみにしていましたが、いよいよあと少しで閉幕というときになって、ようやく足を運ぶことができました。

会場となる“Bunkamura ザ・ミュージアム”はそれほど大きな会場ではありませんが、それでも日本未公開作品を含め、レンピッカの代表作など約60点もの作品が来てるといいます。日本でこれだけまとまった形でレンピッカの展覧会を開くのは初めてだということで、これを逃すと、これだけの作品に一度にお目にかかれるチャンスはそうそうありません。

「イーラ・Pの肖像」

「マルジョリー・フェリーの肖像」

会場は、初期の作品を集めたプロローグ「ルーツと修行」を筆頭に、20年代~30年代前半の絶頂期の「第1部 狂乱の時代」、戦争の足あとが聞こえる中、重い鬱病に苦しみ、悩みながら描いた「第2部 危機の時代」、そして第二次世界大戦を逃れ渡米し、時代の流れと共にスタイルが変遷していった「第3部 新大陸」、不遇の時代を経て、再び脚光を浴びた晩年の「エピローグ」といった内容で構成されています。

「カラーの花束」

レンピッカらしさは、やはり「第1部 狂乱の時代」。
当時のレンピッカの絵は、キュビズムの影響を受けたアールデコ的なデフォルメを持ちながらも、斬新で、鮮やかで、エレガントで、官能的です。レンピッカの絵に多く見られる男女や女性同士の裸体の絵といった扇情的な作品は今回の展覧会には出展されていませんでしたが(意図的?)、それでも男性をモデルにした絵があまり魅力的でないのと対照的に、女性を描いた絵はどれも生き生きしていて、美しく、自由で、官能的なものばかり。娘キゼットを描いた絵でさえ、どこか“性的”なものすら感じさせます。

「タデウシュ・ド・レンピッキの肖像」
レンピッカの最初の夫の肖像画。離婚でもめていた時期の作品のため、
結婚指輪をはめていた左手は未完成となっている。

「ピンクの服を着たキゼット」
レンピッカのモデルとして何度も登場する娘キゼット。
ナボコフの『ロリータ』の表紙にも使われたのだとか。

「シュジー・ソリドールの肖像」
LANVANのモデルやキャバレー歌手としても活躍したレンピッカの愛人。
レンピッカは彼女をモデルにした官能的な作品を多く残しています。

「第2部 危機の時代」は、それまでの華麗な画風からは一転、描かれる題材は修道女や難民の姿など重苦しいものに変わり、被写体の表情も沈み、色調も暗いものとなっていきます。そこには戦争やレンピッカ自身の鬱病が大きく起因していると言われていますが、それらの作品は宗教色、政治色が強いものになっています。しかし、一方で、この時代の作品は、それまでの表面的な美しさや装飾性が取り除かれ、レンピッカのパーソナルな、内面的な部分が浮き彫りになり、そのためか以前の作品よりも、より研ぎ澄まされた印象を受けました。

「修道院長」

戦争がヨーロッパ全土に広がった頃、レンピッカはアメリカに移住しますが、その頃から、また彼女の絵に明るさや華やかさが戻ってきます。しかし、すでにアールデコの時代は終わり、戦後のレンピッカの絵からは彼女の迷いが伝わってきます。作風は大きく変わっていき、そこにはかつての力強さや先進さは見られません。そして時代はレンピッカから離れていってしまったようです。自分をアピールするがために、社交界の“場”である豪華客船で着るドレスの、自ら描いたデザイン画が飾られていましたが、その絵からは痛々しさすら感じられました。

「パンジーを持つ女」

せめてもの救いが、晩年、レンピッカを知らない世代の若者たちがレンピッカを再発見し、それにより、再び彼女の絵に“レンピッカらしさ”が垣間見られるようになったことでしょう。 その評価は、レンピッカの死後、ますます高まっているのではないでしょうか。この展覧会を機に、レンピッカの絵の素晴らしいさやライフスタイル、時代の先端性がもっと多くの人に知ってもらえれればと思いました。

「自画像」


【美しき挑発 レンピッカ展】
Bunkamura ザ・ミュージアムにて
2010年5月9日(日) まで

2010/05/05

マネとモダン・パリ

4月は、ほとんど歌舞伎のことしか頭になかったので(笑)、美術館巡りをなおざりにしておりました。いつもなら、ゴールデンウィークなんてどこ行っても混んでる時にわざわざ行かなくても…と思うのですが、今年ばかりは、行けないままで鑑賞券の期限は迫ってくるし、あれも観たいこれも観たいでスケジュールやルートに頭を抱え、なんとかかんとか6つの展覧会を廻ることができました

では、順番に。

まずは、『マネとモダン・パリ』から。

こちらは、7月までやってるので、そう慌てて行くこともなかったのですが、たまたま近くに用事があったので、ついでに寄って来ました。

『マネとモダン・パリ』は、4月にオープンした「三菱一号館美術館」の開館記念展ということで、連日多くの来館者が詰めかけているという話は聞いていましたが、行った日も受付には行列ができてました。それでも10分も待たなかったと思います。

「街の歌い手」

マネは大好きな画家の一人。活躍した時代が19世紀中期~後期ということで、セザンヌやモネ、ドガ、そしたルノワールら印象派の画家と重なるのですが、マネは印象派の本流ではないし、どちらかというと印象派という時代の流れに合流するのではなく、独自の創作活動を貫き、またその印象派の画家たちにも影響を与えたという点で、とてもユニークな存在だと思います。

展覧会は、「第1章.スペイン趣味とレアリスム:1850-60年代」「第2章.親密さの中のマネ:家族と友人たち」「第3章.マネとパリ生活」の3つに構成されています。

「死せる闘牛士(死せる男)」
この“黒”の色味と質感が素晴らしい。

「ローラ・ド・ヴァランス」
当時のパリで流行したスペインの踊り子さん

「第1章」では、17世紀のスペインの画家ベラスケスらに影響を受けたスペイン風の作品にスポットを当てています。絵画が写実主義と自然主義といったレアリスムに向かう中で、何故マネはスペイン絵画へ回顧していったのか。実はそれがマネ的なレアリスムへのアプローチだった、ということが幾つものマネの絵画を通して語られています。

「第2章」では、ベルト・モリゾら、マネのモデルとなった近しい人々の絵が、「第3章」では、19世紀のパリの町に集う人々を描いた絵が、それぞれテーマに沿って集められ、展示されています。

「ラテュイユ親父の店」

「ビールジョッキを持つ女」

コーナーのところどころに、ドガなど同時代の画家の作品やオペラ座など19世紀パリを代表する建築物の貴重な設計図や写真、また当時のパリの写真などが展示されていて、マネの活躍した時代の背景というものが、さまざまな方向から分かるように工夫されていました。19世紀中頃というと、ちょうど日本は開国して、幕府は倒幕され、新たな政府が誕生し、遅ればせながら西洋の技術と文化を取り入れようとして、ものすごい勢いで時代が変貌を遂げていた時代。もうその頃は、ヨーロッパは政治的にも落ち着き、技術や文化は爛熟していたのだろうと思いきや、パリはインフラ整備で大改造をされていたり、普仏戦争でパリの街は荒れ放題になったり、実はパリも歴史の過渡期だったということを恥ずかしながら初めて知りました。そんな時代にマネのような画家が活躍したということを知るだけで、彼の絵の見方が変わるような気がします。

ドガ「ル・ペルティエ街のオペラ座の稽古場」

さて、オープニング展覧会に抜擢されたマネ。今回の展覧会はマネを主題にしつつ、その同時代のパリの街の成り立ちにもスポットを当てているのですが、その背景には丸の内地区を開発した三菱が、その象徴ともいえる歴史的建築物を再現したことで、パリと丸の内の相似を暗に匂わせ、自分たちの業績をアピールする狙いがあるようにも思います。

「エミール・ゾラ」
左側の屏風絵と壁にかかっている絵に注目!

「オリンピア」
壁の絵の一つがコレ。マネの出世作にしてパリ画壇で論争を巻き起こした問題作。
(※ 本展覧会には出品されてません!)

三菱一号館美術館は、1894年に建てられた3階建ての煉瓦造りの建物で、1968年に解体されたのですが、三菱商事ビルの再建築(丸の内パークビル)に 伴い、昔の装いで再現さえたというわけです。再建築する際には、一度壊したものを…的な批判的な話も漏れ聴こえましたが、丸の内パークビルと三菱一号館の間に庭園(?)を配したりして、いい風景になっていて、想像以上に街の中に溶け込んでいると思いました。

館内は、美術館というより、あくまでも昔の洋館なので、スペース的にも狭かったり、天井もそれほど高くなかったりしますが、古い洋館に飾られている絵を観るような趣があり、いつもの美術展とはまた違った楽しさがありました。この建物をうまく生かした展覧会を今後も期待したいと思います。

「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」


【三菱一号館美術館 開館記念展(Ⅰ) マネとモダン・パリ】
三菱一号館美術館にて
2010年7月25日(日)まで