2011/08/13

礒江毅=グスタボ・イソエ マドリード・リアリズムの異彩

練馬区立美術館で開催中の特別展「礒江毅=グスタボ・イソエ マドリード・リアリズムの異彩」に行ってきました。

恥ずかしながら、礒江毅(イソエ ツヨシ)という方を自分は知らず、この展覧会もノーマークでした。Twitterなどでその評判の良さを知り、家からも近いし、観覧料も安い(500円!)ので、とりあえず観てみようと軽い気分で伺ったのですが、想像以上の素晴らしさにただただ感動。とりあえず、今年の暫定一位です。

礒江毅は大阪の出身で、大阪市立工芸高等学校を卒業後まもなく単身でスペインに渡り、30年余りの長きにわたる滞西の間に油彩による写実絵画を探求したという方。スペインにはアントニオ・ロペス・ガルシアに代表されるリアリズム絵画の流れがあり、礒江毅もマドリード・リアリズムの俊英画家として高い評価を受けていたそうです。晩年は、スペインと日本を行ったり来たりしながら活動していたようですが、2007年に53歳で惜しくも急逝。本展覧会は、死後初めての本格的な回顧展となります。

さすが写実画のスペシャリストだけあり、どの作品もまるで写真を観ているようなリアルさ。でも、単なるリアルな写実画と違って、写実を超えた質感というか、具象以上の生々しさというか、静物画より静謐というか、リアリズムを超越した独特の存在感、さらには精神的なもの、神秘的なものすら感じます。

「裸婦(シーツの上の裸婦)」(1983年)

なんでしょう、この肌の透明感、シーツの質感。すでに習熟し、完成された写実画ですが、これがまだ30歳前の作品というのだから驚きです。

「新聞紙の上の裸婦」(1993-94年)

 「新聞紙の上の裸婦」は鉛筆と水彩で描かれたものですが、さすがに新聞紙は写真かプリントだろうと、単眼鏡で覗いたら、ちゃんと鉛筆で細密に描いていました。細かな文字は模様化して描いてありましたが、少し大きな文字はすべて手書き。文字をそろえるための下書きの線もかすかに残ってました。恐るべしリアリズム!

「深い眠り」(1994-95年)

礒江毅の傑作のひとつ、「深い眠り」も紙に鉛筆、水彩、墨で描いたもの。女性が浮いているような不思議な構図ですが、その皺や肉のたるみ、筋肉の緊張と弛緩の具合の再現力の素晴らしさたるや、女性が生きてきた年月の片鱗までも感じ取れるようで、観ていてゾクゾクしてしまいました。

会場には礒江毅の写生画の数々も展示されていましたが、これだけの写実性を持った方だけあって、ただのドローイングというより、どれも完成度が高く、最早習作ではなく一枚の完成された絵画のようでした。

ドローイングの中に扉が半分開いた室内画があったのですが、なんとなくハンマースホイを思い起こさせました。礒江毅の作品から得る静かな感動は、系統は異なりますが、ハンマースホイを観たときに感じたものに近いものだという気がしました。

「静物(柘榴と葡萄とスプーン)」 (1994年)

「サンチェス・コタンの静物(盆の上のアザミとラディッシュ)」(2000-01年)

一般的にあまり知られていない画家だと思いますが、非常に印象に残る展覧会でした。観覧料も格安。iPhoneアプリの“ミューぽん”を使うとさらに100円割引になります。この夏、お勧めの展覧会です。

なお本展は、残念ですが図録の販売がなく、代わりに既刊の作品集が販売されています。

「鰯」(2007年)


【特別展 磯江毅=グスタボ・イソエ マドリード・リアリズムの異才】
練馬区立美術館にて
2011年10月2日(日)まで

磯江毅 写実考──Gustavo ISOE's Works 1974-2007磯江毅 写実考──Gustavo ISOE's Works 1974-2007









美術の窓 2011年 08月号 [雑誌]美術の窓 2011年 08月号 [雑誌]

2011/08/12

没後100年 青木繁展 - よみがえる神話と芸術


ブリヂストン美術館で開催中の「青木繁展 - よみがえる神話と芸術」に行ってきました。

青木繁といえば、明治の浪漫主義を色濃く反映した傑作を数多く残しながらも、後年は病と貧しさと闘い、わずか28歳で亡くなった早世の画家。生前は高い評価は得ていなかったものの、没後その評価はだんだんと高まり、現在では「海の幸」と「わだつみのいろこの宮」が重要文化財に指定されるなど、日本を代表する洋画家の一人です。

本展は、没後100年を記念しているということで、油彩画約70点、水彩・素描画約170点、さらに手紙などの資料約60点と、かなりまとまった回顧展となっています。

「大穴牟知命」(1905年)

会場は、年代を追って紹介されていて、
第1章 画壇への登場─丹青によって男子たらん 1903年まで
第2章 豊饒の海─《海の幸》を中心に 1904年
第3章 描かれた神話─《わだつみのいろこの宮》まで 1904-07年
第4章 九州放浪、そして死 1907-11年
第5章 没後、伝説の形成から今日まで
の5部構成になっています。

若くして亡くなったため、作品数が決して多くないからなのか、デッサンとまでいえないようなメモ書き程度のラフな素描などもいくつか展示されていました。

「海の幸」(1904年) 重要文化財

第2章の部屋の一番奥には、青木繁の最高傑作「海の幸」が展示されていました。これまで知らなかったのですが、意外なことに「海の幸」は未完成の作品なのだそうで、確かによく観ると、下書きの線や書きなおされた跡、よく描きこまれたところもあれば荒いところもありました。それでも、この荒々しくも漲る生命力はなんなのでしょうか。この作品が未完成であるのに、傑作と呼ばれる理由が分るような気がしました。

「わだつみのいろこの宮」(1907年) 重要文化財

古事記を題材にした「わだつみのいろこの宮」はイギリスのヴィクトリア朝の画家エドワード・バーン=ジョーンズの影響を受けた作品として有名ですが、そのためか、古事記という日本的な物語なのにどこかヨーロッパの古代神話を思わせる不思議な絵です。青木繁の作品には、日本やヨーロッパの神話を題材にした作品が多くありますが、和洋折衷のような独特の世界からは急激な西洋化の流れを受けた明治のロマンティシズムの香りが漂ってくるようです。

「朝日(絶筆)」(1910年)

青木繁はたびたび房総に写生旅行に出かけており、海の絵が大変多くあります。その多くは岩場にぶつかり砕ける波の荒々しさが描写されていましたが、絶筆となる「朝日」の海は打って変わって穏やかな表情を見せています。まるで自分の死期を悟り、これまでの短い人生を振り返りながら見つめているかのような平穏な海。28歳の生涯を駆け抜けた彼の勢いとは裏腹の静かで美しい海の情景に言葉を失いました。


 【没後100年 青木繁展 - よみがえる神話と芸術】
ブリヂストン美術館にて
2011年9月4日まで(日)

青木繁 (新潮日本美術文庫)青木繁 (新潮日本美術文庫)

2011/08/11

空海と密教美術展


上野の東京国立博物館で開催中の「空海と密教美術展」に行ってきました。

出品作品全99点の内、国宝と重要文化財が98.9%という、まぁほぼ100%が国宝・重要文化財という空前絶後の展覧会です。ただし、期間中、作品の展示替えがかなりあるので、すべてを観ようと思うと3~4回は訪れないといけないというのが難点でしょうか。中には、“10日間限定公開”というクセモノもあります。

会場の構成は、
第一章 空海-日本密教の祖
第二章 入唐求法-密教受法と唐文化の吸収
第三章 密教胎動-神護寺・高野山・東寺
第四章 法灯-受け継がれる空海の息吹
仏像曼荼羅

となっています。

国宝 「諸尊仏龕(しょそんぶつがん)」
(唐時代・8世紀) 和歌山・金剛峯寺

空海が中国で密教を修め、日本に持ち帰ってから約1200年。会場には、空海が中国から請来した絵画、仏像、法具のほか、それらの中国渡来の作品や文化に影響を受けた密教美術の名品、また“弘法も筆の誤り”といわれた空海の直筆の書、さらには密教美術を代表する仏像の数々まで、良くぞここまで掻き集めたと唸るばかりの贅沢なラインナップになっています。

 国宝「両界曼荼羅図 (西院曼荼羅)」
(平安時代・9世紀) 京都・東寺蔵
展示期間:胎蔵界7/20~8/21、金剛界8/23~9/25

東寺の「両界曼荼羅図 (西院曼荼羅)」は彩色の両界曼荼羅図としては現存する最古のものだそうですが、その鮮やかさは1000年以上の時代を経たものとは思えない美しいものでした。そのほか、この機会を逃したらそうそう見られないといわれる空海が中国から持ち帰ってきた請来本を基にしたといわれる現存最古の国宝 「両界曼荼羅図 (高雄曼荼羅)」をはじめ、平清盛の頭の血を大日如来の宝冠の彩色に使ったと伝えられる「両界曼荼羅図 (血曼荼羅)」(重文・金剛峯寺蔵)も8/16から展示されます。

重要文化財「如意輪観音菩薩坐像」
(平安時代・9世紀) 京都・醍醐寺蔵

国宝「阿弥陀如来および両脇侍像」
(平安時代・888年) 京都・仁和寺蔵

会場の後半は、仏像のオンパレード。醍醐寺や仁和寺、西大寺、金剛峯寺などから密教美術を代表する仏像の数々が登場します(こちらも一部展示替えあり)。最大の目玉は、東寺の“仏像曼荼羅”。東寺講堂には大日如来を中心に21体の仏像が安置されていますが、その内の8体(いずれも国宝)が恐れ多くも展示されています。これだけの仏像が運び出されたとなると、東寺の講堂は今、スカスカなんでしょうね。

国宝「帝釈天騎象像」
(平安時代・839年) 京都・東寺(教王護国寺)蔵

国宝「持国天立像(四天王のうち)」
(平安時代・839年) 京都・東寺(教王護国寺)蔵

東寺講堂の仏像の選択と配置は空海の思想が反映されているそうですが、空海はその完成をみることなく入滅します。東寺は京都駅から近いこともあり、自分も何度も足を通わせてますが、後ろの方に配置されている仏像や普段見られない後姿も存分に見ることができ、東寺で見るのとはまた趣の違うものがありました。

空海のあとは、10/25から「法然と親鸞」展と仏教とつながりの深い展覧会が続きます。


【空海と密教美術展】
東京国立博物館にて
2011年9月25日(日)まで


空海と密教美術を訪ねる旅 (ぴあMOOK おとなのカルチャーな旅シリーズ)空海と密教美術を訪ねる旅 (ぴあMOOK おとなのカルチャーな旅シリーズ)








カラー版 空海と密教美術 (カラー新書y)カラー版 空海と密教美術 (カラー新書y)









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