2011/10/28

松岡映丘展

練馬区立美術館で開催中の『松岡映丘展』に行ってきました。

今年は松岡映丘の生誕130年とのことで、生まれ故郷の兵庫での回顧展に続いての巡回展です。

松岡映丘(1881-1938)は、兵庫県の中部に位置する今の神崎郡の旧家の生まれ。生家は代々医家で、父は儒学者、兄にはかの有名な民俗学者の柳田國男をはじめ、医師や政治家、国文学者、言語学者といった錚々たる兄弟がいます。「松岡五兄弟」として有名のようで(ここまですごい人が揃えば当然ですが)、地元にはその業績を讃えた記念館まであり、本展にもその写真や資料がいくつか展示されていました。

さて、映丘は、もとは狩野派の橋本雅邦の指導を受けていたこともあるそうですが、半年ぐらいで通わなくなり、その後、住吉派(土佐派)に入門して本格的にやまと絵を学びます。やがて東京美術学校を首席で卒業。一時期、川合玉堂に師事していたこともあるようです。

「鵯越」 明治30年(1897)
なんと16歳のときの作品!

展覧会には、東京美術学校時代の作品も何点か展示されていましたが、卒業制作作品の「浦の島子」などはさすが首席で卒業するだけあり、その完成度は高く、どう見ても美術学生の作品とは思えないものでした。

「道成寺 (右隻)」 大正6年(1917)
清姫の怨霊が憑りついた白拍子の目が怖い。。。

映丘は、なんといってもやまと絵。『源氏物語』や『平家物語』などの古典文学に材をとったり、平安時代の王朝絵巻を思わせるような優美な作品や勇壮な武者絵を手がけたりと、サブタイトルにもあるように、明治以降、圧倒的な洋画への流れの中で頑なにやまと絵に執着し、「新興大和絵」としてその再興に尽力します。

「みぐしあげ」 大正15年(1926)

弟子や妻に甲冑や十二単を着せ、絵のモデルをさせたり、自ら鎧を身にまとい、ポーズをとったりする資料写真も展示されていて、やまと絵に対する情熱は並々ならぬものだったことが窺い知れます。有職故実(朝廷・公家・武家の儀典礼式や年中行事等)の研究にも熱心で、映画や歌舞伎の時代考証や美術にも首を突っ込んだこともあるようです。

「伊香保の沼」 大正14年(1925)

古典回帰のやまと絵に、どこか近代的な要素が見られるのも映丘の特徴かもしれません。そうした点が一番感じられるのは映丘の美人画で、本展にもいくつか出展されていました。「伊香保の沼」は榛名湖に身を投げたという美しい姫君の悲しい伝説に取材した作品。どこか寂しげな表情が印象的な女性は写実的で、やまと絵というより大正期の抒情画を思わせます。

「千草の丘」 大正15年(1926)

大正15年には、当時脚光を浴びていた新進女優、水谷八重子(初代)をモデルにしたモダンな「千草の丘」を発表。顔が水谷八重子に似すぎているとかで、センセーショナルな話題を呼んだそうです。やまと絵風の山並みとグラデーションのかかった空、そして可憐な秋草を背景に黄色の着物が瑞々しく映える美しい作品ですが、映丘の作品の中ではかなり異色で、「伊香保の沼」同様、大正ロマンの香りがします。
 
 「うつろう花」 大正10年(1921)

映丘と同時代には、鏑木清方や上村松園といった美人画の大家がいますが、浮世絵の流れを汲む清方や京都画壇の品を受け継いだ松園とは趣が異なり、映丘のベースはやはりやまと絵なのだなと思います。清方や松園の作品にも古典に取材した作品は多くありますが、映丘の美人画はより叙情的で、高い物語性を感じられるように思います。

「矢表 (右隻)」 昭和12年(1937)
映丘最後の大作。「平家物語」の屋島合戦の一場面です。

これだけまとまった松岡映丘の回顧展は30年ぶりとのこと。忘れられた日本画家というイメージの映丘ですが、これを機に再評価の波も来るかもしれません。


【生誕130年 松岡映丘-日本の雅-やまと絵復興のトップランナー】
平成23年11月23日まで
練馬区立美術館にて

2011/10/22

モダン・アート,アメリカン


国立新美術館で開催中の『モダン・アート,アメリカン』展に行ってきました。

鉄鋼業で財を成したフィリップス家のダンカンとマージョリー夫妻の個人コレクションをもとに設立された“フィリップス・コレクション”の所蔵作品による企画展です。現代美術の個人コレクターというと、『ハーブ&ドロシー』というドキュメンタリー映画にもなったヴォーゲル夫妻が最近は話題になりましたが、フィリップス夫妻も、アメリカの近代絵画や西欧絵画を集め、同時代の若い芸術家の支援も行っていたそうです。

今回の展覧会は、その名の通り、19世紀後半から20世紀にかけてのアメリカの近代絵画でまとめられています。

モーリス・ブレンダー・ガスト「パッリア橋」 (1898-99年(1922年完成))

19世紀中ごろの作品はバルビゾン派の影響が色濃く、西部開拓時代のアメリカの原風景的な風景画や農民画が描かれています。やがてフランスで印象派が登場するとアメリカでも印象派のブームが起こり、近代化の波、都市化の波と相まって、描かれる対象も街やそこで暮らす人々に移り、絵のタッチも明るいものになっていきます。 ただ、この頃のアメリカの近代絵画はどうしてもヨーロッパの影響が強く、ヨーロッパの文化を一生懸命追随している様子が強くうかがえます。

ジョン・スローン「冬の6時」 (1912年)

絵画にアメリカらしさが出てくるのは、ニューヨークが世界一の都市となり、映画や芝居、ファッションなど芸術・文化が隆盛してくる20世紀に入ってからで、街の様子、人物や風俗もヨーロッパのそれとははっきりと違った印象になります。ジョン・スローンのこの絵なんて、ヨーロッパでは決してない、いかにもアメリカらしい息吹が感じられます。1912年は日本でいうと明治45年(大正元年)。下のエドワード・ブルースの、摩天楼の夢のような風景は日本では昭和8年。驚きますね。

エドワード・ブルース「パワー」 (1933年頃)

それにしても、19世紀から20世紀初頭の画家たちは全くと言っていいほど知らない名前の画家ばかりで、自分の浅学さを恥じるばかりでしたが、結構観ている皆さんも同じような思いだったのか、人気の画家の展覧会と違って、絵の前に長く滞留する光景があまり見られせんでした。20世紀に入ってくると、ジョージア・オキーフやロックウェル・ケント、エドワード・ホッパーといったアメリカを代表する名の知れた画家たちが登場してきます。

ジョージア・オキーフ「葉のかたち」 (1924年)

エドワード・ホッパー「日曜日」 (1926年)

20世紀初頭、ヨーロッパから入ってきた前衛美術は、アメリカで独特の進化をはじめ、第二次世界大戦後、さらに抽象表現主義として広がりを見せ、現代のモダンアートへと繋がっていきます。ジャクソン・ポロック、フィリップ・ガストン、サム・フランシス、マーク・ロスコなどが登場し、この頃になるとアメリカのモダンアートは俄然面白さが増します。

ジャクソン・ポロック「コンポジション」 (1938-41年頃)

しっかりと20世紀初頭の前衛的な絵画運動を追うなら、それこそフォービズムやキュビズム、シュルレアリスムといった流れを考えなければならないのでしょうが、アメリカの前衛絵画の流れがヨーロッパのそれとどう違ったのか、展示構成の関係か触れられていませんが、19世紀の自然主義的な写実的なリアリズムが印象派を経て、抽象表現へ向かう様子が本展を観ているとよく分かります。もちろんその背景には、ヨーロッパと違ってアメリカが二つの世界大戦の影響を受けなかったことや、特に第二次世界大戦でヨーロッパから多くの芸術家が亡命してきたことなどもあり、絵画運動の舞台がヨーロッパからアメリカに一気に移ったということも大きく関係しているのでしょう。

ヘレン・フランケンサラー「キャニオン」 (1965年)

ちなみに、アンディ・ウォーホルやジャスパー・ジョーンズ、ロイ・リキテンスタインといったポップアートやコンテンポラリーアート、ポストモダンといった類の作品は出展されていません。また日本でも人気のアメリカ人画家アンドリュー・ワイエスもモダン・アートから外れるのでありませんでした。あくまでも19世紀半ばのアメリカ近代絵画から戦後の抽象表現主義へと至るモダン・アートの系譜を辿ったという感じです。

マーク・ロスコ「無題」 (1968年)

今回のお気に入りの一枚。
40年に80歳で初めての個展を開き、101歳で亡くなるまで現役として活躍したアメリカの国民的画家です。その絵は農場や牧場で楽しそうに働く農民や田園生活風景など、いわゆるフォークアート。この絵も、ブリューゲルを思わせる素朴な風景と優しい色彩が印象的です。観ていて温かな気持ちになります。

グランマ・モーゼス「フージック・フォールズ、冬」 (1944年)


【モダン・アート,アメリカン -珠玉のフィリップス・コレクション-】
国立新美術館にて
2011年12月12日(日)まで

MARK ROTHKOMARK ROTHKO









ホッパー (ニューベーシック) (タッシェン・ニューベーシックアートシリーズ)ホッパー (ニューベーシック) (タッシェン・ニューベーシックアートシリーズ)









美の20世紀〈13〉オキーフ (美の20世紀 13)美の20世紀〈13〉オキーフ (美の20世紀 13)









モーゼスおばあさんの絵の世界―田園生活100年の自伝モーゼスおばあさんの絵の世界―田園生活100年の自伝

2011/10/15

酒井抱一と江戸琳派の全貌

千葉市美術館で開催中の『酒井抱一と江戸琳派の全貌』展に行ってきました。

今年は酒井抱一の生誕250年。思えば、今年の頭に出光美術館で開催された『琳派芸術』も“酒井抱一生誕250年記念”という冠がついていました。本展も抱一の生誕250年を祝うに相応しい見ごたえのある展覧会になっています。

会場は8つの章から構成されています。第一章は「姫路酒井家と抱一」と題し、酒井家ゆかりの品々が紹介されています。名門譜代大名家の二男として生まれた抱一。武家に生まれながら、どうしていきなり絵師になんてなってしまったのかという素朴な疑問がありますが、抱一の父・忠仰や兄・宗雅、また母方の叔父にあたる松平乗完ら身近な人々も玄人はだしの日本画を多く残していて、決して抱一が突然変異ではなかったということをよく理解できます。

第二章「浮世絵制作と狂歌」では若き日の抱一の作品を取り上げています。文化人らと交友を広げ、俳諧や書画に通じ、狂歌壇としても持て囃されたりと、まだ絵師への道が定まっていないのかとも思われますが、この頃に多く手掛けた浮世絵美人画の確かな筆致は、すでに余芸の域を超え、絵に向かう姿が本物であったことがうかがえます。

酒井抱一「松風村雨図」

第三章は「光琳画風への傾倒」。光琳の作品に触れ、琳派様式を手探りで習得していくわけですが、晩年に「風神雷神図屏風」(非展示)を完成させているように、琳派の研究が決して抱一の通過点だったわけではなく、まさにライフワークであったということが展示からもよく分かります。

酒井抱一「八橋図屏風(右隻)」(※10/10~10/23)

酒井抱一「青楓朱楓図屏風(左隻)」(※10/10~10/30)

第四章「江戸文化の中の抱一」では抱一と関係の深い江戸吉原をめぐる作品を、第五章「雨華庵抱一の仏画制作」では出家した抱一が“画僧”として描いた仏画を展示しています。いずれも琳派とは毛色の異なる、またあまり目にする機会の少ない作品ですが、抱一のレンジの広さ、その多才ぶりを知る上でも面白いと思いました。

酒井抱一「夏秋草図屏風」(重要文化財)(※11/1~11/13)

第六章では「江戸琳派の確立」と題し、抱一の円熟期の作品を中心に、花鳥画や草花図など洗練された江戸琳派の美の真髄に触れることができます。いかにも抱一らしい江戸琳派の繊細な美しさにただただ唸るばかりです。第七章では「工芸意匠の展開」とし、抱一がデザインにかかわった工芸品や着物などが並びます。

 酒井抱一「四季花鳥図巻」(一部)(※10/10~10/30)

第八章「鈴木其一とその周辺」、第九章「江戸琳派の水脈」では、抱一の高弟・鈴木其一をはじめ、抱一以降の琳派の系譜を紹介。昭和初期まで脈々と受け継がれた江戸琳派の流れを見ることができます。抱一の弟子というと其一は筆頭ですが、抱一の養子・酒井鶯蒲や其一の長男・鈴木守一、其一の弟子・酒井道一など、なかなか素晴らしい作品が多く、かなり興味を惹かれました。展示の最後に弟子の作品を簡単に紹介してまとめて終わる美術展はよくありますが、最後の最後まで手を抜くことなく、その充実ぶり、徹底ぶりには驚きました。

鈴木其一「夏秋渓流図屏風(左隻)」(※10/10~10/30)

抱一は、どうしても宗達・光琳に次ぐ三番手的な位置でとらえられることも多く、あくまでも琳派の“継承者”というイメージが強いように思うのですが、こうして見てみると、宗達・光琳の京都の琳派と抱一以降の江戸の琳派は大きく違っているということが良く分かります。確かに抱一は光琳を介し、琳派を再創造したわけですが、そこには洗練された、粋な江戸文化の香りを感じることができると思います。

酒井抱一「四季花鳥図屏風(右隻)」 (※10/25~11/13)

総展示作品数300を超え、途中展示替えもあります。個人蔵や初出展作も多く、抱一の作品をこれだけまとめて観る機会はしばらく先そうそうないんじゃないでしょうか。「千葉、ちょっと遠いな」と思っても琳派ファンなら観に行く価値は十分にあると思います。ちなみに図録はアマゾンほか、一般書店でも購入可能です。


【生誕250年記念展 酒井抱一と江戸琳派の全貌】
千葉市美術館にて
2011年11月13日(日)まで

酒井抱一と江戸琳派の全貌酒井抱一と江戸琳派の全貌









酒井抱一 (別冊太陽 日本のこころ)酒井抱一 (別冊太陽 日本のこころ)









もっと知りたい酒井抱一―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたい酒井抱一―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

2011/10/09

朱雀家の滅亡


パソコンがおかしくなってしまい、買いなおしたりしてる間にすっかりアップが遅くなってしまいました。

先日、新国立劇場で“2011/2012シーズン 【美×劇】-滅びゆくものに託した美意識-”の幕開けとなる三島由紀夫原作の『朱雀家の滅亡』を観てきました。

時は太平洋戦争末期。盲目的なまでに「天皇」へ忠誠心を捧げる朱雀家の当主を中心に、息子とその許嫁、そして内縁の妻とが織りなす華麗で壮大な滅びの物語です。

天皇(“お上”)を絶対崇拝し、忠誠的な愛を誓う当主を中心とした朱雀家のバランスが、息子の出征により一気に崩れます。息子が海軍士官として南の島に赴くのは、父に対する複雑な気持ちと反動の裏返しでしょう。これまで仕え、見守るだけだった女中おれい(実は息子の実母)は生身の女を吐き出し、舌鋒鋭く罵しります。前半は絶対的な当主との建前の緊張感、後半は堕ちた当主対女たちとの本音の緊張感で最後までぐいぐいと引っ張ります。

原作はギリシア悲劇の古典、エウリピデスの『ヘラクレス』をベースにしているとのことですが、浅学菲才のため『朱雀家の滅亡』のどの部分が『ヘラクレス』 に影響されていて、どのような趣向が凝らされていたのか分かりませんが、三島由紀夫が自決の3年前(1967年)に書き下ろした戯曲ということで、天皇に 殉じた男と前線に出征し英霊となる息子の二人の言葉一つ一つに、三島の天皇に対する思いが隠されているような気がしました。

朱雀家当主役の國村隼の存在感が凄く、滅びの美学と孤独を見事に体現して圧倒的でした。おれい役の香寿たつきも3幕目は鬼気迫る演技で狂気の中にデカダンスさえ漂い、素晴らしかったと思います。若手の二人はベテラン勢の前では力量のギャップが如何ともし難いと感じましたが、それでも三島の芝居に果敢に挑戦している姿は評価に値するでしょう。

三島の豊饒かつ流麗な台詞に酔いしれるには少々激しい芝居ですが、とても見応えのある舞台でした。


サド侯爵夫人 朱雀家の滅亡 (河出文庫)サド侯爵夫人 朱雀家の滅亡 (河出文庫)