2018/07/24

水を描く

山種美術館で開催中の企画展『水を描く -広重の雨、玉堂の清流、土牛のうずしお-』の内覧会にお邪魔しました。

(※展示会場内の写真は特別に主催者の許可を得て撮影したものです)

今年の夏は一段と暑くて、毎日体温を超えるような猛暑が続いています。山種美術館は恵比寿から歩くと15分ぐらい。なが~い坂道を上っていくので、さすがにこの暑さは堪えます。今回ばかりはと駅からタクシーで行きました(ちなみにワンメーターでした)。恵比寿駅からはバス(都バス日赤医療センター前行、「広尾高校前」下車)も本数があるので便利です。ほんと無理して歩かない方がいいですよ。死にますよ。

今回の展覧会のテーマは“水”。気分だけでも涼みたい、、、という今の時期にピッタリの展覧会だと思います。会場は、川や海、水面や滝、雨の情景といった感じに、“水”にまつわる作品をそれぞれテーマごとに紹介しています。


第1章 波と水面のイメージ

最近も西日本を中心に大規模な水害が発生し、多くの方が亡くなられたばかりで、普段はおだやかな川が荒れ狂う様子を見ると自然の恐ろしさを思い知ります。そんな川は日本人にとって生活や文化を育んできた切っても切れない関係。日本画にも多く描かれてきました。

[左から] 今村紫紅 「富士川」 大正4年(1915) 山種美術館蔵
小林古径 「河風」 大正4年(1915) 山種美術館蔵
平福百穂 「清渓放棹」 大正14年(1925)頃 山種美術館蔵
山元春挙 「清流」 昭和2~8年(1927-33)頃 山種美術館蔵

今村紫紅の「富士川」は紙面の大半を使って富士川の広い川幅を牧歌的に描いてるのが印象的。35歳の作といいますから亡くなる前に描いたのでしょうか。古径の「河風」は清流に足を浸して涼をとる女性を描いた涼しげな一幅。揺れる川面の表現がいいですね。平福百穂の「清渓放棹」もいわゆる新南画の括り。構図はオーソドックスですが、緑青の使い方に紫紅や御舟の影響も感じます。

[写真左] 速水御舟 「埃及土人ノ灌漑」 昭和6年(1931) 山種美術館蔵
[写真右] 小野竹喬 「沖の灯」 昭和52年(1977) 山種美術館蔵

その御舟は「埃及土人ノ灌漑」が面白い。こんな絵も描いていたんですね。エジプト旅行の際に目にしたものを描いたものだそうで、緑色の川面というのもユニークですが、砂漠はなんと裏箔を使って表現したりします。小野竹喬は最晩年の作品。単純化された画面と色彩のコントラストがいいですね。漁火も幻想的。

宮廽正明 「水花火(螺)」 平成24年(2012) 山種美術館蔵

山種美術館には現代の日本画家の作品も多いのですが、やはりそこは審美眼があるというか、日本美術の錚々たる画家の作品と並んでも遜色なく、どちかというと古典が好きな私も見惚れるような作品に出会うことがあります。宮廽正明の「水花火(螺)」もそんな作品。全然名前は存じ上げなかったのですが、網を投げる瞬間を俯瞰で捉えた静止画的な構図と川面を表現した青色の点描がとても素晴らしい。実は極薄の紙に裏彩色を使っていたり、網は能装束で使われる水衣という絹を貼り、その上から細かな編み目を描きこんでいたり、非常に手が凝ってます。

奥田元宋 「奥入瀬(秋)」 昭和58年(1983) 山種美術館蔵

奥田元宋の「奥入瀬(秋)」は縦2m、横5mの大画面に描かれた目にも鮮やかな錦秋の奥入瀬と渓流が圧巻。今年の春に開催された『桜 さくら SAKURA 2018』では「奥入瀬(春)」が展示されていました。春も素晴らしいですが、秋もなんとも見事。

[写真左] 橋本関雪 「生々流転」 昭和19年(1944) 山種美術館蔵
[写真右] 奥村土牛 「鳴門」 昭和34年(1959) 山種美術館蔵

そして右には関雪の大きな六曲二双の「生々流転」、左には川端龍子のダイナミックな「鳴門」があって、右を観ても前を観ても左を観ても、ゴーゴーゴーと波の音やら渓流の音やら渦潮の音やら水の音が聴こえてきそう。

「生々流転」というと横山大観の日本一長いとされる画巻が有名ですが、こちらの屏風は二双、つまり24面(扇)という長大な屏風。屏風の端から端まで荒れ狂う海が描かれています。墨に淡彩ですが、横殴りの雨には銀泥を混ぜて、嵐の凄まじさを表現しています。ちなみに関雪は京都・建仁寺にも同じ「生々流転」という題で障壁画も描いてます。

川端龍子 「鳴門」 昭和4年(1929) 山種美術館蔵

去年の『川端龍子展』も記憶に新しい龍子の「鳴門」。8mを超える屏風の画面いっぱいに広がる渦潮には何度観ても圧倒されます。青々とした海の色はなんと3.6キロの群青の絵具を使ったのだとか。龍子は実は鳴門海峡には行ったことがなく、最初は静かな海を描くつもりで、小田原の江ノ浦の写生をもとにしているといいます。一方の土牛は「鳴門」は実際に鳴門に行って、夫人に船から落ちないように帯で掴んでもらって写生をしたとか。群青や白緑、胡粉を丁寧に塗り重ねたという深い海の色合いが秀逸です。


第2章 滝のダイナミズム

川も海もいいのですが、やっぱり夏の滝の清涼感は格別です。千住博の「ウォーターフォール」なんて大画面の絵の前に立つだけで、勢いよく流れる落ちる滝の音と巻き上がる涼やかな風が伝わってくるようです。隣には「ウォーターフォール」をさまざまな色彩で表した「フォーリングカラーズ」があって、ここまで来るともう日本画というより現代アートですね。

[写真左] 千住博 「ウォーターフォール」 平成7年(1995) 山種美術館蔵
[写真右] 千住博 「フォーリングカラーズ」 平成18年(2006) 山種美術館蔵

どことなくセザンヌ感のある奥村土牛の「那智」、こちらはどこかキュビズム的な山本丘人の「白滝」、銀地の岩壁と特徴的な黒い輪郭線、そして真っ白な滝のコントラストが強く印象に残る横山操の「滝」。どれも同じ一本の滝なのにみんなそれぞれ表情が違うし、観ていて飽きません。

[写真左] 奥村土牛 「那智」 昭和33年(1958) 山種美術館蔵
[写真右] 山本丘人 「白滝」 昭和時代 山種美術館蔵

小堀鞆音、山元春挙、川合玉堂、それぞれ会場の最初の方にも作品が展示されていましたが、滝を描いた作品は表情がまた違っていいですね。とりわけ山元春挙の「冷夢図」は大胆な構図といい、勢いよく流れてるのに音のない世界のような幻想性といい、素晴らしい。円山応挙の瀑布図の伝統を継承しつつ、新時代の京都画壇の清新さが感じられます。

[左から] 小堀鞆音 「伊勢観龍門滝図」 大正~昭和時代 山種美術館蔵
山元春挙 「冷夢図」 昭和2~8年(1927-33)頃 山種美術館蔵
川合玉堂 「松間飛瀑」 昭和17年(1942)頃 山種美術館蔵


第3章 雨の情景

浮世絵が3点。小雨とにわか雨と滝のような土砂降り。雨の風景も浮世絵ならではですね。

[左から] 歌川広重 「近江八景之内 唐崎夜雨」 天保5年(1834)頃 山種美術館蔵
「東海道五拾三次之内 庄野・白雨」 天保4~7年(1833-36)頃 山種美術館蔵
「東海道五拾三次之内 大磯・虎ケ雨」 天保4~7年(1833-36)頃 山種美術館蔵
(※3点とも展示は8/5まで)

松岡映丘の「山科の宿のうち 雨やどり」もいい。映丘らしい繊細な筆致と色彩が美しい絵巻。突然の雨に雨宿りを請う男と、隙間から覗く若い女性。物語を感じます。

[左から] 川合玉堂 「水声雨声」 昭和26年(1951)頃 山種美術館蔵
川合玉堂 「渓雨紅樹」 昭和21年(1946) 山種美術館蔵
川端玉章 「雨中楓之図」 明治時代 山種美術館蔵

奥の第二室がまたいい作品が展示されていました。玉堂に玉章、竹内栖鳳に小茂田青樹。雨の風情を感じる逸品ばかり。その中でもひと際目を惹いたのが奥村土牛の「雨趣」。雨に煙る家並みが情趣豊かに描かれています。細かに降る雨の表現が気になったので聞いたところ、淡い濃淡をつけた胡粉で一本一本描いてあるのだそうです。

奥村土牛 「雨趣」 昭和3年(1928) 山種美術館蔵


企画展【水を描く -水を描く ―広重の雨、玉堂の清流、土牛のうずしお-】
2018年9月6日(木)まで
山種美術館にて




展覧会の後は1階の≪Cafe 椿≫でひと休み。今回も出品作品をモチーフにした美味しそうな和菓子が愉しめます。暑い日は冷たい抹茶とどうぞ。


2018/07/07

長谷川利行展

府中市美術館で開催中の『長谷川利行展』を観てきました。

気づいたら会期末。やっとのことで府中まで出かけることができました。なんでこんな素晴らしい展覧会を後回しにしていたんだろうと思うぐらい素晴らしい内容でした。

長谷川利行の作品は東京国立近代美術館の常設や、昭和初期の洋画を取り上げた展覧会などでときどき観たりして、もともと好きな画家ではあったのですが、去年でしたでしょうか、Eテレの『日曜美術館』で長谷川利行の特集を観て、その人となり(というか生き方ですかね)に衝撃を受け、なかなかすごい画家だったんだなぁと強く興味を持つようになりました。

本展は、回顧展としては18年ぶり。初期から晩年まで150点近い作品が紹介されています。客層は年配が中心かなと思ったのですが、意外と若い人も多く、近年の利行に対する関心の高さが伺えます。


会場の構成は以下のとおりです:
Ⅰ 上京-1929 日暮里:震災復興の中を歩く
Ⅱ 1930-1935 山谷・浅草:街がアトリエになる
Ⅲ 1936-死 新宿・三河島:美はどん底から生じる

長谷川利行 「夏の遊園地」
昭和3年(1928) 個人蔵

利行はもともとは文学を志していて、歌集を出したり小説も書いたりしていたのですが、いつからか絵画にシフトし、30歳で上京、32歳で洋画の展覧会に初入選します。若い頃、水彩画の指南を受けたりというのはあったみたいですが、絵画はほぼ独学。フォーヴィズム風だけどフォーヴィズムとはどことなく異なる激しいタッチや強烈な色彩は、“イズム”のようなものに縛られない独学故の自由さにあるのかもしれません。

長谷川利行 「汽罐車庫」
昭和3年(1928)頃 鉄道博物館蔵

初期の作品は鉄道や変電所、陸橋、駅といった無機質な都市の風景を主題に選ぶことが多かったといいます。ほかの作品よりもひと際大きい「汽罐車庫」は赤茶けたレンガ色の堂々とした車庫とどっしりとした地面、そして黒々とした蒸気機関車という重厚な色彩感と構図の迫力に圧倒されます。

どう見ても稚拙なんだけど、夏の光の眩しさや遊園地の楽しさが不思議と伝わってくる「夏の遊園地」や、全体的に雑なんだけどカフェの高い天井や人が捌けたのか談笑する女給さんたちの雰囲気がとても魅力的な「カフェ・パウリスタ」など、なんかとても惹かれてしまいます。追加作品として展示されていた「子供」の絵具のチューブから直接塗ったような激しさと青と白の格子の浴衣の可愛らしさのアンバランスがまた面白い。

長谷川利行 「靉光像」
昭和3年(1928) 個人蔵

利行は文学青年だったという知的さもあったのか、面倒見が良かったのか、後輩の洋画家たちに慕われていたといいます。ひと回り下の同時代の洋画家・靉光の家に泊まった際、靉光のパレットとカンヴァスを使って30分ぐらいで描き上げたという「靉光像」なんか観ると、まるで画用紙にクレヨンでさささと描いてしまうような仕事の速さと的確なのに無駄のない筆の動きに驚いてしまいます。

さささと描いてしまう一方で、肖像画の「岸田国士像」は珍しく4、5日かけて丁寧に描いたそうです。岸田の本を持って行っていいの一言に風呂敷で本をありったけ持って行ったとか毎日のように金を無心に来たとか、利行のエピソードもかなりのもの。利行のそうした態度に友人知人も離れていったようです。

長谷川利行 「水泳場」
昭和7年(1932) 板橋区立美術館蔵

今回の展覧会でとても好きだったのが「水泳場」。震災復興事業として墨田公園に造られたという屋外プールを描いた作品で、プールを囲む大勢の人々やプールで泳ぐ人、飛び込む人、プールの賑やかな歓声が聴こえてきそうです。空は眩いばかりの青空、プールの向こうには隅田川の青い水面も望めます。

利行はアトリエを持たず、浅草や新宿といった繁華街や、人々の集まる駅や演芸場など、その場でカンヴァスに絵を描いたといいます。だからなのか、どの作品からも臨場感というか、リアルな感覚に満ちていて、その躍動感に圧倒されます。溢れる色彩と荒く奔放なタッチのその画面からは酒場やカフェの賑わい、汽車の音、街の騒めきが響いてくるようです。昭和初期の東京をここまで魅力的に描く画家が他にいたでしょうか。

長谷川利行 「ノアノアの少女」
昭和12年(1937) 愛知県美術館蔵

個人的に好きな利行の人物画もたくさんあって嬉しい。とりわけカフェの女給や市井の女性たちを描いた作品の味わいは格別。利行とモデルになった女給さんの近さというか、親しさがなんか感じられるようです。そして都会的でモダンな雰囲気と昭和初期独特の退廃的なムード。賑やかさとか温もりとかとは裏腹な寂寥感が見え隠れするところも利行の絵の魅力という気がします。

演芸場やビアガーデンで30分程で描きあげたというエピソードも面白いですね。手拍子したり酒を飲みながらカンヴァスにひょいひょいと描く光景が目に浮かびます。

長谷川利行 「青布の裸婦」
昭和12年(1937) 個人蔵

長谷川利行 「女」
昭和12年(1937) 横須賀美術館蔵

後期は薄塗りになり、時として抽象画のような作品も残しています。晩年は酒の飲み過ぎから胃痛に苦しみ、三河島の路上で倒れ、胃ガンのため49歳で亡くなります。

会場には昨年同じ府中市美術館で開催された『ガラス絵 幻惑の200年史』でも紹介されていた利行のガラス絵も展示されていました。

長谷川利行 「白い背景の人物」」
昭和12年(1937) 個人蔵


【長谷川利行展 七色の東京】
2018年7月8日(日)まで
府中市美術館にて


美術の窓 2018年 4月号 [雑誌]美術の窓 2018年 4月号 [雑誌]

2018/07/01

歌仙と古筆

出光美術館で開催中の『歌仙と古筆』を観てきました。

「人麿影供(ひとまろえいぐ)」という言葉をよく知らなかったのですが、歌会の儀礼として“歌聖”柿本人麻呂(人麿)の肖像を掲げることを「人麿影供」というそうで、今年は歌人・藤原顕季が歌会の繁栄を念じて人麿像を床に懸けてから900年になるんだそうです。

本展はその人麿の図像を中心に、歌仙の図像がどう受け継がれたのかをとても丁寧に追っています。

まずは「佐竹本三十六歌仙絵」をはじめ、土佐光起や狩野永納などの人麿を描いた歌仙絵がいくつか並んでるのですが、いわれてみて気づいたのですが、そういえば歌仙絵に描かれる人麿って、みんな同じなんですね。句を考えているのか筆と紙を手にちょっと上を見つめ、傍らには硯箱があって。人麿の絵姿をパターン化することで、これ人麿ね、と誰にでも認識されるということがあったのでしょうか。和歌の神とされた住吉明神、玉津島明神とともに、神格化された人麿が描かれた三幅対の「和歌三神像」というのも興味深かったです。

「佐竹本三十六歌仙絵 柿本人麿」(重要文化財)
鎌倉時代 出光美術館蔵

土佐光起 「人麿図」
江戸時代 個人蔵

面白かったのが、「佐竹本三十六歌仙絵」の「山邊赤人」。わたしは知らなかったのですが、人麿と同一人物説というのがあるんですね。だからなのか、人麿と赤人は図像が左右を反転したみたいになっています。

「佐竹本三十六歌仙絵」は元は鎌倉時代に制作された絵巻で、大正時代に37枚(36人の歌仙と住吉明神)に分割され、今に至ります。そのほとんどが重要文化財で、上巻の頭を飾る「柿本人麿」を出光美術館が持ってるというのは流石です。本展では出光美所蔵の「柿本人麿」と「僧正遍照」、加えて前期(7/1まで)には「山邊赤人」(個人蔵)、後期(7/3~)には「住吉大明神」が展示されます。

岩佐又兵衛_三十六歌仙図柿本人麿

歌仙絵では岩佐又兵衛の「三十六歌仙図」が6点、さらに「三十六歌仙・和漢故事説話図屏風」と「三十六歌仙図屏風」が出ているのが嬉しいところ。又兵衛の「三十六歌仙図」は複数の絵師の手が認められるとのことでしたが、第一章に展示されていた4点(人麿、赤人、高光、宗于)は又兵衛らしい豊頬長頤も見られます。屏風2点はともに伝又兵衛。「三十六歌仙・和漢故事説話図屏風」は『岩佐又兵衛と源氏絵』のときにも出品されていたもの。もうひとつの「三十六歌仙図屏風」は初めて観ました。前者は上部に三十六歌仙、下部に和漢故事説話図という凝った作りで、表現も又兵衛風。工房の手によるものと解説にありましたが、又兵衛作品に見られる「勝以」印と「道蘊」印があるので又兵衛も何らか関与してるのだろうなと想像します。後者は歌仙の表情が判を押したように単調で面白味がなく、あまり又兵衛らしさも感じられず、ちょっとどうなのかなという気もします。

俵屋宗達 「西行物語絵巻」(重要文化財)
寛永7年(1630) 出光美術館蔵

宗達の「西行物語絵巻」が出光美術館所蔵の三巻の内、最初の一巻がまるまる展示されてます。宗達の「西行物語絵巻」は室町時代の海田采女佑源相保が描いたとされる絵巻の模写本ですが、そこには同じコーナーに展示されていた「中殿御会図」や「時代不同歌合絵」といった歌仙絵のパターンが継承されているのが分かります。こうして歌仙絵と比較してみると、観る視点ががらりと変わってきて面白い。

鈴木其一 「三十六歌仙図」
弘化2年(1845) 出光美術館蔵

後半には、国宝の古筆手鑑「見努世友」や伝・紀貫之の「高野切 第一種」、伝・藤原公任の「石山切 伊勢集」などの名筆がずらり。ちょうど直前に東京国立博物館で「高野切」の特集展示を観ていたので、とても興味深く観ることができました。

最後には近世の歌仙絵として又兵衛と鈴木其一が並びます。其一の「三十六歌仙図」は何度か観ていますが、表装の模様まで描きこんでいるのがいかにも其一らしいというか、面白いですね。


【人麿影供900年 歌仙と古筆】
2018年7月22日(日)まで
出光美術館蔵


古今和歌集 (岩波文庫)古今和歌集 (岩波文庫)