2012/08/29

レーピン展

Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の『レーピン展』と人気アートブログ『弐代目・青い日記帳』とのコラボイベント“ブロガー・スペシャルナイト”に参加してきました。

イリヤ・レーピン(1844‐1930)は、近代ロシアを代表するリアリズム絵画の巨匠。これまでロシア美術の展覧会などでその作品は日本でも紹介されていますが、レーピン単独でのここまで大規模な回顧展は初めてなのだそうです。

この日は、山下裕二氏(明治学院大学教授)と籾山昌夫氏(神奈川県立近代美術館 主任学芸員)による「レーピンの魅力を語る」座談会がありました。ナビゲーターは「青い日記帳」のTakさんこと中村さん。

山下先生は“日本美術応援団”として知られる日本画専門の美術史家ですが、この日は“ロシア美術応援団”としてご参加。籾山氏はロシア絵画ご専門で、卒論も修論もレーピンという、レーピンを語らせたら国内では右に出る者はいないという方。非常に詳しく、また分かりやすく、興味深いお話を聞かせていただきました。

レーピンというと、「ヴォルガの船曳き」と「皇女ソフィア」ぐらいしか自分は知らなかったのですが、ロシアでは横山大観や雪舟クラスの国宝的な画家なのだそうです。ロシア国内では名声を獲得した反面、彼の作品はほとんど国外に出なかったので、西欧ではいまひとつメジャーになれなかったみたいです。

帝政ロシア時代は主に上流階級に支持されていましたが、革命後は「ヴォルガの船曳き」に代表される“帝政時代の虐げられた人々を告発した画家”として評価されます。しかし、逆にそのことが災いし、海外では東西冷戦体制に翻弄され、特にアメリカでは不当な評価を受けたということでした。 山下先生は「20世紀の美術史はアメリカの捏造」とおっしゃってました。妙に納得。

トークショー風景

さて、会場へ。
本展は世界最大のレーピン・コレクションを誇るモスクワの国立トレチャコフ美術館の所蔵作品の中から選りすぐりの油彩画や素描約80点で構成されています。入口にはレーピンの自画像が飾られていました。なかなかのハンサム。一番油ののった40代の頃に描かれた作品で、キャンバスの目が分かるほど薄塗りなのが特徴的です。

イリヤ・レーピン 「自画像」
1887年 国立トレチャコフ美術館蔵


Ⅰ 美術アカデミーと「ヴォルガの船曳き」

最初のコーナーは、サンクト・ペテルブルクの美術アカデミーで絵画の基礎を学んでから、初期の代表作「ヴォルガの舟曳き」までの20代の頃の作品を展示しています。


まず最初に惹き込まれたのが「老女の肖像」(写真右)。エルミタージュ美術館所蔵のレンブラント作品の模写だそうです。レーピンはレンブラントに多大な影響を受けたということで、光と影の効果や深い陰影など後々の作品でもレンブラントを彷彿とさせる作品が多くありました。

同じ並びには、レーピンの実弟で音楽家の「ワシーリー・レーピンの肖像」(写真中)や19世紀後半のロシアを代表する芸術評論家の「ウラジミール・スターソフの肖像」(写真左)もあり、肖像画家として早くからその才能がフルに発揮されていたことがよく分かります。余談ですが、トークショーで、レーピンの弟はレーピンの奥さんのお姉さんと結婚したというエピソードがあったのですが、その弟がこの人なんでしょうかね。


「ヴォルガの舟曳き」は19世紀のロシア絵画を代表する傑作。産業革命が進んだ19世紀後半にあっても、人力で舟を曳くという前近代的な光景。牛馬のように働く、貧しい漁民たちのリアルな表情や動きにハッとさせられた記憶があります。「ヴォルガの舟曳き」は本展には出展されていませんが、習作や同じ題材を扱ったバリエーション作品が展示されています。「ヴォルガの舟曳き」の初公開当時、レーピンはこの絵に満足していなかったそうで、「浅瀬を渡る船曳き」(写真左奥)を制作します。「ヴォルガの舟曳き」が横の隊列なのに対し、「浅瀬を渡る船曳き」は縦の隊列で、表情にもより苛酷さと苦難が表れています。


上の写真は会場で配られた謎のチラシ。列車の車内に 「ヴォルガの舟曳き」が飾られていて、レーニン風のおじいさんが昔は人力で舟を曳いていた川も今はこんなに近代的になったんだと孫(?)に語っているらしく、旧ソ連時代に社会主義的な宣伝として使われたものだそうです。


Ⅱ パリ留学:西欧絵画との出会い

1873年、レーピンはイタリアを経てパリに向かいます。レンブラントやベラスケス、ハルスなどの作品に刺激を受け、特にレンブラントの描くイメージはレーピンを圧倒します。そしてレーピンはパリの自由な絵画の息吹に強く惹かれていきます。パリで「第1回印象派展」が開かれたのが1874年。レーピンは正に印象派前夜のパリで、新しい絵画の歴史を肌で感じ取ったようです。特にマネの作品はレーピンに衝撃を与えます。

ここのコーナーは5作品と少なかったのですが、ほかのコーナーで観られるような作品と趣が異なり、パリの影響を感じさせるマネ風の作品やレンブラント風の作品が見られました。



Ⅲ 故郷チュグーエフとモスクワ

4年間のパリ留学から帰国したレーピンは故郷ウクライナのチュグーエフを拠点に絵画制作に打ち込みます。西欧のモダニズムを直に触れたレーピンは、ロシア社会の現実を人一倍強く感じたのではないでしょうか。土着的な農民生活や社会のひずみ、そうした民衆の暮らしや姿を絵にしていきます。

展示されていた中で強く印象に残ったのが、「《「トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック》のためのスケッチ、習作」というとても民俗的な作品。テーブルのまわりに群れをなす男たちのそれぞれの個性が強く描写されていて、習作とは思えないインパクトがありました。


このコーナーには、中野京子さんの「怖い絵3」に出てきた「皇女ソフィア」(写真右)があります。ソフィア様、恐ろしすぎます。「皇女ソフィア」の原題は「ノヴォデヴィチ修道院に幽閉されて1年後の皇女ソフィア・アレクセエヴナ、1698年に銃兵隊が処刑され、彼女の使用人が拷問されたとき」という長いもので、そのタイトルにこの絵の背景的なものが語られています。窓の外には処刑された銃兵隊が見せしめに吊るされていて、ソフィアの後ろでは侍女が怯えて震えています。

「皇女ソフィア」のとなりには、まるで正反対の「修道女」(写真左)。アメとムチではありませんが、あえて対照的な絵を並べたのでしょうか? 少女の清楚な表情に癒されたのは私だけではないはずです。


「背の曲がった男」(写真右)はパネル展示の「クールクス県の十字架行進」に描かれていた杖をついた青年の肖像画。青年の表情からは身体が不自由な辛さや困難さは微塵も感じません。逆に、前向きさやひたむきさ、心の豊かさが伝わってくるようです。レーピンの肖像画は、ただその人の表情を切り取っただけのものではなく、何かその人の内面が凝縮されているような、そんな印象を与えます。となりの「巡礼者たち」(写真左)はまるで写真かと見間違うような写実性の高い作品。これもロシアの風土的なもの、土着的なものを強く感じさせます。


「あぜ道にて-畝を歩くヴェーラ・レピーナと子どもたち」(写真左)はレーピンの妻と二人の娘の牧歌的な日常生活を描いた作品。実験的制作だったそうで、印象派の影響を強く感じさせます。ふと映画『ひまわり』の広大なひまわり畑を思い出しました。となりはレーピンの息子を描いた「少年ユーリー・レーピンの肖像」(写真右)。寝転がってるのを俯瞰で描いているのか、構図が少し不思議でしたが、解説によると短縮法という方法で意図的に描いたものだそうです。このユーリーも後に画家になったとのこと。

イリヤ・レーピン 「休息-妻ヴェーラ・レーピナの肖像」
1882年 国立トレチャコフ美術館蔵

本展のメイン作品としてポスターやチラシに使われているレーピンの代表作「休息」。先ごろ行われたX線検査の結果、当初は目を開けて描かれていたことが分かったそうです。籾山氏によると、この頬杖をついたポーズは西洋画では悲しみの姿を意味するそうで、右腕には喪章のようなものも描かれているとのこと。実際に観ると、喪章なのか黒い影なのか分かりづらいのですが、同じ会場に展示されている本作の鉛筆画の習作には喪章らしきものが確認できます。

ちなみに、レーピンの妻ヴェーラはレーピンより11歳年下。レーピンが美術アカデミーの学生だったときの下宿先の娘さんだそうで、ヴェーラが17歳の時に結婚していて、同じ年に子供も産んでいます。作品を観る限り、ヴェーラはとても美しく、かわいいお嬢さんという感じなので、娘に手をだし“できちゃった婚”でもしたのかもしれません。余談ですが、晩年はレーピンとヴェーラは事実上の離婚状態で(教会に離婚を認められなかった)、“後妻”の肖像画も展示されていました。


レーピンの面白いところは、社会批判的な作品や労働者階級を描いた作品を発表する一方で、上流階級の肖像画も多く手掛けているところです。「展覧会の絵」で知られる「作曲家モデスト・ムソルグスキーの肖像」(写真中)はムソルグスキーの亡くなる10日前に描かれた作品とのこと。ぼさぼさの髪、アル中っぽい赤ら顔(ムソルグスキーは晩年アルコール中毒だった)、疲れた表情などレーピンはリアリズムに徹し、そのストレートな描写からは名作曲家の威厳は感じられません。一方でとなりの「工兵将校アンドレイ・デーリヴィクの肖像」(写真左)は逆にとても威厳のある肖像画。“表現力と技法のいずれからみてもレーピンの傑作”と解説にありました。レーピンは歴史画や風俗画などにも素晴らしい作品が多いのですが、やはり肖像画は秀でていると感じます。


Ⅳ 「移動派」の旗手として:サンクト・ペテルブルク

サンクト・ペテルブルグに移った1882年以降の旺盛な創作期の作品を展示しています。「移動派」とは、サンクト・ペテルブルグの前衛芸術家グループ「移動展覧会協会」のことで、帝政ロシア各地を移動して展覧会を開いたためそう呼ばれます。その中でもレーピンの作品は常に議論の的となり、彼の作品を一目観ようと各地で観衆が押しかけたといいます。

イリヤ・レーピン 「思いがけなく」
1884-88年 国立トレチャコフ美術館蔵

ここでの見ものは、トークショーでも皆さん絶賛の「思いがけなく」でしょう。まるで映画の一場面のような、ドラマ性の高い作品です。革命家と思しき男性の突然の帰還に戸惑う大人たち、そして喜びとも戸惑いとも取れる微妙な表情を浮かべる子供たち。彼の帰還がどれだけこの家族の不意をつくもので、動揺を与えているかが画面の端々から伝わってきます。

写真を撮影したときは気付かなかったのですが、よく見たら山下先生が写っていました(笑)。


レーピンの傑作のひとつ「イワン雷帝とその息子イワン」の習作「1581年11月16日のイワン雷帝とその息子イワン」(写真右)も展示されています。誤って息子を殺してしまったイワン雷帝の史実に基づいたもので、習作と言えども非常に緊迫したドラマを感じる作品です。イワン雷帝の慄然とした表情から目が離せません。

イリヤ・レーピン 「キャベツ」
1884年 国立トレチャコフ美術館蔵

いきなりなぜか「キャベツ」。これがまた実にリアル。水滴までついていたりします。キャベツといえばロールキャベツですが、ロールキャベツってロシア料理なんですよね。

イリヤ・レーピン 「ピアニスト、ゾフィー・メンターの肖像」
1882年 国立トレチャコフ美術館蔵

山下先生オススメの“タカビー”なピアニストの肖像画。リストの愛弟子で、Wikipediaによると「当時の最高のヴィルトゥオーゾの一人に数えられ、パリでは「リストの再来」と呼ばれた」のだそうです。この美貌と才能。レーピンの肖像画からもそれは十分に伝わってきます。


「ワルワーラ・イスクル・フォン・ヒルデンバント男爵夫人の肖像」(写真左)も上から目線の“タカビー系”の肖像画。サロンの女主人で、“社交界の華”と呼ばれていたそうです。衣装も当時の最先端のものだとか。この並びには、大女優サラ・ベルナールのライバル的存在だったエレオノーナ・ドゥーゼの肖像画も展示されていたのですが、それがまたかっこよかった。

イリヤ・レーピン 「手術室の外科家エヴゲーニー・パーヴロフ」
1888年 国立トレチャコフ美術館蔵

実は今回の展覧会で一番気に入ったのがこの一枚。小さな作品ですが、細部までこだわっていて、手術室の中のピーンと張りつめた緊張感や物音、空気まで伝わってくるようでした。外科医が手に持つ木槌にはゾッとしましたが。


Ⅴ 次世代の導き手として:美術アカデミーのレーピン

最後のコーナーは、円熟期を迎え、美術アカデミーで次世代の若い画家の育成に力を注いでいた頃のレーピンの作品を展示しています。

ここでは「ゴーゴリーの《自殺》」(写真左)が強烈でした。原稿を読んだ司祭に否定され、衝動的に原稿を燃やしてしまい、錯乱状態に陥る文豪ゴーゴリー。目が完全にイッちゃってます。生々しいというか、ある意味、「皇女ソフィア」より恐ろしい。構図的にはどこか、先の「イワン雷帝とその息子イワン」を思い起こさせます。この事件の10日後にゴーゴリーは自殺します。


レーピンは同時代の西欧の画家の影に隠れて、日本ではほとんど知られていませんが、何で今まであまり取り上げられなかったのだろうと思うぐらい強い衝撃を受けました。非常に画力があり、写実性が高く、個人的にはかなり好きな画家でした。巡回展もありますので、ぜひこの機会に足を運んでみてはいかがでしょうか。


※会場内の写真は主催者の許可を得て撮影したものです。


【国立トレチャコフ美術館所蔵 レーピン展】
Bunkamuraザ・ミュージアムにて
2012年10月8日(月・祝)まで(開催期間中無休)

開館時間: 10:00-19:00(入館は18:30まで)
※毎週金・土曜日は21:00まで開館(入館は20:30まで)
主催:Bunkamura
http://www.bunkamura.co.jp/
後援:ロシア連邦外務省、ロシア連邦文化省、在日ロシア連邦大使館、ロシア連邦文化協力庁、ロシア文化フェスティバル組織委員会
協力:日本航空
企画協力:アートインプレッション

巡回先:
浜松市美術館 2012年10月16日(火)~12月24日(月・祝)
姫路市立美術館 2013年2月16日(土)~3月30日(土)
神奈川県立近代美術館 葉山 2013年4月6日(土)~5月26日(日)


怖い絵死と乙女篇 (角川文庫)怖い絵死と乙女篇 (角川文庫)

2012/08/18

船田玉樹展

練馬区立美術館で開催中の『船田玉樹展』に行ってきました。

練馬区立美術館の企画にハズレなしというか、ここの展覧会で初めて名前を知り、初めてその作品を観て好きになったという画家も多いので、今度もきっと素晴らしい展覧会だろうなという期待感があります。そして、今回は船田玉樹。昨年の国立近代美術館で開催された『日本画の前衛展』のチラシを飾った「花の夕」見たさに、中村橋まで行ってまいりました。

船田玉樹は大正元年(1912年)、広島県呉市の生まれ。もともとは油彩画家を目指して東京に出てくるのですが、すぐに日本画に転向します。2階の資料展示に「私はかうして絵の道へ入った」という船田玉樹の自筆原稿があり、そこにそのときのエピソードが書かれていました。

玉樹は幼い頃から病弱で、病気で旧制中学を中退した後、家でぶらぶらしてたところを彼の油絵を見た洋画家に画家になることを勧められます。しかし、玉樹自身は「油絵をかいていたと言っても絵に関する知識も、情熱もなく、勿論自信などはあるわけもなかった」というやる気のなさ。東京に出たら出たで、初めてピカソやユトリロなど本場の油絵に触れ、強いショックを受け油絵が描けなくなり、さらに宗達や光琳を見て、またまた強いショックを受けてしまいます。しかし、「日本画なら日本人だし日本にいても勉強できそうだと明るい希望がわいて来た」ということで、日本画の道を歩む決心をしたとのことでした。

その後、速水御舟の門を叩くのですが、僅か数カ月で御舟が急逝。御舟が一番尊敬していたという小林古径に師事します。上のエピソードを読む限り、意志が弱いというか、ゆるい感じも受けるのですが、古径の門下になった同じ年には院展にも初入選しており、日本画家としての技量はその頃から抜きんでていたのでしょう。


Ⅰ. 画業のはじまり

御舟、古径といった近代日本画を代表する二人に師事し、正統派の日本画表現を受け継いだ船田玉樹の初期作品からまず拝見。会場に入ったところには、日本画に転向する前の油絵の自画像が展示されていました。ルオーのような厚塗りのタッチが印象的です。

船田玉樹の初期の日本画のいくつかは御舟や古径の作品と並んで展示されていました。「白木瓜」や「白蓮」「椿」などは師の作品を彷彿とさせる端正で品の良い日本画という感じです。ただ、安田靫彦から指導を受けたという「紅梅(利休像)」などを見ると、この人は人物画はあまり得意でないようで、その先にあった「芭蕉」も少しビミョーでした。

船田玉樹 「花の夕」
昭和13年(1938年)

船田玉樹の初期の代表作「花の夕」は、そんな日本画らしい日本画が並ぶ中にあって、意表を突かれます。少しピンクがかった赤い花はコチニール顔料を使ったもので、ドットのようにボテっと描かれていて、ところころどころ白い花も混ざっています。桃の花らしいのですが、桃というより真っ赤な木の実や紅葉のようにも見えます。幹はたらしこみで描かれていて、古典的な手法と実験的な描法を巧みに融合していることが分かります。

同じ並びにはモダニズムを感じさせる「麦」や画面の2/3ほどが炎のように真っ赤に染まった「紅葉」といった作品もありました。1930年代は実験的なさまざまな研究会が設立されますが、玉樹もそうしたグループに加わり、抽象主義やシュルレアリスムを取り入れるなど前衛表現を追求し、洋画と日本画の概念の枠を超えようとしていたようです。戦後すぐに発表された「大王松」は、画面いっぱいに大王松の長い針葉がまるで枝垂れ花火のように描かれ、その大胆さと力強さに圧倒されます。

このコーナーには、日本画のアヴァンギャルド集団「歴程美術協会」を一緒に発足した岩橋英遠や丸木位里らの前衛作品も展示されています。


Ⅱ. 新たな出発

戦後に入り、片や“日本画滅亡論”が叫ばれる中、船田玉樹は西洋絵画の描法も意識的に加味しながら、新たな表現を模索していきます。

「暁のレモン園」は、戦前に描いた4曲1双の屏風絵「檸檬樹」が戦災で片隻が焼失してしまったため、残された屏風に加筆し新たな作品としたもの。暗闇に浮かぶレモンの黄色がまるでホタルのようで、幻想的な世界を創りだしています。

船田玉樹 「暁のレモン園」
昭和24年(1949年) 京都国立近代美術館蔵

今回展示されていた作品を観ていて、自分が個人的に好きだったのが、昭和30年代の作品群。前衛的な表現は落ち着き、しかし日本画の絵画表現としては実にチャレンジングで、より繊細かつ端麗な、内容的に充実した作品が多くありました。様式の新しさを求めるよりも、古典に立ち返ることで日本画を見つめなおし、新たな日本画の姿を追い求めようとしていたように思います。

永徳のような力強い幹の「臥龍梅」、マックス・エルンストの暗い森のような「残照」、金の芒と銀泥の空が印象的な「秋意」、右隻に太幹、左隻に松の葉という構図が見事な「松」、たらしこみが効果的に用いられた「梅」、鏡のように山が映り込むほどの凪いだ海を描いた「暁色」など、意欲的に作品に取り組んでいたことがよく分かります。

船田玉樹 「白梅」
昭和46年(1971年)


Ⅲ. 水墨の探究

昭和40年代になると玉樹は再び水墨画に挑むようになります。戦前にも「五浦」や「夜雨」といった墨画の佳作が展示されていましたが、この頃になると、冴えた水墨による山水表現を再び展開していったといいます。朦朧体の「夏景」や淡墨と濃墨による「海辺老松」などが印象的でした。

そんな中、船田玉樹は昭和49年にクモ膜下出血で倒れます。右半身が不自由になるのですが、それでも右手で絵を描くことにこだわり、修練を続けたといいます。ガラスや紙に淡彩でコラージュ的に表現した「顔」シリーズや、赤く描かれた「自画像」などリハビリ的に創作に励んでいた頃の作品からは何か鬼気迫るものさえ感じます。

船田玉樹 「梅林」
昭和62年(1987年)

やがて不自由な右手を克服し、以前にも増して豪胆で、より華美な作品を発表していきます。玉樹は「線が死ぬ」といって、下図を作らず、ほとんどフリーハンドで直接絵を描くのだそうです。右手の自由がきかないとなるとフリーハンドもままならないと思うのですが、半身不随の身からここまでの絵が描けるようになってしまうのだから、物凄い執念です。

船田玉樹 「ねむれない夜は」

こうした創作活動の一方で、玉樹は昭和20年代から水墨の河童を描いているのですが、その多くは昭和40~50年代に描かれたものではないかといわれています。玉樹は少年時代に詩作に傾倒していたことがあり、絵画制作と並行して、詩集なども発表しています。河童の絵には玉樹の詩が添えられ、ほのぼのとした興趣を醸し出しています。


Ⅳ. 孤高の画境へ

晩年になると、大作の屏風絵を積極的に制作し、琳派的な装飾性豊かな作品や幽玄の趣をたたえた作品、色数を抑えかつ象徴的にものを捉えた作品など意欲的な作品を発表しています。水墨による実験的な「山の家」シリーズは、扇面に墨を偶発的に傾けたり、たらしこんだりすることで作為外の表現に取り組んだもの。大病を患ったにもかかわらず、老いてなおアグレッシブなその姿勢には驚くばかりです。

船田玉樹 「紅梅」
昭和60年(1985年)

もう最後は圧巻の屏風絵の連発です。深山に迷い込んでしまったような鬱蒼とした松の迫力。一方で典雅で華やかな美しい屏風絵。余白もないぐらいに大きな画面を埋め尽くす花や樹、そして色。その絵が放つ迫力にただただ圧倒されます。

船田玉樹 「松」
昭和56年(1981年)

船田玉樹 「臥龍梅」
昭和55~58年(1980-83年)

船田玉樹は、御舟や古径の正統派日本画を継承しつつ、琳派の洗練さや近代日本画のモダニズムも併せ持ち、さらには前衛の大胆さも表現してしまう恐るべき画家でした。ほとんど無名の日本画家ですが、とてもインパクトのある展覧会でした。この回顧展を機に、船田玉樹の評価はぐっと高まるのではないでしょうか。



【生誕100年 船田玉樹 ―異端にして正統、孤高の画人生。―展】
練馬区立美術館にて
2012年9月9日(日)まで


独座の宴―船田玉樹画文集独座の宴―船田玉樹画文集

2012/08/12

応挙の藤花図と近世の屏風

根津美術館で開催中の『応挙の藤花図と近世の屏風』展に行ってきました。

円山応挙の重要文化財「藤花図屏風」をメインに、根津美術館所蔵の近世絵画コレクションの中から、選りすぐりの11点の屏風を集めた展覧会です。

この日は、午前中に三井記念美術館で『日本美術デザイン大辞展』を観てきたのですが、三井記念美術館も円山応挙のコレクションで有名で、応挙の作品が何点も出展されており、図らずも“応挙祭り”となりました。

会場に入ると、「伊年」印の「草花図屏風」(6曲1隻)と「夏秋草図屏風」(6曲1双)がまずお出迎え。「伊年」印の“草花図”はこれまでにもいくつか観てきていますが、この「草花図屏風」は初公開になるそうです。

伊年の「草花図屏風」はタンポポやサクラソウ、スミレ、カキツバタ、カザグルマ、ケシなど春から夏にかけての花が描かれています。草花の描き方や配置、また彩色も少し控えめで、霞の中に浮かぶ草花のような、どこか儚げな印象を受けます。一方の「夏秋草図屏風」は2年前の『新創記念特別展』でも拝見した屏風。同じく墨色を主調とした草花図ですが、花というより草全体がしっかり描かれていて、構図、奥行き感など、より洗練されたものを感じます。

伊年印 「草花図屏風」
江戸時代・17世紀 根津美術館蔵

狩野派がより華やかでリアルな草花図を描くようになると、「伊年」印(俵屋宗達工房)の草花図は流行遅れとなったということが解説に書かれていました。一方で、そうした写生的で情緒的な絵画表現はやがて応挙も参考にしたのではないかともありました。

「伊年」印の草花図の並びに展示されていた鶴沢探鯨の「秋草図屏風」(2曲1隻)も金地に秋の草花が描かれた琳派的な風合いを感じさせる作品でした。探鯨は京狩野派の絵師で、応挙は探鯨の弟子について画を学んだそうです。

長沢芦雪 「赤壁図屏風」(右隻)(重要美術品)
江戸時代・18世紀 根津美術館蔵

その次に登場するのが応挙門下の芦雪の「赤壁図屏風」。右隻には月夜の舟遊びが、左隻には赤壁への再訪の様子が、通常より広目の屏風に悠々と描かれています。これがとても素晴らしい。淡墨で描かれた赤壁の中、黒々とした濃墨の松のインパクトにまず驚きます。そして人物描写のディテール。人間の顔は淡い朱で彩色されていて、表情・姿も生き生きとし、細部までしっかり描きこまれています。こういうセンスというか、ユニークさというか、芦雪らしいなと感じます。


円山応挙 「藤花図屏風」(重要文化財)
江戸時代(安永7年)・1776年 根津美術館蔵

そして、「藤花図屏風」。六曲一双の屏風に右隻・左隻に一本づつ藤の木が描かれ、藤の咲き方も藤棚のような派手なものではなく、どちらかというと控えめです。しかし、その藤の花の美しいこと。間近で観ると、藤の花の艶やかな紫と眩い白のコントラストが絶妙で、一つ一つの花びらに輝くような色彩感があります。解説にも「質感は油絵を思わせる」とありましたが、その鮮やかで、豊かで、重層的な色彩表現は驚くほどです。

「藤花図」の幹や枝、蔓は、“付立て”という技法で表現されています。“付立て”は濃度の異なる墨を筆にふくませることで描線に濃淡が生じ、それにより陰影や立体感を表現するというもの。しかし、葉は一見“付立て”に見せながらも輪郭を加えていたり、花は写実的に描いたりと、応挙は水墨画の技法を応用しながら、さらに自在なテクニックで、実に技巧的に描いています。写生の卓抜さ、装飾性、そして情緒感。応挙の代表作といわれるだけある見事な作品でした。「藤花図屏風」の前には長椅子があり、しばらく時間を忘れて、絵に見入ってしまいました。

そのほか本展には、谷文晁の「赤壁図屏風」、椿椿山の「花鳥図屏風」、狩野尚信の「山水図屏風」など、素晴らしい屏風が展示されています。




【応挙の藤花図と近世の屏風】
2012年8月26日(日)まで
根津美術館にて











写真は根津美術館庭園の藤棚(ゴールデンウィークに撮影)



美のワンダーランド 十五人の京絵師美のワンダーランド 十五人の京絵師


江戸絵画入門―驚くべき奇才たちの時代 (別冊太陽 日本のこころ 150)江戸絵画入門―驚くべき奇才たちの時代 (別冊太陽 日本のこころ 150)


長沢芦雪 (別冊太陽 日本のこころ)長沢芦雪 (別冊太陽 日本のこころ)

2012/08/11

日本美術デザイン大辞展

三井記念美術館で開催中の『日本美術デザイン大辞展』に行ってきました。

古美術入門編として三井記念美術館がときどき開催している企画展『美術と遊びのこころ』シリーズの第5弾。展示作品の解説や、図録や美術書などで目にする専門用語を、実際の美術品を見ながら学ぼうというリアルな美術辞“展”です。

日本画や書跡、陶磁器、工芸品、染織物、甲冑、刀剣などの美術品にまつわる文様や画題、技法や材料等の用語を50音順に並べ、その“現物”と一緒に紹介しています。登場する用語は全部で94。カテゴリーや年代で分けるフツーの展覧会と違って、50音順に見ていくので、まるで辞典のページをめくるような楽しさがあります。

面白かったもの、勉強になったもの、ちょっとメモしたものなどを少しだけご紹介。

≪あしでえ/葦手絵≫
漢字や仮名文字を、岩や樹木などの風景のなかに隠すように描いた絵画。「平家納経」の模本と「舟月蒔絵二重手箱」が展示されていました。「舟月蒔絵二重手箱」は一見ただの(とはいっても立派な)蒔絵なのですが、模様の中に「夜」「雲」「水」「秋」といった文字が隠されています。

≪いろえ/色絵≫
陶磁器でよく見る装飾技法ですが、「一度釉薬をかけて焼いた器物に、赤・緑・黄などの上絵具で文様を描き、窯にいれて焼き付けた陶磁」というように、どういう工程で造られるのかなど詳しく説明されています。陶磁器は不案内なのですが、解説と一緒に作品を観ると、素人の私でもよく理解できます。

仁清 「色絵鶏香合」
江戸時代・17世紀 三井記念美術館蔵

≪うきえ/浮絵≫
西洋画の透視遠近法を取り入れた浮世絵で、今でいう“3D”的な効果を売りにしたもの。展示されていた「浮絵室内遊楽図」は障子の部分に絹を使うなどリアル感を試みていて面白かったです。円山応挙が得意とした“眼鏡絵”も浮絵の一つですね。

≪うろこもん/鱗文≫
三角形を組み合わせた文様で、魚や蛇の鱗の形に似ているため、「鱗文」と呼ばれるとのこと。歌舞伎の「娘道成寺」で清姫が蛇体になるときの衣装に用いられたり、能楽では鬼女などの衣装に用いられるそうです。今度「娘道成寺」を観に行ったら、よく見てみよう。

狩野探幽 「雲龍図」
江戸時代(寛文11年)・1671年 京都・本山興正寺蔵

≪うんりゅう/雲龍≫
言わずもがなの“龍”の絵ですが、「龍吟雲起」といって、古来より龍は雲とセットで描かれます。参考作品として探幽の立派な「雲龍図」が展示されていました

≪おおつえ/大津絵≫
“大津絵”とは滋賀県の大津の名物だった民芸画のこと。主に仏画や鬼の念仏絵などが有名で、歌舞伎で知られる「藤娘」ももともとは大津絵の画題だったものでした。河鍋暁斎の「浮世絵大津之連中図屏風」が展示されていましたが、大津絵をパロディー化したような作品で、鬼が弾く三味線がまるでエレキギターのようだったり、大津絵らしい奴や座頭がいる一方で、大津絵らしからぬ美男美女が描かれてたりと、とてもユニークでした。

「光悦謡本」
桃山時代・17世紀 三井記念美術館蔵

≪きらずり/雲母摺≫
装飾料紙に用いられる技法の一つで、膠でといた雲母(うんも)を紙に摺刷したものを“雲母(きら)摺”といい、歌麿や写楽の錦絵など浮世絵で効果的に使われていることでも知られています。展示されていた「光悦謡本」は安土桃山末期に富裕町人や上流武家などに向けて作られた豪華な装丁の謡本(能の謡の稽古用のテキスト)。キラキラ輝いていて、とても贅沢感がありました。

≪きりかね/截金≫
≪きりかね/切金≫
技法としてはほぼ同じもので、極細に切った金や銀の箔を仏画や仏像に装飾として貼ったのが「截金」で、蒔絵など工芸品に貼ったのが「切金」というようです。5月にNHK‐BSで放映された『極上美の饗宴』で、『ボストン美術館展』で展示された「馬頭観音菩薩像」の金の装飾を絵仏師の方が再現するというのをやっていて、その截金の超絶技巧ともいうべき繊細な作業とその美しさに心奪われたばかりなので、とても興味深く拝見しました。小さな細工がよく分かるように、拡大鏡が置いてありました。

≪げちょう/牙彫≫
動物の牙(主に象牙)に彫刻を施したもの。展示されていた竹内実雅の「牙彫田舎家人物置物」は、どうやってこれを彫ったのだろうというぐらい素晴らしい作品でした。また、象牙で野菜や貝殻を真似て作った安藤緑山の「染象牙果菜置物」と「染象牙貝尽くし置物」もリアルで見事な作品。でも、象牙を使ってそこまでしなくても…と思わなくもないというか。現在はワシントン条約で象牙の輸出入は禁止されてますので、今は贅沢な美術品です。

≪さいかんさんゆう/歳寒三友≫
“松・竹・梅”(または梅・水仙・竹)の画題を“歳寒三友”と呼ぶのだそうです。ちなみに、“梅と菊”で“歳寒二友”。勉強になりました。

≪すやりがすみ/すやり霞≫
絵巻などでよく見る、たなびく霞の模様。場面転換や時間の経過を示すものとして、絵巻には必須のアイテムですね。応挙の弟子筋にあたる亀岡規礼の「酒呑童子絵巻」が展示されていました。

「紅地青海波波丸模様厚板」
明治時代・19世紀 三井記念美術館蔵

≪せいがいは/青海波≫
波を扇形に図案化した文様で、能装束から工芸品まで幅広く用いられているもの。こういう文様の名前ひとつ知ってるだけで、日本美術に詳しくなった気になるから面白いものです。参考展示として、小袖の「紅地青海波波丸模様厚板」と、塗物として柴田是真の「青海波塗皿」が展示されていました。

≪せんさい/剪綵≫
こういうのがあるのは初めて知りました。一見、日本画のようなのですが、「下絵を切り抜き、残った線に部分に金泥を塗り、切り抜いた部分には裂地を貼って作る」切り絵的な作品でした。三井家の女性たちが代々受け継いで制作したものだそうですが、奥様方の趣味の域を超えた素晴らしいものでした。会場を入ったすぐのところにも、この剪綵による作品が飾られていました。

≪そとぐま/外隈≫
描かれているものの輪郭の外側をぼやかすことで、その内側の対象物を浮き立たせる日本画の技法。いわゆる“片ぼかし”ですね。仏画などに使われていた装飾技法を、応挙が応用して考案したものといわれています。参考作品には、おととしの『円山応挙展』でも出展されていた「富士山図」が展示されていました。

≪はつぼく/溌墨≫
水墨画の技法の一つで、墨の濃淡で立体感を表す方法ですが、似た技法の「破墨」も一緒に解説してくれたら、より分かりやすかったのではないかなと思いました。橋本雅邦の「唐山水」が展示されていました。

醍醐冬基 「源氏物語画帖」
江戸時代・17世紀 三井記念美術館蔵

≪ふきぬきやたい/吹抜屋台≫
これもよく見る屋根や天井を取り去って俯瞰で描く大和絵独特の表現方法ですが、「吹抜屋台」というのだそうです。展示作品の「源氏物語画帖」を描いた醍醐冬基は後陽成天皇の孫にあたる公卿だとか。一部のみの展示でしたが、画帖全てを観てみたいと思うような作品でした。

≪もっこつほう/没骨法≫
輪郭を描かずに、筆使いやその濃淡だけで形や色を表現する、花鳥画や水墨画でよく見られる基本的な技法ですね。先ほどの「溌墨」も没骨法の一つで、また応挙が得意とした「付立て」も没骨をアレンジしたテクニックの一つです。琳派の「たらしこみ」や横山大観の「朦朧体」なんかも広い意味では没骨法です。参考作品には円山応挙の「水仙図」が展示されていました。

≪らでん/螺鈿≫
これも工芸品でよく目にする技法。使われる貝の種類などが解説に書かれていたのですが、メモしてくるのを忘れました。展示されていた「楼閣人物螺鈿重箱」が素晴らしかったです。


展示の解説を全部メモするわけにもいかず、また読んでも全部覚えられるわけでもなく、図録があれば買って帰ろうと思っていたのですが、残念ながら、本展の図録はありませんでした。中には、常識的に知ってるだろうと思うものもありますし、またこれはあって、これはないの?と思うものもありましたが、図録があれば、ちょっとした美術辞典として、重宝したかなとも思いました。とはいえ、日本美術のキーワードを五十音順で見せるという発想もユニークで、なかなか新鮮な展覧会でした。



【美術と遊びのこころⅤ 三井版 日本美術デザイン大辞展】
2012年8月26日(日)まで
三井記念美術館にて


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すぐわかる日本の伝統文様―名品で楽しむ文様の文化すぐわかる日本の伝統文様―名品で楽しむ文様の文化

2012/08/01

アラブ・エクスプレス展

いつもお世話になっているアートブログ≪弐代目 青い日記帳≫主催の“森美術館『アラブ・エクスプレス展』特別鑑賞会”に行ってきました。(もう先々週のことですが、いつもながらの遅筆で…)

近年、急速に変化を遂げているアラブ。中東各国で連鎖的に起きた“アラブの春”は、独裁政治や言論統制に反抗する若者を中心とした新しい波がアラブで確実に進行していることを世界中に知らしめました。しかし、いまだ紛争や対立が続く地域もあり、シリアの内戦は予断を許しません…。

そんなアラブの現代アートも、ここ数年、世界的に注目を集めているそうです。激変する政治情勢や複雑なアイデンティティ、伝統や宗教、気候風土、そうしたものに由来するテーマやモチーフ、そして独特の美意識。いま世界で一番ホットなアラブの現代アートを紹介した日本初の展示会です。

まず入場するときの注意事項を。
  • 音声ガイドが無料です。それぞれの作品にも詳しい解説パネルがありますが、鑑賞の手助けになるのでぜひ借りてみましょう。
  • 作品リストは会場に置いてませんが、エスカレーターを上がったところの受付の人に声をかけると貰えます。
  • 写真撮影OKです。ただし、いくつか注意点があるので、入口もしくはこちらで必ず確認してください。
会場は3つのテーマで構成されています。気になった作品を紹介します。


1 日々の生活と環境

わたしたちは「アラブ」と一言でくくってしまいますが、アフリカ北部も「アラブ」ですし、中東地域も「アラブ」です。世界中には大勢のアラブ人が暮らしていて、アラブ世界は実はとても多様性に満ちています。しかし、宗教対立や民族紛争、テロなどが起きるたび、「アラブ」を一緒くたに見てしまい、アラブ世界全体に対し悪いイメージを抱いてしまったりします。ここでは、そんなアラブの人たちがどんな生活を営んでいるのか、作品を通して彼らの等身大の日常を紹介しています。

モアタッズ・ナスル(エジプト) 「カイロ・ウォーク」 2006年
  この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利 - 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

会場に入ってすぐのところにあったのが、カイロの人々の生活風景を切り取った「カイロ・ウォーク」。ポップな色のお菓子やコカコーラの看板、いたずら書きなどわたしたちの生活と何も変わらない風景が広がります。

ハサン・ミール(オマーン) 「結婚の思い出」シリーズ 2011年
  この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利 - 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

一見すると、イスラムの伝統的な結婚式の写真なのですが、アラブの一部の地域では近代化された現代でも、家族によって結婚相手を決められ、式の当日になって初めて顔を合わせるという結婚の慣習が残されています。これらの写真は、そうした古い慣習や不平等な女性の権利などに対するアラブ人自らの問いかけなのだそうです。

アマール・ケナーウィ(エジプト) 「羊たちの沈黙」 2009年
  この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利 - 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

ケナーウィの「羊たちの沈黙」はビデオ作品。写真ではちょっと分かりづらいのですが、羊飼い役の人に連れられて人々が羊のように四つん這いになり行進しています。エジプトは貧富の差が激しく、その抗議のパフォーマンスだそうです。が、このパフォーマンスに抗議する人が出てきたりして、生々しい感じもありました。カイロで民主化運動が始まったのはこの翌年とのこと。そうした予兆がここに表れていたのでしょう。

左奥に見えるのは、「親密さ」というルラ・ハラワーニの写真作品。タイトルの通りの写真なのかなと思ったら、パレスチナ自治区とエルサレムの間にある検問所の様子を隠し撮りしたものだそうで、学校に行くにも病院に行くにも、どこに行くにも検問所を通らなければいけないパレスチナの人々の日常を写したものでした。そうした事実を知ると、そのタイトルが実はアイロニカルなものだったと分かります。

リーム・アル・ガイス(アラブ首長国連邦)
「ドバイ:その地には何が残されているのか?」 2008年
  この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利 - 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

工事現場のように雑然としたインスタレーション。急激に開発されていくドバイを表現しているとのこと。空から鳥が街を静かに見つめているのが印象的です。

ジャアファル・ハーリディ(レバノン出身/アラブ首長国連邦在住)
「スペシャル・レポート」「グッド・スタンプ」 2009年
  この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利 - 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

手前の絵はガザ紛争を主題にしたもので、学校で勉強をしている子どもたちの後ろには爆撃を受けて破壊される町が描かれています。色のカラフルさとは対照的に、社会を取り巻く複雑な問題がそこには込められています。

アトファール・アハダース(ヨルダン)
「私をここに連れて行って:想い出を作りたいから」 2010‐12年
  この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利 - 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

アトファール・アハダースは3人のヨルダン人からなるアート・グループ。日本やアフリカ、メキシコらしき風景などがごちゃまぜの中、3人の男性が立っているという不思議でユニークな作品です。現代のデジタル技術は人間のアイデンティティまでも取り替えることが可能であるという皮肉を込めているのだそうです。

マハ・ムスタファ(イラク出身/スウェーデン、カナダ在住)
「ブラック・ファウンテン」 2008/12年
  この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利 - 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

噴水から噴き上がるのは黒々とした液体。周りの白い床には転々と黒いシミができています。1991年の湾岸戦争では油田地帯が爆撃され、燃え上がる炎と煙で近隣には黒い雨が降ったといいます。アーティストのムスタファ自身もそれを体験した一人。戦争やエネルギー問題、石油をめぐる国際情勢やオイルマネーなど、いまだ続く様々な問題が暗喩的に表現されています。夜に撮影したので分かりにくいのですが、奥の窓からは東京の夜景が望めます。


2 「アラブ」というイメージ: 外からの視線、内からの声

このセクションでは、「アラブ」に対するステレオタイプなイメージを再考させるような作品が紹介されています。それは西洋(日本も含め)に対する抗議であり、客観的な検証であり、アラブの人たちが自らのアイデンティティを問い直すきっかけにもなっているようです。

アハマド・マーテル(サウジアラビア)
「マグネティズムⅢ/マグネティズムⅣ」 2012年
  この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利 - 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

四角い磁石に引きつけられる鉄粉。言われてみて、そうだなと思ったのですが、メッカの巡礼を暗に示しています。宗教を磁石に置き換えて、その求心力の強さを表現したのだそうです。

シャリーフ・ワーキド(パレスチナ出身/パレスチナ、イスラエル在住)
「次回へ続く」 2009年
  この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利 - 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

銃を前に真剣な顔で何かを読み上げる男性。まるでアルカイダなどのテロリストの証言ビデオのようです。しかし、この男性が読み上げているのは実は古典文学の「千夜一夜物語」。アラブに対する先入観を皮肉った見事な作品でした。

オライブ・トゥーカーン(アメリカ) 「(より)新しい中東」 2007/12年
  この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利 - 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

一見、何か分からないと思いますが、実は中東地域の国々の形をした磁石になっています。どこがどこの国か分からないぐらい、バラバラになっていますが、新しい中東の地図を作ってみましょうということで、誰でも自由に動かすことができます。ただ、パレスチナの領土だけは壁に固定され、動かせません(下の写真)。つまり、パレスチナを中心に中東世界が再構成されるということを意味しています。

  この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利 - 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

イスラエルも動かせます…。

アーデル・アビディーン(イラク生まれ/フィンランド在住)
「アイム・ソーリー」 2008/12年
  この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利 - 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

青と赤が交互に点滅する派手な看板。イラク戦争のあと、アメリカ人に出会うたびに「アイム・ソーリー!」と言われたという自らの体験を作品にしたものだとか。自虐的というか、皮肉というか。そばには“I'M SORRY キャンデー”があり、自由に持ち帰れます。


3 記憶と記録、歴史と未来

社会改革や宗教紛争などアラブ諸国の変動は近年激しいものがあります。アラブのアーティストたちは自分の目で見たことを世界の人々に伝え、また後世に残そうと、自らの体験を作品に取り入れています。ここではそうした記憶/記録という視点から生まれた作品を紹介しています。

ハラーイル・サルキシアン(シリア出身/シリア、イギリス在住)
「処刑広場」 2008年
  この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利 - 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

一見すると、静かな朝の街並みを撮影した風景写真のようですが、ここに写された場所はすべて実際に公開処刑が行われた場所なのだそうです。現在、シリアは内戦が激化し、緊迫した状況が続いていますが、今もこうしたことが起きているのかもしれないと思うと、空恐ろしい気持ちになる写真です。

このコーナーには映像作品も多く、内戦や紛争の記憶がいまだ新しいだけに、痛ましさというか生々しさを感じるようなものもありました。

ジョアナ・ハッジトマス&ハリール・ジョレイジュ
(レバノン出身/レバノン、フランス在住)
「戦争の絵葉書」(「ワンダー・ベイルート」シリーズより) 1997/2012年
  この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利 - 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

もともとはベイルートの写真家アブドゥッラー・ファラハが1960年代に撮影した観光用の絵葉書。レバノン内戦で撮影した場所が爆撃されるたびにネガの該当部分を燃やしたのだそうです。そのため写真は無残なほど焼け焦げた跡でいっぱいです。かつてのベイルートの美しい風景を想うと、戦争のやりきれなさを感じずにはいられませんでした。

ゼーナ・エル・ハリール(イギリス出身/レバノン在住)
「ザナドゥ、あなたのネオンは輝くだろう」 2010年
  この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利 - 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

2006年のイスラエルによるレバノン侵攻時にイスラエル軍用機から投下されたビラをもとに制作されたものだそうです。笛を吹いているのは、シリアのアサド大統領、イスラム抵抗運動ハマースの主導者マシュアル、イランのアフマディネジャド大統領で、イスラム教シーア派組織ヒズブッラーの指導者ナスルッラーが彼らに踊らされているという構図を風刺的に描いたのだとか。踊らされてる場所が“ザナドゥ”というのもまた皮肉です。

左: ハリーム・アル・カリーム(イラク出身/アラブ首長国連邦、アメリカ在住)
「無題1」(「都会の目撃者」シリーズより) 2002年

右: ハリール・ラバーハ(エルサレム出身/パレスチナ在住) 「2つの展覧会」
(「美術展:レディメイドの表象」シリーズより) 2012年
  この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利 - 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

「無題1」は、かつて厳しい言論統制により人間性までも虐げられていたイラクを表現したもの。顔全体がぼんやりしている中で目だけがクリアーなのは、言葉を発せられなくても目はちゃんと見ているということを表わしています。

「2つの展覧会」は、写真かな?と思ったら、油彩画でした。つまりスーパーリアリズム。自身の展覧会の風景を絵画化したものだそうです。ラバーハはパレスチナに関係する展覧会などの記録写真をスーパーリアリズム手法で絵画化している画家だそうです。

エブティサーム・アブドゥルアジーズ(アラブ首長国連邦)
「リ・マッピング」 2010年
  この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利 - 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

アラブ諸国の国名のアルファベットを数字に変換して平面座標に配置し、各国のアートへの受容度を高さで示したアラブの新しい地図。窓の外には東京の夜景が広がり、暗い部屋の中で白く発光した物体はとても幻想的で、まるで未来都市や天空回廊のようでした。


全体を通じて、とても考えさせられる作品が多く、またいろんな意味で刺激・発見の多い展覧会でした。アラブの現代アートといっても見た目は西洋のそれと変わらないのですが、戦争や古い慣習、環境に対する批判や反抗がベースに強くあり、作品のアプローチは欧米のものと大きく異なっています。ここまで直接的な政治的メッセージを美術作品に見ることはあまりありませんが、じゃあ真面目に考えながら観なければならないのかというとそういう展覧会でもないと思います。アラブの新しい動きを知るという意味で、とてもよい企画なのではないでしょうか。



【アラブ・エクスプレス展: アラブ美術の今を知る】
2012年10月28日(日)まで(会期中無休)
森美術館にて


アラブ・エクスプレス展 アラブ美術の今を知るアラブ・エクスプレス展 アラブ美術の今を知る