2010/03/31

御名残三月大歌舞伎

歌舞伎座も残すところ、あと1ヶ月。三月からは“大歌舞伎”の前に“御名残”という冠もつき、いよいよ名残を惜しむ最後のカウントダウンといった感じになってきました。四月の大歌舞伎はチケット発売早々に完売となり、チケットが取れなかった人たちなのか、あまり人気のなかった三月大歌舞伎も後半は売れ残っていたチケットがかなり捌けたようです。

さて、三月・四月は三部制で、今月は第一部と第三部を観て来ました。

まず第一部は、「加茂堤」「楼門五三桐」「女暫」の三本。

「加茂堤」は、歌舞伎の三大狂言の一つで、人気の演目「菅原伝授手習鑑」の事件の発端を描く一幕。帝の弟・斎世親王が菅丞相(菅原道真)の娘・苅屋姫が、桜丸と妻・八重の手助けで逢引をするというお話です。しかし、これが菅丞相を陥れようとする藤原時平に見つかり、後々菅丞相は九州へ流罪となってしまいます。

去年も二月の歌舞伎座でこの「加茂堤」は観ていて、そのときはたいして強い印象は残らなかったのですが、今回は、桜丸・八重の若夫婦の瑞々しさと、斎世親王・苅屋姫の初々しさ、そして両者のほんわかした雰囲気が伝わってきて、とても良かったと思います。去年の役者が悪かったというのではないのですが、役者が違うとこうも印象が違うものかと思いました。桜丸役の梅玉は柔らかく時に飄々とした物腰で、八重役の時蔵は可愛い娘をサラッと演じていて、やはりベテランの役者は味わい深いなと感じました。

「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」は、15分の短い出し物。京都・南禅寺の山門の上で石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と言うアレがコレです。吉右衛門の五右衛門は貫禄充分で、まさに適役。いかにも天下の大泥棒という圧倒的な雰囲気がムンムンしました。真柴久吉(豊臣秀吉)の菊五郎もキリリとして、颯爽としていて良かったです。これもベテランならではの味わいという感じでした。

「女暫」は、歌舞伎十八番「暫」の主役・鎌倉権五郎を女形が巴御前として演じるというパロディー的な演目。豪快な「暫」を女形が演じるという洒落を楽しむ作品です。話の筋は「暫」と同じですが、所々に笑いどころもあって、歌舞伎らしいエンターテイメント満載という感じでした。この巴御前は、木曽義仲の愛妾の女武将で、「平家物語」の義仲と巴御前の別れのくだりはぼくも非常に好きな場面。「女暫」では女武将の猛々しさを見せる一方で、女らしさ・か弱さがチラチラ現れ、それがおおらかさや軽妙さ、洒落っ気を生んでいました。

最後の引っ込みが面白いという話は聞いていたのですが、なるほど、こうなるのかという楽しさ。幕が引くと巴御前役の玉三郎が花道でへたり込み、「刀が重たくて持てない」だの「早く楽屋に戻りたい」だの駄々をこねるのですが、番頭役の吉右衛門との掛け合いは玉三郎のコメディエンヌぶりも手伝い、また歌舞伎らしいおかしみもあって、とっても面白かったです。

さて、第三部。

最初の演目は、「加茂堤」と同じ「菅原伝授手習鑑」から「道明寺」。九州・大宰府へ流罪となった菅丞相が、途中、伯母・覚寿を訪れます。覚寿のもとには苅屋姫(覚寿の実の娘)が匿われていて、覚寿は苅屋姫を養父・菅丞相に一目合わせ、名残を惜しむという涙涙のお話です。覚寿は歌舞伎の老女の大役「三婆」の一つだそうで、今回は玉三郎がその覚寿を演じるというのが話題でした。いつもなら苅屋姫の方を演じる玉三郎ですが、今回は白髪の老け化粧で、玉三郎とは一瞬分からないぐらい。ファンとしては美しいお姫様姿を見たい気持ちはありますが、この老け役がなかなか合っていて正直ビックリしました。菅丞相の流罪のきっかけを作った娘を折檻する一方で、一目娘を養父を会わせようとする親心を持つという難しい役どころなのですが、さすが巧いですね。菅丞相は、当たり役の仁左衛門が演じ、非常に深みのある演技で、ジワジワきました。決して台詞の多い役ではないのですが、立居振舞いで感情を伝えるということがここまでできる役者はそうはいないと思います。名演というのはこういうことを言うのだなと実感した芝居でした。

最後は、能をもとにした舞踊劇「石橋(しゃっきょう)」。僧侶や旅人が石橋を渡ろうとすると樵人(実は獅子の精)と童子(実は文珠菩薩)が現れて、石橋の謂れを話すという筋。樵人と童子を富十郎・鷹之資親子が演じているのですが、鷹之資は富十郎70歳のときの子どもで、まだ11歳。昨年NHKで放送された「勧進帳」のドキュメンタリーで見た父の芸を継ごうと一生懸命で健気な姿が頭に浮かんで、思わず目頭が熱くなってしまいました。「勧進帳」ではどこか危なげなところもありましたが、「石橋」は素晴らしく、安心して観てられました。もっともっと富十郎からたくさんの芸を引き継いでもらいたいと祈るような気分で観ておりました。

ああ~あと一ヶ月。。。




「御名残三月大歌舞伎」
歌舞伎座にて
第一部 3/27鑑賞
第三部 3/24鑑賞

2010/03/28

クリストとジャンヌ=クロード展

国立新美術館でルノワール展を観たら、必ず…と思っていたことを忘れ、ミッドタウンでブラブラ買い物していたら、ふと目にしたポスターで思い出しました。「クリストとジャンヌ=クロード展」を観に行くつもりだったんだ」と(笑)。年取ると、なんか抜け落ちることがありますね。ほんと物忘れが多くなった。。。

その日は少し寒かったものの、天気も良くて、ミッドタウン・ガーデンは春を待ちかねた人々でほのぼのとした雰囲気がありました。会場となっている「21_21 DESIGN SIGHT」はミッドタウン・ガーデンのちょうど北西の端にあります。


今回の展覧会は、クリストと、昨年亡くなったクリストのパートナーのジャンヌ=クロードの足跡を追ったもので、クリストの初期の作品から、未完に終わったプロジェクト、また現在進行中のプロジェクトまで、数々のドローイング作品やランド・アートの写真の展示や、プロジェクトのドキュメンタリー・フィルムの上映などにより、二人の活動の軌跡とプロジェクトのプロセスを振り返っています。

 「包まれたライヒスターク、ベルリン、 1971-95」

展覧会の会場は地下で、ドキュメンタリー映画を上映している小さなホールと、クリストのプロジェクトを紹介したパネルを展示した少し大きなホールと二つからなっています。ドキュメンタリー映画は日替わりで、その日は『クリストのヴァレー・カーテン』と『ランニング・フェンス』を上映していました。


「アンブレラ、日本=アメリカ合衆国、1984-91」

ぼくが10代のころ、クリストはちょうどポン・ヌフの成功で世間をアッと言わせ、そのクリストが日本でランド・アートをやるということで「美術手帖」などでも特集が組まれたりして、とてもワクワクした気分になったことをよく覚えています。あれだけのことを壮大なプロジェクトですから、自治体や地元住民との交渉や綿密な打ち合わせ、時には裁判沙汰までなり、大変な労力と時間とお金を使って、ようやく(芸術作品の)完成に至るわけですが、その様子をドキュメンタリーで見ると、クリストのアートって、単にランド・アートだとかハプニングだとかで言い切れない情熱や思いの深さがあるなと感じずに入られませんでした。

「包まれたポン・ヌフ、パリ、1975-85」

お台場でのプロジェクトなんていうのもあったんですね。実現しなかったのが残念ですが、クリストの作品を見ていると、アートって、ほんと面白いなってつくづく思います。


【クリストとジャンヌ=クロード展】
21_21 DESIGN SIGHT(東京ミッドタウン・ガーデン内)にて
4/6(火)まで


ライフ=ワークス=プロジェクト―クリストとジャンヌ=クロードライフ=ワークス=プロジェクト―クリストとジャンヌ=クロード









クリスト&ジャンヌ=クロード DVD BOXクリスト&ジャンヌ=クロード DVD BOX

2010/03/26

ルノワール 伝統と革新

先日の月曜日、六本木の国立新美術館に行ってきました。

ただいま開催中の「ルノワール展」が、チケットをよく見たら、あと2週間で終わりではあ~りませんか!!今週末も来週末もすでに予定が入っているので、急いで出かけてまいりました。

『団扇を持つ若い女』

今回のルノワール展(毎年のようにやってますので…)は、国内の美術館の所蔵作品が中心でしたが、バブル期に金に物を言わせて買い込んだ(?)傑作も多く、約80点あまりの展示品は非常に充実していました。

会場のコーナーを、「ルノワールへの旅」、「身体表現」、「花と装飾画」、「ファッションとロココの伝統」と4つの章に分けることで、ルノワール絵画の変遷や模索の過程が丁寧に整理され、彼の作品の特徴がより鮮明にクローズアップされていたと思います。

『アンリ夫人』

先月でしたか、NHK教育テレビの「新日曜美術館」で、最新の研究結果から、ルノワールがどのように絵を描いていたかを、当時の画材・技法を使って忠実に再現した模様を放映していましたが、今回の展覧会では、本展を機に行われたというX線や赤外線による光学調査の模様が映像で上映され、またパネルを使って詳細な説明がなされていました。

光学調査により、描き直しや絵の具の種類などが判明し、それにより、晩年のルノワールがどういう色を好み、どのように絵を描いていったかが明らかになったようです。

『水のなかの裸婦』

描く女性が徐々に豊満になっていく過程(笑)や色の選び方、絵の具の塗り方、そんなことが素人目にも分かって、ただ単にルノワールの絵を順番に見ていくのと違って、非常に興味深く、面白く感じた展覧会でした。


【ルノワール - 伝統と革新】
六本木・国立新美術館にて
4/5(月)まで

2010/03/16

没後400年特別展「長谷川等伯」

東京国立博物館で開催中の「長谷川等伯展」行って来ました。2回も。

まずは初日。しかも開館前から並んで観てきました。

初日の朝一ですから、それなりに人はいましたが、館内は混み合うといったこともなく、幸いにも、ゆっくりと鑑賞することができました。今回の展覧会は1ヶ月と短期決戦なので、後半は混雑するのが目に見えていたので、何週間も前からちゃんと有給休暇を申請し、この日を待ち構えていました。

まぁ、こうして意気込んで出かけてはみたものの、あんまり長谷川等伯のことは詳しくないんです。今までに観た等伯の絵はたぶん1桁しかないし。数年前の「対決 巨匠たちの日本美術」展でも、等伯と対決した永徳の方ばかりを観てました。でも、まわりが等伯等伯騒いでるので、昨年、等伯を題材にした小説を読んでみたり、事前に「美術の窓」やら「別冊 太陽」の特集号に目を通したりと、珍しく予習をして(笑)、参戦してまいりました。

  
国宝「楓図屏風壁貼付」

国宝「松に秋草図屏風」


そしたらそれが、素晴らしいこと素晴らしいこと。これまで等伯のことにあまり関心を持ってなかった自分が恥ずかしくなりました。

もともと仏画を描いて暮らす絵師だったこともあり、仏画はどれも見入ってしまうほどの素晴らしいさ。後に狩野派を脅かすほどの絵師になっただけあって、その精緻さや技術は田舎絵師のレベルを超えてます。天井がとても高い東博の平成館でもちゃんと掛けられない高さ10m、横6mもある巨大な「仏涅槃図」は必見です。

「仏涅槃図」(重要文化財)


若いころは雪舟の門人に学び、後年、自ら“雪舟五代”と称しただけあり、水墨画の素晴らしいさも筆舌しがたいものがあります。独特の筆づかい、大胆な構図、絶妙な濃淡の加減。雪舟や牧渓の影響を受けた正統派の水墨画でありながら、江戸期の山水水墨画に通じるような新しさがあります。やがて、その極みというか、悟りのような境地に達したとき、描かれたのが、あの「松林図屏風」だったのかもしれません。「対決…」のときは展示日の関係で見られなかったので、今回初めて目にしました、なんともいえない深い作品です。

国宝「松林図屏風」(右隻)

国宝「松林図屏風」(左隻)


一方で、水墨画でありながら、金雲を描きこんだり、生まれが染物屋だけあってか、花鳥や波濤にも文様のようなデザイン性が感じられたりと、斬新なアイディアや技法を取り入れた作品も多くありました。俵屋宗達よりも早くに、たらしこみを試していたりと、琳派の源流を見た思いさえしました。

「波濤図」(一部)(重要文化財)


等伯の幅広い画風と、ダイナミックかつ繊細な絵筆のタッチに、もうずっと唸りっぱなしです。京都画壇で狩野派が謳歌を味わっていた時代、新風を巻き起こし、狩野派から嫌がらせを受けながらも、最後は豊臣秀吉に認められるまでになり、狩野派と並ぶ一大流派となった長谷川等伯のドラマティックな人生と長年の苦節が、絵からひしひしと伝わってくる、そんな展覧会でした。


「枯木猿侯図」(重要文化財)


【没後400年 特別展 長谷川等伯】
東京国立博物館にて
2010年3月22日(月) まで
(4/10~5/9は京都国立博物館にて開催)

美術の窓 2010年 03月号 [雑誌]美術の窓 2010年 03月号 [雑誌]









長谷川等伯―桃山画壇の変革者 (別冊太陽 日本のこころ 166)長谷川等伯―桃山画壇の変革者 (別冊太陽 日本のこころ 166)









芸術新潮 2010年 03月号 [雑誌]芸術新潮 2010年 03月号 [雑誌]









もっと知りたい長谷川等伯―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたい長谷川等伯―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

2010/03/14

ねこ 岩合光昭写真展


先日、日本橋三越・新館で開催中の、「ねこ 岩合光昭写真展」に行ってきました。

行った日が平日だったので、会場はOLでいっぱい。ほぼ9割、いえ95%女性です。みんなカワイイカワイイで大変でした。確かに大変なぐらい、かわいい写真がいっぱいあります。

でも、ただかわいいだけの写真ではなく、人間の暮らしに溶け込んだ猫の写真や何気ない仕草や表情の写真ばかり。猫好きとはいえ、かわいいに決まっている子猫の写真や、かわいらしさをこれみよがしにアピールし た猫の写真がぼくは嫌いで、今まで猫の写真展に行ったこともないし、写真集すら買ったことがないのですが、岩合さんの写真は猫を家族の一員、同じ町の住民 として捉えている感じがして、非常に好きです。“飼い猫ではなく、家族というようなコメントが会場にあったのですが、そういう気持ちでいつも見つめているからこそ、ただかわいいだけの商業的な猫写真と は、一線を画した素晴らしい写真になってるのでしょう。

だけど、さすがプロのカメラマン。猫って、写真を撮るのがほんと大変ですが、なんでこんなミラクルショットが撮れるんだろう。

  人は猫を知っているようで知りません。
  逆に猫はよく人のことを知っています。

  ヒトがネコを飼っていると思っているのはまやかしで、
  実はネコがヒトを飼っているのかもしれません。

岩合さんの言葉は深いにゃぁ~w

どの写真にも猫への愛情が満ち満ちている、素敵な写真展でした。


写真展のチケットも猫好きにはたまらないw









日本橋三越本店・新館7階ギャラリーにて
3/15(月)まで
 
ペット(猫)の写真を 持っていくと、200円割引になります。
うちの子の写真もどこかに貼ってあるはずです(笑)












「ねこ 岩合光昭写真展」の図録兼写真集です。
ねこねこ

2010/03/10

石峰寺 ~若冲の石仏を訪ねて~

またもや備忘録です(汗)

一月に仕事で京都に連泊してたのですが、せっかく京都に来たのに何も観ずに変えるのは癪だからと、もう一泊プライベートで宿をとり、ゆっくり休日の京都を散策しました。

今回はこれまで不思議とあまり縁のなかった洛南を廻ってみたのですが、そのメインの目的は、前々から是非一度はと希っていた石峰寺(石峯寺)を訪れることでした。

石峰寺は、江戸中期に萬福寺の第六世千呆禅師により開創した黄檗宗のお寺です。いま最も人気があるといってもいい江戸時代の絵師、伊藤若冲が下絵を書いて彫らせた五百羅漢の石仏があります。

若冲は晩年、この石峰寺に庵を結び、85歳でこの世を去るまで隠遁生活を送っていたのだそうです。五百羅漢の石仏たちは、石峰寺に移り住む前に造られていたそうで、その後、京都の大火事で家を失い、この寺に身を寄せたとも言われています。若冲とは所縁の深いお寺さんです。

石峰寺は、閑静な住宅街の中にポツンと佇む小さなお寺です。最寄駅は京阪電車の深草駅ですが、隣駅(伏見稲荷駅)にある伏見稲荷大社からも歩いて来られる距離なので、京都見物の折にはセットで行かれるのもいいかもしれません。伏見稲荷の賑わいと、石峰寺の静穏な雰囲気とのギャップに驚かれることでしょう。

住宅街の狭い道を進み、緩やかな坂を上ると、若冲ファンには見覚えのある朱色の門が見えてきます。あの「石峰寺図」で描かれていた特徴のある山門です。去年、府中市美術館の「山水に遊ぶ 江戸絵画の風景250年」展で初めて観たとき、もう食い入るように観たものです。実物を見ると、なんか感慨深いというか、いよいよ若冲の石仏に会えると思うだけでワクワクしてきます。

小さな本堂の横を抜け、更に裏山の石段を登ると、また同じ竜宮城のような形をした小さな門があります。門をくぐると、そこはもう、おとぎの世界ならぬ若冲ワールド。若冲の絵から抜け出たような個性的でユーモラスな五百羅漢の石仏群が山の中にあちこち点在します。

五百羅漢とは、釈迦が入滅したのち、その教えを後世に伝えようと集まった阿羅漢(悟りを得た聖者)たちのことですが、若冲の五百羅漢はよくある羅漢図で目にするような立派な聖者の姿ではなく、なんとなく頼りなさそうだったり、まだ迷いがありそうだったり、愛嬌があったりと、どこか人間臭くて、お偉い高僧や聖者にはあまり見えません。あくまでも若冲の絵の登場人物たちなのが面白いというか、若冲らしくていいです。五百羅漢の中に必ず自分に似た人がいると聞きますが、近寄りがたい阿羅漢ではなく、こうした親しみやすそうな石仏の顔を見てると、確かに自分と同じ顔の石仏もいそうな気さえしてきます。

石峰寺の五百羅漢はお釈迦様の誕生から涅槃に入り入滅するまでが物語られていて、場面場面に「托鉢修行」とか「涅槃場」とか「賽の河原」などと説明書きが立っています。こうして仏様をひとたび若冲が描くというだけで、どんな小難しそうな話も、子どもからお年寄りまで誰でも分かりやすく受け入れられそうです。

何百年も風雨にさらされた風化のあとは時の流れの物悲しさを思わずにはいられませんが、若冲の石仏を見ていると、自分もにこやかな顔になってるのが分かり、心が和むというか優しい気分になってきます。幸いなことに、ほかに誰も観光客の姿はなく、思う存分、若冲の世界を堪能させていただきました。夏場は藪蚊がすごいようなので、行くのなら静かに鑑賞できる冬がお薦めです。

帰りには、同じ寺内にある若冲のお墓にお参りすることをお忘れなく。素晴らしい石仏に出会えたことの感謝を伝え、石峰寺をあとにしました。


Flickrに石峰寺の石仏のほかの写真もアップしています。よろしければご覧ください。
https://www.flickr.com/photos/conrrrrad/albums/72157623445289177


もっと知りたい伊藤若冲―生涯と作品 (ABCアート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたい伊藤若冲―生涯と作品 (ABCアート・ビギナーズ・コレクション)

2010/03/06

二月大歌舞伎

もう3月に入って1週間が経ちましたが、とりあえず備忘録として、二月大歌舞伎【夜の部】の観劇の感想です。
歌舞伎座さよなら公演も、残り2ヶ月。毎月毎月、歌舞伎に投資している上に、チケット代も値上がりしてしまったので、3月、4月のことも考えて、2月はちょっと小休止、と決めていました。でも、二月の「夜の部」のまわりの評判が予想以上に良く、やはり“今”観ておかないと後悔するばかりと思い(笑)、そ思い始めると、いてもたってもいられず、急遽3階席のチケットを買い求め、仕事まで休んで、観に行ってまいりました。

まずは、「壺坂霊験記」。

盲目の夫と甲斐々々しく世話をする妻の物語です。器量がいいと村でも評判の妻ですが、夜な夜な家を抜け出し、夫は妻の貞節を疑います。しかし妻は、夫の目の病を治したい一心で、霊験あらたかな観音様に毎夜お参りをしていて、夫は自分の疑心を悔い、谷底に身を投げる…というお話です。

約70分、三津五郎と福助のほとんど二人だけのお芝居。立ち回りがあるわけでもなく、賑やかな場面があるわけでもなく、そのせいか、まわりではウトウトされてる人もいましたが(笑)、三津五郎と福助のコンビネーションは安心して観ていられて、自分は結構楽しませていただきました。

続いては、狂言風の舞踊で「高坏」。

次郎冠者(勘三郎)は太郎冠者と大名と花見に来たものの、盃をのせる高坏がなく、高坏を買いに行かされます。しかし高坏を知らない次郎は、高足売(橋之助)に騙されて、高足(高下駄)を買わされ、しかも酒を飲んで酔い潰れてしまい…。

酔っ払った勘三郎が、高下駄を履いて、バックにずらり並んだ長唄のお囃子に乗り、タップダンスを踊るのですが、もう面白いのなんの。ちょうどオリンピックとも重なり、フィギュアスケートのマネまで披露し、客席は大喝采でした。飄逸とした勘三郎の持ち味と、軽妙な踊りと、華やかな舞台があいまって、非常に楽しい一幕でした。勘三郎は本物のエンターテイナーですね。

二月公演は、十七代目中村勘三郎の追善ということで、二階には中村屋ゆかりの品々や写真が展示されていました。十七代目の最期の公演となった「俊寛」の衣装が飾られていましたが、昼の部の「俊寛」では、勘三郎はこの着物を着て演じていたのだそうです。だから、「俊寛」をやっている間は、ガラスケースの中は空っぽなのだとか。かなり厚手の衣装ですし、相当汗もかくでしょうし、ちょっと…と思ってしまいましたが、追善という意味ではいい供養になったことでしょうね。

さてさて最後は、今回のお目当て、「籠釣瓶花街酔醒」。

田舎商人の次郎左衛門(勘三郎)が土産話にと、花の咲き誇る吉原に立ち寄ったのが運の尽き。
花魁道中に出くわして、八ツ橋花魁(玉三郎)に一目惚れしてしまいます。江戸に来るたび、八ツ橋のもとを訪れ、身請け話まで持ち出しますが、間夫(仁左衛門)に次郎左衛門との縁切りを迫られた八ツ橋は、宴会の万座の席で次郎左衛門に愛想づかしをし、恥をかかせます。そして、数ヶ月後、しばらくぶりに次郎左衛門が八ツ橋を訪ね…というお話しです。

田舎者で野暮で、しかもあばた面の次郎左衛門と、吉原一美しく、気高く、どこか切なげな八ッ橋とのアンバランスさから生まれる悲哀が物語の核なのですが、吉原の人間模様がしっかりと描かれていて、非常に見応えのある舞台でした。
玉三郎の、美しさや気品、色気は、やはり絶品で、ふと見せる微笑や、計算された間や仕草を見ていると、歌舞伎の枠を超えて、もっと演劇的なものを感じます。勘三郎も、“笑い”と“狂気”のバランスの巧さに、ぐいぐい引き込まれてしまいました。

水も滴るいい男の“間夫”仁左衛門に、女将の秀太郎、花魁の七之助や魁春、遣り手の歌女之丞etc、まわりの役者陣も素晴らしく、さらに濃いものにしていて、休憩なしの約2時間、ずっと釘付けになってしまいました。

さよなら公演らしい、とっても充実した夜の部でした。観に行って、本当に良かった。


「二月大歌舞伎」
2/23 歌舞伎座にて

2010/03/05

ブログ事始め

お初にお目にかかります。ウェブサイトも放り出し、ブログも放り出し、mixiの中にこもってましたが、久しぶりにブログをはじめようかなと思ってます。いつまで続くかわかりませんが…。おいおい僕自身のこともどんな人間化想像がつくかと思いますが。どうぞよろしくお願いいたします。

旧ウェブや旧ブログから流れ着いた方へ : HNが変わりました(笑)