2012/03/25

ボストン美術館 日本美術の至宝

東京国立博物館で開催中の『ボストン美術館 日本美術の至宝』展に行ってきました。

昨年からずーっと楽しみにしていた展覧会。いてもたってもいられず初日に観てきました。開館の50分ぐらい前に並んだときはまだ50人程度の列でしたが、開館時には750人ものお客さまが列を作ったそうです。待ちに待った展覧会ですもんね。

ボストン美術館は東洋美術の殿堂と称され、10万点を超える日本の美術品が収蔵されているのだとか。日本美術を所蔵する海外の美術館の中でも指折りのコレクションを誇り、質的にも国宝級・重文級の優れた名宝を数多く所蔵しています。これらの日本美術は、明治時代に来日したアーネスト・フェノロサやウィリアム・スタージス・ビゲロー、また彼らと深い交流のあった岡倉天心らによって収集されてきました。その後、フェノロサはボストン美術館東洋部長に、ビゲローは同じく理事に就任し、海外に持ち出されたコレクションがボストン美術館に寄贈され、今に至っています。

会場は6つのテーマで構成されています。
第1章 仏のかたち 神のすがた
第2章 海を渡った二大絵巻
第3章 静寂と輝き-中世水墨画と初期狩野派
第4章 華ひらく近世絵画
第5章 奇才 曽我蕭白
第6章 アメリカ人を魅了した日本のわざ-刀剣と染織


狩野芳崖「江流百里図」
明治18年(1885年)頃 ボストン美術館蔵

入口を入ったスペースは「プロローグ」として、ビゲローの肖像画や、フェノロサや岡倉天心らとも親交のあった狩野芳崖や橋本雅邦の作品が展示されていました。特に芳崖の「江流百里図」は伝統的な山水画でありながら、西洋の遠近法を取り入れるなど、近代日本画の父・芳崖らしい巧緻さが秀逸です。つづく広間には第1章「仏のかたち 神のすがた」として、平安・鎌倉時代の仏画が並んでいます。一部遜色や傷みの激しいものもありますが、千年の時を超えた仏画の素晴らしさに目を奪われます。

「法華堂根本曼荼羅図」
奈良時代・8世紀 ボストン美術館蔵

この広間の一番奥に展示されているのが「法華堂根本曼荼羅図」(釈迦霊鷲山説法図)。天平時代の曼荼羅図で、東大寺法華堂に伝わったものとされています。国宝級・重文級の作品が目白押しの今回の展覧会の中でも、この「法華堂根本曼荼羅図」はその白眉といって過言ではないでしょう。天平仏画は薬師寺の国宝「吉祥天図」が有名ですが、この時代の仏画で現存するものは極めて少なく、日本にあったならば国宝間違いなしの至宝中の至宝です。

快慶「弥勒菩薩立像」
鎌倉時代・文治5年(1189年) ボストン美術館蔵

快慶作のこの仏像は、快慶の若いころの作品だそうですが、快慶らしい均整のとれた優美な姿で、表情も柔らかく、非常に美しい仏様でした。なお、本展には仏像4躯が展示されていますが、仏像は東京会場・大阪会場のみの展示となります。

「吉備大臣入唐絵巻」(部分)
平安時代・12世紀後半 アメリカ・ボストン美術館蔵

第2章は絵巻のコーナー。ボストン美術館が所蔵する二大絵巻、「吉備大臣入唐絵巻」と「平治物語絵巻(三条殿夜討巻)」が全巻展示されています。「吉備大臣入唐絵巻」は4巻からなり、全長24.5m。唐に渡った吉備大臣が、唐の朝廷から出された多くの難問を、阿倍仲麻呂の霊の助けを受けて解いたという説話をユーモラスに描いています。 絵巻は平台に展示されていますが、壁にはその複製が貼られていて、物語を知らなくても楽しめるように各場面ごとに分かりやすい解説がついています。

「平治物語絵巻 三条殿夜討巻」(部分)
鎌倉時代・13世紀後半 ボストン美術館蔵

平清盛と源義朝の勢力争いに後白河院の近臣らの争いがからんだ平治の乱を絵画化した「平治物語絵巻」は、もとは15巻近い大作であったと考えられていますが、現存するのは3巻のみ(ほかに色紙状に切断された数葉と別の2巻分の模本があるそうです)で、その内の1巻がボストン美術館の所蔵となっています。この「三条殿夜討巻」は横7mほどの絵巻で、源氏方の藤原信頼が後白河上皇の御所を襲撃し、上皇を軟禁したクーデターを描いたもの。逃げ惑う人々や駆け抜ける牛車、炎上する三条殿など、臨場感に溢れ、ドラマ性の高い描写が目を惹きます。

なお、ボストン美術館展の開催に合わせ、「平治物語絵巻」の残りの2巻が公開されます。相互割引制度もあるそうなので、鑑賞券は捨てずにとっておきましょう。詳しくはこちら
  • 「信西巻」(重要文化財):静嘉堂文庫美術館にて(4/14~5/20)
  • 「六波羅行幸巻」(国宝):東京国立博物館本館にて(4/17~5/27)

伝狩野元信「韃靼人狩猟図」
室町時代・16世紀前半 ボストン美術館蔵

第一会場の最後は、室町時代を中心とした山水画と初期狩野派の作品を展示しています。特に初期狩野派は充実していて、第3章の半分は狩野派の作品で占められています。狩野派発展の礎を築いた狩野元信はもちろん、元信の弟・雅楽助、元信の三男・松栄の作品など逸品揃い。中でも、狩野派による金碧画の現存最古の遺品という元信の「金山寺図扇面」は見ものです。

伝狩野雅楽助「松に麝香猫図屏風」
室町時代・16世紀中頃 ボストン美術館蔵

第二会場の最初のコーナーは、なぜかいきなり第6章の「アメリカ人を魅了した日本のわざ-刀剣と染織」。ボストン美術館には工芸品も多く収蔵されていますが、今回はその中から刀剣と染織に絞って展示しています。とりわけ、染織は200~300年も前のものにもかかわらず、どれも保存状態がよく、また美しく、今でも袖を通せるのではないかと思うほど。ちなみに、第6章の展示は東京会場のみとなっています。

長谷川等伯「龍虎図屏風」
江戸時代・慶長11年(1606年) ボストン美術館蔵

第6章の次は、第4章の「近世絵画」。コーナーに入ると、いきなり目の前に等伯最晩年の傑作「龍虎図屏風」が。暗雲の中から現れる龍と悠然と立ち向かう虎。龍虎図本来の獰猛さといい、その不気味さ、神秘性といい、大気を表す微妙な墨調の素晴らしさといい、思わず震えがきます。

尾形光琳「松島図屏風」
江戸時代・18世紀前半 ボストン美術館蔵

俵屋宗達の傑作「松島図屏風」(フリーア美術館蔵)を模した光琳の代表作「松島図屏風」をはじめ、狩野永徳に狩野山雪、狩野探幽、土佐光起、そして伊藤若冲と錚々たる面々の作品が並ぶこの贅沢さ。狩野派、長谷川派、土佐派、雲谷派、琳派と安土桃山から江戸時代にかけての近世絵画がバランスよくチョイスされています。ただ残念なのは、スペースが限られているため、ボストン美術館のコレクションのいいとこどりといいますか、ほんのさわりの展示でしかないんだろうなということ。ボストン美術館のコレクションはこんなものではないでしょうから、この近世絵画だけをテーマにした展覧会をやっても、相当すごいことになるんだろうと思います。

 曽我蕭白「龐居士・霊昭女図屏風(見立久米仙人)」
江戸時代・宝暦9年(1759年) ボストン美術館蔵

最後のコーナーは曽我蕭白。ボストン美術館には蕭白の作品(流派も含め)が41点あるそうで、その内の11点が里帰りをしています。蕭白の制作時期を確定できる最古の作品という「龐居士・霊昭女図屏風」(久米仙人図屏風)や蕭白の最高傑作との呼び声も高い「商山四皓図屏風」など、蕭白の奇才ぶりが存分に堪能できます。近年、日本でも蕭白の再評価、人気は高いものがありますが、かつては二流扱いをされていた蕭白に目をつけ、これだけの優れたコレクションを築き上げたボストン美術館の先見の明には驚かされます。

曽我蕭白「雲龍図」(部分)
江戸時代・宝暦13年(1763年) ボストン美術館蔵

蕭白のコーナーで一番の見ものは、やはり代表作の「雲龍図」でしょう。襖から剥がされた状態で保管されていて状態が悪かったため、かつては門外不出とさえいわれたものを修復し、本展が修復後初公開となります。襖8面、横10mを超える大作で、想像以上に大きくてビックリします。右4面と左4面の絵がつながらず不自然なのは、この間が欠落しているからで、胴体部にあと4面あったと考えられています。先の等伯の「龍虎図」の龍とは対照的なユーモラスな、まるでマンガのような龍に釘付けになること必至です。

曽我蕭白「風仙図屏風」
江戸時代・18世紀後半 ボストン美術館蔵

それにしてもまぁ、これだけ国宝級・重文級の至宝の数々をみすみす海外に流出させてしまったことか。臍を噛む思いでこの展覧会を観ていたのは私だけではないはずです。ただ、フェノロサとビゲローの収集したものが散らばることなく、ボストン美術館所蔵品として今も大切に保存されているのは幸せなこと。わざわざボストン美術館に行っても、これだけの作品が一度に展示されることはないので、この機会を逃すと、多くの作品はもう観られないかもしれません。本展は一年をかけて国内を巡回しますので、この機会に足を運んでみてはいかがでしょうか。


【特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝】
東京国立博物館にて
2012年6月10日(日)まで
(東京会場は期間中、展示替えはありません)

※※巡回予定※※
名古屋ボストン美術館 前期:2012年6月23日~9月17日/後期:2012年9月29日~12月9日
九州国立博物館 2013年1月1日~3月17日
大阪市立美術館 2013年4月2日~6月16日


もっと知りたい曾我蕭白―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたい曾我蕭白―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

2012/03/23

サド侯爵夫人

世田谷パブリックシアターで『サド侯爵夫人』を観てきました。

原作は三島由紀夫。演出は狂言師で、俳優としての舞台歴も多い野村萬斎。サド侯爵夫人ルネに蒼井優、その母モントルイユ夫人に白石加代子、サン・フォン伯爵夫人に麻実れい、ルネの妹アンヌに美波、シミアーヌ男爵夫人に神野三鈴、家政婦に町田マリーととても豪華。

舞台はパリのモントルイユ夫人邸。夫サド侯爵にどこまでも貞節を貫こうとする妻ルネと執拗に別れを迫る母モントルイユ夫人の二人の痛烈な対立を、1772年、1778年、1790年の歳月に分けて描きます。

女優陣は魅力的だし、演出が野村萬斎、それに三島の戯曲ということで、非常に楽しみにしていた舞台でした。ただ、先に観た人の感想や劇評を聞いたり読んだりする限り、評判があまり芳しくない様子。ちょっと不安な気持ちを抱えながら三軒茶屋へ向かいました。その日はちょうど千秋楽だったので、舞台は完成され、落日の緊張と興奮で、さぞや役者さんたちも素晴らしい演技を見せてくれるだろうと期待して。

舞台はシンプル。円形の木目の床があり、まわりを中世の城の丸い塔を思わせる石造りの壁が囲っています。

一幕目の前半は麻実れい演じるサン・フォン伯爵夫人と神野三鈴演じるシミアーヌ男爵夫人の二人のやり取りが続きますが、悪と善(偽善)を対照的にあぶり出し、芝居の導入部としては非常に面白く拝見しました。特に「サドとは私なのです」と自身をサド侯爵と重ね合わせ、悪徳を讃える麻実れいがさすがの貫禄で、とても様になっていて、ただただカッコいい。

そこに白石加代子演じるモントルイユ夫人、そして蒼井優演じるルネが登場します。期待を裏切らない怪演を見せる白石加代子、ベテラン女優の中で奮闘する蒼井優…。『サド侯爵夫人』の、その重厚で、流麗で、修辞的で、そして膨大な台詞は、考えるまでもなく役者さん泣かせだと思います。この饒舌な台詞と格闘し、言葉を乗りこなさなければならないのだから大変です。出演者たちはそんな困難な作業に立ち向かい、それぞれ自分の言葉として発し、努力したあとが伝わってくるような熱さを舞台からは感じました。

決して悪くはないのです。ただ、全体のトーンがまとまってない気がしてなりませんでした。カラーの違う役者さんの演技のぶつかり合いが舞台の魅力ですが、どうもそれがうまく噛み合っていない。それぞれ演じ手の持ち味はよく出ていたと思うのですが、それがアンサンブルを奏でるまでになっていないのです。役者のトーンがバラバラなので統一感に欠けた印象を受けました。

それを演出の問題というのは酷かもしれませんが、過剰な白石加代子の演技が生かされず、逆に一人だけ浮いてしまい、悪く言えば舞台を壊しているようにさえ感じました。ルネを演じるのに申し分ないと思われる蒼井優という存在も、彼女の中に秘めるエロスの部分というか、背徳的な部分を引き出せないため、実は夫の生贄にさえなっていたルネの告白が重みのあるものとして伝わってきませんでした。

また、白石加代子と麻美れいという個性的で圧倒的な女優の前で、若手の女優たちがその存在感をアピールできたかというと、それはNOに近かったように思います。折角美しい音色を奏でても、コントロールを失ったオーケストラの中ではインパクトのある楽器の響きに掻き消されてしまいます。

“言葉による緊縛”と野村が語るように、演じる者だけでなく観る者も、責め苦のように延々と続く饒舌な会話劇の中に身を投じ、圧倒的な台詞の虜となり、そこに身を委ねなければなりません。その緊縛を快楽と感じるか苦痛と感じるか。残念ながら今回の舞台は、快楽となるまでにはいかなかったような気がします。


サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫)サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫)

2012/03/17

松井冬子展

横浜美術館で開催中の『松井冬子展』に行ってきました。

若手気鋭の日本画家、松井冬子の初の大規模個展です。内臓をむき出しにした女性や幽霊画など、独特の美意識で注目を集め、昨年末には紅白歌合戦で審査員を務めるなどお茶の間にも進出(?)しつつある彼女のデッサンや下絵を含む約100点の作品が集まっています。

ここ4、5年でしょうか、新進の女流日本画家として雑誌やテレビ等で取り上げられる機会が多く、それで自分も知ったわけですが、彼女の経歴を見ると、東京藝術大学大学院を出たのもまだ5年前のことで、プロとしての活動も10年に満たないのですね。藝大の受験に失敗し、別の美大に進んで絵画(油彩画)を学び、一般企業に就職し、その間も毎年藝大に挑戦し続け、24歳のときに東京藝術大学に入学。その後そのまま大学院に進み、博士号まで取得するわけですが、そこまでして日本画の世界で確かなものを掴もうとしていたことは知らなかったので少し驚きました。

会場入口のスペースでは、松井冬子が初めて取り組んだ≪侵入された思考の再生≫という約3分ほどの映像作品が流れています。この映像作品の音楽は会場のどこからも聴こえ、松井冬子展の一種の聴覚的効果を上げていました。

会場は9つのテーマで構成されています。
第1章 受動と自殺
第2章 幽霊
第3章 世界中の子と友達になれる
第4章 部位
第5章 腑分
第6章 鏡面
第7章 九相図
第8章 ナルシズム
第9章 彼方

いきなり「受動と自殺」というショッキングなテーマから始まりますが、これはまだ序の口。冬子ワールドに慣れさせるための導入部といいますか…。

「盲犬図」 2005年
個人蔵

「盲犬図」は、一見おとなしそうな犬の絵ですが、変わった首輪をしていて、爪は伸び、尻尾の毛が異様に長いのに気づきます。この犬は盲目で、走ることをやめ、現実から離脱しています。全てを失い、全てを諦めているのに、目はまっすぐ前を見据え、どこか生への執着を感じるような不思議な絵です。彼女の作品には恐怖や狂気、痛みが美しさと表裏一体のものとして描かれます。

「優しくされているという証拠をなるべく長時間にわたって要求する」 2004年
作家蔵

松井冬子の作品は、女性特有の感性からなるものが多分にあって、男性の理解を超えているというか、男性が易々と近寄ってはならないような、そんな雰囲気さえ漂っています。これは展覧会に行く前から分かっていたことですが、見てはいけない女性のジェンダーな部分を見てしまった場違いな気分というか、「お前は子宮を持ってないだろ」とドヤ顔で言われたような疎外感というか、いたたまれないぐらいの感覚に陥ります。男性にはただのグロテスクで気味の悪い絵にしか見えなくても、彼女の作品に共感する女性が多いのがそれを物語ってているような気がします。

「夜盲症」 2005年
個人蔵

「夜盲症」は松井冬子の作品の中でも最もメジャーな作品の一つ。乱れた長い黒髪、白い経衣、足のない女性…。古典的な幽霊画でありながら、羽をむしり取られた鳥を掴む異様な姿が一際目を惹きます。「心理的な外傷にさらされた場合、心は重力に引っ張られるように落ち、這い上がれない。幽霊の浮遊がただふわふわしたものではなく、情念を伴った重力感のある浮遊であることが、この上なく魅力的な素材」なのだそうです。

「世界中の子と友達になれる」 2002年
作家蔵(横浜美術館寄託)

世界中の子と友達になれる、なんて平和的なメッセージだろうと思ったら、反語なんですね(笑)。子どもの頃は誰とでも友達になれ、このまま世界中の子と友達になれるのではないだろうかと思っていたのが、大人になってそれが絶対的に不可能な狂気にも近い妄想だということに気付かされたという自身の体験に基づくものだとか。自らのリアリティにどこまでも、どんな場合でも忠実であること、それが彼女の原動力なのかもしれません。

「この疾患を治癒させるために破壊する」 2004年
成山画廊蔵

千鳥ヶ淵に映る桜の絵が、なぜ「この疾患を治癒させるために破壊する」なのか分からないのですが(彼女の作品名はときどき意味不明で、自らの手による作品解説がまた難解)、美しい満開の桜の絵も、松井冬子が描くとただならぬ狂気を孕んでいるような気がします。桜の美しさも、水面に反射する桜の景色も、真ん中にぽっかりと空いた暗闇も、どこか精神的、肉体的な響きをもって観るものに訴えてくるようです。

「浄相の持続」 2004年
財団法人平野美術館寄託

「身体も感覚も私自身のものとして実感し共有できる女(雌)しか描かない」と松井はいいます。子宮を持っているという優位性を誇示するような女性の絶対的リアリティが、彼女の絵の根底にはある気がします。

「陰刻された四肢の祭壇」 2007年
東京藝術大学蔵

自身の内なる臓器を豪奢なドレスのように引きずりながら歩く女性。彼女の顔は微笑んでいますが、とても微笑んで観る気になれない、観ることさえ痛みを伴うような絵です。松井冬子を語るときに引き合いに出される女性性だとか痛み(傷)だとか、そういうことは男性には分からない部分が多いのですが、あまりにそれらが過剰だと、正直ちょっと引いてしまうところがあります。

 「喪の寄り道」 2010年
作家蔵

最後のコーナーは近年の作品を中心に展示されていましたが、震災後に描いたという「生まれる」と「陸前高田の一本松」はようやく重いものから解放され、救われるような気持ちになる作品でした。今後の松井冬子の活躍に期待したいと思います。


【松井冬子展 世界中の子と友達になれる】
横浜美術館にて
2012年3月18日(日)まで


美術手帖 2012年 02月号美術手帖 2012年 02月号

2012/03/14

ジャクソン・ポロック展

東京国立近代美術館で開催中の『ジャクソン・ポロック展』に行ってきました。

今年で生誕100年になるという、アメリカの抽象絵画を代表するポロックの日本初の回顧展です。

ポロックは、アメリカのモダンアートは言うに及ばず、20世紀美術における最重要の画家の一人。アメリカでは1940年代に入ると抽象表現主義が隆盛し、その後のポップアートやミニマルアート、ネオダダへと繋がっていくわけですが、ポロックは、ウイレム・デ・クーニング、アーシル・ゴーキー、マーク・ロスコ、バーネット・ニューマン、クリフォード・スティルらとともにその抽象表現主義の第一世代と呼ばれ、まずその筆頭に名前の上がる画家です。

さて、本展は約60点のポロックの作品を年代ごとに4つのパートに分け、構成されています。

Chapter1 1930-1941年 初期 自己を探し求めて
Chapter2 1942-1946年 形成期 モダンアートへの参入
Chapter3 1947-1950年 成熟期 革新の時
Chapter4 1951-1956年 後期・晩期 苦悩の中で

「誕生」 1941年頃
テートギャラリー(英)所蔵

ポロックは1912年、アメリカ、ワイオミング州の生まれ。子どもの頃は西部各地を転々とし、18歳のとき芸術家を志してニューヨークにやってきます。初期の作品にはそうした家庭環境や彼の不安定な精神状態を反映したような作品も見受けられます。この頃は、アルバート・ピンカム・ライダーといった象徴主義や1930年代アメリカで人気を集めていたリージョナリズムの流れを汲んだ作品を手掛ける一方、ピカソのキュービズム、リベラやオロスコといったメキシコ壁画運動、またネイティブ・アメリカン・アートに大きな影響を受けたといいます。この「誕生」はそうした強い影響のもとで制作された一枚で、ポロックの転換点となる作品として評価されているそうです。

「ポーリングのある構成II」 1943年
ハーシュホーン美術館蔵

ミロを思わせるような作品も展示されていましたが、この頃のポロックはピカソへの関心が非常に高く、ライバル視していたようです。やがて、ポロックのトレードマークとなる、床に広げたキャンバスに流動性の塗料を流し込む“ポーリング”(流し込み)という技法を用いはじめ、徐々に注目を集めるようになります。

 「トーテム・レッスン2」 1945年
オーストラリア国立美術館蔵

1940年代後半から1950年頃がポロックの絶頂期といわれています。1947年頃からポロックは“オールオーヴァーのポード絵画”に着手します。オールオーヴァーとは、画面を同じようなパターンで埋め尽くし、平面性を重視する構造の絵画作品で、オールオーヴァーの構成とポーリングの技法を融合させることで、ポロックは抽象表現主義の一つの頂点に達成します。

「ナンバー11, 1949」 1949年
インディアナ大学美術館蔵

会場の途中では、ポロックの制作風景をとらえた映像が流されています。10年ぐらい前に俳優のエド・ハリスが製作・監督・主演を務めた『ポロック 2人だけのアトリエ』という映画がありまして、映画でもエド・ハリスの演じるポロックがポーリングするシーンがあるのですが、それとそっくりだったのには驚きました。もちろん本家はこちらの本人なのですが、エド・ハリスは映画化を決めてから約10年に渡り実際に絵の勉強をしたといいますから、こうした映像を観て、相当熱心に研究をしたんだろうなとあらためて感心しました。

「ナンバー7, 1950」 1950年
ニューヨーク近代美術館蔵

ポーリングやドリッピング(滴らし)という手法は、無秩序に、いわば偶然性を利用して絵具をキャンバス上に流し込んだり、撒き散らしたりするんだろうとばかり思っていたのですが、ポロックの制作風景の映像を観ると、それは非常に緻密にコントロールされたものであることが分かります。ポロックの映像を観たあと彼の絵を観ると、その線や点が筆の軌跡となってリアルに伝わってくるような錯覚にとらわれます。それはまるで脳の中の無数のシナプスから発せられる信号のようで、自分の脳がポロックの絵とシンクロしているような奇妙な感覚に陥りました。

「インディアンレッドの地の壁画」 1950年
テヘラン現代美術館蔵

本展の一番の目玉が、この「インディアンレッドの地の壁画」。アメリカの美術評論家ウィリアム・ルービンが所有していたものを、76年にイランのパーレビ王妃が購入。その後、テヘラン現代美術館の所蔵作品となるものの、32年前にイラン革命が起きてからイラン国外に出たことのないという、“門外”不出の作品です。保険評価額が200億円だそうで、ポロックの作品中、最上級の1点といわれています。

【参考】  「ナンバー5, 1948」 1948年
(※この作品は本展には出展されていません)

ポロックの作品では、2006年に「ナンバー5, 1948」が絵画取引史上最高の1億4000万ドル(当時のレートで約165億円)で落札されたことが話題になりました(その後、この記録はピカソの作品に塗り替えられます)。もし、この「インディアンレッドの地の壁画」が市場に出たら、さらにその上を行くかもしれないのです。あくまでも“かも”の話ですが。その「インディアンレッドの地の壁画」は183cm×244cmと今回出展されている作品の中でもとりわけ大きく、その大きな画面から放たれる力強さ、エネルギーにはただただ圧倒されます。無秩序で雑多な線と色の組み合わせも、計算され、制御された偶然性の集まりだと思うと、そのダイナミックさも非常に繊細なものに見えてきます。 

「カット・アウト」 1948-58年
大原美術館蔵

この「カットアウト」は、ポロックの死後もアトリエに残されていた作品を、妻のリー・クラズナーが彼の別の作品を裏に貼り付けて完成させたものだそうです。ちなみに、ポロックの妻リー・クラズナーも画家で、上述した映画『ポロック 2人だけのアトリエ』は、ポロックと彼女の夫婦愛の物語として描かれています。

「ナンバー11, 1951」 1951年
ダロス・コレクション(スイス)蔵

1951年、ポロックは方向転換し、黒一色のブラック・ポーリングと呼ばれるシリーズに取り組みます。ただ、ブラック・ポーリングは評判が悪く、ポロックの凋落などと評されたりします。「黒と白の連続」といった個人的には非常に好みの作品もあったのですが、それまでの絶頂期の作品に比べると、確かに面白みに欠けるものが多いようです。このブラック・ポーリングは長く続かず、複数の色彩を取り入れた作品を再び発表しています。

「緑、黒、黄褐色のコンポジション」 1951年
DIC川村記念美術館蔵

ポロックは10代から飲酒癖があり、アルコール依存症を治すため精神科に通うなどしていて、しばしば精神状態が不安定な時期もあったようです。映画でもそのようなシーンがたびたび登場し、特に晩年はポロックを苦しませます。ブラック・ポーリングの出現もアルコール中毒による精神不安に起因しているのではないかともいわれています。そして1956年、ポロックは飲酒運転による自動車事故で44歳の若さで亡くなります。


会場を出たスペースに、ポロックのアトリエを再現したコーナーが設けられています。床一面が絵具で汚れ、会場の途中で観たポロックのオールオーヴァーの制作風景が甦ります。出展数は約60点とちょっと少ない気もしましたが、初期から晩年まで網羅なく取り上げ、まだ話題作、代表作も多く、非常に充実した良い展覧会でした。


【生誕100年 ジャクソン・ポロック展】
2012年5月6日(日)まで
東京国立近代美術館にて


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2012/03/10

中村正義展

練馬区立美術館で開催中の『中村正義展』に行ってきました。

それにしても練馬区美術館は意欲的な好企画が続きますね。しかも、これだけしっかりとした展覧会にもかかわらず、500円という破格の安さだし、公共の美術館とはいえ太っ腹だと思います。

さて、現在開催中の『中村正義展』は、昨年末に名古屋市美術館で開かれた同展覧会の巡回展になります。中村正義のここまでまとまった回顧展は約14年ぶりとのこと。何度も繰り返いしてしつこいようですが、230点以上の作品のうち練馬に来てないのは5作品だけ(たぶん)なのに、観覧料が名古屋は1100円、練馬は500円。ミューぽん使ったら400円。これは見ずにはいられないのではないでしょうか?

中村正義は1924年、愛知県豊橋市出身で、戦後まもなく中村岳陵の門下に入ります。同年、第2回日展に初入選、翌年には院展にも初入選を果たし、早くからその才能は高く評価されます。36歳のときに最年少で日展の審査員に選ばれますが、古い因習に縛られた日展の体質に嫌気がさし、翌年には日展を脱退。その後は日本画壇とは距離を置き、映画や演劇の美術製作や社会問題を作品に取り上げるなど、意欲的な活動を続けますが、1976年に肺がんのため52歳でこの世を去ります。

中村正義「夕陽」 (1949年)
豊橋市民病院蔵

この人の面白いというか、凄いところは、そうした反骨精神もそうですが、画風がコロコロと変わり、高山辰雄や中村岳陵のような日本画だったり、時にモディリアーニ風だったり、いきなり蛍光色も鮮やかなポップアートだったり、日本画とは似ても似つかないアヴァンギャルドだったり、またリアリズムに回帰したり、蕭白ぽくなったりと、日本画の概念を突き抜けて自由に変貌するその柔軟さとエネルギーなのです。

中村正義「空華」 (1951年)
豊橋市美術博物館蔵

展示は基本的に年代順になっていて、順番に観ていくと、中村正義の描く絵の変化の過程がつぶさに分かってきます。初期の作品は、中村が“速水御舟の再来”と注目を浴びたように、また中村岳陵に師事していたことからも、伝統的な日本画を踏襲していたことがよく分かります。よく言えば、手堅い、悪く言えば、おとなしい。何か大きな特徴があるわけでもなく、技巧に富んでるわけでもなく、真面目な日本画です。もしかすると、いつからか、そうした日本画への従順さに対して何か燻ぶるものがあったのかもしれません。この「空華」は、そうした燻ぶりの中で何とか自分らしさを出そうともがいてる頃の作品なんじゃないかと思います。

中村正義「舞妓(白い舞妓)」 (1958年)
荒井神社蔵

突然、その日本画への従順さがはじけるように壊れます。一見、美しい舞妓の絵のように見えますが、よく見ると目が宇宙人のように赤く不気味に光っています。本作は当時毎年発表していた“舞妓三部作”(1957-1959年)の一作で、その作風は年を追うごとに、まるで舞妓の内面を少しずつ裸にしていくかのように変化を遂げています(“舞妓三部作”の内、「舞妓(黒い舞妓)」(1959年)のみ3/11(日)までの展示です) 。この頃、肺結核が悪化し、入退院を繰り返し、中村正義の画風も内省的なものになっていったようです。この“舞妓三部作”の発表と同時期に彼は日展を脱退し、師である中村岳陵とも決別します。この頃を境に、中村の伝統的な日本画の破壊と新しい日本画への挑戦が始まるのです。中村の変容性は加速し、それまでの画風を否定するかのような色や斬新な表現を求めていきます。

中村正義「舞妓」 (1962年)
豊橋市美術博物館蔵

もうここまで来ると、日本髪と着物を着た女性らしき姿を除けば舞妓か何か分からないというか、最早日本画と呼んでいいものか考え込んでしまいます。この頃の中村は、絵具に膠の代わりにボンドを使ったり、蛍光塗料を混ぜたりと実にチャレンジングだったようです。

中村正義「源平海戦絵巻 第3図 玉楼炎上」 (1964年)
東京国立近代美術館蔵

1964年には小林正樹監督の傑作『怪談』で使用する絵を手がけています。『怪談』は小泉八雲の原作を基にした4話のオムニバス映画ですが、その中の「耳無芳一」の話で効果的に使用されました。中村の作品は全5作からなり、今は国立近代美術館の所蔵で、代表作の一つに数え上げられています。どの作品も非常に手の込んだ細密な作品で、山口晃や池田学の緻密さをどことなく彷彿とさせます。

中村正義「三島由紀夫」 (1968年)
愛知県美術館蔵

1968年にはアメリカに渡り、全盛期のポップアートに直接触れてきたようです。この人は感化されやすいのか、この作品もいかにもウォーホール的で、その影響の大きさが窺い知れます。そうした現代アートの息づかいを躊躇することなく吸収し、それを日本画の新しい血肉にしようとした貪欲さは凄いと思います。

中村正義「樹間」 (1969年)

1970年前後を境に、一時期のサイケデリックなケバケバしさは鳴りを潜め、若い頃の画風を思い起こさせるような作品を発表するようになります。この頃から仏画も制作するなど、さらに新しい境地を切り開いていったようです。

中村正義「ピエロ」 (1975年)
神奈川県立近代美術館蔵

ほぼ同世代の日本画家に加山又造がいますが、自分は3年前の加山又造展の際に中村正義の名前を知り、そのまるでポップアートのような日本画に衝撃を受けました。でもその時知った作品はごくごく一部で、こうして彼の人生の経過とともに作品を観ていくと、非常に奔放で、エネルギッシュで、破壊的で、常に日本画の可能性を追求し続けていた人なんだなと思います。加山又造、田中一村、そして中村正義と近頃昭和の日本画家の回顧、再評価が相次いでいますが、こういう人たちがいて、現代日本画に繋がっているのだなと考えると、これを見ずしてどうすると思いたくなる展覧会でした。


【日本画壇の風雲児、中村正義-新たなる全貌】
2012年4月1日(日)まで
練馬区立美術館にて

2012/03/06

ルドンとその周辺-夢見る世紀末

丸の内の三菱一号館美術館で開催(会期終了)の『ルドンとその周辺-夢見る世紀末』展を最終日に駆け込みで拝見してきました。

開催前からティザーサイトのケバケバしさがちょっとした話題になっていたルドン展ですが、展覧会は至ってフツー。ルドンを知るにはちょうどよい内容になっていたと思います。

ルドンというと、一般的にはどんなイメージなのでしょうか?
自分なんかは、数年前のBunkamuraの『ルドンの黒』展で不気味な目玉やクモなどのその“黒い世界”に度肝を抜かれたというか、魅了された方なので、黒のルドンの魑魅魍魎とした世界が好きなのですが、印象派から入った人は、恐らくナビ派の夢幻的でカラフルな色彩の世界のイメージが強いのかもしれません。

今回のルドン展は、世界有数のコレクションを誇る岐阜県美術館の所蔵品と、三菱一号館美術館が先ごろ購入した「グラン・ブーケ(大きな花束)」からなる展覧会です。“黒のルドン”、“色彩のルドン”を合わせ、ルドンだけで約90点、周辺の画家の作品を含めると約140点と充実したものになっています。

「Ⅸ.悲しき上昇」(『夢のなかで』) 1879年
岐阜県美術館蔵

まず最初のコーナーは<ルドンの黒>。オディロン・ルドン(1840-1916)は、エッチングとリトグラフを学び、1879年に版画集『夢のなかで』を出版します。このとき既に39歳。遅咲きのデビューです。ただ、この版画集はわずか25部しか刷られなかったそうで、一般には出回らなかったようです。

この頃のルドンは、木炭画や黒鉛を使った作品やモノクロのリトグラフ作品を発表していますが、それらはどれも悪夢に出てくるような不気味で奇々怪々な世界。虚弱体質で引っ込み思案で、孤独な日々を送っていたルドンの心の内が透けて見えてくるようです。

「Ⅰ.眼は奇妙な気球のように無限に向かう」(『エドガー・ポーに』) 1882年
岐阜県美術館蔵

ルドンの作品には“目”をモチーフにした作品がよくあります。また、その“目”は“気球”に結びつけれられることがあります。“目(=気球)”の視線は、彼の孤独や不安といった精神的な内面に向けられているともいわれています。やがて、ルドン独特の神秘的で夢想性に溢れた幻惑的な絵画表現は、当時隆盛を誇った象徴主義の文学者や若い世代の画家たちから注目を集めるようになったようです。

「Ⅱ.沼の花、悲しげな人間の顔」(『ゴヤ頌』) 1885年
岐阜県美術館蔵

次のコーナーは<色彩のルドン>。50代になると、突然ルドンの絵から暗闇が消え、光溢れ、温もりに満ちたものになります。木炭はパステルになり、単色の世界は色彩豊かな世界へ変化していきます。1889年に次男(長男はその3年前に生後6ヶ月で死亡)が生まれたことが決定的な変化をもたらせたといわれています。家庭を持ち、子どもが生まれ、生活が次第に幸せに満ちたものになってきたことで、彼の精神的な安定につながり、それが絵を劇的に変化させていったのでしょう。

「眼をとじて」 1900年以降
岐阜県美術館蔵

ルドンは目を閉じた女性をモチーフにした作品を何枚も作成しています。2010年に日本でも公開されたオルセー美術館所蔵の「目を閉じて(閉じられた目、瞑目)」(1890年)はその代表的な一枚で、フランス国家が買い上げたもの。まだこの頃は色の使い方も控えめでしたが、10年以上経て制作された本作は色彩も増え、花を描きこんだり、線の描き方、筆の使い方、構図にも大きな変化が見られます。本作は、オルセー美術館所蔵作同様、油彩画ですが、この頃のルドンの絵は多くがパステル画で、油彩や水彩であってもパステル画のように描いたといわれています。

【参考】 「目を閉じて(閉じられた目、瞑目)」 1890年
オルセー美術館蔵
(※この作品は本展には出展されていません)

「グラン・ブーケ」は、小さな部屋に一点だけで飾られていました。「グラン・ブーケ」はルドンのパトロンだったロベール・ド・ドムシー男爵の依頼で描かれたもので、全16作からなる装飾壁画の内の一つとのことでした。他の15点は既に売却されたものの(現在はオルセー美術館所蔵)、この1点だけは男爵家の城館に残されたそうです。ドムシー男爵の「青色は使わないように」という注文に敢えてルドンは花瓶の色を青色を使ったといいますが、青色のパステルの美しさ、色とりどりに咲き乱れる花々、とても印象的な一枚です。

「グラン・ブーケ(大きな花束)」 1901年
三菱一号館美術館蔵

最後のコーナーは<ルドンの周辺-象徴主義者たち>。ルドンが師事したロドルフ・ブレスダンの版画作品をはじめ、ルドンに影響を与えたギュスターヴ・モロー、またルドンと同時代のポール・ゴーギャンやアンリ・ファンタン=ラトゥール、モーリス・ドニ、エドヴァルド・ムンクらの作品も展示されていました。

 「青い花瓶の花々」 1904年頃
岐阜県美術館蔵

こうして見ていくと、ルドンの絵は正にルドンの人生そのもの。50歳になって転機が訪れ、新しい人生が花開き、人生がバラ色に輝くように、彼の絵もバラ色になっていくなんて、素晴らしいなと思います。晩年のルドンは装飾画家としても成功を収めていますが、誰もあんな暗黒世界のような絵を書いていた青年が、将来美しいパステル画で名を馳せるなんて想像しなかったでしょう。人生何が起きるか分からないものです。


【ルドンとその周辺-夢見る世紀末】
2012年3月4日まで(終了)
三菱一号館美術館にて


もっと知りたいルドン―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたいルドン―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)









オディロン・ルドン―自作を語る画文集 夢のなかでオディロン・ルドン―自作を語る画文集 夢のなかで