2017/05/23

よみがえる画家-板倉鼎・須美子展

目黒区美術館で開催中の『よみがえる画家 板倉鼎・須美子展』を観てきました。

狂乱の時代のパリに生きた知られざる日本人画家、板倉鼎と須美子の画業を振りかえる展覧会です。2年前に松戸市立博物館で回顧展が開かれたとき、その評判の良さに気になっていたのですが、東京でも展覧会をやっていると聞き、早速伺ってきました。

板倉鼎は大正13年に東京美術学校を卒業し、パリへ留学。サロンに入選するなど将来を嘱望されるも、28歳の若さでパリで客死します。妻・須美子は鼎のモデルを務めるかたわら自らも絵筆を執るようになり、鼎とともに美術展に出品。鼎が亡くなったあと帰国しますが、後を追うように亡くなります。

これから日本に戻り、活躍の場を広げていこうという矢先に亡くなったこともあり、その名は知られることなく長く忘れられていたのですが、松戸市立博物館での回顧展をきっかけに注目を集めるようになったというわけです。

板倉鼎 「木影」
大正11年(1922) 松戸市教育委員会蔵

まずは板倉鼎の作品から。美校在学中に帝展に初入選にしたりしてるので、確かにそれなりに上手いのですが、特徴といったものはあまり感じられません。美校では岡田三郎助の指導を受けていたそうで、外光派風の表現が目に付きます。

作品としては風景画や静物画も多いのですが、身近にギターを弾く女性がいたのでしょうか、ギターを弾く女性を描いた人物画が複数ありました。柔らかな木漏れ日の中、ギターを演奏する2人の女性を描いた「木影」はちょっとルノワールを思わせる温かみがあります。片脚を椅子に掛けてマンドリンを練習する姿が印象的な「七月の夕」は黒田清輝や岡田三郎助などの流れにある作品だなということを感じます。

板倉鼎 「七月の夕」
大正13年(1924) 松戸市教育委員会蔵

板倉鼎が須美子と結婚したのは美校を卒業した翌年。このとき須美子はまだ17歳。会場には鼎の自画像も展示されていましたが、都会的なイケメンという感じです。結婚前の須美子が取り上げられた雑誌も展示されていて、こちらはオシャレ系女子という雰囲気。2人は当時最先端の“モブ・モガ”だったんだろうなと思います。

板倉鼎 「土に育つ」
大正15年(1926) 松戸市教育委員会蔵

2人は結婚後、ハワイとアメリカを経由してパリへ旅立ちます。パリに移ってからの鼎の作風はそれまでの写実的な描法からモダンなスタイルへがらりと変貌を遂げます。鼎が師事したロジェ・ビシエールという画家はよく知らないのですが、鼎の通ったアカデミー・ランソンはナビ派のポール・ランソンが設立した私塾で、モディリアーニや梅原龍三郎も通ったところなんですね。その後の鼎の作品を観ると、なるほどなと思うのですが、どういう経緯でアカデミー・ランソンに学んだのかは気になるところです。

板倉鼎 「金魚」
昭和3年(1928) 松戸市教育委員会蔵

パリ時代の鼎の作品で強く惹かれたのが静物画。1927年頃には既に平面的で、色面を強調した静物画が見られます。描かれているものは花だったり、果物だったり、カタツムリだったりあるのですが、圧倒的に多いのは金魚の水槽。ベランダに置かれたテーブルとテーブルの上の水槽、そして遠くには風景という構図がだいたいのパターンで、最初は変な絵だなと思って観てたのですが、不思議とその世界に惹き込まれていきました。

板倉鼎 「休む赤衣の女」
昭和4年(1929) 個人蔵

作品の中に、“乳白色”で描かれたものがあって、同じ時代にパリで脚光を浴びていた藤田嗣治を意識したんだろうかと思ったりもしました。「リラ、アネモネ等」や「巴里にて」、「休む赤衣の女」など、いくつかの作品からはキュビズムの影響も感じます。とりわけアンドレ・ロートやレンピッカといったソフト・キュビズムの洗礼をパリで受けたのかなという印象を受けました。鼎が師事したロジェ・ビシエールのことを調べると、ブラックの立体派の影響を受けたとあり、またロートに師事した黒田重太郎もビシエールに学んだいたことがあるようで、なるほどという感じがします。

板倉鼎 「黒椅子による女」
昭和3年(1928) 松戸市教育委員会蔵

会場の後半は妻・須美子をモデルにした鼎の作品と、須美子自身の作品が展示されています。やはり鼎らしさが一番出てくるのは須美子を描いた作品で、いろいろと挑戦しているなと感じる作品もあるのですが、「画家の像」などはとても素直に描いている気がして好感が持てます。デッサンも残されていて、一見バランスの悪そうに見える絵もデッサンでは構図を練っている様子が窺えます。

板倉鼎 「画家の像」
昭和3年(1928) 松戸市教育委員会蔵

須美子の作品は、ちょっとメルヘンチックで個人的に好みではありませんが、絵を描く愉しさが伝わってくるようです。作品はパリに来る前に滞在したハワイを描いたものがほとんどで、余程ハワイが居心地良くて、楽園みたいなイメージが強烈だったんだろうなと感じます。

板倉鼎・須美子「午後 ベル・ホノルル」
昭和2~3年(1927-28) 松戸市教育委員会蔵

会場の最後に二人のプライベートフィルムが上映されています。小さな赤ちゃんを抱いていたり幸せそうな2人の姿はとても微笑ましいのですが、2人の悲しい結末を知ってるだけに見ていて辛いものがあります。


【よみがえる画家-板倉鼎・須美子展】
2017年6月4日(日)
目黒区美術館にて


板倉鼎 その芸術と生涯板倉鼎 その芸術と生涯

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