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2015/02/01

パスキン展

パナソニック汐留ミュージアムで開催中の『生誕130年 パスキン展』のWEB内覧会に行ってきました。

エコール・ド・パリを代表する画家、ジュール・パスキン。繊細な輪郭線や、淡く真珠のように柔らかな色合いで描かれた女性や子どもの絵で人気を博し、時代の寵児として持て囃されたものの、その絶頂期に自ら命を絶ちます。

本展はパスキンの生誕130年を記念しての回顧展。日本では16年ぶりの展覧会だそうです。ポンピドゥー・センターやパリ市立近代美術館をはじめ、国内外の美術館から選りすぐりの作品が集められていて、またなかなか観られない個人蔵の作品も多く出品されていました。油彩画や素描など絵画作品約90点、挿絵本や書簡、写真などの資料が33点と充実した展示になっています。

当日は担当学芸員の宮内真理子さんとアートブロガーの『弐代目・青い日記帳』のTakさんのトークを伺いながら、作品を拝見しました。


1:ミュンヘンからパリへ<1903–1905>

エコール・ド・パリというと、祖国を離れ、貧しい生活を送る画家というイメージがありますが、パスキンはブルガリアの裕福な商人の家に生まれ、また早くから成功し、恵まれた生活を送っていたといいます。美術学校在学中の19歳で風刺雑誌と挿絵画家として専属契約を結ぶなど、パスキンには下積み生活がなかったというからスゴイ。

[写真左から] ジュール・パスキン 「室内」 1903年 個人蔵
ジュール・パスキン 「女の肖像」 1903年 個人蔵
ジュール・パスキン 「ミュンヘンの少女」 1903年 パリ市立近代美術館蔵

初期の展示作品はいずれも鉛筆や木炭によるデッサンですが、後年にも通じる細やかで的確な描線や繊細な表現力が見て取れます。パスキンは根っからの絵が好きな青年で、友だちと会話しながらもマンガを描くように絵を描いていたとか。そうした即興的な腕前は風刺画家として打ってつけだったのかもしれません。


2:パリ、モンパルナスとモンマルトル<1905–1914>

パスキンは油彩画家としての成功を夢見てパリに向かいます。パスキンは交友関係も広く、パリに着くや否や大勢の仲間に迎え入れられ、一躍人気者になったんだそうです。お金に困らず、女性に困らず、気前が良くて、イケメンで、友だちも多く、コネクションもある。そして絵の才能だってある。ちょっと嫉妬してしまいます。

ちなみにパリに出てくるまでは紆余曲折があり、結局は父に勘当される形で絵の道に進むのですが、本名を語ることも許されなかったそうです。パスキン(Pascin)という名前は本名の“ピンカス(Pincas)”のアナグラムなんですね。

[写真右から] ジュール・パスキン 「座るイタリア娘」 1912年 パリ市立近代美術館蔵
ジュール・パスキン 「女学生」 1908年 北海道立近代美術館蔵
ジュール・パスキン 「エミーヌ・ダヴィッドの肖像」 1908年 グルノーブル美術館蔵

ここでは第一次世界大戦前のパリ時代の作品を展示。油彩の研鑽を積んでいる時期ということもあるのか、後年の作品に比べて、オーソドックスというか、まだぎこちなさの残るところもあります。油絵はほぼ独学で、1920年代まで実際には作品を発表しなかったそうです。作風的にはフォーヴィスムやドイツ表現主義など時代の影響を感じさせます。


3:アメリカ<1914/15–1920>

第一次世界大戦が勃発すると、祖国ブルガリアからの徴兵と、ユダヤ人という出自もあり、逃れるように渡米。冬は寒さ厳しいニューヨークから離れ、アメリカ南部やカリブ海の島で制作活動に励んだといいます。

[写真左] ジュール・パスキン 「キューバでの集い」
1915/17年 個人蔵

まだどこか迷いを感じさせるパリ時代の作品に比べ、温暖な気候がそうさせるのか、アメリカ時代の作品は柔らかな線描や温かで豊かな色彩に溢れています。「キューバでの集い」にもパスキンらしい色彩が現れていて、キューバののんびりとした空気と明るい音楽が聴こえてきそうです。


4:狂騒の時代<1920–1930>

6年ぶりに戻ったパリは終戦の開放感から人々の気分が高揚し、自由で享楽的な空気に満ちていました。パスキンが描く対象は女性や少女、また裸体に限られ、色彩のトーンも落ち着いた淡い茶系から、いわゆる真珠母色に統一されていきます。そこはかとなく漂う狂乱の時代のパリの香り。どれもみな享楽的で女性への愛に満ちています。

[写真左から] ジュール・パスキン 「ジャネット」
1923/25年 カンブレ―美術館蔵(ルーベ市立美術館に寄託)
ジュール・パスキン 「二人のモデル」 1924年 北海道立近代美術館蔵
ジュール・パスキン 「バラ色の下着姿の座るマルセル」 1923年 パリ市立近代美術館蔵

[写真左から] ジュール・パスキン 「マンドリンを持つ女」 1926年 ゲレ美術・考古学博物館蔵
ジュール・パスキン 「幼い女優」 1927年 個人蔵
ジュール・パスキン 「少女-幼い踊り子」 1924年 パリ市立近代美術館蔵

パスキンは幼い頃から大人の女性にちやほやされて育ち、まだ少年の頃から娼館に出入りしていたという話も。パスキンの描く大人の女性と少女では印象が異なるのも面白い。大人の女性はどちらかというと、モデルと画家の関係というより、もっと近しい存在というか、あけすけにすら見えるのに対し、少女は少し距離があるというか、あくまでも子どもを見る目。バルテュスとは全然違いますね。


会場にはこの時代に描かれた素描や版画なども多く、その題材は『シンデレラ』や『眠れる森の美女』といった童話や、新約聖書や『サロメ』などの物語から取ったものも多く、また街の人々の風景を描いたものなど実に多彩。画風も油彩画とは異なりパスキンの別の一面を覗かせます。パスキンというと、淡い色彩のアンニュイな女性や少女の絵とばかり思いきや、素描に魅力的な作品が多いのも初めて知りました。

[写真左から] ジュール・パスキン 「テーブルのリュシーの肖像」 1928年 個人蔵
ジュール・パスキン 「黒い髪のエリアーヌ」 1927/29年 ポンピドゥー・センター蔵
ジュール・パスキン 「ジナとルネ」 1928年 北海道立近代美術館蔵

最後の部屋は1927年以降の“真珠母色の絵画”を紹介しています。色彩はより淡く柔らかく、輪郭線はあいまいになり、身体や衣装は背景に溶け込み、女性たちの表情はどれもどこか物憂げです。パスキンの愛人リュシーを描いた「テーブルのリュシーの肖像」はその色彩の混ざり合いというか、筆触のにじみ具合が絶妙。夢の中のような、甘く、どこか儚げな空気感を創り上げていて秀逸です。

[写真左] ジュール・パスキン 「踊る三人の女」 1925年 個人蔵
[写真右] ジュール・パスキン 「ダンス」 1925年 アクティス・ギャラリー(ロンドン)蔵

その中で「ダンス」と「踊る三人の女」は少し異質というか、こういう装飾的な作品も描いていたんですね。マティスの「ダンス」の影響も感じさせ、興味深いものがあります。


最後の部屋はパスキンの部屋をイメージしたそうで、天井には1920年代のパリを思わせるシャンデリアもつけられています。ここではライトも肌の色をキレイに見せる“美光色”というLEDを使っているのだとか。


会場にはパスキン作品のレゾネ(総目録)も置いてあり、自由に見ることができます。

[写真右] ジュール・パスキン 「三人の裸婦」
1930年 北海道立近代美術館蔵

パスキンが亡くなる年の作品もいくつかありました。朦朧としたタッチ、退廃的な雰囲気。うたた寝をしているモデルを描いた「ミレイユ」もどことなく淋しい雰囲気が漂います。パスキンは自分の最期を知っていたのでしょうか。

[写真左] ジュール・パスキン 「ミレイユ」
1930年 ポンピドゥー・センター蔵

今までパスキンの代名詞的な色彩や表面的な部分しか知らなかったのですが、本展はいくつかの時代の特徴や油彩以外の作品にもスポットを当て、パスキンの全貌に触れることができます。そして何より、1920年代の絶頂期の作品が充実しているのが嬉しい。オススメの展覧会です。


※展示会場内の画像は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。


【生誕130年 エコール・ド・パリの貴公子 パスキン展】
会場: パナソニック 汐留ミュージアム
会期: 2015年1月17日(土)~3月29日(日)
開館時間: 10時~18時 ※入館は17時30分まで
休館日: 水曜日(但し2月11日は開館)


モンパルナスのエコール・ド・パリモンパルナスのエコール・ド・パリ

2014/11/22

ジュルジョ・デ・キリコ展

パナソニック汐留ミュージアムで開催中の『ジョルジョ・デ・キリコ展』に行ってきました。

高校生の頃、初めて買った画集がデ・キリコとマグリット。その2人の展覧会が相次いで東京で開かれるなんて、なんという偶然でしょう。

デ・キリコといえば、“形而上絵画”と呼ばれる作品群で注目を集め、それこそルネ・マグリットやマックス・エルンストなどシュルレアリスムの画家たちに大きな影響を与えた20世紀を代表する画家。奇妙な建築物や脈絡のないオブジェ、歪んだ遠近感に意味も分からないながらも、強く惹かれていたのを覚えてます。

東京でのデ・キリコの展覧会は約10年ぶりになるのだとか(大丸ミュージアムで観た記憶がありますが、それかな?)。本展では、パリ市立近代美術館に寄贈された未亡人の旧蔵品を中心に、国内外の所蔵作品から代表作を含む約100点を紹介しています。


Ⅰ 序章:形而上絵画の発見

1910年代の作品4点を展示。モディリアーニやマティスを発掘し、デ・キリコにとっても最初な画商だったというポール・ギヨームを描いた『ポール・ギヨームの肖像』をはじめ、典型的なデペイズマンを描いた“形而上絵画”を象徴する作品として、「福音書的な静物」や「謎めいた憂愁」があります。しかし、この画家の一番見どころのある時期の作品がたったこれだけとは…。

デ・キリコ 「謎めいた憂愁」
1919年 パリ市立近代美術館蔵


Ⅱ 古典主義への回帰

シュルレアリスムが盛り上がりを見せる中、一転デ・キリコは古典主義に傾倒します。第一次世界大戦後、それまでの前衛美術からの反動で古典美術に回帰する風潮が起こったのだとか。ピカソの新古典主義もちょうどこの頃だと考えると、時代の流れが見えてきます。ここではシュルレアリスムと決別し、古典に回帰した1920年代から1940年代の作品を中心に紹介。

デ・キリコの形而上絵画に注目が集まり、1925年の『第1回シュルレアリスム展』でシュルレアリスムの先駆的作品として称賛を浴びる一方、1919年には既に古典主義の絵画技法に戻ることを訴えた「メティエへの回帰」を美術雑誌に発表していたりするので、割と早い段階でデ・キリコの中では形而上絵画は終わっていたのかもしれません。しかし、形而上絵画から古典主義へと画風は変わっても、古代ローマや古代ギリシャの絵画や彫刻を想起させる剣闘士や馬、また海といったモチーフは終生描き続けていたようです。

デ・キリコ 「白い馬」
1930年頃 パリ市立近代美術館蔵

会場には素描画もたくさん展示されています。デ・キリコはデッサンを重んじていたそうで、油彩画を見ると下手なのか上手いのかよく分からないところがありますが、素描画を見ると、基礎はできている人なんだろうなと感じます。形而上絵画とは異なり、とても真面目にデッサンしていて、いろいろと研究していた様子が見て取れます。


Ⅲ ネオバロックの時代-「最良の画家」としてのデ・キリコ

デ・キリコの形而上絵画は初めの10年ぐらいで収束してしまうので、そのあとからが画家デ・キリコの真価が問われるところかもしれません。ピカソは新古典主義からシュルレアリスムへと変化を見せますが、デ・キリコは1940年代に入るとネオ・バロックにシフトしていきます。

「赤と黄色の布をつけた座る裸婦」は妻イザベッラ・ファーを描いた作品。ティツィアーノやルーベンスの影響もあるとか。伝統的な裸婦画の系譜を感じさせるも、赤と黄色の布の対比や背景の海に不思議な感覚を覚えます。

デ・キリコ 「赤と黄色の布をつけた座る裸婦」
制作年不詳 パリ市立近代美術館蔵

自画像も数点あって、これがまた印象的。デ・キリコは自画像を30点ほど残していて、自然な姿のものと騎士などに扮装をしたものと2つに分かれるそうです。1920年代に描かれた「母親のいる自画像」やテンペラによる「自画像」は興味深いところがあります。

ほかにも裸婦画や静物画などもあって、どれも写実的で巧いのですが、強い個性を感じるまでのものは正直ありませんでした。その中で面白かったのが、絵ハガキのように美しい「ヴェネツィア、パラッツォ・ドゥカーレ」。一瞬印象派的な感じも受け、こういう絵も描くんだなと意外な発見。「ノートルダム」や「赤いトマトのある風景」はこの時代の特徴的な画風が出ていて割と好きでした。


Ⅳ 再生-新形而上絵画

形而上絵画を再び描き始めてからの作品を紹介。多くは過去の作品の自己複製なので、初期の作品の出品が少ない分、デ・キリコの形而上絵画がどういうものかを知るという点では参考になるのですが、結局は摸倣であり、何かクオリティーが上がっているかというとそういうわけではなく、新しさがないという点でこの時代の作品は面白味に欠けます。

デ・キリコ 「吟遊詩人」
1955年 ガレリア・ダルテ・マッジョーレ蔵

「吟遊詩人」はデ・キリコの形而上的主題で最も古いもの。「吟遊詩人」が2作、「不安を与えるミューズたち」も2作、「イタリア広場」が2作、形而上的室内やギリシャ神話に材を取ったものも複数。こうしたデ・キリコの典型的な主題を立体化したようなブロンズ像も数点あり、これがいい。ちょっと欲しくなるレベル。

デ・キリコ 「慰める人」
制作年不詳 パリ市立近代美術館蔵

デ・キリコのドキュメンタリーが会場(の外)で流れていて、その中でデ・キリコが「私の絵を完全に理解している人は、世界に2~3人しかいない」と語っていたのですが、晩年に過去の自分の作品をコピーして再び形而上絵画を制作するようになった背景にはどんな思いがあったのでしょうか。


Ⅴ 永劫回帰-アポリネールとジャン・コクトーの思い出

かつてデ・キリコが制作したアポリネールやコクトーの詩集の挿絵を、再構成して描いた晩年の作品を紹介。発想が相変わらずユニークだなとは感じますが、このひとの晩年は思い出を求めることでしか生きられなかったのかなと思ったりもしました。

「神秘的な動物の頭部」は一説にはデ・キリコの肖像画ともいわれる最晩年の作品。まるで肖像画を野菜や花などの集合体として描いたアルチンボルドを思わせます。

デ・キリコ 「神秘的な動物の頭部」
1975年 パリ市立近代美術館蔵

個人的には一番観たかった、初期の勢いのあった頃の作品が少ないというのが残念に思いました。出品作のほとんどが未亡人の旧蔵品ということもあるので、それは致し方ないのかもしれません。中期の古典回帰の作品や後期の自己模倣作品は充実しているので、デ・キリコのことはひと通り分かりますが、ここはやはりオリジナルの形而上絵画を集めた回顧展をいつか望みたいところです。


【ジョルジョ・デ・キリコ -変遷と回帰-】
2014年12月26日まで
パナソニック汐留ミュージアムにて


シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (岩波文庫)シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (岩波文庫)


2012/12/01

ジョルジュ・ルオー アイ・ラブ・サーカス

パナソニック汐留ミュージアムで開催中の『ジョルジュ・ルオー アイ・ラブ・サーカス展』に行ってきました。

ルオーのコレクションで知られるパナソニック汐留ミュージアムでは、時折ルオーの企画展を開いていますが、今回のテーマは“サーカス”。ルオーの絵画作品の中でサーカスがテーマのものは実は全体の1/3にもなるそうです。

たまたま10月にNHK Eテレの『日曜美術館』 でルオーの特集があり、ルオーが生涯描き続けたキリストとともに、もうひとつ彼の重要なモチーフであった道化師について触れられていて、ルオーのサーカスの絵が観られる本展をとても楽しみにしていました。

本展は、パナソニック汐留ミュージアムの所蔵作品をはじめ、国内外の美術館の所蔵作品や個人蔵の作品、またルオー財団の協力も得て、充実した素晴らしい展覧会になっていました。

ルオーは子どもの頃からサーカスが大好きだったそうで、画家になってからも、旅回りのサーカス団に深い関心を持っていて、そのうら哀切さを通して人間本来の姿を表現しようとしたのだとか。ルオーは終生、社会的弱者に目を向け、娼婦や踊り子、貧しい労働者といった底辺に暮らす人々を多く描いていますが、とりわけ道化師にはキリストにも似た何か神聖なものを見ていたのかもしれません。

ジョルジュ・ルオー 「女曲馬師(人形の顔)」
1925年頃 パナソニック汐留ミュージアム

展覧会は大きく分けて3つのパートで構成されています。
第1幕 悲哀-旅まわりのサーカス 1902-1910年代
第2幕 喝采-舞台を一巡り 1920-1930年代
第3幕 記憶-光の道化師 1940-195年代

ジョルジュ・ルオー 「タバランにて(シャユ踊り)」
1905年 パリ市立近代美術館蔵

30歳を過ぎた1902年頃から、ルオーの画風は大きく変わったといいます。素早く荒々しいタッチで、また水彩の作品も増えてきます。本展では早いものでは1902年頃の作品から展示されていて、まだその頃の作品は後年のルオーのような特徴的な人物描写や構図は目立たず、色の塗りも薄いものの、筆遣いや色調にルオーらしさを感じます。

「タバランにて(シャユ踊り)」はどこかロートレック的な構図で、輪郭線もまだ完成されていませんが、濃いブルーを主体とした画面にルオーらしさが宿ってます。

会場の途中に、パリのサーカスの歴史的資料を展示した小部屋があって、パリで人気のキャバレー“バル・タバラン”の解説も充実していました。

ジョルジュ・ルオー 「白い馬に乗った女曲馬師」
1925-29年頃 ポンピドーセンター国立近代美術館蔵

会場には、ところどころに≪女曲馬師≫や≪調教師≫、≪呼び込み≫、≪ピエロ≫、≪ルオーとボードレール≫など、コラム的な解説と小コーナーがあって、そのテーマに合わせた作品が展示されています。

こうしてルオーの描くサーカスを観ていくと、単なる絵のモチーフとかではなくて、ルオーが本当にサーカスとその人たちを愛していたんだなということが分かります。サーカスの表の楽しさだけではなく、その裏に隠された人間ドラマまでもが伝わってくるようです。

ジョルジュ・ルオー 「道化師」
1937年または1938年 パナソニック汐留ミュージアム

≪道化師≫の小コーナーには、1930年代を中心とした道化師の絵が展示されていました。会場の入口を入ったところにも初期の道化師の絵がありましたが、この頃になると、ただ物悲しいだけの表情にも安らぎというか温かみが現れ、どこか澄み切ったものが感じられるようになります。とっても厚塗りな絵も多いのですが、絵に独特の柔らかさが出てくるから不思議です。

会場の途中には、フランスの映画監督ジャン・ピエール・メルヴィルの初期の短編映画『ある道化師の24時間』が上映されていました。

ジョルジュ・ルオー 「踊り子」
1931-32年 ジョルジュ・ルオー財団蔵

ジョルジュ・ルオー 「傷ついた道化師」
1929-39年 個人蔵

「第2幕」の会場の一番奥には、ルオーの作品で最大級の油彩画という“カルトーネ”(タピストリーのための実物大下絵)が3点揃って展示されています。「傷ついた道化師」はかなり前に『美の巨人たち』(たぶん)で取り上げられたことがあり、舞台の最中にケガをした道化師とそれを助ける仲間たちという構図がとても印象に残っていました。同じく“カルトーネ”の「踊り子」は、旅回りのサーカス団らしい垢抜けない、筋肉質の“らしくない”踊り子で、彼女の人生の悲哀が凝縮されたような一枚です。

ジョルジュ・ルオー 「貴族的なピエロ」
1941-42年 アサヒビール株式会社蔵

晩年のルオーの道化師は「愛と犠牲を体現するキリスト的な人物像と一体化」していきます。かつてのようなゴツゴツとした、荒削りの鋭さや勢い、物悲しさは消え、柔らかさや優しさが絵に溢れてきます。 「貴族的なピエロ」はどことなく微笑んでいるようにも見えます。会場にあった解説によると、道化師の服にボタンが4つついているのは特別な道化師なのだそうです。

ジョルジュ・ルオー 「青いピエロたち」
1943年 個人蔵

パナソニック汐留ミュージアムは決して広い美術館ではないのですが、そこにルオーの作品だけでも約90点、サーカスなどの資料等を含めると約140点がビッシリと並んでいます。会場の雰囲気もサーカス風に模していて、いろいろと凝った演出がされていました。ルオーのサーカスに絞ったということで、非常に楽しく拝見できました。お勧めの展覧会です。


【ジョルジュ・ルオー アイ・ラブ・サーカス】
2012年12月16日(日)まで
パナソニック汐留ミュージアムにて


ジョルジュ・ルオー サーカス 道化師ジョルジュ・ルオー サーカス 道化師