2017/07/15

不染鉄展

東京ステーションギャラリーで開催中の『幻の画家 不染鉄展』を観てまいりました。

不染鉄(ふせん てつ)、初めて名前を聞く画家です。どうしてここまで優れた技術を持つ画家が評価されることもなく長く忘れられていたのか。とても不思議に思うほど、大変素晴らしい展覧会でした。今年一番の衝撃かもしれません。

回顧展は21年前に奈良県立美術館で一度あったきり。なので東京で展覧会が開かれるのも初めて。また東京ステーションギャラリーの雰囲気に合うんですね、これが。

不染鉄の経歴が面白いのですが、10代の頃に日本美術院の研究会員となって本格的に絵の勉強を始めるも、伊豆大島に移り住み、一転漁師に。その後、京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)に入学し、首席で卒業。帝展に入選するなど一定の評価を得ていたようですが、戦後は画壇からは距離を置き、学校で教鞭をとったり、校長先生をしてたりしていたようです。


第1章 郷愁の家

比較的初期とされる作品は朦朧体や片ぼかしで描かれた作品が多く、横山大観や菱田春草といった日本美術院の画家の影響を強く感じます。煙るような筆触が何とも言えない雰囲気を創り出していて、朦朧体の作品の中でも個人的にかなり好み。夜道を三味線弾きが歩いてたり、暗闇の中フクロウが枝に止まってたり、詩情溢れる画面作りや懐かしい田舎の風景、また俯瞰的な構図という方向性はこの頃既に固まっていたのかもしれません。特徴的な丸っこい家屋は牛田雞村を思い起こさせます。雞村も日本美術院院友で年齢もほぼ同じなので、何らかの形で繋がりがあったのでしょうか。

不染鉄 「林間」
大正8年(1919)年頃 奈良県立美術館蔵

画風が変わるのは伊豆大島へ移って以降。興味深いのは、画風が変わるだけでなく、不染の思い出が作品に投影されるようになり、それが彼のスタイルになっていくところ。繊細な筆致で描かれた農村や漁村の風景からは自然とともに生きる人々の暮らしが見え、郷愁を誘います。不染が育った小石川や房総、伊豆大島などを描いた作品には、「母はランプの下でしきりにはたををっていた事などを覚えております」(原文ママ)のように画中に思い出が綴られたものが多く、これがまた心に沁みます。

奈良の田園、京都の水郷、下田の海辺を描いた3巻からなる「思出之記」にも人々の慎ましい暮らしぶりもこまごまと描かれ、思わず引き込まれずにいられません。軒先で洗濯を干していたり、家の中では針仕事をしてたり、庭先で母親が魚を捌くのを小さな子どもが見ていたり、そうした生活の風景を見つめる不染の眼差しが温かい。


第2章 憧憬の山水

初期にも大正期に流行した新南画の影響を受けたと思しき作品がありましたが、南画への関心は高かったようで、「雪景山水」や「萬山飛雪」など印象的な南画作品がありました。特に「雪景山水」は幾重もの山並みのところどころに胡粉が使われ、雪の白さを際立たせているのが面白い。南画ではありませんが、「凍雪山村之図」では屋根の雪の白さを胡粉で表現し、家の中の灯りの温かみを強調していて、うまいなと思いました。

当時暮らしていた奈良の風景を描いた絵巻「南都覧古」がまた面白くて、「町と申しましてもすっかり田舎です」とか「こうして描いているうちに実際の景色と地理のようなものにとらわれてきて固苦しくなってきます」とか、ちょっと山口晃的なところもあって笑えます。


第3章 聖なる塔・富士

一つフロアーを下りたところにあったのが「薬師寺東塔の図」。薬師寺東塔のバックに奈良の町並み、そして若草山を縦一列に描いていて、ほぼ同構図の作品が複数あったので、この構図にこだわりを持っていたのが分かります。そのなかでひと際大きかった「薬師寺東塔之図」(個人蔵)は写実的な塔に対し、森や木立は点描風に描かれ、秀逸。

不染鉄 「薬師寺東塔の図」
昭和45年(1970)年頃 個人蔵

富士山を描いた作品も複数あるのですが、そのなかでも最も大きく、インパクトが強いのが「山海図絵」。伊豆の海や漁村の風景から雪を頂いた富士の高嶺までを俯瞰で描いた作品。海には魚やカニ、サメの姿があったり、真ん中のあたりには汽車が走っていたり(窓に映る人の姿も)、不染の農村や漁村を描いた風景画と富士山図が合わさったユニークで不思議で魅力的な傑作です。

「山海図絵」やほかの縦の構図に富士山を描いた作品を観て思い出したのが、駿河湾から浅間神社そして富士山までを縦に描く富士山曼荼羅図の伝統的な構図。薬師寺から若草山を望む作品も春日神社やその周辺そして若草山を描く春日社寺曼荼羅図が頭に浮かびます。恐らくこうした参詣曼荼羅図が着想の源にあったのかもしれません。

不染鉄 「山海図絵(伊豆の追憶)」
大正14年(1925) 木下美術館蔵


第4章 孤高の海

昭和30年代になると不染は海をテーマにした作品を繰り返し描いています。大海原に浮かぶ一艘の舟と大きな岩山の孤島。島は伊豆大島をモデルにしてるといいますが、大海原に屹立する姿はまるで蓬莱山のようです。そのモノトーンの色調と、画面から伝わる物寂しさや孤独感が心の奥にドーンと響いて来るというか、しばらく絵の前から動けなくなりました。こんな日本画があったという驚きもさることながら、深遠な思想すら感じられるその水墨の世界に心打たれました。

不染鉄 「南海之図」
昭和30年(1955)頃 愛知県美術館蔵

夜の海の中に家並みが描かれる幻想的な「海」や、絵の外にまで波や魚がビッシリ描きこまれた「思い出の岡田村」、巨大な廃船と漁村の小さな家並みの対比が圧倒的な「廃船」など、非常に印象的な作品が多くあります。

不染鉄 「廃船」
昭和44年(1969)頃 京都国立近代美術館蔵

第5章 回想の風景

不染鉄は小石川にある光圓寺の住職の子ということもあってか、お寺や仏像を描いた作品も残していて、雨の中のお寺から覗く阿弥陀如来を描いた「静雨(静光院)」や無数の無縁仏を描いた「春風夜雨」が印象的。光圓寺のイチョウの大木を描いた作品には小さなお地蔵さんが描かれていて、それがまたなんかとてもいい。

不染鉄 「落葉浄土」
昭和49年(1974)頃 奈良県立美術館蔵

晩年は奈良のお土産の絵を描いたり、焼き物の下絵を描いたり、扁額に絵を描いたり、制作活動の幅も広がっていたようです。知られざる画家というと、どこか辺鄙な山や島に籠ったり、交流を遮断して創作に打ち込むという姿が浮かびますが、不染鉄はそういう意味での孤高の画家という感じではないようですね。2時間近く観てたのですが、とても離れ難く、後を引く展覧会でした。


【没後40年 幻の画家 不染鉄展】
2017年8月27日(日)まで
東京ステーションギャラリーにて


「朦朧」の時代―大観、春草らと近代日本画の成立「朦朧」の時代―大観、春草らと近代日本画の成立

2017/07/09

川端龍子展

山種美術館で開催中の『川端龍子 -超ド級の日本画-』を観てまいりました。

大正から昭和にかけて活躍した近代日本画を代表する画家の一人、川端龍子。本展は龍子の没後50年を記念する回顧展です。

龍子の作品は割と観る機会があるものの、実はよく分かってないところもあって、ちゃんとした形で観たいなと思っていたところの展覧会。ここまでまとめた形での回顧展は12年ぶりといいます。

日本美術ファンなら最初は誰でも一度は間違えると思うのですが、川端龍子は女性ではなく実は男性で、「タツコ」でも「リュウコ」でもなく「リュウシ」と読みます。

「龍子」は雅号ですが、なぜそういう名前をつけたかというと、龍子の父というのがかなりのハンサムで、まぁいろんなところに女性を作っていたそうなんですね。家庭環境も複雑だったようで、龍子も子どもの頃は父のお妾さんと一緒に暮らしたりしていたといいます。そんなこともあってか、自分は人の子でなく龍の子だという意味で「龍子」と付けたのだとか(後に龍子は「父を許すことのできない気持を持ち続けている」とも語っています)。


第1章  龍子誕生 -洋画、挿絵、そして日本画へ-

もともと龍子は洋画家を目指していたというのは日本画ファンには知られた話かもしれません。会場には初期の希少な油彩画も展示されています。「女神」はまだ拙さが残りますが、青木繁のような古代神話をモチーフにした作品で、当時主流の白馬会の影響を窺わせます。「風景(平等院)」はがらりと違って厚塗りの激しいタッチ。ちょっと西洋画かぶれしたところも感じます。

[写真左] 川端龍子 「女神」 明治時代(20世紀) 大田区立龍子記念館蔵
[写真右] 川端龍子 「風景(平等院)」 明治44年(1911) 大田区立龍子記念館蔵

龍子は誰か画家に師事したことはなく、絵を学んだのも学校教育だけといいます(後に白馬会洋画研究所などに入ってますが)。旧制中学時代のものでしょうか、授業で描いた絵も展示されていました。「上」とか「丙」とか赤い筆で絵の評価が記されていて、なんか微笑ましい。 「狗子」は長沢芦雪の犬っぽいですよね。

[写真右から] 川端龍子 「狗子」 明治時代(19世紀)
「四季之花」「機関車」 明治32年(1899) 大田区立龍子記念館蔵

[写真左から] 『漫画東京日記』 明治44年(1911)出版、
『大和めぐり』、『スケッチ速習録(第1号)』 大正4年(1915)出版 大田区立龍子記念館蔵
『日本少年』第10巻14号表紙絵 大正4年(1915)出版
「花鳥双六(『少女の友』第10巻1号付録)」 大正6年(1917)出版

21歳で結婚すると生活の糧を得るため、洋画家としての活動と並行して、新聞や雑誌の挿絵画家としても活躍。一躍人気画家になります。当時から龍子を女性だと思う人が多かったようで、龍子が男性だったことにショックを受けるファンもいたのだとか。

その後、龍子は洋画家としての研鑽を積むために渡米するのですが、結局はそれがきっかけとなり日本画家に転向します。アメリカで自分の作品が評価されなかったことや、滞在中に感銘を受けたのがシャバンヌの壁画とボストン美術館で観た東洋美術ぐらいしかなかったというのも大きかったようです。

川端龍子 「火生」 大正10年(1921) 大田区立龍子記念館蔵

初期の日本画には院展の仲間の速水御舟の影響なのか、群青と緑青を多用した作品もあったりします。その中で「火生」は後の龍子のダイナミズムを想起させる強い個性を感じる作品。発表当時はその激しい色使いが“会場芸術”と揶揄されたといいますが、龍子はむしろ展覧会を目的とした制作、つまり“会場芸術”こそ自分の目指す道だと考えるようになります。


第2章  青龍社とともに -「会場芸術」と大衆-

院展脱退後、自ら立ち上げた美術団体“青龍社”に関する資料も展示されています。青龍社の最初の展覧会は院展にぶつけて横の会場で開催したとかで、在野の巨人といわれた龍子らしいエピソードという気がします。

[写真左] 「青龍社第1回展覧会ポスター」 昭和4年(1929) 大田区立龍子記念館蔵

龍子といえば、“会場芸術”を象徴するスケールの大きな屏風絵。会場の一番奥にはが六曲一双の屏風が3点も展示されていて、とても見応えがあります。

川端龍子 「鳴門」 昭和4年(1929) 山種美術館蔵

「鳴門」は青龍社の第一回展覧会の出品作。ダイナミックで躍動感のある渦潮と、約3.6kgもの群青の絵具を使ったという海の青さと泡立つ白のコントラストが強烈です。よく見ると、白い色も胡粉や金、銀が使われていて、多層的というか、一見大胆な絵に見えて非常に計算されていることが分かります。

川端龍子 「草の実」 昭和6年(1931) 大田区立龍子記念館蔵

「草の実」は紺紙金泥経の装飾絵を屏風に展開したもの。龍子の傑作と名高い東京国立近代美術館の「草炎」(本展には未出品)の翌年に描かれた作品ですが、「草炎」が生い茂る夏の草むらなら、「草の実」は秋の風情でしょうか。数種類の金泥やプラチナが使われていて、同じ金色でもそのニュアンスはさまざま。装飾性の高さやその美しさだけでなく、何か仏教的な尊さも感じます。

[写真右] 川端龍子 「爆弾散華」 昭和20年(1945) 大田区立龍子記念館蔵
[写真左] 川端龍子 「香炉峰」 昭和14年(1939) 大田区立龍子記念館蔵

今回非常に興味深かったのが戦争にまつわる2点の作品。「香炉峰」は日本軍の嘱託画家として偵察機に同乗したときの経験をもとに、廬山の景観を描いたいわゆる戦争画。屏風の大画面からはみ出るぐらいのスケールの大きさに圧倒されます。正しく“超ド級の日本画”。機体が半透明なのもユニークですが、背景の山が廬山の屹立した山でなく、日本のやまと絵のような山並みなのも面白い。

「爆弾散華」は戦争末期、自宅を爆撃され、菜園の夏野菜が吹き飛ぶ様子を描いたという作品。爆風で飛び散る野菜やその閃光が様々な形に千切られた金箔で表現されています。その瞬間はまるでストップモーションのようで、空襲で失われた多くの人々の命と重なります。

[写真左] 川端龍子 「百子図」 昭和24年(1949) 大田区立龍子記念館蔵
[写真右] 川端龍子 「五鱗」 昭和14年(1939) 山種美術館蔵 (展示は7/23まで)

[写真右] 川端龍子 「龍巻」 昭和20年(1945) 大田区立龍子記念館蔵
[写真左] 川端龍子 「夢」 昭和14年(1939) 大田区立龍子記念館蔵

ほかにも、戦後インドから上野動物園に贈られた象のインディラと子どもたちをテーマにした「百子図」、どことなくモダンな味わいのある「五鱗」、青々とした海原を飛び跳ねるトビウオを描いた「黒潮」、海の生物ごと巻き上げられるという発想が面白い「龍巻」、中尊寺金色堂の藤原氏の遺体調査のニュースに着想を得たという「夢」、ハイライトの効いた艶やかな色彩が印象的な「牡丹」など、幅広い画業を展観できます。

川端龍子 「真珠」 昭和6年(1931) 山種美術館蔵 (展示は7/23まで)

「真珠」も個人的に大好きな龍子の作品の一つ。「鳴門」に似た青い海と白い波飛沫も印象的です。海辺に寝そべる裸婦はどこか幻想的で、龍子が若い頃に感銘を受けたというシャヴァンヌの壁画のような神秘性も感じます。ちなみに本展ではこの「真珠」のみ撮影可能です。


第3章 龍子の素顔 -もう一つの本質-

龍子の異母弟に俳人の川端茅舍がいますが、龍子も20代の頃から俳句も嗜んでいたそうです。読んだ句に絵を添えた短冊があって、絵もいいんですが、字がまたいい字なんです。

琳派風の小さな屏風「春草図雛屛風」にも惹かれました。龍子の琳派への造詣の深さを感じます。対幅の「鯉」や、梅や竹を描いた掛軸など伝統的な画題の日本画もあって、晩年には“床の間芸術”的な作品を手がけていたことも知りました。

[写真左] 川端龍子 「十一面観音」 昭和33年(1958) 大田区立龍子記念館蔵
[写真右] 川端龍子 「花下独酌」 昭和35年(1960) 大田区立龍子記念館蔵

以前、トーハクで川端龍子旧蔵の仏像を拝見したことがありますが、龍子は自邸に持仏堂を設け、十一面観音と脇侍の不動明王と毘沙門天を安置して朝夕欠かさず礼拝していたのだそうです(調べたところトーハクで観たのは毘沙門天立像のよう)。「十一面観音」はその本尊を描いた作品で、「吾が持仏堂」という連作の1点とか。龍子は仏画をどのぐらい描いてたか知りませんが、機会があれば他の作品も観てみたいと思います。そういえば龍子は池上本門寺や浅草寺の天井絵も描いていましたね。

川端龍子 「牡丹」 昭和36年(1961) 山種美術館蔵

超ド級なスケール感のある作品だけでなく、大胆なのに巧みに計算されていたり、力強いのに繊細だったり、いろいろ気づかされることの多い展覧会でした。

本展では山種美術館の所蔵作品だけでなく、大田区立龍子記念館からも多くの作品を借り受けてますが、大田区立龍子記念館の方でも『川端龍子没後50年特別展』が今秋開催されるとのこと。こちらも今から楽しみです。



1階の≪Cafe 椿≫では今回も、青山の老舗菓匠「菊家」による趣向を凝らしたオリジナル特製和菓子が用意されています。どの和菓子も展示された作品にちなんだもの。う~ん、どれを選ぶか迷ってしまう・・・。






※展示会場内の写真は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。


【特別展 没後50年記念 川端龍子 -超ド級の日本画-】
2017年8月20日(日)まで
山種美術館にて


カフェのある美術館 素敵な時間をたのしむカフェのある美術館 素敵な時間をたのしむ

2017/07/03

アルチンボルド展

国立西洋美術館で開催中の『アルチンボルド展』を観てまいりました。

アルチンボルドというと、人間の顔を花や野菜などで象った風変わりな絵を描く画家として知られます。過去に『だまし絵展』などで作品が来日したことはありますが、アルチンボルドをメインにした展覧会は日本初とか。

アルチンボルドが活躍したのは16世紀後半。ルネサンスが終焉を迎え、バロックへ移る時代の画家。アルチンボルドはちょっとマニアックだし、ツウ好みの画家というイメージがあったのですが、一度観たら忘れない作品のインパクトもあってか、開幕最初の週から結構にぎわっているようです。

奇想の画家の代表格という感じのアルチンボルドですが、意外なことに、ハプスブルク家の宮廷画家として3代に渡って仕えただけでなく、宮廷のアートディレクターとして祝祭行事の企画や演出なども手掛けていたんですね。会場にはルドルフⅡ世のためにアルチンボルドがデザインした馬上試合のための衣装デザインなんかも展示されていました。

ハプスブルク家の宮廷画家というとベラスケスやゴヤが思い浮かびますし、ほぼ同時代ではデューラーやティツィアーノも縁が深いといいます。その中でアルチンボルドはかなり異色ですし、どうしてもハプスブルク家の宮廷画家というイメージと結び付かなかったのですが、今回の展覧会を観て、そういう今までバラバラだったものが一気に繋がった気がします。実は非常に写実性に優れ、とても知的な画家でした。

ジュゼッペ・アルチンボルド 「春」
1563年 王立サン・フェルナンド美術アカデミー美術館蔵
ジュゼッペ・アルチンボルド 「夏」 1572年 デンヴァー美術館蔵

ジュゼッペ・アルチンボルド 「秋」 1572年 デンヴァー美術館蔵
ジュゼッペ・アルチンボルド 「冬」 1563年 ウィーン美術史美術館絵画館蔵

目玉の《春夏秋冬》シリーズと《四大元素》シリーズは全て一つの部屋にまとめて展示されています。アルチンボルドを代表する作品をグルグル回って観ることができるので、いろいろ比べたり、観直したりできてとても楽しいし、大変助かります。観る方としてはとても楽なのですが、そんなに広い空間でないので混んでくると大変かもしれないですね。

「春」は花、「夏」は野菜など夏の恵み、「秋」は果物など秋の恵み、「冬」は枯れ木だったり、「大地」は野生の動物、「火」は火にまつわるもの、「大気」は鳥、「水」は水の中に暮らす生物だったり、その発想の突飛さなどアルチンボルドのユニークさを存分に楽しめるのですが、実はユニークなだけの画家でないこともよく分かります。写真ではそこまで凄いと思わなかったのですが、実際に《春夏秋冬》や《四大元素》を観るとその写実性の高さ、精緻さに驚かされます。そしてさまざまなメタファー。非常に知的な遊びに満ちた絵であることも初めて知りました。

ジュゼッペ・アルチンボルド 「大地」
1566年(?) リヒテンシュタイン侯爵家コレクション蔵
ジュゼッペ・アルチンボルド(?) 「火」 個人蔵

ジュゼッペ・アルチンボルド(?) 「大気」 個人蔵
ジュゼッペ・アルチンボルド 「水」 1566年 ウィーン美術史美術館絵画館蔵

もちろんアルチンボルドはこんな珍奇な肖像画ばかりを描いていたわけでなく、ちゃんとした肖像画も残しているのですが、数点展示されていた肖像画を観る限り、マニエリスムを感じるものもあって、非常に興味深い感じがしました。宮廷画家ということもあり、実際には宗教画なども描いていたといわれますが、残念ながら現存はしないとか。

初期博物学との繋がりや後の静物画への影響という切り口もなるほどと思います。時代的に大航海時代の影響もあって、たとえば《春夏秋冬》の「花」には遠くアフリカやアメリカ大陸の花も描かれているといいます。

そしてハプスブルク家のクンストカンマー(美術蒐集室)まで話は広がります。ハプスブルク家にはそれこそ古今東西の珍しいものや貴重なものが世界各地から運び込まれたのでしょうから、どんなお宝があったのかとても興味をそそります。ミュージアムの原型といわれるのもなるほどと思います。カナリア諸島から連れて来られたという多毛症の少年の絵があったのですが、見せ物的な好奇の対象でもあったでしょうし、当時の特権階級の持つ支配欲や優越感のようなものもあったのかなと思ったりしました。

ジュゼッペ・アルチンボルド 「庭師/野菜」 個人蔵
クレモナ市立美術館蔵

SNSでも話題の“アルチンボルド・メーカー”は会場入口にあります。すでに数十分の行列ができてるので、“アルチンボルド・メーカー”をやりたい人は時間に余裕を持った方がいいでしょう。特に閉館時間前は危険ですね。会期末なんて相当な行列ができるんじゃないかと思いますよ。

video
わたしの顔はこんな感じです(笑)


【アルチンボルド展】
2017年9月24日(日)まで
国立西洋美術館にて


奇想の宮廷画家 アルチンボルドの世界 (TJMOOK)奇想の宮廷画家 アルチンボルドの世界 (TJMOOK)

2017/06/25

ジャコメッティ展

国立新美術館で開催中の『ジャコメッティ展』を観てまいりました。

ジャコメッティというと20世紀のモダニズム彫刻を代表する彫刻家。異常に細長く痩せこけた人間の彫刻で有名で、一度観たら忘れられない強烈な個性があります。最近では、2010年に「歩く人」が94億円、2015年には「指さす人」が彫刻作品としての史上最高額の、なんと170億円で落札され、話題になったりしました。

国内での回顧展は約10年ぶり。前回は神奈川県近代美術館・葉山館(DIC川村記念美術館にも巡回したらしい)だったので、遠くてあきらめたのを覚えてます。

今回は国立新美術館ということもあり、スペースも広く、国内では過去最大規模の展覧会。デッサンやリトグラフも多いので、彫刻はちょっと少ないようにも思えるのですが、彫刻作品だけで約50点も展示されてますし、マーケットでは1点何十億という金額で売り買いされていることを考えれば、もの凄いことだと思うんです。

アルベルト・ジャコメッティ 「女=スプーン」
1926/27年 マルグリット&エメ・マーグ財団美術館

ジャコメッティが彫刻をはじめたのは13歳の頃だといいます。すごく早熟な気がするのですが、ジャコメッティの父は画家なので、環境的にも恵まれていたのかもしれませんね。ちなみに弟のディエゴも彫刻家で、白金の松岡美術館の玄関フロアーにある猫の彫刻が有名です。

初期の作品はシュルレアリスムの影響を受けたものが多く、板に凹みがあるだけの「見つめる頭部」やスプーン型の「女=スプーン」といった造形的にも抽象的な、ときにアフリカやオセアニアの原始彫刻を思わせるものがあったりします。その名も「コンポジション」という作品やキューブ型の立体的な彫刻があって、時代的にもカンディンスキーやモンドリアン、またキュビズムなどと被る部分も感じます。

アルベルト・ジャコメッティ 「3人の男のグループⅠ(3人の歩く男たちⅠ)」
1948/49年 マルグリット&エメ・マーグ財団美術館

シュルレアリスムと決別した後、ジャコメッティは具象彫刻を目指します。しかし、長い暗中模索が続き、見たものを記憶によって造ろうとすると彫刻は小さくなり、モデルに似せようとするとどんどん細長くなったといいます。僅か数センチの針のような小像が、今度は極端に引きのばされた人体像になっていく様は、追い詰められた彫刻家のある種の強迫観念を見ているようでした。わたし自身は、ジャコメッティの細長い彫刻は人間の抽象だとずっと思ってたのですが、実は身体の本質を突き詰めたらボリュームを削ぎ落としたスタイルになったということも初めて知りました。その過程は作家の葛藤と重なり感動的ですらあります。

デッサンもいろいろ展示されていますが、意外なことに造形前のデッサンでは全然痩せ型ではなく、いたってフツー。 ジャコメッティはスイス系イタリア人だからということもあるのか、割と女性好きだったようで、なんと理想の女性の体型はマリリン・モンローなんだとか。人間の身体を突き詰めて突き詰めて突き詰めたら、肉を削ぎ落とされた骨と皮だけの枯れ木のような姿になるんだから面白い。

アルベルト・ジャコメッティ 「犬」
1951年 マルグリット&エメ・マーグ財団美術館

まるで地面を嗅ぎまわるような、ひょろひょろと痩せ細った犬。身のない魚の骨のような猫。一見写実には見えないんだけれども、しかし犬や猫の動きやニュアンスがとても実感のあるものとして伝わってきます。

ジャコメッティのリトグラフはリトグラフといわれないと、ただの殴り書きか下絵のようにしか見えないのですが、数点だけ展示されていた油彩画はいいなと思いました。「マルグリット・マーグの肖像」の独特の色彩や筆致も好きだし、セザンヌ風の「林檎のある静物」も良かったです。

アルベルト・ジャコメッティ 「大きな女性立像Ⅱ」
1960年 マルグリット&エメ・マーグ財団美術館

アルベルト・ジャコメッティ 「歩く男Ⅰ」
1960年 マルグリット&エメ・マーグ財団美術館

ヴェネツィア・ビエンナーレのために制作された「ヴェネツィアの女」9点がボーリングのピンのように展示されていて、これがなかなか良かった。モデルは妻アネットで、9点それぞれに少しずつアレンジされてて、ほかのジャコメッティ作品に比べても、女性性が一番強いように感じました。

最後の広いスペースは<チェース・マンハッタン銀行のプロジェクト>の3体の彫刻が展示されています(ここだけ写真撮影可)。針金の骨組みに直に石膏をつけて削ぎ落とすという方法で制作されたものの、満足のいく作品ができず中断。結局このプロジェクトは実現せず、ジャコメッティの死後、石膏像をもとにブロンズで鋳造されたのだそうです。ジャコメッティというとイメージするのがこのコーナーの彫刻なのですが、みんなが写真を撮るので、静かにじっくり作品と対峙できるかというと、ちょっとそれができないのが残念(そんな自分も写真を撮ってたわけですが)。ただ、最後の最後まで人間の身体表現の追求に挑み続けたジャコメッティの強いこだわりは体感できます。

[写真右] アルベルト・ジャコメッティ 「大きな頭部」
1960年 マルグリット&エメ・マーグ財団美術館

今回、滅多に借りない音声ガイドを借りたんですが、速水もこみちのガイドがなかなか良かったと思います。最初、MOCO'Sキッチンみたいなノリだったらどうしようとちょっと心配だったんですが、落ち着いた声で聞きやすかったです。山田五郎のスペシャル解説もあって、テレビのあの感じでこちらも聴き物。ちょっと話が長いのが難ですが。会期末はまた混雑するでしょうから、ゆっくり観るなら、まだ人も少ない夏休み前がオススメです。


【国立新美術館開館10周年 ジャコメッティ展】
2017年9月4日(月)まで
国立新美術館にて


ジャコメッティジャコメッティ

2017/06/21

水墨の風

出光美術館で開催中の『水墨の風』を観てまいりました。

雪舟に始まり、雪舟が手本とした玉澗、雪舟に私淑した等伯、さらには室町水墨画、狩野派や岩佐又兵衛、そして文人画まで日本の水墨画の流れを、“風”をキーワードに読み解いていくという企画展。雪舟が中国で吸収した水墨画の技法が日本でどのように受け入れられ、どう変化していったか、明快な構成と分かりやすい解説で丹念に追っています。

出光の所蔵作品だけで構成してるので限界はありますが、そこは日本有数の日本美術コレクションで知られる美術館だけあり、さすが優品が揃い、なかなかの見応え。屏風も多いので展示作品数は40点ほどなのですが、じっくり観ていたら、結局2時間ぐらい掛かってしまいました。


第1章 雪舟を創りあげたもの -「破墨山水図」への道

まずは雪舟の「破墨山水図」。晩年の作だそうで、即興的な筆の動きはまるで現代アートのようです。いわゆる玉澗様の水墨山水で、国宝の「破墨山水図」や、昨年『若き日の雪舟』で観た拙宗時代の「溌墨山水図」と同じく、墨の濃淡で面を捉え、舟や家並みを描き入れるというのは雪舟のパターンなのでしょう。そばには玉澗の「山市晴嵐図」が展示されていて、墨を叩きつけたような粗放な画面の中に山を行く人や山あいに佇む家並みがあって、雪舟のイメージの源泉を感じます。

雪舟 「破墨山水図」
室町時代 出光美術館蔵

玉澗 「山市晴嵐図」(重要文化財)
南宋時代末期~元時代初期

雪舟と伝わる六曲一双と六曲一隻の2つの「四季花鳥図屏風」があったのですが、特に六曲一双の屏風は、先月まで東博に展示されていた伝・雪舟の「四季花鳥図屏風」を彷彿させ興味深いものがありました。写真で比べると右隻は鶴がいないことを除けば構図がほぼ一緒ですね。左隻は、東博本と雪舟真筆の唯一の屏風絵とされる京博の「四季花鳥図屏風」が雪の積もる冬を描いてるのに対し、出光本には雪がなく色彩も豊か。全体的にも東博本や京博本より華やかな印象を受けます。特筆すべきは左隻の松を遮るように描かれた竹で、その大胆さに驚きました。

そのほか南宋や明代の中国画や雪村の三幅対、また江戸時代の谷文晁と雲澤等悦の作品が並びます。文晁の「風雨渡江図」は大画面いっぱいに濃墨で吹きつける風と雨を表現したインパクトのある作品。ひときわ強い風なのか、厚い雲から覗く光なのか、白く残された斜めの線が大胆で面白い。

雲澤等悦は雪舟の流れを汲む雲谷派の画家だろうとのことですが詳しいことは不明。「琴棋書画図屏風」は描かれているモチーフに雪舟画からの転用が指摘されていましたが、その独特の山容や微妙な墨色の濃淡はいかにも雲谷派の山水図という感じがします。


第2章 等伯誕生 -水墨表現の展開

制作年が判明している水墨花鳥図としては最古という能阿弥の「四季花鳥図屏風」。室町水墨画の中でも個人的に特に好きな作品の一つです。四季花鳥といっても季節の花は蓮や椿(?)ぐらいで、叭々鳥や白鷺、雁、燕、鴛鴦、鳩といった鳥たちが群れ飛び、どこか幻想的。鳥や竹、枯木などのモティーフは牧谿の作品に拠っていて、まるで牧谿へのオマージュといった様相です。屏風全体を覆う湿潤な空気感や静謐で柔らかな光は雪村や等伯あたりに影響を与えたのではないかと感じます。

能阿弥 「四季花鳥図屏風」(重要文化財)
応仁3年(1469年) 出光美術館蔵

そして等伯はいつものことながら、「松に鴉・柳に白鷺図屏風」と「竹鶴図屏風」(後期には「四季柳図屏風」)。「松に鴉・柳に白鷺図屏風」の白鷺や松、「竹鶴図屏風」の鶴や竹など、こちらも牧谿に倣っていて、いかに牧谿が日本の水墨画に大きな影響を与えているかに気づきます。その中で等伯は日本にはいない叭々鳥を身近な鴉に変えたり独自のアレンジを加えていて、より日本的な情緒を感じさせます。

長谷川等伯 「松に鴉・柳に白鷺図屏風」
桃山時代 出光美術館蔵

長谷川等伯 「竹鶴図屏風」
桃山時代 出光美術館蔵 (※展示は6/25まで)

牧谿の「叭々鳥図」も展示されていて、これなんかを観ると、能阿弥にしても狩野探幽(「叭々鳥・小禽図屏風」が展示されてる)にしても、牧谿の叭々鳥を踏襲していることが分かります。濃い墨から薄い墨へと変わる羽根の表現が素晴らしいですね。

牧谿 「叭々鳥図」
南宋時代 出光美術館蔵


第3章 室町水墨の広がり

あらためて室町時代の水墨画を展観。水墨山水の一つのスタイルを確立したのが周文ですが、扱いがちょっと小さくてかわいそう。周文は2点あって、一つは詩画軸、一つは山水図。「待花軒図」は遠くに岩山を望む山荘で童子が箒で庭を掃く風雅な一幅。「山水図」は左下の近景から遠景へジグザグにモチーフを描く典型的な構図で、垂直に屹立した山や松が細い墨線で実に丁寧に描かれています。並んで展示されている相阿弥や曽我蛇足の山水図も周文様式といっていいんでしょうが、それぞれに阿弥派、曽我派の特徴があって面白い。

伝・周文 「待花軒図」
室町時代 出光美術館蔵

興味深かったのが一之の仏画。一之もちょっと前まで東博に「白衣観音図」が出ていて気になっていたので、個人的に嬉しかったです。一之は明兆の弟子とも、関東画壇に近い画僧ともいわれ、まだ謎が多く残る絵師。現存作の多くが観音図だそうで、本展にも白衣観音を思わす「観音図」と左右に梅図を配した「観音・梅図」が出品されています。個性的な表現と地方色を感じる雰囲気が独特で、「観音図」は後の白隠の観音図を思い起こさせます。「観音・梅図」は左右幅の梅が、並んで展示されていた揚補之(伝)の「梅図」に似ていて、いわゆる王冕の梅図の様式を学習していたことが窺われます。

伝・一之 「観音図」
室町時代 出光美術館蔵


第4章 近世水墨 -狩野派、そして文人画へ

元信印の「花鳥図屏風」は以前にも何度か出光美術館で観ているのですが、狩野派の作品をここ数年いろいろ観てきたせいか、これは元信の時代の作品じゃないだろうという感じが私でもします。隣に展示されていた伝・狩野松栄の「花鳥図屏風」は確かに聚光院方丈壁画を彷彿とさせるものがあって、桃山時代前半の雰囲気がありますが、元信印の「花鳥図屏風」はやはりもう少し時代が下るようですね。解説には光信周辺という指摘がありますが、左隻の滝の様式的な表現なんかを見ると、はたして狩野派なんだろうかという気がしなくもありませんでした。

元信・印 「花鳥図屏風」(右隻)
桃山時代 出光美術館蔵

狩野派でいえば、探幽が雪舟からの学習を通し、画風を変えていったともいわれますが、展示されていた作品は残念ながら雪舟の影響を感じさせるものではありませんでした。尚信の「酔舞・猿曳図屏風」では猿回しや歌舞音曲のイメージソースとして雪舟画が指摘されていましたが、探幽にしても尚信にしても雪舟に限らず広く古画の学習結果として狩野派の水墨画スタイルを再構築したことは興味深いところです。

狩野尚信 「酔舞・猿曳図屏風 (左隻)
江戸時代 出光美術館蔵

そのほか文人画では浦上玉堂や池大雅、田能村竹田など、色紙大の小品が並びます。このあたりは何度か拝見してますし、ここまでかなりの時間を要してしまったので軽く。

又兵衛の「瀟湘八景図巻」は晩年の作品で、福井時代の作品と異なり落ち着いた感じがしますが、相変わらず筆が丁寧で、細緻な表現が見事です(Twitterで『岩佐又兵衛と源氏絵』に出てなかったと発言しましたが、しっかり出品されてましたね。失礼いたしました)。全体に金泥の霞が引かれ、ところどころに漢詩が書かれ、それなりのところに納められたのだろうなという感じがします。これまであまり気にしなかったのですが、雪舟からの流れで観ると、又兵衛の曲がりくねった樹木の表現は雪舟の影響なんだろうかと思ったりしました。


【水墨の風 -長谷川等伯と雪舟】
2017年7月17日(月・祝)まで
出光美術館にて


水墨画にあそぶ―禅僧たちの風雅 (歴史文化ライブラリー)水墨画にあそぶ―禅僧たちの風雅 (歴史文化ライブラリー)