2019/09/08

坂本繁二郎展

練馬区立美術館で開催中の『坂本繁二郎展』を観てきました。

ブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館)の展覧会で青木繁の作品と一緒に観ることが多くあったので、夭折の画家・青木繁の盟友ということは頭にあるのですが、坂本繁二郎がどういう画家かというと、馬の絵と静物の印象があるぐらいで、実はよく知らないのです。

本展はその坂本繁二郎の没後50年を記念する回顧展。東京では約10年ぶりの本格的な展覧会だといいます。青木繁というと明治時代を代表する洋画家なので、坂本繁二郎も昔の画家とばかり思ってましたが、実はわたしが生まれた頃はまだ存命だったというのも驚きでした。


会場の構成は以下のとおりです:
第1章 神童と呼ばれて 1897-1902年
第2章 青春-東京と巴里 1902-1924年
第3章 再び故郷へ-馬の時代 1924-1944年
第4章 成熟-静物画の時代 1945-1963年
第5章 「はなやぎ」-月へ 1964-1969年

坂本繁二郎は福岡・久留米の生まれ。有名な話ですが、小学校の同級生には青木繁がいます。16歳で上京した青木に対し、坂本は久留米に残り、図画の代用教員をしていたのですが、東京で本格的に絵を学んだ青木の上達ぶりに焦りを覚え、上京を決めたといいます。

久留米時代の坂本の作品もいくつか展示されていました。確かに‟神童”と呼ばれただけあり、油絵具や水彩絵具が入手できず墨で描いたという「立石谷」や、夏空に広がる雨雲と広い田園の複雑な風景を見事に捉えた「夏野」などを観ると、これが15、16歳の少年の作品かと目を疑うぐらい完成度の高さに驚きます。

坂本繁二郎 「立石谷」
明治30年(1897)頃 個人蔵

坂本や青木に絵の手ほどきをした森三美という洋画家の作品と、それを模写したと思われる坂本の作品が並んで展示されていたのですが、この森三美もまだ明治時代中頃にもかかわらず、しっかりとした洋画の技術を身に付けていて、なかなかのものでした。東京から遠く離れた久留米にあって、優れた画家に指導してもらえたことは、坂本と青木にとって幸運だったのだと思います。

初期の坂本の作品は、いわゆる旧派の写実的で堅実な画風だったのですが、「張り物」や「魚を持ってきた海女」など1910年あたりの作品から印象派風の光に満ちた画風に変わっていきます。青木繁の作品も代表作「海景(布良の海)」や絶筆「朝日」などいくつか展示されていましたが、早くに亡くなってしまう青木に対し、坂本の絵はどんどん光の捉え方が発展していくのが印象的でした。

坂本繁二郎 「三月頃の牧場」
大正4年(1915) 東京国立近代美術館蔵

夏目漱石に高く評価されたという「うすれ日」にはじまり、「海岸の牛」や「三月頃の牧場」など、印象主義的な明るい色彩で描いた牛の絵があるかと思えば、黒一色で光を探求してみせた「牛」のような実験的な作品もあったりします。

坂本繁二郎 「帽子を持てる女」
大正12年(1923) 石橋財団アーティゾン美術館蔵

「帽子を持てる女」はフランス留学中の代表作。フランス留学中の作品に共通する淡く柔らかな色彩と、色面で表した女性の、穏やかな中にも強い意志をもったような佇まいが印象的です。

坂本繁二郎 「水より上る馬」
昭和28年(1953) 株式会社鉄鋼ビルディング蔵

坂本繁二郎というと馬の絵と静物の印象が強いのですが、日本に帰国後、最初に描いたのも馬だったそうです。「牛を馬に乗りかえた。馬と柿は一生描く」という言葉が紹介されていましたが、同じモチーフを繰り返し繰り返し描いているところを見ると、こだわりが強い人だったのだろうなと感じます。フランス留学前の作品と視力が衰えてからの最晩年を除いて、画風がほとんど変わらないというのもある意味すごい。

静物は柿だけでなく、栗や梨、茄子といった野菜や果物から、植木鉢や玩具、果てはモーターに至るまで、実はいろいろ描いているのですが、晩年、能面の静物に行きつくのも面白い。能面の無表情な独特の表情、一見単調な構図。それらを補うように様々な色彩や筆触がとても複雑な諧調やマチエールを生んでいます。何枚も並べられた能面の静物を観ていてモランディの静物を思い浮かべました。
 
坂本繁二郎 「能面と鼓の胴」
昭和37年(1962) 石橋財団アーティゾン美術館蔵

風景画もなかなか良くて、珍しい六曲一双の「雲仙の春・阿蘇の秋」はとても印象的でした。最晩年はほとんど視力を失うも、月の絵を繰り返し描き、幽玄とも東洋的印象主義とも評される独自の画境に行きつくところが凄いなと感じます。


【没後50年 坂本繁二郎展】
2019年9月16日まで
練馬区立美術館にて

2019/08/31

大竹伸朗 ビル景 1978-2019

水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催中の『大竹伸朗 ビル景 1978-2019』を観てきました。

夏休みだし、9連休もあって都内でうろちょろするのも飽きたし、 ちょっと遠くに行こうかな(それでも水戸)と思って、水戸芸術館に行ってきました。それほど積極的に現代美術を観てないので今まで縁がなかった美術館ですが、上野から特急で1時間ちょいなので近いですよね。こんなに近いなら山口晃のときも行けばよかった。

大竹伸朗の個展も久しぶり。現代美術をあまり観ない私がなぜ大竹伸朗かというと、高校から大学にかけてバイトをしていたレコード屋さんのお客さんだったんですね、大竹伸朗さんが(笑)。

わたしと大竹伸朗(すいません、以下敬称略)は同じ中学校の出身で(年齢は一回り違いますが)、アトリエが近くにあったこともあって、ちょくちょくお店に来ては店長と音楽談義をして、レコードのダンボールを持っていかれてました。まだあの頃はほとんど無名だったので、どんな作品を創ってるのかも知らなかったし、ちょうど日比野克彦が話題になってた時で、あんな作品なのかなと思ってたぐらいだったのですが、大竹伸朗がデザインした坂本龍一のCD-BOX(『PLAYING THE ORCHESTRA』)を見たとき、おおーっ凄い人だったんだーっとなったものです。それ以来のファンです。

大竹伸朗 「Catholicism with Pagan」 1986年

大竹伸朗 「Bldg.」 1984年

で、今回の個展(というより、この規模だと展覧会ですが)では、1970年代から現在までの約40年間にわたり、大竹伸朗が描き続けた『ビル景』という絵画シリーズのみを取り上げています。絵画だけでなく一部立体作品もありますが、その他諸々の作品はありません。

その他諸々と言いたくなるぐらい、大竹伸朗はニューペインティングからコラージュ、スクラップブック、廃材の立体彫刻、映像作品、インスタレーションなどまで、さまざまな類の作品を手掛けているわけですが、そんな中で学生時代から現在まで40年もの間、『ビル景』にこだわり描き続けていることを初めて知りましたし、大竹伸朗の長いキャリアの根底で延々と続いているこのエネルギーにちょっと面食らいました。最早ライフワークですね。

大竹伸朗 「東京-プエルトリコ」 1986年
公益財団法人福武財団蔵

大竹伸朗 「ソーホー、ニューヨークⅢ」 1983年

多数の未発表作品から最新作まで、過去に公開された作品も一部ありますが、800点を超えるという作品群の中から、ペインティングやコラージュ、立体作品、ドローイングなどなど、約600点が展示されています。40年の積み重ねと膨大なボリュームにはただただ圧倒されます。

[写真左から] 大竹伸朗 「Bldg.Ⅰ」 1984年
「A House」 1986年 「Night Market」 1983年

大竹伸朗 「Tokyo Ⅵ」「Tokyo Ⅴ」 1984年

大竹伸朗 「黒い池」「円柱のあるビル」 1986年

作品は年代順に並んでいるわけではない(まとまっていたりはする)のですが、古いものは1978年の作品からあって、新しいものだと今年制作された新作もありますし、80年代、90年代、00年代と万遍なく制作活動が続いていることが分かります。作品自体に制作年が書き込まれているものもあって、自分がアルバイトしていた時期と重なる作品を見つけると、あの頃はこんな作品を描いていたのかと思ったりもしました。

大竹伸朗 「緑色竜巻」 1986年

大竹伸朗 「水路街」 1986年

作品リストに大竹伸朗のコメントがあって、絵のモチーフとして「ビルディング」を最初に意識したのは1979年から80年代後半にかけて度々訪れた香港のビルの風景だったと書かれていました。その頃は既に新宿副都心にも高層ビルが建ち並んでいましたが、制作意欲を掻き立てたのは東京ではなく香港の、あの混沌とした摩天楼だったんですね。

大竹伸朗 「鉄棒の突き刺さる小屋」 1985年

大竹らしい廃材を使った作品もありました。ペインティングも割とオーソドックスな油彩画的なものもあればニューペインティングと呼んでいいものもあるし、具象も抽象も、平面も立体も、書きなぐったり引っ掻いたり、切ったり貼ったり、さまざまなビルの景色、さまざまな色彩、いろいろなマチエールがとても楽しい。

大竹伸朗 「Paper Shelter 1」 2019年

大竹伸朗 「時憶/Bldg.」 2019年

こちらは今年(2019年)制作された新作。この大きな箱?は音がする仕掛けになってました。

大竹伸朗 「スクラップブック#53(イスタンブール)より」 1994-95年

これも大竹らしい作品、スクラップブック。「40年続いてることはスクラップブックと『ビル景』しかない」のだそうです。

大竹伸朗 「ビルと飛行機、N.Y. 1」「ビルと飛行機、N.Y. 2」 2001年

大竹伸朗 「Bldg. 青」 2003年

ニューヨークの同時多発テロを描いた作品も。まだ生々しい記憶が覚めやらぬ頃に描かれたんでしょう。なんかとてもダイレクトな表現だったのが印象的でした。

大竹伸朗 「12 Rushmore House 4」 2005-07年

大竹伸朗 「12 Rushmore House 2」 2005-07年

40年もの間の作品が集まっているだけあって、さまざまなタイプ、さまざまなタッチの作品、ラッセル・ミルズとかキーファーとかトゥオンブリーとかベーコンとか影響を受けたと思しき画家を彷彿とさせる作品があったりするのですが、一貫してどれもカッコいい。比較的80年代の作品が好きだったのですが、いやいや全然2000年代の作品もシビれるぐらいかっこいいし、最近の作品もすこぶるカッコいいんですよ。

大竹伸朗 「ビル/赤」 2005-08年 「赤いビル2」 2003-06年

[写真左から] 大竹伸朗 「タンジール/青」 2003年
「モンテビデオ」「路景」 2007年

多様な素材や色彩と混沌としたイメージ。大半が実在の風景の写実ではなく、香港やロンドン、ニューヨーク、東京といった都市の記憶や、意識的・無意識的に断続的に現れる「ビルのある風景」によって描かれた作品だといいます。それは、記憶や時間、空気や湿気、熱波や匂い、ノイズやテロ、さまざまなものを喚起します。

大竹伸朗 「遠景の黒いビル」 2000-03年

大竹伸朗 「バグレイヤー/東京Ⅰ」 2000-01年

大竹伸朗 「Bldg. グレー」 1986年

こうした『ビル景』が40年続いていることが何より驚きなのですが、時に心象風景を具現化するように、時に体の内側から溢れる思いをぶつけるように、時に何かに取り憑かれたように、画面を縦横無尽に走る線や色や形を見てると、大竹にとって『ビル景』とは、旺盛な制作活動の中で何かに立ち返るための基点的な意味もあるんだろうかと感じたりもしました。

大竹伸朗 「暗殺者の準備運動(日常とビルの窓 7)」 2000年

大竹伸朗 「キカイダー好きの青い女(日常とビルの窓 8)」 2000年

「『質感』の異なるモノ同士が混在する出発点、そこから一気にイメージが動き始める。」
子どもの頃から「ナニカにナニカを貼る」のが好きだったということが作品リストに書かれていましたが、それが今も続いているということは凄いなと思います。

大竹伸朗 「放棄地帯」 2019年

大竹伸朗 「白壁のビル1」「白壁のビル2」 2017年

最後に展示されていた「白壁のビル」、これもとても印象に残った作品。壊れたようなビルや建物らしき形、電信柱などが奥行くのある箱庭みたいに立体的に貼り付けられていて、廃墟というより、まるで怪獣に破壊された東京の街みたい。

大竹伸朗 「セル1」 2017年

正直なところ、個人的に大竹伸朗の作品は好きな系統と苦手な系統があるのですが、今回の『ビル景』は抜群に好きというぐらい好きな系統です。もの凄く刺激的だし、なんかとても感動しました。ほんと観に来て良かった。

ちなみに会場は一点だけを除き、すべて写真撮影可能です。


【大竹伸朗 ビル景 1978-2019】
2019年10月6日(日)まで
水戸芸術館・現代美術ギャラリーにて


大竹伸朗 ビル景 1978–2019

2019/08/24

山口蓬春展

日本橋高島屋の本館で開催の『山口蓬春展 新日本画創造への飽くなき挑戦』(会期終了)を観てきました。

昨年、NHKの『日曜美術館』で山口蓬春の特集を観て以来、蓬春の回顧展があればなとずっと思っていました。蓬春は山種美術館で作品を観る機会が多く、そのモダンでグラフィカルな構図と明るく清澄な色彩に惹かれ、葉山の山口蓬春記念館にも何度か足を運びましたが、かつての自宅を改装しただけの建物なので、それほど作品は多く展示されていません。

ちなみに山口蓬春記念館は、神奈川県立近代美術館葉山から歩いてすぐのところにあり、海岸までも数分という近さ。自然豊かで長閑なとてもいいところです。近代美術館に行ったときにセットで回るといいと思います。

さて、本展は東京では17年ぶりの回顧展ということなのですが、会場がデパートの催事場なのでどうかなと思いましたが、初期から最晩年まで約50点が幅広く集まり、なかなか充実してよい展覧会でした。

デパートの展覧会なので会期が短く、わずか13日間だけ。Twitterとかでアンテナを張ってなければ、あやうく見逃しているところでした。


会場の構成は以下のとおりです:
Ⅰ やまと絵の頂点へ
Ⅱ 蓬春美への飛躍
Ⅲ 南方へ
Ⅳ 蓬春モダニズムの展開
Ⅴ リアリズムの追求
Ⅵ 新日本画への昇華
Ⅶ エピローグ

あまりよく知らなかったのですが、蓬春は子どもの頃から水彩画に慣れ親しみ、東京美術学校でも当初西洋画科に入るんですね。その頃の油彩画が展示されていましたが、ポスト印象派からの影響が見て取れ、戦後マティスやブラック、ホドラーといった西洋近代絵画に近づくことを考えると興味深いものがありました。

山口蓬春 「那智の滝」
昭和4年(1929) 二階堂美術館蔵

日本画に転向してからは松岡映丘に師事。「那智の滝」や「緑庭」など大正から昭和初期にかけての作品には映丘の新興大和絵の影響を感じさせるものが多くありました。サントリー美術館の『遊びの流儀』にも山口蓬春旧蔵の桃山時代の「十二ヶ月風俗図」が展示されていたり、蓬春が描いた「士女遊楽図」が展示されていましたが、この頃は大和絵の習得に熱心だったんだろうなと思います。

山口蓬春 「初夏の頃(佐保村の夏)」
大正13年(1924) 山口蓬春記念館蔵

その後、蓬春は新興大和絵に限界を感じ、映丘と袂を分かつ形で近代的な日本画への道を歩みます。水墨煙雨の右隻に錦秋の左隻という「夏雨秋晴」のようなこれまでの日本画学習の成果を感じる作品もあれば、現代の若い日本画家の作品かと見紛うような新味を感じさせる「初夏の頃(佐保村の夏)」があったり、また同世代の速水御舟を彷彿とさせるような作品や、琳派をよみがえらせたような作品など、この時代の蓬春は新しい時代の日本画の創作にとても意欲的だった様子がうかがえます。

山口蓬春 「泰山木」
昭和14年(1939) 山口蓬春記念館蔵

東京国立近代美術館で蓬春が描いた戦争画を観たことありますが、蓬春は藤田嗣治らと大日本航空美術協会を立ち上げるなど、戦時体制の画壇の中でもその中枢にいたといいます。本展では戦時下の台湾を訪れ描いた「南嶋薄暮」や描くにあたって撮影したという写真が展示されていましたが、蓬春がどのような思いで戦争画やこれらの作品を描いたのか気になるところではあります。

山口蓬春 「夏の印象」
昭和25年(1950) 個人蔵

山口蓬春 「枇杷」
昭和31年(1956) 山口蓬春記念館蔵

戦後になるといわゆる‟蓬春モダニズム”へと画風が大きく展開し、頭の中にある山口蓬春のイメージと繋がります。輪郭線と色面をずらして描いた「夏の印象」やくっきりとした輪郭線で対象を浮き立たせた「枇杷」、蓬春のお得意の紫陽花を描いた「まり藻と花」、そしてメインヴィジュアルにも使われている白熊とペンギンが愛らしい「望郷」など、安定した構図と明るく落ち着いた色彩、そして画面全体に溢れる美しさや清々しさは眺めているだけでとても心地よい気持ちになります。

山口蓬春 「望郷」
昭和28年(1953) 個人蔵

輪郭線が描かれただけの未完の遺作が最後に展示されていました。蓬春はここにどんな色を塗ろうとしていたのでしょうか。


【山口蓬春展 新日本画創造への飽くなき挑戦】
東京会場:2019年8月7日(水)~8月19日(月) 日本橋高島屋S.C.本館8階ホール
大阪会場:2019年8月28日(水)~9月9日(月) 大阪高島屋7階グランドホール

2019/08/18

円山応挙から近代京都画壇へ

東京藝術大学大学美術館で開催中の『円山応挙から近代京都画壇へ』を観てきました。

ここ数年、幕末から明治にかけての近代京都画壇に興味を持ち、いくつか展覧会も観て回ったり、今年はGWに『四条派のへの道 呉春を中心として』も観たりして、個人的には今一番関心のあるターゲットにピンポイントの展覧会です。

円山応挙は言うまでもなく江戸時代中期に写生にもとづく新しい画風を打ち立て、江戸絵画に革命をもたらせた円山派の祖にして、江戸絵画史上最も重要な絵師。一方、呉春は、最初に与謝蕪村の弟子となり、俳諧や文人画を学び、蕪村の死後に応挙に近づき、写生画の技術を身に付け、応挙とはまた異なる情趣溢れる画風で四条派の祖とされるようになります。

よく一括りで円山・四条派という言い方をします。これは円山派と四条派がそもそも画風に近いところがあるのと、同じ京都画壇ということで相互の影響し合っていることからそう呼ばれるのですが、今回の展覧会はその円山・四条派が明治に入り、いかに近代京都画壇へ展開していくのか、その流れを追っています。


展示の構成は以下のとおりです:
すべては応挙にはじまる。
孔雀、虎、犬、命を描く。
山、川、滝。自然を写す。
美人、仙人。物語を紡ぐ。

<すべては応挙にはじまる>ということで、本展の目玉作品でもある兵庫・大乗寺の襖絵が最初にどんと展示されています。

円山応挙 「松に孔雀図」(重要文化財)
寛政7年(1795) 大乗寺蔵

大乗寺の住職が修業時代の応挙を援助したことが縁で、再建された伽藍の障壁画165面を応挙と12人ともいわれる弟子たちにより描き上げられたといいます。東京展と巡回先の京都展では出品される作品が少し異なるそうで、東京展では応挙の「松に孔雀図」8面を含む5点(32面)が出品されています。

応挙に孔雀を描いた作品は多く、またそれは円山派の絵師たちにも受け継がれていますが、 「松に孔雀図」の孔雀を観ると正にすべては応挙からはじまったんだなという感慨を覚えます。金地の襖8面の大きく枝を伸ばす松の大木も孔雀も墨一色で描かれているのに、墨の濃淡や筆の入れ方により、まるで彩色されているような錯覚に陥るのは応挙の腕のなせる技なのでしょう。

呉春は応挙門下ではありませんが、大乗寺の障壁画制作に参加しています。第一期(1787年)に描いた「群山露頂図」では蕪村を思わせる南画的表現を見せますが、7年後の第二期(1795年)の「四季耕作図」では応挙の画風に寄せた襖絵を描くなど、呉春作品の随所から応挙学習の成果が感じられます。

呉春では対幅の「松下游鯉図」と「巌上孔雀図」がかなり応挙を意識した作風で、ただ応挙ほど細密にかっちり描くという感じでないのが呉春風という気がします。一方、なかなかインパクトのある「山中採薬図」は樹木や岩の描き方や彩色に蕪村の影を感じますが、呉春らしい顔立ちの二人の人物の造形が割と確かなのは応挙から学んだものなのかなとも感じます。ちなみに蕪村の作品も数点出品されています。

呉春 「山中採薬図」
江戸時代後期 逸翁美術館蔵(展示は9/1まで)

展示は時代や流派・絵師ごとではなく、章のテーマに沿って並んでいます。孔雀の画なら孔雀の画で、瀑布なら瀑布で、鳥なら鳥でまとめられているのですが、同じ孔雀の絵を観ても、応挙の息子・応瑞は応挙に忠実な画を描いてますし、芦雪は主題は雌雄の孔雀なのにまわりのスズメがあまりにかわいく(蜘蛛を咥えたスズメまでいる)遊び心を感じます。

芦雪の「花鳥図」は、左隻は藤の枝ぶりが応挙の「藤花図屏風」(本展未出品)を思わせるのに対し、右隻は奇態な岩やスズメやツバメの独特の表現が芦雪らしいところ。同じ応挙十哲の源琦の「四季花鳥図」は応挙風の木の枝ぶりや雉を独特の色彩感と装飾性でまとめたところに新しい表現への模索を感じます。

岸竹堂 「猛虎図」
明治23年(1890) 株式会社千總蔵(展示は9/1まで)

今回とても強い印象を受けたのが京友禅の老舗・千總が所蔵する作品。先の芦雪の「花鳥図」も千總の所蔵品なのですが、本展へ出品された千總コレクションに優れた作品がとても多く驚きました。岸竹堂の「猛虎図」は昨年ホテルオークラで開催された『秘蔵の名品 アートコレクション展』で拝見してますが、何度観てもその写実と迫真の表現には舌を巻きます。同じ竹堂の「大津唐崎図」は銀泥が変色してたり、縦に線が残ってしまったりしてたのが少々残念でしたが、実景描写は興味深いものがあります。極めつけは木島櫻谷の「山水図屏風」の壮大さと空気感。江戸の円山四条派から脱却し、新しい日本画の時代に移行したことを強く訴えかけます。

幸野楳嶺 「敗荷鴛鴦図」
明治18年(1885)年頃 敦賀市立博物館蔵(展示は9/1まで)

本展はとにかく優品揃い。幸野楳嶺の「敗荷鴛鴦図」など、昨年の『京都画壇の明治』に出ていた作品もいくつか来ていました。ほかに印象深かった作品としては、呉春門下の岡本豊彦の「苫船図」、円山派の写生と四条派ならではの情趣が融合したような見事な屏風でした。その豊彦に学んだ塩川文麟の「嵐山春景平等院雪景屏風」も応挙を彷彿とさせる雪の松と詩情豊かな風景はなるほど幕末の平安四名家と謳われただけあるなと感じます。その文麟に師事した野村文挙の「近江八景図」もレベルの高さに驚きました。

原在中の「二見浦富士図」は応挙というより谷文晁ばりの実景図ですが、在中の方が文晁より一回り上なのですね。これも興味深かったです。松村景文の「やすらい祭絵巻」からは横山華山に繋がるものも感じられました。

楳嶺門下の都路華香の「雪中鷲図」も伝統的な鷲図にして迫真の構図が素晴らしい。その楳嶺には珍しい美人画も良かったです。円山応挙の美人画の代表作「江口君図」や応挙の美人画を学んだという上村松園など円山派の美人画も見どころです。

円山応挙 「江口君図」(重要美術品)
寛政6年(1794) 静嘉堂文庫美術館蔵(展示は9/1まで)

見応えある大乗寺障壁画はもちろん見事なのですが、応挙・蘆雪は見慣れてることもあり特段驚くことはないものの、応挙門下や幕末から明治にかけての京都画壇が思いの外充実していて素晴らしいものがありました。円山派は円山派の、四条派は四条派のそれぞれの良さが分かるし、近代になると両派が渾然一体となり京都画壇を創り上げていく様も見て取れます。


【円山応挙から近代京都画壇へ】
2019年9月29日(日)まで
東京藝術大学大学美術館にて



円山応挙から近代京都画壇へ