2017/08/14

月岡芳年 妖怪百物語

太田記念美術館で開催中の『月岡芳年 妖怪百物語』を観てまいりました。

月岡芳年の代表作である「和漢百物語」シリーズと「新形三十六怪撰」シリーズ、そして「月百姿」シリーズの全点を2カ月に分けて公開するという展覧会。

ちょうど5年前ですが、芳年が観たい、芳年が観たいとほうぼうで言っていたら、東京で約17年ぶりという『月岡芳年展』が同じ太田記念美術館で開かれ、あらためて芳年のドラマティックでエネルギッシュな浮世絵版画の世界に惚れ込みました。その中で、とりわけ印象に残ったのが、この「和漢百物語」と「新形三十六怪撰」と「月百姿」。その時の展覧会では全点は観られなかったので、これはもう芳年好きにはたまらないのではないでしょうか。

今月8月は芳年初期を代表する「和漢百物語」シリーズと晩年の傑作「新形三十六怪撰」シリーズを全点展示。ほかにも芳年の怪奇もの妖怪ものの浮世絵版画を集め、夏にぴったりの展覧会になっています。

月岡芳年 「羅城門渡辺綱鬼腕斬之図」
明治21年(1888)

まずは畳の座敷に上がらせていただいて、並んだ作品をじっくり拝見。
いきなり「岩見重太郎兼亮 怪を窺ふ図」は半裸の女性が生贄にされているというショッキングな浮世絵。ヒヒの姿をした妖怪というのも珍しい。「不知藪八幡之実怪」はなんと水戸黄門が登場。一度入ったら二度と出られないという藪の前でいかつい白髪の老人が光圀が藪に入るのを防ぐという絵。「羅城門渡辺綱鬼腕斬之図」は上空から襲いかかる鬼とそれを見上げる渡辺綱という竪二枚継のスリリングな構図が見事。横殴りの雨と稲光の描写もインパクトがあります。渡辺綱の鬼退治の話は妖怪物の浮世絵ではよく見かけ、本展でも同画題の作品が他にもありました。

月岡芳年 「和漢百物語 伊賀局」
慶応元年(1865)

「和漢百物語」からは「伊賀局」。後醍醐天皇の妃に仕えた女官の話で、亡霊をものともせず涼しげな顔で団扇を仰ぐ姿が面白い。


第1章 初期の妖怪画

芳年は数え12歳の頃に歌川国芳のもとに入門。その3年後には三枚続の大判錦絵を手掛けるまでになったといいます。「桃太郎豆蒔之図」は数え21歳のときの作品。この頃はまだ後年のような複雑な線は見られず、構図もそれほど凝ってません。ただ翌年制作の「楠多門丸古狸退治之図」を見ると、闇に浮かぶ化け物を黒い影のように描くなど、師・国芳の画風を継承しながらも構図や表現に独自性を出そうとしていたようです。

月岡芳年 「楠多門丸古狸退治之図」
万延元年(1860)

青い色の山姥が不気味な「正清朝臣焼山越ニ而志村政蔵山姥生捕図」や、日本の動物と異国の動物の対決というユニークな「和漢獣物大合戦之図」、禿や山伏の姿をしたユーモラスな妖怪が楽しい「於吹島之館直之古狸退治図」、歌舞伎の曽我ものでは脇役の朝比奈三郎が閻魔大王を叩きのめすという「一魁随筆 朝比奈三郎義秀」など、題材の幅の広さもさることながら、芳年の表現力・構成力がどれも楽しい。


第2章 和漢百物語

「和漢百物語」はその名のとおり、日本(和)や中国(漢)の怪異譚を取り上げた揃物の浮世絵版画。百物語となってますが、実際には26図のみ。「酒呑童子」や源頼光朝臣の土蜘蛛、大宅太郎光圀のがしゃ髑髏、渡辺綱の鬼退治といった説話ものでよく見る妖怪もあれば、織田信長や豊臣秀吉に因んだ怪談や相撲の力士が化け物を退治する話など、そんな話もあるんだというようなものもあります。歌舞伎の『伽羅先代萩』の仁木弾正の名場面を描いたものもありました。

月岡芳年 「和漢百物語 酒呑童子」
元治2年(1865)

月岡芳年 「和漢百物語 白藤源太」
元治2年(1865)

「白藤源太」は河童が相撲を取ってる図が笑えますが、白藤源太が河童を投げ殺したという伝説に基づくのだとか。相撲絵にもよく描かれる小野川喜三郎も妖怪を退治したという伝説があるそうで、首長入道に煙草の煙を吹きかけるというユニークな作品がありました。

月岡芳年 「和漢百物語 頓欲ノ婆々」
慶応元年(1865)

「舌切り雀」も芳年が描くとこうなる(笑)。大きなつづらを開けると、そこには…。妖怪もユーモラスですが、頭を抱えて仰け反る婆さんも可笑しい。

月岡芳年 「和漢百物語 華陽夫人」
元治2年(1865)

「華陽夫人」はまるでピアズリーのサロメ。秦の皇帝の后で絶世の美女だが、実は悪狐だったという話だそうです。


第3章 円熟期の妖怪画

菊池容斎の『前賢故実』というと、松本楓湖や小堀鞆音などに代表される明治期の歴史画に多大な影響を与えた日本の歴史上の偉人たちの人物画伝ですが、芳年もその影響を強く受けていたのだそうです。人物の表現が明らかに緻密になっただけでなく、西洋画を意識した陰影法を取り入れたり、構図もよりダイナミックで劇的なものになっていくのが分かります。「大日本名将鑑 平惟茂」なんて、まるで劇画です。縦の構図で巨鯉に乗る金太郎を描いた「金太郎捕鯉魚」も迫力満点。庭の雪山が骸骨になっているだまし絵風の「新容六怪撰 平清盛」も面白い。

月岡芳年 「大日本名将鑑 平惟茂」
明治12年(1879)


第4章 新形三十六怪撰

「新形三十六怪撰」はその名のとおり36図からなる芳年最晩年の集大成。かつてのような過剰な演出や奇抜な表現は影を潜め、線もより繊細になり、どちらかというと様式美を感じるところさえあります。

月岡芳年 「新形三十六怪撰 清玄の霊桜姫を慕ふ」
明治22年(1889)

月岡芳年 「新形三十六怪撰 二十四孝狐火」
明治25年(1892)

「新形三十六怪撰」には「舌切り雀」や「分福茶釜」のようにオーソドックスな昔話もありますが、「四谷怪談」や「桜姫東文章」、「本朝二十四孝」、「関の扉」、「船弁慶」、「鷺娘」のように歌舞伎や能などで人気の演目や三遊亭圓朝の怪談噺「牡丹灯籠」、河鍋暁斎の作品でも知られる「地獄太夫」など、どちらかというと、江戸時代以降に創作された話や時代的にも新しい怪談が中心になっているようです。

月岡芳年 「新形三十六怪撰 ほたむとうろう」
明治24年(1891)

芳年の弟子に美人画を得意とした水野年方がいて、昨年、同じ太田記念美術館で『水野年方展』も拝見しましたが、「新形三十六怪撰」の優美な女性像や、今回出品されてませんが、年方の美人画の代表作「風俗三十二相」などを観ると、年方や年方の門人である鏑木清方や池田輝方といった美人画に連なるものも感じます。

月岡芳年 「新形三十六怪撰 地獄太夫悟道の図」
明治23年(1890)

9月には「月百姿」が全点公開。本展の半券提示で次回の『月岡芳年 月百姿』が200円割引になります。


【月岡芳年 妖怪百物語】
2017年8月27日まで
太田記念美術館にて


月岡芳年 妖怪百物語月岡芳年 妖怪百物語

2017/08/06

萬鐵五郎展

神奈川県立近代美術館葉山で開催中の『萬 鐵五郎展』を観てまいりました。

去年の夏も葉山まで『クエイ兄弟展』を観に行ったのですが、ちょうど海水浴に行く人たちと時間が重なり、バスを何便も見送るという目にあったので、今回は平日に、時間もずらして行ってきました。

萬鐵五郎というと代表作のいくつかを東京国立近代美術館で観たりする程度で、それほど高い関心は持ってなかったのですが、昨年の東京ステーションギャラリーの『動き出す!絵画』と今年の埼玉県立近代美術館の『日本におけるキュビズム』で萬のさまざまな作品に触れ、にわかに興味を持ち始めました。

本展は今年の春に岩手県立美術館で開催された展覧会の巡回で、萬鐵五郎のここまでの規模の回顧展は約20年ぶりだそうです。水彩、油彩、素描だけでも約360点(前後期展示替えあり)、資料関係を含めると約440点という膨大な量。展示が充実しているのはもちろんですが、ここはスペースも広いので、ゆったりとして見やすいのがいいですね。


Ⅰ. 1885-1911 出発

10代の頃の図画帖や水墨画、洋画風の鉛筆画、水彩画などが展示されていましたが、面白かったのが通信教育で添削された水墨画。明治時代に水墨画の通信教育があったのも驚きなのですが、漁師を描いた絵に頭は6頭身にするようにとか講師のコメントが朱筆で事細かに書かれていて面白い。こうして基礎をみっちり叩き込んだのでしょう、20歳の頃の油彩画「静物(コップと夏みかん)」を観ても描写がとても的確です。

萬鉄五郎 「静物(コップと夏みかん)」
明治38年(1905) 岩手県立美術館蔵

東京美術学校に首席で入学し、卒業するときは19名中16番目だったというのは有名なエピソード。美校時代は「婦人像」のように典型的な外光派の油彩画も残していて、この路線のままいけば卒業も優秀な成績だったかもしれませんが、途中から後期印象派やフォーヴィズムに感化され、画風が一変。当時の美校では全く評価されなかったそうです。

萬鉄五郎 「婦人像」
明治43年(1910)頃 岩手県立美術館蔵

萬鉄五郎 「点描風の自画像」
明治44年(1911)頃 岩手県立美術館蔵

とはいえ、不評だった卒業制作「裸体美人」も今や重要文化財。そんな「裸体美人」をはじめ多くの萬作品でモデルにもなった“よ志”夫人のコメントが紹介されていましたが、萬の表現主義的暴発に対し「したいようにしたらいい」と言っていたというのが笑えるし、この奥さんあって萬なんだなと思います。

萬鉄五郎 「裸体美人」 (重要文化財)
明治45年(1912) 東京国立近代美術館蔵

萬は自画像も多いんですが、ほんの数年の間でも作風の変化が激しく、さまざまに試行錯誤をしている跡も伺えます。今回の展覧会は一応時代ごとに区分けされているんですが、作品自体が年代順に並んでる訳でないので、表現の変化を細かに見る点ではちょっと分かりづらいのが難点。行ったり来たりして制作年を確認しながら観てました。

萬鐵五郎 「赤い目の自画像」
大正2年(1913)頃 岩手県立美術館蔵

萬鉄五郎 「雲のある自画像」
明治45~大正2年(1912-13)頃 岩手県立美術館蔵


Ⅱ.1912-1913年 挑戦

卒業後は、若手洋画家の表現主義的な盛り上がりの中で生まれたヒュウザン会(フュウザン会)に参加するなど意欲的な活動がつづきます。萬芸術の基礎となる要素がこの時期にほぼ出揃ったと解説されていました。日傘をさす女性や袴姿、丁字路、飛び込みといった繰り返し描かれるモチーフが現れ、女性の独特のフォルムもこの時期に固まってくるのが分かります。

萬鉄五郎 「女の顔(ボアの女)」
明治45・大正元年(1912) 岩手県立美術館蔵

萬鉄五郎 「風船をもつ女」
大正2年(1913)頃 岩手県立美術館蔵

並んで展示されていた「女の顔」と「女の顔(ボアの女)」の何ともいえない表情が秀逸。「風船をもつ女」もいかにも日本的な女性とフォーヴィズムの色彩の絶妙なバランス(アンバランスというべきか)、写実からは遠いところにあるリアルさが素晴らしい。日本女性を美しく描き出すのではなく、頭の大きさや胴の長さなど欠点や決して美しいわけではない顔の表情を強調することで、独特のリアリティを生み出していることに成功している気がします。

萬鉄五郎 「太陽の麦畑」
明治45・大正元年(1912)頃 東京国立近代美術館蔵

萬の場合、西洋の受け売りじゃなくて、萬ならではの造形や色彩になっているのが凄いと思うんです。毒々しい色彩と荒々しい筆致。つぎつぎと溢れ出るイメージ。中には「ゴッホ?」みたいなのもありましたが。

萬鉄五郎 「仁丹とガス灯」
明治45・大正元年(1912)頃 岩手県立美術館蔵


Ⅲ.1914-1918年 沈潜

生活や制作上の理由から約1年4ヶ月ほど岩手の土沢に移るのですが、この時期の作品は茶褐色の暗い色調や、これまでの激しさとは異なる重苦しい風景画などの作品に占められます。「木の間から見下した町」の気味の悪さ、息苦しさ。他の作品でも道や畑は波打つようにうねり、どことなくムンクを思わせるようなところもあり、萬の絵画制作に対する苦悩や鬱屈とした心の内を見るような気持ちになります。

萬鉄五郎 「木の間から見下した町」
大正7年(1918) 岩手県立美術館蔵

静物画も結構描いているようなのですが、この土沢時代の静物画はいいですね。決して明るくないし、楽しげな生活風景をイメージもできないのですが、家族が身を寄せ合って暮らしている慎ましい生活が滲み出ていて、とても惹かれます。

萬鉄五郎 「薬罐と茶道具のある静物」
大正7年(1918) 岩手県立美術館蔵

こうした暗く土着的な作品群はこの時期だけのようなのですが、カンディンスキーを思わせる作品や未来派のような作品もあったり、表現主義的な傾向もより強まっているところもあって興味深い一方で、ちょっと煮詰まっている感じもあります。

萬鉄五郎 「かなきり声の風景」
大正7年(1918) 山形美術館寄託

興味深いのはこの頃を前後して水墨の南画が増えてくるところ。萬の南画は以前にも観たことはありますが、今回は回顧展というだけあって展示数も多い。油彩とは違う自由奔放な筆遣いで、とりわけ茅ヶ崎移住後の作品は牧歌的な風景や人々が描かれていて観ていて楽しい。水分を含んだ太い墨で輪郭を描いた水墨の「裸婦」は萬の裸婦の独特のフォルムがよく出ていて、とても惹かれました。こうした南画に見られる大らかさは晩年の油彩にも活かされているようです。

萬鉄五郎 「川辺の石垣」
大正3~5年(1914-16) 萬鉄五郎記念美術館蔵(展示は7/30まで)

萬鉄五郎 「日の出」
大正8年(1919)年頃 萬鉄五郎記念美術館蔵(展示は7/30まで)

「もたれて立つ人」といえば、日本のキュビズムのエポックメイキング的な傑作。展示の並びが土沢時代のあとに来るので、土沢でもがき苦しんだ結果、生み出された作品のような印象を受け混乱するのですが、これは土沢に移る前に制作した作品。この時期の萬はキュビズムの研究に没頭するあまり神経衰弱に陥ったともいわれます。キュビズムの試みは少し前から見られ、裸婦画や風景画などにキュビズム様式を感じるものもありますが、特に自画像はピカソの自画像を思わせるものがあったり、「もたれて立つ人」と同じ朱色を使ったものもあったり、いろいろ模索をしていた跡が伺えるし、その結果が「もたれて立つ人」なんだろうと感じます。

萬鉄五郎 「もたれて立つ人」
大正6年(1917) 東京国立近代美術館蔵


Ⅳ.1919-1927年 解放

茅ヶ崎移住後の作品は明るく暖かな色彩に溢れ、肩の力の抜けた作品が目に見えて増えるのが分かります。温暖な気候風土も良い方向に影響したのでしょう。しばらく影を潜めていたフォーヴィズム的な造形も現れ、筆致も明らかにリズミカルです。茅ヶ崎の風景や海、子どもたちを描いた作品も目立ちます。

萬鉄五郎 「水着姿」
大正15年(1926) 岩手県立美術館蔵

体は大人の女性、顔は子どもというユニークは「宙腰の人」、宗達の「松島図」のような海に傘を持つ少女という組み合わせが面白い「水着姿」など、相変わらずインパクトの強い作品があります。この頃の静物画がまたとても良くて、キュビズムを咀嚼したような作品があったり、セザンヌを思わせる作品があったり、興味深い感じがしました。

萬鉄五郎 「ねて居るひと」
大正12年(1923) 北九州市立美術館蔵

萬は41歳で亡くなるので、画業という意味ではわずか20年ぐらいしかないんですね。萬の画風の変遷や日本の近代洋画のエポックメイキング的な傑作の数々を見ていると、あまりそんな風には思えないし、20年の画業とは思えない密度の濃さに驚きます。没後90年でこれだけの規模なんですから、没後100年にはどんな展覧会になるんでしょうか。


【没後90年 萬鐵五郎展】
2017年9月3日(日)まで
神奈川県立近代美術館 葉山にて


万鉄五郎 (新潮日本美術文庫)万鉄五郎 (新潮日本美術文庫)

2017/08/05

藤島武二展

練馬区立美術館で開催されている『生誕150年記念 藤島武二展』を観てまいりました。

藤島武二というと日本の近代洋画を牽引した最も重要な画家の一人ですが、自分の中でその特徴をいまひとつ掴めていないこともあり、そうした意味でも今回の展覧会を楽しみにしてました。

今回は生誕150年記念ということで、藤島の作品だけでも約150点(前後期合わせ)と出品数も多く、なかなか観られない個人蔵の作品も含め、代表作がほぼ出揃う貴重な機会。ここまでの規模の回顧展は15年ぶりといいます。早速開幕初日に行ってきましたが、大変充実した内容になっていて、明治の黎明期から昭和にかけての近代洋画の変遷を見る上でも興味深いものがありました。


本展の構成は以下のとおりです:
Ⅰ-1. 修行
Ⅰ-2. 飛躍
Ⅱ-1. 留学
Ⅱ-2. 模索
Ⅱ-3. 転換
Ⅲ-1. 追求
Ⅲ-2. 到達

藤島武二 「婦人と朝顔」
1904年 個人蔵

会場に入ってすぐのところに展示されているのが藤島の代表作「婦人と朝顔」。藤島というと、洋画版美人画ともいうべき、情緒的で、品のある美しい女性を描いた作品がパッと頭に浮かびます。

藤島が生まれたのは幕末の薩摩。父は薩摩藩士で、母方は祖先に狩野派の絵師がいるような家系だったといいます。薩摩で四条派の絵師に学び、京都では円山四条派最後の絵師ともいわれた川端玉章に師事。展示されていた当時の水墨画はあっさりした作品で、他にどんな日本画を描いていたのか気になるところではありますが、藤島自身は「最初の狩野派の画風の影響は生涯を通じてなかなか強いものがあるように思う」と語っているだけに、日本画の修行は藤島の基礎を成す重要なものだったのかもしれません。

藤島武二 「池畔納涼」
1898年 東京藝術大学蔵

洋画に転向すると、山本芳翠の指導を受けたそうで、最初期の油彩「桜狩」はなるほど芳翠風のニュアンスがあります。その後、外光派の表現に傾倒。黒田清輝は1歳上、同郷ということもあり、憧れの存在だったといいます。「逍遥」や「池畔納涼」は黒田の「湖畔」の影響を感じなくもありません。

与謝野晶子 『みだれ髪』
1901年

藤島といえば、与謝野晶子の歌集『みだれ髪』の装幀も有名。本展では『みだれ髪』に代表される藤島がデザインした装幀や絵葉書の展示が充実しています。会場の解説ではグラフィックデザインの先駆者という紹介のされ方がしてありましたが、ラファエル前派やアールヌーヴォーを取り入れた装飾的なデザインは今見ても素敵だし、たとえば与謝野晶子の『小扇』の扇子から顔を覗かせる構図は日本人離れしたセンスの良さを感じます。

そもそも藤島が装幀のデザインをするきっかけとなったのが、与謝野晶子が藤島の耽美的な表現を高く評価したからといわれています。一角に展示されていた「夢想」なんかは確かにロセッティの「ベアタ・ベアトリクス」を思い起こさせます。

藤島武二 「西洋婦人像」
1906-1907年 島根県立石見美術館蔵

ヨーロッパへ留学したのが38歳。すでに日本では成功しているのに、イタリアやフランスでちゃんと弟子入りしデッサンから学び直したというのが偉い。やはり本場の体験は大きかったようで、人物描写の精度がぐっと上がります。一方で、ヨーロッパでアカデミズムを学びながらフォーヴィズムや表現主義的な方向に流れるのも面白い。ローマの風景を描いた小品のいくつかはナビ派的な雰囲気すら感じます。

藤島武二 「うつつ」
1913年 東京国立近代美術館蔵

帰国後の画風の変化は大きく、しばらく模索の時期が続いたようですが、東洋的な女性像や装飾画などへアプローチを試みるあたりから、藤島本来のロマンティシズムや装飾性がさまざまなスタイルと融合し、作品としても安定してきます。「うつつ」は明治浪漫主義的な傾向が見られますが、「花籠」や「匂い」は垢抜けているというか、フォーヴィズムやマティスなどから吸収したものが成果として表れているように思います。

藤島武二 「花籠」
1913年 京都国立近代美術館蔵

藤島武二 「匂い」
1915年 東京国立近代美術館蔵

藤島の東洋的な女性像といえば、2014年にブリヂストン美術館で開催された『描かれたチャイナドレス』が記憶に新しいところ。とりわけ横顔を描いた構図が多く、これはイタリアのルネサンス期の横顔の婦人像に着想を得たといいます。女性を正面から描いた「うつつ」や「匂い」は情感溢れたロマンティシズムを感じますが、横顔から描いた「鉸剪眉」や「東洋振り」(8/22から展示)は顔立ちの美しさが際立ち、より素直に女性の美しさを感じられる気がします。

藤島武二 「鉸剪眉」
1927年 鹿児島市立美術館蔵

こうして観てると、画風の変遷はあっても、藤島の耽美的な好みや象徴主義的な傾向はヨーロッパ留学前と後であまり変わっていないのかもしれません。浜名湖の風景をイメージしたという「静」はシャヴァンヌを彷彿とさせますし、下から上へ視線を誘う縦の構図が印象的な「カンピドリオのあたり」は中間色が多用され、ルドンなど象徴主義の影響を感じます。

藤島武二 「山上の日の出」
1934年 京都国立近代美術館蔵

晩年は日本各地を旅し、海や山の風景、とりわけ「日本の国の象徴するに相応しい日の出の風景」を描くようになります。単純化が強まり、ロマンティシズムや装飾性は一気に薄れます。台湾の風景や風俗を描いた作品は小品ならではの味わい深さを感じたものの、これは完全に好みの問題ですが、晩年の海景を描いた作品群はどれも退屈。軍嘱託画家の頃の作品や絶筆など見どころはあるし、単純化された構成やあっさりとした筆触が藤島の行き着いた先というのは分かるのですが、あまり魅力を感じませんでした。

藤島武二 「耕到天」
1938年 大原美術館蔵

本展で唯一残念なのが、藤島の外光派時代を代表する「黒扇」と象徴主義的な傑作「天平の面影」がフランスのオランジュリー美術館で開催されている『ブリヂストン美術館の名品展』と重なり、出品されていないこと。それ以外はとても満足度の高い展覧会でした。


【生誕150年記念 藤島武二展】
2017年9月18日(月)まで
練馬区立美術館にて


巡回先:
鹿児島市立美術館 2017年9月29日(金)~11月5日(日)
神戸市立小磯記念美術館 2017年11月18日(土)~2018年1月28日(日)


日本の近代美術 (岩波文庫)日本の近代美術 (岩波文庫)

2017/07/22

吉田博展

損保ジャパン日本興亜美術館で開催中の『吉田博展』を観てまいりました。

昨年、千葉市美術館で開催され、話題になった展覧会。郡山や久留米などを巡回しての最後の開催が東京になります。千葉に行かなかったので一年越しでようやく拝見することができました。

去年はちょうど同じ時期に、吉田博と対立した黒田清輝の展覧会も重なり、そうした話題性があったのは確かですが、昨今の明治期の洋画を見直す機運の中、半ば忘れられていた吉田博の再評価されるきっかけになったのも事実でしょう。

混み合いそうな休日の昼間は避け、土曜日の16時に入ったのですが、この時間でも結構人が入っていて、吉田博の人気の高さに驚きました(混雑というレベルではありませんでしたが)。木版画の評価が高い人ですが、水彩や油彩の技術も大変優れていたこともよく分かりました。さすが黒田清輝に楯突いただけのことはあります。


会場の構成は以下のとおりです:
第一章 不同舎の時代:1894-1899
第二章 外遊の時代:1900-1906
第三章 画壇の頂へ:1907-1920
第四章 木版画という新世界:1921-1929
第五章 新たな画題を求めて:1930-1937
第六章 戦中と戦後:1938-1950

吉田博 「冬木立」
明治27-32年 横浜美術館蔵

小学生の頃のスケッチがあって、小学生にしては上手だし、10代後半の水彩画もその写実性といい、色の感じといい、明治20年代で、しかも10代でここまでの作品が描けるのかと驚きます。会場の解説によると、明治中期は海外からの水彩画家の来日もあり、水彩画ブームが起きていたのだとか。確かに明治期の洋画では水彩画をよく見かけますが、吉田の20歳前後の作品なんか観ても、当時の水彩画のレベルの高さがよく分かります。

吉田博 「雲叡深秋」
明治31年 福岡市美術館蔵

明治期は水彩の方が作品としては多いようですが、油彩もちらほらあって、こちらもとても巧い。後年の作品に比べればまだ少し硬かったり、奥行き感に乏しかったり、描き過ぎている感じがあったりしますが、十分に写実的だし、吉田ならではの構図の巧さや迫真性が光ります。水彩にしても油彩にしても、朝靄だったり、霧だったり、夕暮れだったり、大気や時間を感じる作品が多く、これは後の吉田の木版画でも特徴的に表れています。

吉田博 「チューリンガムの黄昏」
明治38年 福岡市美術館蔵

吉田は何度か渡米しては展覧会で絵を売って、そのお金でアメリカやヨーロッパに遊学してるのですが、各地を取材して風景を描くだけでなく、ベラスケスやレンブラントを模写したり、最新の西洋画を吸収することにも余念がなかったようです。明治後期の油彩画「チューリンガムの黄昏」や「昼寝-ハンモック」などはホイッスラーを彷彿とさせるような平板で暗い色調が印象的。「瀧」や「街道の春」はどことなくセザンヌぽさも感じます。山岳風景の壁画連作「槍ヶ岳と東鎌尾根」 や「野営」はホドラーを思わせ興味深い。

吉田博 「ヴェニスの運河」
明治39年 個人蔵

「ヴェニスの運河」は夏目漱石の『三四郎』にも登場する作品。美術に造詣の深かった漱石も吉田博の作品には注目していたということでしょう。構図的にも表現的にもオーソドックスでありますが、明治期の主流だった黒田清輝率いる白馬会系のアカデミズムな洋画とは違う感じがします。吉田が渡米したのは黒田がフランスから帰国して6年後ぐらいのなのですが、やはり急激な変化を遂げた19世紀末の欧米の美術動向を考えると、目にしたもの吸収したものは全然違うでしょうし、吉田の渡米後の作品を観ていると、黒田の作品は一時代古いものに映ります。

吉田博 「穂高山」
大正期 個人蔵

明治時代はスポーツや趣味としての登山は一般的でありませんでしたが、吉田は全国の山々を歩いては作品を描いています。やはり登山家の憧れ、日本アルプスには強く心惹かれたのか作品も多く、次男の名前も「穂高」としたほどとか(長男にも山の名前を付けようとしたが反対されたといいます)。山を描いた吉田の作品は山を登る人ならではの視点があり、その雄大な景色だけでなく、山を登った人だけが味わえる感動のようなものが伝わってきます。

吉田博 「日本アルプス十二題 劔山の朝」
大正15年 個人蔵

関東大震災後、資金集めのために渡米したアメリカで目にしたものは幕末の浮世絵がいまだ持て囃されている現実。当時日本で人気だった川瀬巴水や伊東深水の新版画にも物足らなさを感じていた吉田は自ら木版画の制作にも手を染めるようになります。吉田の木版画には“自摺”を記されたものがあって、これは彫師や摺師は別にいるわけですが、画家自身が厳しく監修をした証のようなものなのだそうです。“絵の鬼”と呼ばれただけあり、木版画制作も他人任せにせず、その仕上がりには強いこだわりを持っていたのでしょう。

吉田博 「瀬戸内海集 帆船 朝」「帆船 午後」
大正15年 個人蔵

やはり木版画の味わいは格別。巴水と違うと感じるのは吉田の出発が洋画だからでしょうか。吉田博の木版画の特徴は、水彩画と見紛うような繊細で精緻な描写と、色の加減が複雑に表現された見事なグラデーション。同じ版木で朝、昼、夕方といったように色を変えて別摺したシリーズもいくつかあって、光や大気の変化にこだわりを持っていたことも感じます。木版画ではあまり見ない大判の作品も多く、実際に技術的にも制作が非常に難しかった作品もあったようです。

吉田博 「フワテプールシクリ インドと東南アジア」
昭和6年 個人蔵

木版でここまで微細な表現ができるの?と思うような作品もあって、木版画の概念が覆ります。特にインドに取材した作品に精緻な描写が多く、「フワテプールシクリ インドと東南アジア」のアラベスク模様の極めて精緻な文様や床に反射する光の表現には驚愕しました。どれだけ手がかかってるのか。

吉田博 「空中戦闘」
昭和16年 個人蔵

木版画に没頭するようになってから十数年、まだまだこれからという時期に不幸にも戦争が始まります。ご多分に漏れず吉田も従軍画家として中国に赴き、戦争画を描いています。「空中戦闘」は中国軍との空中戦を描いた作品、「急降下襲撃」は戦闘機からの視点で爆撃の様子を描いた作品。ともに戦闘機に搭乗した経験がないと描けないような構図で、現場主義の吉田ならではの作品という気がします。そばには似た構図の写真やスケッチがあって、実際に見た光景をもとにフィクションとして描いていることが分かります。

吉田博 「初秋」
昭和22年 個人蔵

吉田の作品はアメリカで人気が高かったということもあり、戦後米軍関係者がこぞって吉田のもとを訪れたといいます。自宅でアメリカ人と歓談する写真が展示されていましたが、どこかで観たことあるなと思ったら、川瀬巴水にも戦後外国人が作品を買い求めに来たというエピソードがあったのを思い出しました。日本の新版画は技術の高さだけでなく、その美しい風景や詩情性も人気が高かったのでしょうね。

会場入口で『痛快!吉田博伝』という13分ほどの紹介映像が流れています。ここで予習してから作品を観てまわるといいと思いますよ。


【生誕140年 吉田博展 山と水の風景】
東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館にて
2017年8月27日(日)まで


吉田博 全木版画集吉田博 全木版画集