2015/08/09

画鬼暁斎

三菱一号館美術館で開催中の『画鬼暁斎 - KYOSAI  幕末明治のスター絵師と弟子コンドル』のブロガー内覧会がありましたので参加してまいりました。

西洋美術のイメージの強い三菱一号館美術館では珍しい日本美術の展覧会。実は三菱一号館を設計した英国人建築家ジョサイア・コンドルは河鍋暁斎の弟子でもあるという縁があるんです。

それにしても最近の暁斎の注目度はすごいですね。関連本が出たり、雑誌で特集されたり。その割にここ数年、暁斎の作品をまとめて観られる企画がなかったので、タイムリーな展覧会ではないでしょうか。

前期にも拝見しましたが、わたしが行った日も結構な人の入り。土日は時間帯によってはかなり賑わっているようです。8/4からは後期展示もはじまり、いよいよ展覧会も終盤戦。ちょっと見どころをまとめてみました。


Ⅰ.暁斎とコンドルの出会い-第二回内国勧業博覧会

まずは暁斎とコンドルの出会いから。明治政府の雇われ建築家としてコンドルが来日したのは明治10年、25歳のとき。イギリスで競技設計で受賞するなどしていたものの、実作はまだなかったそうです。コンドル設計の上野博物館(東京国立博物館の前身)で開かれた第二回内国勧業博覧会で暁斎の作品は最高賞を受賞していて、その絵に感動したコンドルが暁斎の門を叩いたともいわれています。まだまだ文明開化から十数年のことで暁斎は驚かなかったんだろうかと思いますが、コンドルの来日前から暁斎はフランス人実業家エミール・ギメと交流があったり、外国人から絵の注文を受けていたり、外国人とはいろいろ接点はあったようです。

[写真左] 河鍋暁斎 「枯木寒鴉図」 明治14年(1881) 榮太樓總本鋪蔵

「枯木寒鴉図」は暁斎が第二回内国勧業博覧会で最高賞を受賞した作品。破格の百円で売りに出したところ、鴉一羽に百円は高すぎだろうと非難されるも、暁斎はこれは一羽の値段でなくこれまで研鑚修行の成果の対価だとし、それを榮太樓飴で有名な日本橋・榮太樓が購入して話題になったといいます。これがきっかけで暁斎の鴉画は人気となり、注文が殺到したとか。あまりの人気に暁斎は鴉の落款印まで作っていて、会場に展示されてる鴉画の中にも鴉の落款印が押されてるものがあります。探してみてね。


Ⅱ.コンドル-近代建築の父

ここではコンドルの建築家としての業績を紹介。コンドルが設計した三菱一号館美術館や財界人らの邸宅の建築図面、現存する鹿鳴館の貴重な階段や壁紙見本などが並びます。コンドルは当初5年だった契約を延長し、数多くの建築物を残しただけでなく、日本人建築家の育成にも尽力し、日本に骨を埋めます。大変な日本びいきで、日本画のほかに舞踊や生け花などにも親しみ、奥さんも日本舞踊の師匠だったとか。会場には二人の舞踊の写真やコンドルの羽織姿の写真などもあります。

鹿鳴館の階段は昭和15年に取り壊しされる際に東京帝国大学が保存したものとか。


Ⅲ.コンドルの日本研究

コンドルが描いた日本画も少ないながらも充実。コンドルの絵は過去にも観たことがあるのでその実力は知っていましたが、それでもその腕前にあらためて舌を巻きます。入門してから暁斎が亡くなるまでの8年間、暁英の号を授かるほどのコンドルの素質もさることながら、画技を余すことなく伝えようとした暁斎の熱意もすごかったんでしょうね。

コンドルの「鯉之図」は暁斎の作品の一部を模して描いたもの。これが日本画を学んで数年の外国人が描いた作品とはまず誰も思わないでしょう。鯉の写実性なんて、師匠・暁斎より巧いんじゃないかと感じるほどです。展示されてる水墨画の筆触にしても、前期に出品されてた「霊照女 ・ 拾得図屏風」にしても、暁斎譲りの技法を忠実に再現していることが分かります。

[写真左] ジョサイア・コンドル 「鯉之図」 明治時代 河鍋暁斎記念美術館蔵


Ⅳ.暁斎とコンドルの交流

本展のメインコーナー。この章に展示されている作品は『暁斎絵日記』などを除いて全てコンドルの旧蔵品だとか。コンドルは他の弟子より高い月謝を払っていたり、作品を注文したり、パトロン的な役割も果たしていたといいますし、暁斎から譲られた作品も多くあったようです。

[写真左] 河鍋暁斎 「鯉魚遊泳図」 明治18-19年(1885-86) 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真中] 河鍋暁斎 「白鷲に猿図」 明治17年(1884) 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真右] 河鍋暁斎 「羅漢に蛇図」 明治19年(1886) 河鍋暁斎記念美術館蔵

「鯉魚遊泳図」は先のコーナーで展示されていたコンドルの「鯉之図」の元になった作品。一部をトリミングしてコンドルが描いているのが分かります。山口晃さんはコンドルの鯉はどこから見たものか分かるが、暁斎のは視点が自由だと語ったとか。

[写真左] 河鍋暁斎 「鷹匠と富士図」 明治18年(1885) 河鍋暁斎記念美術館蔵

「鯉魚遊泳図」は円山四条派を思わせるところがありますが、「羅漢に蛇図」は狩野派らしさがあります。「鷹匠と富士図」も江戸狩野派の瀟洒な感じがよく出てますね。暁斎の絵を観ていると、その引き出しの多さにいつも驚かされます。さすが歌川国芳の画塾に通い、狩野派に入門し、琳派の鈴木其一の娘と結婚し、浮世絵、狩野派、琳派、土佐派、円山四条派、中国画等々、さまざまな流派を貪欲に学んだ暁斎らしいなと感じます。前期展示品ですが、コンドルの画技の上達を喜んだ暁斎がコンドルに贈ったという「大和美人図屏風」も素晴らしい浮世美人画でした。

[写真手前] 河鍋暁斎 「暁斎絵日記」 明治18年(1885) 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真奥] ジョサイア・コンドル著 『Paintings and Studies by Kawanabe kyosai』
明治44年(1911) 河鍋暁斎記念美術館蔵

[写真手前] 河鍋暁斎 『暁斎絵日記』 明治20-21年(1887-88) 東京藝術大学蔵
[写真奥] 著・瓜生政和、画・河鍋暁斎 『暁斎画談(内篇/外篇)』
明治20年(1887) 河鍋暁斎記念美術館蔵

『暁斎絵日記』にはコンドルがちょくちょく登場していて、暁斎とコンドルの親しさが伝わってきます。暁斎はコンドルを“コンテル君”とか“コンテエル君”と呼んでいて、いちいち名前を書くのも面倒くさくなったのか、しまいにはハンコを作ってそれを押して済ませたりしています。絵のタッチがちょっと山口画伯っぽい。

著・瓜生政和、画・河鍋暁斎 『暁斎画談(外篇)』 明治20年(1887) 河鍋暁斎記念美術館蔵

『暁斎画談』は晩年に暁斎が弟子たちの後学のためにと書き残した資料。この「幽霊図」の実物はちょうど藝大美術館の『うらめしや~、冥途のみやげ展』に出品されていますね。『画鬼暁斎』の図録では五代目菊五郎所蔵の「幽霊図」を模写したとありますが、『うらめしや~』の図録には五代目菊五郎の幽霊画コレクションを見た暁斎がこれまでにない幽霊をと描き贈った作品とあります。どっちがほんと?


Ⅴ.暁斎の画業

暁斎はさまざまなタイプの作品を残していて、その全貌を捉えるのは至難の業。ここからは9つのパートに分けて暁斎の画業を追っていきます。

[写真左] 河鍋暁斎 「鹿に猿図」 明治21年(1888)頃 メトロポリタン美術館蔵
[写真右] 河鍋暁斎 「ぶらさがる猿図」 明治21年(1888)頃 メトロポリタン美術館蔵

[写真左] 河鍋暁斎 「瀧、鷲に猿図」 明治21年(1888)頃 メトロポリタン美術館蔵
[写真右] 河鍋暁斎 「鯉図」 明治21年(1888)頃 メトロポリタン美術館蔵

まずは本展の目玉の一つでもあるメトロポリタン美術館所蔵の暁斎の動物画から。もとは橋本雅邦や川端玉章らの絵も含む100図の画帖で、その内の36図が暁斎作品。本展では12図の暁斎の動物画が展示されています。いずれも最晩年の作とされ、技巧を極めた逸品ぞろい。力強く変幻自在な線に魅了されます。下絵が一緒にパネル展示されてます。

[写真左] 河鍋暁斎 「龍神に観音図」 明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真中] 河鍋暁斎 「風神雷神図」 明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真右] 河鍋暁斎 「白衣観音図」 明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵

≪道釈人物図≫はその画題からして伝統的な図像になりますが、だからこそ却って暁斎の画技の確かさが分かります。琳派によく見る「風神雷神図」もあって、琳派は向かって右に風神、左に雷神なのに対し、狩野探幽はその逆に描いていて、暁斎も探幽の伝統に従っています。

[写真上] 河鍋暁斎 「九相図」 制作年不詳 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真下] 河鍋暁斎 「卒塔婆小町図」 制作年不詳 河鍋暁斎記念美術館蔵

≪幽霊・妖怪図≫で目を引くのが「九相図」と「卒塔婆小町図」。彩色の「九相図」に対し「卒塔婆小町図」は墨線だけで、屍が朽ちて白骨になる様が段階を分けて描かれています。西洋の人体図を学んだり、また実際に生首を写生したなんて話もあるだけに、古来よくある九相図に比べてもかなりリアル。本当に朽ちていく死体を観て描いたんじゃないかと思うほどです。

[写真左] 河鍋暁斎 「姑獲鳥図」 明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真右] 河鍋暁斎 「土佐大蔵少輔藤原行光画百鬼夜行図」 明治前半 個人蔵

「姑獲鳥図」に“尾上梅幸”と墨書きされていたので、はてと思って調べたら五代目菊五郎のことでした(“梅幸”は菊五郎の俳名)。菊五郎に見せてもらった 幽霊画に倣って描いたものだそうです。藝大の『うらめしや~』にも五代目菊五郎の旧蔵品が複数出ていましたが、どれだけ幽霊画を持っていたんでしょうね。隣りに展示されてる「百鬼夜行図」にはユニークな付喪神がたくさん描かれていてちょっと楽しげ。

[写真左] 河鍋暁斎 「漂流奇譚西洋劇 パリス劇場表掛りの場 下絵」
[写真右] 河鍋暁斎 「漂流奇譚西洋劇 パリス劇場表掛りの場」
明治12年(1879) 河鍋暁斎記念美術館蔵

2年前の『河鍋暁斎の能・狂言画』(三井記念美術館)で取り上げられたように、暁斎は能や狂言を嗜み、それらを題材にした作品を多く残しています。≪芸能・演劇≫には、「三番叟」や「瓜盗人」といったメジャーな舞や狂言を描いたものや、九代目團十郎が賛を書いた「子供助六の股くぐり図扇子」なんていうのもありました。また、黙阿弥の芝居「漂流奇譚西洋劇」の宣伝用に描かれた作品もあって、こんな洋装の錦絵を描かせてもバチッとキマるんだからすごいですよね。

[写真右より] 河鍋暁斎 「月に狼図」 明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵
河鍋暁斎 「岩上の鷲図」 明治9年(1876) 河鍋暁斎記念美術館蔵

≪動物画≫では生首を咥えた「月に狼図」が秀逸。狼は淡墨であっさりと描いているのに対し、人の生首が妙に生々しい。≪山水画≫は数は少ないものの、ここでもやはりこの人は狩野派を代表する正統な絵師であることを強く感じます。山水画や南画など何れも真っ当で、遊びも交えず、変に近代的にもならず、正攻法で描いているのが印象的です。

[写真右より] 河鍋暁斎 「吉原遊宴図」 明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵
河鍋暁斎 「書画展覧余興之図」 明治14年(1881)頃 河鍋暁斎記念美術館蔵

≪風俗・戯画≫は暁斎の面白さが発揮されるところ。賑やかな書画会の様子を描いた「書画展覧余興之図」や、おちゃらけた場面だけど美人画としての要素も高い「吉原遊宴図」、楽しげな「蟹の綱渡り図」や「放屁合戦絵巻」、国芳の影響を感じる戯画など見どころが多い。どれもユーモア溢れ、期待を裏切りません。近年の暁斎人気はこうした戯画や狂画が先行している感があって、確かに特長の一つでもありますが、本展をここまで観ていると、暁斎はそれだけの絵師ではないことも十分に分かってきます。

河鍋暁斎 「はなこよみ」 明治3年以前 河鍋暁斎記念美術館蔵

そして、≪春画≫。春画が笑い絵と呼ばれるように、暁斎の春画はどちらかというとエロティックというよりコミカルなもので、エロい笑いを誘います。季節々々の江戸の行事や祭礼と絡めた春画というスタイルの小判錦絵「はなこよみ」や、「大江山絵巻」のパロディで妖怪の顔が性器になっている「大井山図」、女性にモテてモテて“ヤリすぎ”で死んだ若者があの世でも天女に襲われるという「若衆物語」など。ちなみにここは18歳以下閲覧禁止。

[写真左] 河鍋暁斎 「閻魔と地獄太夫図」 明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真中] 河鍋暁斎 「文読む美人図」、[写真右] 河鍋暁斎 「文読む美人図 下絵」
明治21年(1888)頃 河鍋暁斎記念美術館蔵

最後は≪美人画≫。個人的に暁斎で一番好きなのが美人画。美人画で定評のある浮世絵師の作品と比べても全く遜色ないですし、何より暁斎の描く女性は色気があって魅力的です。暁斎の美人画には地獄太夫ものと当世風美人ものがあって、特に地獄太夫は人気が高かったようです。「閻魔と地獄太夫図」は 閻魔大王が鏡を覗きこむと妖艶な地獄太夫が映っているというもの。よく見ると地獄太夫の着物が地獄を表した内掛けになっています。「文読む美人図」は浮世絵初期の立姿美人図を思わせます。衝立に寄りかかっていますが、「く」の字に曲げた姿も浮世絵美人図の伝統を感じます。

[写真左] 河鍋暁斎 「横たわる美人に猫図」 明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真右] 河鍋暁斎 「美人観蛙戯図」 明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵

猫を見つめる美人図と蛙の相撲を眺める美人図。二つとも小動物と美人の組み合わせがユニークですし、なんとなく癒しを感じさせる一方で、白い生脚が着物から覗いていたり、なんかエロティックだったりします。こうしたちょっとした描写、上手いですね。


作品的にはメトロポリタン美術館の所蔵品が一部あるものの、ほとんど暁斎記念美術館のもので、国内外の主要な作品が出てないのがちょっと残念。とはいえ内容自体はとても充実しているので、満足度はかなり高い展覧会でした。エキセントリックなところに固執せず、暁斎の画業をしっかりと多面的に追っているところがいいです。

暁斎の絵柄の限定アロハシャツや日本酒など、お土産コーナーも充実していますよ。


※展示会場内の画像は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。


【画鬼暁斎-KYOSAI 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル】
2015年9月6日(日)まで
三菱一号館美術館にて


河鍋暁斎―奇想の天才絵師 (別冊太陽)河鍋暁斎―奇想の天才絵師 (別冊太陽)


河鍋暁斎絵日記: 江戸っ子絵師の活写生活 (コロナ・ブックス)河鍋暁斎絵日記: 江戸っ子絵師の活写生活 (コロナ・ブックス)


河鍋暁斎 (岩波文庫)河鍋暁斎 (岩波文庫)

2015/08/01

うらめしや~、冥途のみやげ展

東京藝術大学大学美術館で開催中の『うらめしや~、冥途のみやげ展 -全生庵・三遊亭圓朝 幽霊画コレクションを中心に- 』を観てきました。

谷中の全生庵は明治の噺家で怪談を得意とした三遊亭圓朝の菩提寺。藝大美術館から歩いて10分ぐらいのところにあります。圓朝遺愛の幽霊画コレクションを所蔵していることから、円朝忌の行われる8月の一か月の間、幽霊画を展示するのが恒例になっています。

今年はその幽霊画を藝大美術館でも前・後期に分けて全50幅公開。たぶん展示替えの期間を上手く使って、交互に展示するのでしょう。

藝大美術館の方では、全生庵の幽霊画に加え、長沢蘆雪や曾我蕭白、また浮世絵の歌川国芳や葛飾北斎、近代の河鍋暁斎や上村松園など、江戸から明治にかけて著名な日本画家や浮世絵師による幽霊画も紹介。夏にぴったりの展覧会となっています。

もともとは2011年に開催を予定していたそうですが、東日本大震災の諸影響もあって、開催を延期していとか。確かに東日本大震災のあとでは冷静に観られなかったかもしれませんね。


会場は第一会場と第二会場に分かれ、4つの章から構成されています。
第1章 圓朝と怪談
第2章 圓朝コレクション
第3章 錦絵による「うらみ」の系譜
第4章 「うらみ」が美に変わるとき

土曜日の3時半頃に入ったのですが、結構な人の入り。 開幕最初の週からすごい人気ですね。暑い夏に見たいものはみんな一緒です。入口は暗く細い通路が続き、なんだかお化け屋敷みたいで、テンションもあがります。

第一会場には、全生庵の圓朝の幽霊画コレクションに加え、圓朝の怪談噺にまつわる品々や遺品、自筆資料を展示しています。

鰭崎英朋 「蚊帳の前の幽霊」
明治39年(1906) 全生庵蔵

全生庵には何度か行ってるので、ほとんどの幽霊画は観ているのですが、今回はガラスケースなしで観られるのが有り難い。仄暗い室内には蚊帳がつられていて雰囲気満点です。

メインヴィジュアルにも使われている鰭崎英朋の「蚊帳の前の幽霊」は圓朝の幽霊画コレクション屈指の傑作。怪談に出てくる美しくも気味の悪い幽霊のイメージそのものです。実は圓朝生前のコレクションではなく、七回忌のときに制作されたものとか。三遊亭圓朝の代表作『怪談牡丹灯籠』のお露を描いたといいます。だから蚊帳なんですね。

圓朝コレクションは玉石混淆なところもなきにしもあらずですが、前期展示では月岡芳年の肉筆幽霊画「宿場女郎図」と、五代目菊五郎が『加賀鳶』の死神を演じる際に楽屋にかけたという柴田是真の「桟橋の幽霊」が白眉。ほかにも、是真の高弟・綾岡有真の「皿屋敷」はよく見ると忍び泣く女性の袖の袂が透けていたりして、雰囲気あるなあと思います。中村芳中の幽霊画もあったけど、これ芳中?という感じもしないでもありません。

伝・円山応挙 「幽霊図」
江戸時代(18世紀) 全生庵蔵

伝・円山応挙 「幽霊図」
江戸時代(18世紀) 福岡市博物館蔵 (展示は8/16まで)

幽霊画というと落語にもなっている“応挙の幽霊”がつとに有名ですね。応挙筆と伝えられる幽霊画は多く、本展にも前後期合わせると実に4点も出品されていますし、応挙の幽霊画を模したとされる作品も数点あります。基本的に構図は同じで、白装束の楚々とした女性で、右手を懐に入れ、輿から下は消えています。何かこの世に未練を残した物寂しさが伝わってきます。正直、どれがホンモノでどれが贋作か分かりませんが、弟子の蘆雪による応挙の幽霊画を踏襲した作品もあったので、確かに応挙は幽霊画を描いているし、これだけ人気があったことを考えると、当時どれだけセンセーショナルを巻き起こしたのかが想像できます。

鏑木清方 「三遊亭円朝像」(重要文化財)
昭和5年(1930) 東京国立近代美術館蔵 (展示は8/16まで)

圓朝は百物語に因んで、約100幅の幽霊画を蒐集したといわれていますが、全生庵に現存するものは50幅。内いくつかは圓朝の没後に加わったコレクションもあるようです。一方で、圓朝の七回忌には「圓朝秘蔵の幽霊画80幅あまりに加え、法会に際して新たに制作された幽霊画50幅あまりが陳列された」そうで、そのとき制作されたという絵はがきなどを見ると、鏑木清方や石井滴水など現在のコレクションに含まれてない幽霊画もあって、行方知らずの作品も多くあるんだろうなという気がします。

葛飾北斎 「こはだ小平二 百物語」
天保2~3年(1831-32)頃 東京国立博物館蔵 (展示は8/16まで)

第二会場は江戸時代後半から明治時代にかけての錦絵や日本画の幽霊画の系譜を見ていきます。浮世絵では歌川国芳や月岡芳年、豊原国周、葛飾北斎などで、主に歌舞伎の怪談物や、国芳や芳年あたりが得意の幽霊画。割と浮世絵が並んでましたが、このへんは出せば切りがありませんし、去年の太田記念美術館の『江戸妖怪大図鑑展』と重なるところもあって、まあダイジェスト的な感じ。

河鍋暁斎 「幽霊図」
江戸末~明治3年(1860年)頃 イズラエル・ゴールドマン・コレクション蔵

日本画では、暁斎の「幽霊図」がさすがのクオリティ。“狂斎”時代の作品で、二番目の妻の臨終の姿のスケッチをもとに描いたとか。子どもの頃、川に流れ着いた生首を写生して周りの大人を驚かせたなんてエピソードがある人ですから、尋常ではありません。

ほかにも月岡芳年の不気味な肉筆画「うぶめ」や、美人画で有名な渓斎英泉の恐ろしげな「幽霊図」などが印象的。国内有数の幽霊画コレクションで知られる福岡市博物館の所蔵作品がいくつか来ているのもうれしいところです。蕭白の傑作「柳下鬼女図屏風」が異彩を放っています。

曽我蕭白 「柳下鬼女図屏風」
江戸時代(18世紀) 東京藝術大学蔵

会場の後半に、講談師・一龍斎貞水の『四谷怪談』の口演の映像を上映してる一角があります。映像が19分あるので、これを見る場合はその分の時間も考えておいた方がいいかも。

前・後期で大部分の作品が入れ替えので、観たい作品がある人はチェックしておいた方がいいですね。ちなみに、東博所蔵の松園の「焔」は期間限定の展示なので要注意。

上村松園 「焔」
大正7年(1918) 東京国立博物館蔵 (9/1~9/13のみ展示)

第二会場は閉館近い時間になっても人が多かったのですが、閉館15分前に第一会場に戻ったら、こちらはもう誰もいなくて、一人でゆっくり全生庵の幽霊画を再度堪能できました。天井に蚊帳のかかったほの暗い部屋に聴こえるのは空調の不気味な音だけ。ちょっと怖かったです(笑)


【うらめしや~、冥途のみやげ展 -全生庵・三遊亭圓朝 幽霊画コレクションを中心に-】
2015年9月13日まで
東京藝術大学大学美術館にて

過去記事: the Salon of Vertigo: 円朝・幽霊画コレクション


幽霊名画集―全生庵蔵・三遊亭円朝コレクション (ちくま学芸文庫)幽霊名画集―全生庵蔵・三遊亭円朝コレクション (ちくま学芸文庫)


肉筆幽霊画の世界肉筆幽霊画の世界

2015/07/29

前田青邨と日本美術院

山種美術館で開催中の『前田青邨と日本美術院』を観てまいりました。

今年、生誕130年という前田青邨を記念した展覧会。山種美術館が所蔵する青邨作品全13点が公開されているほか、日本美術院を代表する画家や、青邨とともに切磋琢磨した紅児会の面々の作品など、明治から昭和にかけての良質の日本画を展観できます。


会場の構成は以下のとおり:
第1章 日本美術院の開拓者たち
第2章 青邨と日本美術院の第二世代 -古径・靫彦とともに-
第3章 紅児会の仲間と院展の後進たち

まずは最初に展示されているのが青邨の「異装行列の信長」。信長が舅・斎藤道三と対面するエピソードを描いたもので、信長らしい派手な衣装の“うつけ者”ぶりと、それでいて何か底知れぬ器量を見事に表しています。安田靫彦は青邨のことを、「色彩家」であり、「類のない達筆」であり、「人と愉快にさせること無類」と称賛したといいます。

前田青邨 「異装行列の信長」
昭和44年(1969) 山種美術館蔵

最初のコーナーでは、日本美術院を結成したお馴染みの横山大観、橋本雅邦、菱田春草、下村観山、また小堀鞆音らの作品を紹介。ここでは青邨の師・梶田半古の作品がいくつかあって、大和絵風の「緑翠」や速筆の「高尾図」のほかに、人気の高かったという本の挿絵が観られます。半古は菊池容斎に私淑していて、弟子の青邨や兄弟子の小林古径に容斎の『前賢故実』を書写させたともいわれています。

小堀鞆音 「那須宗隆射扇図」
明治23年(1890) 山種美術館蔵

菱田春草 「月下牧童」
明治43年(1910) 山種美術館蔵

日本美術院の大御所の作品は山種ではたびたび観ているので、あまり新鮮味はない(笑)のですが、大観の「作右衛門の家」や観山の「老松白藤」といった屏風は目を惹きますし、大好きな春草の「釣帰」や「月下牧童」など、いつ来ても優品に出会えるのはいいですね。

小林古径 「闘草」
明治40年(1907) 山種美術館蔵

次に登場するのが小林古径と安田靫彦、そして前田青邨。青邨と古径、靫彦は年も近く、有職故実や古画など古典研究に熱心だったといいます。小堀鞆音門下の安田靫彦らが結成した紫紅会に、松本楓湖門下の今村紫紅や速水御舟が加わり、できたのが紅児会。その後、古径や青邨が入り、若き画家たちが意欲的に作品を発表する場として注目を集めたといいます。

古径の「闘草」は半古の画塾時代の歴史画で、古径にしては珍しいモチーフ。闘草とはいろいろな珍しい草花を持ち寄って、その優劣を競うという古く中国で行われたという子どもの遊びで、古径は子どもの肌の感じを出すのに苦心したとか。童子の肌や装束の微妙な色合いからはそんなこと少しも感じさせないですけどね。

前田青邨 「大物浦」
昭和43年(1968) 山種美術館蔵

青邨の「大物浦」は大好きな一枚。画面いっぱいに斜めに傾く船と三角形の暗く大きな波からは、嵐と平家の亡霊に怯える恐怖と緊張感が伝わってきます。波にもまれる船の、じっと耐える人々の表情が秀逸。三角形の大きな波もよく見ると刷毛で刷いたような線があり、強風を演出していることが分かります。下図もあって比較するといろいろ興味深い。

「浦島之巻」の下図も出ていて、タイやヒラメが踊っていたり、そのユニークさもさることながら、線が軽やかで迷いがなく的確。会場に青邨が線描の練習について語っているパネルがあって、写生をするときは対象の立体感をいかにして線で表すかに苦心するそうで、「どうしても表すことが出来ない時は、古画殊に白描のものを見る。そうすると古画がいかに至難なところを唯一線でよく表現しているかを知ることができる」とありました。

前田青邨 「蓮台寺の松陰」
昭和42年(1967) 山種美術館蔵

隣り合って展示されていた「三浦大介」と「蓮台寺の松陰」の老壮の対比もいい。白髭をたくわえ、いかにも百戦錬磨の老武士という面構えの「三浦大介」。一方「蓮台寺の松陰」は若き青年が思いを深くめぐらすようで、松陰の強い志が伝わってきます。行燈の灯された部屋の明暗がたらし込みで絶妙に表現されています。

前田青邨 「腑分」
昭和45年(1970) 山種美術館蔵

青邨は晩年の作が多いのですが、その分完成された画技を堪能できます。死体解剖の様子を描いた 「腑分」の人物描写の素晴らしさ、水墨と彩色のバランス、そして線描の巧みさは目を見張ります。メモをとる人、目を背ける人、拝む人…。青邨の描く人物には物語がありますね。海の上を飛ぶ鳥をさらに鳥瞰で描いた「鶺鴒」も印象的。海と空の雄大さと風を感じます。

奥村土牛 「城」
昭和30年(1955) 山種美術館蔵

ほかにも今村紫紅や速水御舟、奥村土牛といった紅児会や同門の画家の作品、平山郁夫や守屋多々志など青邨門下の画家の作品が展示されています。個人的には土牛の「城」の城郭の大きさを感じさせる構図の面白さに惹かれました。確かにセザンヌの影響を感じさせます。雨に煙る町を描いた土牛の「雨趣」もいい。小山硬が青邨に師事していたというのも初めて知りました。硬は「天草」シリーズが2作出品されています。

奥の展示室2には、2年ぶりの公開という御舟の「炎舞」があって、照明を暗めにした室内に浮かび上がる炎にゾクっとします。立ち込める煙の中に舞う蛾もことさら妖しく感じます。もしかすると、この部屋はこの絵のために設えられたのではないだろうかという気さえしました。

速水御舟 「炎舞」(重要文化財)
対象14年(1925) 山種美術館蔵

青邨を中心にした展覧会ではありますが、近代日本画の中で育ち技を磨きあった紅児会の若き画家たちが、それぞれの画風を確立していく様も観ることができ、いろいろと興味深い展覧会でした。


【生誕130年記念 前田青邨と日本美術院 -大観・古径・御舟-】
2015年8月23日(日)まで
山種美術館にて


前田青邨 (新潮日本美術文庫)前田青邨 (新潮日本美術文庫)

2015/07/25

田能村竹田展

出光美術館で開催中の『田能村竹田展』に行ってきました。

江戸時代後期を代表する文人画家・田能村竹田の没後180年を記念しての展覧会。竹田の有数のコレクションを誇る出光美術館でも実に18年ぶりの大規模展だそうです。

田能村竹田の作品はこれまでも出光美術館で開かれた文人画家の展覧会で何度か目にすることがあり、少々敷居の高い感じのする文人画の中でも、竹田の作品は柔和な感じで見やすいなという印象を持っていました。

出光美術館は竹田の作品を約200点所蔵していそうで、本展ではその中から厳選された詩書画や画帖など54点を公開しています。そのほか、竹田が憧れた中国絵画や同時代の文人画家の作品も紹介。文人画の世界をたっぷり堪能できます。


会場は5つの章に分かれています。
Ⅰ 精妙無窮 - 竹田画の魅力と特質
Ⅱ 山水に憩う - 自娯適意の諸相
Ⅲ 微細な色彩と薫り - 生命あるものへ
Ⅳ 眼差しの記憶 - 「旅」と確かな実感
V 幕末文人、それぞれの理想

回顧展というと、割と若描き作品から紹介されることが多いと思うんですが、いきなり晩年の、最も充実した作品群が最初からどーんと並んでいます。

田能村竹田 「梅花書屋図」
天保3年(1832) 出光美術館蔵

前景から遠景にかけての水辺のジグザグや樹木の配置といった構図が絶妙な「梅花書屋図」や、早朝の風情と空気感を感じる「村居暁起図」、親交のあった大塩平八郎に贈ったという「春隄夜月図」など、中国の文人画を手本としつつ、その理解と研鑽が結実した結果というんでしょうか、晩年の作品はどれも江戸時代の文人画の一つの到達点を観る思いがします。

竹田の画は文人画にありがちな奔放な感じはなく、清らかで穏やかな趣きがあります。恐らくとても真面目な方だったのでしょう、どの作品も丁寧かつ繊細な筆致で、品のいい文人趣味を感じることができます。中国の文人画や先人の作品を相当研究したらしく、ある意味お手本的な行儀の良さもありますが、濃淡自在な筆調と豊かな表現は傑出しています。

田能村竹田 「山陰訪戴図」
文政末期 出光美術館蔵

「山陰訪戴図」は王羲之が友人を訪ねるも興が尽きて引き返すという故事を描いたもの。雪を表すのに素地の白を残すという表現が秀逸。門前の一行の描写もうまい。人物にしても点景にしても細かなところも手を抜かず、山水の景観から物語が伝わってきます。「考盤図」や「蘭亭曲水図」、「高客吹笛図」の高士の豊かな表情や風雅な画作りもとても印象的です。

竹田は藩医の家に生まれますが、家督は継がず、儒者としての道を選びます。文人趣味に憧れ、中国の古典や漢詩に親しみ、書画を嗜みますが、画業に専念するのは隠居(37歳!)したあとのようですね。「青緑山水図」は竹田が画家として本格的に活動を始める時期に描かれた作品とか。青緑山水というと山を群青や緑青で彩色した中国山水画の画題の一つですが、適度な濃彩の色合いが竹田の品の良さを感じさせます。

田能村竹田 「青緑山水図」
文政末期 出光美術館蔵

会場の途中に紹介されている中国絵画がまた見もの。日本の漢画に大きな影響を与えた浙派の始祖とされる戴文進の「夏景山水図」、院体画を代表する絵師・夏珪(伝)の双幅の「山水図」などどれも素晴らしい。

後半には竹田の花卉画があるのですが、これがまたいい。華麗な「春園富貴図」や瑞々しい筆触を味わえる「蘭図」、精緻な「梅菊図」など、山水画とはまた違う格別の魅力があります。

田能村竹田 「蘭図」
文化11年(1814) 出光美術館蔵

蔬菜や虫を描いた作品も面白く、カマキリとインゲン豆を描いた略画風の「豆花蟷螂図」や水彩画のような趣きのある「果蔬草虫図巻」、鳩や雁、鵞鳥や猫などを描いた最晩年の「書画貼交屏風」がいい。「書画貼交屏風」の蟹は出色。

最後の一角には、池大雅や与謝蕪村、浦上玉堂といった江戸後期から幕末にかけての文人画家の作品が少しだけ並んでいて、日本の文人画を知るのに役立ちます。

池大雅 「蜀桟道図」
江戸時代 出光美術館蔵

文人画というと詩や賛が揮毫されていたりしますが、読めなくても意味が分からなくても、現代語訳がついていたり、解説が丁寧なので問題ありません。竹田は詩文が得意だったというだけあり、ついつい読んでしまう味わいもあります。文人画はちょっと分からないな、という人にこそオススメの展覧会です。


【没後180年 田能村竹田】 
2015年8月2日(日)まで
出光美術館にて


田能村竹田 (新潮日本美術文庫)田能村竹田 (新潮日本美術文庫)