西洋美術のイメージの強い三菱一号館美術館では珍しい日本美術の展覧会。実は三菱一号館を設計した英国人建築家ジョサイア・コンドルは河鍋暁斎の弟子でもあるという縁があるんです。
それにしても最近の暁斎の注目度はすごいですね。関連本が出たり、雑誌で特集されたり。その割にここ数年、暁斎の作品をまとめて観られる企画がなかったので、タイムリーな展覧会ではないでしょうか。
前期にも拝見しましたが、わたしが行った日も結構な人の入り。土日は時間帯によってはかなり賑わっているようです。8/4からは後期展示もはじまり、いよいよ展覧会も終盤戦。ちょっと見どころをまとめてみました。
Ⅰ.暁斎とコンドルの出会い-第二回内国勧業博覧会
まずは暁斎とコンドルの出会いから。明治政府の雇われ建築家としてコンドルが来日したのは明治10年、25歳のとき。イギリスで競技設計で受賞するなどしていたものの、実作はまだなかったそうです。コンドル設計の上野博物館(東京国立博物館の前身)で開かれた第二回内国勧業博覧会で暁斎の作品は最高賞を受賞していて、その絵に感動したコンドルが暁斎の門を叩いたともいわれています。まだまだ文明開化から十数年のことで暁斎は驚かなかったんだろうかと思いますが、コンドルの来日前から暁斎はフランス人実業家エミール・ギメと交流があったり、外国人から絵の注文を受けていたり、外国人とはいろいろ接点はあったようです。
[写真左] 河鍋暁斎 「枯木寒鴉図」 明治14年(1881) 榮太樓總本鋪蔵
「枯木寒鴉図」は暁斎が第二回内国勧業博覧会で最高賞を受賞した作品。破格の百円で売りに出したところ、鴉一羽に百円は高すぎだろうと非難されるも、暁斎はこれは一羽の値段でなくこれまで研鑚修行の成果の対価だとし、それを榮太樓飴で有名な日本橋・榮太樓が購入して話題になったといいます。これがきっかけで暁斎の鴉画は人気となり、注文が殺到したとか。あまりの人気に暁斎は鴉の落款印まで作っていて、会場に展示されてる鴉画の中にも鴉の落款印が押されてるものがあります。探してみてね。
Ⅱ.コンドル-近代建築の父
ここではコンドルの建築家としての業績を紹介。コンドルが設計した三菱一号館美術館や財界人らの邸宅の建築図面、現存する鹿鳴館の貴重な階段や壁紙見本などが並びます。コンドルは当初5年だった契約を延長し、数多くの建築物を残しただけでなく、日本人建築家の育成にも尽力し、日本に骨を埋めます。大変な日本びいきで、日本画のほかに舞踊や生け花などにも親しみ、奥さんも日本舞踊の師匠だったとか。会場には二人の舞踊の写真やコンドルの羽織姿の写真などもあります。
鹿鳴館の階段は昭和15年に取り壊しされる際に東京帝国大学が保存したものとか。
Ⅲ.コンドルの日本研究
コンドルが描いた日本画も少ないながらも充実。コンドルの絵は過去にも観たことがあるのでその実力は知っていましたが、それでもその腕前にあらためて舌を巻きます。入門してから暁斎が亡くなるまでの8年間、暁英の号を授かるほどのコンドルの素質もさることながら、画技を余すことなく伝えようとした暁斎の熱意もすごかったんでしょうね。
コンドルの「鯉之図」は暁斎の作品の一部を模して描いたもの。これが日本画を学んで数年の外国人が描いた作品とはまず誰も思わないでしょう。鯉の写実性なんて、師匠・暁斎より巧いんじゃないかと感じるほどです。展示されてる水墨画の筆触にしても、前期に出品されてた「霊照女 ・ 拾得図屏風」にしても、暁斎譲りの技法を忠実に再現していることが分かります。
[写真左] ジョサイア・コンドル 「鯉之図」 明治時代 河鍋暁斎記念美術館蔵
Ⅳ.暁斎とコンドルの交流
本展のメインコーナー。この章に展示されている作品は『暁斎絵日記』などを除いて全てコンドルの旧蔵品だとか。コンドルは他の弟子より高い月謝を払っていたり、作品を注文したり、パトロン的な役割も果たしていたといいますし、暁斎から譲られた作品も多くあったようです。
[写真左] 河鍋暁斎 「鯉魚遊泳図」 明治18-19年(1885-86) 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真中] 河鍋暁斎 「白鷲に猿図」 明治17年(1884) 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真右] 河鍋暁斎 「羅漢に蛇図」 明治19年(1886) 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真中] 河鍋暁斎 「白鷲に猿図」 明治17年(1884) 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真右] 河鍋暁斎 「羅漢に蛇図」 明治19年(1886) 河鍋暁斎記念美術館蔵
「鯉魚遊泳図」は先のコーナーで展示されていたコンドルの「鯉之図」の元になった作品。一部をトリミングしてコンドルが描いているのが分かります。山口晃さんはコンドルの鯉はどこから見たものか分かるが、暁斎のは視点が自由だと語ったとか。
[写真左] 河鍋暁斎 「鷹匠と富士図」 明治18年(1885) 河鍋暁斎記念美術館蔵
「鯉魚遊泳図」は円山四条派を思わせるところがありますが、「羅漢に蛇図」は狩野派らしさがあります。「鷹匠と富士図」も江戸狩野派の瀟洒な感じがよく出てますね。暁斎の絵を観ていると、その引き出しの多さにいつも驚かされます。さすが歌川国芳の画塾に通い、狩野派に入門し、琳派の鈴木其一の娘と結婚し、浮世絵、狩野派、琳派、土佐派、円山四条派、中国画等々、さまざまな流派を貪欲に学んだ暁斎らしいなと感じます。前期展示品ですが、コンドルの画技の上達を喜んだ暁斎がコンドルに贈ったという「大和美人図屏風」も素晴らしい浮世美人画でした。
[写真手前] 河鍋暁斎 「暁斎絵日記」 明治18年(1885) 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真奥] ジョサイア・コンドル著 『Paintings and Studies by Kawanabe kyosai』
明治44年(1911) 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真奥] ジョサイア・コンドル著 『Paintings and Studies by Kawanabe kyosai』
明治44年(1911) 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真手前] 河鍋暁斎 『暁斎絵日記』 明治20-21年(1887-88) 東京藝術大学蔵
[写真奥] 著・瓜生政和、画・河鍋暁斎 『暁斎画談(内篇/外篇)』
明治20年(1887) 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真奥] 著・瓜生政和、画・河鍋暁斎 『暁斎画談(内篇/外篇)』
明治20年(1887) 河鍋暁斎記念美術館蔵
『暁斎絵日記』にはコンドルがちょくちょく登場していて、暁斎とコンドルの親しさが伝わってきます。暁斎はコンドルを“コンテル君”とか“コンテエル君”と呼んでいて、いちいち名前を書くのも面倒くさくなったのか、しまいにはハンコを作ってそれを押して済ませたりしています。絵のタッチがちょっと山口画伯っぽい。
著・瓜生政和、画・河鍋暁斎 『暁斎画談(外篇)』 明治20年(1887) 河鍋暁斎記念美術館蔵
『暁斎画談』は晩年に暁斎が弟子たちの後学のためにと書き残した資料。この「幽霊図」の実物はちょうど藝大美術館の『うらめしや~、冥途のみやげ展』に出品されていますね。『画鬼暁斎』の図録では五代目菊五郎所蔵の「幽霊図」を模写したとありますが、『うらめしや~』の図録には五代目菊五郎の幽霊画コレクションを見た暁斎がこれまでにない幽霊をと描き贈った作品とあります。どっちがほんと?
Ⅴ.暁斎の画業
暁斎はさまざまなタイプの作品を残していて、その全貌を捉えるのは至難の業。ここからは9つのパートに分けて暁斎の画業を追っていきます。
[写真左] 河鍋暁斎 「鹿に猿図」 明治21年(1888)頃 メトロポリタン美術館蔵
[写真右] 河鍋暁斎 「ぶらさがる猿図」 明治21年(1888)頃 メトロポリタン美術館蔵
[写真右] 河鍋暁斎 「ぶらさがる猿図」 明治21年(1888)頃 メトロポリタン美術館蔵
[写真左] 河鍋暁斎 「瀧、鷲に猿図」 明治21年(1888)頃 メトロポリタン美術館蔵
[写真右] 河鍋暁斎 「鯉図」 明治21年(1888)頃 メトロポリタン美術館蔵
[写真右] 河鍋暁斎 「鯉図」 明治21年(1888)頃 メトロポリタン美術館蔵
まずは本展の目玉の一つでもあるメトロポリタン美術館所蔵の暁斎の動物画から。もとは橋本雅邦や川端玉章らの絵も含む100図の画帖で、その内の36図が暁斎作品。本展では12図の暁斎の動物画が展示されています。いずれも最晩年の作とされ、技巧を極めた逸品ぞろい。力強く変幻自在な線に魅了されます。下絵が一緒にパネル展示されてます。
[写真左] 河鍋暁斎 「龍神に観音図」 明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真中] 河鍋暁斎 「風神雷神図」 明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真右] 河鍋暁斎 「白衣観音図」 明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真中] 河鍋暁斎 「風神雷神図」 明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真右] 河鍋暁斎 「白衣観音図」 明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵
≪道釈人物図≫はその画題からして伝統的な図像になりますが、だからこそ却って暁斎の画技の確かさが分かります。琳派によく見る「風神雷神図」もあって、琳派は向かって右に風神、左に雷神なのに対し、狩野探幽はその逆に描いていて、暁斎も探幽の伝統に従っています。
[写真上] 河鍋暁斎 「九相図」 制作年不詳 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真下] 河鍋暁斎 「卒塔婆小町図」 制作年不詳 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真下] 河鍋暁斎 「卒塔婆小町図」 制作年不詳 河鍋暁斎記念美術館蔵
≪幽霊・妖怪図≫で目を引くのが「九相図」と「卒塔婆小町図」。彩色の「九相図」に対し「卒塔婆小町図」は墨線だけで、屍が朽ちて白骨になる様が段階を分けて描かれています。西洋の人体図を学んだり、また実際に生首を写生したなんて話もあるだけに、古来よくある九相図に比べてもかなりリアル。本当に朽ちていく死体を観て描いたんじゃないかと思うほどです。
[写真左] 河鍋暁斎 「姑獲鳥図」 明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真右] 河鍋暁斎 「土佐大蔵少輔藤原行光画百鬼夜行図」 明治前半 個人蔵
[写真右] 河鍋暁斎 「土佐大蔵少輔藤原行光画百鬼夜行図」 明治前半 個人蔵
「姑獲鳥図」に“尾上梅幸”と墨書きされていたので、はてと思って調べたら五代目菊五郎のことでした(“梅幸”は菊五郎の俳名)。菊五郎に見せてもらった 幽霊画に倣って描いたものだそうです。藝大の『うらめしや~』にも五代目菊五郎の旧蔵品が複数出ていましたが、どれだけ幽霊画を持っていたんでしょうね。隣りに展示されてる「百鬼夜行図」にはユニークな付喪神がたくさん描かれていてちょっと楽しげ。
[写真左] 河鍋暁斎 「漂流奇譚西洋劇 パリス劇場表掛りの場 下絵」
[写真右] 河鍋暁斎 「漂流奇譚西洋劇 パリス劇場表掛りの場」
明治12年(1879) 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真右] 河鍋暁斎 「漂流奇譚西洋劇 パリス劇場表掛りの場」
明治12年(1879) 河鍋暁斎記念美術館蔵
2年前の『河鍋暁斎の能・狂言画』(三井記念美術館)で取り上げられたように、暁斎は能や狂言を嗜み、それらを題材にした作品を多く残しています。≪芸能・演劇≫には、「三番叟」や「瓜盗人」といったメジャーな舞や狂言を描いたものや、九代目團十郎が賛を書いた「子供助六の股くぐり図扇子」なんていうのもありました。また、黙阿弥の芝居「漂流奇譚西洋劇」の宣伝用に描かれた作品もあって、こんな洋装の錦絵を描かせてもバチッとキマるんだからすごいですよね。
[写真右より] 河鍋暁斎 「月に狼図」 明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵
河鍋暁斎 「岩上の鷲図」 明治9年(1876) 河鍋暁斎記念美術館蔵
河鍋暁斎 「岩上の鷲図」 明治9年(1876) 河鍋暁斎記念美術館蔵
≪動物画≫では生首を咥えた「月に狼図」が秀逸。狼は淡墨であっさりと描いているのに対し、人の生首が妙に生々しい。≪山水画≫は数は少ないものの、ここでもやはりこの人は狩野派を代表する正統な絵師であることを強く感じます。山水画や南画など何れも真っ当で、遊びも交えず、変に近代的にもならず、正攻法で描いているのが印象的です。
[写真右より] 河鍋暁斎 「吉原遊宴図」 明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵
河鍋暁斎 「書画展覧余興之図」 明治14年(1881)頃 河鍋暁斎記念美術館蔵
河鍋暁斎 「書画展覧余興之図」 明治14年(1881)頃 河鍋暁斎記念美術館蔵
≪風俗・戯画≫は暁斎の面白さが発揮されるところ。賑やかな書画会の様子を描いた「書画展覧余興之図」や、おちゃらけた場面だけど美人画としての要素も高い「吉原遊宴図」、楽しげな「蟹の綱渡り図」や「放屁合戦絵巻」、国芳の影響を感じる戯画など見どころが多い。どれもユーモア溢れ、期待を裏切りません。近年の暁斎人気はこうした戯画や狂画が先行している感があって、確かに特長の一つでもありますが、本展をここまで観ていると、暁斎はそれだけの絵師ではないことも十分に分かってきます。
河鍋暁斎 「はなこよみ」 明治3年以前 河鍋暁斎記念美術館蔵
そして、≪春画≫。春画が笑い絵と呼ばれるように、暁斎の春画はどちらかというとエロティックというよりコミカルなもので、エロい笑いを誘います。季節々々の江戸の行事や祭礼と絡めた春画というスタイルの小判錦絵「はなこよみ」や、「大江山絵巻」のパロディで妖怪の顔が性器になっている「大井山図」、女性にモテてモテて“ヤリすぎ”で死んだ若者があの世でも天女に襲われるという「若衆物語」など。ちなみにここは18歳以下閲覧禁止。
[写真左] 河鍋暁斎 「閻魔と地獄太夫図」 明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真中] 河鍋暁斎 「文読む美人図」、[写真右] 河鍋暁斎 「文読む美人図 下絵」
明治21年(1888)頃 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真中] 河鍋暁斎 「文読む美人図」、[写真右] 河鍋暁斎 「文読む美人図 下絵」
明治21年(1888)頃 河鍋暁斎記念美術館蔵
最後は≪美人画≫。個人的に暁斎で一番好きなのが美人画。美人画で定評のある浮世絵師の作品と比べても全く遜色ないですし、何より暁斎の描く女性は色気があって魅力的です。暁斎の美人画には地獄太夫ものと当世風美人ものがあって、特に地獄太夫は人気が高かったようです。「閻魔と地獄太夫図」は 閻魔大王が鏡を覗きこむと妖艶な地獄太夫が映っているというもの。よく見ると地獄太夫の着物が地獄を表した内掛けになっています。「文読む美人図」は浮世絵初期の立姿美人図を思わせます。衝立に寄りかかっていますが、「く」の字に曲げた姿も浮世絵美人図の伝統を感じます。
[写真左] 河鍋暁斎 「横たわる美人に猫図」 明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真右] 河鍋暁斎 「美人観蛙戯図」 明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵
[写真右] 河鍋暁斎 「美人観蛙戯図」 明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵
猫を見つめる美人図と蛙の相撲を眺める美人図。二つとも小動物と美人の組み合わせがユニークですし、なんとなく癒しを感じさせる一方で、白い生脚が着物から覗いていたり、なんかエロティックだったりします。こうしたちょっとした描写、上手いですね。
作品的にはメトロポリタン美術館の所蔵品が一部あるものの、ほとんど暁斎記念美術館のもので、国内外の主要な作品が出てないのがちょっと残念。とはいえ内容自体はとても充実しているので、満足度はかなり高い展覧会でした。エキセントリックなところに固執せず、暁斎の画業をしっかりと多面的に追っているところがいいです。
暁斎の絵柄の限定アロハシャツや日本酒など、お土産コーナーも充実していますよ。
※展示会場内の画像は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。
【画鬼暁斎-KYOSAI 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル】
2015年9月6日(日)まで
三菱一号館美術館にて
河鍋暁斎―奇想の天才絵師 (別冊太陽)
河鍋暁斎絵日記: 江戸っ子絵師の活写生活 (コロナ・ブックス)
河鍋暁斎 (岩波文庫)
こんばんは。TBありがとうございました。
返信削除ありそうでなかった暁斎の回顧展、三菱一号館ならではの切り口でしたね。
コンドルと暁斎の関係もよく伝わりました。
>ほとんど暁斎記念美術館のもので、国内外の主要な作品が出てないのがちょっと残念。
次回は東博あたりでの大回顧展に期待したところです。
超特大の新富座妖怪引幕もきっと展示出来ますよね。(昔、成田の博物館で見て、その凄い迫力に圧倒された記憶があります…
はろるどさん、こんばんは。こめんとありがとうございます。以前、京博であった暁斎展の頃に比べたら、人気も評価もさらに高くなってますから、ここで大回顧展をやってほしいところですね。新富座妖怪引幕は写真でしか見たことがないので、実物見てみたいです。
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