国立劇場で『絵本合法衢』を観てきました。
昨年の3月に上演されていたものの、東日本大震災のため途中で打ち切りとなった公演の再演です。
国立劇場では昨年秋から「歌舞伎を彩る作者たち」と銘打ち、歌舞伎を代表する狂言作者の作品を上演してますが、その棹尾を飾るのが鶴屋南北の仇討ち狂言『絵本合法衢』です。
『絵本合法衢』は、南北が『天竺徳兵衛韓噺』や『時今也桔梗旗揚』(馬盥の光秀)で脚光を浴びはじめた頃に発表された作品で、初演は写楽の浮世絵でも有名な五代目幸四郎(俗に“鼻高幸四郎”)が主役の大学之助と太平次を演じて大当たりとなり、その後幾度も再演を重ねたといいます。
しかし明治に入ると、倫理的な問題でその凄惨な内容が歓迎されず、その後は滅多に上演されることもなくなり、昨年19年ぶりの上演、そして今年あらためての再演となりました。
主人公は、冷酷非情な左枝大学之助という本家横領を企む悪党と、彼と瓜二つの立場の太平次という無頼漢。何かというと手打ち、簡単に刀を振り下ろし、邪魔な者はバッサバッサ。そんな大学之助に兄・瀬左衛門を殺された弥十郎と、許婚・お亀を大学之助の妾に取られ、挙句の果てに殺された与兵衛が実は兄弟だと分かり、大学之助を討つ機会を窺うという物語です。
大学之助と太平次の悪党二役に仁左衛門、瀬左衛門と弥十郎の二役に左團次、うんざりお松と弥十郎の妻・皐月の二役に時蔵、与兵衛に愛之助、お亀に孝太郎。さらには梅枝、市蔵、高麗蔵、秀調、秀太郎と錚々たる顔ぶれです。
見ものは仁左衛門の極悪非道ぶり。大学之助も太平次も終始一貫して悪に徹するいわゆる実悪で、人を殺めても、死者を敬うことなく、平然としています。自分の悪行を悔いることも、犯した罪に怯えることもありません。大学之助は侍なので時代物的な、一方の太平次には世話物的な違いはありますが、基本やってることは一緒です。残虐で、凄味があって、決して愛される役ではありません。
しかし、それを仁左衛門が演じることで“悪の華”ともいうべき魅力が生まれるから不思議です。たとえば、『金閣寺』の松永大膳や『伽羅先代萩』の仁木弾正のような見るからに恐ろしい実悪とは異なる、独特の人間臭さというか、色気というか、仁左衛門というキャラクターが放つ不思議な引力が加わります。実悪に徹底しすぎても面白くない、愛嬌を出したらなおおかしい、なかなか難しい役です。殺された人をかわいそうとは思っても、大学之助や太平次に対し嫌悪感は感じない。そこのバランスは技術だけで叶うものではなく、やはり役者の魅力に追うところが大きいでしょう。
相対する左團次の瀬左衛門は仁左衛門の大学之助に劣らない風格と大きさがあり、適役だったと思います。武士としての格を感じさせる瀬左衛門に対し、弥十郎はどちらかというと実直さや温かさを加味したように映りました。左團次の早替わりという珍しいものもあり、立ち回りもあり、なかなかお疲れだったのではないでしょうか。
時蔵も大活躍。武家妻・皐月の凛とした佇まいも良かったのですが、太平次に力を貸すうんざりお松は見せ場も多く、悪婆らしい強かさと仇っぽさがあって秀逸でした。時蔵は最近、こういう下卑た女や長屋の貧乏妻などにいい味が出ているような気がします。与兵衛の愛之助もニンといい、和事の演技といい、安定していて良かったと思います。孝太郎のお亀はもう少し色気というか、大学之助が目をつけるだけの艶っぽさが欲しいところです。
全体的には、休憩を挟んで3時間を超える長い芝居で、あまり意味を感じない登場人物や不自然なプロットなど、まだ工夫の余地がありそうだなとも感じました。南北の芝居としても、さまざまな面で原型的な面白さはありますが、後年の『東海道四谷怪談』や『盟三五大切』、『櫻姫東文章』と比べるとストーリー的に弱いというか、内容は盛りだくさんだけど、それぞれのエピソードがどこか表面的で深みに欠ける気がしました。ただ、素材としては非常に面白い話なので、今後も仁左衛門の代表作としてかかってほしい芝居と思います。
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