2010/08/01

七月大歌舞伎

久しぶりに、歌舞伎の本公演に行ってきました。歌舞伎座がしばらくお休み中なので、今回は新橋演舞場です。

今月は昼の部だけを拝見。

まずは『名月八幡祭』。
江戸随一の粋な花街の人間模様や深川八幡のお祭りを背景に、純朴な越後の商人新助が芸者美代吉に想いを寄せるあまり、人生の歯車が狂ってしまうというお話です。

歌舞伎座が休場となった途端、出ずっぱりの福助が美代吉を演じています。美代吉というのが、旗本のお偉い旦那がいるにもかかわらず、三次というどうしようもない男にお金を貢いでいるというような、どうしようもない女なのですが、そのどうしようもなさがよく出てたなと思いましたが、一方、深川一の芸者というには“軽い”というか、売れっ子芸者らしい艶やかさや品がもう一つ欲しかったかなというのが個人的な感想です。歌昇の三次も、ヒモはヒモでも、遊びの過ぎた悪い男というより、甘えん坊みたいなところがあって、こんなのでいいのかな?と思ったりもしました。(偉そうにすいません)

縮屋新助の三津五郎、魚惣の段四郎はさすがに手堅く、何を演じてもうまい人ですね。三津五郎は彼の役に対する真面目な姿勢が、一途で純朴な新助と合致し、見応えがありました。脇を固める家六に右之助、歌江、そして特に芝喜松が素晴らしく、どこか宙ぶらりんな美代吉と三次を何とか繋ぎとめていたという気がします。

ラストは舞台全体に雨を降らせるという豪快な本水で、息を呑む緊迫感と雨上がりに満月が浮き上がるという夏狂言ならではの美しい演出でした。

つづいては、『六歌仙容彩(ろっかせんすがたのいろどり)』より富十郎の『文屋』。
『六歌仙容彩』は、古今和歌集の六歌仙(僧正遍照、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、大伴黒主、小野小町)が登場する舞踊で、その中の文屋康秀が登場するのが『文屋』です。文屋康秀は好色な貴族と描かれていて、彼が小野小町に逢いに来るものの、官女たちに行く手を阻まれてしまうという楽しい清元舞踊。官女たちを立役が演じるのが通例だそうで、これがまた、どいつもこいつもというような醜女ばかりで、文屋との押し問答が笑いを誘います。6月で81歳になったという富十郎は、さすがにかつてのキレはないかもしれませんが、視線や指の先まで気持ちがこもっていて、老熟した芸容の大きさを感じました。

最後は、『祇園祭礼信仰記』より『金閣寺』。
将軍足利義輝を殺害し、その母・慶寿院を幽閉している松永大膳のもとに、家臣になりたいと此下東吉という男がやって来ます。実は東吉は小田春永の家来・真柴久吉で、慶寿院と同じく大膳に捕らわれている雪姫を救うために忍び込んだのでした。大膳は横恋慕する雪姫に、夫で絵師の直信に代わって龍の絵を描くことを強要しますが、雪姫がそれを拒否すると、雪姫を桜の木に縛り付け、直信の処刑を命じます…。

『金閣寺』は初めて観ましたが、この雪姫が歌舞伎の赤姫の大役“三姫”の一つとのこと。美代吉では少し中途半端な印象のあった福助ですが、雪姫は綺麗で、型もビシッと決めていて、全体的に非常に良かったと思いました。ただ、團十郎演じる大膳と吉右衛門演じる東吉が碁を打つ場面がダレた感じがして、敵か味方かまだ分からない東吉の腹を探りながら碁を打ち、結局大膳が負けてしまうという対局に緊迫感が少々欠けていた気がします。

もうひとつ気になったのが、舞台に左右にある大きな桜の木。上手側の桜は芝居の中盤で雪姫が縛られるためにあるのですが、金閣寺の離れに匿われた雪姫が大膳から龍の絵を描くように命令される前半の大事な場面で、その桜の木が邪魔で雪姫がほとんど見えませんでした。一階席の舞台真ん中の良席に座っているにもかかわらず。雪姫が下手側の桜に縛られる演出もあるようですが、福助の公式サイトによると、「成駒屋の型ですと、雪姫が縛られる桜が上手」なのだそうで、演舞場の舞台は狭いので下手側の桜の木に縛るという案もあったそうですが、成駒屋の型に従ったようです。それでは離れ座敷の雪姫は見えなくてもいいのか?と少々疑問に残りました。

7月は夜の部の評判が断然良くて、特に『傾城反魂香』の吉右衛門と芝雀は絶賛のようでした。夜の部を観にいけなかったのが、ちょっと残念な7月の歌舞伎でした。

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