2013/07/28

七月花形大歌舞伎

歌舞伎座新開場の柿葺落公演も三部制の三ヶ月を終え、通常(?)の公演パターンとなりました。これまではベテラン勢中心の公演でしたが、今月はこれからの歌舞伎を担う若手役者による花形歌舞伎。昼の部は『加賀見山再岩藤』、夜の部は『東海道四谷怪談』。いずれも幽霊が登場する夏らしい狂言になります。

まずは昼の部『加賀見山再岩藤』。通称『骨寄せの岩藤』。
ここ最近は澤瀉屋での上演が続いていますが、音羽屋型での上演は久しぶりとのこと。五代目菊五郎の当たり役として人気狂言となり、その後も五代目の養子・六代目梅幸、六代目菊五郎と引き継がれたといいます。平成2年には当代菊五郎も岩藤と又助の二役を演じてます。

本公演ではその岩藤と又助の二役を松緑が引き継ぎました。要の役で大健闘のなのですが、何ぶん主役の存在感に欠けるというか、巧い人なんですが、もう少し何か欲しいところ。大きさなのか華なのか。亡霊の恐さもいま一つ。もっとねっちり演じても良かったのではないでしょうか。それとこれは演出の問題でもあるけれど、全体にゆったりとして緊迫感に欠け、“ふわふわ”も盛り上がらなかったのが残念。

菊之助と染五郎もそれぞれ二役。二人とも安定した演技で、安心して観られるのですが、もう少し二役の演じ分けがくっきりしていてもいいのではないかと思いました。菊之助の二代目尾上がしっとりと演じ、さすがなのですが、お柳の方との違いがもっとはっきりした方が良かったかもしれません。周りには同一人物と思っていた人もいたみたい。

愛之助の望月弾正は悪の魅力が引き立ち、さすがのインパクト。梅枝のおつゆ、松也の求女がともにニンにあった役で好演。玉太郎も琴の演奏も見事に披露し敢闘賞もの。奥女中の廣松もなかなかいい味を出していて、今後の活躍に期待がもてます。壱太郎の梅の方ももうひと工夫欲しいところですが、若くして正室の雰囲気があって印象は良かったと思います。

夜の部は『東海道四谷怪談』。
四代目鶴屋南北による『東海道四谷怪談』の初演(文政8年(1825))が実は三代目菊五郎なのだそうです。三代目はお岩・小平・与茂七の三役を早替りで演じたといいます。今回は菊之助がお岩と与茂七の二役を務めます。

その菊之助のお岩さんの完成度の高さ。菊之助らしいリアリズムの演技で真に迫った等身大の女性を創り上げています。口跡の美しさもあって、格式と品の良さが見え、もとは武家の娘であるということが伝わってきます。だまされた女の悲劇、哀しさというものがひしひしと伝わってくるお岩さんでした。一昨年の勘九郎のお岩さんとは明らかにアプローチが異なり、どちらがいいというのは難しいところですが、勘九郎の方がお岩さんの悲劇性が前に出て、より心情に訴えてきた気がします。勘九郎はどちらかというと芝居として創り上げられたお岩さんで、菊之助は本当のお岩さんはこういう女性だったのだろうというリアルさがあったような気がします。

染五郎の伊右衛門も良く練られていて、一昨年の海老蔵とはまた異なる悪の華を見せてくれます。海老蔵のような目先の欲に囚われた、行き当たりばったり的な悪さではなく、仕組んで女を騙す非情さというものが感じられます。この伊右衛門はお岩さんに愛情など端からはなかったんだろうなと思わせます。本公演では、30年ぶりに「蛍狩りの場」という幻想的な舞踊の一幕があり、これは菊之助と染五郎だからできたものだろうなと感じました。

市蔵の宅悦、小山三のおいろ、錦吾の四谷左門、萬次郎のお弓、歌女之丞の乳母など、ベテラン勢が脇をしっかりと締め、安定感のある芝居に仕上がっていたと思います。小山三丈は元気で何よりですが、意外と出番が多く、あちこち歩き回るもんだから、見てて少しハラハラしました(笑)

ただ、これは演出上の問題か、正攻法の音羽屋型だからか、わたしが観たのがまだ3日目だったのでしょうがないのか分かりませんが、全体的に少し慎重というか、テンポがいまひとつでした。髪梳きとか戸板返し、提灯抜けみたいな仕掛けはやはり中村屋は見せ方が上手かったなと思います。中村屋型はもっとおどろおどろしく、怪談としての怖さ(面白さ)がありましたが、今回の芝居はドラマ性が高く、少しあっさりしすぎていたかもしれません。

昼の部も夜の部も共通しての感想なのですが、みんな真面目に取り組んでいるのはいいのですが、まだ探り探りなところがあり、少し優等生過ぎて、カッチリ演じすぎている嫌いがありました。これが自分の役として変貌を遂げたとき、見ものになるのでしょう。それを楽しみにしたいと思います。

2013/07/15

谷文晁展

サントリー美術館で開催中の『谷文晁展』に行ってきました。

谷文晁というと、狩野派にはじまり、南宋・北宋の山水画を修め、南蘋派に影響を受け、大和絵や円山四条派も学び、南画を発展させ、さらには西洋画も研究したという、俗に“八宗兼学”の絵師。

それこそなんでも描いているので、これという特徴があまりないというか、とらえどころがないというか、名が知られた割には印象が薄いというか、そんな風に自分の頭の中では位置づけられていました。それこそ「この絵師、何者!?」なのです。

たまたま先日、江戸東京博物館で開かれていた『ファインバーク・コレクション展』で観た谷文晁の「秋夜名月図」に衝撃を受け、「もしかして谷文晁ってスゴイかも」と思っていた矢先の展覧会。タイムリーです。

本展は、谷文晁の生誕250年を記念した展覧会で、谷文晁や彼の身近な絵師の作品が約150点(前後期合わせ)展示されます。知っているようでよく知らなかった谷文晁のことがよく分かるというわけです。


序章 様式のカオス

もう初っ端から谷文晁は“カオス”と言い切ってしまっています。文晁の絵は多種多様です、それを承知で観てくださいね、ということなのでしょう。

会場に入ってすぐのところに展示されていた、応挙を思わせる色鮮やかな「孔雀牡丹図」(展示は7/29まで)に早速目を奪われます。牡丹の花のグラデーションや艶やかな咲き方は南蘋派の花鳥画という感じです。

谷文晁 「ファン・ロイエン筆花鳥図模写」
神戸市美術館蔵 (展示は7/29まで)

そのあとには山水画、そして仏画、極めつけは西洋の油絵の模写と、なんでもあり。ひときわ目を引くのが「ファン・ロイエン筆花鳥図模写」で、一瞬、花鳥画?と思うのですが、よく見るととても西洋的で、解説を読むと、徳川吉宗がオランダ商館に発注した油彩画の内の一点を模写した石川大浪・孟高兄弟の模本をさらに文晁が模写した作品ということです。確かに彩色や立体感のある描写は日本画には見られないものです。

谷文晁 「連山春色図」
寛政9年(1797年) 静岡県立美術館蔵(展示は7/29まで)

谷文晁 「青緑山水図」
文政5年(1822年) 東京富士美術館蔵 (展示は7/31から)

谷文晁というと文人画家、俗にいう“関東南画”のイメージがあるのですが、文人画的な「連山春色図」や北宋画的な「青緑山水図」など、やはりこうした山水画は観るべきものがあるなと思います。なかには速筆的な作品もあるのですが、たいていはきっちりを描き込んでいて、全く手を抜いてるところがないというか。この人の性格なのかもしれないですが、器用で真面目な方だったのだろうなと感じます。

谷文晁 「慈母観音図」
山形美術館蔵 (展示は7/29まで)

文晁は仏画を描かせてもその画力は秀でていて、細かなところまで描きこんだ精細な筆致といい色合いといい、その力量に唸らされます。「慈母観音図」と一緒に並んでいた「仏涅槃図」もよくある涅槃図でありながらも、その完成度の高さに驚かされます。


第1章 画業のはじまり

ここでは文晁の活動初期の作品を中心に、師である狩野派の加藤文麗や関東南画の渡辺玄対らの作品を展示しています。

谷文晁 「山水図」
寛政6年(1794年) 根津美術館蔵 (展示は7/29まで)

谷文晁 「夏谿新晴図」
寛政11年(1799年) 東京藝術大学蔵 (展示は7/29まで)

文晁の初期作品の中でも、特に寛政年間(1789~1801年)に描かれた作品は“寛政文晁”と呼ばれ、優品が多いと説明されていました。ちょうど文晁が27歳から38歳の頃にあたり、若くしてその腕を振っていたということが分かります。“寛政文晁”の代表作として挙げられていたのがこの「山水図」と「夏谿新晴図」で、「山水図」の文人画特有の瀟洒な画面構成と落ち着いた色のトーンといい、「夏谿新晴図」の段違いに配置した岩山のスケール感や墨の濃淡による奥行き感といい、思わずハッと引き寄せられるような素晴らしい作品でした。

谷文晁 「海鶴幡桃図」
山形美術館蔵 (展示は7/29まで)

今回の展示で強く印象に残った作品のひとつが、この「海鶴幡桃図」。赤く巨大な朝日と鶴という、なんともインパクトのある吉祥画で、少々くどい感じもありますが、大胆な構図が面白いと思います。大きな朝日が『ファインバーク・コレクション展』にあった「秋夜名月図」の巨大な満月を彷彿とさせます。


第2章 松平定信と『集古十種』 ― 旅と写生

文晁は田安家で奥詰絵師をしていたことが縁で、徳川吉宗の孫で時の老中、松平定信に認められ、次々と大きな仕事を任せられます。ここでは定信の命を受けての視察や調査での写生画や画帖、模写絵などを中心に展示しています。

面白かったのが現在の東宮御所一帯を描いた「青山園荘図」(展示は7/15まで)や関西視察時の「西遊画紀行帖」といった真景図で、西洋画の遠近法が自然に使われていて、単に模倣のレベルではなく、しっかりと吸収していたことがうかがわれます。谷文晁と洋風画というのは自分はあまり結びついていなかったのですが、亜欧堂田善が文晁から洋風画を学んだという話もあるぐらいですから、相当西洋画を研究していたのでしょう。


第3章 文晁と「石山寺縁起絵巻」

松平定信から依頼を受けた仕事で最も特筆されるのは、滋賀・石山寺の創建と観世音菩薩の功徳の数々を描いた「石山寺縁起絵巻」の未完の6巻、7巻の制作を任されたこと。ここでは文晁が手掛けたその6、7巻(重要文化財)と、サントリー美術館が所蔵する文晁による「石山寺縁起絵巻」全巻の模写(展示は一部のみ)が展示されています

谷文晁 「石山寺縁起絵巻」(一部)
文化2年(1805年) 石山寺蔵 (場面替えあり)

模写作品は習作説もあり定かではないようですが、比べてみても非常に忠実に同様に描かれていることが分かります。あらたに絵巻を補完するにあたっては私意を禁じ、古画を研究し描いたということです。


第4章 文晁をめぐるネットワーク ― 蒹葭堂・抱一・南畝・京伝

最後のコーナーでは文晁作品のほか、文晁と交流のあったという酒井抱一や木村蒹葭堂らとの関連作品、また文晁門下の渡辺崋山や谷文一らの作品を展示しています。

谷文晁 「八仙人図」
福島県立美術館蔵 (展示は7/29まで)

展示作品には、円山応挙や伊藤若冲、木村蒹葭堂、松村景文らとの合作の画帖などもあり、同時代の横のつながりを感じます。特に木村蒹葭堂は京都の絵師と強いネットワークを持っていたので、恐らくその縁で、彼らの作品を目にする機会もあったのではないかと想像が膨らみます。

谷文晁 「富士山図屏風」
天保6年(1835年) 静岡県立美術館蔵 (展示は7/29まで)

会場の最後に飾られていたのが文晁晩年の「富士山図屏風」で、墨の濃淡のコントラストが実に見事で、特に中腹にたなびく雲煙が秀逸です。文晁は富士山を好んで描いていたそうで、ほかにも富士山が登場する作品がいくつか展示されていました。

会場には他にも、酒井抱一らとの合作の料理本や古画の模本なども多く展示されていました。こうして観ていくと、谷文晁という人は実に天才肌の絵師だったんだなと思います。様々な角度から文晁の画業を浮き彫りにしている展覧会でした。


【生誕250周年 谷文晁展】
2013年8月25日まで
サントリー美術館にて

2013/06/29

川合玉堂展

山種美術館で開催中の『川合玉堂展』で、“青い日記帳×山種美術館 ブロガー内覧会”がありましたので、参加してまいりました。

今年は川合玉堂の生誕140年にあたるそうで、有数の日本画コレクションで知られる山種美術館が所蔵する玉堂作品71点が全点公開されるほか、奥多摩・御岳の玉堂美術館や東京国立近代美術館などから玉堂の代表作が集められています。東京で川合玉堂単独の展覧会が開かれるのは実に31年ぶりのこととか。まさしく待望の展覧会です。

川合玉堂は、明治から昭和にかけての日本の近代日本画を代表する画家。素朴な農村や山村の季節の風景やそこで生きる人々の姿や動物などを描いた作品に定評があります。

本展では、玉堂の初期の作品から晩年の作品まで、その画業の変遷も辿りつつ、玉堂の日本画の素晴らしさだけでなく、人となりまで伝わってくるような充実した展覧会になっていました。



第一章:研鑽の時代(青年期から壮年期へ)

まずは明治から昭和初期にかけての作品から玉堂のが画風の変遷を辿ります。

会場に入ると、最初に登場するのが玉堂22歳の頃の作品「鵜飼」。岩山の描き方など非常にかっちりしたタッチの山水画ですが、前景には鵜飼をする人々が描かれていて、日本的な情緒が感じられるのはいかにも玉堂らしいところです。玉堂が生まれ育ったのが長良川のそばということもあり、玉堂は“鵜飼”をたびたび取り上げているようです。

この頃、玉堂は京都で円山四条派の望月玉泉や幸野楳嶺に師事し日本画を学んでいましたが、「鵜飼」を出展した博覧会で橋本雅邦の作品を見て衝撃を受け、雅邦の門を叩くため上京したといいます。

川合玉堂 「渓山秋趣」
1906年(明治39年) 山種美術館蔵

初期の玉堂は漢画的な山水表現が多いというのが印象的でした。このようにして研鑽を積んだ人なんだなというのが分かります。山にしても川や滝など水辺にしても、玉堂の作品に頻繁に登場するモチーフですが、前半期の作品には円山四条派や狩野派などの影響が感じられるというか、まだそこから抜け出せていない感じがあります。この「渓山秋趣」も奥行きある深山の風景や岩のグラデーション、また紅葉の木々の感じなど、雅邦の代表作「白雲紅樹」を思い起こさせます。

川合玉堂 「行く春 小下図」
1916年(大正5年) 玉堂美術館蔵

玉堂の作品で個人的に一番好きなのが、昨年の東京国立近代美術館の『美術にぶるっ! 第Ⅰ部 MOMATコレクションスペシャル』でも展示されていた「行く春」(本展では出展されていません)なのですが、本展ではその“小下図”が展示されていました。比べてみると、左隻の桜の枝の張り出し方や右隻に川の流れ(勢い)が完成作では手が加えられているようです。“小下図”にはスケッチした小さな紙が貼られていたり、試行錯誤していた過程が窺えます。

同じく“小下図”としては、昭和天皇の大嘗祭(即位後の最初の新嘗祭)のために献納した「悠紀地方風俗屏風」の“小下図”が展示されています。やまと絵風の屏風に自転車に乗った人を描くなど遊び心を感じさせる作品でした。

川合玉堂 「写生画巻 花鳥 15歳写生」
1888年(明治21年) 玉堂美術館蔵

会場の途中には玉堂の写生帖なども多く展示されていました。15歳のときの写生帖は今は画巻に張り替えられていましたが、撫子の花やカワセミなどとても丁寧に描きこんでいるのが印象的です。イヌの絵がまたかわいい。

川合玉堂 「写生帖 縮図写生」(一部)
1891年(明治24年)頃 玉堂美術館蔵

川合玉堂 「写生入り玉堂筆書簡」(参考出品)

玉堂の娘婿に送った手紙というのも展示されていました。娘に子どもが生まれたことを香港に赴任中の夫に知らせるために、当時は写真は現像に時間がかかったので、玉堂が赤ちゃんの絵を描いて送ったそうです。玉堂の人柄が偲ばれる貴重な手紙です。

[写真右] 川合玉堂 「瀑布」
1909年(明治42年)頃 玉堂美術館蔵
[写真中] 川合玉堂 「二日月」
1907年(明治40年) 東京国立近代美術館蔵(※展示は7/7まで)

今回の展覧会で、新しい発見というか、玉堂という画家のイメージが一番大きく変わったのが、この三枚の作品でした。

「瀑布」は円山四条派が得意とした画題の一つで、勢いよく流れる滝の轟音と飛沫が感じられるような、しかしどこか閑寂で、荘厳な雰囲気のする作品でした。真っ白な滝と黒々とした岩山のコントラストがまた素晴らしい。「二日月」は玉堂の代表作の一つということで、本展での見ものの一つかと。水墨を没骨法で描きつつ、ターナーなど自然主義表現も意識した作品といわれています。空の色に輸入化学顔料が使われていて、当時はその美しさが評判を呼んだそうですが、後年退色し玉堂をがっかりさせたというお話でした。それでも十分に自然主義的な印象を与えながらも日本の湿潤な空気を感じさせる素晴らしい作品だと思います。

川合玉堂 「紅白梅」
1919年(大正8年) 玉堂美術館蔵

大正時代というと琳派の再発見ブームがあり、多くの日本画家が“琳派的”な作品に取り組んでいますが、ご他聞に漏れず玉堂もありました。館長さんによるギャラリートークでは、光琳の「紅白梅図屏風」を意識して制作されたという話でしたが、自分はパッと見、円山応挙の「藤花図」を思い出しました。なにより構図が同じ。また、幹はたらし込みで描き、花は一枚一枚丁寧に描きこんでいるのも「藤花図」を彷彿とさせます。



第二章:玉堂をめぐる日本の原風景

玉堂的なといいますか、玉堂のイメージってこうだなという作品が並びます。時代的には昭和10年以降の作品で、玉堂はすでに60歳を超えています。老年に差し掛かり、画風が落ち着いたのか、さらに日本的な風景を極めようとしたのか。また、たびたび写生に訪れていた奥多摩に、戦争をきっかけに疎開をしたことも、こうした作品の制作に拍車をかけたのかもしれません。

[写真右] 川合玉堂 「柳蔭閑話図」
1922年(大正11年) 個人蔵(※展示は7/7まで)

「柳蔭閑話図」は大正時代の作品で、出展作品リストには<第一章>にありましたが、スペースの関係か、実際には<第二章>に展示されていました。朝鮮旅行の際の印象をもとに描いた作品で、暫く行方不明になっていたものだとか。玉堂にしては珍しく、外国の風俗を描いたもので、紙の素材なども特殊な手の込んだ方法を用いているそうです。

川合玉堂 「荒海」
1944年(昭和19年) 山種美術館蔵

「荒海」は玉堂唯一の戦争画といわれる作品。どこが戦争と関係するのか?と思いますが、『戦時特別美術展』に出展された作品で、荒々しい波の表現に玉堂の心情が込められているのではないかとのことでした。波や岩が実に写生的で、特に波の表現は荒れる波の様子を様々に描き分けていて、見入ってしまいました。

川合玉堂 「山雨一過」
1943年(昭和18年) 山種美術館蔵

今回の展示作品の中で、個人的にとても印象深かった作品。玉堂が住んでいた奥多摩の浅間嶺や笹尾根の尾根道を思い起こさせます。奥多摩や桧原村のあたりは昔は谷がきつく、ゆるやかな山の尾根道や峠道が交易路として発展したと聞きます。古き時代ののどかな風景がよみがえるようです。

川合玉堂 「湖畔暮雪」
1950年(昭和25年) 山種美術館蔵

「湖畔暮雪」もかなり好きな作品。湖畔に並ぶ家々の屋根に積もった雪は色を塗らずに絹本の地の色で表しているそうで、これは応挙がよく使った技法ということです。

川合玉堂 「水声雨声」
1951年(昭和26年) 山種美術館蔵

玉堂の代表作に「彩雨」(東京近代美術館所蔵)という作品があるそうで、その絵が評判を呼び、そうした依頼にこたえて描いた一枚とのこと。没骨法による水墨画と玉堂らしい人物の点景が印象的です。こうして玉堂の作品を観ていると、玉堂の絵に小さく添えられた人物は副次的なものではなく、実は周りの風景の方が脇役で、そうした自然の中で生きる小さく描かれた人々の方が主役なのだろうと思うのです。

川合玉堂 「早乙女」
1945年(昭和20年頃) 山種美術館蔵

今回の展覧会のチラシや図録などのメインのイメージに使われている作品。どこか微笑ましく、とても長閑で、心温まる感じがしますが、この作品が描かれたのは戦争の真っ只中とのことで、玉堂には強く意味するものがあったのかもしれません。みんなが田植えに勤しむ中、腰を伸ばす姿を一人描くだけで、絵がとても生き生きしたものになるのが凄いと思います。俯瞰で描いた構図もユニークです。

川合玉堂 「加茂女十三首」(参考出品)

会場には玉堂の書も展示されていました。かなり達筆というか、とても美しい字を書きます。


第三章:玉堂のまなざし

こちらには玉堂のちょっと珍しい作品や他の画家との共作、また動物を描いた作品などが展示されています。

川合玉堂 「氷上(スケート)」
1953年(昭和28年) 山種美術館蔵

“余技の楽しみ”として展示されていた玉堂ファンには意外と知られた(?)一枚。モデルは日本の女子フィギュアスケートの草分け、稲田悦子選手だそうです。玉堂はなぜかフィギュアスケートが好きだったようで、戦前のスケッチも残されているのだとか。時にこうした現代的な風俗も描いていたんですね。

[写真右から] 横山大観 「松」、 川合玉堂 「竹」、 竹内栖鳳 「梅」
1934年(昭和9年) 山種美術館蔵(※展示は7/7まで)

“松竹梅”として、大観、栖鳳との三幅対と、同じく大観と龍子との三幅対が展示されていました。近代日本画を代表する三人の合作の“松竹梅”とは贅沢なものです。

[写真右] 川合玉堂 「双馬」 1954年(昭和29年) 山種美術館蔵
[写真中] 川合玉堂 「猿」 1955-56年(昭和30-31年)頃 山種美術館蔵
[写真左] 川合玉堂 「松上双鶴」 1942年(昭和17年)頃 山種美術館蔵

入口をはさんだ第二会場には、“動物をいつくしむ”として動物を描いた作品がまとめて展示されています。上の写真の「双馬」と「猿」はそれぞれ干支の絵として描いたもののようです。松竹梅にしても干支にしても、縁起のいい画題として人気があったんでしょうね。

川合玉堂 「虎」
1945年(昭和20年)頃 山種美術館蔵

日本画にはお決まりの「虎」。虎の絵は、“千里往還”ということで武運と無事の帰還を祈って、戦争への出征に際して多く依頼を受けて描いていたそうです。薄墨と濃墨で描き分けた虎や岩の描写が見事です。

川合玉堂 「猫」
1951年(昭和26年) 山種美術館蔵

隣にはネコも。

こうしてあらてめて川合玉堂の作品を観てみると、その技量の高さと、そこに描かれる自然や人物への洞察力の深さに感心しました。玉堂はもっと評価されてもいい画家だと思ってるのですが、そうした意味でも多くの人に観てもらいたい展覧会です。


※会場内の写真は主催者の許可を得て撮影したものです。

【生誕140年記念 川合玉堂 ―日本のふるさと・日本のこころ― 】

会期: 2013年6月8日(土)~8月4日(日)
〔一部展示替 前期:6/8~7/7 後期:7/9~8/4〕
開館時間: 午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日: 月曜日(但し、7/15は開館、7/16休館)
会場: 山種美術館


美術館併設の≪Cafe 椿≫では、川合玉堂の絵にちなんだ期間限定オリジナル和菓子も愉しめます。




画集 川合玉堂の世界画集 川合玉堂の世界

2013/06/15

ファインバーグ・コレクション展 -江戸絵画の奇跡-

江戸東京博物館で開催中の『ファインバーグ・コレクション展 -江戸絵画の奇跡-』に行ってきました。

“ファインバーグ・コレクション”はアメリカの実業家で化学者のロバート・ファインバーグ氏が蒐集した日本美術のコレクションで、本展では江戸絵画を中心に約90点の作品が里帰りをしています。

宗達や抱一、若冲、蕭白、北斎といった人気絵師の作品がずらりと並び、いずれ劣らぬ逸品揃い。こうした作品を一代で蒐集したというファインバーグ氏(正確には奥様のベッツィ・ファインバーグ夫人との共同コレクション)の趣味の良さと鑑識眼の確かさ、そして財力に驚かされます。

現在、同じアメリカの日本画コレクター、ジョー・プライス氏の“プライス・コレクション”も東北の美術館を巡回中ですが、プライス氏もファインバーグ氏も蒐集したものをこうして日本の私たちに見せてくれるというその心の広さに感謝と敬意を表せずにはいられません。ただ、こうした日本美術の優品の数々が海外流出してしまっていることが恨めしくもあります。


第1章: 琳派

まずは琳派から。
最初に登場するのが宗達の「虎図」。猛々しい虎のイメージはなく、どこか猫のような愛嬌すら感じられる優しげな虎。毛のふわりとした感じに見せる技巧的な筆致は流石です。

俵屋宗達 「虎図」
江戸時代・17世紀 ファインバーグ・コレクション蔵

酒井抱一 「十二ヶ月花鳥図」(内、紫陽花・立葵に蜻蛉)
江戸時代・19世紀 ファインバーグ・コレクション蔵

会場の一角には、抱一お得意の画題「十二ヶ月花鳥図」がズラリ。ファインバーグの「十二ヶ月花鳥図」は2008年に東京国立博物館で開催された『大琳派展』のときも来日しているので、久しぶりの再会です。解説によると、抱一の「十二ヶ月花鳥図」は現在5セット(三の丸尚蔵館(宮内庁)、プライスコレクション、出光美術館、畠山記念館、そして本作)が確認されているとのこと(私自身は畠山記念館本のみ未見)。どれも甲乙つけ難いのですが、ファインバーグ本は状態がとてもきれいで、構図や色が品良くまとめられているという印象を受けました。

鈴木其一 「群鶴図屏風」
江戸時代・17世紀 ファインバーグ・コレクション蔵

ファインバーグ・コレクションで一番有名な作品といえば、この其一の「群鶴図屏風」でしょう。『大琳派展』のときも来日しているので、ご覧になった方も多いかもしれません。完全に意匠化された川と鶴の群れ。斬新かつリズムカルな構図。其一のデザインセンスの高さを見事に表した傑作です。プライス・コレクションにも其一の「群鶴図屏風」がありますが、プライス版より、ファインバーグ版の方がデザイン性という点ではすっきりしていて、より洗練された感じを受けます。

そのほか≪琳派≫の中では、深江蘆舟の「秋草に瓜図」、俵屋宗里の「楓図屏風」 、抱一の「宇津の細道図屏風」、其一の「山並図小襖」が個人的には非常に好みでした。


第2章: 文人画

文人画でまず目に入るのが、池大雅の六曲一双の傑作「孟嘉落帽・東坡戴笠図屏風」。風で帽子が飛ばされた孟嘉と急な雨で笠と履物を農家で借りた東坡の二人の中国の高士を描いた作品です。おおらかな人物描写と岩や木々の太く勢いのある墨線の対比が素晴らしい。


池大雅 「孟嘉落帽・東坡戴笠図屏風」
江戸時代・18世紀 ファインバーグ・コレクション蔵

池大雅はほかにも、なかなか立派な墨竹画の名品「雪竹図」や指頭画による初期作「唐人合奏図」などが展示されていました。

谷文晁 「秋夜名月図」
江戸時代/文化14年・1817年 ファインバーグ・コレクション蔵

今回の出品作品の中で、一番の収穫というか、一番感動したのが、この谷文晁の「秋夜名月図」。横170cm近い横長の大きな水墨画で、少し霞のかかった中秋の名月と背の高い葦、そして巨大な落款と、とてもインパクトのある作品です。構図の妙もさることながら、霞の淡墨や葦の茎葉の濃淡の加減が何とも言えません。一目見て、思わず唸ってしまいました。谷文晁の作品でも最高傑作の一つじゃないかと思います。

与謝蕪村 「寒林山水図屏風」
江戸時代・18世紀 ファインバーグ・コレクション蔵

≪文人画≫では、蕪村の「寒林山水図屏風」、中林竹洞の「四季花鳥図」、山本梅逸の「畳泉密竹図」、岡本秋暉の「蓮鷲図」など、優品が多く展示されていました。


第3章: 円山四条派

次のコーナーは円山応挙から。最初に展示されていた「鯉亀図風炉先屏風」(展示リストでは6/18からになっていましたが既に展示されていました)の上品な美しさにいきなりノックアウト。水紋を描いた絹地を裏に貼り透明感のある水面を再現するという技巧を凝らした小屏風で、応挙ならではの写実性と情緒豊かな画面作りが堪能できる逸品です。調べると徳川美術館にも同じ画題の作品があるようなので、応挙は同様の作品を複数制作しているようです。

円山応挙 「孔雀牡丹図」
江戸時代/明和5年・1768年 ファインバーグ・コレクション蔵

「孔雀牡丹図」も応挙の得意とした画題。写実を極めた応挙らしい精細で、極彩色の牡丹と孔雀が見事です。応挙はほかにも美人画なども展示されていました。

森祖仙 「滝に松樹遊猿図」(左幅)
江戸時代・19世紀 ファインバーグ・コレクション蔵

森祖仙といえば猿の絵。この「滝に松樹遊猿図」は猿の親子の生き生きとした、仲睦まじげな描写が何とも心を和ませます。左幅に松と猿、右幅に滝というシンプルな構図で、滝の音や猿の鳴き声が聴こえるようでした。

そのほか、≪円山四条派≫には、下絵ということですが下絵には見えない迫力ある岸駒の「滝に鷲図」や、貴族の端午の節句と農家の桃の節句を描いたユニークな柴田是真の「二節句図」あたりが良かったと思います。


第4章: 奇想派

ここでは最近京都国立博物館で展覧会があったばかりの狩野山雪をはじめ、若冲、蕭白、蘆雪ら、自由奔放で奇抜な画風の、いわゆる≪奇想派≫と呼ばれる絵師たちの作品が展示されています。

伊藤若冲 「松図」
江戸時代/寛政8年・1796年 ファインバーグ・コレクション蔵

期待の山雪の作品は、京博の展覧会で観たほどのインパクトは受けませんでしたが、素晴らしかったのが若冲最晩年の作という「松図」。このデフォルメされ、勢いよく描かれた松の強さ、迫力。老いてなお意気軒昂な若冲の創作意欲に驚かされます。

葛蛇玉 「鯉図」
江戸時代・18世紀 ファインバーグ・コレクション蔵

面白かったのが葛蛇玉(かつ じゃぎょく)の「鯉図」で、勢いよく流れる川の瀬に逆らうように泳ぐ大きな鯉。一度観たら忘れられないようなユニークな構図が印象的です。葛蛇玉という絵師の作品は初めて観たのではないかと思いますが、Wikiによると、現存する作品は極めて少なく、現在6点しか確認されていないそうです。

曽我蕭白 「宇治川合戦図屏風」
江戸時代・18世紀 ファインバーグ・コレクション蔵

そのほか、蕭白が3作品、蘆雪が3作品展示されています。蕭白は彼の多面的な技量を物語るように、ダイナミックな「宇治川合戦図屏風」に、お得意の「鉄拐仙人図」、細密水墨の「山水図」とバラエティに富んでいました。


第5章: 浮世絵

最後は≪浮世絵≫。といっても木版画ではなく、肉筆画のみの展示でしたが、これがなかなかの優品揃いで、趣味がいいなと感じました。

鳥文斎栄之 「遊女と蛍図」
江戸時代・18-19世紀 ファインバーグ・コレクション蔵

≪浮世絵≫のコーナーで個人的に良いと思ったのが、東燕斎寛志の「見立孟宗図」と鳥文斎栄之の「遊女と蛍図」。浮世絵は詳しくないので、二人の絵師のことはあまり知りませんが、「見立孟宗図」は、孟宗という人が病気の母のために雪をかき分けて筍を掘ったという有名な故事に見立てたもので、当世風の女性に置き換えたところがユニーク。ちょっと現実離れしていて、雪の描写も印象的で、なかなか面白い作品でした。鳥文斎栄之は歌麿のライバルといわれたほどの美人画の名手だそうで、「遊女と蛍図」は蛍を愛でる遊女の、なんとも品のある一幅でした。酒井抱一が琳派に傾倒する以前の若い頃に描いた浮世絵肉筆画というのもありました。

葛飾北斎 「源頼政の鵺退治図」
江戸時代/弘化4年・1847年 ファインバーグ・コレクション蔵

会場の最後に展示されていたのが、北斎の「源頼政の鵺退治図」。『平家物語』にも登場する“鵺”退治の逸話を描いた作品です。鵺を描かず漆黒の闇と頼政の勇壮な姿で怪物退治の臨場感を表した傑作です。


恐らくファインバーグ氏の趣味だと思いますが、全体的にきれいな感じの、あまりこってりとせず、品の良い江戸絵画が多いという印象でした。なかなかの優品揃いなので江戸絵画ファンにはお勧めです。なお、当ブログで紹介した作品の中には、一部展示替えになる作品もありますので、事前に公式サイトでご確認ください。


【ファインバーグ・コレクション展 -江戸絵画の奇跡-】
2013年7月15日まで
江戸東京博物館にて


江戸絵画の非常識―近世絵画の定説をくつがえす (日本文化 私の最新講義)江戸絵画の非常識―近世絵画の定説をくつがえす (日本文化 私の最新講義)


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