「信貴山縁起絵巻」は平安後期に制作され、奈良・信貴山中興の祖、命蓮上人の奇跡譚を描いた3巻物の絵巻。「源氏物語絵巻」「伴大納言絵巻」「鳥獣人物戯画」と並ぶ日本四大絵巻のひとつで、その中でも最も早く成立したといわれています。
3巻全てが一度に公開されるのは史上初。先日五島美術館で「源氏物語絵巻」のギャラリートークを拝聴した時に学芸員の方もおっしゃってましたが、専門家でも全巻を一気に観る機会はまずないとのことなので、これはほんと凄いことなのです。
ちょうど伺った日はゴールデンウィーク中の平日で、入口には絵巻を最前列で観るのに10分待ちと案内板が出ていたのですが、館内は割と空いていてほとんど待つことなく観られました。列もゆとりがあって、じっくり鑑賞。土日は絵巻を最前列で観るのに結構並んでいる時間帯もあるようなので、行かれる方は要注意ですね。
第1章 「信貴山縁起絵巻」の世界
絵巻は、命蓮が法力で投げた托鉢の鉢が長者の米倉をのせて信貴山まで飛んで行ってしまう「山崎長者巻」、命蓮が延喜の帝(醍醐天皇)の病気平癒の加持祈祷を行うと剣の護法童子が帝のもとに飛来し、たちまち帝の病が快復する「延喜加持巻」、命蓮の姉・尼公が命蓮を尋ねて大和へ旅立ち、命蓮に再会するまでを描く「尼公巻」に分かれています。
「信貴山縁起絵巻 山崎長者巻」(国宝)
平安時代・12世紀 朝護孫子寺蔵
平安時代・12世紀 朝護孫子寺蔵
まず驚くのは人物表現がズバ抜けていて、とてもコミカルだし、みんな活き活きと描かれていること。先日拝見した「伴大納言絵巻」も人物表現の豊かさに驚きましたが、「信貴山縁起絵巻」も相当なもの。キャラクターの描き分けや分かりやすい感情表現、デフォルメ的な身体の動きなど現代のマンガに通じるものがあります。「山崎長者巻」は鉢が飛んだり米俵が飛んだり、ほとんどファンタジー。空を飛んでいく米蔵を見て慌てふためく長者や騒然となる村の人々の表情が可笑しい。 『オズの魔法使い』にも竜巻で家が空を飛んでいくシーンがありましたが、1000年も前に既に絵画化されているんですから、ドロシーもビックリです。
もちろんこれはただの摩訶不思議な奇跡譚ではなく、ちゃんとした仏教説話なわけで、たとえば飛鉢法は千手観音の秘法とされ、密教僧が得意としたという話に基づいています。平安時代には観音と毘沙門天を同体とする信仰があったそうで、そういえば鞍馬寺でも毘沙門天と千手観音が一緒に祀られていたことを思い出しました。「延喜加持巻」の護法童子(剣鎧護法)も信貴山に祀られた毘沙門天の眷属という繋がりがあります。
「信貴山縁起絵巻 延喜加持巻」(国宝)
平安時代・12世紀 朝護孫子寺蔵
平安時代・12世紀 朝護孫子寺蔵
「尼公巻」では修業のため家を出たまま行方知らずの弟・命蓮を尋ね歩く姉の姿が感動的に描かれているのですが、東大寺の大仏殿で祈る尼公の姿が一つの画面の中にいくつも描かれていて、時間の経過を表すという面白い場面があります。異時同図法という表現方法ですが、「一遍聖絵」でも同じような場面を観たのを覚えています。
「尼公巻」には現存する絵画では一番古いという猫が描かれていたり、犬もまたかわいかったりします。牛や馬なんかも濃墨と淡墨を巧みに使っていてとても上手くて、相当な技量を持った絵師が制作していたことが想像できます。
「信貴山縁起絵巻 尼公巻」(国宝)
平安時代・12世紀 朝護孫子寺蔵
平安時代・12世紀 朝護孫子寺蔵
ユニークなストーリーばかりに目が行きがちですが、山容の表現などは実にやまと絵的で初期やまと絵としても大変興味深いものがあります。冷泉為恭の模写絵も展示されていて、線描を中心に丹念に模写してあったのですが、為恭がそこから何か学ぼうとしていた理由が分かる気がします。
絵巻の一番最後には、霧の向こうに山崎から飛んできた米蔵の屋根が覗いてるというオチまでついてて思わず笑ってしまいました。
第2章 縁起の成り立ち
「信貴山縁起絵巻」と同様の内容の説話は他にもあるようで、例として「古本説話集」や「宇治拾遺物語」などが紹介されています。また同時代に制作されたり、後白河院と関わりの深い絵巻が展示されています。後期展示の一番の見ものは元祖怪奇絵巻の「辟邪絵」で、現在は分断され掛軸装になっていますが、現存する5幅全てが公開されています。
「辟邪絵」は陰陽道の鬼神である「天刑星」、八部衆のひとり「栴檀乾闥婆」、蚕の化身で悪鬼を食べるという「神虫」、そしてこれも悪鬼を退治する「鍾馗」と「毘沙門天」 から成り、その成立や由来については謎も多く、六道絵巻の一つと考えられているようです。みんな邪鬼や疫鬼を懲らしめてるわけですが、槍に頭部を突き刺したり、鬼をむしゃむしゃ食べていたり、ほとんどスプラッター。とにかく不気味です。
「辟邪絵 神虫」(国宝)
平安〜鎌倉時代・12世紀 奈良国立博物館蔵
平安〜鎌倉時代・12世紀 奈良国立博物館蔵
「辟邪絵 栴檀乾闥婆」(国宝)
平安〜鎌倉時代・12世紀 奈良国立博物館蔵
平安〜鎌倉時代・12世紀 奈良国立博物館蔵
ここではもうひとつ、和歌山・粉河寺の縁起絵巻も面白かったですね。豊臣秀吉の焼き討ちで焼損したそうで、焼けた跡が痛々しいのですが、こなれたしっかりした線で描かれていて、割と色もはっきり残っていて、どこか素朴な感じがあります。
「粉河寺縁起絵巻」(国宝)
平安時代・12世紀 奈良国立博物館蔵
平安時代・12世紀 奈良国立博物館蔵
第3章 毘沙門天王の霊山
信貴山は毘沙門天王が日本で初めて出現した霊地とのことで、ここでは毘沙門天にまつわる仏画や仏像を中心に紹介。10世紀頃の古いものから元の珍しいものまで多くの毘沙門天像が展示されているのですが、高さ20cmぐらいの小振りな「毘沙門天立像(将軍自在毘沙門天王)」が細部まで手の込んだ彫りと截金を用いた文様が見られ、なかなかの傑作でした。
毘沙門天を中心に吉祥天と善膩師童子を脇侍に従えた法隆寺蔵の「毘沙門天像」も印象的。朝護孫子寺は毘沙門天を本尊とし、その妃・吉祥天と子・善膩師童子を一緒に祀っているそうですが、なぜここに法隆寺が出てくるかが次の章に繋がります。
第4章 聖徳太子信仰の興隆
聖徳太子は物部守屋と合戦の際、信貴山の毘沙門天から授けられた矢によって勝利を得たという伝説があって、信貴山では聖徳太子信仰が、法隆寺では毘沙門天信仰があるのだそうです。信貴山の僧・円快の手によるという「聖徳太子童形坐像」が法隆寺に伝わっていて、二つの寺の関係の深さを物語っています。
円快「聖徳太子童形坐像(伝七歳像)」(重要文化財)
平安時代・治暦5年(1069) 法隆寺蔵
平安時代・治暦5年(1069) 法隆寺蔵
ここでは物部氏との合戦の場面が描かれた聖徳太子絵伝が展示されていたり、変わったものでは江戸時代に制作された武者絵巻まがいの「太子軍絵巻」というのもありました。
第6章 武家の尊祟
最後は唐突に戦国時代。信貴山は松永久秀(松永弾正)が織田軍に攻められ自死した城だったんですね。知りませんでした。会場にはその松永久秀にまつわる史料なんかもあるのですが、信貴山が武運の神・毘沙門天を祀ることから武田信玄からの祈祷の礼状や楠木正成が奉納した兜など戦国の世を今に伝える貴重な遺品があって、いろいろと興味深かったです。
奈良博に来たら、4/29にリニューアル・オープンした“なら仏像館”も忘れずに。ただ単に年代順に並べるのではなく、いくつかのテーマでまとめられていて分かりやすいですし、スペースをとって展示されてるのでとても見やすい。照明が割と明るいんですが、ガラスケースの透明度が非常に高くて、全く反射しないし、ガラスがあることを忘れるぐらい。もう感動的です。
もちろん仏像の充実度はハンパありませ。これ、奈良だからできるけど、東京でやったら特別展扱いだし、行列できるレベル。「中国の誕生仏で現存最古」とか凄いことがさりげなく書かれてたいたりして思わず仰け反りました。作品情報が3カ国併記になっていて、解説が英訳されてるのも多く、外国人にも優しいのもいいですね。
『国宝 信貴山縁起絵巻展』だけでも見応え十分ですが、なら仏像館と併せるととても充実した美術体験ができると思います。ほんとこの機会を逃す手はないですよ。みんな奈良博へ急げ!
【国宝 信貴山縁起絵巻 朝護孫子寺と毘沙門天信仰の至宝】
2016年5月22日(日)まで
奈良国立博物館にて
空とぶ鉢―国宝信貴山縁起絵巻より (やまと絵本)
中世日本の神話と歴史叙述
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