フェリックス・ヴァロットンは19世紀末から20世紀頭にかけて活躍したフランスの画家。本展は2013年にパリ、グラン・パレで行われた回顧展の巡回展で、日本では初のヴァロットンの展覧会になります。
ヴァロットン?知らないな~、と思っていたのですが、実は2010年の『オルセー美術館展』でヴァロットンの作品を観ていました。すっかり記憶から抜け落ちていました。
過去に何度か日本でも作品が紹介されているので、知る人ぞ知る画家というところなのでしょうが、知名度は決して高くなく、美術史的にも長く忘れられていたようです。ヴァロットンの再発見・再評価は、かつての伊藤若冲のそれを引き合いに出されることもあるぐらいで、この展覧会をきっかけに一気に人気が高まってくる気がします。
1章 線の純粋さと理想主義
ヴァロットンの生きた時代は印象派やポスト印象派、フォビズムの登場と重なりますが、若い頃のヴァロットンはデューラーやクラナハ、またアングルなどに傾倒していたそうです。ヴァロットンの絵がナビ派ほどナビ派っぽくないというか、変に神秘主義の方向に走らなかったり、古典主義からダイレクトにモダンになってる感じがするのはその辺りに理由があるのかもしれません。
最初に登場するのがアングルの代表作「トルコ風呂」をモチーフにした作品。1905年にアングルの回顧展でヴァロットンは初めてこの作品を観て、感激のあまり涙したといいます。「休息」は背景の黒とシーツと肌の白さのコントラストが印象的な一枚。女性の肌の曲線が滑らかで美しい。
「5人の画家」はボナールやヴュイヤールなどナビ派の画家を描いた作品で、一番左奥にいるのがヴァロットン。ドニの「セザンヌ礼賛」に触発され制作したといわれています。スイス出身のヴァロットンは“外国人のナビ”といわれ、ナビ派とは理論的にも様式的にも微妙な距離があったそうです。
そのヴァロットンの若き肖像は真面目そうな反面どこか神経質そうな容貌が印象的。会場の一番最後には晩年の肖像画があるので、どう変わっているか是非比べてみてください。
三菱一号館美術館に飾られると絵が活きてきますね。
2章 平坦な空間表現
ナビ派自体が奥行き感のない平坦な画面構成を特色としているところがあり、ヴァロットンもフラットで独特の空間表現を好んでしています。会場にはヴァロットンが所有していた歌麿や国貞の浮世絵も展示されているのですが、二次元的な構成や単純な色面は浮世絵に影響を受けている部分もあるようです。そのあたりは浮世絵に傾倒していボナールに近いかもしれません。
「月の光」は個人的に本展でのお気に入りの一枚。ナビ派らしい装飾性と幻想性を併せ持った作品です。光の表現がまた美しい。
本展のメインヴィジュアルにもなっている「ボール」。俯瞰的にとらえた特徴的な構図を光と影に二分し、2人の大人とボールを追う子ども(よく見るとボールは2つ)、森の中の静けさと子どもの歓声という、それぞれ対極のものを配しているのが面白いし、何か記号的でそれぞれに意味がありそうに思えてきます。何気ない光景のようでいて、どこか異空間的で不穏な空気を感じます。この絵を観たとき、ニコラス・ローグの『赤い影』の赤い鞠で遊ぶ少女を思い浮かべました。
3章 抑圧と嘘
ヴァロットンの絵を特徴づけるものの一つが、家族や女性に対する彼のビミョーな関係や心理を反映したような心象風景的な作品。何か気まずいところを見てしまったというか、見てはいけないものを覗いてしまったような気分になります。
「貞節なシュザンヌ」は、敬虔な美しい人妻が水浴しているところを好色な老人2人に覗き見され、逆に姦通の罪で死刑宣告を受けるという旧約聖書のエピソードを着想源にした作品。シュザンヌは一見貞淑そうですが、その目は妖しく、男を誘っているようにも見えなくもありません。
ヴァロットンの妻はパリの大画商の娘で、貧乏画家だったヴァロットンはいきなりブルジョワの仲間入りをします。「夕食、ランプの光」は結婚した年に描かれた作品で、手前の黒い影がヴァロットンだといいます。その絵からは新婚の幸福感も家族の温もりも感じられず、自分の居場所がないような、憂鬱な彼の心の内が見えるようです。
義理の家族のベルネーム家を描いた作品もいくつか展示されていました。ヴァロットンの屈折した気持ちが反映されたような「アレクサンドル・ベルネーム夫人」やポーカーを興じるグループに溶け込めない壁を感じる「ポーカー」など。
妻をモデルに描いた作品もいくつか。ただ、どれもちょっと怖い。何か思い詰めたような女性や、一心不乱に棚を探しまわる女性、散らかった服や乱れたシーツを背景に呆然と立ち尽くす女性など、こんな絵を描いて奥さんは何とも思わなかったんでしょうか。逆に、敢えて辛辣な表現を試みているような気もしないでもありません。どうなんでしょう。
4章 「黒い染みが生む悲痛な激しさ」
各章にヴァロットンの版画も展示されていますが、ここではまとめて少しご紹介。展覧会に合わせて、三菱一号館美術館はヴァロットンの版画を大量購入し、そのうち70点が今回展示されています。
もともとヴァロットンは肖像画家としてスタートを切ったようですが、なかなか目が出ず、最初に注目を浴びたのが木版画でした。ベタッと塗りつぶされた面と省略されたシンプルなライン、それでいて豊かな人々の表情。ユーモアのなかにもちょっとスパイスが効いているのがミソ。
アルプスの山を描いたシリーズや、友人の音楽家を描いた<楽器>シリーズなどもいいですが、ヴァロットンの面白さはやはりパリの街の息吹や人々の躍動を描いた<息づく街パリ>や<万国博覧会>、ブルジョワ男女の情事を描いた<アンティミテ>でしょう。写真の影響を感じさせる大胆なフレーミングや黒と白のグラフィカルなコントラストが独特。
5章 冷たいエロティシズム
ヴァロットンは女性に対して猜疑心を抱いているのか、なにかトラウマでもあるのか、ここでもやはり距離感を感じます。女性があられもないポーズをとっていても、微笑みかけていても、画家の視線が冷めているからなのか、少しもエロティックな感じがしないから不思議です。
ヴァロットンの裸婦画はどことなく新古典主義的で、それでいてとても視覚的というか現代的な感じがします。ゆるいカーブを描くような身体のラインやフラットな肌の質感、全体的な色のバランスが印象的です。
妻を描いた作品はちょっと不気味だったのに、裸婦画の女性はみんなきれいなのが面白い。個人的には「赤い絨毯に横たわる女性」が好きですね。振り返らせるところとかアングルの「グランド・オダリスク」ぽい。緑の布を口にくわえた「秋」もアングルの「泉」を思わせます。「オウムと女性」もティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」あたりを参考にしてるんだろうなと感じました。犬がオウムになってるところなんかも。学芸員の方が、性器が描かれていた絵に後から白い布を描き足した作品があるという話をしていたのですが、「オウムと女性」のことでしょうか?
途中にはヴァロットンが表紙や挿絵を描けた『罪と罰』や『にんじん』の本も展示されています。また、三菱一号館美術館のナビ派コレクションの中からゴーガンやルドンのリトグラフ、そして今回初公開となるドニの「純潔な春」が展示されていました。
6章 マティエールの豊かさ
ここではマティエール(質感)にこだわった作品を紹介しています。ヴァロットンの晩年の15年ぐらいは静物画や風景画なども多かったみたいです。
ヴァロットンが描く裸婦の肌はどちらかというとのっぺりした感じが多いのですが、たとえば「アフリカの女性」なんて肌の表現にこだわって写実的に描いていますし、「赤い服を着たルーマニア女性」も生々しいぐらい。ヴァロットンは女性を後ろから描くことが好きなようですが、正面から見据えて描いているのも逆に新鮮な感じがします。静物ではナイフに反射したピーマンの赤色が血を連想させる「赤ピーマン」もブラックユーモアがあって面白い。
「臀部の習作」は10代で描いた作品で、中年女性(?)のお尻の脂肪の感じや垂れ具合がリアルで驚きます。それにしても10代にしてこの倒錯性はなんでしょう。彼のフェティシズムの一端を見る思いがします。
個人的に好きなのが「海からあがって」。ヴァネッサ・レッドグレイヴかシャーロット・ランプリングか、そんな感じの知的な大人の女性。
7章 神話と戦争
ヴァロットンのユーモアのセンスが光るのが神話画。基本的には古典的主題に則っているのでしょうが、ヴァロットンの手にかかると最早パロディになってしまいます。
竜を退治するペルセウスは有名な画題ですが、竜がどうみてもワニで、ペルセウスも盛りを過ぎたような風貌、しかもアンドロメダの様子が笑えます。アダムとイブの夫婦喧嘩を描いた「憎悪」や茶目っ気のある「シレノスをからかう裸婦」など、ちょっと笑ってしまいそうな作品もありますが、女性が寄ってたかって男を八つ裂きにする「引き裂かれるオルフェウス」はゾッとするような絵だけれど、構成力が素晴らしい。
ヴァロットンは第一次世界大戦に兵士として志願したものの年齢的に叶わず、従軍画家として戦地に赴いているそうです。ここでは戦場で描いた作品がいくつか展示されているほか、戦争の現実と悲劇をシニカルに描いた木版画<これが戦争だ!>が秀逸。
ヴァロットンの絵は、ただきれいだなとか美しいなとか、そういう絵の見方を越えた面白さというか、絵に隠された意味やヴァロットンの心理を読み解いたり、いろんな見方ができて、観ていて飽きません。オススメの展覧会です。
※展示会場内の画像は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。
【ヴァロットン展 -冷たい炎の画家】
会期: 2014年6月14日(土)~9月23日(火・祝)
会場: 三菱一号館美術館
開館時間: 10:00~18:00(毎週金曜日は20:00まで(祝日除く))
※入館は閉館の30分前まで
休館日: 月曜日
(但し、祝日・振替休日の場合は開館/9月22日(月)は18時まで開館)
VALLOTTON―フェリックス・ヴァロットン版画集
まるごと三菱一号館美術館―近代への扉を開く
1章 線の純粋さと理想主義
ヴァロットンの生きた時代は印象派やポスト印象派、フォビズムの登場と重なりますが、若い頃のヴァロットンはデューラーやクラナハ、またアングルなどに傾倒していたそうです。ヴァロットンの絵がナビ派ほどナビ派っぽくないというか、変に神秘主義の方向に走らなかったり、古典主義からダイレクトにモダンになってる感じがするのはその辺りに理由があるのかもしれません。
[写真左] ヴァロットン 「休息」 1911年 シカゴ美術館蔵
[写真右] ヴァロットン 「トルコ風呂」 1907年 ジュネーヴ美術・歴史博物館蔵
[写真右] ヴァロットン 「トルコ風呂」 1907年 ジュネーヴ美術・歴史博物館蔵
最初に登場するのがアングルの代表作「トルコ風呂」をモチーフにした作品。1905年にアングルの回顧展でヴァロットンは初めてこの作品を観て、感激のあまり涙したといいます。「休息」は背景の黒とシーツと肌の白さのコントラストが印象的な一枚。女性の肌の曲線が滑らかで美しい。
[写真左] ヴァロットン 「5人の画家」 1902-03年 ヴィンタートゥール美術館蔵
[写真右] ヴァロットン 「20歳の自画像」 1885年 ローザンヌ州立美術館蔵
[写真右] ヴァロットン 「20歳の自画像」 1885年 ローザンヌ州立美術館蔵
「5人の画家」はボナールやヴュイヤールなどナビ派の画家を描いた作品で、一番左奥にいるのがヴァロットン。ドニの「セザンヌ礼賛」に触発され制作したといわれています。スイス出身のヴァロットンは“外国人のナビ”といわれ、ナビ派とは理論的にも様式的にも微妙な距離があったそうです。
そのヴァロットンの若き肖像は真面目そうな反面どこか神経質そうな容貌が印象的。会場の一番最後には晩年の肖像画があるので、どう変わっているか是非比べてみてください。
ヴァロットン 「エミール・ゾラの装飾的自画像」 1901年 個人蔵
三菱一号館美術館に飾られると絵が活きてきますね。
2章 平坦な空間表現
ナビ派自体が奥行き感のない平坦な画面構成を特色としているところがあり、ヴァロットンもフラットで独特の空間表現を好んでしています。会場にはヴァロットンが所有していた歌麿や国貞の浮世絵も展示されているのですが、二次元的な構成や単純な色面は浮世絵に影響を受けている部分もあるようです。そのあたりは浮世絵に傾倒していボナールに近いかもしれません。
[写真左] ヴァロットン 「月の光」 1894年 オルセー美術館蔵
「月の光」は個人的に本展でのお気に入りの一枚。ナビ派らしい装飾性と幻想性を併せ持った作品です。光の表現がまた美しい。
[写真左] ヴァロットン 「シャトレ劇場のギャラリー席3階」
1895年 オルセー美術館蔵
[写真右] ヴァロットン 「ボール」 1899年 オルセー美術館蔵
1895年 オルセー美術館蔵
[写真右] ヴァロットン 「ボール」 1899年 オルセー美術館蔵
本展のメインヴィジュアルにもなっている「ボール」。俯瞰的にとらえた特徴的な構図を光と影に二分し、2人の大人とボールを追う子ども(よく見るとボールは2つ)、森の中の静けさと子どもの歓声という、それぞれ対極のものを配しているのが面白いし、何か記号的でそれぞれに意味がありそうに思えてきます。何気ない光景のようでいて、どこか異空間的で不穏な空気を感じます。この絵を観たとき、ニコラス・ローグの『赤い影』の赤い鞠で遊ぶ少女を思い浮かべました。
3章 抑圧と嘘
ヴァロットンの絵を特徴づけるものの一つが、家族や女性に対する彼のビミョーな関係や心理を反映したような心象風景的な作品。何か気まずいところを見てしまったというか、見てはいけないものを覗いてしまったような気分になります。
ヴァロットン 「貞節なシュザンヌ」 1922年 ローザンヌ州立美術館蔵
「貞節なシュザンヌ」は、敬虔な美しい人妻が水浴しているところを好色な老人2人に覗き見され、逆に姦通の罪で死刑宣告を受けるという旧約聖書のエピソードを着想源にした作品。シュザンヌは一見貞淑そうですが、その目は妖しく、男を誘っているようにも見えなくもありません。
[写真左] ヴァロットン 「夕食、ランプの光」 1899年 オルセー美術館蔵
ヴァロットンの妻はパリの大画商の娘で、貧乏画家だったヴァロットンはいきなりブルジョワの仲間入りをします。「夕食、ランプの光」は結婚した年に描かれた作品で、手前の黒い影がヴァロットンだといいます。その絵からは新婚の幸福感も家族の温もりも感じられず、自分の居場所がないような、憂鬱な彼の心の内が見えるようです。
[写真左] ヴァロットン 「ポーカー」 1902年 オルセー美術館蔵
[写真右] ヴァロットン 「ポーカー」 1894年 三菱一号館美術館蔵
[写真右] ヴァロットン 「ポーカー」 1894年 三菱一号館美術館蔵
義理の家族のベルネーム家を描いた作品もいくつか展示されていました。ヴァロットンの屈折した気持ちが反映されたような「アレクサンドル・ベルネーム夫人」やポーカーを興じるグループに溶け込めない壁を感じる「ポーカー」など。
[写真左] ヴァロットン 「室内情景」 1900年 オルセー美術館蔵
[写真右] ヴァロットン 「室内、戸棚を探る青い服の女性」
1903年 オルセー美術館蔵
[写真右] ヴァロットン 「室内、戸棚を探る青い服の女性」
1903年 オルセー美術館蔵
妻をモデルに描いた作品もいくつか。ただ、どれもちょっと怖い。何か思い詰めたような女性や、一心不乱に棚を探しまわる女性、散らかった服や乱れたシーツを背景に呆然と立ち尽くす女性など、こんな絵を描いて奥さんは何とも思わなかったんでしょうか。逆に、敢えて辛辣な表現を試みているような気もしないでもありません。どうなんでしょう。
4章 「黒い染みが生む悲痛な激しさ」
各章にヴァロットンの版画も展示されていますが、ここではまとめて少しご紹介。展覧会に合わせて、三菱一号館美術館はヴァロットンの版画を大量購入し、そのうち70点が今回展示されています。
[写真左から] ヴァロットン 「<息づく街パリ> 口絵」 1894年
「<息づく街パリ> 切符売り場」 1893年
「<息づく街パリ> 学生たちのデモ行進」 1893年
三菱一号館美術館蔵
「<息づく街パリ> 切符売り場」 1893年
「<息づく街パリ> 学生たちのデモ行進」 1893年
三菱一号館美術館蔵
もともとヴァロットンは肖像画家としてスタートを切ったようですが、なかなか目が出ず、最初に注目を浴びたのが木版画でした。ベタッと塗りつぶされた面と省略されたシンプルなライン、それでいて豊かな人々の表情。ユーモアのなかにもちょっとスパイスが効いているのがミソ。
ヴァロットン <楽器>シリーズ 1896-97年 三菱一号館美術館蔵
アルプスの山を描いたシリーズや、友人の音楽家を描いた<楽器>シリーズなどもいいですが、ヴァロットンの面白さはやはりパリの街の息吹や人々の躍動を描いた<息づく街パリ>や<万国博覧会>、ブルジョワ男女の情事を描いた<アンティミテ>でしょう。写真の影響を感じさせる大胆なフレーミングや黒と白のグラフィカルなコントラストが独特。
5章 冷たいエロティシズム
ヴァロットンは女性に対して猜疑心を抱いているのか、なにかトラウマでもあるのか、ここでもやはり距離感を感じます。女性があられもないポーズをとっていても、微笑みかけていても、画家の視線が冷めているからなのか、少しもエロティックな感じがしないから不思議です。
[写真左] ヴァロットン 「正面から見た欲女、灰色の背景
1908年 グラールス市立美術館蔵
[写真右] ヴァロットン 「眠り」 1908年 ジュネーヴ美術・歴史博物館蔵
1908年 グラールス市立美術館蔵
[写真右] ヴァロットン 「眠り」 1908年 ジュネーヴ美術・歴史博物館蔵
ヴァロットンの裸婦画はどことなく新古典主義的で、それでいてとても視覚的というか現代的な感じがします。ゆるいカーブを描くような身体のラインやフラットな肌の質感、全体的な色のバランスが印象的です。
[写真左] ヴァロットン 「赤い絨毯に横たわる女性」
1909年 プティ・パレ美術館蔵
[写真右] ヴァロットン 「オウムと女性」 1909-13年 個人蔵
1909年 プティ・パレ美術館蔵
[写真右] ヴァロットン 「オウムと女性」 1909-13年 個人蔵
妻を描いた作品はちょっと不気味だったのに、裸婦画の女性はみんなきれいなのが面白い。個人的には「赤い絨毯に横たわる女性」が好きですね。振り返らせるところとかアングルの「グランド・オダリスク」ぽい。緑の布を口にくわえた「秋」もアングルの「泉」を思わせます。「オウムと女性」もティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」あたりを参考にしてるんだろうなと感じました。犬がオウムになってるところなんかも。学芸員の方が、性器が描かれていた絵に後から白い布を描き足した作品があるという話をしていたのですが、「オウムと女性」のことでしょうか?
ヴァロットン 「ジュール・ルナール『にんじん』挿絵」ほか
途中にはヴァロットンが表紙や挿絵を描けた『罪と罰』や『にんじん』の本も展示されています。また、三菱一号館美術館のナビ派コレクションの中からゴーガンやルドンのリトグラフ、そして今回初公開となるドニの「純潔な春」が展示されていました。
6章 マティエールの豊かさ
ここではマティエール(質感)にこだわった作品を紹介しています。ヴァロットンの晩年の15年ぐらいは静物画や風景画なども多かったみたいです。
[写真左] ヴァロットン 「チューリップとマイヨールの彫像」 1913年 個人蔵
[写真中] ヴァロットン 「アフリカの女性」 1910年 トロワ近代美術館蔵
[写真中] ヴァロットン 「アフリカの女性」 1910年 トロワ近代美術館蔵
ヴァロットンが描く裸婦の肌はどちらかというとのっぺりした感じが多いのですが、たとえば「アフリカの女性」なんて肌の表現にこだわって写実的に描いていますし、「赤い服を着たルーマニア女性」も生々しいぐらい。ヴァロットンは女性を後ろから描くことが好きなようですが、正面から見据えて描いているのも逆に新鮮な感じがします。静物ではナイフに反射したピーマンの赤色が血を連想させる「赤ピーマン」もブラックユーモアがあって面白い。
[写真左] ヴァロットン 「臀部の習作」 1884年頃 個人蔵
[写真右] ヴァロットン 「海からあがって」
1924年 ジュネーヴ美術・歴史博物館蔵
[写真右] ヴァロットン 「海からあがって」
1924年 ジュネーヴ美術・歴史博物館蔵
「臀部の習作」は10代で描いた作品で、中年女性(?)のお尻の脂肪の感じや垂れ具合がリアルで驚きます。それにしても10代にしてこの倒錯性はなんでしょう。彼のフェティシズムの一端を見る思いがします。
個人的に好きなのが「海からあがって」。ヴァネッサ・レッドグレイヴかシャーロット・ランプリングか、そんな感じの知的な大人の女性。
7章 神話と戦争
ヴァロットンのユーモアのセンスが光るのが神話画。基本的には古典的主題に則っているのでしょうが、ヴァロットンの手にかかると最早パロディになってしまいます。
[写真左] ヴァロットン 「竜を退治するペルセウス」
1910年 ジュネーヴ美術・歴史博物館蔵
1910年 ジュネーヴ美術・歴史博物館蔵
竜を退治するペルセウスは有名な画題ですが、竜がどうみてもワニで、ペルセウスも盛りを過ぎたような風貌、しかもアンドロメダの様子が笑えます。アダムとイブの夫婦喧嘩を描いた「憎悪」や茶目っ気のある「シレノスをからかう裸婦」など、ちょっと笑ってしまいそうな作品もありますが、女性が寄ってたかって男を八つ裂きにする「引き裂かれるオルフェウス」はゾッとするような絵だけれど、構成力が素晴らしい。
ヴァロットン <これが戦争だ!>シリーズ 1915-16年 三菱一号館蔵
ヴァロットンは第一次世界大戦に兵士として志願したものの年齢的に叶わず、従軍画家として戦地に赴いているそうです。ここでは戦場で描いた作品がいくつか展示されているほか、戦争の現実と悲劇をシニカルに描いた木版画<これが戦争だ!>が秀逸。
ヴァロットンの絵は、ただきれいだなとか美しいなとか、そういう絵の見方を越えた面白さというか、絵に隠された意味やヴァロットンの心理を読み解いたり、いろんな見方ができて、観ていて飽きません。オススメの展覧会です。
※展示会場内の画像は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。
【ヴァロットン展 -冷たい炎の画家】
会期: 2014年6月14日(土)~9月23日(火・祝)
会場: 三菱一号館美術館
開館時間: 10:00~18:00(毎週金曜日は20:00まで(祝日除く))
※入館は閉館の30分前まで
休館日: 月曜日
(但し、祝日・振替休日の場合は開館/9月22日(月)は18時まで開館)
VALLOTTON―フェリックス・ヴァロットン版画集
まるごと三菱一号館美術館―近代への扉を開く
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