2013/12/18

下村観山展

横浜美術館で開催中の『下村観山展』に行ってきました。

横山大観、菱田春草らとともに日本美術院を興し、近代日本画の確立に大きく寄与した下村観山の没後140年を記念した展覧会です。

大観との合同の展覧会や日本美術院を取り上げた展覧会などで観山の作品を観る機会はよくありますが、こうして単独で、これだけの大きな規模で開催されるのは今までなかったのではないでしょうか? 前後期合わせ、約150点の作品や資料が公開され、しかも主立った代表作はほぼ出揃うようです(Wikipediaに記載されている代表作品で出展されないのは宮内庁三の丸尚蔵館所蔵作2点と東京国立博物館所蔵の「春雨」のみ)。



第1章 狩野派の修行

観山が絵画の修行を始めたのは9歳の頃で、最初は祖父の友人の絵師から手ほどきを受け、ほどなく狩野派最後の絵師・芳崖に入門します。この頃すでに狩野派特有の線描を会得し、早くから才能を開花させていたといいます。ここでは狩野派の下で学んだ10代半ばまでの若書きの作品を中心に展示しています。

多くは狩野派の粉本学習の模写で、まだ稚拙さや生硬さが残るものもありますが、羅漢図や許由図など水墨画の代表的な画題もしっかりと物にしていて、観山の早熟ぶりが窺えます。森狙仙の「狼図」の模写などは狙仙特有の毛の柔らかい感じも上手く再現していて見事でした。

下村観山 「闍維」
明治31年(1898年) 横浜美術館蔵

会場に入ってすぐのところに展示されているのは釈迦の火葬の様子を描いた観山初期の代表作「闍維」。この頃から既に卓越した人物描写や物語性、豊かな色彩感が際立っています。


第2章 東京美術学校から初期日本美術院

観山は、岡倉天心が設立にかかわった東京美術学校に第一期生として入学しますが、既にひとかどの絵師だった観山は狩野派だけでなく大和絵の研究にも励んだといいます。古画を臨模する授業で制作したという「信実 三十六歌仙絵巻」の模写はその好例で、大和絵にも確かな腕を振るっていたことがよく分かります。

[右幅] 下村観山 [左幅] 横山大観 「日・月蓬莱山図」
明治33年(1900年)頃 静岡県立美術館蔵 (展示は1/8まで)

この頃の観山の特徴は古典的な作品と、朦朧体の描法に取り組んだ作品を並行して取り組んでいるところ。「日・月蓬莱山図」は右幅の日の出を観山、左幅の月の出を大観が描いた合作で、東洋画の伝統的な画題に写実味を加え、朦朧体によりどこか神聖な霊山の雰囲気を表現しています。

下村観山 「春日野」
明治33年(1900年) 横浜美術館蔵 (展示は1/14まで)

「春日野」も朦朧体を取り入れた作品で、藤の淡く鮮やかな色彩と鹿の可愛らしさが何とも心地よい気分にさせてくれます。松や藤、鹿をレイヤー状に配置した構図は後年の得意とした屏風絵を想起させます。

このほか印象的だったのは仏画で、「十六羅漢」や美校の課題制作で描いたという「観音菩薩半跏像」は確かな筆致にあらためて驚かされます。そのほか、以前東京国立博物館でも拝見した「修羅道絵巻」、歴史画を得意とした観山ならではの「蒙古襲来図」、また俯瞰的な構図と生き生きとした市井の描写が印象的な「辻説法」など、仏画、歴史画、花鳥図、また珍しいところでは美人風俗画など、様々な画風、画題を吸収し、チャレンジをしていたことが窺えます。


第3章 ヨーロッパ留学と文展第3章 ヨーロッパ留学と文展

岡倉天心の辞職とともに一度は離れた東京美術学校に教授として再度復帰した観山は、その後西洋の水彩画の研究のため文部省より遣わされヨーロッパに留学します。このコーナーの見どころは観山による西洋画の模写。絹に日本画材で描いたというラファエロの「椅子の聖母」はその完成度もさることながら、服の生地の皺の加減や陰影が日本画にはないもので、確実に何かを発見しているだろうなという跡を感じさせます。また、絹に水彩で描いたというミレイの「ナイト・エラント」も原画より女性が肉感的で、まるで油彩画のような仕上がり感があります。

下村観山 「木の間の秋」
明治40年(1907年) 東京国立近代美術館蔵 (1/10から展示)

帰国後の作品としては、複雑に交差した木々や人物の構図と紅葉や蔦の色とりどりの色彩が強く印象に残る「小倉山」が秀逸。軽妙洒脱な風俗画「朝帰り之図」や骸骨と美人の取り合わせが面白い「美人と舎利」もユニークです。後期には、文展に発表した作品で、昨年の東京国立近代美術館の『美術にぶるっ!』でも紹介され話題になった「木の間の秋」も展示されます。


第4章 再興日本美術院

文展を脱退し、大観や今村紫紅、安田靫彦らと日本美術院を再興した以降、晩年までの作品を展示。名実ともに近代日本画の大家として活躍をした時代の秀作の数々が並びます。

下村観山 「弱法師」(重要文化財)
大正4年(1915年) 東京国立博物館蔵 (展示は12/20まで)

本展の目玉の一つが観山唯一の重要文化財の「弱法師(よろぼし)」。盲目の俊徳丸が袖に落ちる梅の花に仏の施行を思う謡曲『弱法師』を絵画化したものだそうです。沈む日輪と手を合わせる俊徳丸を両端に配置し、スケールの大きさと物語的な深さを表現しています。

下村観山 「白狐」
大正3年(1914年) 東京国立博物館蔵 (展示は12/20まで)

個人的に観山で一番好きなのがこの「白狐」。特徴的なレイヤー状の構図も煩さを感じさせず、金銀泥を使いながらも落ち着いたトーンの色彩といい、琳派風の草木の描写といい、装飾的な白いキツネといい、大正時代特有の洗練された近代日本画という趣きで何度観ても飽きません。

下村観山 「老松白藤図」
大正10年(1921年) 山種美術館蔵 (展示は1/8まで)

「老松白藤図」は狩野派的な立派な松の老木に、琳派の装飾性や円山四条派の写実味をも感じさせる傑作。観山の持てる技術を結集させ、独自の画境を拓くことに成功した作品とありました。

下村観山 「三猿」
大正13年(1915年) 横浜美術館蔵 (展示は1/28まで)

“見ざる・言わざる・聞かざる”を“盲・聾・唖”に寓して描いたという「三猿」。この時代の観山の作品には、衣文を略筆体で描きつつも顔を丁寧に豊かな表情に仕上げた作品が多く見受けられました。「張果老」や「倶胝堅指」、また「寒山拾得」などいずれも大胆かつ巧みな線描と人間味溢れる柔和な表情が印象的です。

下村観山 「蜆子」
大正10年(1921年) 桑山美術館蔵

下村観山 「獅子図屏風」
大正7年(1918年) 水野美術館蔵 (展示は1/8まで)

このほか、酔って気持ち良さそうに居眠りする李白が愛嬌ある「酔李白」、風の吹きすさぶ竹林に悠然と立つ姿がいい「隠士」、菱田春草の追悼展に出品したという「鵜図」。なんとも洒脱な味とおかしみのある「蜆子」、朦朧体による描写と構図の妙が魅力的な「冨士」と「錦の渡り」などが個人的には好きでした。川端龍子の「青獅子」を思わす青い親獅子と傍らで安心して眠る子獅子が可愛げな「獅子図屏風」も◎。

下村観山 「竹の子」
昭和5年(1930年) 個人蔵 (展示は1/8まで)

会場の最後には観山の絶筆「竹の子」が展示されていました。すでに体調もかなり悪かったようですが、しっかりとした筆運びといい、絶妙な色彩といい、とても若々しさを感じさせる一枚でした。

個人的に下村観山はとても観たかった画家の一人だったので、とても満足度の高い展覧会でした。近代日本画ファンは必見の展覧会だと思います。


※当ブログで紹介した作品には前期展示のものがあります。作品により展示期間が異なりますのでご注意ください。


【生誕140年記念 下村観山展】
2014年2月11日まで
横浜美術館にて


「朦朧」の時代: 大観、春草らと近代日本画の成立「朦朧」の時代: 大観、春草らと近代日本画の成立

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