2017/04/15

絵巻マニア列伝

サントリー美術館で開催中の『絵巻マニア列伝』を観てまいりました。

本展は、絵巻を年代順やテーマごとに並べるというのではなく、平安時代の後白河院から江戸時代の松平定信まで、絵巻マニアたちの“マニアぶり”を彼らが虜になった絵巻とともに紹介するという企画展。絵巻を集めたり、取り寄せたり、貸し借りしたりならただのオタクですが、気に入った絵巻を写したり、古い絵巻を修復したり、新作をプロデュースしたりとみんなかなりの筋金入り。

半年ぐらい前ですが、高岸輝氏の『室町絵巻の魔力-再生と創造の中世』を読みまして、歴代の足利将軍の絵巻に対する強いこだわりや、歌合のように左右に分かれ絵巻を見せ合い優劣を競う“絵合”のこと、失われた絵巻の数々、そして土佐派の成立ちなど、丹念な調査をもとに事細かに書かれ、非常に面白かったこともあり、ちょうど絵巻を観たい熱が自分の中でも盛り上がっていたところ。そんな絵巻の世界に魅入られた“絵巻マニア”が主役の展覧会とあって、とっても楽しみにしていました。


序章 : 後白河院

『平家物語』でもおなじみ後白河院。後白河院が平清盛に命じ建立させた蓮華王院(現在の三十三間堂)の宝蔵には数多くの絵巻物が納められたといわれます。平安末期の絵巻のことを調べていると、多くの作品で後白河院の関与説が出てきて、実際のところどこまで関わっていたかは不明ですが、恐らく新たに創らせた絵巻もあれば、収集した絵巻もあるでしょうし、直接的な関係はなくても同時代に創られたという絵巻もあるのでしょう。それだけ後白河院の院政文化のもとでは絵巻ブームが盛り上がっていたんだなと思います。

飛騨守惟久・画 「後三年合戦絵巻 巻中」 (重要文化財)
貞和3年(1347) 東京国立博物館蔵 (写真は部分) ※展示は4/24まで

蓮華王院宝蔵に所蔵されていたとされる絵巻は内裏火災で焼失したり、長い歴史の中で散逸したりして現存しませんが、所蔵絵巻を写したとされる「年中行事絵巻」や後年新たに制作された「後三年合戦絵巻」などが本展に出品されています。「後三年合戦絵巻」は比較的大きな絵巻で、凄惨な戦の描写や、まるで『蜘蛛巣城』のような矢の嵐など、臨場感溢れる合戦の様子が広い画面いっぱいに描かれていて、思わず引き込まれます。

「病草紙断簡 不眠の女」 (重要文化財)
平安時代・12世紀 サントリー美術館蔵

「病草紙断簡 頭のあがらない乞食法師」 (重要文化財)
平安時代・12世紀 九州国立博物館蔵 ※展示は4/10まで

「病草紙」も後白河院の周辺で成立したといわれる絵巻。現在は場面ごとに切り離され、21段が現存。その内6段が本展で公開されます(※各段で展示期間が異なります)。六道絵の一つとされ、不眠症だったり、いねむりばかりしてたり、骨が変形する病気だったり、いずれも病に苦しむ人々が取り上げられているのが興味深い。重い病気や先天性疾患は昔は業病とされていたんでしょうね。展示されていた3段を見る限り、たとえば「不眠の女」は白描の卓越した筆線が見て取れ、かなり優れた絵師の手によるものだろうことが分かります。


第1章 : 花園院

鎌倉時代後期、花園院の時代の絵所預といえば、東博の『春日大社 千年の至宝』でも大きく取り上げられた「春日権現験記絵」を描いた高階隆兼。ここでは高階隆兼の作とされる絵巻を中心に、蓮華王院宝蔵の絵巻(宝蔵絵)の影響や隆兼様式の広がりを紹介しています。

「石山寺縁起絵巻 巻一」 (重要文化財)
絵 鎌倉時代 正中年間(1324-1326)頃、詞 南北朝時代・14世紀後半 石山寺蔵

「石山寺縁起絵巻」は大津・石山寺の縁起絵。現存七巻の内、巻一~巻三は高階隆兼(または工房)作と考えられているといいます。「春日権現験記絵」と「石山寺縁起絵巻」が並んで展示されていて、比較するとよく分かりますが、人物描写がとてもよく似ています。鎌倉や室町の絵巻は作者が不明なものも多いのですが、序章でも常盤光長の筆とされる「伴大納言絵巻」(展示は複製)と「年中行事絵巻」(展示は模写)が並んでいて、比べられるのが有り難い。


第2章 : 後崇光院・後花園院 父子

本展は絵巻マニアたちのマニアたる所以を今に伝える資料の展示も充実しています。伏見宮貞成親王(後崇光院)の日記『看聞日記』は上述の『室町絵巻の魔力』でもたびたびソースとして引用されている中世絵巻の第一級の資料。絵巻を鑑賞して楽しむだけでなく、絵巻を転写したり、新作を制作したりという当時の絵巻マニアたちの傾倒ぶりが細かに記されています。

「福富草紙」 (重要文化財)
室町時代・15世紀 春浦院蔵

和尚と小坊主のやりとりが可笑しい「法師物語絵巻」や放屁の芸を描いたお伽草子「福富草紙」は後崇光院の命で制作もしくは転写されたといいます。しかも画中詞は自ら書き入れたとも。こういうユーモラスな話も公家や武家の間では人気だったのですね。

「放屁合戦絵巻」
文安6年(1449)写 サントリー美術館蔵

「福富草紙」の後日譚を描いたとされるのがサントリー美術館所蔵の「放屁合戦絵巻」。「福富草紙」は滑稽ながらも線描が的確で、図録の解説にもありましたが、人々の表情や大げさな身振りは確かにどこか「伴大納言絵巻」や「信貴山縁起絵巻」を思わせます。一方、「放屁合戦絵巻」はタッチが全く異なり、戯画的で、まるでギャグマンガ。「放屁合戦絵巻」の原本は宝蔵絵とされ、すでに平安時代にこうした絵巻が存在したということが驚きです。

「玄奘三蔵絵 巻四」 (国宝)
鎌倉時代・14世紀 藤田美術館蔵
※展示は4/24まで(4/26からは巻八を展示)

貞成親王の息子・後花園院はさらに輪をかけたような絵巻マニアだったようで、「玄奘三蔵絵」を当時の持ち主・興福寺から取り寄せ、父子揃って借覧したこともあったといいます。前期展示では、玄奘三蔵が仏頂骨城から捨身飼虎の地まで釈迦の足跡を辿る場面が展示されていますが、その密度の高い描写にはビックリ。濃厚鮮明な青緑山水の色彩や異国風な花や木の実、珍しい動物など豊かな風景描写の中で物語が展開していて、目を輝かせながら絵巻に没頭する後崇光院と後花園院の様子が目に浮かぶようです。三蔵が山の中で出くわす虎が、虎でもなく猫でもなく、タヌキみたいなのがかわいい。


「融通念仏勧進帳」が展示されていて、実際の絵巻がないのはなぜだろうと思っていたのですが、この対となる本は現存しないのだそうです。ただ「融通念仏縁起絵巻」は室町絵巻の最重要作例とされるので他の転写本でもいいので出して欲しかったな。


第3章 : 三条西実隆

時代的には後花園院とも重なり、後花園院の息子・後土御門から三代の天皇に重用された公卿・実隆。その日記『実隆公記』には実隆が鑑賞した絵巻の数々が記されているといいます。碩学として名高い実隆は絵巻制作のチーフプロデューサー的なこともしていたそうで、本コーナーに展示されている「石山寺縁起絵巻 巻四」や「地蔵堂草紙絵巻」、「当麻寺縁起絵巻」、「桑実寺縁起絵巻」、「酒伝童子絵巻」はいずれも実隆のもとで制作されたのだとか。

実隆は能書家としても知られ、「石山寺縁起絵巻 巻四」や「地蔵堂草紙絵巻」の詞書も実隆の筆といいます。「地蔵堂草紙絵巻」では真面目に写経をしているのかと思ったら「早く写経を終えて、女と寝たい」と書いていたという場面が展示されていて、思わず笑ってしまいました。

「地蔵堂草紙絵巻」
室町時代・15世紀 個人蔵

この頃になると宮中の絵所預だった土佐派の活躍ぶりが目立ちます。出品されているものだけでも、「地蔵堂草紙絵巻」は土佐光信、「当麻寺縁起絵巻」と「桑実寺縁起絵巻」は光信の子・光茂の手によるものとされています。光信の「三条西実隆像紙形」のデッサン力の高さも驚きです。

同じく土佐派の絵師(土佐行定説が濃厚?)によるとされる「石山寺縁起絵巻 巻四」は「巻一」同様に琵琶湖の青々とした湖面が印象的。巻一は霞引きが白なのに対し、巻四は薄い青。これは補作時の趣向なのか、もしくは巻一も元は薄い青で退色しただけなのでしょうか?土佐派とされる絵巻では他にも「当麻寺縁起絵巻」と「桑実寺縁起絵巻」で水彩のような青の霞引きが見られました。

「桑実寺縁起絵巻」は境内の地面や波立つ湖面、そして観音様の周囲に金泥を多用していて、次の章に展示されていた「巻下」も田んぼの畔道が金泥だったり、豪華というか斬新というか。この時代の土佐派の作品は、古典として仰がれた隆兼様式の倣いながらも、全体的に淡彩なところがあって、豊かな色彩と金銀の調和を図りつつ、これまでにない視覚表現に挑んでいるところが新しいですね。

土佐光茂・画 「桑実寺縁起絵巻 巻上」 (重要文化財)
天文元年(1532) 桑實寺蔵

そして興味深いのは狩野元信の「酒伝童子絵巻」で、漢画系の狩野派がやまと絵の領域に進出をしていたことが分かります。狩野派の祖・正信は室町幕府の御用絵師として仏画や肖像画、障壁画を手がけたとされますが、応仁の乱の頃になると政情不安から需要が減り、後継者の元信は公武僧俗に支持層を広げざるを得なかったともいわれます。大変色彩豊かかつ濃厚で、これが狩野派の絵巻なのかと驚くのですが、岩山の描き方がやはり土佐派とは違い、狩野派らしい。

狩野元信・画 「酒伝童子絵巻」 (重要文化財)
大永2年(1522) サントリー美術館蔵


第4章 : 足利将軍家

第1章で、後白河院が源頼朝に自慢のコレクションを見せようと誘ったら丁重に断られたというエピソードが紹介されていましたが(その息子・実朝は相当な絵巻好きだったらしい)、さすがに京都の室町幕府は公家との結びつきも強いのか、歴代の絵巻熱は相当のものだったようです。

とりわけ絵巻に熱を上げたのが本展で取り上げられている9代将軍・義尚で、夜になってどうしても絵巻が見たくなり、後土御門天皇のもとへ絵巻を見に参内したとか、3日で絵巻26巻を一気に観たとか、その強引は絵巻の貸出要求は“絵巻狩り”と恐れられたといいます。義尚というと応仁の乱で若くして亡くなりますが、戦乱の世のストレスで絵巻の世界に逃げ込んだのでしょうか。

土佐光茂・画 「桑実寺縁起絵巻 巻下」 (重要文化財)
天文元年(1532) 桑實寺蔵

「誉田宗庿縁起絵巻」は比較的大きな絵巻で、高階隆兼の「春日権現験記絵」や「石山寺縁起絵巻 巻一」を彷彿とさせるところがありますが、人物描写は巧いのですが、あまり遊びがなく、真面目な絵巻という印象。室町時代を代表する絵師の一人、粟田口隆光の筆といわれます。

「硯破草紙絵巻」はその縦半分以下ぐらいの小絵と呼ばれる小さな絵巻。状態はあまりよくないのですが、光信の筆とされ、とてもしみじみとした情趣があって素晴らしい。同じく小絵の「長谷寺縁起絵巻」は描かれる人物も当然小さいのですが、これがすごく生き生きとして巧い。こちらは光茂の作。

「誉田宗庿縁起絵巻 巻中」 (重要文化財)
永享2年(1433) 誉田八幡宮蔵

当時の資料からは背景も知れて興味深い。足利将軍家の蔵書を記録した「禁裡御蔵書目録」には今は失われた絵巻や物語の名が並び、「武蔵房弁慶物語」や「弥勒地蔵合戦記」、「鴉鷺合戦記」、「切目王子絵詞」、「女人可想男子絵詞」など、そのタイトルからどんな絵巻だったのか想像も膨らみます。


終章 : 松平定信

最後に江戸時代の絵巻マニアの代表・松平定信。8代将軍・徳川吉宗の孫で、寛政の改革を推し進めたことで知られる定信は書画や古物に関心を寄せる文化人としても知られ、昨年サントリー美術館で開催された『小田野直武と秋田蘭画』でも定信の描いた花鳥画が展示されていましたが、本展でも絵巻の装束や調度など有職故実を自ら描き写した「古画類聚」が展示されています。

「蒙古襲来絵詞 後巻」
鎌倉時代・13世紀 宮内庁三の丸尚蔵館蔵 ※展示は4/17まで

これまで紹介された絵巻マニアとはちょっと違って、定信は研究者肌という側面もあったようですね。近畿各地の古社寺の宝物の調査をしたり、「春日権現験記絵」や「蒙古襲来絵詞」の模写を制作させたり、「石山寺縁起絵巻」に至っては田安家と縁の深い谷文晁に模写させるとともに、新たに2巻を補作し、さらに傷みの激しかった1~3巻の補修も行ったというのですからスゴイ。

最後に再び会場の最初にも展示されていた「法然上人絵伝」。民衆が法然の法話を聞く場面が描かれているのですが、宗達の「鶴図下絵和歌巻」のような群鶴文の着物を着た人を発見。あの鶴の図様っていつぐらいからあるんでしょうか。すでに鎌倉時代にはあったということですよね。絵巻を見ているといろんな発見があって面白いですね。

「法然上人絵伝 巻三十四」 (国宝)
鎌倉時代・14世紀 知恩院蔵

サントリー美術館はいつものことながらテーマの選び方や見せ方が上手いなと思います。絵巻マニアならずとも興奮する楽しい展覧会でした。混雑すると絵巻は見づらいので、空いてる時間帯や夜間開館などに観に行くのがオススメです。


【六本木開館10周年記念展 絵巻マニア列伝】
2017年5月14日(日)まで
サントリー美術館にて


室町絵巻の魔力―再生と創造の中世室町絵巻の魔力―再生と創造の中世

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