2017/10/15

運慶展

東京国立博物館で開催中の『運慶展』を観てまいりました。

春に奈良博で『快慶展』を観て、そして待望の『運慶展』。現在、運慶と確認もしくは推定されている仏像は31躯あるといいますが、その内の22躯(出品リスト上は19躯)が集結というこれ以上望めないレベル。さすがに見応え十分です。

会場には運慶の仏像以外にも、父・康慶や運慶の息子ら慶派の仏像もあって、運慶前後の慶派の流れが分かるのもいい。しかも運慶の仏像に限っては、全て全方位展示という贅沢さ。お寺に行ってもここまで間近で観られませんし、まして後ろ姿を拝むことなどできませんが、本展では隅々までじっくりと観ることができます。これも広いトーハクの平成館だからできること。

展示方法については賛否両論いろいろ声が聴こえてきます。ライティングにより仏像が立体的に浮かび上がり効果的だという人もいれば、照明が過剰すぎるという人もいます。ここ数年のトーハクの特別展の傾向ですが、展覧会がエンタテイメント化していることも、これでいいのだろうかと思うこともあります。それでもこれだけの運慶の仏像が観られるのですから、ありがたいことです。


第1章 運慶を生んだ系譜-康慶から運慶へ

最初に登場するのが円成寺の「大日如来坐像」。運慶の最初期の作品で、これがデビュー作ともいわれます。一般的な制作期間が3ヶ月ぐらいのところ、1年弱というかなり長い時間をかけ丁寧に造られたとか。表情や均整のとれた引き締まった体躯は瑞々しく、抑揚のある深い彫り、智拳印を結ぶ腕の力強さは新しい時代の彫刻という印象を受けます。

運慶 「大日如来坐像」(国宝)
平安時代・安元2年(1176) 円成寺蔵

運慶の「仏頭」は想像以上に大きくて驚きます。江戸時代に焼失した興福寺西金堂の本尊・釈迦如来立像の焼け残ったものですが、頭部だけでも1m近くあり、いわゆる丈六像(約4.8m)だったのではないかといわれています。

父・康慶の「四天王像」は、今年の春に拝見した興福寺仮講堂の『興福寺国宝特別公開2017 阿修羅~天平乾漆群像展』では“康慶一派”となっていましたが、本展では“康慶作”として紹介。力強い造形や躍動感は運慶に引き継がれていったことがよく分かります。踏まれてた邪鬼の表情も見もの。康慶の国宝「法相六祖坐像」も写実の追求、流れるような衣文の表現が素晴らしく、運慶に繋がるものを強く感じます。


第2章 運慶の彫刻-その独創性

本展では運慶の仏像は制作年順に並べられているのですが、次に来るのが伊豆・願成就院の「毘沙門天像」。運慶は源頼朝の義父・北条時政に請われ、興福寺再建の最中に東国へ下ったといい、願成就院の仏像は関東で運慶が最初に手がけたとされます。願成就院には運慶真作の仏像が5躯ありますが、今回は「毘沙門天像」のみ出陳。東大寺南大門の金剛力士像のように大きく腰をひねらせた動きのある姿が印象的です。忿怒の異形の姿というより若武者のような勇ましさを感じます。

運慶 「大日如来坐像」(重要文化財)
鎌倉時代・12〜13世紀 光得寺蔵

運慶 「大日如来坐像」(重要文化財)
鎌倉時代・12〜13世紀 真如苑真澄寺

運慶の「大日如来坐像」は現存する3点が全て出ています。2011年に金沢文庫で開催された『運慶展』でも3点が揃い比較展示されていましたが、いずれも造形が共通しているのが興味深い。とりわけ足利・光得寺の「大日如来坐像」は高さ30cmほどの小像ですが、肩にかかる髪や装身具など細緻な彫刻的表現が見事。仏像を360度ぐるりと観られる貴重な機会ではありますが、光得寺の「大日如来坐像」はこれまた見事な厨子と一つでさらに傑作だと思うので、別々に展示されていたのがちょっと残念でした。

運慶と息子・湛慶の合作とされる岡崎・瀧山寺の「聖観音菩薩立像」は寺外初公開の美仏。鮮やかな色彩は明治時代の補彩といいますが、艶かしく肉感的な肢体、写実的かつ細緻な衣文の表現、宝冠など豪華な装身具など、これも運慶なのかと驚くほどの美しさ。像内には頼朝の遺髪と歯が納められているということからも、ただの仏像でないことが分かります。ちなみに来年1月から金沢文庫で開催される『運慶 鎌倉幕府と霊験伝説』には瀧山寺の三尊のひとつ「梵天立像」が出陳されるそうです(前回の金沢文庫の『運慶展』には「帝釈天立像」が出陳されていました)。

運慶 「八大童子立像(写真は制多伽童子・恵光童子)」(国宝)
鎌倉時代・建久8年(1197)頃 金剛峯寺蔵

誰もが認める運慶の傑作といえば、高野山・金剛峯寺の「八大童子立像」。本展ではその内、運慶作とされる6躯が出陳されてます。ガラスケースに収まり並ぶ様はまるで高級宝飾店のショーケースのよう。みずみずしい童子の肉体性、今にも動き出しそうなリアルな表現の完成度の高さには唸らずにいられません。極めつけは玉眼の目で、何かを訴えかけるような目の表情は人間そのものです。

運慶 「無著・世親菩薩立像」(国宝)
鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 興福寺蔵

本展の一番の見どころが《四天王像が北円堂安置とみる仮説による再現》。興福寺南円堂の「四天王像」はもともと北円堂にあったとする説が現在有力ですが、その仮説に基づき、現・南円堂の「四天王像」と北円堂の「無著・世親菩薩立像」を一つのスペースに再現展示しています。「四天王像」の写実を超えたダイナミックな表現、「無著・世親菩薩立像」の圧倒的な造形力。本来中心にあるべき「弥勒如来坐像」の出陳がなく写真だけというのが残念ですが、台座も入れれば軽く2mを超える大きな仏像が居並ぶ威圧感は凄く、いずれも興福寺で過去に拝見していますが、こうした空間で観ると、そのインパクトに圧倒されます。ただ、北円堂は南円堂より一回り小さいはずなので、これだけ大きな仏像があったとすると、かなり圧迫感があるのではないかと思います。

現・南円堂の「四天王像」は運慶の息子たちの手によるものとする説がありますが、運慶がどこまでタッチしてたかは不明で、図録には持国天像と多聞天像は運慶作の可能性があると書かれていたり、先日拝聴した某運慶研究者の講演では多聞天像は運慶の創意が見られるとしていたりします。今後の研究の動向に注目したいところです。

無著と世親は興福寺の宗派である法相宗の教義を大成させた高名な学僧の兄弟。『運慶展』を観た日に興福寺・多川貫首の講演も拝聴したのですが、「無著・世親菩薩立像」は美術史的にいわれる老・壮の違いではなく到達した仏のレベル(唯識の修道階位)の差であるという興味深い話がありました。北円堂の創建時(奈良時代)に安置されていた羅漢2躯を南都焼討後の復興時に法相宗の唯識教学に基づき、羅漢を無著と世親に充てたのではないかとのことでした。


第3章 運慶風の展開-運慶の息子と周辺の仏師

興福寺の「天燈鬼立像・龍燈鬼立像」はいつもは四天王像に踏まれている邪鬼を取り上げたユニークな仏像。運慶の息子・康弁の現存する唯一の作品とされる「龍燈鬼立像」は運慶が関わっているのではないかという話もあるようです。個人的に大好きな仏像で、春に興福寺でも拝見しましたが、今回は周りをぐるりと見られるのが嬉しい。誇張した筋肉や玉眼の表現は間近で観て初めて気づく素晴らしさ。かわいいお尻も必見です。「天燈鬼」までふんどししてるとは知りませんでした。

「天燈鬼立像 龍燈鬼立像」(国宝)
鎌倉時代・建保3年(1215) 興福寺蔵

海往山寺の「四天王像」もまた素晴らしい。40cmにも満たない小像ですが、保存状態も良く、精緻な彫刻的表現、鮮やかな彩色が見事。いわゆる大仏殿様四天王像で、運慶一門の手によるものとされているようです。

そして最後に伝・浄瑠璃寺の「十二神将立像」。最近の調査で運慶の没後の作である可能性が高くなったというニュースも記憶に新しいところ。現在トーハク(5躯)と静嘉堂文庫美術館(7躯)に分蔵されていて、12躯全て揃って展示されるのは42年ぶりだそうです。東博所蔵の方はときどき総合文化展(常設展)で公開されていたり、静嘉堂文庫美術館所蔵の方も昨年『よみがえる仏の美』で修理を終えたばかりの4躯が公開されましたが、やはり12躯が勢揃いした姿を観られなんて仏像ファンには感涙ものでしょう。頭に十二支の象徴が付いていたり(付いてないのもある)、申神の顔が猿ぽかったり、巳神の足が妙に筋肉質だったり、それぞれ干支をイメージさせるのも面白い。

運慶 「十二神将立像(写真は未神・辰神)」(重要文化財)
鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵

今回の『運慶展』と奈良博の『快慶展』を観て思うのは、運慶には快慶にないものがあり、快慶には運慶にはないものがあることで、快慶が「静」とすれば、運慶は「動」、快慶は洗練された様式美に魅力があるとすれば、運慶は重厚な造形力にその本質があるように感じました。運慶とはどんな仏師だったのか。分かってるようで分からなかった運慶の魅力を存分に堪能できる展覧会でした。混雑しなければ何度も足を運びたいところです。


【興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」】
2017年11月26日(日)まで
東京国立博物館・平成館にて


芸術新潮 2017年 10 月号芸術新潮 2017年 10 月号


運慶への招待運慶への招待

2 件のコメント:

  1. 運慶展を観た方にWEB小説「北円堂の秘密」をお薦めします。
    グーグル検索により無料で読めます。
    少し難解ですが面白いです。

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