2015/10/02

月映展

東京ステーションギャラリーで開催中の『月映展』に行ってきました。

宇都宮美術館、和歌山県立美術館、愛知県美術館と巡回してきた展覧会で、先にご覧になった方の評判も良く、ずっと気になっていました。

『月映(つくはえ)』は大正時代に田中恭吉、藤森静雄、恩地孝四郎の3人の美学生が自分たちの木版画や詩を発表する目的で刊行した同人誌。1年ほどで終刊になってしまう幻の版画誌ですが、その作品はいまも高く評価されています。

本展はその『月映』が刊行されて100年を記念しての展覧会。公刊『月映』の全版画をはじめ、今は1部しか残ってないという私輯『月映』の木版画や関連作品、また手紙など資料を交え、3人の交流や『月映』を創刊するに至るいきさつなどを丁寧に追っています。


Ⅰ つくはえ前夜 - 三人の出会い、回覧雑誌『ホクト』、回覧雑誌『密室』

まずは三人の出会いと『月映』に辿りつくまでの経緯から。 最初に田中恭吉と藤森静雄が知り合って、その後、恩地孝四郎が加わります。藤森と恩地は同い年、田中は一つ下。田中と恩地は竹久夢二との交友をきっかけに知り合うなど、年が近いことや趣味が似ていることなど、気の合う要素が多かったんでしょうね。田中と藤森が仲間たちと作った回覧雑誌『ホクト』に、やがて恩地も加わって作ったのが『密室』(9号まで続く)で、ノリとしては絵あり詩あり画論ありの文芸同人誌のようなものだったみたいです。

藤森静雄 「マントの男」(『密室』5)
大正2年(1913) 和歌山県立近代美術館蔵

会場には3人がやりとりした手紙(葉書)が多数展示されていて、竹久夢二のことや、友を思いやる言葉など、3人の交流の様子や親しさが垣間見れます。葉書には絵が描き添えられていたりするのは美学生らしいところ。抽象絵画のイメージのある恩地孝四郎が竹久夢二もどきの絵を描いていたり意外な発見もあります。

田中恭吉 「赤き死の仮面」
大正2年(1913) 和歌山県立近代美術館蔵(展示は10/12まで)

彼らの仲間で木版画を制作していた香山小鳥の死をきっかけに田中は木版画の試作を始めます。「赤き死の仮面」はその頃の作品で、拙いながらも後の田中の作品を彷彿とさせるものがあります。ほかにも『密室』で発表した木版画も展示されていて、田中が木版画制作にのめり込んでいく様子を感じ取ることができます。香山小鳥の作品もいくつかあって、荒削りなのに繊細な感じで惹かれるものがあります。


Ⅱ 『月映』誕生 - 木版画にかける夢

田中の木版画にかける情熱は藤森と恩地にも伝播し、やがて3人で自画・自刻木版と詩歌の創作版画誌を出版する計画が練られます。出版まで1年の準備期間を置き、その間に互いの作品を持ち寄って制作したのが私家版のいわゆる私輯『月映』。私輯『月映』はⅥ号まで作られます。

田中恭吉 [失題]
1914年頃 個人蔵

現存唯一の私輯『月映』は完全な形で残っていないため、その全容は今も掴めないままといいます。中にはちゃんとタイトルの分かっているものもありますが、未だにタイトルも分からず[失題]とされたものもあります。どれも一様に、耽美的で幻想的で静謐でとても詩的です。ほのかに照らす光の先にあるものが希望なのか闇なのか。仲間を結核で亡くし、田中自身も結核に侵され死を身近に感じていたこともあるかもしれませんし、大正デカダンスといった時代のムードなのかもしれまんが、どこか死の影もちらつきます。

藤森静雄 「永遠」(私輯『月映』Ⅱ)
大正3年(1914) 和歌山県立近代美術館蔵

田中恭吉、藤森静雄、恩地孝四郎、それぞれに個性があり、余韻を引くものがあるのですが、個人的な好みとしては、藤森の内省的で、暗く孤独感のある木版画に強く惹かれます。構図や色合い、特に青のトーンが素晴らしく、とても雰囲気があります。

田中や藤森の作品にはビアズリーやムンク、ナビ派を思い起こさせるところがあって、世紀末芸術、象徴主義の影響を感じます。恩地は最初の頃はまだ大正ロマンを思わせる作品もありますが、この頃すでに抽象絵画への憧憬があったようで、この僅かの数年に限っても、線や造形が抽象化していく様を見て取れます。

田中恭吉 「五月の呪」(私輯『月映』Ⅳ)
大正3年(1914) 和歌山県立近代美術館蔵(展示は10/12まで)

4階の会場は私輯『月映』がメインで展示されていて、その手摺りの木版の風合いが素晴らしく、行ったり来たり何度も戻ったりして、なかなか下の階に下りられませんでした。物寂しげな色のトーンや繊細な彫り線。摺りのムラや彫刻刀の線のあとを見ていると、『月映』に込められた3人の思いがダイレクトに伝わってくるようで、思わず胸が熱くなります。公刊『月映』は機械刷りになるのですが、自摺りの私輯『月映』には機械では出せない温もりと味わいがあります。

恩地孝四郎 「望と怖」
個人蔵


Ⅲ 『月映』出版 - 死によりて挙げらるる生

一つ階を下りた3階の会場は、公刊『月映』と『月映』後のことに触れています。公刊『月映』は版画のページと詩のページからなり、私輯『月映』のときの木版を機械刷りで載せたほか、新たな版画作品も加え、再構成しています。

藤森静雄 「夜」(公刊『月映』Ⅰ)
大正3年(1914) 愛知県美術館蔵

藤森静雄 「亡びゆく肉」(公刊『月映』Ⅳ)
大正4年(1915) 愛知県美術館蔵

田中は私輯『月映 Ⅱ』のあと、結核の療養のため故郷和歌山へ戻るため、3人のやり取りは手紙(はがき)になります。文面から伝わる 『月映』にかける3人の情熱と友情がまた心を揺さぶります。

田中が公刊『月映』のために作ることができた新たな木版画は2点だけで、その代わり詩歌を多く発表したのだとか。「冬虫夏草」は公刊のために制作された新作版画の一つ。田中は最後の公刊『月映 Ⅶ』の完成を見ることなく、この世を去ります。まさに命を削りながら創ったこの作品にどれだけの思いが込められていたことか。

田中恭吉 「冬虫夏草」(公刊『月映』Ⅲ)
大正3年(1914) 愛知県美術館蔵


Ⅳ 『月映』のゆくえ - 青春の記念碑

最後に萩原朔太郎の詩集『月に吠える』の挿絵として使われた田中恭吉の原画や、田中の詩画集『心原幽趣 Ⅰ』、また藤森と恩地のその後の作品を紹介しています。

田中恭吉 「冬の夕」
大正3年(1914) 水と緑と市のまち前橋文学館蔵

田中のペン画も複数展示されていて、ビアズリーにかなり傾倒していたんだなということを感じます。萩原朔太郎は詩集の挿絵を田中に依頼していたものの、彼の死によってそれが叶わず、田中が残したペン画や『心原幽趣 Ⅰ』の作品を使用したのだそうです。

田中恭吉 「死人とあとに残れるもの」
大正3年(1914) 和歌山県立近代美術館蔵蔵

すでに評判になっていますが、『月映展』の図録がとても良くて、380ページもあって資料性も十分です。3人のハガキもちゃんとタイプアウトされてるし、会場には展示されていなかった『月映』に収められてた詩も載ってます。年表も20ページ以上あって会場に掲示されてたものより詳しい。図録なのにしおり紐がついてるのも嬉しいところです。

出品数は前後期合わせて350点とかなりボリュームがあります。リピーター割引もあって、次回半券を提示すれば500円で観られます。


【月映展】
2015年11月3日(火・祝)まで
東京ステーションギャラリーにて


田中恭吉作品集田中恭吉作品集

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