“東の大観、西の栖鳳”というように、横山大観が関東出身の近代日本画の巨匠であるのに対し、竹内栖鳳は京都画壇の筆頭に挙げられる近代日本画の大家。明治・大正・昭和を生き、上村松園や西山翠嶂をはじめ、名だたる日本画家を多く育て上げたことでも知られています。
本展は、竹内栖鳳の作品を中心に、栖鳳の造形的源泉となった円山・四条派の先人たちの作品や、上村松園、西村五雲、橋本関雪といった栖鳳の流れを汲む画家の作品を展示しています。
会場に入ると、まずは栖鳳の代表作で重要文化財の「班猫」がお出迎え。よーく見ると、えり首のカーブというか、首の長さが少々いびつな気もしないでもないのですが、毛の質感といい、模様の感じといい、何よりも毛づくろいをしながら、こちらの様子をうかがっているような視線といい、うまいなぁと思います。
竹内栖鳳 「班猫」(重要文化財)
大正13年(1924年) 山種美術館
作品のそばに、この猫に一目惚れしたときのエピソードや実際の“班猫”の写真が飾られていました。沼津の八百屋で「徽宗皇帝の猫がいるぞ!」と言って、飼い主に何とかお願いして栖鳳の自筆画と交換してもらったのだそうです。ペット好きなら誰でもそうでしょうが、いくら頭を下げて頼まれたからといって大事な家族を譲るなんてことはまずありえないので、そこを拝み倒した栖鳳の、この猫を描きたいという執念は相当のものだったのでしょう。
この並びには、≪先人たちに学ぶ≫として、円山応挙や応挙の弟子・長沢芦雪、また森寛斎や川端玉章など円山派、与謝蕪村に呉春といった四条派の作品が展示されています。栖鳳の師にあたる幸野楳嶺が元は円山派に学び、後に四条派に入門した人ということもあり、栖鳳は円山派と四条派の双方の流れを汲んだ画家とされています。円山派の写生を重んじた写実性と四条派の詩情に富んだ画風が栖鳳にどう影響を与えたのか、ここから推し量ることができます。ただ、師・幸野楳嶺の作品が一点も展示されていなかったのは少々残念でした。
竹内栖鳳 「象図」
明治37年(1904年) (展示は10/28まで)
明治37年(1904年) (展示は10/28まで)
栖鳳は明治33年(1900年)にヨーロッパに遊学をしていて、西洋美術に大きな刺激を受けたといいます。帰国後に描かれた金地水墨の「象図」は、円山四条派を軸とした画風や構図の中にも、西洋絵画から学んだ写実性が活かされていて、新しい動物表現に挑戦しようとした意気込みが強く伝わってくる作品です。栖鳳は、「西欧芸術を知ることによって、却って東洋芸術の精神とか東洋芸術特有の技術とか色調とかを理解することができた」と語っています。
竹内栖鳳 「潮来小暑」
昭和5年(1930年) 山種美術館蔵
淡彩で描かれた潮来の風景画も何点か展示されていました。この作品はタナーやコローを意識し、西洋画の技法を取り入れたそうです。
竹内栖鳳 「飼われた猿と兎」
明治41年(1908年) 東京国立近代美術館蔵
明治41年(1908年) 東京国立近代美術館蔵
「飼われた猿と兎」は自宅に飼っていたサルや動物園のウサギを写生して制作した作品だそうです。冒頭の「班猫」もそうですが、この人は相当熱心に写生をしたんだろうなと思います。猿や兎の動きや表情がよく捉えられています。
栖鳳は動物画が多いのも特徴で、ほかにも「熊」という、まるでぬいぐるみのような熊の絵もありました。これも栖鳳なのか、とちょっとビックリしました。個人的には墨画の「晩鴉」や屏風仕立ての「蛙と蜻蛉」がいいなと思いました。欲をいうなら、栖鳳のライオンの絵も観たかったな、と。
竹内栖鳳 「春雪」
昭和17年(1942年) 京都国立近代美術館蔵 (展示は10/28まで)
「春雪」は栖鳳の最晩年の作品。この作品を展覧会に出品し、その5ヶ月後亡くなったのだそうです。舳先にとまるカラスとぼた雪のような春の雪。静けさと寂しさと、どこか安らぎが感じられるような奥深い絵です。
会場の最後には、≪栖鳳をとりまく人々≫として、栖鳳から指導を受けた上村松園、西村五雲、橋本関雪や村上華岳らの作品が展示されています。
竹内栖鳳 「絵になる最初」
大正2年(1913年) 京都市美術館蔵 (展示は10/30から)
大正2年(1913年) 京都市美術館蔵 (展示は10/30から)
後期には栖鳳の代表作「絵になる最初」や「蹴合」も展示されます。
【没後70年 竹内栖鳳 ―京都画壇の画家たち― 】
2012年11月25日(日)まで
山種美術館にて
竹内栖鳳 (ちいさな美術館)
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