2016/02/06

恩地孝四郎展

東京国立近代美術館で開催中の『恩地孝四郎展』に行ってきました。

日本の抽象美術の先駆者であり、大正から昭和戦後期にかけて版画表現の現代化に向けて大きな足跡を残した恩地孝四郎の過去最大規模の回顧展です。

『月映展』のあとということで、関心の高い人も多いでしょうし、タイミング的にはちょうどいいのではないでしょうか。出品点数も約400点とかなりのボリューム。

個人的には、恩地のことは多少知ってるとはいっても、これまでその作品に触れる機会はそう多くありませんでした。ちゃんと観ておきたいなと興味を覚えたのもつい最近で、数年前ブリヂストン美術館で観た戦前の作「白堊(蘇州所見)」が深く印象に残り、昨年の『月映展』で彼の初期作品に出会い、強く惹かれたという感じです。


Ⅰ 『月映』に始まる 1909-1924年

竹久夢二に心酔した学生時代、そして『月映』。作品はもちろん恩地孝四郎に限定されていますが、『月映展』に劣らず『月映』の作品や前後の時代の自画・自刻・自摺の創作版画はかなり充実しています。私輯阪『月映』や『密室』もあるし『月の吠える』もあるし、田中恭吉宛の絵葉書なんかもあったりします。これ『月映展』に出てたかな?というのもあった気がする(忘れてるだけか?)

恩地孝四郎 「抒情『あかるい時』」
1915(大正4)年 東京国立近代美術館蔵

3人の友情の話とかが作品の背景に入り込んで、かなり感情移入をしてしまった『月映展』とは違って、本展は各章の説明を除いては作品解説は一切ありません。作品をただ並べただけという構成ですが、当然そこには何かしらの意図があるのでしょうし、それが却って何の情報も入れずに、ただひたすら作品に向きあい感じ取るという場を作り出しているような気がします。

恩地孝四郎 「自画像(ブルーズ)」
1919(大正8)年頃 東京都現代美術館蔵

恩地の自画像が複数あって、どれも油彩で、真面目に描いているんですね。油彩なんか見ると、正統な美術教育を受け、アカデミックなルーツを持つように思えるのですが、どこからどうして抽象画に向かったのか。田中恭吉に感化されて、同人誌制作のノリで木版画を始めて、できあがったのが『月映』なので、そもそも恩地の目指す芸術は別にあったのだと思うのですが、それが『月映』に手を染める中でベクトルが一致していったのか。ちょっとそのあたりは作品を観ていて気になりましたし、よく分かりませんでした。


Ⅱ 版画・都市・メディア 1924-1945年

『月映』を観ていると、その短い時間の中でも抽象化の傾向は分かるのですが、それが一気に抽象の道を進んだわけでなく、特に関東大震災後は抽象と具象を行き来する時代が続きます。線だけで描いたドローイングもあれば、セザンヌ風の油彩もあるし、人物も静物もある。タッチもさまざま。詳しい作品解説がないので分かりませんが、迷いなのか実験なのか。ただ興味深い作品が並ぶのは確かです。

恩地孝四郎 「裸膚白布」
1928(昭和3)年 ドゥファミリィ美術館蔵

恩地孝四郎 「ダイビング」
1933(昭和8)年頃 横浜美術館蔵 (展示は2/7まで)

本展は、ボストン美術館や大英博物館など、海外の美術館から里帰りしている作品が多くあって、恩地孝四郎の作品がそれだけ海外で評価されている、流出しているということに気づかされます。亡くなった翌年にはボストン美術館で遺作展が開かれたといいますし、日本より海外の方が評価は高かったのですね。

恩地孝四郎 「音楽作品による抒情 No.4 山田耕筰「日本風な影絵」の内『おやすみ』」
1933(昭和8)年 ボストン美術館蔵

恩地孝四郎 「音楽作品による抒情 ドビュッシー『金色の魚』」
1936(昭和11)年 養清堂画廊蔵

幾何学的だったり有機的だったり、どこかリズムも感じさせる恩地の不思議なカタチは、抽象絵画にありがちな物質の本質や思想という何か哲学的なものを思わせるというより、もっと親しみやすいというか、体温や心の中を感じさせるというか、詩を読むような感覚に近いものがあります。

本の装幀や挿絵、また楽譜の表紙なども多く展示されています。「音楽作品による抒情」シリーズはドビュッシーやサティもあって、当時としては前衛だった彼らの音楽に恩地の抽象がとてもマッチした感じがします。『新東京百景』のような頒布性のある作品も制作していたんですね。いろいろと発見があって面白い。

恩地孝四郎 「オバタマムシ(『博物志』)」
1938-42(昭和13-17)年頃 東京国立近代美術館

一時期、写真にも傾倒していたようです。とりたてて特徴がある感じはしませんでしたが、虫は花などを捉えたその構図やテーマが興味深い。中国で撮った写真や、それに基づく木版画もあったりして、以前ブリヂストン美術館の『あなたに見せたい絵があります』で観て印象に強く残った「白堊(蘇州所見)」もありました。

恩地孝四郎 「『氷島』の著者(萩原朔太郎像)」
1943(昭和18)年頃 東京国立近代美術館

代表作「『氷島』の著者(萩原朔太郎像)」はいくつか摺り違いも展示されています。摺り師によって、微妙とはいえ雰囲気は随分変わってくるものですね。


Ⅲ 抽象への方途 1945-1955年

戦後になると、GHQ関係者の中に恩地の抽象版画を熱心に収集する人が現れたり、新しい展覧会が創設されたり海外の展覧会に出品する機会が増えたり、環境もがらりと変わったんだと思います。恩地の抽象版画も一気にふっきれたような感じがします。

恩地孝四郎 「あるヴァイオリニストの印象(諏訪根自子像)」
1946(昭和21)年 東京国立近代美術館蔵

布きれを使ったり、木の葉や木切れを使ったり、マルチブロックをダイレクトに摺る独創的な“実材版画”にも挑戦します。独特のマチエールがあって面白い。

恩地孝四郎 「リリック No.6 孤独」
1949(昭和24)年 東京国立近代美術館

恩地の版画って、たとえ抽象版画であっても、どこかメランコリックというか、物寂しさというか、それが抒情なのかもしれませんが、内省的で、情感的なものを感じます。特に戦後の「ポエム」や「リリック」、「アレゴリー」といったシリーズ作にはそれが強い気がします。「かつて抽象という日本語はなく、恩地は代わりに抒情という言葉を使った」のだそうで、そういう言葉からくるイメージもあるのかもしれません。

恩地孝四郎 「アレゴリー No.2 廃墟」
1948(昭和23)年 東京国立近代美術館蔵

開幕した翌週の日曜日の朝一に行ったのですが、開館時間まで誰もいなくて、大丈夫なのだろうか…とちょっと心配になりました。。。その分じっくりゆっくり作品を鑑賞できましたが。点数が多いので、1時間だとかなり駆け足になります。1時間半から2時間は欲しいところですね。


【恩地孝四郎展】
2016年2月28日(日)まで
東京国立近代美術館にて


恩地孝四郎研究―版画のモダニズム恩地孝四郎研究―版画のモダニズム

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