2019/05/31

因幡堂平等寺

龍谷ミュージアムで開催中の『企画展 因幡堂 平等寺』に行ってきました。(といってもゴールデンウィーク(汗))

烏丸通りの四条と五条のちょうど中間という京都の真ん中にある古刹・因幡堂(平等寺)。幾度となく京都には訪れているのに、これまで縁がなく行ったことがなかったのですが、展覧会が評判が良いようなので、お寺とセットで回ってみました。

因幡堂は平安時代の創建で、かつては七堂伽藍を備える大きなお寺だったようですが、幕末の蛤御門の変で全て焼失。いまは明治時代に再建された本堂のみのこじんまりとしたお寺です。展覧会を観た足で因幡堂にお参りに行きましたが、お寺の入り口には奉納提灯がずらりと並び、お参りに訪れる人も多く、賑わっていました。

龍谷ミュージアムからだと、バスだと少し歩いて堀川五条か烏丸通りの烏丸七条まで出て烏丸松原まで行くのですが、バス停での待ち時間を考えると歩いても20分ぐらいなのであまり変わらないようです。自分はちょっと時間の関係でタクシーで行きましたが、10分もかかりませんでした。折角ですから、展覧会と一緒に回るといいと思いますよ。

「薬師如来立像懸仏」
明治19年(1886) 平等寺蔵

さて、展示会は龍谷ミュージアムの4階のワンフロア―。1階のロビーには因幡堂の本堂向拝の軒下に掛けられた懸仏が展示されています(これだけ写真撮影可)。外縁、特に対の昇龍や薬師如来の上部の天蓋など精巧な彫刻が大変素晴らしく、明治時代の工芸のレベルの高さを実感します。

会場の入り口に入った途端、広いフロアーに絵巻やら仏像やら沢山並んでいるのが見渡せて思わずオーッとなってしまいました。平安時代創建の古刹だけに寺宝は素晴らしく、鎌倉時代後期の作という「因幡堂縁起」(重要文化財)は本尊の薬師如来が因幡の海から引き上げられて京に飛んできたというストーリーが素朴なタッチで分かりやすく描かれていて見入ってしまいます。

仏像は20躰近くあって温和なお顔が印象的な11世紀の作という本尊・薬師如来像や古式の清涼寺式釈迦如来像、近年の調査で秀吉が建立した大仏殿の大仏に関わったとされる康正の遺作であることが分かったという弘法大師坐像、やたら大きい大黒天などなど、見応えがあります。ほかにも鈴木松年の迫力ある金剛力士像など見事でした。



【企画展 因幡堂平等寺】
2019年6月9日(日)まで
龍谷ミュージアムにて


京都 傑作美仏大全 (エイムック)京都 傑作美仏大全 (エイムック)

2019/05/24

国宝 一遍聖絵と時宗の名宝

京都国立博物館で開催中の『国宝 一遍聖絵と時宗の名宝』に行ってきました。

「一遍聖絵」といえば、4年近く前ですが、初の全巻公開ということで3会場(スタンプラリーは東博入れて4館)で同時開催された『国宝 一遍聖絵』を覚えている方も多いはず。藤沢と金沢文庫と横浜と上野を何度も行ったり来たりして、「一遍聖絵」を観て回ったあの苦労は何だったのかと思うのですが、1館で(あちこち行かずに)全巻鑑賞できるということと、時宗に関連した仏画や仏像も多く公開されるというので、京都に行ったついでに観てきました。

時宗は鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派。「南無阿弥陀仏」と念仏を称えるだけで極楽浄土に往生できるという浄土宗の教えに、開祖・一遍上人は鉢を打ち鳴らして踊りながら六字名号を称える「踊念仏」を組み合わせ、鎌倉新仏教の中では後発にもかかわらず、たちまち日本全国に一大ムーブメントを巻き起こします。

総本山は藤沢の清浄光寺(通称・遊行寺)で、『国宝 一遍聖絵』も遊行寺宝物館を中心に開催され、やはり地元の人なら誰でも知ってるお寺ということでかなり盛り上がったわけですが、今回は時宗の有名寺院があまりない京都という土地のせいか、いまひとつパッとしないようです。 夜間開館の日(とはいえゴールデンウィーク真っ只中)に行ったのですが、絵巻を観るには理想的な環境(つまりガラガラ)でした。


会場の構成は以下のとおりです。
第1章 浄土教から時宗へ
第2章 時宗の教え 一遍から真教へ
第3章 国宝一遍聖絵の世界
第4章 歴代上人と遊行 時宗の広まり
第5章 時宗の道場とその名宝

遊行寺や神奈川歴博の所蔵品が中心だった『国宝 一遍聖絵』とは違い、こちらは全国の時宗や浄土宗の寺院から集められているので展示品はとても充実していて、小さな展示室に分散して展示されいた展覧会とはやはり規模感が違います。

最初に展示されていたのが、鎌倉仏教の浄土信仰や一遍にも大きな影響を与えたという念仏聖の「空也上人立像」。有名な口から小さな阿弥陀仏が出してるあれですが、こちらは六波羅蜜寺のものではなく、近年発見されたという遊行寺のもの。造形は似ていますが、六波羅蜜寺の「空也上人立像」より一回り小さく、六波羅蜜寺の空也上人が若い修行僧であるのに対し、遊行寺の空也上人は晩年の姿なのだそうです。

浄土宗の宗祖・法然の現存最古の画像という「法然上人像」は面貌は精緻に描かれているのが何となく見て取れるのですが、如何せん状態が悪い。一遍が全国を遊行し立ち寄ったとされる善行寺や当麻寺、熊野にまつわる品もあり、「善行寺如来像」や「当麻曼荼羅図」など優れた仏像や仏画も多く展示されています。

「二河白道図」(重要文化財)
鎌倉時代・14世紀 萬福寺蔵 (展示は5/12まで)

興味深かったのは、珍しい作例という時宗系の「二河白道図」(島根・萬福寺蔵)。画面の上段に極楽浄土、下段に現世、その間には火河と水河があり、白道が彼岸と此岸を結ぶというよく見る「二河白道図」の図様ではなく、極楽浄土や現世の様子は描かず、阿弥陀と釈迦の二尊が大きく強調されているのがユニークです。

仏像では、鎌倉後期から南北朝時代にかけての七条仏師による歴代上人の仏像がとても素晴らしい。いずれも写実的な面貌で、その人がどんな人柄だったのか特徴までよく表されています。運慶六代を称した康俊の重文「一鎮上人坐像」も良いのですが、別の七条仏師とされる西郷寺蔵の「一鎮上人坐像」は表情がよりリアル。蓮台寺蔵の「真教上人坐像」は晩年病いで歪んでしまった容貌まで忠実に表し、その中にあって穏やかな表情がとても印象的です。

円伊 「一遍聖絵」(国宝)
正安元年(1299年) 清浄光寺蔵 ※写真は部分

全国を遊行して念仏を広めた一遍上人の生涯を辿る「一遍聖絵」は2階の4つの展示室を使ってゆったり展示されています。全巻で12巻40段、全長130mという長大な絵巻なので、全場面が展示されているわけではありません(会期中場面替えあり)が、展示されていない場面は模本で補っていたりもします。

巻一から巻十二まで全巻が、当たり前ですが順番に並んでいて、各展示室の中央には一遍がどう旅したのかも地図で図解されていて絵巻を見る理解に役立ちます。4年前の『国宝 一遍聖絵』は3つの会場に絵巻が分散され、順番もバラバラだったので、絵を観るのはいいのですが、一遍の歩んだ行程はなかなか分かりづらいものがありました。踊り念仏がどのようにして生まれ、どのように盛り上がっていったのか、初めて正しく理解できたように思います。

円伊 「一遍聖絵」(国宝)
正安元年(1299年) 清浄光寺蔵 ※写真は部分

驚くのは謎の絵師・法眼円伊の優れた技量で、人々の表情や仕草まで細かに描き、髪の毛一本まで丁寧に描いた写実的な人物表現や躍動的な群像表現の素晴らしさ、伝統的なやまと絵に加え当時最先端の宋画技法を用いた山水表現、名所図・景観図としての面白さ、裏彩色まで用いているという鮮やかな色彩、この時代の絵巻にしては珍しい奥行き感のある巧みな構図、鎌倉時代の絵巻の最高傑作とされる理由がよく分かります。現存最古とされる絹本絵巻ということからも、この絵巻に対する制作側の力の入れ具合は想像でき、絵師に抜擢された円伊の腕の高さも納得するものがあります。

「一遍聖絵」の他にも、一遍上人と二祖他阿(真教上人)の伝記を描いた「遊行上人縁起絵(一遍上人縁起絵)」も展示されています。清浄光寺本や真光寺本、金蓮寺本などいくつかの系統が展示されていますが、こちらは 「一遍聖絵」のような謹直な画風ではなく、少し緩いというか、広く模本が伝わったことからも時宗寺院の画僧たちが描いたのだろうなと思わせます。

展示品(仏像以外も含め)には京都の時宗寺院・長楽寺の品も多いのですが、天皇即位の時だけ秘仏の本尊「准胝観音像」が開帳(御開帳は6/16まで)されるということで、次の日に訪れました。長楽寺の宝物館にも七条仏師の仏像が多く展示されてるので、時間があれば一緒に回るのもお薦めです。


【時宗二祖上人七百年御遠忌記念 国宝 一遍聖絵と時宗の名宝】
2019年6月9日(日)まで
京都国立博物館にて


新書748一遍と時衆の謎 (平凡社新書)新書748一遍と時衆の謎 (平凡社新書)

2019/05/14

大徳寺龍光院 国宝曜変天目と破草鞋

世界に3椀しか現存せず、その3椀とも日本にあり、しかもいずれも国宝という曜変天目茶碗。唯一未見だった大徳寺龍光院所蔵の「曜変天目」を観にMIHO MUSEUMの『大徳寺龍光院 国宝曜変天目と破草鞋』に行ってきました。

名刹・大徳寺の塔頭のひとつ、龍光院は通常非公開のお寺で、「曜変天目」(通称「龍光院天目)も滅多に表に出てこない秘宝中の秘宝。これまで静嘉堂文庫美術館の徳川将軍家旧蔵の「曜変天目」(通称「稲葉天目」)と藤田美術館の水戸徳川家旧蔵の「曜変天目」(通称「水戸天目」)は拝見しているのですが、大徳寺龍光院の「曜変天目」だけは観る機会に恵まれず、2年前の京博の『国宝展』で約15年ぶりに公開され話題になったときもタイミングが合わず、これはもう縁がなかったものと諦めていました。

それが今回、夢のような3椀同時公開。3椀は全部観て回れなくても、鑑賞の機会が一番稀な「龍光院天目」の公開というこのチャンスを逃す手はありません。

実はMIHO MUSEUMも初めて。これまでも何度か計画を立てたものの、場所の不便さからなかなか訪ねられずにいました。最寄りの石山駅までは京都駅からJRで15分ぐらいなので割とすぐなのですが、そこからが遠い。1時間に1本の路線バスで約50分。山道を延々と進み、やっとのことでMIHO MUSEUMに辿り着きました。

 午後になっても雲一つなく天気は最高の高!

こんな山奥になんでここまで人がいるのかというぐらい混んでいて、午前中は「曜変天目」を観るのに1時間待ちの行列ができるのだそうです。会場の北館に着いたとき(15時過ぎ)は北館の会場出口まで列ができていたので、先に常設展示を観て回ることに。展示はエジプト、ギリシャ、ローマからアジア、中国までの古代の陶磁器や彫像などが中心でしたが、入口には4点目の曜変天目ともいわれる前田家伝来の「耀変天目」(重要文化財)が展示されていました。こちらはなぜか列もなく、完全に独占で鑑賞。

帰りのバスまで2時間しかないので常設はさーっと観て回り、15時20分ごろ再び北館の会場へ。「曜変天目」の列は少し短くなっていて、結局並んだのは10分ぐらいでしょうか。10人ぐらいずつに分けられ、1分間だけ「曜変天目」を鑑賞することができます。

「曜変天目」
南宋時代・12~13世紀 大徳寺龍光院蔵

展示ケースは360度ぐるりと観られるようになっていて、時計回りに左から見込みを覗いたり、腰を落とし高台を観たり、黒い釉薬に浮かぶ大小の斑紋の光彩を単眼鏡で見入ったり、皆さん思い思いに「曜変天目」を見つめています。

大徳寺龍光院の「曜変天目」は他の2椀ほどの煌びやかさはありませんでしたが、枯淡な味わいは他にはない個性。静嘉堂文庫美術館や藤田美術館の「曜変天目」が万華鏡のような宇宙の世界だとすれば、大徳寺龍光院の「曜変天目」は静謐の宇宙、幽玄の宇宙といった表現が相応しい気がします。

「曜変天目」以外の出品作ももちろん素晴らしい。「曜変天目」の少し先には銀色に輝く油滴の斑紋が美しい「油滴天目」(重要文化財)も展示されていました。「油滴天目」は小堀遠州が選んだ中興名物とのことで、他にも小堀遠州にまつわる品や松花堂昭乗の書や画、狩野探幽の画や野々村仁静の茶入れなど寛永文化を伝えるものが多くあります。

伝・牧谿 「柿・栗図」
南宋時代・13世紀 大徳寺龍光院蔵(展示は4/9~5/6のみ)

ここまで寛永を中心にした名品が充実しているのは、時の大徳寺住持・江月宗玩が堺の豪商で茶人として知られる津田宗及の子であることが大きい様子。津田家伝来の伝・牧谿の「柿・栗図」や宗玩が箱書きした因陀羅の「五祖再来図」、馬遠と伝わる「山水図」、顔輝と伝わる「十六羅漢図」や「四睡図」があったり、雲谷等顔や長谷川等伯があったり、宋元中国画から江戸初期の日本美術まで優品がずらり。

宗玩の書状と千利休が所持した名物・大井戸茶碗を床の間を意識した風情で見せたり、遠州好みと伝えられる茶室・密庵での茶の湯の様子が映像で流れていたり、展示室によって照明の具合を工夫していたり、展示にいろいろ工夫を凝らしているのも良かったです。

会場をひと通り観て回ったあと、「曜変天目」の列がさらに短くなっていたので(結局5分も待たなかったはず)、もう1回観て、帰る間際にも観て、都合3回ほど「曜変天目」を鑑賞しました。館内は人は多かったですが、観るのに困ることはなく、あまり並ばずに「曜変天目」を鑑賞できたのは幸いでした。

展覧会のタイトルの<破草鞋>とは破れた草鞋、つまり役に立たない無用のもののたとえなのだといいます。入口の紹介文には「値段などつけられない、誰も買うことのできないほど、素晴らしいもの」と書かれていました。まさしく値段を考えるなど野暮なことで、歴史ある龍光院にあってこその素晴らしい名品ばかり。ほんと眼福でした。


【大徳寺龍光院 国宝曜変天目と破草鞋】
2019年5月19日(日)まで
MIHO MUSEUMにて


BRUTUS(ブルータス) 2019年5/1号No.891[曜変天目 宇宙でござる! ?]BRUTUS(ブルータス) 2019年5/1号No.891[曜変天目 宇宙でござる! ?]

2019/05/11

四条派のへの道 呉春を中心として

ゴールデンウィークに西宮市大谷記念美術館で開催中の『四条派のへの道 呉春を中心として』を観てきました。

早朝6時台東京駅発の新幹線で大阪入りし、開館と同時に館内へ。前回来たときはJRのさくら夙川駅から歩いたのですが、今回は阪神電車の香櫨園駅を利用しました。こちらの方が全然早いし、梅田からも20分かからないので楽ですね。

さて、今回の展覧会は四条派の祖・呉春の作品を中心に、呉春のあとの四条派の流れと大阪画壇の四条派の絵師にスポットを当てるというもの。前後期合わせて約100点の出品作の内、半分強が呉春の作品。比較的早い時期から晩年まで作品があって、蕪村に学び、やがて応挙に画風を寄せていく画業の変遷が良く理解できます。

呉春の作品は美術館でよく観ることはありますし、四条派の絵師の解説には必ずと言っていいほど触れられている人ではありますが、呉春だけの、あるいは呉春を中心にした展覧会というのはこれまで縁がなく、こうしてまとめて呉春を観るのは初めて。今年は夏に東京藝術大学大学美術館で円山応挙から近代京都画壇にかけての円山・四条派をテーマにした大々的な展覧会があるので、その予習としても観ておきたかったのです。


本展の構成は以下のとおりです。
第一章 呉春
第二章 円山派 円山応挙と弟子たち
第三章 呉春の弟子たち
第四章 大坂の四条派

呉春 「柳鷺群禽図」
天明2~7年(1782-87)頃 京都国立博物館蔵

与謝蕪村といえば、文人画(あるいは南画)、俳画ですが、蕪村について画技を磨いていた頃の呉春の作品はやはり蕪村を思わせる文人画が多くあります。「百老図」の繊細で淀みない筆運び、「酔杜馬上図」の滑らかな筆致など、若い頃の作品からも画技の高さが見て取れます。

印象的だったのが、六曲一双の「柳鷺群禽図」と六曲一隻の「雪中枯木群禽図屏風」。蕪村を強く感じさせつつ、四条派の源流といわれて納得するものがあります。

「柳鷺群禽図」は右隻に枯木に鴉が群れる秋の情景を、左隻に柳が芽吹いた水辺から鷺が飛び立つ春の情景を描いた屏風で、呉春が暮らした大阪・池田の猪名川の風景をイメージしているといいます。薄墨を基調にした淡彩が寂しげな景色にも奥行きを与え、静寂を破る鳥の羽ばたきや鳴き声が聞こえてきそうな臨場感があります。

「雪中枯木群禽図屏風」は大阪市立美術館の『円山・四条派の絵師たち』でも一度お目にかかった作品。雪の中の鴉や塗り残しの雪の表現は蕪村の「鳶鴉図」を思い起こさせます。右下に固まって縮こまる小鳥たちがかわいい。

呉春 「与謝蕪村像」
天明4年(1784) 京都国立博物館蔵

蕪村が亡くなった後に描かれたという「与謝蕪村像」がとてもいい。死ぬ間際、呉春らと松茸狩りを楽しんだというエピソードが紹介されていましたが、敬愛する師の思い出が滲んでくるような物腰の柔らかな表情が印象的です。この頃の人物画(肖像画)は後年に見られる応挙的なものもなく、筆に任せたとような味わいがありながら筆致は繊細で、親しみがあったり、飄々としていたり、何とも言えないおかしみを感じさせる作品がいくつかありました。

そうした蕪村の俳画にも通じるような肩の力の抜けた諧謔味は呉春の持ち味でもあるようで、歌仙がさまざまな遊びに興じる「三十六歌仙偃息図巻」 や、甲斐甲斐しく働く鬼たちがどこか微笑ましい「大江山鬼賊退治図屏風」など、後の四条派ではあまり見られない戯画的な作品もあります。蕪村は仏画を描かなかったといいますが、呉春の「地蔵尊図」の親しみのある表情や、鹿の後ろ姿を愛嬌たっぷりに描いた「雄鹿図」も呉春ならではの作品かもしれません。

蕪村の没後は、応挙と見紛うような見事な外隈で白猿の輪郭を際立たせた「白猿図」 や応挙の「雪松図屏風」を思わせる「池辺雪景図」、また彩色の花鳥、人物の造形や表情など、明らかに応挙を手本にしている作品が見られるようになります。

応挙流の写生に基づき薄墨の濃淡で描いた「芋畑図襖」や、応挙的な鶴と松の組み合わせでありながら独特の形態や松のトリミングがユニークな「松鶴図屏風」、呉春ならではの水墨の妙味が堪能できる「秋夜擣衣図」などは晩年ならではの傑作でしょうし、応挙と蕪村の遺伝子のハイブリッド的な「渓間雨意・池辺雪景図」なんかは確かに四条派の確立を強く感じさせます。

呉春 「白猿図」
寛政12年(1800) 個人蔵

後半は応挙十哲の源琦、山口素絢、吉村孝敬と呉春の弟子たちの作品が並びます。最初の展示室(屏風など大型の作品が並ぶ)にあった山口素絢の「やすらい祭図屏風」は応挙譲りの巧みな人物表現と風俗画としての面白さが秀逸。松村景文の押絵貼風の「花鳥図屏風」もいかにも景文らしい色彩豊かな四季の花々が美しい。

なかなかお目にかかる機会の少ない柴田義董は人物表現に優れた手腕が見られる「月並風俗図巻」や枯れた筆致と迷いのない線に惹かれる「猿廻図」が素晴らしい。景文は比較的多く、中国・宋代の蔬菜図を思わせる「綿・茄子図」や蕪村を意識したような「霜栗雙鴉図」、瀟洒な「柴藤花告天子之図」など、自分の知る景文のイメージとは違う印象的な作品がありました。当時から人気があり贋作も多く出回っていた呉春と景文を騙る作品を描かないようにと呉春の弟子たちが誓いを立てたというエピソードも面白い。

四条派の大阪画壇では長山孔寅と上田公長が印象的。ただ松を描いても孔雀を描いても芭蕉を描いても、応挙や呉春の弟子の作品を観たあとでは、やはり後に名を残す円山四条派の絵師に比べると、どうしても見劣りしてしまうのは拭えないのかなと感じました。


【四条派のへの道 呉春を中心として】
2019年5月12日(日)まで
西宮市大谷記念美術館にて


2019/05/10

東国の地獄極楽

埼玉県立歴史と民俗の博物館で開催の『東国の地獄極楽』に行ってきました(会期終了)。

長かったゴールデンウィークもいよいよ最後の一日。次の日は10日ぶりに仕事だし、家でブログを書いたりしてゆっくり過ごしていようと思ってたのですが、いや待てよ、見逃してる展覧会はないかとTwitterをいろいろ見てたら、『東国の地獄極楽』が評判が良いのを知り、最終日に駆け込みで観てきました。

本展は、中世以降の東国で人々が地獄極楽といった死後の世界とどう向き合ってきたのかを探ろうという仏教美術展。地元・埼玉に関わりの深い作品を中心に、浄土信仰にまつわる絵画や仏像、歴史資料などが紹介されています。


会場の構成は以下のとおりです:
Ⅰ “地獄極楽”の誕生
Ⅱ 争乱の東国から-彼岸への旅路
Ⅲ 東国の地獄極楽-浄土宗第三良忠と関東三派の東国布教
Ⅳ 地獄極楽のそれから
断章 ひろがる地獄極楽

最初に平安時代中期の僧・恵心僧都(源信)の坐像と源信が著した『往生要集』(展示は江戸時代の絵入り本)を展示し、『往生要集』が日本人の浄土観・地獄観に影響を与えたことに触れ、つづいて「源平合戦図屏風」や「一の谷合戦絵巻」を見せ、平安後期にはじまる武士勢力による争乱が末法思想に繋がり、法然が創始した浄土宗が広まったことが解説されています。ここまでコンパクトだけど分かりやすい。

「阿弥陀二十五菩薩来迎図」(重要文化財)
鎌倉時代・13世紀末〜14世紀初頭 福島県立博物館蔵

そして、いきなり熊谷直実が出てくるのですが、なぜ熊谷直実かというと、直実は出家して浄土宗へ帰依し、蓮生法師として関東に浄土宗を布教して回るんですね。正に『熊谷陣屋』、歌舞伎ファンとしてはフムフムとなります。

関東を中心にした浄土宗の広がりについてもかなり詳細に触れられていました。三祖良忠上人とその門下の関東三派(藤田派、名越派、白旗派)の覇権争いのことはちょっと複雑で小難しいのですが、その背景にある知恩院と知恩寺の対立など興味深い内容でした。

江野楳雪 「十界図」
江戸時代後期・19世紀 曹源寺蔵(東松山市)

地獄絵は近世のものばかりでしたが、幕末期の東松山や川越で活動したという町絵師・江野楳雪の十界図と六道図が大変優れていて、これもとても興味深かったです。

地元埼玉の仏像・仏画だけでなく、国宝の「法然上人行状絵図」(展示は直実の予告往生の場面)や清涼寺の「迎接曼荼羅」、知恩院の「浄土五祖図 」など中央の優品も多い。造像当初の姿をとどめるという快慶または工房作説のある新出の「阿弥陀如来立像」も気になるところです。なかなか収穫の多い展覧会でした。


【東国の地獄極楽】
2019年5月6日まで
埼玉県立歴史と民俗の博物館

2019/05/06

学んで伝える絵画のかきかた

京都市学校歴史博物館で開催中の『学んで伝える絵画のかきかた』展を観てきました。

去年開催された『京都画壇の明治』がとても良かった京都市学校歴史博物館で今年も京都画壇を取り上げた展覧会をやっているというので、京都に行ったついで観てきました。

この日は西宮で『四条派への道 呉春を中心として』を観て、そのまま大阪から京阪に乗って、京都・八幡で『ある日の都路華香』を観て、その足で祇園四条まで行き、本展を観るという四条派のはじまりから近代まで流れを展覧会で追うという展開に図らずもなりました。

『学んで伝える絵画のかきかた』というタイトルだけ見ると、いかにも学校の歴史とか、美術教育とかそちらの方の話か、親子で楽しめる展覧会的なイメージが浮かびますが、京都画壇の師から弟子への画風や技術の継承をテーマにしています。最初はそんな展覧会だと知らず、全くノーチェックでした。せめて副題にでも京都画壇の継承などと入れてくれれば良かったのに。

本展では主に江戸時代後期から明治時代にかけて(一部、昭和の作品もある)の円山派や四条派、岸派、鈴木派、望月派といった京都画壇を代表するそれぞれの流派の師弟関係や作品の特徴を紹介しています。

塩川文麟 「武陵桃源図」(写真は右隻)
江戸後期~明治期 個人蔵

たとえば、円山派の山水表現であれば、「岩がごつごつしていて硬そう」「緊密で謹直な空間表現」とか、四条派の山水表現なら、「霧や靄を描く湿潤な大気 穏やかで抒情的な空間」「柔らかく自由な筆づかい 余白を生かす」とか、岸派の山水表現なら、「墨色が強く、コントラストが強調されている」などと、分かりやすい表現で端的に説明しています。

ほかにも花鳥画や人物画を例に、それぞれの流派の画風の説明がされています。円山派の人物表現は切れ長の目で丸顔、理知的な面貌表現が特徴とか、四条派は肖像画を真正面で描くとか、岸派は目を簡略な筆で描くのが特徴とか、円山派の描く松は幹が太く奥に伸びているが枝葉は手前に伸び立体感を創り出すとか、鈴木派は筆勢が強く豪胆であるとか。

もちろん全てがこの端的な言葉で説明されてしまうほど単純なものではありませんが、日本画に詳しくない人でも入り込みやすいように、敷居を下げているということではいいのかも。そもそもそれが本展の企画の意図なのでしょうし。

四条派は幕末の平安四名家の塩川文麟と横山清暉、文麟の弟子の幸野楳嶺、円山派は応挙直系の国井応文や国井応陽、森寛斎とその弟子の山元春挙、岸派は岸連山と岸竹堂、鈴木派は鈴木百年と鈴木松年、久保田米僊などなど、京都画壇を代表する画家の作品が並びます。

四条派のお手本のような詩情豊かな文麟の「武陵桃源図屏風」、豊かな人物表現が素晴らしい岸連山の「諸葛孔明図」、水墨表現が巧みにして大胆な鈴木百年の「賢者図」、今蕭白の名に相応しい鈴木松年の「猿廻し図」、ユーモアあふれる久保田米僊の「お福の図」など、今回も優品ぞろいでした。

岸連山 「諸葛孔明図」
江戸後期 元六原小学校蔵

図録はありませんが、受付で200円の展示の手引きを販売しています。

時間があれば、京都・八幡市の松花堂美術館で楳嶺の弟子・都路華香の『ある日の都路華香』もおすすめです。


【企画展 学んで伝える絵画のかきかた】
2019年5月14日(火)まで
京都市学校歴史博物館にて

2019/05/01

尾形光琳の燕子花図

根津美術館で開催中の『特別展 尾形光琳の燕子花図』を観てきました。

今年もカキツバタの季節がやってきました。毎年観てるとはいえ、やはり観に行かずにはいられないのが、この時季恒例の光琳の「燕子花図屏風」の展示と庭園のカキツバタ。

ここ数日天候がいまひとつで、ゴールデンウィークとは思えない寒さだったりしたこともあってか、庭園のカキツバタの開花は少し遅れ気味。去年のちょうど同じ日はカキツバタが満開でしたが、今年はあともうちょっとというところでした。

さて、今年は展覧会のタイトルがダイレクト。天皇陛下の譲位と新天皇の即位というお祝いムードの中での「燕子花図屏風」の公開ということもあってか、<寿ぎの江戸絵画>というテーマで、平和な時代が長く続いた江戸時代の文化や風俗に触れつつ、光琳の「燕子花図屏風」を紹介しています。


本展の構成は以下のとおりです。
第1章 王朝文化への憧れ
第2章 草花を愛でる
第3章 名所と人の営みを寿ぐ

最初に登場するのが、京狩野の家系に生まれるも復古大和絵を志した冷泉為恭。「小松引図」は平安時代の長寿を願う宮廷の遊びで、門松の由来ともいわれる「小松引き」を描いた作品。お正月にでも飾ったのでしょうか、品良くまとめられています。

同じく復古大和絵として、江戸時代初期の王朝文化復興の流れの中で隆盛した住吉派による作品がいくつかあって、印象的だったのは住吉派2代目具慶の「源氏物語図屏風」。右隻に源氏の四十賀の場面、左隻に紫の上と住吉神社を詣でる場面で、住吉派らしい衣装などの緻密な描写が素晴らしいのは言うまでもないのですが、王朝風俗が物語性も豊かに描かれていて、さすが具慶と思わせます。屏風に貼られた『源氏物語』が書かれた色紙がまた雅やかな雰囲気を演出しています。

公家や僧侶が蹴鞠をして遊ぶ「桜下蹴鞠図屏風」も興味深い作品。俵屋宗達、もしくはその工房で制作されたと考えられているというもので、人物の描き方や、樹木の造形、水際の曲線など確かに宗達に近いものを感じさせます。人物のちょっとユーモラスな表情もユニーク。

尾形光琳 「燕子花図屏風」(国宝)
江戸時代・18世紀 根津美術館蔵

そして「燕子花図屏風」。70種の春夏秋冬の草花がびっしり描かれた伊年印の「四季草花図屏風」、宗達の後継者といわれる喜多川相説もしくは工房の作とされている「草花図屏風」、写実過ぎるので弟子の渡辺始興の関与説もあるという光琳の「夏草図屏風」といった色鮮やかな花々が描かれた草花図屏風に挟まれた形で今年は展示されていて華やか。

印象的だったのは円山応挙の高弟・山口素絢の「草花図襖」で、秋海棠や葉鶏頭、桔梗など秋の草花が描かれていて、筆致は確かに円山派なのですが、その装飾性の高さは琳派の影響を感じさせます。

新古今和歌集の和歌を揮毫した光琳の父・尾形宗謙の書があったのですが、光悦流の書に長じた人というだけあり大変流麗で見事。光琳の感性や美意識はこうした恵まれた環境で育まれたものなのだなと感じます。


「伊勢参宮図屏風」 江戸時代・17世紀
右隻(上):名古屋市博物館、左隻(下):根津美術館蔵

展示室3には洛中洛外図と伊勢参宮図が展示されています。まず八曲一双という大きな「洛中洛外図屏風」が素晴らしい。祇園祭で賑わう都の町民から公家や僧侶、南蛮人まで人々の様子が生き生きとしていて、牛や馬も墨の濃淡で丁寧に描かれています。胡粉で雲型に盛り上げ金箔を施した金雲がまた装飾的でとても豪華。

伊勢神宮への参詣風景を描いた伊勢参宮図が2点。一つはこれまで根津美術館と名古屋市博物館に分かれて所蔵されていた「伊勢参宮図屏風」。最近になって対を成す屏風だということが分かったそうで、制作は江戸前期、伊勢参宮図では国内最古のものだそうです。右隻には宮川の渡しから外宮へ至る賑やかな門前町が、左隻には伊勢神宮の内宮や宇治橋、古市の様子などが描かれています。″お杉お玉″と呼ばれる女性二人の三味線弾きや五十鈴川で賽銭を投げる参拝者など伊勢の風俗も興味深い。山並や木々の描き方を見ると、恐らくやまと絵の絵師によるものなのだろうなと思います。

もう一つは根津美術館所蔵の「伊勢参宮道中図屏風」。こちらは京都の蹴上から大津、近江八幡、草津、津などを巡って、伊勢に至るという壮大な道中図で、三井寺や石山寺、古市や二見浦など、周辺の観光スポット、また大津絵を売る店やところてんを売る店、店先で焼いた魚や蛸を売る店など、沿道の賑わいもいろいろ描かれていて、旅の楽しさが伝わってきます。


【特別展 尾形光琳の燕子花図 寿ぎの江戸絵画】
2019年5月12日(日)まで
根津美術館にて