2018/08/26

藤田嗣治展

東京都美術館で開催中の『没後50年 藤田嗣治展』を観てきました。

戦争画の公開や伝記の映画化、数々の関連書籍の刊行など、ここ数年フジタにいろんな意味で注目が集まり、いくつか展覧会で作品を観る機会がありました。東京国立近代美術館の『MOMATコレクション 藤田嗣治、全所蔵作品展示。』(2015年)や東京藝術大学大学美術館の『藤田嗣治 《舞踏会の前》 修復完成披露展』(2015年)、府中市美術館ほかで開催された生誕130年記念の回顧展『藤田嗣治展』(2016年)、第二の故郷ランスでの活動を取り上げた『ランス美術館展』(2017年)などなど。

本展は藤田の没後50年を記念したもので、質量ともに過去最大級という回顧展。府中市美術館の『藤田嗣治展』もずいぶん充実していると感じましたが、それらを凌駕する内容になっていました。初期の外光派から“乳白色の下地”に行き着くまでの過程、エコール・ド・パリ時代、中南米歴訪を経ての戦前の日本での活動と戦争画、そしてフランスへ移ってあとの晩年の宗教画まで幅広く網羅しています。


会場の構成は以下のとおりです:
Ⅰ 原風景-家族と風景
Ⅱ はじまりのパリ―第一次世界大戦をはさんで
Ⅲ 1920年代の自画像と肖像-「時代」をまとうひとの姿
Ⅳ 「乳白色の裸婦」の時代
Ⅴ 1930年代・旅する画家-北米・中南米・アジア
Ⅵ-1 「歴史」に直面する-二度の「大戦」との遭遇
Ⅵ-2 「歴史」に直面する-作戦記録画へ
Ⅶ 戦後の20年-東京・ニューヨーク・パリ
Ⅷ カトリックへの道行き

藤田嗣治 「自画像」
1910年 東京藝術大学蔵

初期の、というより東京美術学校在学中の作品は黒田清輝に反発しながらもやはり外光派の影響が強く感じます。斜に構えて睨みつけるような表情が印象的な「自画像」は黒田の嫌う黒を多用し、案の定黒田からも悪い絵の見本と酷評されたといいますが、それでも今観ると明治期の洋画スタイルの枠からは出ていません。明治時代の肖像画の王道を行くような「父の像」や外光派での優れた腕前を見せる「婦人像」など、僅かながらの作品からも藤田の腕の確かさを感じます。

藤田嗣治 「パリ風景」
1918年 東京国立近代美術館蔵

パリに移って以降は模索の日々が続きます。物寂しいパリの風景を描いた作品や、キュビズムや未来派の影響を受けた作品、親友モディリアーニの人物画を彷彿とさせる作品など、方向性もなかなか固まりません。

藤田嗣治 「二人の女」
1918年 北海道立近代美術館蔵

それでも「目隠し遊び」の女性たちに後年の女性の群像画を思わせるものがあったり、静物画の花や食卓の食材がアンティークや雑貨に変わっていったり、風景画や静物画の背景に乳白色が徐々に使われ出したり、細い墨の線を取り入れてみたり、1920年代以降の活躍の萌芽が見え始めます。

藤田嗣治 「エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像」
1922年 シカゴ美術館蔵

東洋人たる自分が現地で売って成功しうる絵画は何かを藤田は自問自答していたといいます。西洋人の絵画をただ真似るだけでなく、そこに東洋人のオリジナリティをいかに出していくか、そこに藤田は挑むようになります。俵屋宗達の鶴を連想させる「鶴」や、画材に金箔を使った作品もいくつか見られました。

パリに暮らす富裕なアメリカ人女性を描いたという「エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像」は背景に銀箔を壁紙かタイルのように貼りつけた印象的な作品。女性の顔や長細い肢体はいよいよ藤田らしいと感じます。ドレスの青い絵具が経年劣化かヒビ割れているのですが、それさえドレスの模様に見えてきます。

藤田嗣治 「横たわる裸婦<」
1922年 ニーム美術館蔵

乳白色の裸婦はこれまでの展覧会にないぐらい充実(といってもそんなに作品数があるわけではありませんが)。乳白色の下地に面相筆の黒く細い輪郭線というスタイルに辿り着くと、藤田は裸婦に取り組みます。黒い背景に透明感のある乳白色の肌とシーツというモノトーンの作品もあれば、背景に色とりどりのタピスリーを描いた華やかな作品もあり、女性1人もあれば、2人の女性のシリーズもあり、群像もあり、横たわる系もあれば、立つ系もある。いくつかのパターンはあるけれど、それぞれに一目で藤田の作品だと分かる個性があって、やはりこの時代の作品はどれを取っても優れてるし、観ていてうっとりします。


藤田嗣治 「舞踏会の前」
1925年 大原美術館蔵

いわゆる乳白色の下地が何を使って描かれているのかは長年謎とされていましたが、キャンバスに硫酸バリウムを塗り、その上に炭酸カルシウムと鉛白を混ぜた絵具を重ねていたことが近年の調査で分かっています。下地からは滑石(タルク)が原料のシッカロールが検出され、それが乳白色の独特なマットなマティエールを生んでいるといいます。しかし、その特殊な技法は経年劣化しやすく、単眼鏡でよく観ると気泡のようなガス穴が開いているのも分かります。「舞踏会の前」は数年前に修復を終えましたが、作品によっては今後公開の機会が減ることもあるのかもしれないですね。

藤田嗣治 「メキシコに於けるマドレーヌ」
1934年 京都国立近代美術館蔵

フランスで人気絶頂の中、藤田は南米を経由し日本に帰国します。この時期の作品は、南米の気候や土俗的な風土に影響されたのか、乳白色の裸婦とは似ても似つかない、時にどぎつい色彩の、グロテスクな絵が続きます。興味深かったのが水彩画で、たぶん面相筆だと思うのですが、細い線で輪郭線を描いているのが印象的でした。

藤田嗣治 「アッツ島玉砕」
1943年 東京国立近代美術館蔵(無期限貸与作品)

そして戦争画。戦争画は東近美から2点と同時代の関連作品が数点のみ。近年、藤田の戦争画へ注目が集まったことが藤田の再評価(それは広い意味で)に繋がっていると思うのですが、それを考えると戦争画の扱いに突っ込みがなく、解説も差し障りのない表現で、正直物足らない。ちなみに、本展では敢えて「作戦記録画」といっています。

藤田嗣治 「カフェ」
1949年 ポンピドゥー・センター蔵

乳白色の肌の裸婦や女性に固執していた(?)1920年代の作品に比べると、戦後のニューヨークやパリで描いた作品はずいぶんバラエティに富んでいるなと感じます。女性もいれば猫もいる。少女もいれば動物もいる。1920年代の作品を思わせるものもあれば、現代の若者を描いた作品もある。そして何より興味深いのは宗教画。これまでも藤田の宗教画は何度か観てますが、過去最大というだけあり良い作品が来ています。1920年前後の比較的古い宗教画もあって、藤田が早くから宗教画を題材として興味を抱いていたのも分かります。戦後の作品では藤田夫妻が修道士・修道女に扮したり、聖母子に祈る姿で描かれたり、何か赦しを請うかのよう。背景や聖母のマントに金箔を用いた装飾性も藤田らしいところ。

藤田嗣治 「礼拝」
1962-63年 パリ市立近代美術館蔵

藤田嗣治の展覧会によく足を運ぶ人なら、過去に何度か観ている作品も多く、目新しさはあまりないかもしれません。「寝室の裸婦キキ」など海外にある重要な作品が来てないのも少し残念。ただ、展示内容は充実していて、全体的に解説も多く、藤田を知るにはちょうどいい展覧会だと思います。


【没後50年 藤田嗣治展】
2018年10月8日(月・祝)まで
東京都美術館にて

2018/08/19

モネ それからの100年

横浜美術館で開催中の『モネ それからの100年』展を観てきました。

モネの展覧会かと思いきや、モネの絵画と現代アートを並べ、モネの革新性や今なお影響を与えるモネの魅力を探るというモネ・トリビュートな展覧会でした。

モネの作品25点を中心に、いくつかのテーマに分けて、モネの影響を受けた or モネ作品を引用した現代アーティストたちによる絵画・版画・写真・映像66点を一緒に並べるという構成。ポスト印象派やモネのフォロワーなどはなく、完全に現代アートに絞っているというのが潔いし、そこに面白味を感じます。モネと現代アートの中間というのがスッポリ抜けてるというのはありますが、その分モネと抽象画の関係や、今なお影響を与えるもモネの革新性や魅力が分かりやすい。

出品作はほぼ国内の美術館の所蔵作品や個人蔵の作品(初公開のモネ作品が2点あります)に限られ、よくあるモネの展覧会のように海外からの目玉の作品があるわけではないのですが、十分充実してるし、観ていてワクワクします。企画の勝利ですね。


Ⅰ 新しい絵画へ -立ちあがる色彩と筆触

会場の入口にはモネの「睡蓮」(群馬県立近代美術館蔵)。観に行ったのが、よりにもよって日曜日の午後という一番混雑する時間だったこともあり、大勢の人が囲むようにして見入っていました。掴みはOK。

クロード・モネ 「モンソー公園」
1876年 泉屋博古館分館蔵

最初はモネの主に前期の作品が並んでいて、モネ絵画の特徴である筆触分割のことなどが解説されています。赤い花をつけたマロニエの木が美しい「モンソー公園」は第2回印象派展の年の作品とか。近くで観ると点々と色を置き並べているだけですが、離れて観るとことで明るい色彩が得られます。「海辺の船」も黄色や緑、赤、青、白などさまざまな色を配列することで、海岸の砂の輝くような印象を与えています。その隣りにはフランスの現代美術家ルイ・カーヌ。カラフルな色を点々と配色していて、現代アートにはありがちな作品ですが、モネと一緒に並べられると、なるほどモネから生まれた概念なのかと繋がります。

ウィレム・デ・クーニング 「風景の中の女」
1966年 東京国立近代美術館蔵

ここではウィレム・デ・クーニングやジョアン・ミッチェル、堂本尚郎、中西夏之など、いわれてみればモネの筆触分割や色彩感覚を思わせるような現代アートも展示されています。アクション・ペインティングやアンフォルメルといった括りで見がちなデ・クーニングや堂本尚郎らの作品とモネを関連づけたことがなかったものですから、個人的にはとても新鮮で、でも確かに考えてみれば行き着くところはモネだよなと感じながら観ていました。中西夏之の「G/Z 夏至・橋の上」なんかも、それだけで観てたら気づかなかったかもしれませんが、「なるほどモネだよ、モネ」となるのが面白いですね。


Ⅱ 形なきものへの眼差し -光、大気、水

光、大気、水をテーマにしたコーナーではモネの作品は景色が霧に包まれるように、対象が曖昧になり、色彩がさらに渾然一体となっていきます。

クロード・モネ 「ジヴェルニー近くのリメツの草原」
1888年 吉野石膏美術振興財団蔵

クロード・モネ 「霧の中の太陽」
1904年 個人蔵

モネが晩年を過ごすジヴェルニーを描いた「ジヴェルニー近くのリメツの草原」は「草原」と言われないと分からないぐらい具象性が失われていますが、「草原」と知ると明るい陽光に照らされパステルカラーの草原が風に揺れるように見えます。 「霧の中の太陽」は霧に包まれたロンドンのテムズ河を描いた作品。構図的にモネの代表作「印象・日の出」を彷彿とさせますが、筆触分割はさらに次の段階に移った感があります。

ゲルハルト・リヒター 「アブストラクト・ペインティング(CR845-8)」
1997年 金沢21世紀美術館蔵

モネ目当てで来ているお客さんも相当数いるようで(たぶんほとんど?)、モネの作品の前では何重にも人垣ができているのに、ロスコやリヒターといった現代アートの巨匠の作品の前ではほぼ素通りで、独占状態で観られるというなかなか興味深い現象も。モネの隣に展示されていた現代アートをしばらく観たあとで「あっ、これモネじゃないのね」と気づいて、さーっと立ち去る人とか、人間観察も面白い展覧会でした。


Ⅲ モネへのオマージュ -さまざまな「引用」のかたち

モネの代表作のひとつ「積みわら」をドットで表し、原色や白、黒といった色でパターン化したリキテンスタインの「積みわら」や誰が見てもモネのオマージュだと分かる「日本の橋のある睡蓮」など。リキテンスタイン、こういう作品も描いていたのかという意外な驚き(ただ単に私が知らなかっただけですが)。

ロイ・リキテンスタイン 「日本の橋のある睡蓮」
1992年 国立国際美術館蔵

日本の現代アーティストの作品もいくつかあったのですが、印象的だったのが児玉麻緒の「IKEMONET」と「SUIREN」。太い輪郭線とペインティングナイフの硬質な面で表した睡蓮が面白い。


Ⅳ フレームを超えて -拡張するイメージと空間

丸く壁で囲んだ空間にモネの睡蓮の絵が並んでいて、さながらオランジュリー美術館の「睡蓮の間」といった趣き。壁の半分側には鈴木理策の「水鏡」シリーズが展示されています。モネの印象派の明るい色彩の睡蓮と、鈴木理策の明るく透明感のある睡蓮との対比が楽しい。

クロード・モネ 「睡蓮」
1906年 吉野石膏株式会社蔵

モネは生涯、200点もの睡蓮を描いたといいます。最晩年は白内障の影響で、かつてのような色彩や睡蓮の形は見られなくなりますが、それでも亡くなる前年の作品「バラの小道の家」を観ていると、モネは最後まで光と色彩の表現を追い求めていたんだなということを感じることができます。

最後は、サム・フランシスやウォーホルをはじめ、日本の現代アーティストたちの作品のコーナー。都会の景色を望む高層ビルのレストランを睡蓮の池に見立てた福田美蘭の「睡蓮の池」がとてもいいなと思いました。

鈴木理策 「水鏡 14, WM-77」
2014年 作家蔵


【モネ それからの100年】
2018年9月24日まで
横浜美術館にて


もっと知りたいモネ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたいモネ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)


印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)

2018/08/18

「江戸名所図屏風」と都市の華やぎ

出光美術館で開催中の『「江戸名所図屏風」と都市の華やぎ』を観てきました。

出光美術館が所蔵している「江戸名所図屏風」は明暦の大火(1657年)前の江戸の様子を描いた作品として貴重だといいます。

その目玉の「江戸名所図屏風」を中心に、江戸名所図や京都の洛中洛外図の屏風絵から江戸時代の都市景観を観るという企画展なのですが、後半は菱川師宣や宮川長春、鳥文斎栄之など肉筆浮世絵の優品が多く並び、江戸風俗画の展覧会としてもとても興味深いものがありました。

京都の洛中洛外図というと、一般的に清水寺や三十三間堂、三条や四条の賑わいから、御所や二条城まで、東から西へ京都の名所や町の様子を描いていて、中には祇園祭の山鉾などが描かれたものもあったりしますが、やはり寺社仏閣が多かったり、広い範囲で町が整理され発展していたり、屏風絵からも京都の長い歴史を感じることができます。

一方の「江戸名所図屏風」は、浅草寺や上野の寛永寺、吉原や日本橋から、江戸城や銀座、増上寺まで、北から南へ江戸の街の様子が描かれていますが、町が整然とした京都に比べると江戸はどこか雑然とし、海や川沿いに町が発展していったことも分かります。1650年頃の江戸の風景とされ、まだ江戸城には天守もあり、江戸時代初期だからなのか、郊外には長閑な風景が拡がり、急速に広がった町の新しさを感じます。

「江戸名所図屏風」(重要文化財)
江戸時代 出光美術館蔵

そして何より、びっしりと事細かに描きこまれた江戸の人々の描写がとても素晴らしい。屏風に描かれた人物は2000人以上というだけあり、いろんな人がいて面白いし、それぞれ姿形、表情、動きが一人一人みんな違うのが凄い。風呂上がり髪を拭いてもらう人、犬に吠えられてビビる人…。観ていて全然飽きません。単眼鏡必携です。

ほかに展示されていた江戸名所図は遊楽図や風俗図と名のついたものが多く、浅草寺の境内や茶屋、芝居小屋の賑わい、吉原(新吉原)の揚屋や隅田川の舟遊びなどが描かれていて、江戸時代の人々の様子を知る資料として格好の作品です。

英一蝶 「四季日待図巻」(重要文化財)
江戸時代 出光美術館蔵 (※写真は部分)

英一蝶の「四季日待図巻」は一蝶の2つある重要文化財作品の一つ。流島先の三宅島で江戸の庚申待(日待)を描いた作品。身を清め日の出を待つといっても、座敷遊びに興じたり、囲碁をしたり、浄瑠璃を観たり、なんかみんな楽しそう。江戸の風俗や芸能を描くことの多かった一蝶らしい作品であるのと同時に、遠い江戸を思いながら描いたんだなと考えるとちょっと感慨深いものがあります。

室町時代の「月次風俗図扇面」や桃山時代の洛中洛外図屏風、初期の歌舞伎図屏風など、初期風俗画としても興味深い作品がいくつかありました。特に、阿国歌舞伎図の最も古い作例の一つという「阿国歌舞伎図屏風」は右にかぶき者、左に阿国歌舞伎が描かれ、松や桜の大木が画面をドンと遮るという大胆な構図が面白い。線描もおおらかで、桃山時代らしい古色さがあってとてもいい。

永徳の弟・狩野長信筆という説がある小型の屏風「歌舞伎・花鳥図屏風」がまた素晴らしい。遊女歌舞伎と若衆歌舞伎と思しき歌舞伎踊りが六曲一双にそれぞれ描かれ、裏には桜の大木と梅の大木、雌雄の孔雀がそれぞれに描かれ、その優美さと細密さに目が留まります。

菱川師宣 「江戸風俗図巻」
江戸時代 出光美術館蔵 (※写真は部分)

後半は浮世絵、しかも江戸の名所を背景に描いた肉筆の風俗図や美人図なのですが、菱川師宣やその一派、宮川長春や懐月堂といった初期浮世絵の優品があって見逃せません。ここでも花見や舟遊び、茶屋や遊里の酒宴などが多く描かれ、江戸の風俗というとここに尽きるのかなと感じます。美人画の白眉は鳥文斎栄之の「吉原通い図巻」。浮世絵の華やかな雰囲気とは異なり、川面に淡い水色をつけた以外は水墨でまとめられ、人物も水墨の簡略な筆致で表現し、栄之でイメージされる美人画とはまた違う趣があって、とても素晴らしかったです。


【「江戸名所図屏風」と都市の華やぎ】
2018年9月9日(日)まで
出光美術館にて


江戸名所図屏風を読む (角川選書)江戸名所図屏風を読む (角川選書)

2018/08/15

落合芳幾展

太田記念美術館で開催中の『落合芳幾展』を観てきました。

落合芳幾、たぶんとてもマイナーな浮世絵師。浮世絵ファンでも幕末から明治にかけての浮世絵が好きな人でないと、ちょっと分からないかもしれませんね。

そんな落合芳幾の初めての展覧会。出品数はなんと100点強。

明治の浮世絵師というと、月岡芳年や河鍋暁斎、小林清親が有名で、彼らの作品を観る機会はままありますが、これまであまり注目されることのなかった落合芳幾だけでここまでの数の作品が観られるなんて空前絶後レベルです。

落合芳幾は幕末の人気浮世絵師・歌川国芳の門人で、月岡芳年とは兄弟弟子。国芳や芳年は知っていても、芳幾は知らないという人がほとんどではないでしょうか。いつもは混んでる日曜日の午後に行ったのですが、お客さんに日本人はほとんどおらず、観光目的で来ている外国人ばかりでした。


会場の構成は以下のとおりです。
Ⅰ 花開く多彩な才能
Ⅱ 奇想の表現 -歌川国芳の継承者
Ⅲ 血みどろ絵 -月岡芳年との競作
Ⅳ 新時代の美女たち
Ⅴ 新しいメディアへの挑戦 -新聞挿絵と雑誌
Ⅵ 衰えぬ晩年 -役者絵への回帰

17歳の頃、国芳のもとに入門。22歳の頃から単独の作品も発表していたという芳幾。同門の芳年は6歳下ですが、入門は1年違いなので、ほぼ同じ時期に修業をしていたのでしょう。10代の6歳違いはかなり大きいので、たぶん芳幾は先輩風を吹かせていたのでしょう。国芳の葬式のとき芳年を足蹴りしたなんて話もあるようです。芳幾が描いた国芳の死に絵もあって、力関係では年上の芳幾の方が強かったんだろうなと思います。

芳幾の作品を見ていると、これどこかで観たなと感じるものが時々あります。作風は師匠に似て、国芳と同じような場面、モチーフを描いたものも多くあるようです。ただ、国芳に比べてややおとなしいというか、奇抜さや迫力という点では弟弟子の芳年の方にやはり軍配が上がります。国芳は芳幾と芳年について「芳幾は器用に任せて筆を走らせば、画に覇気なく熱血なし、芳年は覇気に富めども不器用なり」と語ったといいます。

落合芳幾 「英名二十八衆句 鳥井又助」
慶応3年(1867) 個人蔵

芳幾の代表作というと、芳年と競作した「英名二十八衆句」。芳幾と芳年は半分ずつ描いていて、本展では芳幾の描いた14点すべてが展示されています。芳年に負けず劣らずの血みどろ。芳年とのライバル心なのか、血みどろ絵は芳年と甲乙つけがたい。前回の『江戸の悪 PART Ⅱ』にも芳幾の「英名二十八衆句」は数点出ていましたが、首を加えて水中を泳ぐ「鳥井又助」や、『名月八幡祭』の絶命する美代吉を描いた「げいしゃ美代吉」なんかとてもいい。

落合芳幾 「時世粧年中行事之内 競細腰雪柳風呂」
明治元年(1868) 太田記念美術館蔵

芳幾はもともと武者絵や役者絵、風刺画が多く、戯画も国芳譲りの面白さがあります。美人画を手がけるようになったのは遅かったようで、特徴的な表現があるわけでもなく、少し平凡な美人画という感じがします。女風呂を描いた作品が数点あって、女同士取っ組み合いの喧嘩をしてたり、明治初期の銭湯の様子も知れて面白い。

落合芳幾 「東京日々新聞 八百三十三号」
明治7年(1874) 個人蔵

明治期の浮世絵というと新聞の挿絵や横浜絵のように時代の流れの中で新しい浮世絵が生まれますが、芳幾もそのあたりはよく描いていたようです。芳幾は毎日新聞の前身の東京日々新聞の創刊メンバーの一人だったそうで、新聞挿絵の分野では先駆的存在だったのでしょう。国芳門下らしいどぎつい色合いやドラマティックな表現力、血みどろ絵のような残虐性など、芳幾のカラーがよく出ています。子どもを残して死んだ母親が幽霊になって現れるとか、川に女性を投げ落とすとか、今でいうところのワイドショーのような感覚なんでしょうね。

写真の台頭は浮世絵が衰退していく最も大きな原因の一つですが、写真風に陰影を施した「俳優写真鏡」というシリーズがあり、なかなか興味深かったです。写真に対抗する苦肉の策だったのでしょうけど。役者絵はいいものが多く、特に晩年は見どころがあります。芳幾が表紙を描いた初期の歌舞伎座の筋書(パンフレット)なんて貴重なものもありました。

落合芳幾 「俳優写真鏡 五代目尾上菊五郎の仁木弾正」
明治3年(1870) 太田記念美術館蔵


【落合芳幾展】
2018年8月26日(日)まで
太田記念美術館にて


歌川国芳 21世紀の絵画力歌川国芳 21世紀の絵画力