2012/03/17

松井冬子展

横浜美術館で開催中の『松井冬子展』に行ってきました。

若手気鋭の日本画家、松井冬子の初の大規模個展です。内臓をむき出しにした女性や幽霊画など、独特の美意識で注目を集め、昨年末には紅白歌合戦で審査員を務めるなどお茶の間にも進出(?)しつつある彼女のデッサンや下絵を含む約100点の作品が集まっています。

ここ4、5年でしょうか、新進の女流日本画家として雑誌やテレビ等で取り上げられる機会が多く、それで自分も知ったわけですが、彼女の経歴を見ると、東京藝術大学大学院を出たのもまだ5年前のことで、プロとしての活動も10年に満たないのですね。藝大の受験に失敗し、別の美大に進んで絵画(油彩画)を学び、一般企業に就職し、その間も毎年藝大に挑戦し続け、24歳のときに東京藝術大学に入学。その後そのまま大学院に進み、博士号まで取得するわけですが、そこまでして日本画の世界で確かなものを掴もうとしていたことは知らなかったので少し驚きました。

会場入口のスペースでは、松井冬子が初めて取り組んだ≪侵入された思考の再生≫という約3分ほどの映像作品が流れています。この映像作品の音楽は会場のどこからも聴こえ、松井冬子展の一種の聴覚的効果を上げていました。

会場は9つのテーマで構成されています。
第1章 受動と自殺
第2章 幽霊
第3章 世界中の子と友達になれる
第4章 部位
第5章 腑分
第6章 鏡面
第7章 九相図
第8章 ナルシズム
第9章 彼方

いきなり「受動と自殺」というショッキングなテーマから始まりますが、これはまだ序の口。冬子ワールドに慣れさせるための導入部といいますか…。

「盲犬図」 2005年
個人蔵

「盲犬図」は、一見おとなしそうな犬の絵ですが、変わった首輪をしていて、爪は伸び、尻尾の毛が異様に長いのに気づきます。この犬は盲目で、走ることをやめ、現実から離脱しています。全てを失い、全てを諦めているのに、目はまっすぐ前を見据え、どこか生への執着を感じるような不思議な絵です。彼女の作品には恐怖や狂気、痛みが美しさと表裏一体のものとして描かれます。

「優しくされているという証拠をなるべく長時間にわたって要求する」 2004年
作家蔵

松井冬子の作品は、女性特有の感性からなるものが多分にあって、男性の理解を超えているというか、男性が易々と近寄ってはならないような、そんな雰囲気さえ漂っています。これは展覧会に行く前から分かっていたことですが、見てはいけない女性のジェンダーな部分を見てしまった場違いな気分というか、「お前は子宮を持ってないだろ」とドヤ顔で言われたような疎外感というか、いたたまれないぐらいの感覚に陥ります。男性にはただのグロテスクで気味の悪い絵にしか見えなくても、彼女の作品に共感する女性が多いのがそれを物語ってているような気がします。

「夜盲症」 2005年
個人蔵

「夜盲症」は松井冬子の作品の中でも最もメジャーな作品の一つ。乱れた長い黒髪、白い経衣、足のない女性…。古典的な幽霊画でありながら、羽をむしり取られた鳥を掴む異様な姿が一際目を惹きます。「心理的な外傷にさらされた場合、心は重力に引っ張られるように落ち、這い上がれない。幽霊の浮遊がただふわふわしたものではなく、情念を伴った重力感のある浮遊であることが、この上なく魅力的な素材」なのだそうです。

「世界中の子と友達になれる」 2002年
作家蔵(横浜美術館寄託)

世界中の子と友達になれる、なんて平和的なメッセージだろうと思ったら、反語なんですね(笑)。子どもの頃は誰とでも友達になれ、このまま世界中の子と友達になれるのではないだろうかと思っていたのが、大人になってそれが絶対的に不可能な狂気にも近い妄想だということに気付かされたという自身の体験に基づくものだとか。自らのリアリティにどこまでも、どんな場合でも忠実であること、それが彼女の原動力なのかもしれません。

「この疾患を治癒させるために破壊する」 2004年
成山画廊蔵

千鳥ヶ淵に映る桜の絵が、なぜ「この疾患を治癒させるために破壊する」なのか分からないのですが(彼女の作品名はときどき意味不明で、自らの手による作品解説がまた難解)、美しい満開の桜の絵も、松井冬子が描くとただならぬ狂気を孕んでいるような気がします。桜の美しさも、水面に反射する桜の景色も、真ん中にぽっかりと空いた暗闇も、どこか精神的、肉体的な響きをもって観るものに訴えてくるようです。

「浄相の持続」 2004年
財団法人平野美術館寄託

「身体も感覚も私自身のものとして実感し共有できる女(雌)しか描かない」と松井はいいます。子宮を持っているという優位性を誇示するような女性の絶対的リアリティが、彼女の絵の根底にはある気がします。

「陰刻された四肢の祭壇」 2007年
東京藝術大学蔵

自身の内なる臓器を豪奢なドレスのように引きずりながら歩く女性。彼女の顔は微笑んでいますが、とても微笑んで観る気になれない、観ることさえ痛みを伴うような絵です。松井冬子を語るときに引き合いに出される女性性だとか痛み(傷)だとか、そういうことは男性には分からない部分が多いのですが、あまりにそれらが過剰だと、正直ちょっと引いてしまうところがあります。

 「喪の寄り道」 2010年
作家蔵

最後のコーナーは近年の作品を中心に展示されていましたが、震災後に描いたという「生まれる」と「陸前高田の一本松」はようやく重いものから解放され、救われるような気持ちになる作品でした。今後の松井冬子の活躍に期待したいと思います。


【松井冬子展 世界中の子と友達になれる】
横浜美術館にて
2012年3月18日(日)まで


美術手帖 2012年 02月号美術手帖 2012年 02月号

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