本展は熊谷守一の没後40年を記念しての展覧会。10年前の埼玉県立近代美術館の『熊谷守一展』や、4年前の豊島区立熊谷守一美術館の『熊谷守一美術館30周年展』などこれまでもたびたび守一の展覧会はありましたが、200点超のここまで大規模な回顧展は初めてではないでしょうか。
熊谷守一は個人的にも大好きな画家で、植物や昆虫、猫といった身近なモチーフを描いた親しみやすさ、アートアートした堅苦しさのないところが人気の秘密だと思うのですが、これだけ数が集まると大画家然とした感じが出て面白いですね。暗い色調の初期、フォーヴィズムやナビ派の影響を受けた中期、どんどんミニマル化してく晩年、それぞれ作品が充実していて見応えがあります。
1 闇の守一:1900-10年代
守一は東京美術学校で黒田清輝の指導を受けたそうで、初期は清輝が力を入れていた人体デッサンに基づく裸婦像を中心とした作品が並びます。晩年の明るい作品とは全然違って、どれも茶や黒が主体の薄暗い作品ばかり。どこかおびえたような不安げな表情が印象的な自画像「蝋燭」のように、暗闇のなか微かな灯りでようやくニュアンスが感じ取れるといった作品が多くあります。画風は変遷すれど、守一は闇と光というテーマに生涯取り組みつづけていて、本展でも構成の主要な軸をそこに置いています。
熊谷守一 「蝋燭」
明治42年(1909) 岐阜県美術館蔵
明治42年(1909) 岐阜県美術館蔵
その中で、注目される作品が「轢死」。保存状態の問題から滅多に公開されない守一の代表作の一つです。絵具の油脂分が原因で劣化が進み、画面はほぼ全体が真っ黒で何が描かれてるか分からない程。誰かが横たわっているんだろうなということは何となく分かりますが、目を凝らしても細部は全く見えません。「轢死」は守一の中でも重要な位置を占め、“死”というテーマとともに、その後何度か焼き直し描かれます。
2 守一を探す守一:1920-50年代
フォーヴィズムに触発され、厚塗りで粗いタッチの作品が現れます。この時代は模索の時代というんでしょうか、画風は一定せず、とりたてて個性的なわけでも傑出しているわけでもなく、特筆する作品は多くありません。ただ、後年の明るい色彩と単純化された形への展開を考える上でいろいろ興味深いものがあります。
熊谷守一 「人物」
昭和2年(1927) 豊島区立熊谷守一美術館蔵
昭和2年(1927) 豊島区立熊谷守一美術館蔵
守一は5人の子供に恵まれますが、生活は苦しく、次男・陽が病気になったときも医者にみせることができず子供を死なせてしまいます。守一は陽の死顔を描いているうちに“絵”を描いている自分に気づき、自分が嫌になったと語ったといいます。絵具を乱暴に塗りたくったようなタッチとそのまま途中で止めた塗り残しからは我が子を失った守一の無念さと激しい感情が伝わってくるようです。
熊谷守一 「陽の死んだ日」
昭和3年(1928) 大原美術館蔵
昭和3年(1928) 大原美術館蔵
「轢死」をふまえて描かれたという「夜」は黒くて全体が分からなかった「轢死」がどういう作品だったかをイメージさせてくれます。「夜の裸」は構図的には「轢死」や「夜」の延長線上にある作品だと思いますが、一方で、闇と光というテーマの中で、闇の中の逆光の表現として赤い輪郭線が現れているという点でとても興味深い作品です。
熊谷守一 「夜の裸」
昭和11年(1936) 岐阜県美術館寄託
昭和11年(1936) 岐阜県美術館寄託
やがて赤く太い輪郭線や少ない色数の色面で構成された作品にシフトして行きます。ちぎり絵やパッチワークのような作品、山や海、牧歌的な風景画など、まるでナビ派の作品を観るような感じがします。マティスぽい作品やゴーギャンを思わせる作品、ポール・セリュジェに似た作品など、西洋画の影響を受けたと思われる作品もいくつかあって、守一が実際に参考にしたとされる作品がパネルで紹介されていたりします。
熊谷守一 「日蔭澤」
昭和27年(1952) 愛知県美術館木村定三コレクション蔵
昭和27年(1952) 愛知県美術館木村定三コレクション蔵
3 守一になった守一:1950-70年代
「ヤキバノカエリ」は結核で21歳で他界した長女・萬の遺骨を抱いて帰る家族3人を描いた作品。フォーヴィズムの画家アンドレ・ドランの「ル・ペックを流れるセーヌ川」を下敷きにしていると解説されていました。「轢死」にしても「陽が死んだ日」にしても「ヤキバノカエリ」にしても、守一の画風の変遷を語る上で鍵となる作品が死をテーマにしているのは何故なのか。死んで横たわる人の絵を縦にすると生き返ったように見えると、長女の死顔を縦に描いた「萬の像」は観ていて辛いものがあります。
熊谷守一 「ヤキバノカエリ」
昭和31年(1956) 岐阜県美術館蔵
昭和31年(1956) 岐阜県美術館蔵
普段なんとなく守一の作品を観てたときは気付かなかったのですが、彩度の低い中間色に明度の高い色をアクセントに入れたり、青地に赤の補色を使ったり、色彩の捉え方に高度な工夫がされていることを知りました。守一の赤い輪郭線が逆光の表現から生まれたという指摘がありますが、ナビ派が写実主義を否定し、印象派の光の表現に反対したところから生まれたのに対し、守一は単純化してもモノの本質は失われないし、光は表現できるという点で、アプローチがそもそも違うんだろうなと思ったりしました。
熊谷守一 「雨滴」
昭和36年(1961) 愛知県美術館木村定三コレクション蔵
昭和36年(1961) 愛知県美術館木村定三コレクション蔵
守一といえば、猫。会場の一角に猫の絵がずらーっと並んだ一角があって、猫好きにはたまりません。猫にしても虫にしても花や草にしても雨滴にしても、極限まで単純化しているのに生き生きと見える不思議さ。独特の観察眼で対象の本質を掴んでいるといえば簡単ですが、何を描き何を省略するか、守一が描き出すユニークな世界に魅了されっぱなしです。
熊谷守一 「猫」
昭和40年(1960) 愛知県美術館木村定三コレクション蔵
昭和40年(1960) 愛知県美術館木村定三コレクション蔵
【没後40年 熊谷守一 生きるよろこび】
2018年3月21日(水・祝)まで
東京国立近代美術館にて
へたも絵のうち (平凡社ライブラリー)








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