2012/09/29

近江路の神と仏 名宝展

三井記念美術館で開催中の『近江路の神と仏 名宝展』に行ってきました。

隣の京都や奈良に比べて、じみ~な印象のある近江ですが、かつて天智天皇により近江宮(大津宮)として都が置かれたように、古くから開け、宗教を基盤とした文化が根付いた土地でした。

近江の古社寺に伝えられた秘仏や名宝がここまで一堂に会した展覧会は、東京では初めてだそうです。延暦寺、園城寺(三井寺)、石山寺など42の社寺から、仏像、神像、仏画、垂迹画、絵巻物、経巻、工芸品など、国宝6点、重要文化財56点、滋賀県指定文化財21点を含む約100点の名宝が出品されています。

会場に入ると、まずは奈良時代の仏像がお出迎え。

近江で最も古い仏像は飛鳥時代のもので、石山寺の本尊如意輪観音像の体内に厨子に納められていた小金銅仏の内の一体の如来立像だそうです。その次の時代にあたる白鳳・天平時代のもので現存するものは数例を数えるに過ぎないとのことですが、本展にはその白鳳・天平の貴重な仏像の内、3体が展示されています。

「誕生釈迦仏立像」(重要文化財)
奈良時代 善水寺蔵

善水寺の「誕生釈迦仏立像」は8世紀後半の作とされ、奇跡的にも鍍金がきれいに残っています。同じコーナーに展示されていた報恩寺の「観世音菩薩立像」はさらに古く、7世紀の作と考えられ、トーハクの法隆寺宝物館に展示されている金銅仏のような神秘的な仏像でした。

<展示室1>には、ほかに平安・鎌倉時代の華鬘や梵音具、密教法具などの仏教金工品が展示されています。

「金銅経箱」(国宝)
平安時代 長元4年(1031年) 延暦寺蔵

<展示室2>には、延暦寺に伝わる国宝「金銅経箱」が展示されていました。藤原道長の娘・藤原彰子(上東門院)が書写した法華経を入れた経箱といわれ、大正時代に発掘されたものだそうです。平安時代の金工品の最高傑作といわれているだけあり、1000年以上前のものとは思えないほど細緻で美しい作品でした。

「如意輪観音半跏像」(重要文化財)
平安時代 石山寺蔵

三井記念美術館で一番広いスペースの<展示室4>は仏像のコーナー。ずらりと並ぶ21体(展示期間によって異なります)の仏像はまさに圧巻。ちょっと窮屈そうなぐらいです。仏さま、わざわざ東京にまで来ていただいたのに、狭い思いをさせてすいません。

展示室はコの字型になっていて、まず石山寺の焼失した旧本尊の御前立尊と伝えられる「如意輪観音半跏像」や、インドのシヴァ神の化身である戦闘神のイメージを反映した“武装大黒天”の最古の作例とされる明寿院の「大黒天半跏像」(展示は10/28まで)などが並びます。

「十一面観音立像」(重要文化財)
平安時代 飯道寺蔵

「千手観音立像」(重要文化財)
平安時代 葛川明王院蔵

近江の仏像といえば、白洲正子や井上靖らの著作でも紹介された近江の観音信仰による十一面観音菩薩像が有名ですが、本展ではそうした仏像の中から4体の十一面観音立像が展示されています。いずれも一本造りの素朴な雰囲気の仏像で、ふっくらとした柔和な顔立ちが印象的です。やはりこうした地元に根付いた仏像は現地で観ることができれば最高でしょうね。

その隣には、葛川明王院の「千手観音立像」が。面差しは穏やかで、体躯は量感豊か。都風の洗練された千手観音像とは少し違って、優美さの中にも親しみやすさを感じる仏像でした。

栄快 「地蔵菩薩立像」(重要文化財)
鎌倉時代 延長6年(1254年) 長命寺蔵

本展での一番の(個人的な)オススメがこの栄快の「地蔵菩薩立像」。表情は厳しいながらも凛としていて、また衣文も柔らかく写実的で、全体的にスマートで美しい地蔵菩薩です。放射光背や左手にのせた水晶の宝珠も造像当時のものとのこと。栄快の詳細は不明ですが、快慶の弟子筋にあたる慶派仏師の一人と考えられていて、東大寺でも地蔵菩薩立像を造像していることが記録から分かっていますが、現存するものは本像のみということでした。

「薬師如来坐像」(重要文化財)
鎌倉時代 西教寺 (展示は10/28まで)

大津・西教寺の秘仏とされる「薬師如来坐像」も本展の見ものの一つ。もともとは白河天皇が建立した京都の法勝寺に祀られていたものと伝えられているそうで、鎌倉時代初期の慶派仏師の手になる作品と考えられていて、運慶あるいはその周辺で造られた可能性が指摘されています。安定感のあるしっかりとした体躯の坐像に、厳かな面差しと流麗な衣文線。静かで落ち着いた中にも深みを感じさせる仏像です。

快慶 「大日如来坐像」(重要文化財)
鎌倉時代 石山寺蔵

石山寺の多宝塔の本尊として安置されている「大日如来坐像」は快慶初期の作例とのこと。均整のとれた美しいプロポーション、細部まで行き届いた造形美、高く結い上げた印象的な宝髻と肩にかかった髪。さすが快慶と思わずにはいられない見事な仏像です。

「女神坐像」(重要文化財)
平安時代 建部大社蔵

<展示室5>には、男神像と女神像が展示されています。神像は神道における“神”をかたどったもの。「女神坐像」は古代の神というより、まるで貴族の女性の姿のようで、着物の袖で口を隠す様子に女性らしい上品さが感じられます。

土佐光茂 「桑実寺縁起」(重要文化財)
室町時代 桑実寺像

同じスペースには、天智天皇の第四皇女・阿閇姫(のちの元明天皇)の病気平癒を祈願して建立したと伝えられる桑実寺の起源や霊験を表した絵巻「桑実寺縁起」と、県指定文化財の「紺神金字妙法蓮華経」も展示されています。

「如意輪観音像」(重要文化財)
鎌倉時代 法蔵寺蔵 (展示は9/30まで)

<展示室7>は、仏教画や垂迹画など全39幅が三期に分けて展示されます。ということは1回観に行っただけでは13幅しか観られないんですね…。自分が伺った前期展示(9/30まで)の中では、聖衆来迎寺の「六道絵」(畜生道図)や法蔵寺の「如意輪観音像」、園城寺の「多聞天像」、浄厳院の「阿弥陀聖衆来迎図」が特に印象に残りました。

とりわけ国宝「六道絵」の内の「畜生道図」には、こき使われる牛馬や鵜飼、闘鶏など畜生たちの苦しみが描かれていて、猟師が猪を追い、猪は蛇を捕え、蛇は蛙を押さえ、猟師の背後に鬼が忍び寄るといった描写には、人間も償いや感謝の気持ちを忘れると畜生に落ちるぞと戒めているようです。「六道絵」は全15幅からなり、本展ではその内の「畜生道図」「譬喩経説話図」「等活地獄図」の3幅が三期に分けて展示されます。これだけでもかなりの見ものです。

地味とはいえ、近江仏や仏教絵画の優品が揃っており、展示替えのことを考えると、一回だけでは観たりない感があり、また足を運びたいと思います。


【琵琶湖をめぐる近江路の神と仏 名宝展】
2012年11月25日(日)まで
三井記念美術館にて


十一面観音巡礼 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)十一面観音巡礼 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)


白洲正子 十一面観音の旅 近江・若狭路篇 (太陽の地図帖) (別冊太陽 太陽の地図帖 4)白洲正子 十一面観音の旅 近江・若狭路篇 (太陽の地図帖) (別冊太陽 太陽の地図帖 4)


近江のかくれ里: 白洲正子の世界を旅する近江のかくれ里: 白洲正子の世界を旅する


星と祭〈上〉 (角川文庫)星と祭〈上〉 (角川文庫)

2012/09/19

平家物語画帖

根津美術館で開催中の『平家物語画帖 -諸行無常のミニアチュール』展に行ってきました。

『平家物語』を120図の扇形の紙に絵画化した「平家物語画帖」は上中下の3帖からなり、本展では前後期に分け、全場面を展示します。

岩波文庫版の『平家物語』を全巻読破し、低視聴率と画面の汚さで話題の大河ドラマだって毎週欠かさず見ている自称・平家物語ファン(?)のわたしですから、これを見ずしてどうするのでしょう(笑)。ということで、早速伺ってまいりました。

『平家物語』または平家一門の栄枯盛衰を絵画化した作品は、「平家物語絵巻」や今年東京国立博物館などで公開された「平治物語絵巻」を出すまでもなく数多く存在し、それらは“平家絵”というジャンルでくくられるのだそうです。平安時代に書かれた『源氏物語』の“源氏絵”や同じく『伊勢物語』の“伊勢絵”が、物語成立後ほどなくして絵画化されたのとは異なり、“平家絵”は中世にさかのぼる遺品は稀で、大半は近世以降の作品とのことでした。この「平家物語画帖」も17世紀の作と考えられています。

「平家物語画帖」(根津本)は縦17cm、横26.7cmの折帖に、扇面画が貼り込まれたもの。扇面は、上弦(上側の曲面)約24.5cm、下弦(下側の曲面)約11cmで、通常の扇のサイズの約半分程度と小ぶりです。詞書と扇絵が交互に連続していて、一種の絵巻のような形態になっています。台紙には金の切箔を散らしてあって、金泥の霞が引かれ、さらに松や竹、山桜、また杜若や菊などの花木が下絵に描かれています。

巻第六 「小督の事」
江戸時代(17世紀) 根津美術館蔵 (展示は9/30まで)

扇絵も金泥・銀泥、また金砂子がふんだんに使われ、とても装飾的で、非常に贅沢な作りになっています。線描は丁寧で美しく、彩色も鮮やか。人物の顔にも大和絵特有の上品さが漂っています。『平家物語』というと、非道なストーリー展開や血なまぐさい合戦も多いのですが、そうした凄惨さは全くありません。恐らくは嫁入り道具のように大名など特権階級からの需要により制作されたものではないかということでした。

巻第九 「宇治川先陣の事」
江戸時代(17世紀) 根津美術館蔵

作者は土佐派を代表する絵師・土佐光起の長子・土佐光成筆と伝えられているそうですが、はっきりと断定はされていないようです。根津本とほぼ同じ図柄の同一工房の作と思われる扇面画の平家絵が複数存在することが分かっていて、何れにしても土佐派の系統に連なる絵師グループによるものだろう考えられているそうです。

巻第九 「敦盛最期の事」
江戸時代(17世紀) 根津美術館蔵 (展示は9/30まで)

諸本によっても異なりますが、『平家物語』は全190段以上あり、「平家物語画帖」(根津本)はその中から120のエピソードをピックアップしています。ただし、小督が清盛から逃げるように嵯峨野に隠れ潜むという有名な「小督の事」の次の扇絵が、いきなり清盛の葬送の夜の場面になっているなど、「入道死去」やまた「奈良炎上」といった重要な場面がいくつか欠落していることも指摘されています。

この『平家物語』の長大さや人間関係の複雑さは、昔の人にとってもとっつきにくかったのかもしれません。「平家物語画帖」はそうした『平家物語』を手軽に楽しむためのアイテムとして恐らくは作られたのでしょう。会場では、各挿話ごとにストーリーが簡単に紹介されていて、『平家物語』を読んだことのない人や詳しく知らない人でも、絵を見ているだけでその世界に耽ることができるようになっています。

巻第十一 「先帝ご入水の事」(部分)
江戸時代(17世紀) 根津美術館蔵 (展示は10/2から)

本展には、「平家物語画帖」以外にも関連の作品が展示されています。

入口を入ったところに展示されていたのが「源平合戦図屏風」。6曲1双の屏風で、保元物語と平治物語に取材したもの。非常に丁寧な作りで、見事な屏風絵でした。展示されていたのは左隻のみで、これとは別の右隻には瀬戸内での合戦が描かれているとのこと。できればそちらも拝見してみたかったです。

『平家物語』の読み本系のルーツ本のひとつ、「長門本」や、平家納経の流出物の一部である「厳島切(無量義経断簡)」など貴重な作品も展示されています。今年、東京国立近代美術館で開催された『吉川霊華展』で引き合いに出されていた復古大和絵の絵師・冷泉為恭の作品も展示されていました。

大河ドラマの『平清盛』もいよいよ終末に向けてラストスパートです。ドラマの予習・復習にもちょうど良い企画展ですので、是非この機会に足を運んでみてはいかがでしょうか。扇面画に描かれている絵は少し小さめで細密なので、単眼鏡などがあるとより楽しめると思います。


【平家物語画帖-諸行無常のミニアチュール】
2012年10月21日(日)まで
根津美術館にて

1日で読める平家物語1日で読める平家物語

2012/09/15

二条城展

江戸東京博物館で開催中の『二条城展』に行ってきました。

京都の二条城には2度ほど行っているのですが、国宝の二の丸御殿は広間や書院の内部には足を踏み入れられず廊下から見るようになっていて、室内の襖絵など障壁画も少し遠目に見る感じ。7年前に展示・収蔵館ができたそうで(自分が行った頃はまだなかった)、二条城内の襖絵など障壁画は保存のために徐々に模写絵に置き換え、現物は展示・収蔵館で展示するようにしているのだそうです。

自分が二条城に行ったとき(10年近く前)はまだ重要文化財の襖絵など障壁画がそのまま二の丸御殿の中にあって、室内は照明もなく暗かったとはいえ、こんな埃や外気にさらされたところに置いて劣化はしないのだろうかと心配になったのですが、保存に向けた作業もちゃんとされているようで少し安心しました。ただ、襖絵や障壁画はその室内にあってこそ、本来の意味や姿が分かるので、それはそれで難しいところもあります。ともかく今回は、こうして東京でまとめて観られるというまたとないチャンス。早速伺ってまいりました。

会場の構成は以下の通りです。

第1章 二条城創建-今日に響く徳川の天下
第2章 二条城大改築-東福門院和子の入内と寛永の行幸
第3章 寛永障壁画の輝き-日本絵画史最大の画派、狩野派の粋
第4章 激動の幕末-大政奉還の舞台として
第5章 離宮時代-可憐なる宮廷文化の移植
第6章 世界遺産二条城-文化財を守る・伝える

「東照大権現霊夢像 元和九年」
元和9年(1623年) 徳川記念財団蔵
(展示は8/26まで)

まずは二条城創建の歴史から。二条城は、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営したもので、大坂の役では本陣としても使われます。その後、三代将軍家光により城の拡張・殿舎の整備が行われ、1626年(寛永3年)に二の丸に加え、本丸・天守が完成します(天守・本丸はその後焼失。現在の本丸御殿は明治時代に建てられたもの)。

ここでは、創建当時の瓦や唐門の欄間、家康の御影や二条城の大工頭・中井正清像、また当時の京の様子を描いた洛中洛外図屏風などが展示されています。

「東福門院和子像」
江戸時代 京都・光雲寺蔵

東福門院(和子)は二代将軍・秀忠の娘で、母はお江与の方(お江)。祖父は家康、母・お江与の伯父は信長というすごい血筋。政略結婚により後水尾天皇の中宮となりますが、このへんは昨年の大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』や宮尾登美子の小説『東福門院和子の涙』なんかでも有名ですね。

「東福門院入内図屏風」(重要文化財)
江戸時代・17世紀 三井記念美術館蔵

二条城が現在の規模になったのは、和子の入内と後水尾天皇の行幸に向けての拡張工事ということで、東福門院ゆかりの品々、後水尾天皇像や徳川秀忠像、また二の丸御殿や天守の絵図、城内図などが展示されています。

途中、変な音がするなと思ったら、二の丸御殿の“うぐいす張りの廊下”の床板を踏んだときの音が流れていました。

狩野甚之丞 「二の丸御殿 遠侍二の間 竹林群虎図」(重要文化財)
寛永3年(1626年) 二条城(京都市)蔵

つづいては本展一番の見もの、障壁画のコーナー。御用絵師集団・狩野派による“金碧障壁画・空間演出プロジェクト”で当時の城郭建築とともに現存する最大級のものがこの二条城・二の丸御殿。すぐ隣の天守や本丸が焼失にあった中、この二の丸だけが今も残っているというのはまさに奇跡なわけです。二条城には約3000面の障壁画があるとされ、その内の1016面が重要文化財に指定されているそうです。

狩野甚之丞 「二の丸御殿 遠侍勅使の間(下段) 檜図」(重要文化財)
寛永3年(1626年) 二条城(京都市)蔵

“遠侍(とおさぶらい)”は訪問者が最初に通される部屋で、御殿西側の一の間から三の間は通称“虎の間”といわれ、大名など武家用の控えの間。訪れる人を威圧するため、周囲には睨みを利かした虎の絵が描かれています。「竹林群虎図」には雌雄の虎が描かれていますが、雌虎の模様が虎っぽくないと思ったら、当時の日本では豹が雌の虎と考えられていたそうです。

一方、東側の“遠侍勅使の間”は将軍が朝廷からの使者を迎える部屋。勅使が通される部屋は、虎の猛々しい絵とは異なり、若松や青楓、芙蓉など初夏の花木図で飾られているそうです。「檜図」は永徳の甥・甚之丞の作とされていますが、その画風から永徳の末弟・長信の作ではないかという説があると解説にありました。

狩野山楽または探幽 「二の丸御殿 大広間四の間 松鷹図」(重要文化財)
寛永3年(1626年) 二条城(京都市)蔵

“式台”の次は“大広間”。松や鷲鷹、孔雀などが描かれ、将軍の威厳が感じられる部屋です。二条城に行くと、15代将軍慶喜が大政奉還を発表した一の間(48畳!)には慶喜や諸藩の重臣らを再現した人形が置かれ、幕府が幕を閉じた瞬間を感じることができます。出展されている「松鷹図」は将軍上洛のときの武器を収めた四の間に飾られている4面の大きな襖絵で、永徳ばりの堂々とした松に勇壮な鷹が描かれています。“大広間”の障壁画は探幽によるものとされていますが、この「松鷹図」はその画風から永徳の門人で、探幽らが江戸に移ったあとも京に残った山楽によるものともいわれています。

狩野尚信 「二の丸御殿 黒書院四の間 菊図」(重要文化財)
寛永3年(1626年) 二条城(京都市)蔵

“黒書院”は将軍が親藩や譜代大名らと内々に対面した部屋。尚信は探幽の5歳下の弟で、後の木挽町狩野派の祖といわれる人。天才肌の探幽の影に隠れがちですが、二の丸御殿の障壁画プロジェクトに取り掛かっているときはまだ10代というのに、これだけの作品を描いていたのですから、さすが狩野派です。

このコーナーにはほかに、将軍の寝室の“白書院”の襖絵や天井画、同じく狩野派御用絵師集団の手による名古屋城の「帝鑑図」や探幽の「鷹図」、また探幽ら狩野派のほか長谷川派や海北派らの絵師による合作「帝鑑図押絵貼屏風」という珍しい作品もありました。

邨田丹陵 「大政奉還 下図」
20世紀 明治神宮蔵

最後はいきなり幕末のコーナー。家光が上洛した以後、将軍の入城は途絶えていたそうなのですが、14代将軍家茂が230年ぶりに上洛してから二条城は再び歴史の表舞台に登場します。大坂で客死した家茂に代わって将軍職に就いた慶喜は、ここ二条城で40藩の重臣を集め大政奉還を宣言します。歴史の教科書で誰もが一度は見たことはある邨田丹陵の「大政奉還」の下図が展示されていて、そばには慶喜が一橋家に宛てた「大政奉還上意書」も展示されていました。

ここにはほかに、 徳川家茂像や徳川慶喜像、また二条城の貴重な古写真、江戸の町火消で、慶喜上洛の際に禁裏御守衛総督として随行した新門辰五郎の遺品などが展示されていました。

江戸幕府の幕開けから終焉までを見続けた国宝・二条城。狩野派による障壁画の主要な作品から江戸幕府ゆかりの品々まで、美術ファンのみならず歴史ファンも満足の展覧会だと思います。


【江戸東京博物館 開館20周年記念 二条城展】
江戸東京博物館1階展示室にて
2012年9月23日(日)まで


二条城を極める二条城を極める


狩野派決定版 (別冊太陽―日本のこころ)狩野派決定版 (別冊太陽―日本のこころ)


もっと知りたい狩野派―探幽と江戸狩野派 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたい狩野派―探幽と江戸狩野派 (アート・ビギナーズ・コレクション)


すぐわかる寺院別障壁画の見かたすぐわかる寺院別障壁画の見かた

2012/09/02

ドビュッシー、音楽と美術

ブリヂストン美術館で開催中の『ドビュッシー、音楽と美術』展に行ってきました。

伺った日(8月22日)はちょうどドビュッシーの生誕150年目の誕生日ということで、記念の特別内覧会があり、そちらに参加させていただきました。

チェリストの新倉瞳さんによるミニライブやお誕生日ケーキを交えてのささやかなお誕生会などもあって、会場はお祝いムードいっぱい。

さて、本展はその名のとおり、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したフランスを代表する作曲家クロード・ドビュッシーと印象派や象徴派、さらにはジャポニスム等の関係にスポットをあて、19世紀フランス美術の新たな魅力を紹介する展覧会です。ブリヂストン美術館をはじめ、オルセー美術館やオランジュリー美術館の所蔵作品を中心に、約150点の作品で構成されています。

会場にはドビュッシーの音楽が流れていて、展覧会場というよりサロンのよう。音楽を聴きながら絵画を観るというのも、ちょっと優雅な気分になります。


第1章 ドビュッシー、音楽と美術

「私は音楽と同じくらい絵が好き」と語っていたドビュッシーは、視覚芸術を自らの作品の重要な着想源としていたそうです。若い頃から、ドガやホイッスラー、ターナー、ルドン、また彫刻家のカミーユ・クローデルらの作品に関心を持っていたのだとか。(会場の解説パネルにドビュッシーがボードレールとターナーに「頻繁に会っていた」とあったのですが、ターナーはドビュッシーの生前に、ボードレールは幼少の頃に既に亡くなっているので、これは誤記だと思われます。)

マルセル・バシェ 「クロード・ドビュッシーの肖像」
1885年 オルセー美術館所蔵

バシェによる肖像画は、かつてのフランスの紙幣に使われたこともある有名な作品。ドビュッシーは1884年(22歳)にフランスの作曲家の登竜門といわれる“ローマ賞”を受賞し、ローマへ留学しますが、本作はそのときに描かれた作品だそうです。


第2章 《選ばれし乙女》の時代

ドビュッシーはイギリスのロセッティの詩『祝福されし乙女』に共感して「選ばれた乙女(選ばれし乙女)」(1887-88年)を作曲します。ここではドビュッシーも触発されたラファエル前派の作品やフランスの象徴主義を代表するナビ派の作品などを展示しています。

[写真左] エドワード・バーン=ジョーンズ 「王女サプラ」
1865年 オルセー美術館
[写真右] モーリス・ドニ 「ミューズたち」
1893年 オルセー美術館

「選ばれた乙女」の豪華版楽譜はドニの挿絵(リトグラフ)つきのもの。ラファエル前派のような神秘的な女性像が印象的です。ここで展示されていたドニの「ミューズたち」(上の写真)と「木々の下の人の行列(緑の木々)」はどこかで観たことあるなと思ったら、おととしのオルセー美術館展(国立新美術館)にも来日していたものでした。本展はドニの作品がことのほか充実しています。

クロード・ドビュッシー/モーリス・ドニ 「選ばれし乙女」
1893年 個人蔵

「選ばれた乙女」に感動したルドンはドビュッシーに自らの作品を贈ったというエピソードが紹介されていました。これに感激したドビュッシーはルドンにお礼の手紙と楽譜を送ったそうです。


第3章 美術愛好家との交流―ルロール、ショーソン、フォンテーヌ

通路を挟んだ第2室に向かうと、まず目に飛び込んでくるのが、ルノワールの「ピアノに向かうイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロール」。ルロール姉妹の父・画家のアンリ・ルロールがドビュッシーのパトロンで、親戚の作曲家エルネスト・ショーソンや高級官僚アルチュール・フォンテーヌらとともにドビュッシーを庇護したといいます。


ドガによるルロール姉妹の絵やヴュイヤールによるアルチュール・フォンテーヌの肖像画、また彼らに囲まれピアノを弾くドビュッシーの絵なども展示されていて、ルロール家やショーソン家が一種の文芸サロンのような役割を果たし、多くの文化人や音楽家、芸術家たちがそこで交流していたことが窺い知れます。

エドガー・ドガ 「踊りの稽古場にて」
1895-98年 ブリヂストン美術館蔵

エルネスト・ショーソンはドビュッシーの7歳年上の先輩作曲家で、その邸宅はドニによる装飾が施され、ドガのパステル画やマネ、コロー、ゴーガンなどの油彩画、ルドンの版画集、また日本の浮世絵などがあり、ドビュッシーは多大な芸術的刺激を受けたようです。

ジャック=エミール・ブランシュ 「クロード・ドビュッシーの肖像」
1902年 個人蔵

ドビュッシー40歳の頃の肖像画。若い頃のドビュッシーと違って、作曲家として名声を得た頃のものなので、少し偉そうな感じがします(笑)。ドビュッシーの彫像やマスク(デスマスク?)も展示されていました。


第4章 アール・ヌーヴォーとジャポニスム

同じ第2室には、ドビュッシーの作品にも影響を与えたというアール・ヌーヴォーや、またドビュッシーをも虜にし蒐集までしていたというジャポニスムの作品が展示されてます。


≪アール・ヌーヴォーとジャポニスム≫は部屋が第2室と第5室に分かれていて、第2室にはドニの作品やカミーユ・クローデルの彫刻、ガレの花瓶や壺が、第5室にはゴーガンやホイッスラーの作品やドビュッシーの愛蔵品のカエルの文鎮などもありました。第2室に展示されていたクローデルの傑作「ワルツ」は必見です。


ドビュッシーは中国や日本の美術に見られる省略的な表現方法、繊細な色調、洗練された技法を愛したといいます。そうしたイメージは「版画」「塔」「映像」などのピアノ作品に影響を与えているそうです。

クロード・ドビュッシー 「海-3つの交響的スケッチ」
1905年 個人蔵

ご存知葛飾北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を拝借した楽譜の表紙。ドビュッシーの「海」(1903-05年)を聴いても、あまり日本的な光景は頭に浮かびませんが、ドビュッシー的にはイメージされたものがあったんでしょうね。さしずめ“波の戯れ”といったところでしょうか。


第5章 古代への回帰

ドビュッシーは、マラルメの詩『牧神の午後』に感銘を受け、「牧神の午後への前奏曲」(1891-94年)を発表します(展示会場のキャプションと作品リストが「牧神の午後への序曲」と誤植になっていたのが残念)。1912年に「牧神の午後への前奏曲」はニジンスキーの振り付けにより上演され、大成功を収めます。ここでは、アドルフ・ド・メイヤーによるニジンスキーらの舞台写真や、ギリシャ神話のサテュロスを描いた紀元前の壺など、ドビュッシーが深い関心を寄せた古代美術に触れた作品を展示しています。


第6章 《ペレアスとメリザンド》
第7章 《聖セバスチャンの殉教》 《遊戯》

6章、7章はドビュッシーの劇場作品にスポットを当てています。「ペレアスとメリザンド」(1893-95年/1901-02年)はドビュッシー唯一の歌劇。この歌劇は国内外で成功を収め、その後も繰り返し舞台化されたそうです。「ペレアスとメリザンド」の成功により、ドビュッシーは劇音楽の制作にも力を入れ、音楽劇「聖セバスチャンの殉教」(1911年)とバレエ音楽「遊戯」(1912年)を発表します。しかし、こちらは興行的には成功しなかったようです。ここではドビュッシーの直筆楽譜や、それら作品の舞台装飾や衣装デザイン、また関連の作品などを展示しています。

[写真右] モーリス・ドニ 「イヴォンヌ・ルロールの3つの肖像」
1897年 オルセー美術館蔵


第8章 美術と文学と音楽の親和性

ドビュッシーと美術や文学との関係は多く言及されるところですが、ここではヴェルレーヌやマレルメの肖像画、またルドンの作品などを展示しています。

[写真右] オディロン・ルドン 「神秘の語らい」
[写真左] オディロン・ルドン 「供物」
ブリヂストン美術館蔵

このコーナーではルドンの作品が印象的でした。いずれも小品ですが、ルドンらしくて素晴らしい作品です。ルドンはほかに版画の「夢想」と「幽霊屋敷」が出展されていました。


第9章 霊感源としての自然―ノクターン、海景、風景

「海」や「月の光」、「夜想曲」、「喜びの島」等々、ドビュッシーの音楽には自然を主題にしたものが多くあります。ドビュッシーの音楽は“印象主義音楽”と評され、自然を自由に翻案したものとして印象派の絵画と比較されてもきました。ここではコローやマネ、モネによる海景をはじめとする自然を主題とした作品が展示されています。


ここで一際目を惹くのが、ウィンスロ・ホーマーの「夏の夜」(上の写真の一番左)。月明かりに照らされた海辺で踊る二人の女性。月光が反射しきらきら光る海の美しさ。うっとりするようなロマンティックな一枚です。モネのブリヂストン美術館所蔵の「雨のベリール」とオルセー美術館所蔵の「嵐、ベリール」(上の写真の左から2つ目)を比較して観ることができたのも面白かったです。


第10章 新しい世界

ドビュッシーの前衛的な音楽手法は時代を先んじていて、音楽界を混乱させたが、これはフォーヴィスムの冒険と比較されるかもしれない、ということが会場の解説に書かれていました。最後のコーナーには主に20世紀初頭のクレーやモンドリアン、またカンディンスキーらの作品が展示されています。



美術と音楽のコラボレーションというユニークな切り口の本展。ブリヂストン美術館らしい企画力で面白く拝見することができました。ブリヂストン美術館の充実したコレクションだけでなく、オルセー美術館やオランジュリー美術館から作品を借り受けていることで、印象派や象徴派の逸品がずらりと揃い、なかなか見応えのある展覧会だったと思います。


※会場内の写真は主催者の許可を得て撮影したものです。


ブリヂストン美術館開館60周年記念
オルセー美術館、オランジュリー美術館共同企画
【ドビュッシー、音楽と美術】

期間:2012年7月14日(土)~10月14日(日)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館)
開館時間:10:00~18:00(祝日を除く金曜日は20:00まで)
会場:ブリヂストン美術館
http://www.bridgestone-museum.gr.jp/

主催:オルセー美術館、オランジュリー美術館、石橋財団ブリヂストン美術館、 日本経済新聞社
後援:フランス大使館
協賛:NEC、大日本印刷、東レ、みずほ銀行
協力:日本航空








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