2010/07/25

マン・レイ展 知られざる創作の秘密

にぎわう『オルセー美術館展』を横目に、同じ国立新美術館で開催中の『マン・レイ展 知られざる創作の秘密』も拝見しました。どちらかというと、こちらが目的だったりして。

ちょうど行った日は、『マン・レイ展』が開幕して2日目、平日ということもあり、館内はガラガラでした。オルセーの異常な熱狂ぶりとは大違いです。

高校生の頃、初めて手にした写真集というのが実はマン・レイでした。写真集というより、ただのポケットブックだったので、たいしたものではありませんが、現代アートに少し興味を持ち始めた自分にとって、いかにもアートアートしたマン・レイの写真集は、“アートかぶれしてるんだ”的な高揚感を当時の自分に与えてくれたんだと思います。青いですね。

といっても、マン・レイについて詳しく何かを知ってるわけではありません。写真を初めてアートの領域に高めた人で、ときどきオブジェを作って、ときどきデュシャンと組んで、といった程度の知識です。

今回の『マン・レイ展』は、<創作の秘密>というサブタイトルが付いているぐらいだから、マン・レイの知られざる一面が紹介されているのかと思いきや、マン・レイの創作活動の変遷を整理し、その創作(実験)の裏側にもスポットを当て、さらに年代順にその歩みを紹介するという、回顧展と言ってもいいような内容でした。2007年からヨーロッパ各地で開催された展覧会であり、一部を除き、マン・レイ財団所蔵の作品で占められているということからも、マン・レイの全貌を知るには格好の展覧会だと思います。

マン・レイ「黒と白」

さて、会場は、年代ごと、また活動の拠点ごとに4つのブロックに分けられています。

まず、画家としてスタートし、自分の絵を記録するためにカメラを使い始めるものの、やがて収入を得るために止むを得ず職業カメラマンとして活動をはじめたニューヨーク時代(New York 1890-1921)。そして、パリに移り住み、ポートレートやファッション写真で成功を収め、シュールレアリストたちと交流し、マン・レイが“アーティスト”として開花したパリ時代(Paris 1921-1940)。戦火を避けてアメリカに戻り、ハリウッドを中心に活動するも不遇の時期を過ごすロス時代(Los Angeles 1940-1951)。そして、再びパリに戻り、アトリエを構えて、精力的に創作活動に励んだ復活のパリ時代(Paris 1950-1976)。それぞれの時代にマン・レイがどのような人たちと交流し、どのようなアイディアを持って、どのような作品を残したか、とても整理され、わかりやすい展示になっていたと思います。

マン・レイ「花を持つジュリエット」

マン・レイは、ただ自分のイメージを芸術作品として淡々と仕立て上げる、または感覚的に仕上げるタイプの芸術家ではなく、常にさまざまなアイディアといくつもの実験と、そこに若干の偶然も加わって、自分のイメージを芸術の領域まで高めていった努力の人のようです。常に次のアイディアへ次のアイディアへと発想を巡らし、それらを実現させるためにたくさんの努力を重ね、そのプロセスを何度も繰り返し、その結果がマン・レイ作品を代表する“ソラリゼーション”や“レイヨグラフ”、また“色彩定着技法”につながったのではないでしょうか。“ソラリゼーション”も“レイヨグラフ”も、暗室で偶然見つけたような紹介がされていましたが、自分の作品を記録するためにカメラを持ち始めたように、自分の作品やアイディアをインデックス・カードに記録していたように、自分のイメージやアイディアを確実に作品に仕立て上げるべく、相当の試行錯誤と努力を重ねていたのは事実です。マン・レイの作品は実はそうした努力の産物だったんではないかと思いました。

「わたしは謎だ」というマン・レイの有名な言葉があるとおり、確かにマン・レイを説明するのは簡単なことではありませんし、自分も彼がどんな人なのか説明できる自信はありませんが、 今回の展覧会は、そんな謎だらけのマン・レイを少しだけ理解できたような気がします。


【マン・レイ展 知られざる創作の秘密】
国立新美術館にて
2010年9月13日(月)まで

マン・レイ自伝 セルフ・ポートレイト
マン・レイ自伝 セルフ・ポートレイト

オルセー美術館展2010 - ポスト印象派

国立新美術館で開催中の『オルセー美術館展2010 - ポスト印象派』に行ってきました。

開催から2ヶ月を待たずして、すでに入場者が40万人を突破したという人気ぶり。ということはその混雑ぶりもスゴいのですが、平日でも20~30分待ちはザラということで、開場30分前に国立新美術館へ到着。

オルセーの会場は2階なので、エスカレーターでスーッと上がると、アレ?行列がない。。。30分前に来る人はいないのかな?と思ったら、違いました。連日の混雑のため、開場を30分早めていたようです。人混みの中で鑑賞することを予想していただけに、これ幸い、ゆっくりとオルセーの名画を堪能することができました。早起きは三文の徳ですね。

さて、今回のテーマは“ポスト印象派”。印象派がもたらした絵画の刷新を、その後の画家たちはどう継承し、どう否定し、どう変化させていったか。本展覧会では10ものパートに分けて、具体的に提示しています。

まずは、<第1章 1886年―最後の印象派>。1874年から始まった“印象派展”は1886年に早くも終わりを告げるのですが、ここでは、その転換期となった時期に描かれた印象派の作品が紹介されています。展示11点中5点がモネで、あとはベナール、ドガ、ピサロ等。それぞれ画家たちが自分たちの進むべき道を模索していたとはいえ、ここのコーナーはまだまだ“印象派”の色彩が濃厚です。

クロード・モネ「日傘の女性」

ポール・シニャック「井戸端の女たち」

つづいて、同じ“第8回印象派展”に登場した新世代のスーラとシニャックにスポットを当てた<第2章 スーラと新印象主義>。スーラとシニャックは、ご存知のように、印象派の“光”を科学的に捉え、独自の点描画法で有名ですが、このコーナーではその二人の絵を中心に、“新印象派”と呼ばれた画家たちの作品を紹介しています。自分が学生の頃、美術史の授業では“後期印象派”と教わりましたが、“後期印象派”って原語では“Post-impressionnisme”なんですね。そうすると、意味的には印象派の次の(あとの)流れということで、“ポスト印象派”という呼び名の方が正解なんでしょう。“後期印象派”と言われると、印象派の流れの中での後期の流派と思ってしまいます。確かにスーラやシニャックの絵を観ていると、ルノワールやモネら印象派の画家の作品と一緒にするのはどうかという気になります。

ポール・セザンヌ「水浴の男たち」

次は、<第3章 セザンヌとセザンヌ主義>。セザンヌといえば、“第一回印象派展”にも参加している印象派創生のメンバーの一人ですが、独自の画風を追求するために、早くにその流れから離脱した人でもあります。だから、本当は“ポスト印象派”とはちょっと違うんでしょうが、ゴーギャンやドニといった同時代の画家や、ピカソなど後のキュビズムやナビ派にも影響を与えたという観点で、“セザンヌ主義”として大きく取り上げられています。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック「黒いボアの女」

つづく<第4章>では、トゥールーズ=ロートレック、<第5章>では、ゴッホとゴーギャンというように、“ポスト印象派”を代表する画家が取り上げられています。トゥールーズ=ロートレックは3点だけの出展でしたが、ゴッホは7点、ゴーギャンは8点と数も多く、本展覧会の中でも一番広いスペースが割り当てられていて、見応え充分。中でも、ゴッホの「星降る夜」の前では、多くの人が立ち止まって鑑賞していました。写真で観るのと印象が異なり、星が正に降ってきそうな美しい星空に、夜風の涼しさ、波音の優しさが伝わってくるようで、とてもロマンチックで魅力的な作品でした。
フィンセント・ファン・ゴッホ「星降る夜」

ポール・ゴーギャン「《黄色いキリスト》のある自画像」

<第6章 ポン・タヴェン派>と<第7章 ナビ派>は、それぞれゴーギャンの影響を強く受けたベルナールやセリュジエ、ドニらの前衛的な画家たちの作品。ここまでくると、印象派の面影はかなり薄れますが、“ポスト印象派”という流れの中で、ゴーギャンを観て、そしてベルナールやナビ派の絵画を観ていくと、その系譜をよく理解できます。

モーリス・ドニ「木々の中の行列(緑の木立)」

オディロン・ルドン「キャリバンの眠り」

<第8章 内面への眼差し>は、さらに“ポスト印象派”という観点で象徴主義を紹介しています。なぜか、ハンマースホイも1点ありました。ハンマースホイが“ポスト印象派”と言われても、あまりピンときませんが、同時代の画家、また象徴主義の画家(ハンマースホイは“北欧象徴主義”の代表とされます)という接点で出展されたのでしょう。ルドンからハンマースホイまで、こうして観ると、象徴主義って、かなり幅があります。

ヴィルヘルム・ハンマースホイ「休息」

さあ、後半も残りわずかです。<第9章>は、アンリ・ルソーだけに一部屋あてがわれています。ルソーは2点だけですが、「戦争」と「蛇使い」という彼の代表作が来ています。ここに辿り着く前にすでにお腹いっぱい状態なのに、さらに大盛り飯が用意されていたという感じです。この2枚の絵だけでもお客さんを十分呼べると思うのですが、ゴッホにセザンヌ、ゴーギャン、どれだけオルセーの名品を観たことか…。あらためてこの展覧会の錚々たる、そして贅沢な出展作品の数々に驚愕します。

アンリ・ルソー「蛇使いの女」

最後は<第10章 装飾の勝利>。なにが勝利なのか、いまひとつ理解できませんでしたが、最後のコーナーでは、ボナールやヴュイヤールといったアール・ヌーヴォーな室内装飾画が飾られています。ポスト印象派が総合芸術として評価されるようになったことを言いたいんだと思いますが、ごめんなさい勉強不足でよく分かりませんでした。

とはいえ、“空前絶後”と宣伝されているように、これだけの名画が東京で観られるのは、正しく“空前絶後”であり、“奇跡”だと思います。ぼくみたいな庶民は、絵画が観たいからと言って、そうそう簡単にパリになんて行けませんから、まずは騙されたと思って観に行ってください。絵画の持つ力に圧倒されること必至です。

ギュスターヴ・モロー「オルフェウス」


【オルセー美術館展2010「ポスト印象派」】
国立新美術館にて
2010年8月16日(月)まで

オルセー美術館の名画101選--バルビゾン派から印象派 (アートセレクション) (小学館アート・セレクション)
オルセー美術館の名画101選--バルビゾン派から印象派 (アートセレクション) (小学館アート・セレクション)

印象派の誕生―マネとモネ (中公新書)
印象派の誕生―マネとモネ (中公新書)

Pen (ペン) 2010年 6/1号 [雑誌]
Pen (ペン) 2010年 6/1号 [雑誌]

2010/07/15

歌舞伎鑑賞教室「身替座禅」

歌舞伎座の“さよなら公演”も終わり、すっかり歌舞伎から足が遠のいていましたが、先日、久しぶりに歌舞伎を観て参りました。

といっても、『歌舞伎鑑賞教室』です。都内近郊の方なら、高校生の頃、一度は行ったことがあるかもしれませんが、国立劇場で、歌舞伎役者がいろいろ講釈たれて、歌舞伎を観るという退屈なアレです(笑)

かくいうわたくしも、高校生の頃、観に行き来ました。かなり前の席で観たのは憶えているのですが、友だちとのおしゃべりに夢中だったのか、はたまた寝ていたのか、誰が出て、何を観たか、まーったく憶えていません(汗)
あのとき、何十年か経って自分が、こんなに歌舞伎に夢中になるなどと、誰が想像したでしょうか。

観劇したのは土曜日だったのですが、『歌舞伎鑑賞教室』だけあって、1階席は女子高生や、イマドキっぽいチャラチャラした高校生がいっぱい。自分は2階席で観てましたが、まわりは外国人も多く、歌舞伎座の風景とは違ってて、ちょっと戸惑いました。でも、今の高校生はちゃんと静かに観てるんですね。昔は女形の役者さんに「オカマ」コールをしたりと、ひどい学校もあったと話には聞きますが、居眠りしてる子はちらほらいたものの、みんなマナーが良くて感心しました。

さて、『歌舞伎鑑賞教室』なので、まず最初に役者さんが出てきて、歌舞伎のことをいろいろ教えてくれる“歌舞伎のみかた”というのがあるのですが、今月の鑑賞教室は初の試みということで、大学生の中村壱太郎くんと高校2年の中村隼人くんという、 学生と同年代の10代の若い歌舞伎役者の2人が担当しています。いきなり『踊る大捜査線』の音楽に乗って、歌舞伎役者とは思えないカジュアルな格好をした可愛い顔の男子2人が客席から登場して来たもんだから、若い女子高生らはヤンヤヤンヤの大喝采。およそ『歌舞伎鑑賞教室』にはありえない光景です。

歌舞伎の舞台構造から、歌舞伎の歴史、能や狂言との関係など、たぶん年輩の歌舞伎役者が話をしたら眠くなりそうな話も、若い2人の楽しい会話で退屈な感じは全くありませんでした。ぼくも、こんな『歌舞伎鑑賞教室』で歌舞伎に触れていたら、もっと早い時期から歌舞伎に興味が湧いていたかもしれません。

少し休憩を挟んで、歌舞伎の人気舞踊『身替座禅』。お殿様が遊女と仲良くなって、遊びに行きたいんだけど、家には怖い“山の神”(妻)がいて、出かけるに出かけられません。そこで一晩お堂で座禅を組むと嘘を言い、家来の太郎冠者に身替りをさせて、お殿様は遊びにいく…というお話です。舞台の横には、なかなか聞き取れない常磐津や長唄の唄の文句が電光掲示板で表示されるという、初心者にはうれしいサービスも。ストーリーは分かりやすく、そばにいた外人さんもウケてました。

主役の右京は、隼人くんの父親である中村錦之助。妻役は、ベテランの坂東彦三郎。先ほどの壱太郎くんと隼人くんも女形で登場します。錦之助の右京は、変に自己流に流れず、錦之助らしい品の良さが出ていて、とても良かったです。“山の神”の彦三郎のあまりの恐ろしさには会場も大ウケでした。

最後にもう一度、隼人くんと壱太郎くんが舞台に登場し、『棒しばり』という舞踊の一部を踊りながら、幕となりました。若い人や初心者にも歌舞伎に興味を持ってもらえるようにと、いろいろ工夫をしてるんだなと、感じる鑑賞教室でした。

歌舞伎って、もともと庶民のためのエンターテイメントだから、実はストーリーは分かりやすいし、敷居も高くないし、全然高尚なものではないんです。『歌舞伎鑑賞教室』は、そんな「歌舞伎に興味はあるけど…」という人に幅広く観てもらうためのもの。さすが“国立”だけあって、リーズナブルな価格で観れますし、パンフレットはタダ。かつて『歌舞伎鑑賞教室』で退屈な思いをされた方も、もう一度ご覧になってはいかがでしょうか?


【7月歌舞伎鑑賞教室「身替座禅」】
7/24(土)まで
国立劇場大劇場にて