2013/08/21

つきしま かるかや -素朴表現の絵巻と説話画

日本民藝館にて開催の『つきしま かるかや -素朴表現の絵巻と説話画』展に行ってきました。

伺うのがすっかり遅くなってしまい、気づけば最終日。危うく見逃すところでした。

近年、稚拙な画ながらも、ユーモラスで愛らしい絵巻や説話画、いわゆる“素朴絵”が注目されているそうで、本展はその代表作品として知られる「かるかや」と「つきしま(築島物語絵巻)」を中心に、“素朴絵”の世界を紹介した展覧会です。

実のところ、日本民藝館には初めて足を運んだのですが、無名の職人による生活工芸品にある“美”を評価し、民芸運動を行っていた柳宗悦が建てたところだというのは初めて知りました。大学の頃、民俗学の授業でこの方の本を読まされたのを覚えてます。

そのため館内には、日本の陶器や、中国・朝鮮の陶磁器、柳宗悦と交流のあったバーナード・リーチや濱田庄司、棟方志功らの作品、また江戸時代の工芸品などが多く展示されています。

今回の特別展である『つきしま かるかや -素朴表現の絵巻と説話画』の展示作品は、建物自体が登録有形文化財という本館2階の大展示室(といってもたいして広くない)を中心に展示されていました。

「つきしま (築島物語絵巻)」 (一部)
室町時代・16世紀 日本民藝館蔵

ウワサの「つきしま」は初めて拝見しましたが、“ヘタウマ”(というよりヘタクソですが…)といいましょうか、脱力系といいましょうか、その素朴さ、おおらかさに思わず笑みがこぼれてしまいます。こういう絵巻を作れるのはある程度の階層の人なのでしょうが、それにしても絵のひどさは小学生レベル。色も多彩なので一応職業絵師かそれに近い人による作品なのかなとも思うのですが、一説によると、当時は書は能書家に依頼しても、絵は素人が描くこともあったともいいます。何とも憎めない“ゆるさ”に笑ってしまいますが、この「つきしま」は平清盛による福原遷都で港を作るための人柱伝説が話のもとになっていて、実はとても悲しい物語なのです。

 「絵入本 かるかや」 (一部)
室町時代・16世紀 サントリー美術館蔵

「かるかや」は昨年サントリー美術館で開催された『お伽草紙展』でも拝見し、個人的にもその絵のユニークさにすっかり魅了されました。落書きのような絵ですが、これも真面目なお話。でも、こうした“ヘタ”な絵が添えられていると、そこに揮毫されている書も“ヘタ”に見えてしまうから不思議なものです。

「浦島絵巻 [甲本]」 (一部)
室町時代・16世紀 日本民藝館蔵

同じく『お伽草紙展』に出展されていた「浦島絵巻」も展示されていました。

会場には、お伽草紙や説話を題材にした肉筆の彩色絵本である“奈良絵本”や簡易な彩色による墨摺り絵本の“丹緑本”なども多く展示されていました。“奈良絵本”は素朴絵とはいっても中にはかなりしっかりとした描写のものもあり、依頼者(購入者)や絵師のレベルの幅は広かったように思えます。

「曽我物語屏風」
江戸時代・17世紀 日本民藝館蔵

大展示室の一番奥に展示されていた6曲一隻の「曽我物語屏風」は一見それなりの屏風に見えるのですが、描写の甘さもさることながら、たなびく雲は後から描き足したような粗雑さだったり、左上の鶴もあまり綺麗とも言えず、かなりツッコミどころのある屏風でした。これも庶民向け(?)の屏風だったのでしょうか。気になるところです。

個人的には他に、「十王図屏風」(8曲一隻)や「大江山図屏風」(6曲一隻)、「藍染川絵巻」、「熊野比丘尼図」などに強い興味を覚えました。

「藍染川絵巻」 (一部)
室町時代・16世紀 日本民藝館蔵

美術館や博物館で観る絵巻や屏風などは、それなりに名のある絵師によるものだったり、美術史的に評価の高いものばかりですが、こうした庶民に伝わる“素朴絵”ももっと注目されても良いのにと感じます。美術史だけでなく、民俗学的にもいろいろと興味を掻きたてる展覧会でした。



【つきしま かるかや -素朴表現の絵巻と説話画】
日本民藝館にて
(会期終了)


日本の素朴絵日本の素朴絵


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2013/08/14

和様の書

トーハクで開催中の『和様の書』を観てきました。

一応書道初段の身とはいえ、草書になってしまうと何を書いてあるのか分からず、展覧会などでも“書”が登場すると「とりあえず観てます」風を装いながら足早に過ぎてしまうのが常でした。

本展も「“書”だし…」とパスしようと思っていたのですが、流れてくるツイートを見てると結構評判も良いようで、ちょっと覗くだけ覗いてこようと足を運んできました。

会場は5つの章で構成されています。
第1章 書の鑑賞
第2章 仮名の成立と三跡
第3章 信仰と書
第4章 高野切と古筆
第5章 世尊寺流と和様の展開

さて、会場に入ってすぐのところに、中国の“書”と日本の“書”の違いが具体的な例を挙げて解説されていました。日本の“書”、つまり和様の“書”は「筆がやや右に傾くような筆法で、転折の部分が比較的か軽く曲線的で、柔和で優美な書風」とありました。

文字を持っていなかった日本は、政治・宗教・文化などとともに中国から漢字を輸入し、やがてそこから日本固有の表音文字“かな”が生まれるわけですが、それはある意味、中国の影響から脱して日本独自の文化が築き上げられてきたことを意味しています。和様の“書”は、そうした文化の“和様化”の中で日本独特の繊細で典雅な“書”として発展していったというわけです。

織田信長筆 「書状(与一郎宛)」 (重要文化財)
安土桃山時代・天正5年(1577年) 永青文庫蔵 (展示は8/12まで)

最初に目を引くのが、天下人の書で、信長、秀吉、家康の書状が展示されていました。字に力強さのある信長、上手くはないけど人柄が伝わってくる秀吉、威厳と知性を感じる家康と三人三様なのが面白いところです。たまたま先月の『なんでも鑑定団』で信長、秀吉、家康の書状が登場して、ものすごい高値がついていましたが、特に信長の書状はほとんど存在せず(多くは右筆のため)、非常に貴重なのだそうです。

書:近衛信尹 画:長谷川等伯 「檜原図屏風」
安土桃山~江戸時代・16~17世紀 京都・禅林寺蔵 (展示は8/6~8/25)

「檜原図屏風」は『長谷川等伯展』にも出展されていましたが、等伯の「松林図屏風」を彷彿とさせる逸品です。新古今和歌集の「はつせやま ゆうごえくれて やどとへば みわのひばらに あきかぜぞふく」の和歌を書きつけたものですが、「みわのひばらに(三輪の檜原)」の部分は敢えて書ではなく絵で表しています。その構成のセンスもさることながら、闊達な大書と深閑とした檜原の空間のバランスが絶妙です。

そのほか第1章では、≪工芸と装丁≫として主に平安時代の冊子や巻物、また工芸品などに揮毫された“書”や、≪茶の湯と三色紙≫として安土桃山時代以降に茶の湯の席で使用された寸松庵色紙や継色紙などの古筆切、また≪四大手鑑≫として、古筆の断簡(古筆切)を貼り込み、古筆の鑑定や能書の鑑賞として使われた“手鑑”で国宝に指定されている「藻塩草」「翰墨城」「見努世友」「大手鏡」全てが期間中に展示されていて、これはかなりの見ものだと思います(「藻塩草」「翰墨城」は8/12までの展示、8/13以降は「見努世友」「大手鏡」が展示)。

藤原行成筆 「白氏詩巻」 (国宝)
平安時代・寛仁2年(1018年) 東京国立博物館蔵

第2章では、万葉仮名が草書体化し発展した平仮名(女手)の成立過程と、それを語る上で外せない“三跡”と呼ばれる平安時代の代表的な能筆家、小野道風、藤原佐理、藤原行成の“書”が展示されています。

個人的に一番面白かったのは、小野道風の「三体白氏詩巻」(展示は8/12まで)で、白居易(白楽天)の詩を楷書・行書・草書の三体で書いていて、書道の大家といわれる道風の書の違いをよく観察できます。白居易の詩は人気があったようで、藤原行成も行書体で揮毫したものが展示されていました(上の写真)。

ここでの見もののひとつは、昨年京都で発掘された9世紀中頃の「墨書土器」で、平仮名の成立起源を探る上で非常に貴重な遺物とされています。また、先ごろ世界記憶遺産に指定されニュースになった藤原道長の「御堂関白記」も展示されています。

「竹生島経」 (国宝)
平安時代・10世紀後半~11世紀初 東京国立博物館蔵

第3章では、いつ見ても豪華な「平家納経」をはじめ、「竹生島経」や「久能寺経」といった平安時代の貴族文化を反映した美しい装飾経や、現存最古という「十六羅漢像」などが展示されています。

中でも、扇面に華麗な絵と経文を施した「扇面法華経冊子」は、なんとも斬新というか、本来祈願や供養が目的の写経(経文)が、その用途を超えて愛でる対象やファッションとして存在していたということに驚きます。

伝・紀貫之筆 「古今和歌集 巻第二十(高野切)」 (国宝)
平安時代・11世紀 土佐山内家宝物資料館蔵 (展示は7/28まで)

第4章では、「古今和歌集」の現存最古の写本とされる「高野切」を中心に、その“書”の世界を紐解きます。

「切(きれ)」とは和歌集など巻物や冊子本を切断し、鑑賞用に掛軸や手鑑などに仕立てたもの。「高野切」は三人の筆者により書き写されたものとされ、それぞれ“第一種”、“第二種”、“第三種”として紹介されていました。 “第一種”は「古今和歌集」の撰者の一人である紀貫之となっていますが、実際には一世紀ほど後の別の人の書写だとありました。具体的に筆者が分かっているのは“第二種”だけで、平安中期の能書家、源兼行といわれています。

源兼行筆 「和漢朗詠集(関戸本)」 (重要文化財)
平安時代・11世紀 文化庁蔵

第5章は、三跡の一人、藤原行成を祖とし、当時最も権威があるとされた和様書道の世尊寺流の“書”をはじめ、平安・鎌倉時代以降の“書”の名品などを展示しています。

中でも、個人的に「ああ、なんて美しい字なのだろう」と思ったのが世尊寺家4代目の藤原定実の“書”で、特に平仮名が何と書かれていようと分からなくても、その流麗な文字、そしてその文字から受ける心地よさにただただ見とれてしまいました。

先ほどの「高野切」はその名の通り切断され断簡となっていますが、この「元永本」は平安時代に書写された「古今和歌集」の中でも、仮名序(仮名で書かれた序文)と20巻全てが揃ったものとしては最古のものということです。その歴史的な貴重さもさることながら、雲母刷りされた唐草や亀甲などの模様を施した、華麗な料紙の豪華に目を奪われます。そしてその冊子の美しさに全く引けを取らない定実の、正に極みというべき仮名文字の美しさはため息が出るばかり。これが読めたら、どんなにか感動したことでしょう。

藤原定実筆 「古今和歌集 (元永本)」 (国宝)
平安時代・元永2年(1120年) 東京国立博物館蔵

文字が読めないということで敬遠しがちな“書”ですが、こうしてちゃんと観てみると実に面白いものだと思いました。何と書いてあるか読めなくても、“書”の勢いや繊細さ、流麗さ、そして文字の散らしや余白にも美しさを感じるようになります。横目で素通りするのはもったいない展覧会でした。

なお期間中、会場の平成館の1階・企画展示室では「和様の書-近現代篇-」が、本館2階・国宝室では「和歌体十種」がそれぞれ特別展示されているほか、本館2階でも『和様の書』にあわせて断簡や歌仙絵、また和歌に関わる作品などが展示されています。


【特別展 和様の書】
2013年9月8日まで
東京国立博物館にて


和様の書美和様の書美


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2013/08/11

アンドレアス・グルスキー展

国立新美術館で開催中の『アンドレアス・グルスキー展』に行ってきました。

ドイツの現代写真を代表する写真家、グルスキーの日本初の個展だそうです。

グルスキーというと、いま最も高額の値段がつく写真家といわれています。本展は、グルスキー自身が厳選した代表作65点が展示されていて、そのパノラマのスケール感といい、デザイン的な、色彩的な面白さといい、無機質でミニマルな構成といい、切り口の斬新さといい、とてもインパクトのある展覧会でした。

多くの作品が 3m×2m といった大型の作品で、中には横5mを超えるような巨大な作品もありました。時にデジタル信号のような、時に抽象絵画のような、時にだまし絵のような、不思議な錯覚にも陥ってしまう、どこかケレン味のあるユニークな作品が並びます。

アンドレアス・グルスキー 「ベーリッツ」 2007年

アンドレアス・グルスキー 「ライン川 Ⅱ」 1999年

遠目には横線が並んでいるだけのようなのに、平行な線の集まりのようなのに、近くで見るとそれが畑だったとか、実は川だったとか、その驚きと面白さに思わず引き込まれてしまいます。

ただ日常的な風景を切り取ったとか、俯瞰で撮ったとか、広角で撮ったとか、自然なスナップではなく、かなりデジタル処理もされているようで、衛星写真を使ったり、恐らく合成していると思わるような作品も見られます。この「ライン川 Ⅱ」も実は対岸の建造物などをデジタル技術で消し去っているのだそうです。

アンドレアス・グルスキー 「99セント」 2007年

日本でいうところの100円ショップや、ブランド靴やスニーカーの陳列棚、また証券取引所やオフィスビルなど、消費社会を象徴的に写し出した作品も多く、現代社会的な、シニカルな一面も覗かせます。

現実のものなのに非現実的に思えたり、日常的なのに崇高に思えたり、たとえ汚いバンコクの淀んだ水面さえ美しいデザインに思えます。リズミカルというか、ループ的というか、密度の濃さは時に息苦しいほどに圧倒的なのに、そのイメージには心地よささえ感じます。展覧会のメインビジュアルに使われている「カミオカンデ」はなにかSFの世界というより最早宗教的な印象さえ受けます。

アンドレアス・グルスキー 「図書館」 1999年

アンドレアス・グルスキー 「F1ピットストップ Ⅳ」 2007年

大判のプリントの写真のディテールといい、そのシャープさといい、吸い込まれてしまいそうなほどで、細部まで見てみたい楽しさがあるのですが、あまり写真に近づきすぎると警告音が鳴る設定になっていて、会場のあちらこちらでピピピピピーと警告音が鳴っていました(笑)

写真のクリアーさがとても印象的だったのですが、プリントの表面に特殊なアクリルを貼る写真加工法が用いられているのだそうです。これは写真集(もちろん図録も)では決して味わうことのできない、写真プリントならではの視覚的“感触”です。

アンドレアス・グルスキー 「ピョンヤン Ⅰ」 2007年

『アメリカン・ポップ・アート展』に来たついでに観ていこうといったつもりで覗いた展覧会だったのですが、ふたを開けたらその面白さに、結局『アメリカン・ポップ・アート展』に要した時間の2倍の時間も使って観ていました。会場の展示構成もグルスキーが考えたもののようで、出展作品リストの順番と大きく異なっていますが、出展作品リストには簡単な解説も書かれているので、ときどき照らし合わせながら観ると良いと思います。オススメの展覧会です。


【アンドレアス・グルスキー展】
2013年9月16日(月)まで
国立新美術館にて


美術手帖 2012年 08月号 [雑誌]美術手帖 2012年 08月号 [雑誌]


Andreas Gursky: Werke/ Works 80-08Andreas Gursky: Werke/ Works 80-08


Andreas GurskyAndreas Gursky

アメリカン・ポップ・アート展

ちと諸事情ございまして、しばらく美術展に行けてなかったのですが、ようやく時間が作れるようになり、ブログも再会です。

で、早速先日、国立新美術館で開催中の『アメリカン・ポップ・アート展』に行ってきました。

現代アートの世界的コレクターとして知られるジョン・アンド・キミコ・パワーズ夫妻のコレクションの中から、60~70年代の選りすぐりのアメリカン・ポップ・アートを拝借しての展覧会。総点数が200点を超えるというのだから、その量にも驚きです。

ジョン・アンド・キミコ・パワーズ夫妻のすごいところは、単なるコレクターにとどまらず、ポップ・アートが評価を確立する前から、その価値、時代性を見抜き、パトロンとして数多くのアーティストたちの支援を続けてきたところ。世界的にも豊かな日本に、果たしてこれほどまでのコレクター(パトロンであるという意味も含めての)がいるだろうかと考えると、さすがアメリカのコレクターはその規模や活動、心の広さが違うなと思います。

さて、会場は、アメリカン・ポップ・アートのアーティストごとに作品を分け、分かりやすく展示されていました。

ロバート・ラウシェンバーグ 「ブロードキャスト」 1959年

まず最初に登場するのが、ロバート・ラウシェンバーグ。いわゆる“ネオダダ”系のアーティストですね。抽象絵画的な、荒々しい筆致が印象的です。布や新聞紙、オブジェ的なものを貼りつけた上に絵を描くという“コンバイン・ペインティング”が特徴的です。

入口のところに展示されていた「ブロードキャスト」はラジオが内蔵されていて、昔はちゃんと聴けたたのだそうです。<カードバード・シリーズ>という段ボール・アートの作品もありました。日比野克彦がやってたようなことを既に40年前にやってたわけですよね、ラウェンバーグが。

ジャスパー・ジョーンズ 「地図」 1965年

つづいて登場するのが、大好きなジャスパー・ジョーンズ。 ラウシェンバーグも30点ぐらい展示されていたのですが、ジャスパー・ジョーンズの作品もあるわあるわ。展示品リストを見ると50点ほど(組作品含む)あったようです。代表作の“旗”のシリーズや、“標的”や“数字”、“アルファベット”などのシリーズと見応えも十分。個人的には、“地図”のシリーズが好きでした。

上の「地図」は、アメリカ合衆国の48州(アラスカとハワイを除く)の地図をモティーフに木炭で描いたもので、右下の1/4だけ油彩で描かれています。これは、アメリカの国旗を逆さまにしたとも、黒人差別の強かった南部を描き分けたともいわれているようです。

その後もジム・ダイン、クレス・オルデンバーグなどの作品が紹介されています。

アンディ・ウォーホル 「200個のキャンベル・スープ缶」 1962年

そして、ウォーホル。広いスペースに本展の目玉出品の「200個のキャンベル・スープ缶」や、10枚組の「マリリン」や「毛沢東」といった大判のシルクスクリーン作品が展示されています。国立新美術館は天井が高いので、これだけの量の作品を展示しても余裕というか見応えがあります。

ウォーホルの作品は大きく3つの部屋に分けて展示されていて、2つ目の部屋には主にキミコ・パワーズさんをモチーフにした作品が展示されています。自分の写真がウォーホルに使われるなんて、パトロン冥利(そんな言葉があるのか知らないけど)というか、フツーではできないことなので、羨ましすぎます。

ロイ・リキテンスタイン 「鏡の中の少女」 1964年

最後はトム・ウェッセルマンやロイ・リキテンスタインなど。(このあたりはあまり好みではないのでさらりと鑑賞w)

時代的には60~70年代中心で、アーティストによっては90年代の作品まで展示されていましたが、80年代以降に活躍したバスキアやキース・へリングといった新し目(?)のポップアートはありませんでした。主として、ジャスパー・ジョーンズ、ウォーホル、リキテンスタイン、ラウシェンバーグ、オルデンバーグで、コレクターの好み(もちろんその素晴らしさ)とアーティストたちとの親密度を感じつつ、個人コレクター頼みの展覧会の限界のようなものも少しだけ感じたりもしました。それでもアメリカン・ポップ・アートに絞った展覧会で、ここまでのクオリティと作品数が多いものはなかったので、非常にありがたいというか、見応えのある展覧会でした。


【アメリカン・ポップ・アート展】
2013年10月21日(月)まで 
国立新美術館にて


アーティストたちとの会話 アメリカン・ポップ・アート誕生の熱気アーティストたちとの会話 アメリカン・ポップ・アート誕生の熱気