2016/03/21

カラヴァッジョ展

国立西洋美術館で開催中の『カラヴァッジョ展』を観てまいりました。

今年の西洋画の展覧会では最大の目玉と言っていいでしょう。カラヴァッジョは38年の生涯の中で約100点の作品を描き、うち現存するのは60点強といわれています。本展ではその内の11点の真筆が来日。数年前ローマで開かれ、連日大行列ができたというカラヴァッジョ展は23点が集まっていたので、さすがにそこまで及びませんが、日本でのカラヴァッジョ展の出品数としては過去最多、世界でも有数の規模だといいます。

15年前のカラヴァッジョ展も興奮しましたが、今回はその倍の数が来てるのですから、もう鼻血ものです。遠い日本にここまでの数が集まるのは正に奇跡。よくこれだけの出品を取り付けてくれたと感謝でいっぱいです。

会場は、いくつかのテーマに分けられ、それぞれにカラヴァッジョ作品1~2点とカラヴァジェスキ(追随者)の作品が並ぶという構成になっています。ところどころカラヴァッジョの人となり(悪い方の)を示す警察の取り調べの記録や裁判の証言資料も紹介されていて、これがまた凄く面白い。絵もドラマティックだけど人生もドラマティック。


Ⅰ 風俗画:占い、酒場、音楽

まずは風俗画から。カラヴァッジョの「女占い師」は比較的初期の作品。占い師が手相を見ると見せかけて指輪を抜き取ろうとしています。カラヴァッジョには同じような詐欺を題材にした作品に「トランプ詐欺師」(本展未出品)がありますが、当時のローマは治安がかなり悪かったようです。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ 「女占い師」
1597年 カピトリーノ絵画館蔵

写実性の高さでは同じ画題を描いたカラヴァジェスキのシモン・ヴーエやジュゼペ・デ・リベーラ(ホセ・デ・リベラ)の方が上という気がしますが、カラヴァッジョは敢えてこういう寓話的な描き方をしてるんでしょうし、背景の明るさに合わせた色遣いといい、計算し尽くされているという感じを受けます。

ジュゼペ・デ・リベーラ 「聖ペトロの否認」
1615-16年頃 コルシーニ宮国立古典美術館蔵


Ⅱ 風俗画:五感

ここではカラヴァッジョの「トカゲに噛まれる少年」と「ナルキッソス」。泣いた顔は怒った顔より描くのが難しいとミケランジェロが言い出したとかいう話があって、トカゲに噛まれるとかカニに指を挟まれるとか、今見るとちょっとおかしな題材の作品があったようです。ちなみに「トカゲに噛まれる少年」はロベルト・ロンギ財団所蔵の本作とロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵のものと2作あり、本作の方はカラヴァッジョ作とするのに異論もあるみたい。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ 「トカゲに噛まれる少年」
1596-97年 ロベルト・ロンギ美術史財団蔵

自分の美貌に恋をしてしまうというギリシャ神話を描いた「ナルキッソス」。肩のあたりから腕にかけて当たる光の表現が素晴らしい。神話の世界を描いても、カラヴァッジョの作品はそれまでのルネサンスの理想主義的な絵画とはまるで異なります。写実性の高さもさることながら、ルネサンス様式を否定したような、どこか現代的な感覚が当時は斬新だったんだろうなと感じます。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ 「ナルキッソス」
1599年頃 バルベリーニ宮国立古典美術館蔵


Ⅲ 静物

これも代表作のひとつ「果物籠を持つ少年」。わたしがカラヴァッジョの興味を持ったきっかけはデレク・ジャーマン監督の映画『カラヴァッジョ』だったのですが、カラヴァッジョの作品を模したシーンがいくつもあって、その中に登場する一つがこの絵でした。よく見ると果物がクリアーに描かれているのに対し、人物は紗がかかったように少しうっすらとしてるんですね。古代ギリシャの画家が描いた果物があまりに写実的だったので鳥がついばもうとしたが、果物籠を持つ少年がもっと上手に描けていたら、鳥も逃げただろうという逸話に基づくものなのだとか。

[写真左] ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ 「果物籠を持つ少年」
1593-94年 ボルゲーゼ美術館蔵
[写真右] デレク・ジャーマン監督『カラヴァッジョ』に登場する同作品

ここでもはもう一点、酒と陶酔の神を描いた「バッカス」。これもカラヴァッジョに比較的多い半身像。神というより、非常に人間的に描かれているのが面白いですし、まだあどけなさが残る顔に対し、肩から腕にかけての筋肉とのアンバランスさが印象的。グラスを左手に持っていることから、カラヴァッジョが鏡に映る自分をモデルに描いたのではないかと言われてるそうです。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ 「バッカス」
1597-98年頃 ウフィツィ美術館蔵


Ⅳ 肖像

マッフェオ・バルベリーニは後のローマ教皇で、カラヴァッジョは彼の若い頃の肖像を描いています。注文を受けて描いた肖像画だからなのか、少し生硬な感じがありますし、素人目ですが、同時期の作品に比べて雰囲気もどこか違う気もします。でもこれも真筆。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ 「マッフェオ・バルベリーニの肖像」
1596年頃 個人蔵

オッタヴィオ・レオーニが描いたカラヴァッジョの有名な肖像画の模作があって、上手いか下手かは別として、自身をモデルに描いたという説もある「バッカス」や「トカゲに噛まれる少年」の顔と差が激しすぎだし、人相悪すぎ(笑)

作者不詳 「カラヴァッジョの肖像」
1617年頃 サン・ルカ国立アカデミー蔵


Ⅴ 光

ああ、カラヴァッジョだなと思う一つのポイントは光の使い方で、よくいわれる強い明暗対比や劇的な効果ももちろんですが、ラ・トゥールやレンブラントといった後世の画家に比べても、意図的な光というか、舞台の上の役者にスポットライトを当てるような演出的な作為性を感じます。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ 「エマオの晩餐」
1606年 ブレラ絵画館蔵

「エマオの晩餐」は息を飲む素晴らしさ。弟子の前に現れた復活したキリストを描いた作品で、殺人を犯し逃亡していたカラヴァッジョが潜伏先で描いたのだそうです。身を潜めている中で絵を描くという感覚も驚くのですが、そんな落ち着かない状況で、こんな迫真的な傑作を描けてしまうのだから、やっぱり天才なんだと思います。

オラツィオ・ジェンティレスキ 「スピネットを弾く聖カエキリア」
1618-21年 ウンブリア国立美術館蔵


さすがカラヴァジェスキも光の表現は見事で、中にはあざといぐらい明暗が強調されてる作品もありますが、落ち着いたトーンの色彩と柔らかな光が素晴らしいオラツィオ・ジェンティレスキや卓越した火の表現を見せるラ・トゥールなど見どころも多い。


Ⅵ 斬首

これまたインパクト大の「メドゥーサ」。カンヴァスを丸い盾に貼りつけたもので、蠢く蛇といい、吹き出す血といい、恐ろしい形相といい、見た目以上に生々しい作品。斬り首はカラヴァッジョ自身の風貌を反映しているのではないかという話もあるとか。全く同じ構図の作品がウフィツィ美術館にもあり、本作はそれより早い作ではないかといわれているそうです。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ 「メドゥーサ」
1597-08年 個人蔵

グエルチーノやヴーエの「ゴリアテの首を持つダヴィデ」、マンフレーディの「ユディトと侍女」など、カラヴァッジョも描いた同じ画題の作品が並びます。ギリシャ神話にしても旧約聖書にしても物語のクライマックスの場面なのでさすがにどれも劇的。ヴーエの「ゴリアテの首を持つダヴィデ」はゴリアテの首を斬り落とし、まだ興奮を抑えきれない表情がすごい。


Ⅶ 聖母と聖人の新たな図像

ここまで来るのに相当感動をしてるというのに、最後の章はもう涙もの、興奮のるつぼです。

最初に目に飛び込んでくるのがカラヴァッジョの「洗礼者ヨハネ」。ヨハネというより見るからに美少年で、若々しい肢体はエロスさえ感じます。それまでの伝統的な表現を一新してるというか、すごく現代的で、これが400年も前のバロックの作品なんですから驚きます。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ 「洗礼者聖ヨハネ」
1602年 コルシーニ宮国立古典美術館蔵

最近の研究でカラヴァッジョの真筆と認定されてから初めての公開と話題なのが「法悦のマグダラのマリア」。15年前のカラヴァッジョ展に来日してた同題の作品とは別バージョンらしい。カラヴァッジョが亡くなったときに持っていた荷物の中に含まれていた作品の一つだといわれます。マグダラのマリアは法悦、いわゆる宗教的な陶酔状態にあるわけですが、目に浮かぶ涙は喜びというより深い悲しみを感じさせ、わずかに開いた唇や肌蹴た肩や胸元はどこか官能的ですらあります。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ 「法悦のマグダラのマリア」
1606年 個人蔵

バロックで個人的に大好きな画家の一人、アルテミジア・ジェンティレスキの「悔悛のマグダラのマリア」もあって、これまたカラヴァッジョ以上に大胆な図像が素晴らしく、とても刺激的です。ただ、アルテミジアの作とするには異論があるのか、所蔵先のローマの美術館ではグイド・カニャッチに帰属と紹介されています(イタリアで2008年に開かれた『グイド・カニャッチ展』でもカニャッチ作品として出品)。閉館時間になってしまって図録を買えなかったので図録に書かれてるか知りませんが、なぜアルテミジア説を採用したのか、せめて会場の作品解説で説明してほしかったですね。

アルテミジア・ジェンティレスキ? 「悔悛のマグダラのマリア」
1640年代中頃~50年代初頭 バルベリーニ宮国立古典美術館蔵

会場の最後に飾られているのが2つの「エッケ・ホモ」。マッシミ枢機卿がカラヴァッジョに描かせるも、その出来に満足せず、フィレンツェ派のチゴリに依頼したといういわくつきの作品です。2つの作品が並んで観られるというのも感慨深いものがありますが、こうして並べて観るとカラヴァッジョがダメでチゴリがOKだった理由が、単に個人的な好みの問題なのか、カラヴァッジョが新しすぎたのか、などと考えてしまいます。チゴリの作品に比べてカラヴァッジョの作品は写実的にも徹底していて、キリストの肉体もより生々しく感じられます。キリストの達観したような安らかな表情、恐らく鞭打たれて傷ついた背中にそっと衣を懸けようとする男の労わり。内なる感情の表現も秀逸です。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ 「エッケ・ホモ」
1605年 ストラーダ・ヌオーヴァ美術館ビアンコ宮蔵

チゴリ(ルドヴィコ・カルディ) 「エッケ・ホモ」
1607年 ピッティ宮パラティーナ美術館蔵


カラヴァッジョに期待するものを十分堪能でき非常に満足度の高い展覧会でした。日曜の16時少し前に入ったのですが、思ったより空いていて比較的余裕で観られました。15年前のカラヴァッジョ展のことを考えると、大混雑必至の展覧会なので、ゆっくり観られる内に行った方がいいですよ。


【日伊国交樹立150周年記念 カラヴァッジョ展】
2016年6月12日(日)まで
国立西洋美術館にて


もっと知りたいカラヴァッジョ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたいカラヴァッジョ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)


西洋絵画の巨匠 カラヴァッジョ西洋絵画の巨匠 カラヴァッジョ

2016/03/15

勝川春章と肉筆美人画

出光美術館で開催中の『生誕290年記念 勝川春章と肉筆美人画 -〈みやび〉の女性像』に行ってきました。

太田記念美術館の『勝川春章-北斎誕生の系譜』を観た足で、そのまま日比谷へ。

ちょうどその日の朝、Eテレの『日曜美術館』の<アートシーン>で紹介されて、でも原宿の方はそれほど混んではなかったので、こっちもまだ大丈夫かな?と思ったら、いやいや結構お客さんが入ってました。テレビの影響もあるでしょうが、昨年暮れに上野の森美術館であった『肉筆浮世絵展』の流れで関心の高い方も多いような気もします。

さて、こちらの勝川春章展は肉筆画のみ。出光美術館の所蔵作品を中心に、太田記念美術館や浮世絵に強い千葉市美術館などから作品を借り受けています。個人蔵の作品が多いのも特徴ですね。全70点(一部展示替えあり)の内、約半分が春章の作品です。


Ⅰ.春章の達成-「美人鑑賞図」にみる創意

まずはメインヴィジュアルにもなっている「美人鑑賞図」から。それにしてもすごい題名。

勝川春章 「美人鑑賞図」
寛政2~4年(1790-92)頃 出光美術館蔵

「美人鑑賞図」は大和郡山藩主で、春章の上顧客の柳沢信鴻の古希のお祝いに描かれた作品。鳥文斎栄之の大判錦絵「福神の軸を見る美人」を元にしていることが分かっています。栄之の作品の構図を借りたのは誰のアイディアなのか不明ですが、信鴻が隠居した六義園を後景に描いたり、鶴や猫といった吉祥的なモチーフを加えたりしています。春章最晩年の作とされ、もしかすると絶筆かもしれないという話もあるようです。


Ⅱ.春章へと続く道-肉筆浮世絵の系譜、〈大和絵師〉の自負

つづいて、初期浮世絵を中心に、春章が門を叩いた宮川派の作品などを紹介。作者不詳の「邸内遊楽図屏風」や菱川師宣の「遊里風俗図」は江戸時代前期の風俗画の面白さがあって素晴らしいですね。

宮川長春 「立姿美人図」
江戸時代(18世紀前期) 出光美術館蔵

途中に「諸家人名江戸方角分」という資料がパネルで紹介されていて、これによると浮世絵師(浮世画)は町絵師(画家)に比べ、身分的に低いとされていたようなのですが、その中でも春章は旗本出身の栄之と同様に“画家”として高い評価を得ていたとありました。


Ⅲ.美人画家・春章の出発-安永・天明期、上方へのまなざし

春章が肉筆画を本格的に手掛けるようになるのは割と遅くて、50歳前後になってからだといいます。春章がかつて修業をした宮川派は肉筆美人画を専門としていたので、肉筆画にへの欲求のようなものもあったのかもしれません。人気浮世絵師になり、肉筆画の注文も入るようになったのか、あるいは錦絵は弟子に任せられるようになり、隠居気分で肉筆画を描けるようになったのか、そのあたりは分かりませんが。

勝川春章 「柳下納涼美人図」
天明3~7年(1783-87)頃 出光美術館蔵

ここでは春章の初期の肉筆と、同時代の浮世絵師、特に上方の絵師の肉筆美人画を展観。西川祐信や月岡雪鼎、珍しいところでは稲垣つる女など上方肉筆浮世絵の優品が並びます。こうして観ると、この頃はまだ上方の浮世絵は充実していたというか、江戸の浮世絵師たちもお手本とする部分も多かったのでしょう。

勝川春章 「桜下三美人図」
天明7、8年(1787, 88)頃 出光美術館蔵

春章は、春章の美人画の作風が確立したという安永以前の肉筆画もあって、先の「美人鑑賞図」やこの後の章の晩年の美人画と比べると、やはり格段の違いがあります。後年のものは非常に優美で気品もあり、とりわけ着物の柄や色遣いなど繊細な表現が目を惹きます。「青楼遊宴図」の細密な描写や、「桜下三美人図」の白の絵具の繊細なグラデーションは肉筆ならでは。

勝川春章 「吾妻風流図」
天明元年(1781)頃 東京藝術大学美術館蔵(展示は3/15から)


Ⅳ.春章の季節-同時代の浮世絵師たちとの交感

美人画とは少し異なりますが、春章の「石橋図」が素晴らしい。いわゆる狂言や歌舞伎の“石橋もの”の獅子を描いた図ですが、赤毛の中に金泥の毛を交え、毛振りに動きを与えていますし、獅子の踊りの激しさも伝わってきます。このあたりは写実的な役者絵で培った腕なんでしょう。

勝川春章 「遊女と達磨図」
天明7、8年(1787, 88)頃 太田記念美術館蔵

春章の「遊女と達磨図」もいいですね。遊女は肉筆浮世絵らしい描き方ですが、達磨は水墨画のような筆致で、遊女と達磨という取り合わせだけでなく、その描き分けも面白い。

酒井抱一 「遊女と禿図」
天明7年(1787) 出光美術館蔵

春章以外では若い頃の抱一の肉筆美人画があって、なかなか興味深い。北尾重政の門人という窪俊満も気になります。俊満の「藤娘と念仏鬼図」は大津絵を題材にしたもので、顔は怖いんだけど藤娘の荷物を持ってあげる鬼が愛嬌があって笑えます。


Ⅴ.俗のなかの〈みやび〉-寛政期、円熟と深化へ

錦絵を観てる分には春章の美人画が特に秀でてるとは思わないのですが、こうして肉筆画を観ると春章の優麗な画風が際立ちますし、その高いテクニックは目を見張ります。決して手を抜かない描写の緻密さ、丁寧さ、的確さ。版画では表現しきれなかったことを肉筆画では思う存分実現させているなと感じます。

勝川春章 「雪月花図」
天明3~7年(1783-87) 出光美術館蔵

先の『肉筆浮世絵展』でも春章は紹介されていましたが、イメージを喚起する表現力はこの人ならではという気がします。中でも、やまと絵を思わせる「雪月花図」の物語性の高さ、極めて精緻な表現には驚きます。右から清少納言、紫式部、伊勢大輔の女流歌人を描いた図で、特に着物の文様の繊細さ。たとえば清少納言の着物は流水に橋で、極細の筆で非常に丁寧に描かれています。単眼鏡がないとたぶん分からない。


Ⅵ.〈浮世絵の黄金期〉へ-春章がのこしたもの

最後に春章以後の美人画を紹介。春章も参考にするほど美人画では定評のある鳥文斎栄之や門人の春潮や北斎などがあります。北斎の美人画はちょっと個性的ですね。

葛飾北斎 「月下歩行美人図」
江戸時代(19世紀前期) 出光美術館蔵

白眉は歌麿の「更衣美人図」。優艶で、かつ歌麿らしい色気があって、圧倒的な存在感を放っています。春章の描く正統派美人画にはない生々しさがあって、こうして浮世絵は爛熟期を迎えるのだなと感じます。

喜多川歌麿 「更衣美人図」(重要美術品)
江戸時代(19世紀前期) 出光美術館蔵

春章の美人画ってあまりイメージが湧きませんでしたし、美人画の中で最初の方に出てくる名前でもないと思っていたのですが、 非常に腕のある美人画の絵師であることがよく分かりました。肉筆画が晩年に集中しているということもあるのでしょうが、優品が多く、見応えのある展覧会です。くれぐれも単眼鏡を忘れませんように。


【生誕290年記念 勝川春章と肉筆美人画 -〈みやび〉の女性像】
2016年3月27日(日)まで
出光美術館にて


勝川春章と天明期の浮世絵美人画勝川春章と天明期の浮世絵美人画

勝川春章-北斎誕生の系譜

太田記念美術館で開催中の『生誕290年記念 勝川春章 -北斎誕生の系譜』に行ってきました。

今年は勝川春章の生誕290年なのだそうで、その記念展が太田記念美術館と出光美術館(『勝川春章と肉筆美人画』)でそれぞれ開かれています。

住み分けもちゃんとされていて、太田記念美術館は錦絵(多色摺り浮世絵版画)、出光美術館は肉筆浮世絵。太田記念美術館の方は2月が前期、3月が後期の2部制で、前後期合わせて約210点というかなりのボリューム。わたしは前期に伺えなかったので、後期展示のみを拝見しました。

勝川春章というと、浮世絵では名の知れた絵師ですし、今までもたびたび彼の作品は目にしていますが、じゃぁその特徴は?と問われても私自身はすぐには口に出てきません。しかし、今年は頭に『初期浮世絵展』を観ていることもあり、本展を観ると、春章あたりから錦絵の流れが一気に加速していくのが分かりますし、そういう意味では春章は初期浮世絵と北斎以降の後期浮世絵を繋ぐ重要な存在なんだなと感じます。


Ⅰ 役者絵-似顔表現の革新

役者絵、相撲絵、武者絵、美人画とあるのですが、春章の役者絵の面白さは格別です。変に誇張せず、写実的に捉えた春章の役者の似顔は、それまで主流だった鳥居派の絵看板的な役者絵とは異なり、より具体的にイメージを喚起します。

勝川春章 「五代目市川団十郎の股野の五郎景久 初代中村里好の白拍子風折
三代目沢村宗十郎の河津の三郎祐安」 天明4年(1784) 太田記念美術館蔵

役者の表情も真に迫っていて、芝居の雰囲気とか役柄のリアルさがよく出てますし、名場面のスチール写真的な面白さがあります。五代目市川団十郎、初代中村仲蔵、三代目瀬川菊之丞といった当時の人気役者や、いまでも人気の『暫』や『仮名手本忠臣蔵』、『鳴神』などのほか、現在は途絶えた演目も多く、役者の楽屋風景を描いたシリーズがあったりと歌舞伎ファンにはいろいろ興味深いのではないでしょうか。作品数も充実してます。

勝川春章 「東扇 初代中村仲蔵」
安永4、5年~天明初期(1774-82)頃 東京国立博物館蔵


Ⅱ 美人画

春章は美人画で知られた宮川長春の弟子・春水の門下ということなので、美人画は元々専門なんでしょう。初期(といっても既に40代ですが)は鈴木春信の作風にかなり近いものがあって、あまり個性を感じませんが、安永中頃から独自の様式を確立したといいます。

勝川春章 「六歌仙 文屋康秀」
明和7~8年(1770-71) 東京国立博物館蔵

とはいえ、たとえば春信や歌麿、鳥居清長、鳥文斎栄之といった美人画で有名な同時代の浮世絵師と比べても、美人画といわれて春章の名前がすぐ出てくるかというと、そういうわけではないですし、春章の美人画がとびきり美しいという感じでもありません。蚕織の様子を描いた「かゐこやしなひ草」などを観てると思うのですが、歌麿や清長の美人画が八頭身のモデル系とすれば、春章の美人画はとなりの綺麗なお姉さん系かもしれません。

勝川春章 「福神笑顔くらべ」
安永(1772-81)後期 太田記念美術館蔵

春章の美人画は年を追うごとに魅力的になってきますし、そういう意味では、晩年の肉筆美人画の方が実力はよく分かるのでしょう。着物柄や文様、ちょっとした細かな表現といったところに対する緻密さ、丁寧さは浮世絵版画でも如何なく発揮されています。

弟子の中では春潮の美人画がいい。春潮は『春画展』でも良かったと記憶していますが、師・春章より垢抜けた美人画が多く、同時代の清長に近い感じがします。


Ⅲ 相撲絵-新ジャンルの開拓

相撲絵は動きに迫力があって、表情や肉体表現のリアルさなど、役者絵に似た面白さがあります。当時は谷風や小野川といった人気力士が出て相撲ブームだったそうで、そうした写実味や臨場感が春章の相撲絵から伝わってきます。春好ら弟子の作品も多く、勝川派が相撲絵を得意としていたことも良く分かります。

勝川春章 「小野川喜三郎 谷風梶之助 行司木村庄之助」
天明3年(1783) 東京国立博物館蔵


Ⅳ 武者絵・風景画ほか-多彩な表現領域

武者絵は画業初期から手掛けていたそうですが、作品数は多くないといいます。後の歌川派の武者絵に比べると物足らなさがありますが、国芳の浮世絵によくある三枚続の武者絵なんかも最初に手掛けたのも春章なのだとか。


Ⅴ 春章から写楽・豊国へ-役者絵の隆盛

ここでは勝川派の絵師による役者絵をはじめ、歌川派や写楽の作品が並びます。春章門下の絵師たちは基本的に春章の路線を踏襲しているのですが、豊国の役者絵はより勇壮な感じがあって、独自のカラーを前に押し出してきているのが分かります。勝川派の門人では春英の役者絵が飄逸な味があっていいですね。

東洲斎写楽 「初代市川鰕蔵の竹村定之進」
寛政6年(1794) 太田記念美術館蔵

写楽は「初代市川鰕蔵の竹村定之進」や「三代目瀬川菊之丞の文蔵女房おしづ」といった大首絵の有名作品があって、同時代の役者絵とこうして比べると、個性的というか、別物感があります。当時の主流は勝川派で、大首絵も雲母摺りも先駆けは勝川派だったそうですが、歌川派の登場とともに勝川派は終焉を迎えたといいます。


Ⅵ 春章から北斎へ-勝川派を飛び出した異端児・北斎

最後の章では春章の門人で後に浮世絵を代表する絵師となる北斎を特集。北斎は18歳の頃に弟子入りしてから30代半ばまで春章の下で活動をしています。春章の死を機に勝川派から距離を置き、やがて離脱するのですが、ここでは春章門下で春朗と名乗っていた頃から、北斎時代まで幅広く紹介されています。後年の作品はもう勝川派の面影はありませんが、1800年前後ぐらいまでは役者絵にしても美人画にしても春章ぽいなと感じるところがあります。

勝川春朗(葛飾北斎) 「初代中村仲蔵」
天明3年(1783) 太田記念美術館蔵

太田記念美術館と出光美術館は電車一本で移動できますし、チケットの半券を持っていけば割引になる相互割引プランもあるので、この機会に一緒に観られるといいと思いますよ。


【生誕290年記念 勝川春章 -北斎誕生の系譜】
2016年3月27日(日)まで
太田記念美術館にて


もっと知りたい葛飾北斎―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたい葛飾北斎―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)


ようこそ浮世絵の世界へ 英訳付 (An Introduction to Ukiyo-e, in English and Japanese)ようこそ浮世絵の世界へ 英訳付 (An Introduction to Ukiyo-e, in English and Japanese)

2016/03/08

宮川香山展

サントリー美術館で開催中の『没後100年 宮川香山』展を観てまいりました。

今年は真葛焼の初代宮川香山の没後100年ということで、宮川香山の展覧会がいくつかあるようですが、本展は真葛香山研究の第一人者である田邊哲人氏のコレクションを中心にした回顧展。陶磁器だけで約140点も出品されています。

もともと工芸品の輸出政策として作られたという経緯もあり、宮川香山の作品は国内にあまり残ってなく、田邊氏は約50年かけて海外へ流出した香山作品を買い戻してきたのだそうです。

わたし自身は、香山の作品は明治時代の工芸品の展覧会や美術館の常設展などで拝見した程度で、陶磁器をちゃんと観ようと思うようになったのも最近のことなので、宮川香山のこともあまり詳しくはありません。これだけの数の作品を一堂に、しかも初期から晩年まで満遍なく観られるというのは、ファンにも私のような初心者にも嬉しいですね。


第一章 京都、虫明そして横浜へ

宮川香山はもともとは京都の人で、真葛焼という名は桜で有名な円山公園のあたりを指す真葛ヶ原という地名から取ったものなのだそうです。最初のコーナーには江戸末期から明治初期にかけての、京都時代の作品も並んでいます。主に京焼の茶器や香炉が多いのですが、その中にも後年の高浮彫を思わす手の込んだ作品や中国陶磁を意識した作品などもあって、若い頃から割とチャレンジングな傾向があったのだなと感じます。

宮川香山 「高浮彫牡丹ニ眠猫覚醒蓋付水指」
明治時代前期(19世紀後期) 田邊哲人コレクション蔵(神奈川県立歴史博物館寄託)

会場の入口には香山を特徴づける高浮彫の作品の中から、かわいい猫とインパクトのある蟹がいて、導入部からつかみはOKという感じです。

宮川香山 「高取釉高浮彫蟹花瓶」
大正5年(1916) 田邊哲人コレクション蔵(神奈川県立歴史博物館寄託)


第二章 高浮彫の世界

高浮彫は技術的に難しい難しいとはよく聞きますが、たとえその工程や技について知らなくても、この超絶技巧の作品を観れば、そのレベルの高さがマックス級だと分かりますし、クレイジーじゃないかと思うほどの発想と常識破りのチャレンジ精神には舌を巻きます。

形にしても色にしても、みな計算し尽くされていて、ここに至るまでには相当の失敗や実験を繰り返したんでしょうが、どれも技の極みという感じがします。高浮彫の装飾は歪みが生じやすく焼成が難しいので、たとえば花瓶や壺の表面の立体的な鳥は内側に空気穴をあけて、胴のふくらみが変形しないようにしているのだそうです。

宮川香山 「高浮彫桜ニ群鳩大花瓶」
明治時代前期(19世紀後期) 田邊哲人コレクション蔵

鳥の羽根は一枚一枚が彫刻のように美しく、猫は口の中の舌まで丁寧に作られていたり、柿をついばむ鳩や枯れた蓮の葉の上の蛙など、どれも超絶リアル。花瓶の一部が大きく刳り貫かれて洞窟のようになっていて、その中に熊の親子がいたり、どんな技術をもってこんな作品ができるのか、もう頭の中は?マークでいっぱいになります。

[写真右から] 宮川香山 「高浮彫桜ニ群鳩三連壺」
明治時代前期(19世紀後期) 田邊哲人コレクション蔵(神奈川県立歴史博物館寄託)

精緻で独創的な高浮彫ばかりに目が奪われてしまうのですが、陶磁器に絵付けされた花鳥や風景の写実的表現や色彩がまた素晴らしく、それにより装飾の立体感や迫力が増幅されている気がします。会場の途中に香山の日本画がありましたが、さすがにその実力は高く、非常に味わい深いものがありました。

[写真右から] 宮川香山 「高浮彫四窓遊蛙獅子鈕蓋付壺」
明治時代前期(19世紀後期) 田邊哲人コレクション蔵
宮川香山 「高浮彫蛙武者合戦花瓶」
明治時代前期(19世紀後期) 田邊哲人コレクション蔵(神奈川県立歴史博物館寄託)


太鼓を叩く蛙に巻物を広げる蛙。芸が細かいですね。まわりの美しい装飾絵も必見ですよ。


4階から3階に下りた吹き抜けのスペースは今回特別に写真撮影ができるようになってます。撮影可の対象は4作品6点。いずれも香山の技の粋を集めた傑作です。SNSで拡散しよう!

(※第二章で使用した写真はこのコーナーで撮影したものです)


第三章 華麗な釉下彩・釉彩の展開

晩年は真葛窯の経営を二代目宮川香山に継ぎ、香山は中国の古陶磁や釉薬の研究・開発に没頭します。高浮彫はもう極め尽くしたのでしょう。それでも陶磁器に対するあくなき挑戦は続きます。こってりしたものの後にはさっぱりしたものをと言いたいところですが、ここからがまたすごい。

宮川香山 「釉下彩盛絵杜若図花瓶」
明治時代中期~後期(19世紀後期~20世紀初期)
田邊哲人コレクション蔵(神奈川県立歴史博物館寄託)

青華や釉裏紅、青磁、窯変、結晶釉・・・。高浮彫のような派手さはありませんが、シンプルな造形の中に釉下彩や彩色やデザインをどんどん突き詰めていくんですね。血のような赤が鮮烈な牛血紅、独特の黒さが印象的な琅玕釉、青華で山水を描き濃淡だけで表現したもの、撫子の花を白抜きしたもの、蓮の花や紫陽花を白盛りしたもの、等々。どれも一様に垢抜けているとうか、とてもモダンなんです。アールヌーヴォーに影響を与えたといわれる訳も分かります。

宮川香山 「色嵌釉紫陽花図花瓶」
明治時代後期~大正時代初期(19世紀末期~20世紀前期)
田邊哲人コレクション蔵(神奈川県立歴史博物館寄託)

1時間ぐらいのつもりで行ったのですが、気づいたら閉館時間になってしまって、全然時間が足りませんでした。ひとつひとつじっくり観ていると時間が経つのも忘れます。会期末は混雑必至でしょうから、混まない内に行かれることをお勧めします。


【没後100年 宮川香山】
2016年4月17日(日)まで
サントリー美術館にて


田辺哲人コレクション大日本明治の美横浜焼、東京焼田辺哲人コレクション大日本明治の美横浜焼、東京焼