2010/08/29

ブリューゲル 版画の世界

Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の『ブリューゲル 版画の世界』に行ってきました。

ブリューゲルというと、16世紀ネーデルランドを代表する画家で、「雪の中の狩人」や「バベルの塔」などが有名ですが、もともとは版画の下絵を描いていたそうで、今回の展覧会ではそのブリューゲルの版画と、同時代のネーデルランドの画家による版画が約150点展示されています。

第一章は「雄大なアルプス山脈の賛美と近郊の田園風景への親近感」というテーマで、イタリア旅行の際に目にしたアルプスの山並みにインスピレーションを受けたという自然を背景にした牧歌的な風景の版画が展示されています。この頃の作品は、頭の中にパッと浮かぶブリューゲルの作品群とは異なり、新鮮な印象を受けます。

ピーテル・ブリューゲル「悔悛のマグダラのマリア」

第二章以降になると、だんだんと寓意的な画題が現れ、ブリューゲルらしい作品が登場します。

ブリューゲルの版画は、「七つの罪源シリーズ」(傲慢、激怒、怠惰、貪欲、大食、嫉妬、邪淫)や「七つの徳目シリーズ」(信仰、希望、愛徳、正義、剛毅、賢明、節制)など宗教的な教訓譚や、諺や格言をもとにした寓話が多く、ユーモラスの絵の中には諷刺やエスプリを効かせた寓意が散りばめられています。日本の浮世絵がそうであったように、不特定多数の購買層のために制作されたのだそうで、こうした寓話の版画の多くは、恐らくは民衆向けの道徳教育という目的もあったのでしょう。登場人物たちはユニークで、そこに描かれるストーリーは視覚的で、とても惹きこまれやすいのですが、中には魑魅魍魎としたグロテスクなものもあり、こうしたものが受け入れられた時代背景を考えると、当時の民衆文化を垣間見るようで興味深いものがあります。

ピーテル・ブリューゲル 七つの罪源シリーズより「邪淫」

ピーテル・ブリューゲル 七つの罪源シリーズより「傲慢」

それにしても驚くのは、ブリューゲルの発想のユニークさで、奇想天外というか、洒落ているというか、その柔らかな頭の思考回路に驚嘆の連続です。もともと中世のヨーロッパでは、動物の寓意画というのがあったと思うのですが、恐らくそうした絵にも幼い頃から親しんでいたんでしょう。同じネーデルランドの先人ヒエロニムス・ボスからも多大な影響を受けているようで、そのことを考えるとブリューゲルの画風が新奇でとりわけ異色だったというわけではないようですが、本展覧会に展示されていたブリューゲル以外の画家の版画などを見ても、彼の描く奇々怪々な世界は当時の寓意画の中でも群を抜いていたのが分かります。だけど、こうした版画や絵を20代や30代で量産していたんですよね。ものすごく生き急いだ画家だったんだなと、そんなことも思いました。

ピーテル・ブリューゲル「学校でのロバ」

ブリューゲルの版画をこうして見ていると、彼の油彩画にも共通していることだ思うのですが、人間観察の鋭さを感じずにはいられません。さまざまな寓意の裏側には、当時の民衆の気持ちが代弁されているのではないかと感じることもあります。それがどんなものなのか、勉強不足で自分には全てを感じ取ることはでき ませんでしたが、広く民衆(低層の人々も含めて)の眼差しは真摯なものだったのではないでしょうか。それが後に農民画家と呼ばれるような絵を描くに至ったのかなと感じました。

ピーテル・ブリューゲル 「大きな魚は小さな魚を食う」

よく考えてみると、今回の展覧会は版画なので、浮世絵と一緒で、掘り師がいたり、摺り師がいたりするのでしょうが、16世紀にこれだけ版画の技術が発達していたということにも正直驚きました。ブリューゲルの精緻で緻密な描写が素晴らしいのもさることながら、それを版画にしてしまう技術力は驚くべきものがあると思いました。ブリューゲルの代表作の一つである「バベルの塔」を版画化したものが展示されていましたが、その細かさは単眼鏡がなくては分からないレベルです。

最後に一言。とても目が疲れる展覧会でした(笑)

ピーテル・ブリューゲル「聖アントニウスの誘惑」


【ベルギー王立図書館所蔵 ブリューゲル 版画の世界】
Bunkamura ザ・ミュージアムにて
8/29(日)まで

ブリューゲル (ニューベーシック) (ニューベーシック・アート・シリーズ)
ブリューゲル (ニューベーシック) (ニューベーシック・アート・シリーズ)

ブリューゲルへの旅 (文春文庫)
ブリューゲルへの旅 (文春文庫)

2010/08/22

東海道四谷怪談

八月花形歌舞伎に行ってきました。今月は三部の通し狂言『東海道四谷怪談』のみを鑑賞。

今月の歌舞伎は市川海老蔵の結婚披露宴の直後ということもあり、また海老蔵のロンドン=パリ興行の凱旋公演もあり、話題が海老蔵一色の感があります。松竹もずいぶん巧い商売をやったものだなと思いますが、これだけ宣伝をしているにもかかわらず、チケットは完売とはなっていないようで、やはり“さよなら歌舞伎座公演”が終わり、世間の歌舞伎熱が冷めてしまったということなのでしょうか。自分が観た日も、一階席後方には空席がチラホラありました。

さて、今月は“花形歌舞伎”なので、海老蔵のほか、中村勘太郎、中村七之助、中村獅童をはじめとした若手歌舞伎役者が出演しているとあって、また『四谷怪談』という初心者にも入りやすい出し物ということもあるでしょう、先月と打って変わって客席には若いお客さんが大勢詰め掛けていました。今回は、海老蔵が民谷伊右衛門を、勘太郎がお岩・小仏小平・佐藤与茂七の三役をそれぞれ初役で務めるというのが見どころです。

お岩といえば、中村勘三郎の当たり役ですが、勘太郎は勘三郎のお岩さんを幼いときから当然見慣れているでしょうし、今回も初役ということで父・勘三郎から徹底して手ほどきを受けていたようで、台詞回しや声に勘三郎を彷彿とさせるものがあるのは言うまでもありませんが、初役とは思えない完成度の高いお岩さんを見せてくれました。特筆すべきはやはり二幕目で、お岩の切々とした台詞に客席の誰もが見入り聴き入りしていました。顔が醜く変貌し、憎悪を剥きだしにして人を呪う怖さより、夫に裏切られ、しかも父の仇をとるという約束を反故にされ、子どもまで蔑ろにされたその無念さ、憐れさが滲み出ていて素晴らしかったと思います。誰がお岩さんに感情移入し、涙すると思ったでしょうか。お岩さんの恐ろしい顔に驚く宅悦のリアクションに一々笑う観客が一部いましたが、そういうKYというか、人の心情を読み取れない観客は極々一部で、大半の観客はお岩さんの真に迫った心理描写に、笑うどころではなかったと思います。あの誰もが息を呑む空気はなかなか味わえないし、あれこそ生の舞台の醍醐味でしょう。幕間までの1時間半があっという間に感じました。それだけ密度が濃かったのだと思います。

海老蔵はこういう色悪はニンで、正に適役。伊右衛門が妻帯者なのを分かっていても結婚したいと隣家のお梅に思わせる十分な色気と魅力がありました。お岩さんから着物や蚊帳までも奪い取り、縋るお岩さんを引きずる場面では、その冷酷さがリアルなまでに出ていて、こうした残虐非道な役でありながらも美しさを感じさせる役者は、なんだかんだ言っても、やはり海老蔵をおいて他にいないと思います。

花形歌舞伎の若手の多い中、ベテラン役者はその格の違いを見せ付けてくれて、歌舞伎らしさと芸の確かさに安心と心地良さを感じました。市蔵の宅悦は人のよさが出ていて、お岩とのやり取りも秀逸でした。前日が90歳の誕生日だった女房おいろ役の小山三さんも元気な姿を見せてくれて、ある意味この日一番の眼目でした。昨日は一階15 列で見ていたのですが、役者によっては声が出てる割に明瞭に聞き取れない人もいる中、小山三さんの声はよく通り、よく分かり、年齢のことを考えると凄いと思います。次に『四谷怪談』がかかるのはいつか分かりませんが、また素晴らしい女房を演じて欲しいと思います。

今回の『東海道四谷怪談』は登場人物たちと設定年齢の近い若手役者陣によるものということもあり、生々しさやリアリズムがあって、幹部勢による歌舞伎とは趣がまた違いますが、芝居の出来といい、大変満足のいく舞台だったと思います。大詰めではちょっとしたサプライズ演出があり、納涼の怪談らしさを存分に楽しめます。


【八月花形大歌舞伎】
新橋演舞場にて
8月28日まで

円朝・幽霊画コレクション

もうかれこれ10日も前のことですが、谷中の全生庵で公開中の円朝遺愛の幽霊画コレクションを観てきました。

全生庵は、山岡鉄舟が幕末・明治維新で国事に殉じた人々の菩提を弔うために、明治16年に建立したお寺です。歴史としては比較的新しいお寺ですが、山岡鉄舟のお墓のほか、落語家の初代・三遊亭円朝のお墓などがあります。

三遊亭円朝といえば、『怪談牡丹燈籠』や『真景累ヶ淵』など、怪談噺で有名な噺家ですが、幽霊画のコレクターとしても知られ、そのコレクションがここ全生庵に寄贈され、円朝の亡くなった8月に毎年公開されています。

さすが、今も語り継がれる怪談噺で名を残す人だけあり、そのコレクションも、円山応挙作と伝わる掛け軸から、歌川広重や河鍋暁斎、柴田是真など錚々たる日本画家ばかりで、お寺の狭い一室は、幽霊画の掛け軸で埋め尽くされ、一種、異様な空間となっていました。

伝・円山応挙「幽霊図」

応挙とされる幽霊画には、応挙の名も落款もなく、真筆の程は定かではありません。“足のない幽霊”は応挙が初めて描いたともされ、また「応挙の幽霊」という落語があるぐらいですから、日本画に詳しくない人にも応挙の幽霊画は有名で、そのため偽物も多く出回っていたと言われています。実際、全生庵の応挙の幽霊画のコメントにもその真贋については明言を避けており、本当に応挙なのだろうかと思わなくもありませんが、その絵は儚げで美しく、真夏の夜の夢の如く、ふーっと掛け軸から抜け出てきそうな不思議な存在感がありました。

谷文一「燭台と幽霊」

そのほか、 個人的には展示作品の中で、谷文晁の弟子にして、その腕を見込まれ後に養子となった谷文一と、谷文晁の孫にあたる谷文中の幽霊画が白眉だと思いました。ともに同じ画題で描いていますが、その丁寧さ、完成度の高さ、そして幽霊画としての恐ろしさは他を抜きん出ていたと思います。

鰭崎英朋「蚊帳の前の幽霊」

訪れた日は、奇しくも円朝の命日でしたが、幸い混むこともなく、ひっそりとしてお寺で、静かに幽霊画を堪能させていただきました。全生庵前の坂をくだったところは千駄木の駅ですが、その手前の“へび道”という路地は昔、藍染川という川で、そこから上野の不忍池までの低地一帯を清水谷といい、『怪談牡丹燈籠』の舞台となったところです。 まだまだ暑い日がつづきますが、円朝所縁のお寺で、幽霊画を観て一涼みというのはいかがでしょうか。


谷中・全生庵にて
8月31日まで

2010/08/19

香華

初めて新派を観てきました。三越劇場で公演中の『香華』です。

三越劇場は20年ぶりなんですが、久しぶりに来ると、その狭さにビックリ。こんな狭いところで芝居をやるのかと、正直ちょっと驚きました。昔はここで歌舞伎もやってたんですよね。

さて、原作はもちろん有吉佐和子の人気小説。実はこの『香華』は新派では初演なんだそうです。有吉佐和子の小説といえば、新劇はもちろん、新派でもいくつも舞台化されているので、再演なのだとばかり思ってましたが、意外でした。それだけに今回の公演は、とても力の入ったものだったのだと思います。

『香華』といえば、舞台では山田五十鈴が“山田五十鈴十種”の一つとして500回以上も演じた当たり役ですが、その郁代を水谷八重子がどう演じるかというのが、観る前からの楽しみでした。自分自身は山田五十鈴の舞台は拝見していませんが、小説を読んだときは、大輪の花・郁代=大女優・山田五十鈴を頭に描きながら読んだものです。

その郁代を水谷八重子は豊かな表現力で、時に楽しく、時にシリアスに思う存分に演じていました。娘・朋子役の波乃久里子は舞台の初っ端は桃割れの半玉なので、見た目どうしても無理がありましたが、水谷八重子はちょっと年増の花魁という役だから思ったほど違和感なく、逆に“年増なのに花魁やってる”という郁代の年を考えない行動が体現されていたと思います。華のある女優さんなのでこういう少々派手な役はピッタリでした。第一幕では、人前で「母」と呼べない遊廓の中で、久しぶりに親子の関係を取り戻せた喜びが話の中心になるのですが、第二幕以降、母の身勝手な行動がだんだんと明らかになってくると、水谷八重子の本領発揮で、時に飛ばしすぎじゃないかと思うほど面白おかしく郁代を演じ、観客を笑いの渦に巻き込んでいました。もちろん山田五十鈴はこうは演じていなかっただろうと想像はできるのですが、水谷八重子のこの郁代もありだなと思いました。

原作は長編小説ですし、映画も3時間半近くある長い作品でしたが、そのあたりはベテランの石井ふく子が演出ということもあり、舞台はかなりコンパクトにうまくまとめられていました。どうでしょう、五十鈴版は分かりませんが、新派版では遊廓や芸妓のいわゆる花柳界があまり表立たず、どちらかというと“母と娘の絆”という家族的というか、庶民的な面が殊のほか強調されていたように思います。そのあたりは、石井ふく子のカラーとか、新派の観客層というのもあるのかもしれません。

朋子の恋人・江崎役の松村雄基は軍人ということもあり、姿かたちも格好よく、それなりに適役だったと思います。本公演で新派初参加という佐藤B作が和歌山時代から郁代を慕ってきた下男の八郎を大変好演していました。新派の役者陣の中にいても全く遜色なく、さすが舞台俳優だけあって巧いなと感心していましたが、病気療養するため舞台を急遽降板するとのこと。本人もさぞ無念だと思いますが、しっかりと病気を治し、また舞台に戻ってきて欲しいと思います。

泣いて笑って、これからたぶん新派の人気作品になるんじゃないかと思う、そんな舞台でした。


【香華】
三越劇場にて
8月22日まで
(以後、地方巡業あり)

2010/08/08

奈良の古寺と仏像 ~會津八一のうたにのせて~

すっかりアップが遅くなってしまいましたが、三井記念美術館で開催中の『奈良の古寺と仏像』展に行ってまいりました。

今年の春に、新潟市美術館の美術品の管理体制が問題視され、一時開催が危ぶまれたものの、最終的に長岡の新潟県立近代美術館で無事開催されたあの仏像展が巡回で東京に来ています。

今回の企画展は、新潟・東京・奈良と移動しますが、各会場により出展される仏像も結構異なっているようで、新潟開催時の目玉になった中宮寺の国宝「菩薩半跏像」は東京には来ていません。とはいえ、三箇所に出展される仏像・関連資料は計120点。その内の約半分が東京で観ることができるそうです。その名のとおり“奈良”の由緒ある寺院から貴重な仏像がたくさん貸し出されていて、法隆寺、東大寺、興福寺、薬師寺、唐招提寺をはじめ、秋篠寺、當麻寺、橘寺、般若寺、室生寺等々計20寺院。奈良に行ったって、ここまでのお寺さんを一日やそこらでは回りきれません。そう考えると、すごい企画の展覧会だと、あらためて驚いてしまいます。だけど果たして、遷都1300年で賑わう奈良から、こんなに仏さまをつ連れてきてしまって、いいのだろうか?

奈良には仕事では何度か行ってるのですが、プライベートで寺院を訪れるなんぞ、中学の修学旅行以来ありません。やれ唐招提寺だ薬師寺だ中宮寺だ興福寺だといっても、最近観てる仏像はみんな、東京でですから。考えてみると、すごいことですよね、最近の仏像の展覧会ブームは。

さて、三井記念美術館は初めて伺いましたが、会場はいくつかの部屋に分かれていて、それぞれテーマごとに仏像を陳列しています。

岡寺「菩薩半跏像(伝如意輪観音)」(重要文化財)

<展示室1・2>は小金銅仏。どれも時代的には飛鳥時代から奈良時代の20~40cm程度の小さな金銅仏がケースに収められて陳列しています。このコーナーのものは、すべて重要文化財。止利様式の傑作・法隆寺の「釈迦如来立像」やたおやかな姿が美しい岡寺の「菩薩半跏像」など、観るべきものがたくさんあります。ここは入ってすぐのコーナーなので人がたまりやすく、混雑必至です。

<展示室3>は會津八一の書と資料を集めた小間。つづく<展示室4>は東大寺・西大寺・唐招提寺・薬師寺の仏像を陳列したコーナーです。まず目に付くのが西大寺の塔本四仏像の4躯(釈迦、阿弥陀、宝生、阿閦の4如来)。東京と奈良の国立博物館に分かれて寄託されているため、こうして4躯揃うのは実に20数年ぶりだそうです。仏さまもさぞうれしいことでしょう。

西大寺「塔本四仏像」(重要文化財)

西大寺の仏像以上に異彩を放っていたのが東大寺の「五劫思惟阿弥陀如来坐像」。写真ではお見かけしたことがありますが、実物は想像以上にファンキーです(ごめんなさい)。どうも長いこと修行している間に髪が伸びてこんなになってしまった、ということらしいのですが、如来さま自体が長~い年月修行をした方なので、どんだけ修行してたのよ、という感じです。アフロなヘアーにばかり目が行きがちですが、とても柔らかい、いい表情のお顔をしています。このコーナーには、ほかにも東大寺の「四天王像」や薬師寺の「地蔵菩薩立像」など、素晴らしい仏さまがいらっしゃいました。

東大寺「五劫思惟阿弥陀如来坐像」(重要文化財)

<展示室5>は仏教工芸品。<展示室6>はもういちど會津八一の書。最後の<展示室7>には長谷寺・室生寺・當麻寺・橘寺・法隆寺・大安寺・秋篠寺・元興寺の仏像が陳列されています。東京展の目玉は、なんといっても室生寺の「釈迦如来坐像」(国宝)でしょう(公開は7/25で終了)。平安前期を代表する檜の一木造の仏像だそうで、どっしりとした体躯と厳しさの中にも慈愛を感じさせる表情で、写真家の土門拳が「日本一の美男子の仏」といったのも頷けます。身にまとう衣の紋様がまた滑らかで美しく、とても印象的です。「釈迦如来坐像」は室生寺でも滅多に観れない仏像だそうで、それが奈良にも行かず東京で拝めるのですから、贅沢というか、東京で楽して観ること自体が、バチ当たりではないかと思ってしまいます。

室生寺「釈迦如来坐像」(国宝)

この最後のコーナーには、秋篠寺の「地蔵菩薩像」や橘寺の「伝日羅立像」、さらに法隆寺の国宝「観音菩薩立像(夢違観音)」といった仏像ファンを唸らせる傑作が多く、ちょっと眩暈がするほど濃厚感がありました。

法隆寺「観音菩薩立像(夢違観音)」(国宝)

国宝・重文クラスの仏像が大挙集まっているとはいえ、どちからというと地味さが漂い、昨今の仏像展のような派手さはありませんが、それ故、“ツウ好み&”といった感じの展覧会でした。


【奈良の古寺と仏像 ~會津八一のうたにのせて~】
三井記念美術館にて
9/20まで

2010/08/01

赤坂大歌舞伎

赤坂大歌舞伎にも行ってきました。

現代的な演出は別に嫌いじゃないんですが、江戸時代の話にラップとか、そういう奇を衒ったものがどうも苦手で、コクーンは観に行かなかったのですが、赤坂は未見の勘三郎の『文七元結』に、東京で初お披露目の七之助の『鷺娘』にということで出かけてまいりました。

『人情噺文七元結』は音羽屋のものを観ていますが、やはり中村屋は中村屋だなというのが第一印象。音羽屋の『文七元結』は、長兵衛にしても、お七にしても、お駒にしても、長屋の大家にしても、清兵衛にしても、みんな人情味が厚くて、「江戸っ子は人情味があっていいな」でまとまるのですが、中村屋の『文七元結』はどうも人情噺なのか喜劇なのか、話があっちにこっちに飛びすぎて、まとまっているんだか、まとまっていないんだか、それがもったいない感じがしました。

お七が行方不明だと聞かされる場面と、お七を文七の嫁に欲しいと言われる場面で、長兵衛が状況を飲み込めないというシーンがありますが、共にどうも演技がくどくて、突然のことに理解できないというより、ただの頭の悪い親父に見えてしまって残念。扇雀演じるお兼も、出の場面では神妙な面持ちでなかなか良かったのですが、後半は相変わらずの中村座のドタバタ・パターンで、お兼とお七の“生さぬ仲”なりの母子の深い関係もどこかに飛んでしまい(そもそもなぜ“生さぬ仲”に変更したのかその意図が分からない)、ちょっとウーンという感じでした。前回も評判が良かったと聞く芝のぶのお七は、まさに適役というような娘役で、いつもながらの芝居の巧さが存分に発揮されていて感心しましたが、これも演出なんでしょうが、ゆっくりと聞かせるように話す台詞のテンポと“間”の取り方が彼女の哀れさや不憫さ、そして親思いを強調し過ぎてしまい、ちょっと“臭い”んじゃないだろうかと思ってしまうほどでした。それが補綴・演出を手がけた山田洋次監督の意図であり、中村屋のカラーであるというのであればしょうがないのですが。なんだか全体的に、世話物というより新喜劇という印象も無きにしも非ず。

一方、松島屋からの客演である秀太郎のお駒は、芝翫とはまた違う気風のいい女将で、ドタバタしがちな中村座の中にいても崩れることなく、厳しさと愛情を巧みに表現していて、「関西の人なのになんて江戸っぽいんだろう」と感動すら覚えました。中村屋の最長老、小山三も売れない女郎役で元気なところを見せてくれて、なんかとてもホッとして、嬉しくなってしまった。

『人情噺文七元結』で笑って泣いたあとは、七之助の『鷺娘』。玉三郎がもう『鷺娘』は(公演としては)踊らないと公言した今、あのか弱さと妖しさと美しさを表現できる人はなかなかいないので、実際に玉三郎に教えも請うているという七之助の『鷺娘』には期待がかかります。まぁ、玉三郎と比較するのはあまりに酷な話。自分が観たのは楽前だったので、型も完成し、安定したであろう頃に観てますから、それほど気になる点はありませんでした。ただただ、将来が楽しみだなとそんなことを考えながら観ていた七之助の『鷺娘』でした。

七月大歌舞伎

久しぶりに、歌舞伎の本公演に行ってきました。歌舞伎座がしばらくお休み中なので、今回は新橋演舞場です。

今月は昼の部だけを拝見。

まずは『名月八幡祭』。
江戸随一の粋な花街の人間模様や深川八幡のお祭りを背景に、純朴な越後の商人新助が芸者美代吉に想いを寄せるあまり、人生の歯車が狂ってしまうというお話です。

歌舞伎座が休場となった途端、出ずっぱりの福助が美代吉を演じています。美代吉というのが、旗本のお偉い旦那がいるにもかかわらず、三次というどうしようもない男にお金を貢いでいるというような、どうしようもない女なのですが、そのどうしようもなさがよく出てたなと思いましたが、一方、深川一の芸者というには“軽い”というか、売れっ子芸者らしい艶やかさや品がもう一つ欲しかったかなというのが個人的な感想です。歌昇の三次も、ヒモはヒモでも、遊びの過ぎた悪い男というより、甘えん坊みたいなところがあって、こんなのでいいのかな?と思ったりもしました。(偉そうにすいません)

縮屋新助の三津五郎、魚惣の段四郎はさすがに手堅く、何を演じてもうまい人ですね。三津五郎は彼の役に対する真面目な姿勢が、一途で純朴な新助と合致し、見応えがありました。脇を固める家六に右之助、歌江、そして特に芝喜松が素晴らしく、どこか宙ぶらりんな美代吉と三次を何とか繋ぎとめていたという気がします。

ラストは舞台全体に雨を降らせるという豪快な本水で、息を呑む緊迫感と雨上がりに満月が浮き上がるという夏狂言ならではの美しい演出でした。

つづいては、『六歌仙容彩(ろっかせんすがたのいろどり)』より富十郎の『文屋』。
『六歌仙容彩』は、古今和歌集の六歌仙(僧正遍照、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、大伴黒主、小野小町)が登場する舞踊で、その中の文屋康秀が登場するのが『文屋』です。文屋康秀は好色な貴族と描かれていて、彼が小野小町に逢いに来るものの、官女たちに行く手を阻まれてしまうという楽しい清元舞踊。官女たちを立役が演じるのが通例だそうで、これがまた、どいつもこいつもというような醜女ばかりで、文屋との押し問答が笑いを誘います。6月で81歳になったという富十郎は、さすがにかつてのキレはないかもしれませんが、視線や指の先まで気持ちがこもっていて、老熟した芸容の大きさを感じました。

最後は、『祇園祭礼信仰記』より『金閣寺』。
将軍足利義輝を殺害し、その母・慶寿院を幽閉している松永大膳のもとに、家臣になりたいと此下東吉という男がやって来ます。実は東吉は小田春永の家来・真柴久吉で、慶寿院と同じく大膳に捕らわれている雪姫を救うために忍び込んだのでした。大膳は横恋慕する雪姫に、夫で絵師の直信に代わって龍の絵を描くことを強要しますが、雪姫がそれを拒否すると、雪姫を桜の木に縛り付け、直信の処刑を命じます…。

『金閣寺』は初めて観ましたが、この雪姫が歌舞伎の赤姫の大役“三姫”の一つとのこと。美代吉では少し中途半端な印象のあった福助ですが、雪姫は綺麗で、型もビシッと決めていて、全体的に非常に良かったと思いました。ただ、團十郎演じる大膳と吉右衛門演じる東吉が碁を打つ場面がダレた感じがして、敵か味方かまだ分からない東吉の腹を探りながら碁を打ち、結局大膳が負けてしまうという対局に緊迫感が少々欠けていた気がします。

もうひとつ気になったのが、舞台に左右にある大きな桜の木。上手側の桜は芝居の中盤で雪姫が縛られるためにあるのですが、金閣寺の離れに匿われた雪姫が大膳から龍の絵を描くように命令される前半の大事な場面で、その桜の木が邪魔で雪姫がほとんど見えませんでした。一階席の舞台真ん中の良席に座っているにもかかわらず。雪姫が下手側の桜に縛られる演出もあるようですが、福助の公式サイトによると、「成駒屋の型ですと、雪姫が縛られる桜が上手」なのだそうで、演舞場の舞台は狭いので下手側の桜の木に縛るという案もあったそうですが、成駒屋の型に従ったようです。それでは離れ座敷の雪姫は見えなくてもいいのか?と少々疑問に残りました。

7月は夜の部の評判が断然良くて、特に『傾城反魂香』の吉右衛門と芝雀は絶賛のようでした。夜の部を観にいけなかったのが、ちょっと残念な7月の歌舞伎でした。